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はてなキーワード: 引揚者とは

2025-07-29

日本の米の貿易関税について復習しませう

日米関税交渉が一段落した。もう終わったのでただの復習になってしまうが、合意内容の「米国産米の輸入枠拡大」などで勘違いをしている人がいるのでこれまでの日本の米に関する関税政策を整理しておこう。

 

戦後農政

まず、戦後日本政府は米を含む農産品自由化をしたくなかった。海外産の米と価格競争したら農業政策の根幹の農家保護が崩れてしまう。

敗戦台湾朝鮮半島満州から大量の引揚者が戻ってきたが、この人らも農業で吸収するつもりだった。八郎潟干拓もそうだし、成田空港問題の元の三里塚引揚者に開墾させた土地だった。「先祖代々の土地じゃないから収用しても農地への執着は少ないだろう」とか思っちゃったのだな、国は。実際は死ぬ思いで引揚てきて(実際は思いどころか仲間は大勢ソ連に殺されてる)、ゼロから開墾したので猛烈に土地に執着があったんだな。

兎に角、米農家の安定は戦後農政の根幹であり、尚且つ自民党岩盤支持者だから絶対解放したくない。

 

GATTウルグアイラウンド

WW2戦後ブロック経済形成された事がドイツ日本を中心とした国を経済的に圧迫して生存圏主張→戦争に至ったので、国連GATTを発足させて関税をはじめとした先進国同士の貿易障壁を取っ払っていこうという事になった。それで工業産品の関税はどんどん撤廃されていった。

日本は焼野原のどん底からの再スタートなので復興後にこの流れに合流した。

さてそれで1986年からGATTウルグアイラウンドがスタートする。歴史とか政治経済の授業でウルグアイラウンドの名前は聞いた事あるだろうけど、それはこのラウンドが現在の状況を決定づけた重要ものからだよ。

ウルグアイラウンドではサービス農業自由化を目指したのだが、これが全然まとまらない。どの国も農業解放はイヤだったからだ。どの国も日本と同じ農政環境で、農家不安定にさせたくない。

そもそも工業家庭内手工業問屋制→資本化と進んできたのに対し、農業領地プランテーション資本化)→個人経営農家農協という風な流れなので自由化すると元の搾取構造を復活させる危険もあるワケ。共産主義がまだ死んでなかった時代プランテーション搾取構造革命の原因にもなっていたわけで。

からそういう構造の違いを無視して自由化ゴリ押しするのはグローバリズムイデオロギー化してる証左だ!という批判も出てきた。

 

そのようなわけでウルグアイラウンドは完全紛糾。

そこで農産品に関しては妥協することにした。

1.将来のラウンドで関税付き自由化を目指す

2.品目毎にミニマムアクセス(最低輸入量)を設定して各国はその量までは無関税か低関税で輸入しなければならない

3.ミニマムアクセスを超えた部分では高率関税を掛けてよい

 

これで、各国はそれまでの輸入禁止措置は出来なくなった。更に低関税か無関税一定数の農産品を輸入しなければならなくなった。

そのミニマムアクセスの輸入量は国内消費量から計算されて、最初は4%。毎年その枠を上げていって最終的には8%まで上げる。

ただ、ミニマムアクセスを超えた分には高関税を掛ける事が出来るから価格競争に晒される分は4~8%でしかない。あと、自由化と言ったって生モノなので輸送時間コストから競争にならないものもある。例えば日本であればモヤシトマト外国から海運するのは無理があるわな。

 

そういう訳で、ウルグアイラウンドの結果ミニマムアクセスなどが定められたが、それは自由化に反対する国が多くて妥協妥協を重ねた結果であるってこと。

 

MAミニマムアクセス)米の処遇

ミニマムアクセスが定められても、輸入量が伸びなければミニマムアクセス量に届かない場合も多々あある。そういうのは別に放っておいてもいい。

でも米の場合は多分そうはならずに市場価格に影響を及ぼしそうだ。

そこで日本政府ミニマムアクセス枠の米を全て買付けして枠を最初から押さえてしまう事にした。だから関税で米を輸入できる民間業者は居ない。

更に、このMA米は一粒も市場に流さずに、全量を食品メーカー飼料メーカーに売り払う。お煎餅とか柿の種とか味噌醤油の原料になってるってことだね。あと日本酒。米菓醤油味噌日本酒は日本的な食品だけど、メーカーによってはアメリカタイ中国の米が原料なのだ

実際は商社系の問屋に卸してメーカー販売という形をとってて、伊藤忠丸紅日本通運、神明の4社が長期契約してる。中小メーカーや酒蔵メーカーはそこから買う以外に月例販売という形で入札している。

 

このMA米の量なんだが、最初は42万トン、前述の通り増やしていって今は77万トンとなっている。

というわけで、これは実際は自由化押し付けられたのに国家貿易統制経済をやっているというのが輸入米の内のMA米の実情なのだ共産主義統制経済のこと知ってる人なら、中国鄧小平前やソ連計画経済の輸入公社に似てるな、と思うかも知れない。外国通貨が国内計画経済に影響を与えないように必ず国家が間に入るのとかそっくりだ。

MA枠を超えた部分の関税率は341円/1kgという高関税をかけている。因みに関税計算MA枠も玄米基準になってる。玄米を精製すると1割消える。だからカルロース米5kgは玄米だと5.55kg、これには関税が1894円かかってるってことやね。2800円だと67%が関税ってことやね

 

今回の日米合意

今回の日米合意はこのMA米の枠もMA枠を超えた分の関税率もいじらず、その枠内での米国産米比率を増やすという合意になっている。

から日本農政的には変化なし。

 

だけど海外的にはちょっと問題ある。タイ中国豪州から一定数買うという事になってるわけで、そっちに影響出るのではないか特にタイ日本米騒動になる度に大量に輸入していて、その度に悪影響を与えている。

生産者政府には金が入るから良いだろうが消費者としては市場から米が消えて高騰するのだからやってられない。って訳でその度に迷惑をかけているのでまたしわ寄せ行くのではないかと今回も心配するところだ。

あと、MA枠では一般的なうるち米の他、餅米もタイから輸入して食品メーカーに売り払っている。おかきとかああい米菓使用される。

アメリカ米に枠を取られて餅米が減ると、おかきなどの原料費が上がるかもしれない。

 

まとめ

MA枠はGATTウルグアイラウンドで決まったが農産品自由化が紛糾した苦肉の妥協

・米のMA枠は政府が全量買いして加工原料として売り払っている

・今回の交渉では日本側はウルグアイラウンドで定められたMA枠を超えて低関税で輸入せよという要求に抗った

MA枠内でのアメリカ産米の比率を上げて輸入量増やすことで合意した

普通輸出国比率自由にいじる事は出来ないが実質国家貿易なので可能

 

アメリカ政権側はどうせ国際取決めもMA関税関係とかも分かってないだろうし「増やします」と言われて日本側を屈服させたと考えているのかも。頭ハッピーセットでよろしいことである

ただ日本一見半分自由貿易、実際はガチガチ国家貿易という力技はいつまで通用するのか?というのも気になるところだ。

2025-07-25

dorawii@執筆依頼募集中

戦後の混乱期で戦地から引揚者仕事がなく、筵を敷いて「おめぐみを〜」という乞食行為が至るところで行われていて、目に余るような状況が続いていたことで、それを法律禁止するということで規定されたものです。

これがほんとに乞食の罪の立法経緯ならおかしいだろ。

決して仕事をしたくないからとかではなく、本当に仕事が無いか物乞いしていたという社会背景で「目に余る」とバッサリ切り捨てるって…そこに人の情はあるのか?

法律作ると同時に公主導で仕事を与える努力をしていたならわかるんだけども、どうせしてないよね。

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2025-07-24

anond:20250724001231

戦後70年談話 全文

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から未来への知恵を学ばなければならないと考えます

百年以上前世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化原動力となったことは、間違いありません。アジア最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万もの戦死者を出す、悲惨戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済ブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島長崎での原爆投下東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国東南アジア太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈ものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在平和がある。これが、戦後日本の原点であります

二度と戦争惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略戦争いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族自決権利尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシアフィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾韓国中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣立場は、今後も、揺るぎないものであります

ただ、私たちいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国英国オランダ豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力必要であったか

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心から感謝気持ちを表したいと思います

日本では、戦後まれ世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去歴史真正から向き合わなければなりません。謙虚気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在私たち世代さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国豪州欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意支援の手が差しのべられたおかげであります

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界平和繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任果たしてまいります

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界リードしてまいります

私たちは、経済ブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい世界のあらゆる人々に、医療教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由民主主義人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界平和繁栄にこれまで以上に貢献してまいります

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります

平成二十七年八月十四日

内閣総理大臣 安倍晋三

2025-05-15

栃木県餃子消費量ランキング3位なのに、なぜ餃子盟主を名乗っているのですか。

栃木県特に宇都宮市が「餃子盟主」を名乗る背景には、単に消費量ランキングだけでなく、以下のような複合的な要因があります

1. 長年の高い消費量認知度:

かに近年、餃子消費量ランキングでは浜松市宮崎市が上位にランクインすることもありますしかし、長年にわたり宇都宮市は高い消費量を誇り、「餃子の街」としてのイメージが広く浸透しています

昭和時代から宇都宮餃子地域根付いた食文化として親しまれてきました。

2. 地域を挙げたPR活動:

宇都宮市は、早くから餃子地域活性化の柱として捉え、積極的PR活動を展開してきました。

宇都宮餃子会が設立され、市内には多くの餃子専門店存在します。

宇都宮餃子祭り」のようなイベントも開催され、全国から観光客を呼び込んでいます

JR宇都宮駅前には餃子の像が設置されるなど、街全体で餃子アピールしています

3. 歴史文化:

戦後中国から引揚者宇都宮に多く住み着き、本場の餃子の作り方を伝えたことが、宇都宮餃子ルーツと言われています

栃木県小麦ニラ生産が盛んであり、餃子材料が手に入りやす環境だったことも、餃子文化根付いた要因の一つです。

単なる「ご当地グルメ」としてだけでなく、宇都宮市民にとって餃子日常根付いた食文化であり、誇りでもあります

4. イメージブランド力:

消費量ランキングは変動する可能性がありますが、「宇都宮餃子」というイメージは長年の積み重ねによって確立された強力なブランドです。

メディアへの露出も多く、「餃子の街」として全国的認知されています

まとめ:

栃木県宇都宮市)が餃子消費量で常に1位ではないにもかかわらず「餃子盟主」を名乗るのは、長年の高い消費量地域を挙げた積極的PR歴史文化、そして確立されたブランドイメージといった、複合的な要因によるものです。単なる数字ランキング以上に、餃子に対する情熱と長年の貢献が「盟主」という言葉に込められていると言えるでしょう。

2024-10-08

河井克行が入所した刑務所民営刑務所

https://nordot.app/1211910352128279184

法相だった河井克行インタビュー記事話題になっているが、「喜連川社会復帰センター」という刑務所名は不思議名前じゃないだろうか?

実はここは民間経営する刑務所なんである。いわゆるPFI(Public Private Partnership)だ。

 

まぁWikipediaに項目あるから読めば早いのだが、東京東日本政治家懲役になった時は大体ここに入れられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E9%80%A3%E5%B7%9D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

 

人権を強く束縛する刑務所民営ではトンデモねぇと思うかもしれないし増田も思うが、「何でもかんでもPFI」が流行して古い刑務所を建替えする際にPFI方式でやろうぜって事になった。一昔の何でも三セクに似てる。

因みに最初暴力装置業務という事もあって、セコム委託されたのだが、契約期間満了でプロポーザルの結果、なんと今は小学館集英社運営しているのだ。

 

この方式PFI刑務所は全国に4つあって、島根県浜田の近くと播磨美祢にある。一般PFI民間業者建築した施設業務を全投げするのが多いが、喜連川社会復帰センターは国が建物を建てて業務だけ民間に投げるって方式になってる。

入獄するのは初犯で犯罪傾向が進んでいない者のみ、となってる。

当然、暴力行使する看守も民間人だが、服務中はみなし公務員となっていて公務員としての権力行使が許されている。民間車検場の検査員や自動車教習所教官と同じだ。

 

昔の娯楽映画で『ロボコップシリーズというのがあるじゃない。あれって警察民営化してオムニ社という会社の傘下に入れられて警官消耗品になって治安メチャクチャになって死んだ警官からロボコップを作るって話だ。あの世界はすでに到来していたってこと。

から河井克行経験した刑務所の内実というのは普通刑務所ちょっと違う筈なのだ。その辺を踏まえて読む必要がある。

 

一方、「再犯生産工場」と書いてある通り、刑務所に入った事で出所後も犯罪で生きるしか無くなる者が多いという構造はそのままなようだ。刑務所での経験が何の役にも立たない。真っ当な職業社会との繋がりを寧ろ剥いでしまう。それで社会復帰が難しくなってしまう。河井氏もその事を指摘している。

まり民営化によって良くなっている部分が何もない。罰を与える一方で職業スキル社会的常識、マナーを教えるというような事は何もなされない。民営化はコスト削減だけにしか有用じゃないって事だ。

 

喜連川は初犯者や政治家経営者など、生活パターンの虞犯性が低い者だけが収監されている。累犯者や障碍者など社会復帰の困難さがある人間収監されない。そういうイージーキャラだけなのに社会復帰の為の工夫が何もない施設民営化されて運営されてるってアホらしくないか

日本90年代から民営化すれば何でも巧く行く熱に冒されていた。それで刑務所民営化なんていうアホらしい事にもなったのだが、その民営化熱はいつの間にか効果測定を怠るようになってしまったのだ。例えばこの場合は、国営時代と比べて出所後の再犯率がこんだけ下がった、とか刑務作業の一環で企業職業研修を入れた、とかそういう実績評価が何もない。

 

なので何でもかんでもPFI化はもう止めた方がいいということ。ただ、政治世界ではもう流行りではないが、行政前例主義なのでそういう路線転換されても新規事業が出続けるんだよね。何しろ戦争復員者と引揚者対策干拓事業が沢山スタートし、その後減反政策1970年に始まっているのに中海干拓事業廃止されたのは2005年なのだブレーキ掛けて止まるのに35年掛かってる(ベタ踏み坂で有名な江島大橋水門廃止代替交通路として出来た)。

 

あと、河井克行法相にばら撒く現生渡したのは安倍さん菅さんなんで、河井氏の入れ替わりに菅さんが入獄するべきだろう。体の具合が悪そうなので一旦警察病院で療養してから喜連川へ。

因みに施設運営してる小学館集英社PRでこんな事書いてるけど

https://www.shopro.co.jp/public/facility/correction/index.html

(1.教育 2.職業訓練以下)

河井氏によるとこんなの無いってことだ。つまりプロポーザル用の資料転載で、実際はロクにやってない。効果測定も無けりゃコストが掛かる事するわけ無いってことだね。資本主義なんだから当たり前だ。なんで「民営化すりゃ自動的に良くなる」と思ってたんだろね。

2023-09-10

anond:20230910212023

昔は芸能人本名日本じゃないとか中国どこそこの生まれとかテレビドキュメンタリー普通に出してたんだけどなあ

そのかわりそのへんにふつう引揚者とかもいたので「ご苦労されたのねおかわいそうに」以上の公的感慨もなかったが

2023-04-10

anond:20230410154727

ごめん余裕は嘘かも。ギリギリかもしれないけど、嫁の収入次第でむしろ嫁を専業主婦にして都営住宅入った方が得かもしれない。

※60歳以上の世帯・心身障害者を含む世帯原子爆弾被爆者を含む世帯海外から引揚者を含む世帯ハンセン病療養所入所者等を含む世帯高校修了期までの子どもがいる世帯の方は所得基準の緩和措置があり、所得基準が異なります家族向(ポイント方式募集特に所得の低い一般世帯についても、所得基準が異なります

https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/juutaku_keiei/261toei2.htm

厳密な基準がよくわからんけど、子供いるなら上のリンク先の基準よりもう少し緩和される可能性がありそう。

嫁の持病とかその辺も担当者ちゃんと話せば考慮される余地があるんじゃないか

2022-03-17

ゼレンスキー大統領国会演説の予想

ゼレンスキー大統領オンライン国会演説テーマが米では911真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。

おいおい、日本にはもっと相応しいテーマあるじゃんよ。

日本ロシアソ連)に侵攻された事があるでしょが。

 

8/15以後も続いた戦争

第二次大戦は8/15の日本降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。

時系列

 

8/6 広島原爆投下

8/9 長崎原爆投下、ソ連日ソ中立条約破棄、満州に侵攻

8/11 南樺太侵攻

8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令英米攻撃停止

8/15 玉音放送

8/18 占守島の戦い

8/22 三船殉難事件

8/23 占守島武装解除

 

と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘継続し軍民に被害が発生した。

日ソ中立条約破棄は日本降伏に追い込んで戦争終結させる為だからあいいとしてもだ。

だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。

8/22 三船殉難事件というのは樺太サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦留萌増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。

2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。

 

ゼレンスキー大統領が米議会真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。

 

米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島ソ連にあげるってな密約がされたのな。

その上でソ連釧路-留萌ライン以北の占領計画勝手に立ててこういう行動をしていた。

占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領スターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画頓挫されたが、それが無かったら北海道上陸されて占領されていた可能性が高い。

 

で、投降した軍人軍属シベリア抑留ですよ。

 

領土拡張原則違反

無条件降伏した日本第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。

でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾青島日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則戦後処理がされたからだ。

ところがこれには例外があった。それがソ連ですわ。

 

サンフランシスコ講和条約日本近代以降の武力武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的占有範囲基準にして領土を決めている。

だがその例外千島列島で、ここだけはヤルタ会談密約根拠になってるわけよ。ソ連けがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。

レーニンさん、帝国主義って資本主義必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?

SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約千島列島の扱い自体領土拡張原則に反してるからだ。

 

引揚者の困窮問題成田空港問題

終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。

資産放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。

でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。

で、日本土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代社会問題化したわけよ。

最終的に1967年引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。

そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。

当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由満蒙開拓団引揚者入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地から猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。

国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。

成田新幹線接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。

地主抵抗したのが原因で千葉の広範囲地主左翼シンパなわきゃない。

成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街中通るが、実はあれは山林、農地開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。

から激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体接続路線ちょっと事情が違う訳だ。

 

それもこれも引揚者戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。

 

ソ連の悪行忘れた日本

からゼレンスキー大統領とそのスピーチライター日本の歴史良く知ってたら、多分原爆被害と共にこういうソビエトロシア行為を訴えるのではないかと思うのだ。

今のロシアがやってる事は満州建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気研究読めよって感じなのだ

その一方で戦後の時流を無視した領土拡張主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。

…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらいかもな、と思ったりもする。

2018-09-07

anond:20180907182603

揚げておいしいかどうかは虫によります昆虫食特別ものと思ってるあなたのような人は差別的なんですよね。

当方信州満州引揚者のやせ地で育ったので虫や蛇を食べるのはごく普通

2018-08-07

anond:20180807163954

個人的には中国人自体はそんな特別ひでえもんでもないと思うけどね

どこの国でも同じいいやつもいれば悪いやつもいるしそもそも人間てやつは多面性ある

今も中国残留孤児って人が普通に生存してる時点で日本と見ればとち狂って皆殺しってわけでもないし

人ひとり育てあげるのって大変なことやで

反日デモだって政府主導で昼飯時給付きだし食うに困る人はそりゃデモ参加するっしょ

まあ同じ引揚者帰国ルートだった某隣国では●●残留孤児ほぼ確認できないわけですけど

俺に言わせれば政府が主導してなくて昼飯も時給もつかないのに個人自由意志反日デモにグイグイ参加してよその国の旗燃やす方がよっぽどアレ

2018-07-11

anond:20180711015443

村社会的な人のとても良いサンプル。

「地の人間」「他の郡出身」「新住民団地」「貧乏引揚者」あたりの先住者が偉いというような言葉えらび。

「何も知らないでバカだなあ」「これ書いてる今も水に浸かりっぱなし」「今回の被災者みたいな目に遭いたくなければ」と被害者にも落ち度があるという精神

狡賢さを誇るような下品な知性はイヤだなぁ。

家を建てる前に地の人間災害リスクを聞かないからこうなる

今回の水害で俺の故郷被災してるんだけど、車がダメになった・二階まで浸水したみたいな被害を受けてるのは軒並み新住民団地なのね。

あの辺りの土地10年毎とは言わないけど30-50年置きぐらいにこれぐらいの洪水が起こる。

戦後貧乏引揚者が住み着いたけど洪水で全部流されたという話は、地の人間ならみんな知ってる。

から地の人間は家を建てたりしないんだけど、同じ県内でも他の郡出身だと普通に知らなかったりする。

最近あの辺に家が建つようになった。何も知らないでバカだなあ」と毎年帰省するたびに地元家族や友人から聞かされた。

開発業者は小中学校に至近で子供の通学の負担が軽いのも売り文句にしてたそうな。知っててやってたなら悪辣だと思う。

俺も通ったその小中学校土地田舎でよくある地元土地持ちが寄付した物なんだけど、道徳教科書に載るような立派な人でもなかったので、家や畑に向かない水捌けの悪い土地寄付したのね。

前日に雨が降ったら翌日いっぱいはグラウンドぐちゃぐちゃで球技とかやってられないみたいな。

そんなわけで新住民団地はこれ書いてる今も水に浸かりっぱなし。溜池を潰した土地なんかも混じってるし、いつ水が引いて家が片付けられるかは神のみぞ知るって状況。

タイトルで「地の人間災害リスクを聞くべし」みたいなこと書いたけど、よく考えると普通に聞いても教えてくれんわ。

よその人間に知られたら宅地用に売れなくなるし、自分土地だけじゃなく、他人土地価値が下がる情報を広めるのもタブーね。

聞くとしたら地元にもうしがらみの無い俺みたいな人間だな。

まり知らない土地に家を建てる予定の人は、今回の被災者みたいな目に遭いたくなければ頑張って俺みたいな人間をみつけて情報収集して欲しい。

2018-04-20

anond:20180420090300

わしの親父が子どものころは犬食べてたよ。

大陸から引揚者農地に向かない土地にすんでて犬を食べるのが普通だったところも多い。

2017-03-14

自分幸せ時代に生まれたこと

満州から引揚者中国残留孤児体験談等を読んでいたのだけど、あまりにも悲惨で、辛くて。

自分は何て幸せ時代に生まれたんだろうと申し訳ない気持ちになる。

社会は、世界は、昔よりも幸せ進化しているのだ、とも思ったのだけど、今だって世界には同じくらい悲惨な目に遭っている人、紛争地域に暮らす人はたくさんいるんだな、と思い直して。日本だって福島から避難してる子供達は幸せ時代に生まれたなんて多分思ってないだろう。

これまで健康に大きなトラブルなく生まれ育ったことって、本当に幸運だとしか言いようがない。もちろん未来のことは分からないし、病気になったり震災が起きたりする可能性もあるけれど。

自分ラッキーなことの罪悪感ってどうしたらいいんだろう。フェアトレード商品を買うとかボランティアをしたりするべきなんだろうな。どっちもしたことないけど。

この罪悪感、いつまでもつんだろう。すぐ忘れちゃいそうだ。

2016-12-04

いとうせいこうトーキングセッション2014夏

2年前の敗戦の日ころにNHKラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。

誰かフルで持っていませんかね。

作家五木寛之さんをお迎えしております

まぁ、僕はもちろん戦争体験年代ではないのですけど、五木さんは?

はいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど

少年飛行兵とか

僕らの世代は、ちょっと前で、終戦ときは、中学1年生でしたか

平壌の一中に通ってました。

で、引き上げていらっしゃって

戦争体験にもいろいろありましてね。

大本営とか通信部とか

丸々太って引き揚げてきて、村の人が

出ていってときと別人のようでなんて人もいた。

インパール作戦とか

いろんな悲惨体験した人もいるし、

僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど

荒廃した国土に何百万って人が帰ってきたら迷惑なんですよ

から当時の内閣閣議決定でね

海外にいる残留日本人たちは、

そのままにしておきたい

シベリア復員兵もひっくるめて

方針があったみたいですね

僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね

38度線を徒歩で越えた口ですから

脱北者として、逃亡してきた

から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない

あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、

棄民のようなかたち?

完全な棄民ですね。

捨てられてしまたかたち

内地のほうで、迎える日本の側でも

ほんとにあの時期に勝手外地に行って

戦争の真っ最中日本では麦のカスを食べていたとき

平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね

上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたか

そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、

引揚者って言葉は、当時は差別語でした。

そのことみたいなものだんだんだんだん、伝えられなくなって

粗雑なお話になって、

あるいは美しい物語になってね

アカシア大連なんてね。うらやましいなと思って

かつての植民地いたことを懐かしいと思える先輩たちのね

五木さんはそうではなかった

僕なんかまだいいほうでね

北朝鮮の北のほうの豆満国境ソ連

近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて

デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、

見るも無残な行列

避難民か引揚者かと同情しながら見てたんですけど

その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というもの惨禍を受けてね

ボロボロになって、やってきてるんですから

引き揚げにしても戦争体験にしても千差万別ですよ

ひとことには絶対いえないですよ

それがもう伝わらなくなってきている

帰国子女だという人がいるということ

五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないか

今、話すのは無駄だと思っているんですよ。

虚無感というかむなしさの中で

沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。

早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない

昭和史のかんどうさんも歴史を人は学ばない

僕は伝わらないと思う

言っても言ってもね、実感というのは伝わらない

僕はもう半ば諦めている

その人が

そうなるまでは、

体験というものは美化して伝わる

物語化して伝わったり

そういうクッションを経て伝わるんだ

と、悪いんですけど、嘆いているんですよ

しかし、まぁ、それが実感なのだろうと

マンツーマンで向かってお話をしていればね

なんとなく、口ごもる

話の中にもその人が語りたくない

っていう感じが伝わってくるでしょ

本当のことは語りたくないわけでしょ

引き揚げ体験にしても戦争体験にしても

本当の自分に対してやましさを持っている人たちは

語りたくないんですよ

から、僕も本当のことは語らない

ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。

そんなもの書いてね、おーなかなかい作品だねなんて

言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない

確かにそうですね。

以上の内容から読み取れることは、戦争体験千差万別であること。

修学旅行原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国基地も見て、バランスをとっておくべき。

沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。

空爆でやられたところとそうでないところ。日本都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実

やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。

赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島大陸に渡った人もいた。

そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20161204184643

 
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