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2025-07-07

anond:20250707085659

そもそも増田かいてるやん。

“ま、今回は案内役が大山阿夫利神社権禰宜の方だったので、“実は、昔はここは神道神社じゃなくて不動明王さまが祀ってあったんですよ”なんて話はするわけないか”って。

最後まで文章ちゃんと読まずに勝手増田陰謀論寄りみたいに決めつけるなや。

そういう早合点と決めつけがデマの温床になるんやで。

2025-07-06

昨日の『ブラタモリ』がスルーしたこと

ここ数回の『ブラタモリ』は江戸時代に盛んだった“大山参り”の道のりをたどるという企画で、都内から大山街道を巡り、昨日はいよいよ最終目的地、大山阿夫利神社を目指すという回だった。

江戸時代浮世絵もみながら、いかに“大山参り”が盛り上がっていたか、なんて話もしながら、大山ケーブルに乗車。

途中、日本ケーブルカーでは唯一という“離合ポイント”(ケーブルの両端で繋がってる2台の車両が丁度すれ違うところ)に駅があるという“大山寺駅”で一旦降車。

車両のすれ違う様子をみたり、急斜面にある駅のベンチにすわってみたりして、そのまますぐまたケーブルカーで移動して、大山阿夫利神社の下社に参拝。

さらに登った山頂にある本社にはさすがにタモリを歩かせるわけにもいかず、スタッフと中継でつないでいた。

さて、なにがスルーされたのか。

タモリ一行が神社に参拝するシーンで、唐突に隅の方にテロップがでた。

曰く、「江戸時代には神社とともに大山寺がありました」。

日本の歴史ある寺社の多くがそうなのだが、大山というのも江戸時代までは神仏習合山岳信仰対象で、大山参りというのも、今でいう“神社にお参りする”という感覚とは少し違った。

現在大山阿夫利神社の下社がある位置には、「石尊大権現大山寺」があり、不動明王も祀られていたのである

大山参りとは、仏教とも結びついた“権現さまとお不動さまへのお参り”だったのである

だが、そんなことは全く触れないので、なんだか今も昔も神社へのお参りをしてたような印象になっていた。

明治廃仏毀釈で、大山阿夫利神社大山寺は完全に分離された。

雨降山大山寺サイトをみてみると、

幕末の大火と廃仏毀釈により廃寺の危機に陥ります神道による祭政一致王政復古を目指す明治新政府にとっては、江戸幕府保護した仏教寺院旧体制象徴にほかなりません”

廃仏毀釈により数多くの寺宝が失われ、堂塔が破壊される中、ご本尊の鐵不動明王だけは地元住民の篤い信仰に守られ、山外退去を免れて現在地に本堂が再建の後、遷座しました”

と記されている。

タモリ途中下車した“大山寺駅”は、この寺の最寄り駅だったのだが、寺には寄らず。

江戸時代に賑わった大山も、神道を中心にした“祭政一致”を目指した明治政府のせいで、なかなかに激動の一時期があったはずなのだが、そのことはテロップ一行でスルーされたのである

断片的な記憶だが、以前、高尾山にいったときには、神仏習合の名残が色濃く残る様子をみながら、“ここは廃仏毀釈を免れたんだねえ”なんて話をしてたように思う。 

からタモリ廃仏毀釈とか、そのへんの知識がないわけ無いし、番組としてそのへんの話を絶対にさけるとかいうことではないのだと思うが、ま、今回は案内役が大山阿夫利神社権禰宜の方だったので、“実は、昔はここは神道神社じゃなくて不動明王さまが祀ってあったんですよ”なんて話はするわけないか

明治維新は、日本の伝統をいろいろ破壊したけっこう過激運動だったはずなのだが、どうもそのへんはあんまり知られてないように思う。

せっかく大山いったんなら、そのへんももう少し突っ込んだ番組にしてほしかったけど、ま、紀行バラエティにそこまで求めるのは無理か。

やはり阿夫利神社権禰宜の方に出ていただく手前、大山寺の不動明王と、阿夫利神社と、両方お参りするとかは無理?

ところで、さっきwikipediaを見たら、大山阿夫利神社戦後神社本庁の傘下(宗教法人法でいうところの被包括宗教団体)にはならず、単立でやってきたのが、今は神社本庁の下にあるという記述があった。

どういう経緯があったのだろう?

そこそこ参拝客いそうだし、単立でもやっていけそうだけど。

2025-02-09

anond:20250207222804

もう30年ぐらい前になるが、巫女というか関西の某イベントなので福娘かいものに当時の彼女がなるという話で驚いた

詳しくは知らないが、美少女コンテストみたいな感じでニュースでよく流れていたか

可愛かったがめちゃくちゃ可愛いわけでもなく、写真写りがよくなかったかまさか? と思ったし、自分で応募するタイプでも他薦されるタイプでもない

よくよく聞いたら、ちやほやされすぎないほうの、笹とかさらえ売るかかりで、一応書類選考はあるようだけれど履歴書証明写真で応募するだけで、友達と一緒に受けたと

蛇足だが今はほぼ全人類写真写り悪いと思ってる。色んなスキルを持ったプロの力で凄い写真が何分の一かで表に出るだけで

結局馴染みのないイベントだったので、行かなかったのか、恥ずかしいからこないでと言われたんだったか、会いに行って一言言話したんだったか思い出せない

あと、「何さあ〜!もう」って反応は通常の巫女さんとのシチュエーションじゃない、どころかこっちが権禰宜ポジなのでめちゃくちゃ高度ですね

ガルバイベントや、それこそ風俗でのコスプレ巫女服は見たことあります

結局プレイの時ってイメージ湧かないしあったとしても伝えるのが難しいので楽しい感じにならないのですよね

かけもちガチナースさんは結構居るので、向こうがノリノリで看護師ムーブをしてくださることは沢山あるのですが何が一番刺さったかなぁ

anond:20250208224424

少なくともバイト先の神社はえちなことはまったくありませんでしたが、宮司さんがタバコ吸う時には巫女ライターで火をつけてあげなきゃいけなかったのと、くだんの権禰宜さんが「みんな可愛くお化粧してきてね」とよく言ってたのはほんのりなんやコイツらとは思っていました

2025-02-07

憧れの巫女さんバイトの思い出

学生時代の話だが、雇用期間年末年始だけのいわゆる臨時巫女バイト募集に応募したら採用してもらえた。歴史ある旧官幣大社だったのでめちゃくちゃテンションが上がった。(在学中ずっと勤めていたレギュラーバイトがすでにあったので臨時巫女の応募となった)

あっという間にバイト初日を迎えた。たしか11月の終わりくらいだったか初日神社神道のこと、神様へのご挨拶の仕方などなど、たくさんの配布資料とともに権禰宜さんからしっかりとした説明があり、なんて丁寧なんだろう、これは期待だなァ〜!とワクワクが止まらなかった。

が、次の出勤から始まったのは掃除掃除掃除である。もちろん巫女服なんか着ない。ジャージ作務衣である。自信をもって言えるが、この神社臨時巫女巫女さんをするためではなく、大掃除をするために雇われていた。たしか業務内容にも掃除って書いてたしな。ちなみにめちゃくちゃ寒い

広い境内をひたすらホウキはいゴミ、主に落ち葉駆逐していった。本殿の下の手のひら大の石が敷き詰められている場所掃除のため入れたのは非常に興味深くて良かったが。とは言え女子大生(当時)には手のひら大の石はそこそこ重く、鈍臭いのも相まって人生初の血豆が出来た。

ひたすら掃除をしたあと、退勤時間ギリギリから巫女服を着る練習が始まる。着るのは非常に楽しい問題は着た後である

しか緋袴と白衣以外はほぼ購入だったのでそれらは自分が納得するかたちで持って帰れば良いのだが、脱いだ袴は神社の持ち物なので10分くらいかけて丁寧に丁寧に畳み、畳み終わった後は常勤巫女さんを呼んで畳み方をチェックしてもらう必要があった。合否判定から大きくズレると畳み直しとなる。

しかもその場にいる臨時巫女十数人に対して常勤巫女さんは2-3人だったので、退勤時間から1時間以上経ってもまだチェックしてもらえないこともあった。もちろん賃金は出ない。まあ体験料かな...と思うことにしてやり過ごしていた。

と言うような年末を過ごし、世間冬休み開始あたりからいよいよお楽しみの巫女バイトの本番が始まった。自分たちでめちゃくちゃ掃除した境内で働くのは気持ちが良かった。

勤務内容はぶっちゃけ店番であるおみくじ対応は参拝客と一喜一憂を共有出来て楽しかった。御神酒担当も来る人来る人当然楽しそうなので非常に面白かった。

あと増田結構ブサイクなのだが、ブサイクでも巫女さん!と色んな人が優しく話しかけてくれる。少し参拝客が落ち着いて、境内を竹箒持って掃除していたら写真撮っても良いですかとかも聞かれた。人生でそんなこと聞かれるの、もう結婚式くらいしか無いんじゃないか

楽しいことだけではなく、ビビることもあった。

あの初日神道について熱い説明をしてくれていた権禰宜さん(結構なおじさん)が、奥の休憩室でみんなでふぅと一息ついていると急に常勤巫女さんの1人(めちゃくちゃ可愛い女子大生)の膝の上に「疲れたあ〜!」と言いながら座り、常勤巫女さんも「何さあ〜!もう」と言いながら膝の上の権禰宜さんの頭を撫でていた。イメクラか...!?と衝撃が走った。

大晦日→お正月にかけては夜勤があった。夜の9時から朝の6時までで、休憩は1時間だった。今夜勤ありの友人にこの思い出を言ったら「2,3時間は仮眠室で寝てるよ!?」とビックリされた。こっちもビックリした。

しかも前述の通りいわゆる店番なので、基本的に立ちっぱなしである。交代要員もいない。外に面しているので暖房もクソも無い。一応足元にヒーターがあったが焼石に水である。あと正月と言えどもさすがに朝の3時-5時は参拝客がグッと減り、ただクソ寒い場所で立ってるだけの時間が多くなって、コレが1番キツかった。隣で店番してる子との雑談も勤務中だから限界があるしな。眠気と寒さで現実景色に夢に出てきているモノが重なり(元気なモンジャラが遊んでいた)、クスリをやってる人の景色ってこんなのなのかなあと勝手想像をして過ごしていた。

地獄夜勤が終わってからは家に帰って爆睡し、昼過ぎから正月空気を改めて味わうことになったような気がする。ちなみに書き忘れていたが緋袴畳みは最初から最後の退勤日まであった。と言っても掃除期間が終わってからは同時にinする臨時巫女が少なかったので、退勤後30分ほどで畳むのが終わって良かった。いや良かったのか?

あとは1月いっぱいまで数回シフトが入ったが、とんどが終わればもうゆったりしたものだった。同じバンドが好きな臨時巫女ちゃん発見し、在学時はよく一緒にカラオケに行く仲になった。今は増田就職で出てしまったのであんまり会えていないが。

という、以上思い出でした。

学生時代しか出来ないバイトがしたかたから、この経験は良かったと思う。と同時に権禰宜さんの行動に衝撃を受けていっとき神社で心からの参拝が出来なくなったことも併記しておく。

あと神社によって全然ルールが違うはず。実際増田友人も何人か同じように巫女バイトをしていたが、緋袴畳みは無かったり、ちゃんと仮眠出来たり、掃除が無かったりしていた。なのでもし巫女さんバイトを考えている方がいれば、増田経験けが全てでは無いのでぜひ果敢に挑戦してみて欲しい。話のネタになるヨ。ちなみにお賃金夜勤分込みで平均時給800円ちょっとでした。宗教法人!!!!!

2020-09-29

anond:20200929145244

権禰宜って、ゴンネギっておもっちゃうよね

『と、風邪引きで尻穴のヌルヌルを気にしつつ尾部から葱を生やして言った』

 
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