はてなキーワード: 村民とは
ゲームのデータがふとした時に、愛着あるものに変わるのが好きだ
・Stellarisで100年間可愛がっていたウサギ型獣人が謎のウイルスによって数百億人ほどゴキブリ種族になった
・VIC3で鍛えていた提督がアフリカで失踪し、次に見つけていたときには部族民として生きていた
(彼の意思で残ってたぽいのでメリットは無いが『ここに提督は居なかった選択肢』を選んだ)
・リムワールドで工芸スキル18の職人が手榴弾をくらい、脳みその6割が欠けた
コロニーや国家の管理シミュが好きなのだが、こういったイベントが起こると、データはデータでも生きたデータになると感じる
効率性の欠如によって起こったバッドイベントや、感情で選ぶバッドイベントがなんとなく好きなのだが、
因習村の住民が騒ぐのは、これまで積み上げてきた「因習」の内、どの禁忌を犯すと村が消滅するか分からないから。
明文化されることのない数々の「因習」が恐らく自分たちの創作活動を守っているに違いないと信じているから、守らない人間を排除しようとしている。それ自体は否定されるべきものでもない、むしろまっとうな反応だろ。
もちろん誹謗中傷は言語道断だけど、版元のお目溢しだけで生存できている村民にしてみれば、手当たり次第に祠壊して回るあんなモンスターの存在を許せるわけなくないか?
そもそも版権ニ次創作自体が、「暗黙」のうちに「許されているともいないとも言えない状態」にあるだけなの忘れてるのか?「明文化されたルールがない」んじゃなくて「明文化されたルールが作れない」んだってちょっと考えたら分かるだろ。キングダムのグッズ作ろうとして突撃した馬鹿が玉砕してたの見てねぇのか?
「著作権法は親告罪だから、怒られるまでは許されているのと同じ」って言って、グレーゾーンで不躾タップダンスしてる奴がいたら周りの奴らはブチ切れて当然だろ。今この瞬間にグレーゾーンが黒になったら確実にそいつのせいだから。
同じく垂れ流してみる。
投票は大体行ってる
テレビはあまり見ない Youtubeもあまり見ない Xは時々見るがROM専
ゴリゴリのはてな村の村民なので、自民嫌い、維新大嫌い、立民も推したいけど推せないムーヴかましすぎ、国民も自民の補完勢力だし、公明はスキャンダルが少なくて政治家の教育がしっかりしているところだけは推せるが軽減税率と創価学会が嫌なので論外、共産はガバナンスがヤベェ、どこにも入れたくねぇ、って感じです。
政治については国民の平均より関心は高い方ですが、政治的な活動に参加したことはありませんし、真剣に考えるだけの一票の重みもないと思うので、選挙は行くものの割と毎回適当に投票してます。
前回は、うちわ会食騒動井戸県政の後継人(自民系?、おじいさん)と斎藤知事(維新系、若い人)で正直どちらも入れたくなかったのですが、迷った末に斎藤知事に投票した気がします。
公益通報潰しを一番問題視した。だから斎藤以外に入れようと思った。
稲村さんのことはよく知らないが、自民でも維新でもない有力な人が立候補してくれるなんて願ってもないことだと思った。清水何で立候補しとんねん。やめろや。
おねだりや、パワハラに関しては事実だとしたら悪いことだとは思うが、正直、同程度のパワハラ野郎なんて組織の上の方に立つ奴なら履いて捨てるほどいるレベルではないのか?と思った。
「自分で調べた結果、齊藤知事に投票した!」と誇らしげに言う知り合いが何人かいた。
斎藤支持者は、ストーリーが魅力的なので「全てはウソだったんです!真実はこうなんです!」と周りに広めるモチベーションがあるが、
稲村支持者は、支持をしていても、それを広めるモチベーションのある人は少なかったのではなかろうか。
私も家族以外誰とも選挙の話をせずに、淡々と投票したのみであった。
プライバシーを暴露されそうになったことを苦にして自殺、というストーリーが正しかったとしても、
それが即「パワハラはなかった」という証拠になるわけではない。
県民局長の自殺原因と、パワハラの有無は別問題として考えるべき。
でもあの音声データは衝撃的だったかも…マスコミがだんまりなところも含めて。
にしても故人って中傷しても罪に問われないのかな?、故人に対しては中傷し放題なんですね。
まさに死人に口なし。どんだけ辛くても死んだらあかんわ。
ありとあらゆるところに自分の顔載せすぎやねん!どんだけ自分の顔好きやねん?ナルシストすぎやろ!!!
兵庫県に住んでる限り、齊藤知事の顔写真からは絶対に逃れられへんようになってもたわ!!
シュッとしてて政治家の中ではやっぱり見てくれはええ方やと思うけどなぁ!!にしてもナルシストすぎるで。
全会一致ってよっぽどじゃないか?
県議会議員なんてたくさんいるのに、
自民も維新も立民も公明も共産も(いるのか知らんけど)全員不信任なんて、あり得る???
何で百条委員会終わってから選挙せーへんかったん??誰か知っとぉ~????
遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みだからね。せっかく見たわけだから、感想をどこかに違法投棄したかった。
だった。
とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime。
本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇的人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身もパニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。
そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャンは理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話に辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。
また、クリスチャン自身もダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分の旅行の計画を彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。
そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャンに非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。
そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語はペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンとダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である。
そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。
……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンをフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。
そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身が家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。
つまり宗教である。男が女に寄るとき、その理由はセックスか宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。
作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品の類型に漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式、人身御供までを幅広くこなす、分かりやすいキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。
ここまでは典型的な因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。
どういうことかというと
など。ホラー因習村としてはユニークな表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。
そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。
ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。
ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛をコミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。
現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者の感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感の儀式は、その他の共感しない感情を排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。
双極性障害の妹から連絡が絶えた不安に共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかしクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。
そして、共感に対する内なる欲求をペレに見透かされたからこそ、ペレはダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側から、ダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。
しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。
人は誰しも自分の感情に共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感を他人に問答無用で押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。
なにより、ダニーのような、恋人に感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。
現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。
もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。
是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。
---
[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか、差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人は無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身もダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンをクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやかな抵抗として、このように駄文をゴミ捨て場に投げ捨てている。
[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。
[^3]: 決して私怨ではない。
はてな村の反応
当時小学生の2人に賠償命令 学校のグラウンドで女性にぶつかる | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240725/k00/00m/040/178000c
概ね二つで
1.小学校で小学生が他者を骨折させる時、子供に責任はない(親にだって無い)
2.小学校だろうが他人を負傷させたのだから、家族含め責任が発生するのは当然
【2】は語るまでもないだろう
当たり前の因果関係だ
「子供のしたことだから」などという大人が出た場合、はてな村民は非難するだろう
ではなぜ今回のケースでは、「子供のしたことだから」と多くの村民が言っているのだろう?
ちなみに民法では、子どもは責任能力がない場合、賠償責任を負わないと定めている
民法では、子どもは責任能力がない場合、賠償責任を負わないと定められています(民法712条)。
責任能力とは、自分の行為の責任を弁識することができるだけの知能を有している状態をいい、裁判例などでは12歳前後が責任能力の境界線になると考えられています。
元の記事では「男性2人に」とあるので、小学生の責任能力を認めている
【1】のはてな村民は、ここになんら注意を払わずに「子供がカワイソー」って言ってる
責任能力があると認められた人間が事故を起こしたのだから、責任が発生するのは当然で、「小学生は小学校内であれば他者への傷害において責任を免除する」などと言う事はない
では、その監督責任は誰にあるのか?という事になる
(1)監督義務を怠らなかったことを立証できれば賠償責任を免れる
子どもが責任無能力者である場合は、監督義務者の親が賠償責任を負います。
・監督義務を怠らなくても損害が生じたこと(因果関係がないこと)
ただし、親が監督義務を尽くしていたということの証明は、非常に困難であり、多くの裁判例などで親の責任が肯定されてきました。
小学校3年なら賠償請求されないかと言えば「そんなことはない」
ちなみに有名な「サッカーボール訴訟」では最高裁で親の監督責任は完全棄却されている
フリーキックの練習で過失によってボールが外に出たのは親の躾の問題ではないという判決
今回の件に「小学校で小学生が」を理由に掲げてる奴が居るが、だから「過失相殺」されているのだ
この日本では小学校でグランドの中央を歩くのは「6割の過失」に相当する行為とされる
小学校でグランドの中央を歩くのは10割の過失とでもいうのか、怪我したのが小3男子だったら?
グランドの中央を歩くやつが悪い、10割の過失だ、骨折させても小6男子に過失割合なしってか?
大丈夫か?
最高裁まで争った場合で、子供側への請求が無くなるのは2ケース
もういちいち突っ込まないが、要は責められた気がしたってことね?
別に誰も責めてないぞ、『茶化す問題じゃないなって改めて思った』って話だ
このお話をキミとするのは無理そうだから興味があるらしい後半の話にしよう
お前らの思う天才って何?
↓
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
先週、以下の記事を書いたところ、本人様からブクマコメントなどで反応をいただきました。
↓
こちらで詳しく近況報告されている。
↓
はてながまだ「村」だった頃のことを、今でもたまに思い出すことがあるのですが、彼女たちは当時の村民たちにとって初のアイドル的な存在だったように思います。
キラキラと輝いている若い女性と、そこに取り巻いている多数の村民という構図が、懐かしいですね。
今では村民同士のつながりみたいなものはなくなってしまって、こんな便所の落書きみたいな場所しか残っていないのが残念です。
これからも時々、彼女たちのことをぼんやりと思い出すんだろうなと思います。
お体お大事になさってください。
それでは、また10年後に……