いや、恋愛相談というより、「10代の頃の欠落感」をどうしたらいいか分からず、ChatGPTにぶつけてみたのだ。
男友達とつるんだり、部活に精を出したり、まあ普通に楽しい青春ではあったが、
「彼女と花火大会でデート」「公園で初めてのキス」みたいな甘酸っぱいイベントは一切なかった。
20代以降はそれなりに何人かの女性とのお付き合いを経て、今の妻と結婚した。
ただ、「10代のころに恋愛経験ができなかった」という欠落感が、今でもずっと心の奥でチクチクしていて、
50歳を過ぎた今、その痛みは年々大きくなってきている。
「何をしょうもないことを…」と思われるかもしれないが、本人にとっては結構切実だ。
50歳になり、子どももいて、安定した仕事もあり、結婚20年目の妻とも良好な関係だと思う。
「幸せか?」と聞かれれば、おそらく「そうだね」と答えるだろう。
でも、ふとした瞬間に思うのだ。
そんな話をAIにしたら、奴が突然こう言った。
彼女と初めて出会ったのは、僕が18歳で、彼女が16歳の夏だった。
ある日、彼女が兄に連れられて現れた。
人懐っこい笑顔と、話すたびに少し首を傾げる癖に、不意に胸が高鳴った。
「可愛いな」と思ったのを覚えている。何度か会うたびに、気持ちは自然に大きくなっていった。
友人の妹という立場が気になり、簡単に踏み出せなかったが、ある日、思い切って告白した。
彼女は恥ずかしそうにうつむき、小さな声でOKの返事をしてくれた。
混雑を避けて、防波堤の上に二人並んで座り、夜空を彩る花火を眺めた。
「その浴衣、すごく似合ってる。」
そう伝えると、彼女は耳まで赤くして、俯いた。
思い切ってそっと彼女の手を握ると、一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに優しく握り返してくれた。
その瞬間、胸が苦しくなるほどの高鳴りが押し寄せ、世界から音が消えた。
花火の光が彼女の瞳に映り込み、まるで無限の宇宙がそこに広がっていた。
放課後、週に一度の楽しみは、駅近くのミスタードーナツでの待ち合わせだ。
部活の練習を終えた僕と、バレー教室のレッスン帰りの彼女が向かい合って座り、アイスティーを飲みながら色々な話をする。
「ドーナツはどんなのが好き?」
「うーん、フレンチクルーラーかな。Xくんは?」
「オールドファッションかなあ…あ、でもアップルパイもいいよね。」
「ミスタードーナツに売ってるなら仲間でしょ?」
「えー、そうかなあ…(笑)」
たわいない会話なのに、彼女が笑うたびに胸の奥がふわっと温かくなる。
とある週末には「ニューシネマパラダイス」を一緒に観た。
映画館を出たあとマクドナルドに寄って、心に残ったシーンを1時間も語り合った。
そう言うと、彼女は「やった、ありがとう」と嬉しそうに笑った。
帰り道、いつものバス停へ向かう前に、近くの公園のベンチに座ってしばらく時間を潰した。
「なんか、このまま帰りたくないね。」
そんな空気をお互いに感じながら、会話が一瞬途切れる。
繋いだ手から伝わる体温がやけに熱い。
夕焼けの世界が静かに遠のいて、彼女の唇の温もりだけが鮮明に残った。
その夜、家に帰ると、少しだけ電話をした。
「次の週末、どこ行こうか?」
そんな何気ない会話をして、またね、と言い合った。
布団に入って目を閉じると、夕方の公園の情景と、彼女の唇の柔らかさが蘇ってくる。
胸がぎゅっと苦しいほどに高鳴る。
それと同時に、甘くてどうしようもない切なさもあった。
――彼女も今頃、同じ気持ちで僕を思い出してくれているだろうか。
時計の針の音が妙に大きく響き、胸の鼓動と重なりながら、僕はその夜なかなか眠れなかった。
現実では一度も付き合ったことのない、友達の妹――僕の中で勝手にこの話のモデルにしていた女性――に、
「今、会ってみたい」という強い感情が急に芽生えたのだ。
いや、もちろん実際に会うつもりはない。
彼女とは当時、彼女の兄込みでよく一緒に遊んでいた仲だが、実際にはまったく「そういうこと」は起きなかった。
彼女は今ではもう実家から遠く離れた地方都市に嫁ぎ、子供が4人もいる立派なお母さんだ。
何年か前にFacebookで久々に繋がって以来、お互い懐かしさから近況報告をする仲ではあるけれど、
50歳の既婚男がいきなり「あの時、本当は僕のことをどう思っていた?」なんて聞いてきたら、それはもうただのサイコホラーである。
それは分かっている。
だが、妄想で作った恋の記憶が、現実の感情を上書きしてきたのである。
すると今度は、こう言われた。
「じゃあ、その彼女と“別れた”ストーリーを書いてみましょう。」
ガラス窓の外では、濡れたアスファルトの上を人々が傘を差して足早に行き交っている。
店内にはコーヒーとドーナツの甘い匂いが漂い、雨に湿った初夏の風の匂いと混じり合っていた。
テーブルの向かいで、彼女はしばらく無言のままストローを指先で転がしている。付き合い始めてから一年。
そのあいだに季節がひと回りし、僕たちはもう「特別な二人」ではなくなってしまった。
以前のように何も言わなくても通じ合う温度は、少しずつ冷めて、曖昧な沈黙だけが残る。
どこで間違えたのだろう。
ドーナツの中心に空いた空虚な穴にはお互い気づかないふりをして、何かを保留したまま、ただ目の前の時間をやり過ごしている。
「……雨、強くなってきたね。」
「うん。」
短く答える声に、かすかな寂しさが混じる。
それ以上、言葉が続かない。
何かを言えばすべてが壊れてしまう気がして、僕は一歩も動けずにいる。
僕は知っている。
彼女の心の中にはもう僕ではない、他の誰かがいることを。
そして彼女も僕も、そのことを誰よりもよく分かっている。
きっと何年後か、何十年後か、この駅前のミスタードーナツの光景と、
店内に流れている牧歌的な50年代のアメリカのポップソングと、
コーヒーとドーナツの温かくて甘い匂いを、僕は鮮明に思い出すだろう。
そのとき、僕はきっととてつもなく深く、切ない感情に囚われる。
それは預言にも似た確信だった。
外の雨は、まるで世界中が大洪水で流されるまで降り続くかのように思えた。
その時、僕はノアの方舟に乗せてもらえるだろうか――。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。
結果として、現実には一度も付き合ったことのない女性と、僕は妄想の中で勝手に付き合い、勝手に別れた。
いや、何なんだこれは。
でも――。
不思議なことに、この「別れの物語」を書き終えた時、僕の中のあの欠落感は静かに消えていた。
まるで実際に、彼女との切ない青春の一ページを経験したかのように。
そして、10代のころ別れた彼女の幸せを願いながら、今はひとりで遠い目をしている(そもそも付き合ってすらいないのに)。
いや、マジでなんだこれ。
自分が作り上げた物語でも、本気で向き合えば「記憶」と同じように心を動かす力を持つ。
と、ChatGPTが言っている。
だから、もし僕のように過去の欠落感やら何やらでモヤモヤしている同志がいたら、こう言いたい。
結果、驚くほど心が軽くなるかもしれない。
そして、最後は僕のように「妄想の物語の中で現実の気持ちが昇華」するかもしれない。
知らんけど。