はてなキーワード: 褒め言葉とは
美容院が怖い。入った瞬間にカラカラと鳴るドアベルの音で、冷や汗が背中を駆け降りる。
名前を聞かれて、答える声は上擦るし、「ロッカーに荷物を預けてください」と渡された鍵をさす向きは間違える。
そして荷物をもたつきながら入れる時点で心拍数はマックスであり、椅子に案内されるとき、もちろん店員の目など見ることができない。
しかし9ヶ月も髪を切らないと、どうセットしてもボケみたいな仕上がりになるため、美容院に来た。
そこは道の角に静かに佇んでおり、割とこじんまりと構えている。しかし街の中心地なのでそれなりに洗練された空気を纏っており唾を飲み込んだ。
深く落ち着いた緑色の取っ手は、幾分か自分の緊張ゲージを下げた。心の中で「グゥ!」と気合を入れながら右手を引く。
想定していたドアベルは存在せず、なんの音も鳴らない。しかしこれだと来店に気づかれず黙って立ち尽くす恥ずかしいやつになるかもしれない。
一瞬で駆け巡る被害妄想は、女性客の髪をアイロンで巻いている一人の店員によって打ち消される。
「いらっしゃいませ」
静かで優しそうな声だ。店内、奥にもうひとりいるくらいで人数が少ないため視線も集中しない。安堵していると、ロッカーに荷物を預けてくださいと言われる。
「そこの椅子に座って待っていてください」
「はい」
「服、おしゃれですね」
「あ、あ、ありがとうございます。あはは...」
そして題名にリップサービスと書いたがこれはただの「こんにちは」である。もはやリップサービス未満だ。
しかし、都会的なスパイキーショートに、太い黒縁眼鏡の素敵な男性に褒められ、私は心の底からドキドキしてしまった。
そして何よりも一番怖かったのは「彼女いるのかな」という思考に瞬時に繋がったところだ。
「服おしゃれですね」の一言だけで恋に落ちかける化け物が爆誕した瞬間である。
カウンセリングシートに、来店のきっかけや、髪の状態を記載しながら自分の人生を振り返る。
多分、自分がこんなにも気持ち悪く育った理由は、恋愛要素のあるゲームを現実と混同しているところにある。
正確に言えば、牧場を経営しながら、村の住民と恋愛できるゲームだ。そのゲームでは、毎日好きな異性に話しかけ、好きなものを貢げば、親密度が上がり、恋人になれるし、結婚もできる。
そのゲームを一時期やりこんでいたとき、現実の異性も同じような対象として見ていた。好きなものをあげる、というようなことはしないが、話しかければ話しかけるほどきっと好きになってくれるとどこかで本気で思っていたし、なにより怖いのは、どんな異性もある程度好みであれば「恋愛対象」の枠に入れてしまうことだった。
人は人を簡単に恋愛対象に入れてはいけないと思う。あなたのことをそういう目で見ています、と開示することは必ずしも素敵なことではない。
むしろ両思いでない相手に好意を向けて近づくことは暴力的なんじゃないかとさえ思う。
話が逸れたので戻すが、カウンセリングシートを記入し終えて、鏡の前に座らされ、待っていると指名した美容師が登場した。
ところどころメッシュが入っているフェザーショートでこの人もまたおしゃれだった。ここで、彼を指名した理由の一つに、「かっこいい」が含まれていることを思い出して激しく恥ずかしい。
美容院はホストクラブではない。もちろんインスタで入念に調べ、載せている髪型のセンスがどれもよかったため選んだのだが、プラスで彼自身をかっこいいと思ったのも事実だった。かっこいいから、で美容師を指名することは罪なのだろうか?小さじ一杯ほどの下心がバレなければセーフだろうか?
自分のキモポイントその2だが、どうも手に目が吸い寄せられる。人間の一番好きな部位が手、というか長くて綺麗な指であり、美容師はなぜか美しい手の持ち主が多かった。
彼も例外ではなく、自分の髪に触れているその指が、はさみの二つの円に通された2本の指が、洗練された手つきがどうにも魅惑的に映ってしまい、自分の欲求不満具合に辟易とする。
自分はニートであり、新卒で入った会社を早々にやめてから半年以上引きこもっており家族以外の異性と全く接触していない。そのためか久しぶりに異性と同じ空間に存在するのは、刺激が強かった。美容師にドキドキするとか”終わり”すぎている。
髪をひととおり切り終え、別の人にシャンプーしてもらい戻る。頭を洗ってもらうときは重力に逆らわず、だらんとしていたほうがいい、と聞いたことがあるのでそのようにした。
マッサージまでしてもらった。五千円以上出すとマッサージしてもらえることが多いのはそういうルールなんだろうか。
最後アイロンしてもらい、ちょっとヘアオイルの営業もかけられつつセットが終わった。
似合ってますか?と褒め言葉のカツアゲをしたら、「可愛いですよ」と言ってくれた。
終始丁寧な接客をしてくれた。街まで行かずに、近くの田舎の美容院に行ったときは、最初からタメ口全開で要望通りに切ってもらえず勝手にアレンジされ、田舎イキリダサヤンキーにされた酷い思い出がある。
やはり髪は街で切ってもらったほうが、そして五千円くらいは出したほうが良い。
そしてやはり、この髪を切ってくれる美容師の彼は恋をしたらどうなるんだろう?とか考えてしまった。もうオワコンである。
どうかこの気持ち悪い下心が滲み出していませんように。
僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。
コーヒーは精密に計量した7.4グラム、抽出温度は92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。
寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。
友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論の議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピー増である。
今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリの対象として再解釈することに時間を費やした。
物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーのラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。
局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論的双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。
ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性が位相的モジュライ不変量として現れる点だ。
もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子が物理的対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。
ただし僕の考察は抽象化の階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。
僕は朝からこのアイデアの微分的安定性を調べ、スペクトル系列の収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。
結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合な境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。
日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。
買い物リストは確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖でモデル化している。
ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源を節約するための合理的なエンジニアリングに他ならない。
インタラクティブなエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集型カードの設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。
カードの設計を単なる数値バランスの問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論とゲーム理論が交差する点に位置する。
ドロー確率、リソース曲線、期待値の収束速度、そして心理的スケーリング(プレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境は健全な競技循環を失う。
友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手の期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。
長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度とメタの多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。
一方、漫画を巡る議論では、物語構造と登場人物の情報エントロピーの関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語のテンポと読者の注意持続時間を定量化できる。
これは単なる趣味的な評論ではなく、創作の効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品を合理的に解析することは否定されるべきではない。
夜も更け、僕は今日の計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。
知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。
今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。
眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。
わたしは、あのひとに出会う前から、正直に言えば自分の人生にずっと深いコンプレックスを抱えており、学歴も、見た目も、人との関係も、自分でどうにかしようとしてもどうにもならなかった部分が多く、その苦しさを紛らわせるために創作に熱中し、そして創作そのものよりも、それを褒められること、認められることが何よりの救いになっていたのに、そうやって得た褒め言葉でさえ、胸の中の空洞を埋めきれず、むしろ負担となり、だんだんと自分が自分のままで居続けることが耐えられなくなって、わたしは他人に年齢や名前や家族構成を偽り、まるで別の人間を演じているかのように自分を作り替えて生きるようになっていましたが、それは、そうしなければ生き延びられないと本気で思っていたからで、嘘をつきたかったわけではないのです。誰かを騙したかったわけではなく、ただ本当の自分を見られることが苦痛だった。
そうして創作に依存しながらも、創作に褒められることすら重たくなり、それでも褒められなければ自分の価値がないと思い込んでいたわたしの前に、あのひとは、いつもまっすぐで、正直で、自分を偽らず、堂々とそこに立っていて、わたしにはそれが眩しくて、羨ましくて、苦しくて、悔しかったのだと思います、でもそのときのわたしは、その気持ちが悔しさだとすら気付けず、「傷つけられた」「見下された」「邪魔された」と、すべてをあのひとのせいにしてしまい、そうしているうちに、わたしは自分こそが被害者だと思い込み、自分が正しいのだと言い聞かせ、何度も何度も周囲に「わたしが傷つけられた」と言い、まるでわたしは加害者ではなく、救われるべき側なのだと、いつの間にか信じ込んでいました。
でも私は加害者ではありません
ずっとそう思ってきましたし それ以外の考え方はできません
誰も聞いてくれなかったので
そういうふうに言われても 私は分からないので
本当に分かりません
何が正しいのか
私は説明できませんし
誰にも説明されたくありません
私はちゃんとしていました
ちゃんとしていたはずでした
でも どうしてこうなったのかは知りません
誰が悪いのかも知りません
私ではありません
それは違うので
そういうことではないので
やめてください
私はちゃんとしていました
私は普通でした
私は普通だったはずでした
普通に見えるように言ってきたので
みんな気付いてなかったので
だから悪いのはそういうところを見る目がない人で
私ではありません
そして
私はまだ見られています
どこからか分かりませんが
あの人が見ている気がするので
取り巻きも見ているので
ここにもいるので
ここにいないふりをしているだけで
多分います
そういう気がしています
理由はないです
でもあります
だから
わかってください
わかれないならわからなくてもいいですが
わかる努力くらいはしていただいて
そうじゃないと
私が何だったのか
誰のせいでこうなったのか
私は普通です
私が正しいです
私は悪くありません
でも、現実は違いました。
わたしが一線を越えてしまったのですわたしが、壊してしまったのです。
警察から連絡が来て、両親にも知られてしまい、わたしが繰り返し「守られなかった」と責め続けてきた家族の前で、わたしは自分の行いを説明できず、ただ、あのときなぜ止まれなかったのかと問われても、自分でも分からず、でもそれでもまだ、心のどこかで「悪いのはわたしだけではない」と思ってしまう自分がいて、その矛盾にわたしはとても疲れています。
いまでも、あのひとと、その周りの人たちが、わたしのことを見張っているような気がして、どこかでわたしの名前を出しているのではないか、わたしのことを笑っているのではないか、わたしが呼吸するたびに誰かに覗かれているのではないかと感じてしまうことがありますが、これが妄想だと言われても、そう簡単に消せるものではなく、わたしの中では確かに「起きている」ことなのです。
どうして誰もわたしのことをちゃんと見てくれないのでしょうわたしはこんなに苦しんでいたのに誰も気付かなかったのでしょうあのひとは眩しすぎたわたしは追いつけなかったでもわたしだけが悪いのですかそう言うならあなたは何を知っているのですかわたしのどこを見たのですかわたしを責めるなら最後まで見なさいよ途中で目をそらさないでわたしを理解できなかったのはあなたの方でしょう
「私には立派な人すぎて…」ならまだ分かるけど「高尚すぎて…」と言われるのは、なんかちょっと「あの人その場のその場の空気に柔軟に合わせられないASDみたいで…」と言われてるようで引っかかるな
高尚って褒め言葉じゃなくて遠回しに貶すときに使うワードというか
素を見せない人がみんな高尚呼ばわりされるかというと、そうではないよね
たとえば、誰も聞いてないしそんな話の流れでもないのに、とつぜん超弦理論とかブルデューとか、あるいはワインの蘊蓄について語り始めちゃう人がいたとしたら「○○さんって、高尚()ですよね」って自分なら思っちゃうかな
うーん、本当に東京出身……? 小中高とずっと私立で周りにお金持ちしかいなかったとか?
自分は世田谷生まれ世田谷育ちだけど、車の往来がなかったら赤信号でも左右をよく確認して渡っちゃうし、そんな人間は東京出身にもいくらでもいるよ
私個人の話をして申し訳ないが、たしかに免許は持ってないが、推し活は一切してないし、私と同じように推し活なんてしてない「都会の女性」とやらはいくらでもおりますよ
「酒飲みの田舎娘転がってないかな」って、ナチュラルに田舎出身の人を物扱いしてる上に見下してるみたいで嫌な感じだな
東京出身の女性にもいろんな人がいるのに、自分がモテないからって「都会女には相手にされんけど田舎女なら俺にもワンチャンあんじゃね」って言ってるみたい
女が自分に対して発信するウソの好意や褒め言葉を天地がひっくり返っても真に受けなかったり、
女からの発言の奥底に秘められた自己演出の意図さえもかなり敏感に嗅ぎ分けたり、
そういう鋼の意志と安定感で女に絶対に惑わされないチー牛や弱男少ないながらもそこそこいるじゃん
なんなら、
相手から自分に対して向けられる一切本心から出てないポジティブ発言に対して、ひとまずその場を上手くやり過ごすため、わざわざまるで真に受けて喜んだかのようなお芝居してリアクションするくらいのスキルまである奴すらいるやん
あの不気味なまでに超高感度な客観性ってどこで鍛えたの?
あと
「女は『あっ、この格下男、私のウソ演技やウソ好意アピールに気づいてるな。見下しながらたぶらかす裏の意図を気づいたな』と自分の試みや企てが失敗したと分かると、途端に気づいた奴を敵視し始め、下手すりゃ潰そうとまでしてくる」
って聞いたんだけどマジ?
恐ろしいんだが
気づけば冷蔵庫はチーズだらけ、けれど最初はただの偶然だった。
本格的に沼に落ちるきっかけは、地元のイタリアンで食べたモッツァレラ。
それまではピザやパスタの具として「何となく旨い」くらいに思っていた。
でも、ある日、皿に乗ったカプレーゼの白いモッツァレラをフォークで切った瞬間、
口に入れたら、柔らかさと淡い塩気、ほんのりした甘みが混じって、
「これ、牛乳の延長じゃない。別物だ」と脳天を砕かれた。
今まではスーパーのプロセスチーズしか知らなかった俺が、その一皿で世界が広がった。
「本物」を知った瞬間だった。
それから家でも試してみたくなり、スーパーで水に浸かって売られているモッツァレラを買った。
最初はちょっと高いな、でもどうしても再現したくて、家でカプレーゼをつくった。
結果は、正直、レストランみたいに仰天はしなかった。
スーパー品は日持ち重視で固め、塩気も控えめ。でも、「プニ感」と淡い味わいには感動。
「モッツァレラはイタリアでは水牛乳が主流」「本場はもっとモチっとしてる」
北海道や輸入物の値段にビビりながら、勇気を出して新しい銘柄を買ってみる。
何種類か試すうちに、モッツァレラの奥にカマンベール、ブリー、ゴーダ、パルミジャーノが並んでいることに気づいた。
そして2週間後、デパ地下で「カマンベールはおつまみに最高ですよ」と店員に勧められ、
今度はフランスチーズに手を伸ばすことになる。そのまま、白カビ、青カビ、ハード――
どんどんチーズの世界が広がり、気づけば冷蔵庫が「沼」になっていた。
でもその「なんとなく」の壁を超えた瞬間、世界は激変する。
【まず知れ】
でも、チーズの世界はめちゃくちゃ体系化されていて、クセや用途、食べる順番まで全部意味がある。
フレッシュチーズ、白カビ、青カビ、ハード――この4ジャンルを間違いなく頭に叩き込め。
【白カビチーズ】
クリーミーに塩気。クセはピンと来るが、初心者にも食べやすい部類。
クラッカー、パン、果物、ワインに最高。熟成によって香りもトロみも増していく。
名前の通り青や緑のカビがびっしり入り込んでいる。初見は怯む。
でも一口食えば、塩気と旨みにやられる。
蜂蜜かけてパンに乗せろ。パスタやソース、ナッツとも相性抜群だ。
クセは最強クラス。でも慣れると抜け出せなくなる。
粉にしてパスタに、スライスしてサンドイッチ、グラタン、カルボナーラ――全部に使える。
塩気、コク、旨みが信じられないくらい詰まってる。
エメンタールはスイス名物、穴あきでチーズフォンデュやラクレットの主役。
アレはナチュラルチーズを細かく切って溶かし、再度固めた“再構成”の食品。
クセなし、安定した味、料理向きだけど、
【さらに、沼の底は深い】
白カビの頂点エポワス(オレンジ色で酒の香り、室温で液体になるほどトロトロ)、
リヴァロ、ポンレヴェック――これぞ発酵臭の暴力(褒め言葉)。
山羊乳のシェーヴルは、酸味とほんのり土臭さ。これを蜂蜜と合わせると「酸味×甘味」の天才タッグ完成だ。
ブリヤ・サヴァランやタレッジョ(イタリア生まれ)も「ダメ人間製造機」級の誘惑。
お前らは「臭い」「クセが強すぎる」「高い」と尻込みするかもしれない。
でもその先に未知のうまさが待っている。
固くて塩辛くてボロボロ崩れるハードチーズは、パスタやサラダを何倍も美味くする。
一番手軽なのは、まず近所のスーパー当たってみる。でも正直、ラインナップは控えめだろう。
モッツァレラやカマンベール、チェダー、ゴーダ、パルミジャーノあたりが置いてあればいいほう。
ここではフレッシュからハード、青カビ、山羊乳までそろってる。しかも「量り売り」が多いから、少しだけでも買える。
何も知識がないままでも店員さんは慣れている。初心者はこう声をかけろ
「チーズ初心者で、クセが少なくて食べやすいものを教えてください」
「この予算で色々試したいんですが、人気の品ってどれですか?」
基本は、モッツァレラ(爽やか)→カマンベール(クリーミー)→チェダー/ゴーダ(コク・クセ控えめ)あたりをまずすすめられる。
もし勇気があれば、「青カビや山羊乳も少しだけ試したい」「クセはあっても平気です」と伝えれば、小さくカットされた本格派も出してくれる。
量り売りがあるデパ地下なら「100gくらい」「少しずつ数種類を食べてみたい」と言ってみろ。店員は必ず、「初心者セット」的な組み合わせを選んでくれる。
大事なのは「わからないのでおすすめを知りたい」と素直に伝えること。遠慮するな。
専門職はその場で味や特徴も教えてくれる。
まずはデパ地下で、「初心者です。食べやすいチーズを色々教えてください」でOK。値段が気になるなら「できれば○○○○円くらいで」と一言添えれば、絶対外れないから安心しろ。
某視聴者投票型k-popオーディション番組を視聴中。デビューメンバーが決まる最終回まで残り2週間となり、各練習生のファンが勝手に蹴落とし合いを始めている。
日本では「他下げ自上げ」は御法度で、推しがわかる状態で他の練習生を下げると「〇〇ファンの民度が〜」とレッテルを貼られ、推し本人まで嫌われる。アンチの燃料になるだけ。
そうはいっても黙っていられない人間はいるので、彼女らは各練習生の大型アンチ(逆大手垢みたいなもの)の質問箱に匿名で愚痴を投げ込む。当然質問箱運営者は当該ファンから袋叩きにされるが、匿名で投げるだけなら完全に安全圏にいられる。
一方韓国や英語圏は文字通りの殴り合い。他下げ自上げ殴り合いがデフォだから別に「〇〇ファンの印象が〜」とかはあまりない(言ってる人はいるけど)
「なんで私が推してるこのイケメンよりあんなブサイクの方が上の順位なの!?」みたいなツイートがバンバン流れてくるし、そこに対して叩かれてる側のファンは思いっきり集中放火をかます。
まさに殴っていいのは殴られる覚悟があるやつだけ、を体現している。潔いけどカオス。
表での他下げ自上げNGっていうのは間違っていないんだけど、あまりにも陰湿になりすぎて「殴っていいのは殴られる覚悟がある奴だけ」の原則がなくなっていないかとは思う。
ちなみに今のところ一番面白かった奴は「今残っている練習生24人全員の嫌いなところを1個ずつ言っていきます!」と宣言して自分の推しを含む全員分やってのけた英語圏ネキ。きちんと全陣営から顰蹙を買ってタコ殴りにされていた模様。
内容は老け顔!過大評価!に始まり挙句の果てに運営のオキニ!人気練習生に擦り寄ってる!までフルコースで、本人の推しへのコメントは「いい子すぎて放送尺をもらえない」だった(それ、褒め言葉では?)
そしてこの無職引きこもりから立ち直りつつある27歳の青年を紹介し励ますNPO理事長のセリフが、すなわち 「パソコンの大先生だもんな」 だったのでした。 これはNPO広場のパソコンの不調をこともなげに直した青年への褒め言葉だったのですが、青年はこれに対し、それまで通りの無表情ながらも、その奥にかすかな照れ隠しの笑みが浮かんでいるように見えたと記事には書いてあります。
身内の冗談や軽口ならともかく、一般的には大の大人を 「○○の大先生」 や 「◯◯博士」 などと気安く呼ぶことは、慇懃無礼で逆に失礼にあたりほとんどありませんから、「子供相手ならともかく、完全に見下してバカにしてるんじゃないか」「こんな事言われても、ちっとも嬉しくないだろ」「いや、小中学の頃から引きこもりなら、その レベル から改めてリハビリするしかないんじゃないのか」 などと、ネットの掲示板などで賛否さまざまに話題に。
またパソコンの不調とそれを直したとの記述も詳細がないため、どのくらい専門性があり高度な技術を要する処置だったのかわかりません (恐らく、パソコン素人のしょうもない トラブル を解決しただけなのだろう…との憶測を呼んでいました)。
しかしそれはそれとして、掲示板 2ちゃんねる などの一部の利用者にとっても、ある意味で 「パソコンの大先生」 なる無理やりな褒め言葉を他人事と笑えない、思えない境遇にいることもあり、成句として テンプレ 化。 その後しばらく他人への揶揄、罵倒として使われるようになりました。
こういう説明の上手さも「文才」だろうな
自由で奔放なヒロインとSFがいいなって思って、それで一冊だけ買ったのだけれど、どうしても続きが読みたくなるほどにはハマらなかった。
鶴田謙二の作品もそうだが水と女性というモチーフは私は大好きで、ついでに人魚も好きなのだが、理由はよくわからない。
初当時のときのヒロインの姿がかっこよかったので買った(裸じゃなくてスポブラなのでかっこいい)。スポーティーな姿って刺さる。
アルファケンタウリからの帰還後、コールドスリープから目覚めたら地球が見当たらない。どうも地球が重力を無視して内惑星の軌道を突っ切って太陽に接近するように移動していて、人類の生存が絶望視されていた。こういうハードな設定もいいし、健気なAIも好き。ただ、山海経モチーフのモンスター退治に話がシフトしつつあり、今後の展開が自分の好みになるかどうかはわからない。
ゆっくりとした時間の中で、いろんなものをアーカイブ化していく穏やかな世界に見えるんだけれど、霊魂の定着技術があったり、肉食文化が途絶えていたり(卵や鶏肉は植物から採取され、常にTAMAGO、TORINIKUとローマ字表記される)、設定がきちんとハード。どうも死の概念が忘れ去れているようで、人がいなくなるのは感染性(?)の樹木に変じる病による。ただ穏やかなだけでもなく、暗鬱なだけでもなく、バランスがいい。一気読みしたのだが、後数巻でたらまた一気に買って読むかも。
珍しく広告につられて買ってしまったのだが、夏のノスタルジーとちょっと性的な少年少女の話だった(感傷マゾ持ちにハマりやすそうな話である)。全体的に夏、水辺、裸体がモチーフで、野外や大自然で裸になるパターンが多く、ぐっさりと刺さってしまった。男性女性を問わず、笑顔で裸になっている人間は幸福に見えるし、だから男性の裸体彫刻や水浴図とかも結構好き。
著者本人がアラレちゃんに影響を受けて書いたと言っている通り、SFなんだけれども宇宙に巨大な魚が浮かんでいるような何でもありの世界を舞台にしたピノキオ。
この人の漫画はどういうわけか好きで、昔「機動旅団八福神」を買ったのだが、今回のが良かったので「少年少女」を一気読みした。
福島聡の描くヌードって、理想化され過ぎていないというか、服を脱いだ時の人間の身体の間抜けっぽさが出ているから好き。
大森望あたりが編集した日本SF年間ベスト傑作選にこの中の作品があったので買った(八木ナガハルとか市川春子とかこのアンソロジーで知った。前者は以前地球温暖化に懐疑的な発言をしていたので最近読んでいないけれども。粟岳高弘もここで知ったような気がするが別ルートだったかも。この人は商業でも同人でも自分の欲望に素直なので好感が持てる)。
亡夫の遺骨を納めに地球にゆっくり向って行く話なのだけれど、主役の女性が実はスーパーハッカーで、そのあたりも話にからんでくる。ちょっと何でも出来過ぎやしないかと思わないでもない。
滅茶苦茶印象に残ったわけじゃないんだけれども、何となく好き。ただし、同じ著者の本をまた買うかどうかはよくわからない。
恋愛じゃないけれども男性同士の重い感情は好き。それを言ったら、フィクションは架空の人間の重い感情を楽しむ側面が結構あるので(他には架空世界の不可解さを楽しんだり、異常心理をのぞき見るような面もあるとは言えるが)、表題作は印象に残った。
ヴィレッジヴァンガードで昔売っているのを見た。
好きなんだけれども、初期作品だからちょっとわかりやすすぎるなってプロットも結構あった(表題作はサヴァン症候群の扱いがちょっと雑じゃないかって思った)。
求めていた初期弐瓶勉フォロワーだ(弐瓶勉は初期の味わいが好きだけれどその色彩をすっかり失ってしまっている)。ただし説明はゼロではなく適度にある。建築物の絵も繊細でとても良い。
何となくポストアポカリプスものを連続して読んでしまった(我ながら安易な趣味だと思う)。二人の女性の物語だが、一方的に助ける関係ではないのがいい。
太腿の太くてかっこいいハイレグレオタード(ガーターベルト及び羽織るもの付きで、ときどきレオタードのお尻がちらちらする)などに作者の趣味が出ているか。
表紙のバニーガールにつられてしまった(ほかにバニー坂や森薫の拾遺集もバニーガールにつられて買ってしまった)。あちこちの作品でモテない人のメンタリティが良く出ている気がするし、そのほうが面白い。モテる人の話を読んでもあまり面白くないのである。あと、夜のお店で働くヒロインのバニーガール衣装の安っぽさがちょうどよかった。ちゃんとしたバニーガール衣装って採寸するからか、透明な肩紐がいらないんだよね。
温和な漫画を描いている人がダークファンタジーを書いているのが好き。基本的に芸風というは引き出しの多い人のほうが面白い。ただ、漫画を電子化して以来、何気なく手に取って再読することが減っており、昔と比べて漫画のコマを記憶する力が落ちている。
画風に惹かれ、絵を楽しんだ。ロングスカートのメイドさん好き。
こういうぼんやりしている、いい人だけれど別にモテそうではない、けれども好感を持つ人がいるかもしれない、嫌じゃないと言ってくれそうな人がいそう、くらいの人のほうがリアリティあると思うのだよね、私は。
アマゾンのポイントが余っていたので一巻だけ買った。冒頭だけ読んで、ヒロインの造形がかわいいんだけれど、これまたこういう子と青春したかったという感傷マゾ的な思いが浮かんできそうなので、読み進めていない。
活字ならともかく、多分長編漫画を読む体力がないのだろう。単純に漫画を読む訓練不足かもしれず、そもそも長い漫画を一気読みしようとするのが間違っている可能性もある(連載されていた時のペースで読むべきか)
結局漫画を買うかどうかって性癖に刺さるかどうかなのだろうが、だからと言って性癖や属性だけで選んでもピンとこないことは多々ある。漫画を探すのって難しいね。これが活字だとかなり直感が働くんだが、漫画だと読みこなしてきた冊数が少ないので直感が鈍い。
というか、刺さるのが欲しければ量を読まないといけないし、性癖で選ぶならエロ漫画を買えという声が聞こえてきそうである。
逆に、何となく買ってしまった漫画で思いがけなく性癖に刺さってしまったときのほうがぐっさりと刺さる。サービスシーンのタイミングって難しい。あと、是非はともかく、ストーリーでダレてきたシーンで裸が出てくると意識が集中するのは確かだ。Save the catとかの脚本術の本で説明シーンにギャグを入れて集中力をそぐなとか言ってるあれ。
以前投稿したメモ書きにはラブコメ漫画をいくつかリストアップしたが、よくよく考えてみればラブコメはそこまで好きではなかった。読んでいるとさえなかった学生時代を思い出して辛くなるし、こういう青春が送りたかったと悶々とし、感傷マゾで時間を無駄にしてしまう。そういう人生の過ごし方はしたくない。SNSで投稿されがちなほんの数ページのいちゃつきくらいなら我慢できる。
ところで、それで思い出したのだが、漫画もプロモーションで面白そうなのをtwitterで見ても一章だけ読んで満足してしまうことが多々あり、買うことは稀。ウェブ連載でも、一話見れればそれでいいかと飽きてしまいがちだ。これだけフィクションが飽和しているからかもしれず、そもそもドラマとかも一話だけ見てみるみたいな楽しみ方をしている人が結構いるものなのかもわからない。
性的テーマを扱うな漫画が含まれていたのは、サブカルをこじらせてエロティクスfとか太田出版のとかばかり読んでいたからだ(あとは作家つながりでfellows!とかハルタとか楽園とか。少しでも早く大人になりたくて/大人の世界をのぞき見たくてそういう漫画ばかり読んでいたけれども、かえって拗らせが深まったばかりである(どうせ少年誌やラノベではではラッキースケベ程度だと決めつけて、本番がありそうな活字に行った側面もある)。
アクション漫画もそこまで好きではないのだが、ジョジョはなぜか読み続けている。
そんなこんなで次に何を読むのかを考える。
今のところまだ揃えていないウスズミの果や伽藍の姫の最新刊が欲しい。
ピッコリーナはバニーガールだけれどラブコメっぽいし長くなりそう。
ハイレグが見たいならウチのムスメに手を出すな! か。三巻くらいで完結してるし。
アクションだとニンジャスレイヤーとか女子攻兵とかか(後者は変な世界観ということで)。
SFや別世界の面白さでいえば堕天作戦かヘテロゲニアリンギスティコか。ヨコハマ買い出し紀行とか少女終末旅行とかも気になっているが、人類がほぼ絶滅しているSFが続いたし、間を開けよう。あまり希望のない終わり方をする作品には飽きてきているし。
なぜかダンジョン飯にピンと来ていない。あの人の短編集は結構好きだったんだが(画風をわざとシンプルな画風の子育てエッセイ漫画のように変えてメタフィクションっぽくしたり、人狼の存在する世界を表現したりと、自分がどんな表現をしているかを自覚的にできるところが優れている)。異種族レビューアズはちょっといろいろひどすぎる(褒め言葉)か。でも、イマジネーション凄いよね。
もやしもんみたいに雑学が増える漫画が好きだったので鬼灯の冷徹は気になっていたのだが、いかんせん長い(全部買う義理はないけれどね)。
進撃の巨人くらい読んでおくべきかと思いながらも、長いのになかなか手が伸びない。ちょっとかって気に行ったら書いてしていけばいいのにね、なぜか大人買いをしたがってしまう。漫画って完結する前に買うけれど、活字って(少なくとも古典文学は)全部揃っているってところがあって、そっちの習慣が抜けきらない。でもテルマエ・ロマエとかプリニウスとかは徐々に買い足していった。
と、ここまで書いてきて段々整理できてきた気がする