はてなキーワード: 前橋とは
ちょっと街をあるけば工事中の立て看板があるし、迂回路が指示されてたりするじゃん。
知らない人についていってはいけないって指導されるけど、知らない人でも交通整理の人の指示に従わないと死ぬじゃん。
電車なんか新幹線以外交通系IC一つで全部乗れちゃうから、間違えたらどこまでもいっちゃう。
上野東京ラインなんか乗り換えなしで前橋から沼津まで通ってるから、間違えて乗って寝たらえらいことだよ。
例えば、エレベーターの開閉ボタン、漢字で「開」「閉」っていうやつがけっこう残ってる。
「閉」なんて習うのは小6だよ。
それでも小学生が都市で生きているのは、上手に周りの人の真似をする技術、適度に他人の指示を聞き、適度に聞きすぎない、そういう空気を読む力で騙し騙し、やっとこさ社会のルールについてきてる。
昔は、近所の路地や空き地で遊んで、車が来たら逃げるみたいなのどかな感じで、ゆっくりゆっくり交通ルールを始めさまざまな社会のルールを学んでいたんだけど、今は就学前に無理やり詰め込んで、字を読んだり論理を組み立てたりできない部分を、空気を読む力でカバーして生活させられてる。
書き手はどちらかと言えば表自側で記事自体は吉田恵里香へは批判的ですが
この中で加害性の言葉はないという話になるが
おそらくこの部分だろう
『恋愛しないと成長しない』とか、
『恋で人生の全てが変わる』みたいな、
以前から気になっていたんです
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中略
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コレを受けて「好きだからこそ、そのものの持つ加害性にも思考を巡らせる。執筆作に共通する優しさの根源のようにも感じる考え方だ。」と編集者がまとめる
まとめ方はそんなに外れていないように思うが、確かに「言っていない」
押し付ける暴力性があると言っているだけで、加害性とは言ってない
トンチかな
本人が「言っていること」としても
③絵だけど未成年だぞっ
この順番で語られて
ぼざろの話になり「裸はノイズ」だと語る
作者が協力的と書いてあるから
擁護側から「原作者も喜んでるから黙れ」という話がされてしまっている
あの話の本質は
原作者が否定したらば、女子に乳比べをさせて、乳揺れを描き、裸入浴を描いたのか?という点にある
覇権のためならば、女子に乳比べをさせて、乳揺れを描き、裸入浴を描いたのか?という点にある
性表現について、R18は否定しないと発言してあるが、未成年に見せるなとも発言してる
そしたらば
深夜枠で、温泉回がでてきて裸、そこで乳比べをして乳揺れする作品は
それとも降りる?
そういう話はされない
熱く語った「絵だけど未成年だぞ」とはなんなんだ?
そこの段があるのだから
当然に【許されない】としかならないはずなんだ
水着風呂にしたこと(作品に介入したことそのもの)ではなくって
あれは私の功績なんですよ
乳比べもしてませんでしたよね
乳揺れなんか子供に見せられない
って誇ったんだ
でも、ぼざろではいう
言うだけの売りが立ったからね
結果論で話してる
「覇権のためのノイズだから氷風呂は水着にしました、絵でも未成年です、性的消費はいけません」
って言ってたら、結果ぼざろがどうなったかはともかく、ある程度認めてたよ
私が介入してソレは許しませんって言うなら、思想への是々非々はあろうけれど、やり方としては一目置く
でも違うんだよ
終わってから、結果に合わせて話すんだ
思想が長々と語られて、性消費は悪いことですって良いながら
結果、スマッシュヒットした作品では「ノイズだったのだ」という
あの作品では内股とか「過剰に」可愛さを演出するの違うと、作品テーマに持っていく
でもどっちも前段で、性的消費はいけないことで私は許しませんって語ってる
その上で
とにかく臭いんだよ
高崎の街を疾走する一台のAE86。そのドライバー、タカシは、高崎名物のだるま弁当をこよなく愛する男だった。しかし、彼のライバル、前橋の焼きまんじゅう店「ウィッチーズ」のオーナー、ミドリは、焼きまんじゅうこそ至高のグルメだと信じて疑わない。
ある夜、二人は榛名山のダウンヒルで激突する。「焼きまんじゅうの甘い香りが、俺の集中力を乱すぜ!」と叫ぶタカシ。一方のミドリは、「だるま弁当の硬い米粒じゃ、スピードに乗れないわ!」と挑発する。
タカシのAE86がコーナーをドリフトでクリアするたび、助手席に置かれただるま弁当の蓋がわずかに開き、香ばしい鶏肉の匂いが車内に充満する。それに対し、ミドリのシルビアS13は、排気ガスの匂いに混じって、焦げ付いた焼きまんじゅうの匂いを撒き散らす。
バトルは最終コーナーに差し掛かった。先に仕掛けたのはミドリだった。彼女は、焼きまんじゅうの串をイメージした特別なスリックタイヤ「串焼きグリップ」を装着し、強烈なインを突く。タカシも負けていない。彼は、だるま弁当の具材をイメージした「五色ドリフト」で応戦する。鶏肉をイメージした加速、こんにゃくの粘りでグリップを高め、椎茸の弾力で車体をコントロールする。
二台はほぼ同時にゴールラインを通過した。勝敗はつかなかった。降り立った二人は、互いの健闘を称え、握手を交わした。その時、タカシはミドリに、ミドリはタカシに、それぞれ自分の愛するグルメを差し出した。
タカシはミドリの差し出した焼きまんじゅうを一口食べ、「甘くて、懐かしい味だ」とつぶやいた。ミドリもタカシの差し出しただるま弁当を食べ、「素朴だけど、奥深い味ね」と微笑んだ。
この夜のバトルをきっかけに、二人は友情を深め、前橋と高崎の食文化は新たなコラボレーションへと発展していった。タカシの店のメニューに焼きまんじゅうが加わり、ミドリの店では、だるまの形をした焼きまんじゅうが人気を博した。彼らの熱いバトルは伝説となり、後に「イニシャルD~だるまと焼きまんじゅうの夜~」として語り継がれることになった。
脚本だけ担当した虚淵玄、橋田壽賀子、宮藤官九郎、三谷幸喜などが「自分の作品」と言うのは変じゃないし、「思想を出すな」もまさに思想の押しつけでしかない。
思想を強く反映するなら、常日頃からそうすべきだし、そうしましたと販促すべきなんだよ
前橋ウィッチーズやぼざろについて、放映前に、私が思想介入しました、安心してご覧くださいと販促できるんか?
しねぇなら後から砂かけるなよって話だし
するな初手からやっておけよって話
そういう後出しの語りはやめろってんだよ
前橋ウィッチーズはSNSで変に持ち上げられてて気持ち悪かったぞ
表象はどう考えてもオタ向けで
あまりにも擁護派がずっと頓珍漢で批判者を見下したようなことしか言わないから、批判側だけどまともに擁護してみる
せめて見習え
記事用にインタビューしたものではなく、さらにぼざろのイベントではなかったため
吉田氏が持っている一貫したスタンスや主義主張を述べる場だった
そのため「覇権」や「抵抗がある」という吉田氏としてどう思っているかの表現だった
また、トークイベントという場での発言であり、記事がこの表現でそのまま世界に公開されるのは本意じゃなかったかもしれない
ソースが見つからないが、キャラデザの方も1,2年前にインタビューでノイズ発言をしている
そもそも吉田氏が「主人公の体型を変えた」というのは推測に過ぎないし、普通に考えれば制作チームで相談があったに違いない
今回のスタッフは監督が29歳で、他も30代という非常に若いチームであった
若いチームの考える新しい性表現のラインは、こういった思想になるのかもしれない
昭和・平成の発想で「ここまでOK」というのは、ぼっち・ざ・ろっく!の見込み客である10代20代には古いんだと思う
「公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗がある」
「“絵だけど、未成年だぞ”」
の文章は、「特に『前橋ウィッチーズ』のような10代の女の子たちを描く作品の場合」にかかっている
今回のカットシーンや、ぼざろの改変シーンに言ったわけではなく、吉田氏のスタンスの話だ
よく、漫画やアニメでは最初の1〜3話で「どこまでの描写があるか」を説明すると思う
個人的には主人公の風呂での描写は、漫画による「ここまでは描く作品だよ」のライン提示だと理解している
アニメ化に当たってそのラインを微調整したのだと考えられ、特にぼざろの場合は女性人気も取り込めそうだったので、ノイズとして除外したという判定だろう
ちなみに直近で言えば、ダンダダンのアニメ化で新キャラの衣装が変わって肌色面積が大幅に減っていた
せめてこんくらいまともに擁護してほしい、あまりにも低レベルで残念だ
吉田氏の思想は看過できない、理由は「面白さ」の追求とブレてるから、ぼざろはともかくいつかやらかすだろうからこのまま増長するのは怖い
一方で今回に限って言えば一番悪いのはKAI-YOU、こっちもまたやらかすだろうね(何なら狙って書くのでは?今回注目数が30倍だよ)