はてなキーワード: 夕方とは
今日は一日中雨で外に行けないので子どもと一緒におもちゃ作りをして遊んだ。家事をしながらなのでちょいちょい手伝うくらいになってしまったが子どもは自由な発想でおもちゃを作って楽しそうだった。朝に作ったおもちゃは夕方には大事なものになったようで一軍のおもちゃ箱にしまわれていた。
今日は少し怒ってしまった事もあったが、おもちゃ作りが楽しかったようで寝る前に話す今日の思い出はおもちゃ作りが楽しかった話だった。
11月9日(土)
悪気はないんだろうけど、その“くせに”が気になった。
でも、笑って「ハンドクリーム塗ってるだけだよ」って返した。
彼女は「意識高〜」って言って、そのあとスマホで男の子の美容アカウントを見せてきた。
よく分からないけど、たぶんその瞬間、私の中の何かが裏返った。
外に出たら風が強くて、信号の赤が滲んで見えた。
たぶん恋愛もそうだ。
女の人が「私ばっかり気を遣ってる」って言ってて、男の人はうつむいてた。
だけどコーヒーの泡は、どっちのカップにも同じように丸かった。
だから、たぶんどっちも悪くない。
どっちも少しだけ、泡を見てないだけ。
右側だけ、知らない誰かに似てた。
日中は実験室的な刺激は少なかったが、思考の連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。
起床直後に室温を0.5度単位で確認し(許容範囲は20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチンの振動スペクトルをスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。
だが、振動の微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種の位相同調を要求するのだ。
ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。
隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーにフレームを当ててるの?」と訊いた。
風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。
友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界は検証可能で再現可能な思考で出来ているので、笑いもまた統計的に期待値で語るべきだ。
午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論の現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルなホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。
これらの道具は直感的に言えば空間と物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。
具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論的観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性の最近のワークショップでも多く取り上げられていた)。
こうした動きは、数学側の最新手法が物理側の問題解像度を上げている好例だ。
午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。
つまり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴は圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。
これを超弦理論の世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能な位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。
スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。
夕方、隣人が最近の観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランクスケールでの有意な寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータで示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。
隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能な実験的検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。
これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測と理論の接続が初めて実際のデータで示唆されるかもしれない。
昼食は厳密にカロリーと糖質を計算し、その後で15分のパルス型瞑想を行う。瞑想は気分転換ではなく、思考のメタデータをリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムをフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力のフロアを上げる。
ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論が日常生活にどう適用されるか想像できていない。
午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象(定義と補題に注目)、次に変形(導来的操作や圏論的同値を追う)、最後に物理的帰結(スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。
この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。
夜は少し趣味の時間を取った。ゲームについては、最近のメタの変化を注意深く観察している。
具体的には、あるカードゲーム(TCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略は確率分布の微小な歪みを利用する微分的最適化が主流になっている。
これは実際のトーナメントのデッキリストやカードプールの変遷から定量的に読み取れる。
最後に今日の哲学的なメモ。理論物理学者の仕事は、しばしば言語を発明することに帰着する。
僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象を統一的に説明できるか、そしてその言語が実験可能性とどの程度接続できるかだ。
導来的手法やホモトピー的言語は数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。
理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。
隣人の驚き、ルームメイトの無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理的現実の簡易的プロキシであり、そこから生まれる摩擦が新しい問いを生む。
さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)
あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定を書き込み、実行可能性を確認する。
ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。
ヘッドホンのインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である。
以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである。
ゲートの脇に企業のロゴが並び、仮囲いには安全スローガンが貼られている。重機の音が響き、鉄骨が空へ向かって組み上がっていく。だが、中で働いている人間たちは知っている。どんなに巨大なプロジェクトでも、実際に現場を回しているのは、たった四、五人の「生きた歯車」だけだということを。
そのなかに、たまに現れる。
何も壊さず、何も作らないのに、全体の流れを微妙に止めてしまう人。
私たちは、そんな人を冗談まじりに「ネガ害」と呼んでいた。老害でも、パワハラでもない。もっと湿った、ややこしい存在だ。
「ここ、ちょっと違うんじゃない?」
その一言で、議論が止まる。誰かがフォローしようとするが、もう勢いは戻らない。作業も打合せも、全体が一歩引いてしまう。
翌日、また別の場所で同じことを言う。
そして、さっと姿を消す。
なぜそんなことをするのか。
またある人は「役に立てない自分を、せめて否定の言葉で目立たせたいんだ」と。
大型現場では、余剰要員というものがどうしても出る。実際に一人で現場を任せられるような人は少ないから、組織の隙間に押し出され、名前だけの担当になる。そういう人が、否応なしに「ネガ害」になってしまうこともある。
だが現場は待ってくれない。
だから残りの三人が、すべての穴を埋める。
仮眠室の蛍光灯の下で、誰かがぼそりと呟く。
「なんであいつ、来てるだけなんだろうな」
誰も返事をしない。
けれどその沈黙が、仲間の絆のようにも感じられる瞬間がある。
竣工の日、テープカットの後ろで、あのネガ害はにこにこ笑っている。
「いやぁ、大変だったね」
もう、疲れ果てているのだ。
ただ、心の奥で小さく思う。
――大きな建物は、少数の我慢と誠実さで建っているんだな、と。
光の裏に、必ず影がある。
その影を抱えながらも動かしていくのが、現場の本当の力なのだと思う。
人は壊すためではなく、残すためにそこへ集まる。
今朝も僕のルーティンは完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠相同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシはPhilips Sonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相が乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。
昨日の日曜日、ルームメイトがNetflixでマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚的ノイズに曝露された被験者の前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響的干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォン(Sennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系の無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快な行為を自発的に選択する人間の気が知れない。
午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉と油脂の比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である。彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間は事実の指摘をユーモアと解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。
夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配をテーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数をラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果のシミュレーションを笑いながらできる者だけだ。
夜は超弦理論のメモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジーの拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論の11次元項の一部は非可換幾何のホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポスト・ウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。
深夜、SteamでBaldur’s Gate 3を起動した。キャラビルドはIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile → Misty Step → Counterspell → Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールでダイスロールに物理的擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。
こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論の俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元で振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念の空間で震えているのだとしたら人間の意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。
夕方行ったカフェに親子がいて、父親が高校生か大学生くらいの娘に言っていたんだよ。
「名前を聞きたい時にWhat’s your name?は失礼だから使わないんだよ。May I have your name?じゃないとだめだよ」と。
「学校で教わる英会話は失礼な場合があるから気をつけなきゃね」とも。
いや、これ間違ってはいないんだよ。
だけどさ、例えば娘さんが英語圏に留学したとして、最初にMay I have your name,please?とか聞いてみなよ。
友達できないよ。
そういう時はwhat is your name?でいいのか?
というとそんなこともない。
お前はボーディングスクールかパブリックスクールの嫌な上級生かってなる。
I’m Masuda.you?
とかになるかね。
And you?のAndもクラスメートへの初対面の挨拶くらいじゃあまり使わないかな。
日本語で考えればわかるよね。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「名前聞いてもいい?」
「名前は?」
「何さん?」
日本語と同様、英語だってどんな場面でも100%使える自然なフレーズなんてないんだよ。
そして、ネイティブからしたらこっちが一言発したら外国人なんてすぐわかるから、そんなに神経質になる必要もないんだよ。
例えば、ファミレスで日本人の店員に「この料理辛いですか?」と聞いて、店員から「これ?辛いよ。こっちはそんなに辛くない」って言われたらちょっと違和感あるでしょ?
でも、スリランカ料理屋でスリランカ人の店員から「コレカライヨ。コッチソンナカラクナイヨ」って言われても違和感ないでしょ。
だから、まずはTPOに合ってか、とかマナーとか気にせず、まずは中学校の英語教科書に乗ってる頻出フレーズでいいからそれを会話でスッと出せるくらい頭に叩き込めばいいんだよ。
タイトルに戻るけど、上記のことをどれだけ口酸っぱくして伝えてもわかってくれないのが高学歴ビジネスパーソン。
ノンネイティブで東大とか早慶出身の財閥系商社やメガバンクに勤務してる人たち。
この人たちプライドなのか神経質なのか知らないけど、異様に「Can I ask your name?はカジュアルなんですよね?」みたいな質問山ほどしてくるんだよ。
文法、ライティング、リーディングの点数は高いのに、簡単な会話や英作文にものすごい時間かける。
それで「今はどこで躓きましたか?」って聞くと「My name is は使わないって聞きましたし、でもI’m はなんかカジュアルな気がして…」とか言うんだよ。
いや、My name is Masudaでいいからパッと答えろよって話。
あんたは確かに東大や早慶を卒業した商社マンかバンカーなのかも知れないけど、英会話については半人前なんだから半人前らしく半人前の英語で堂々と話してくれよ。
あんたはもしこれからサーフィンを始めるとして、突然チューブライディングしようとするか?砂浜で立ち方の練習したり、パドリングやったり、スプーンで立つ練習したりするだろ?
それなのになんで英会話になると途端にウィリアム・ハンソンみたいなステージに立とうとするんだよ。
だからノンネイティブの高学歴ビジネスパーソンに英語を教えるのはしんどい。
「金髪で青目の外人女と仲良くなりてえんすよ!」って言って3ヶ月前からレッスン参加し始めた運送業の若いお兄ちゃんの方が余程楽しそうにやってるし今じゃ話せるようになってるよ。
ぶつかるんじゃないかってくらい接近した。反射的に身をよじった。心臓がバクバクする。
相手は邪魔だ、という顔をして去って行った。悪いのは私のような顔で。
この三ヶ月で何度も危ない経験をしてる。
スマホ見ながら走ってくる自転車。信号無視で突っ込んでくる自転車。歩行者がいっぱいいる歩道をわざわざ走る自転車。
その度に思うのは、これ、原付だったら絶対に違反じゃんってこと。
実際、原付で歩道走ってたら、即座に警察に止められる。それなのに、自転車だと何ともない。むしろ歩道は自転車と歩行者の共有スペースみたいな扱いになってる。
先週、自転車乗ってる人に「すみません、危ないです」って言ったことある。そしたら「そっちがよけろよ」って言われた。本当に。
その瞬間、思った。
この人、ルールを知らないんじゃなくて、自分が優先だと思ってるんだ。
実は、自転車は車道を走るのが原則らしい。歩道は特例的に許可されてるだけ。それも、徐行(時速6キロ以下)が義務。
でも誰も知らない。誰も守ってない。
スピード出してる人ばっかり。
昨日も経験した。朝の通勤ラッシュで、歩道は人でいっぱい。その中を自転車が猛スピードで走ってきた。ベルを何度も鳴らしてた。
どけ、どけって感じで。
その光景を見て、ふと思った。
これって、混雑してるから車道は危ないって自転車乗りが判断してるんだろ。だから歩道を走ってる。
気持ちはわかる。でも、それで歩行者が危ないんだから意味がない。
結局のところ、ルールの問題じゃなくて、意識の問題なんだと思う。
実際、自転車も高速で走ったら致命的な怪我を与えられる。死亡事故だって起きてる。
でも、自転車乗りたちは自分たちを歩行者の仲間くらいに考えてる。
あと自転車の運転に免許が必要ないことが助長してる。普通乗り物を運転するには、安全教育を受けて免許を取る必要がある。でも自転車は、試験なしで乗れる。ぶっつけ本番だ。
だから、ここ数年、自転車の取り締まりが厳しくなってるんだと思う。
でも、最近の状況を見てると、仕方ないんじゃないかって思うようになった。
取り締まりが強化されることで、初めて自転車ってそういうルールなんだって気づく人が出てくるから。
私の友達も自転車通学してるけど、先月信号無視で止められたって言ってた。その時点で初めて「あ、自転車も交通ルール対象なんだ」って気づいたらしい。
それまで、何もルール知らずに乗ってたんだ。
多分、大多数の自転車乗ってる人がそんな感じだと思う。
だから、一度しっかり「リセット」する必要があるんじゃないか。
自転車に乗るには守るルールがあります。守らないと罰せられます。
正直、もう疲れた。
「でも自転車乗るのが不便になる」って意見もわかる。でも、歩行者にとっては、今の状況がすごく不便だし、危険だ。
どっちを優先するかって言ったら、歩行者だと思う。
自転車乗りだって、自分が歩いてる時は、自転車に危ない思いさせられたくないでしょ。
それなのに、いざ自分が乗ると歩道走って何が悪いって顔になる。
その矛盾に気づいてほしい。
食わない
俺は夕方までマルチビタミンと麦茶を飲み、そこで一気に二郎系を喰らう
(動くときはベースブレッド食ったり、冷凍の大判焼きを1つつまんだりするが)
あとはダラダラして寝る
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんの AI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
https://anond.hatelabo.jp/20251102075909
既にそういうコメントがついてるけど清潔である(=汚れや臭いがない)のと清潔感があるのは別のことだよ。
清潔感があるというのは、不快な印象がしない〜垢抜けているくらいの漠然とした印象を指す言葉なんだ。
清潔感のためのちょっとしたリストをこれから作るけれど、その前に増田はどうして自分に清潔感がないと思ったんだい?
自分を鏡で見てそう感じた?周りから言われた?それともモテない原因を(本当はそうでもないかもしれないのに)清潔感のせいだということにしている?
ゴールは清潔感じゃなくてモテることなわけでしょ。だったらまずはこの辺りからじゃないの。
一番良いのはこの手のプロに見てもらうことではある。
俺も含めてトラバやブコメでああだこうだ言ってるのは全員素人だからな。学生ならバイトして金ためて、信頼できそうなそういう人を何人かピックアップしろ。
まあそれと同時進行でできそうなことを考えてみようか。
まずは清潔感以前に清潔に近いところがちゃんとできてないか確認していこう。
少なくとも風呂はちゃんと入っているようだが、歯が黒ずんだりしてないか?少しでも歯の着色が気になるようならさっさと歯医者に行け。
ブラッシングがちゃんとできてないなら口臭の原因になるからそれも確認してもらえ。フロスとかもちゃんと使うんだぞ。
この辺は増田の清潔感以前に口内の健康に関わってくる。どうか健康でいてくれ。健康は美容の第一歩だ。
歯並びが悪いなら歯列矯正も本当はすぐにした方が良くはある。でも学生には高すぎると思うから、よほどじゃなければ社会人までおあずけでもいい。
ブラッシングをちゃんとしていても口臭がするのであればストレスや内臓の疾患の可能性が出てくる。
もしそんなことがあれば増田の健康状態が心配だ。医師の力を借りろ。
シャンプーを変えるのは結構だが、洗い方で髪というか頭皮の汚れの取れ方は違ってくるぞ。
もし洗い方を知らないならちゃんとそこを調べよう。
あと髪のついでに耳は洗っているか?汚れのたまりやすい場所だ。もうやっていたらすまんな。
スキンケアをしていないと肌の状態が悪くなり、汚れがしっかり落ちていたとしても清潔感がないように見えてしまったりする。世知辛いよな。
まず洗顔は優しくな。洗うにしても拭くにしてもそっとだ。
そして外出前には日焼け止めを忘れずに。
これでも肌の状態が良くないのなら栄養と睡眠が不十分なのかもしれない。健康状態は肌に大きな影響がる。
かつて知人にすごくイケメンなのに鼻毛が出ていて台無しになっている人がいた。それくらい鼻毛のマイナスは強烈だ。
ちなみにもし耳とかそういうところから毛が生えているのならそれも処理しよう。
この辺からちょっとずつ清潔じゃなくて清潔感の話になっていく。
俺はもともと髭が濃く、朝にしっかり剃っても夕方になると青髭がものすごく気になってしまっていた。
一番確実なのは永久脱毛だが、他にも携帯用ひげそりで夕方前に剃る(でも肌が弱いなら一日に何度も剃らない方がいい)、BBクリームで分かりにくくするというのがある。
BBクリームは日焼け止め効果もあったりするし肌質を良く見せられるから、髭の問題がなかったとしてもオススメしておく。
知人に何人か脇の制汗剤をつける習慣がない人がいて、夕方とかになると臭いがする。
ただしもし制汗剤だけでどうにもならない臭いがしているのなら医師の力を借りた方がいいかもしれない。そんなことがあるなら増田の健康が心配だ。
その様子だと特別太ったりはしていなさそうだが、太っているなら痩せておけ。運動と食事の管理だ。
運動習慣を身につけるのはとても大変なことだが一生の財産になる。
あと姿勢な。ジムの中にも姿勢の矯正してくれるところがあるみたいだな。姿勢は見た目の印象を大きく左右する。
学生には金がかかって大変だろうな。他と上手く金の配分をするしかない。
このあたりからようやくファッションの話になってくる。清潔=汚れや臭いがないとは何も関係もないよな。
だが身だしなみを整える側の人間なのだなと周囲から思われると、清潔感がある側に分類されるようになる。
ただし美容室というか美容師によって増田に合うかどうかはピンキリなんだわ。やってもらった結果が自分で好きだと思えたら、その美容師さんにこれからもお願いしよう。
手入れをすると垢抜ける。とりあえず美容室に行ったときについでにやってもらおう。
その後はやってもらった形を維持できるように自分でも定期的に手入れをするんだ。
さらには最近はメンズメイクも当たり前になってきている。Youtubeにやり方の動画があがってるからそれを見ながら眉毛を自分で少し書こう。
美容室に行くと襟足もある程度整えてくれるのだが、自分から見えない位置だからかそのまま伸ばしっぱなしにする人がいるんだよ。
美容室でやってもらった長さをキープするよう髭と一緒に剃るのがいいだろう。
手や指の毛は野生感が出るから気にする人「も」いるようだ。
「も」と書いたのは大して気にしない人もそれなりにいるからである。マイナスになり得るリスクを消しておくために処理しておくのは悪くない。
ここまできてやっと服の話だ。
汚れと臭いがないことは大前提として、基本はボロくなっている箇所がないこと、シワがないこと、サイズが合っていることだ。
古着が趣味なら話は変わってはくるが、清潔感を目指すならそういうのは一旦忘れよう。
とりあえずここまでできれば上等。ここからは応用編だ。
服はTPOが結構ある。学生だからカジュアルな場に行くことが多いだろうが、あまりにもカジュアルすぎると顔と身体が大人なのに服だけ子どもみたいに見える。
逆に皆でアウトドアしようとしてる時にジャケットでキメてたら変だ。
TPOのTの話だと季節感がないのも浮く。冬に半袖短パンとか。
オシャレになりたいならここから更に周りとの差別化が必要になってくる。
うん、ファッションって面倒だよな。でも清潔感のためだったらオシャレまでは必要ないよ。
忘れてたけど寝具の臭いが身体につくパターンってあるんだってな。枕カバーを洗ったり布団を干したりとかはした方がいいぞ。
それから、いつか増田が女性を(そうじゃなくても男友達も大事した方がいいから男友達だったとしても)自宅に招くときのために自宅の臭いは対策しような。
部屋は既に片付いているようだから、そこへのプラスアルファとしてもしまだやっていないのなら。
寝具と各種水回りのケアだけは面倒かもしれないが定期的にやろう。こうした家事の力は社会人になってからも増田のことを守ってくれるよ。
いやさ、蕨駅周辺にクルド人多いのは昔から知ってるし、多からずともクルド人の実害食ってる人いるのは知ってる
てか川口に住んでる人なら昔から知ってる、そして中小の工場が安い外国人を使いつぶして産業を支えてきてるのも知ってるから、別にクルド人に対して違和感を感じない
青木のほうの某ケーキ工場とか夕方みるとクルド人が大量に並んでるからな、お前らが食ってるケーキはクルド人が作ってんだよ
でもさ、長年川口住んでるから言えるけど日本人のほうがやべえって
隣の戸田市も含めれば去年だけで銃ぶっぱなしたの全部日本人だったろ、川口元郷で刃物もって店に押し入って強盗したのだって日本人じゃねえか
川口市含め住吉会系の事務所が多いから元ヤクザのジジイが多いんだよ
んで、その家系なんかも輩みてえなのが多いんだよな(中にはカタギとして馴染んでる人もいる、同級生のじいちゃんがヤクザだったとかよく聞く)
俺の世代なんかすげえ荒れてたから今振り返っても「この地域終わってんなぁ」って思ってたけど
それに比べりゃ今なんかむしろ川口市相当治安良くなったほうだぞ
今じゃバイクが大量に止まってる団地とかどこでも見ないし学ランとパンツで帰ってる高校生も見ないしな
俺の通ってた小学校の近くにクルド人の解体ヤードが当時からあったんだが何か問題があったとか小学生が危険な目にあったとか一度もねえよぶっちゃけ
なんならブルマ履いておっかけてくるおっさんとか、校内に侵入して「OK!?OK!?」ってOKを求めてくるおっさんとか、やべえのは全部日本人だったよ
ちなみに「川口市=クルド人でやばい」っていってる奴って大体市外の人間だわ、インターネットで聞きかじったんだろうな
俺は蕨駅前でチャリ乗ったクルド人に「You fuck!!yeah!!You fuck!!yeah!!」って指さされたことしかねえよ
川口市の病院で働いてる人とかはクルド人とか中国人に思うところ多いと思うが、それ以外の人でクルド人に迷惑してる!!っての全体の1割ぐらいしかいねえんじゃねえか
市内北の方に行くとほとんどみねえしな、元旦の神社で屋台だしてケバブだしてコミットしてるクルド人とかもいるし、俺は憎むべきは「クルド人」じゃなくて「不法移民」だと思うぞ
だからクルド人を受け入れろ!!!!!!!!!!って話ではなくて、「川口の治安が悪いのはクルド人のせい」っていうのは「いやそれはちげえだろwwwwwwwwもともとだよ」って話
早炊きとか予約とかはわかるんだが、メニューの中に「調理」があるのが驚いた。
最近は炊飯器でなんでも作ると聞いたことはあったけどあくまで裏技的なもので、公式にメーカーがそういうモードをつけてるとは思わなかった。
さっそく米も買って炊いてみることにした。
そうそう、こんなだったよなと思いながらずいぶん高騰した米を丁寧に研いでひたひたに水を入れボタンを押す。
ピピピ・・と音が鳴ったらかきまぜ蒸らして少し待つ。しゃもじで茶碗にご飯をよそいながら、ふいに涙がこぼれてしまった。
俺の家は幼少の頃から親がネグレクト気味でなかなか家に帰ってこないことが多かった。
子供の面倒を見ないというだけで、お金は適当に渡されていたし、俺自身はそれほど辛い思いはしてなかった。
ただ下の妹は甘えん坊で、親が帰ってこないことが寂しいとよく泣いていた。
話し相手は俺しかしないから妹はずっと俺にくっついていた。俺は妹の面倒を見るのはすごく面倒で嫌だった。
一緒に遊んでも全然楽しくないし、だから無視することも多かったんだが、そうすると妹は寂しくてずっとグズってしまうのだった。
外で友達と遊ぶときも妹はくっついてくるので邪魔だったが、一人にするのも怖いので仕方なかった。
親は帰ってきたとしても遅い時間だったから、夕飯はいつも妹と二人で食べていた。
毎日朝と夕方にご飯を炊いて、自分の分と妹の分をお茶碗によそって、ほら、とテーブルに並べていた。
炊飯器の蓋を開けたときのあたたかい湯気に包まれる瞬間だけ、俺は妙に寂しい気持ちになっていたのを思い出した。
すぐに蓋をしめればその一瞬の寂しさはもう忘れる。気を抜いたら妹が味噌汁をこぼしたりして危ないからだ。
そんなことが一気に思い出されて、思わず涙がこぼれてしまっていた。
俺にとって家族での食卓の風景というのは、妹と二人きりで食べてた食事だ。
おかずなんていつも決まってるし炒め物とかそんなのしかできなかった。
[B! 労働] 移民と社会:残業断る日本人 嫌がらぬ外国人 「彼らがいたから会社続けられた」 | 毎日新聞
まずトップコメの人らが軒並み残業が常態化と言っているが本当に記事からそんなことが読み取れるか見ていこう。
同社は経費削減のためにギリギリまで人員を減らしており、取引先からの受注が急激に増えても、その人数で対応するしかない。1人でも休む従業員がいれば、生産ラインを止めることもあり得る。
ギリギリの人員が平時も残業をしているのか、または受注が急激に増えても、とあるがその状態が継続しており、その結果残業が常態化しているのかこの記事では分からない。何なら受注が急激に増えても残業していない可能性すらある文章になっている。要は残業については全く読み取れない。
とあり、受注が一時的に増えた際に、とも読み取れるがこの会社については残業が常態化しているか読み取れる十分な情報が無い。この会社においては日本人が雇えないから外国人を雇っているが、そのおかげで会社を維持できているという数合わせが記事内容の趣旨と思われタイトルにある残業の部分に焦点が合っていない。
次にもう1社紹介されており、こちらがタイトルの「残業断る日本人 嫌がらぬ外国人」に沿った会社となっている。
100人弱の従業員のうち、日系人や技能実習生ら外国人が50人ほどを占める製造会社。この会社も大手からの発注が月によって大きな差があり、忙しいときは残業を重ねて対処せざるを得ない。
こちらは先ほどの会社と違い“忙しいとき”に残業を重ねる必要があるとはっきり書いてある。
ここがタイトルの部分。次に
この会社が外国人を雇い始めたのは00年ごろから。「当時は日本人社員であっても、忙しい時は当然のように残業していた。でも、いつからか拒否するようになってしまった」と同社幹部は言う。
「日本人は働き者」と言われた時代は過ぎ去ったのか。働き方改革を進め、ワーク・ライフ・バランスを重視することは大切なことだろう。しかし、中小企業には「納期」という厳しい現実がある。埋め合わせているのは「カネを稼ぐために残業も嫌がらない」外国人という構図ができている。
とあり、稼ぐために来日しているので残業すればカネが稼げることが嫌がらない理由と書いてある。
この記事において1社は残業が常態化しているかどうかは読み取れない、もう1社は繁忙時に残業があると書いてあり、ブコメの「残業の常態化」は根拠が無いと言わざるを得ない。
また、ブコメには残業を(立場上)断れない、残業代が出ないといったブコメがあるがこれも否定される。
あくまでこの記事においてはだが、この記事にそういうブコメが付いてるので。
確かにリモート勤務、残業無し、上司や部下といった煩わしい人間関係無し、一人で黙々と作業ができる環境、高収入、高収益かつ欠勤や育休、病欠に備えた充分な社員数を揃えた企業勤め、こういった上級国民の方々には下々の生活が見えないので仕方ないとは思いますが、平時に必要な従業員数だけ雇い、繁忙期には残業で対応するって割と普通の経営なんですよ…。平時に人余らせると利益減るんで。クリスマスのケーキ屋とかブラックフライデーの流通企業とか知らないですか?知らないですよね底辺仕事なんて。決算期の経理部門なら分かります?あと単純に労働参加率見てもらえれば分かりますけど働いていない人がもう日本にはほとんどいません。
かつて中国人、ベトナム人を主に技能実習生として雇っていた時期は確かに低賃金が目的でしたが、そういうフェーズはとっくに過ぎています。今は人手不足で働く日本人がいないからです。もう令和なので認識をアップデートすべきですよ。技能実習生は低賃金ですが、その賃金で人が集まるので雇っているだけです。わざわざ高く雇う経営上の理由がありません。あなた方だって低賃金労働者に同情したフリしてるくせに、中小企業が賃上げしたらあらゆる商品が今の価格では買えませんが、賃上げさせるために高く価格設定すべきだし、その価格でも買うなんて言わないでしょう?
卑怯じゃないですか?今はてな―の身の回りのある商品や製品がその価格で買えたのはこういう中小企業の存在のおかげなんですよ。それを自分は全く関与していないみたいな顔して奴隷を雇ってるんだーなんて面の皮厚すぎです。
経営者もバカじゃないんで数年後にいなくなることが確実な技能実習生でなく少し高くても日本人が雇いたいんですよ。母国で研修があるとはいえ、すぐに仕事ができるわけではないので、ようやく一人前になったと思ったら帰国するを繰り返す実習生は逆に高コストってことくらい理解しています。監理費も1人当たり3〜5万かかりますし。
最後に設備投資すれば生産性が上がるのに低賃金労働者を使うことで設備投資を避けてる、というお花畑バカは死んで下さい。
設備=ドラえもんじゃないので何でも設備で解消はできません。できないものはできないし人手は低賃金あろうが無かろうが必要だから雇うんです。
中小企業は下請けが多いですが、生産に必要な設備投資をしてるから元請けから受注があるんですよ。繰り返しますがバカは死んでどうぞ。
その一つは、カラビ–ヤウ三次元多様体上のモチヴィック・ラングランズ場という概念だ。
名前だけで震えるが、実際の定義はもっと美しい。ウィッテンがかつてAモデルとBモデルのミラー対称性から幾何学的ラングランズ対応を導いたのは知っている。
だが彼が扱ったのは、あくまでトポロジカル弦理論のレベルにおける対応だ。
僕の今日の成果は、さらにその上、モチヴィック階層そのものをラングランズ圏の内部対称として再定式化したことにある。
つまりこうだ。A/Bモデルの対応を支えるのは、ミラー対称なカラビ–ヤウ空間の間に張られたモジュライ空間の等価性だが、僕はこれをモチーフの圏に埋め込み、さらにその上に弦的ガロア群を定義した。
この群の元は、単なる保型的データの射ではなく、弦的世界面のホモトピー圏を自己同型する高階函手として作用する。
つまり、通常のラングランズ対応が表現=保型形式なら、僕の拡張では弦的場のコホモロジー=モチーフ的自己準同型。もはや表現論ではなく、宇宙論的再帰だ。
午後、ルームメイトが僕のホワイトボードを使ってピザの割り勘式を書いていた。
彼は気づいていないが、その数式の背後には僕の昨日のモチヴィック・ガロア層構造の残骸があった。
もし彼がチョークをもう少し強く押していたら、宇宙の自己同型構造が崩壊していたかもしれない。僕は彼を睨んだ。
彼は「また妄想か?」と言った。違う。妄想ではなく基底変換だ。
夕方、隣人がスパイダーバースの新刊を貸してくれた。マルチバースの崩壊を描いているが、あの世界は僕の定義したモチヴィック・ラングランズ場の一次近似にすぎない。
あの映画のスパイダーバースは、厳密に言えばラングランズ群の射影的パラメータ空間における擬弦的退化点の群体だ。
僕がやっているのはその精密版。マルチバースをただの物語ではなく、圏論的自己反映構造として解析している。つまり、マーベルの編集部が無意識に行っている多世界生成を、僕は既に数学的に形式化しているわけだ。
夜、友人Aが原神で40連ガチャを外してキレていた。確率1.6%を40回引いて当たらない確率は約0.48。つまり彼は「ほぼ半分の世界線で運が悪い側」に落ちただけ。
僕はそれを説明したが、彼は「確率の神は俺を見捨てた」と言った。愚かだ。確率は神ではない。確率はラングランズ群の局所的自己準同型の分布密度だ。
もし彼がそれを理解していたなら、ピティエ=シェヴァレの整合性条件を満たすまで回していただろう。
風呂上がり、僕は再びホワイトボードに向かい、ウィッテンが書かなかった方程式を書いた。これは、弦的ガロア群における自己準同型の空間が、算術的モチーフの拡張群に等価であることを示唆している。
つまり、宇宙の自己相関が、L関数の特殊値そのものとして現れる。A/Bモデル対称性を超え、モチーフ的ラングランズ=宇宙の自己言語理論を打ち立てたわけだ。
僕の紅茶が冷める頃、ルームメイトが「寝るぞ」と言った。僕は返事をせず、ひとり机に残って考えた。
この理論を完結させるためには、時間をもモチーフとして再構成しなければならない。
時間をモチーフ化する、それは、因果律を算術幾何的圏の自己圏として扱うということだ。
人類がまだ誰も到達していない領域。だが、僕はそこにいる。誰よりも早く。誰よりも冷静に。
21時00分。僕の手元の時計の振動子が、まるでカラビ–ヤウ多様体の一点コンパクト化のように静かに揺れている。
宇宙が僕の計算を見て笑っている気がした。だがいいだろう。宇宙よ、君が自分の自己準同型を理解できる日が来るまで、僕が書き続けてやる。