はてなキーワード: 小田島とは
以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石が I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石が I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
そういうこともあるだろうか…って読んでたけど、弱者男性の対義語が「美人ではない女性」と書いてあるのを見て、増田も弱者女性に対する認識はちょっと甘いな?と思いました。
自分から見てより遠い存在である異性に対して想像力が及ばなくなることは誰にでもあることかもしれませんね。
確かにブギウギではお金に困ってスズ子からお金をせびろうとした小田島をその子共々家に雇い入れるというような描写もありましたね。
他にもアホのおっちゃんやゴンベエ、おミネなど性別問わず様々な社会的弱者が登場しました。
そういう人々に希望を与えた歌手というテーマだったので特に描かれたというようなこともあるかもしれませんね。
虎に翼で言うと、よねの父はかなりそれに近い立場の男性なのではと思います。よねの回想の中でしか出てきませんが。
あと他の人も言っていますが優三さんも比較的。彼も早くに両親をなくし昼間働きながら苦学生をやっていましたが夢叶わずでしたね。
あと花岡も特殊ではありますが、彼の性格なのか環境なのか他人に弱さを見せて適切に助けを求めたり自分に折り合いをつけることのできなかった不器用なところなど、何か弱者男性と通じるものはあるように思います。
しかし花岡の描写についてはなんとなく唐突というか、大学時代の花岡にそういう伏線は特になかったような…実際の事件を織り込むのに突然花岡が引っ張り出されたような印象は否めませんでしたが。
それについては轟の突然のアウティングも、そんな感じあったっけ…?よねエスパーすぎんか?と私は思いました。まあ余談ですが。
弱者男性をよく描いた作品でまず思い出すのは芥川龍之介や太宰治ですね。
女流作家では樋口一葉…もっとも当時は多くの人が生活に困っていたでしょうから、何を描いてもそのうちの誰が真の社会的弱者であるのか?という定義も難しいものなのかもしれませんが。
あとは向田邦子や幸田文あたりも男女問わず様々な社会的弱者が登場します。
私もそれほど詳しくはないのですが…
漫画やラノベもよろしいですが、昔の文学などもたまには手にとってみられるのはいかがでしょうか?
ああでも最近のものでも蛇にピアスなど男女ともに社会的弱者のような人しかでてこないような作品も…彼らを社会的弱者と言ってはならないような気もしますが…
なるほど現代の弱者男性をこれこれこういうものであると具体的に示すことは個人の名誉を毀損しかねないのでポリコレ的に難しい、というのはあるのかもしれませんね。
タイトルだけ変更したみたいだけど
知らなかったならなんで本文では小山田と小田島が混在してたの?
https://megalodon.jp/2021-0920-0131-09/https://anond.hatelabo.jp:443/20210920011452
カラーが使える場合に『黒』って色は難しい色で、あの色を調理できるデザイナーは天才だと思うわけですよ。少なくとも、オリンピックの佐野氏のロゴは「擁護できない」と思った日本人は多いと思う。中国のオリンピックにおいて、トンパ文字を持ってこれて「あぁ、中国ってすごいな、歴史あるのだ、この国は」と思ったもん。ネトウヨなのに嫉妬したよ、中国に。2018の韓国のロゴのデザイナーには「頭悪いなー」と思ったのにだ。で、TOKYO 2020 の当初のロゴは、佐野氏の「韓国のあのロゴよりも安っぽい」ので、すごく拒絶した。マジ、無理、って。だから、現行ロゴを提示できた野老はすごいし、感謝している。その一方で、小田島さんは「なんの人?」っていう感触しかないのよね。たとえば YMO の坂本氏とか、AKB の秋元さんとか、ビートたけしさんとかまだ想像できるけど、小山田さんは名前すら知らなかったのだ。
脱線するけど、閉会式にアウトレイジごっこをしましょう、ビートたけしが「コノヤロー」と言って頭をぶち抜くシーンから閉会式がスタートして、椎名桔平さんが颯爽と車で引かれていって、西田敏行さんが拳銃でドンパチして、選手たちがみんな手裏剣したりチャンバラを使って「ヤクザごっこ」して、(誰か)在日朝鮮人が苦労して日本社会に融和した歴史を紹介しつつ、加瀬亮さんが「野球しよっか?」みたいな雰囲気で尿を漏らして、聖火台の火が消えるという演出ものが見たかった、というのは俺だけかな?。俺だけだろうね。
話を戻そう。で、小山田さんは「うんこ」以上に、なんの人か俺は知らない。いじめしていたからでなくて、もっと他にいただろって思うのよ。SMAPが一夜だけの復活とか、そんなのでも良かった。要は、だれなんすか、その人はという感想しか今もないのよ。つまり、一番はそこだよ。だれだよ、お前って、小田島さんには思うのが先行して、そこにイジメがあって、盛り上がる材料は揃って、着火しちゃったんじゃないすか?違う?
https://anond.hatelabo.jp/20200715133957
最近、商業BLの良さっていうのは手短に完結することなんじゃないかという気がしてきた。基本的に続刊は出ない前提なのか、単行本一冊で終わるように全力で話を畳みにかかる。
私は漫画といえば終わりの一向に見えてこない連載漫画ばっかり読んできたので、ちゃんとオチがついて終わる漫画というだけで尊いと思ってしまう。えっ、もしかして、私の意識低すぎ?
とある地方の男子高校生カップルの一年間を1話につき大体4コマで描いた漫画。前回紹介した『オールドファッションカップケーキ』の作者のデビュー作。
4コマ漫画かぁ……萌えられるのかそれ? とちょっと不安だったんだが、読んでみたらとても良かった。シマもなつおも可愛い可愛い。何周も読めてしまう。なんなら一周目よりも二周目以降の方が萌えるかも。正月太りでもっちもちになってしまうなつおがことのほか可愛い。
高校受験と大学受験の間のちょうどいい時期をのびのびと過ごしながらも、将来のことを考えると辛くなってしまうシマが切ない。
ヤクザBL。ヘマをしてほとぼりの冷めるまで逃避行生活をすることになった若頭の片岡に、運転手として同行する小田島には片岡暗殺のミッションが課せられていた、という話。海沿いを町から町へと車で逃避行するロードムービーのような感じ。
ヤクザものといってもそんなに殺伐とはしていない。ヘマをやらかして逃亡生活中なのもあって、ヤクザらしいことはあんまりしないのである。行く先々での人情エピソード中心。
片岡が魅力的でいい男なのである。魅力的でいい男なのに、冒頭で唐突に小田島をレイプするのが物凄い謎行動だけど……。女には優しいのに何でだ。
江戸時代BL。確か時代は江戸後期で陰間茶屋ブームがとっくに去ってしまったくらいの頃の話。陰間上がりの百樹と元火消で笛吹きの卍が下町の長屋でイチャイチャな日常を送るさまを描いた漫画。主人公達が普通に月代・ちょんまげで果たして萌えられるのかと不安に思いつつ読んだら、とても良かった。
絵がすごくいい。1ページ1ページがアート。江戸時代の風俗をかなりマニアックに描いている。
お百と卍の仲睦まじさは見ていてほっこりする。あと卍のビジュアルがすごくいい……めちゃカッコいい……。
本作は三巻まで出版されている。
これまた江戸時代BL。こちらは寛永年間が舞台。リアル指向の『百と卍』とは逆に、本作は時代劇! って感じの時代劇。なのでメインカプは都合よく月代を回避しているのである。少年漫画と青年漫画の中間くらいやや少年漫画寄りの作風かな。
かつて凄腕の暗殺者として恐れられていた、現・剣術指南役の間宮刀爾郎の元に訪れた青年一馬。一馬は間宮に弟子入りを志願するが、間宮は弟子を取らない主義だと拒絶する。散々食い下がって下郎として間宮の元に置いてもらうことになった一馬だが、実はかつて間宮に殺された男の息子だった。父の仇討ちと家の名誉挽回の為に挑む一馬を間宮は受けて立つことに……。
ストーリー重視でしかも絵がすごく良い。背景もよく描き込まれていて凄い。非常によく出来た少年漫画といった趣きなのだが、BLなので普通に18禁ガチムチぶつかり稽古シーンは入ってくる。
こういうまとまりの良い少年漫画のようなものってそれ自体が希少だと思うので、腐女子でなくとも男同士の18禁ぶつかり稽古シーン平気な人は読んでみると良いかもしれない。
どこにも吐き出せる場所がないのでここに書く。
※前提として、私はハイローシリーズのファンではない。初めて触れただけのにわかである。多々間違ってる部分があったとしても、お手柔らかにお願いしたい…
さて。私は根っからの隠キャである。学生時代はカースト下位で、休み時間には教室の隅でオタク仲間とお絵描きしていたタイプの人間だ。
E○ILEみたいな眩しい音楽を聴いていたのはどちらかと言えばカースト上位のグループだった。休み時間はファッション誌片手に化粧を直しながら、カレシと携帯で連絡を取り合うような。そういう我々とは違う人種の為のカルチャーなのだと思い込んでいた。
社会人になってからもやはり偏見は拭えず、たまにテレビやSNS等で宣伝を見掛ける事はあっても、きっと自分には一生関係のないジャンルだろうなとスルーしていた。音楽も映画も、である。
…その筈だった。
https://high-low.jp/sp/movies/theworst/
…まぁ、お察しである。
めちゃくちゃに高そうなどこかのブランド物を纏った顔のいいヤンチャ男達に混ざって、
・黒髪
・真ん中分け
・眼鏡
・学ラン(白シャツin)
という、オタク大好き要素全部載せ特盛り!!な男がいるのである。
一目見た瞬間に早くも気の狂った私は、昼休憩中の職場一体に響いたであろう奇声をおにぎりでどうにか相殺し、劇場を探した。あった。幸いにも定時で上がれば余裕で行ける。すぐさまチケットを買った。こういう時の瞬発力だけはチーター並みにある。いや、盛った。
・轟洋介の破壊力
もう、これに尽きる。
こういうの大好き。完敗。オタクが大好きな要素全部載せお子様ランチどころかフレンチのフルコースだった。
見たまま一匹狼で最強の轟が自分には唯一無かった物を得ていく過程に、謎の母性を発揮しそうになった。そして眼帯は凶器。眼科から出て来た時のちょっぴり嬉しそうな顔を見ながら、内心こちらは少しだけ残念でした。すみません。そして何度も大事な場面で空気を読まずに疑問を素直に口にしちゃう可愛さ。皆スルーしないで!!逆に張り切って説明している時の彼は実に生き生きとしていて、見た目を裏切らないなと思いました。
(ここまで一息で喋るオタク
小田島は… なんだろうな?!
彼の出番は正直言ってそこまで多い訳じゃない。それなのに、映る度に目玉を持っていかれる。心臓も持って行かれる。
二次元から出て来たとかそんなレベルじゃない。100%作画神回。金髪ポンパドールにまんまるなサングラス、「およよ〜?」「やーっておしまい」が許される男子高校生ってなんだ。その見た目で熱い。仲間が倒れてれば「救急車ァ!」の叫びを上げ、本気の抗争ともなればオシャレな私服から伝統の制服を羽織ったスタイルになり、同学校の先輩の喧嘩口上を積極的に引き継ぐ熱い男。頭もキレる参謀役。前述の彼とは違って充分すぎるくらいに空気も読める。同校で共に四天王に君臨する幼馴染もいる。
何より狡いのは、この2人をまとめて視野に収めるチャンスが何度もある。何故。目玉が足りない!!!
念の為言っておくと、私自身は腐にはあまり興味がない。それでもこの2人が並んだ図の良さに3回は死んだ。新手の宗教画か?
そしてこの2人にボコボコに殴られた上に、視野の外から渾身のストレートを決めて来た男がいた。
なんで誰も教えてくれなかったの!!!
(あとで知ったのですがシリーズ通して普通に人気キャラなんですね。ノーガードで行った私が悪い。)
番長。轟が何とか越えようとしている最大のライバルであり、校内じゃ比類なきレベルの化け物のような戦闘力の男。…なのに、ぽわぽわの柴犬みたいな男… えっ?
と思えば、轟の中に昔の自分を見出してどうにか導こうとしてみせたり、彼らのプライドを潰さない形で裏から手を回して確実にサポートしてみせたり。
いい先輩!!!!
そして鳳仙の頭もいい上司のお手本のような素晴らしい男でした。彼に関しては何喋ってもネタバレになりそうなので割愛。とにかく顔がいい。熱い。そして腰が細い。
そんな四方八方から殴られながら5回鑑賞して、ようやく少しだけ冷静に見直せたのでここに加筆。
・初見に優しい
ジャム男(おじさんじゃないよ)という案内役のようなキャラが事細かに注釈を入れてくれる。シリーズを観てなくても1回目から楽しめた。あとから履修すると更に深く噛み締められるので二度楽しい。結局2回行く。
・E○ILEもファンもこわくない
怖くない(当たり前
・好感の持てる構図
高校生vs高校生、大人vs大人に上手くまとめていくのが良かった。これが決闘の流儀というやつなんだろうか。よくある主人公の戦闘力スーパーインフレ展開にはならない。それぞれのキャラに見せ場を作って、きちんと威厳を持たせたまま終わる。皆が収まるべきところへ収まる。そこは陽キャの作った映画だなと思った。勿論、いい意味である。私の普段観るアニメや漫画はすぐ人が死ぬ。皆死ぬ。それはそれでいい。
※ハイローシリーズにも悲劇はあると聞いて後日観たら本当に地獄だったので、ザワが例外的なレベルでハッピー映画だったようです。それはそれでいい!!
さぁ。公開している内に劇場で!!
回し者ではないけれど、あの格ゲー張りのアクションとカメラ回し、各キャラに合わせた爆音の音楽、そして顔のいい男たち。その全部を映画館で浴びるこの快感を、別の誰かにも味わって欲しい。
30数年の偏見をぶち壊してくれたザワに感謝しながら、次回は生まれて初めての応援上映にチャレンジする。チケットは買ってしまった。もう戻れない。楽しい。
①と③て同じじゃね?
という重箱の隅は置いといて、結論には納得できる。都会には娯楽が溢れていて孤独がしのぎやすい、家事労働も食事も性サービスも個別パッケージで対応したほうがコスパがよくメリットが多い、てことだね。いつか小田島隆が同じようなことを言ってたけど。
30年生きてて感じたのは、単純に顔だけじゃないってことかな。身長や立ち振る舞い、態度も含めて、もっといろいろ総合したオーラみたいなもので判断されてる気がする。それが持って生まれた才能なのか経験で蓄積された技術なのかわからないけど、勝負に必要な"何か"を持ってなくいから勝負から降りるって結論には何の関係もないからどうでもいいよね。たとえそれが技術だとしても、20代後半くらいから経験がないことがハンデになって経験を得るチャンスから遠ざかっちゃうから、まあ無理ゲーでしょ。
あと勘違いしてる人がいるけど、確かに仕事で責任あるポジションを任されたくらいからアラサーの女性はたくさん寄ってくるよ。でも彼女たちは、僕が仕事を通して得てる金を目当てにしてるって点でprostitutionと大差ないじゃん。求めてるものはそれじゃないというか、お金で解決するんだったらタイにでも行ったほうが楽しいよ。恋愛ていう不利な勝負を続けるより、がんばってお金を稼いで有休をたっぷりとってフィリピンで豪遊することを目指したほうが効率いいよ。
事実として。
選挙前に2ちゃんねるを中心に出回った、いわゆるネット右翼と呼ばれる人たちを誹謗中傷する内容のイラストを描いたのが、日経ビジネスオンラインでコラムを連載している小田嶋隆氏ではないかという疑惑がある。
・とてつもなく日本 : 最近よく目にする。この絵を描いて2ちゃんにばら撒いた人物。
http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51268307.html
こちらの記事では、出回ったイラストと小田嶋が描くそれが似ているのではないかという指摘がされている。
http://livedoor.blogimg.jp/gekisha-krw/imgs/1/c/1c21ac8b.jpg
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090828/203664/?P=1
http://images.google.com/images?hl=ja&lr=lang_ja&um=1&q=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%B6%8B%E9%9A%86%E3%81%AE+%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%7C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB&sa=N&start=21&ndsp=21
疑問点として、同一人物の描いたイラストと判断できるほど似ているだろうか?「なんとなく似ている」というだけで、中傷イラストの犯人を小田嶋氏に決め付けているのではないだろうか。
この指摘を鵜呑みにし、小田嶋氏を非難する書き込みが多く寄せられる。小田島氏のブログにも直接非難コメントが多く寄せられている。そこに、小田嶋氏のものと思われる、この件の関与を否定するコメントが書き込まれている。以下、無断で転載させていただく。(問題があり次第削除させていただきます)
これ以上荒れるのも面倒なので一応お答えしておきます。
コメント欄の上の方で引用されているイラスト(2chに出回っているいわゆる「ネトウヨ」の絵)は、あれは、私の作品ではありません。
っていうか、ちょっと見てわかりませんか?
まるで違うじゃありませんか。
ちなみに申し上げれば、イラスト描きとしてのオダジマの作風は
1.「ペン入れ」をしない
2.下描きの線を消さない
3.ゴミを取らない
という、プロにあるまじき以上の3点において特徴づけられるもので、件のネトウヨカリカチュアの下品ながらも丁寧な仕上げぶりとは対極を為す世界に属しています。
以上、否定の弁でした。
以後、この件についてはお答えしませんのであしからず。
個別のエントリーで書かれておらず、見つかりにくいだろう。気付いてないのか、信じようとしないのか、否定コメント後も非難コメントは続く。
本人が否定している以上、件のイラストが小田嶋氏のものであると非難する方には納得できる根拠を提示していただきたい。非難を表明した方は、何らかの反応をする責任があるのではなかろうか。撤回するのか、納得できる根拠を提示するのか。もっとも、「気付いてない人」が多いだろうが。
この件に関して、まず問題なのは件のイラストの内容の酷さだ。
件のイラストは選挙前から2ちゃんねるの多くの掲示板に出回ったらしい。その内容は酷いものだ。自民党支持者・麻生総理(当時)支持者を明らかな悪意をもって醜く、愚か者に見えるように描かれている。風刺だジョークだ事実だという声があったが、僕にはそう思えない。あからさまな偏向、根拠無き誹謗中傷にしか思えなかった。
そしてそのイラストが、今度は日経のコラムニスト批判に使われる。「マスゴミの陰謀だ」と。
もうたくさんだ。見えない敵に向かって不確かな情報を元に空虚な批判をするのはもうやめないか。
批判って、もっと用意周到に相手の一番嫌がる所へ的確を殴りつけるものなんじゃないか。空虚な批判は、頭抑えられてグルグルパンチしてる池野めだかのコントのようなもんだ。ギャグでやってないんならオナニーだよそれは。
威力は無いが目障りな分性質が悪い。それに陽動される馬鹿も多いし。ただそれは、似た考えの者同士が集まって内輪基準で楽しんでるだけなんだけじゃねーの?