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2025-06-05

5歳児の世界が間違ってて泣いた

5歳の息子はおそらく軽度のアスペルガー

物事を白か黒かで判断するきらいがあり、3歳くらいの時には見知らぬ他の子に「はしっちゃダメ!」と注意して向こうの保護者に嫌な顔をされることがよくあった。それはまぁいい。

言葉の発達が遅かったので文字に触れ合う時間意図的に増やしたせいだろうか。4歳ぐらいから識字と言語能力がやたらと発達してきた。

小3レベルぐらいの漢字混じり文章は読める、簡単英語疑問文を見て答えを日本語で言うぐらいはする。

何かで泣きじゃくった時に「まちがってる! このせかいはまちがってる!」とわめくので、笑ってしまたことがある。その言語センスどっから持ってきた。人生2周目か? なお、進撃の巨人東京グールは読んでも見せてもいない。

だが、幼稚園では、年少の頃に癇癪をおこすことがよくあった。

怒ってしま理由を家で聞くと「おこりたくないけどがまんできないんだよー」と子供ながらに言う。

自分の失敗も他人の失敗も間違いは許せないらしい。白黒思考というやつだ。隣の子塗り絵をほんの少しだけはみ出してしまたことを許せず、癇癪することさえあった。

いいんだよ、思いっきり失敗しても楽しんでやればいいんだよ、といつも教えたのだけれど、許せないらしい。

いずれ治るかもしれない今だけかもしれないと願っていたが、年少の秋口に園長担任個別面談希望された。直接の原因ではないけれど、癇癪を起こしているところに心配して声をかけてくれた子を突き飛ばすようなことがあったらしい。

優しい子だと思っていたし、感情を抑えられなくても誰かに手を挙げるようなことはしていない、と思っていたので、ああそうなのかやってしまったのか、と悲しくてしょうがなかった。

先生たちには謝りながらも、怒りたくないけど怒っちゃう普段から彼が言っていたことも伝えた。性根は優しい子だということはわかってやってほしかった。感情コントロールできなくて息子も苦しんでいるのだと涙ながらに伝えると、先生も少し泣いていた。いい先生達だった。

息子がつらいのであれば園は辞めさせてもいいと思っていたが、園は通いながら療育へも行くことになった。それはまぁいい。

療育ソーシャルスキルトレーニングで、息子の癇癪は少しおさまってきているように見えた。

それでも運動会はかけっこで負けて悔しくて、最後までずっと泣きわめいていたこともあった。

言語能力は5歳になるとさらに発達してきて、父の本棚からモンテッソーリ教育の本を引っぱりだして勝手に読んで、「テストのせいせきがいいかわるいかじゃなくて、プロセスをほめないと、ぼくのチャレンジせいしんがそだたないんだよー」などとマジで言う。二宮金次郎じゃないが、その本を幼稚園バス停まで持って行って読んでる。それもまぁいい。

今日、2人でお風呂に入ってると息子は「じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない」と辛そうに言うのだ。

「できないことをかんがえると、じぶんがきらいになる。じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない。じぶんにきびしくなければ、もっとらくなのに。じぶんにきびしいじぶんになんて生まれてこなければよかった」と、言う。

「できないじぶんがきらい。できないじぶんなんてきえてしまえばいいとおもっちゃう。のうではわかっているけど、きもちがかってにでてくる」と、言う。

私は、涙をこらえながら、優しい言葉を探してやるのに必死だった。

の子はたぶん他の子より若干頭が良い。5歳だが漢字は読めるし、英語もやれるし、5の位の掛け算はやるし、なんなら48+3=51ぐらいの繰り上がり計算英語で言う。

でもそれ以上に、自分にはできないことばかりがよく見えてしまう。

お前、5歳なんだよ、もっと何も考えずにウェイウェイ遊んでいればいいんだよ。

きっと彼もそうした方がいいことは理解している。でも、わかっているのにできないのだ。

私は泣いた。

できないことばかり数えてしまう息子の生きづらさを思って泣いた。

そんな気持ち言葉にして伝えられる5歳児は凄いことなんだよ、大人に近づいているんだよ、と言っても息子の表情は暗いままだった。

この世界は間違ってるといつか泣いた息子は、今も間違いだらけの自分世界を受け入れられずにいる。

父と母は、お前が日々成長していくだけで喜びに満ちた世界にいるのに、なんでそんな遠いところに独りでいるつもりになっているんだ。

私は覚えているよ。

3歳のお前は、遊び場で初めて会った子と意気投合して、楽しく遊んでいたことがあったんだ。

私が何がそんなに楽しいのか聞いたら、「あのね、くつしたがね、おそろいだったの!」と2人で同じ靴下を履いた足を並べて、2人で満面の笑みを見せてくれたね。

あの時ね、私はとても感動したんだ。

遠い異国の地では遠い昔にルーシという国から派生した国の人達が争っている。ワクチンを撃つべきか、マスク強制なのかと、大人たちが今も揉めている。老害・こどおじ・ツイフェミリベラルネット今日自分以外のカテゴリを雑にくくって他者攻撃することばかりだ。

そんな世界でお前とその子は、靴下の柄が同じだけで人は初めて会う誰かと心を通じ合わせることができるのだと、輝くような笑顔で教えてくれたじゃないか。私はこの世界も捨てたもんじゃないと本気で思ったんだ。

こんな自分に生まれたくなかった、そういうお前の気持ちを私は否定しなかっただろう。私もそんな時があったし、いつも言っているが、そう思っているのはお前ひとりだけじゃないんだよ。

からどんなにお前が自分を嫌いでも、父と母はいつまでもお前の味方だと、何まんべんでも言ってやるよ。お前がお前を許してやることができるまで、ずっと付き合ってやるよ。

かに間違いだらけの世界でさ、私も何が正しいのかはよくわからないんだけど、この世界は間違ってるって、お前と一緒に喚きながら暮らしていきたいよ。

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-07-22

anond:20240722123018

畑を耕すために使うだろ

しらねーのか

二宮金次郎が桑で畑を1万ヘクタール耕したんだぞ

お前も開墾しろ

2024-07-09

anond:20240709003538

次の新紙幣なんてもう出ないんじゃないの?デジタルマネー時代に。

あったとしてもサトシナカモトコインかになってんじゃね?

全体的に深読みしすぎだと思うが、あえて考えるなら俺はこうかな。

ドラゴンボールポケモン / ロボットアニメの有志たち / ひろゆき佐藤栄作

ホンダカブ富士山 / 村井純イチロー / マリオキティ / 祇園二宮金次郎 / 苔


俺は野口に変わるタイミングでも別に諭吉諭吉だったから、誰になってようがどうでも良かったかな。

夏目漱石時代は単に画力が落ちたなって思った。今回のフォント問題と同じ感想

ただし、聖徳太子を除いて、岩倉具視とか伊藤博文みたいな政治家が描かれるものだったものが、近代教育人物に変わった時は驚いた記憶がある。

2024-06-24

anond:20240624105905

二宮金次郎は、歩きスマホ推奨という点、児童労働という点から長年批判され続けていたんだわ。

から、全国の小学校の校庭から姿を消しつつあるのに、

廃棄予定の像を購入して、次世代に残したいと願う時代錯誤なヒトが現れたら、

そりゃ大騒ぎになるって。

【速報】廃棄予定の「二宮金次郎の像」55万円超で落札した男性 金次郎の「誠実」の教え「次世代に残したい」と願う 全国の小学校の校庭から姿を消す「金次郎

関テレはヒマなの?

速報性のないニュースを速報吸う理由は?

電波法ガバガバすぎ。

はよオークションを。


河野太郎ちゃん、頼んだよ!

2024-03-06

ワークマンの子供向けランドセルって、二宮金次郎かよって思ってしま

そうとしか思えないよ

「働く子供が背負うもの」って二宮金次郎しか思い出せないもん

ワークマンランドセル出すのなら、ワークマンという名前を変えるべきだよ

ワークマン女子はいいよ、働いてるから

でも小学生ワークマンランドセルするのはおかしいよ

これがニトリ無印ならまだセーフだよ、生活用品だし

けど「ワークマンから出すのは反対

働く小学生みたいなイメージがあり過ぎる

2023-10-19

anond:20231019114115

俺はよくスマホで本読みながら歩いてる、人にぶつかりそうになってしょっちゅう怒られるけど二宮金次郎は怒られなかったんだろうか?

そうだとしたら羨ましいな

歩きスマホをする理由

歩きスマホをする人って二宮金次郎のように必死勉強しているのではなく、ゲームSNSで遊んでいるだけだよな。スマホで何をするかは本人の自由だが他人迷惑になることはやめてもらいたい。

2023-06-20

anond:20230620015627

「かわいそう」

「まだこの子、目覚めてないのよ」

「見込みないんじゃない」

彼女は優しく教えようとしてるみたいだけど」

無駄ね」

「家に二宮金次郎の像とか飾ってそう」

搾取され続ける人生を送るがいいわ」

2023-06-13

母校は小学校では、自分の親ぐらいの世代昭和の終わり頃)にプール溺死事故があったそうでプールサイドに小さい慰霊碑があった

毎年プール開きと同時に六年生が参加して、近所の神社神主が来て慰霊祭が行われていた

今でもスク水帽子は男女とも蛍光オレンジ

小学校怪談話定番プールネタ鉄板だけど、流石に子供不謹慎だと思うのかプール怪談話は聞かなかった(二宮金次郎が動くとかトーテムポールの目が光るとかはあった)

現代でも学校の七不思議ってあるのかな

2023-06-08

anond:20230608001624

ながらスマホを推奨するかのような二宮金次郎像は全て破壊されるべきだよな。

anond:20230607115057

そんな移動時間すら惜しんで見なきゃいけないものがあるのかとビックリするんだよな

二宮金次郎みたいに英語勉強でもしてるのかな

2023-06-05

絶対成功する異次元少子化対策

少子化の原因はいくつもあげられるのだが、最大のもの子供教育コスト問題だろう。

共通して、先進国はどこも出生率が低下している。

ヨーロッパアメリカ日本よりも幾分、マシにみえるが、マジョリティである白人人口は低下の一途を辿っている。

堕胎離婚に厳しいカトリック国でも同様である

現代社会の成員は高い学歴要求されるからだ。

義務教育の9年間に加え、高校大学まで行かないと劣等感と付き合いながら生きていかなければならない、と考える人間が増えすぎてしまった。


しかし、戦前戦後すぐくらいまでの時期の日本は多産であった。

それは何故か。就職学歴要求する職業はそれほど多くなく、かつ子供労働力だったかである

筆者の少年期ですら、地方では農繁期には学童農業の手伝いのために学校を休むのが常識的にまかり通っていたが、近年は家庭内介護ですら

ヤングケアラー」などという新語までつくって、とにかく少年少女を労働から隔離しようとする動きが見られる。

だが、二宮金次郎は薪を背負いながら勉強したし、100年前の映像写真には10歳にも満たない子供が幼い弟妹を背負って家事を助けている姿がいくつも残されている。

子供労働力に数えることができるのならば、人は積極的子供を産む。


とはいえ新興国ならまだしも、先進国児童労働なんて…と考えるのが現代社会に生きる我々の大方の考え方だろう。

それなら出産のもの国家が大幅に保証する他ない。

子供が生まれたら1000万円支給する。


これくらい支給すれば、まさに「生きるために」子供を持とうとする人が増えてくるだろう。

あるいは擬似的な職業としての「妊婦」が成立するかもしれない。

平均的な日本人が一生に支払う税金はこれ以上の金額であるし、逆に子供が生まれてこなければ、当然、税収はどんどん減っていく。

高校以上まで子供を通わそうとすれば自前でさら金額支出することになるのだし、家庭と国家、家庭と社会の貸し借りで言っても概ね回収できる。


財源は、という話は当然でてくるわけだが、増税もってのほかである

これほど国債でもって賄うのに大義名分のある支出はない。

国債政府借金であり、その借金を返すには「未来国民から税金でもって巻き上げるしかない。

だが、巻き上げる国民が減少すれば、返すこともままならなくなるだろう。

しろ、これ以外の政策の実行に国債使用するほうがおかしい。

とはいえ、それだけの支出を現行の国家財政の枠組みの中で行うのは非常に難易度が高い。

今の年間の出生数は80万人程度で、彼ら新生児に一律1000万円支給しただけで年間8兆円飛んでいく。

最終的に今の人口の置換水準である150万人程度の出生を目標とするのであれば、15兆円である

(それでも日本一年間の海外投資額と同等程度だが)


あるいは、出生届が出された段階で一人につき1000万分の貨幣を余分に発行しても良い。

筆者はMMT全面的に賛成するものではないが、狙いやゴールがはっきりした政策限定するのであるならば

ハイパーインフレには繋がらないと思われる。


異次元というのならば、これくらいの大胆な施策を実行しなければならない。

まれてくる子供の質がとか、子供を望めない家庭の心情は、とか言ってる場合ではない。

とにかく子供の頭数が必要なのだ

子供一人に1000万円はかなり強力な出産動機になりうる。

個々の不満は実現したあとに考えていけばいい。

2023-05-24

路上パーソナルスペースじゃねーんだよ

路上ってのはお前のおうちじゃないわけ。

から俺は二宮金次郎が薪背負って歩きながら勉強してても「勉強なんか家でやれカス」と思うし

歩きながら飯食ってる奴も「家に帰るまで我慢できねーのかデブ」と思うし、

歩きスマホしてる奴も「行動倫理が薬中と同じゴミ」だと思ってる。

道端で歩きながらポッケに手を突っこんでシコってる奴がいたら「部屋でやれ」と思うだろ。

同じことだよ。

 

お前のパーソナルな、プライベートなことをゴリゴリの公の場である路上でやろうとするな。

2023-05-13

歩きスマホ引退しま

歩きスマホ事故の元だからやめましょう、とよく言うが、舐めないで欲しい。

こちとら、歩きスマホプロなのだ

まず幼少期に二宮金次郎に感銘を受けた俺は、歩きながら本を読みまくっていた。

さらに、ガラケーができると当然ケータイを弄りながら歩いていた。まだ「歩き携帯辞めろ」なんて誰も言ってなかった時期だ。

俺は雑魚どもとはレベルが違うので、人生において前を向いて歩いていた時よりも、下を向いて歩いていた時間の方が圧倒的に長いのだ。

から、「歩きスマホをやめましょう」なんていう、スマホができてから、ながら歩きをしている雑魚ども向けの注意を聞く必要はないと思っていた。

事実として、俺はスマホと前方5メートルを同時に見ながら歩けるのだ。ぶつかったことなどないし、率先的に相手を避ける。

なんなら、スマホを見ながら路上に落ちている小銭を見つけることもできる。

から、俺は歩きスマホをし続ける。

そう思っていた。

今日、俺はいものように歩きスマホをしていたら、電柱に激突し、歯が欠け、眼鏡を粉砕した。ついでに膝も擦りむいた。なんやねん。

本田忠勝の気持ちがわかる。戦場で歩き殺戮をしながら無傷だった彼もまた、刀を手入れしている際に傷を負い、引退を決意したという。

衰えた、ということなのだろう。

明日から歩きスマホ引退します。

2022-07-02

二宮金次郎って現代にいたら歩きスマホで注意されるの?

転びそう

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