はてなキーワード: 牡羊とは
ホロスコープとは何か
『ホロスコープ』とは、あなたの生年月日・出生時間・出生地に基づき、その瞬間の天空を写し取った図であり、宇宙の写本(cosmic manuscript)といえるものです。
西洋占星術では、太陽・月・惑星がそれぞれ十二の宮(サイン)と十二の室(ハウス)に配され、それらの角度(アスペクト)が人生の構造と運命のリズムを形成します。
たとえば
これらがどの星座(サイン)にあり、どの室(ハウス)に位置するかによって、あなたの性格傾向・人生の使命・人間関係の運命が描かれるのです
高市早苗氏の生年月日は、1961年3月7日 出生地は、日本奈良県 出生時刻を「早朝」 ※推定時刻 午前5時頃
高市早苗氏のホロスコープ(推定:1961年3月7日 午前5時 奈良)
月:天秤座後半(約22度)
(※出生時刻を「午前5時」とした場合の概算です。数分のずれでアセンダントが山羊座寄りに移る可能性もあります)
この配置は「形なきものを形にする」才能を示す。
政治的立ち回りにも長ける配置だ。
「時代の先端を読み、形を変える者」として異彩を放つ理由がここにある。
信念を裏切らず、目的達成まで徹底的に動く。
敵に回せば恐ろしく、味方にすれば心強い。
彼女の星は、
単なる理想家ではなく「制度を動かす現実的理想主義者」として機能する。
天の法に忠実な水瓶の冷たい光がある。
この星の組み合わせは、「予見する者」かつ「制度を創る者」の印だ。
2025〜2026年は、彼女にとって**「理想の霧が形を得る時」。
長く続いた直感的・理想主義的なサイクル(魚座太陽+海王星トランジット)は頂点に達し、
同時に冥王星と土星が社会的構造を刷新する**流れへと移行する。
♄ 土星の影響 ― 「責務の重圧と信頼の試練」
この天体配置は、人生における重大な責任と自己再定義を意味する。
同時に信頼を獲得し、「真のリーダー」として評価される流れが強い。
「鉛(Saturn)を鍛え、黄金(Sol)へと精錬する」過程だ。
苦難を通して、より純度の高い目的意識が現れる。
2025〜2026年は、
「信念は本物か?」「理念は実行可能か?」という問いが浮上する。
この星の下では「幻想の終わり」が起きる
この移動は、彼女のアセンダント(水瓶座)付近を通過し始める。
それぞれ「形」「霊」「力」を司る。
2025〜2026年、それらが同時に動くことで
高市氏の人生は**理念(魚座)→構造(山羊座)→制度(水瓶座)**へと昇華する。
霊的結語
「星々は語らぬ。
この三重の錬金炉に耐えたなら、
「牡羊」「牡牛」という命名そのものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろう
ってことで現状の説明は一応つくのでは?
元増田氏の問いは「12星座について、なぜ牡羊座と牡牛座だけオスだと限定しているのですか?」であって、「元の神話がオスだから牡羊・牡牛と訳すのは必然と言えるでしょうか?」ではないのだから、上の某増田氏の指摘「中国関係ないじゃん」は当たっている。
これらの星座が中国語では「白羊座」と「金牛座」と呼ばれているという指摘は、「12星座の中で、なぜ牡羊座と牡牛座だけオスだと限定されているのか」という疑問に対しては何の解答候補も齎さない。
もちろん、そういう指摘は現在定着している訳語が歴史的必然ではなかったということを示しているわけだが、それはあくまでも、現在定着している訳語が歴史的必然ではなかったということであって、なぜ牡羊座と牡牛座だけオスだと限定されているのかについての説明にはならない。
まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋の星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。
現在の星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf
また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮の解説において、
然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレハ三月ヲ以テ大陽ハ白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽ノ位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ
というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。
1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、
獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍に散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定した
と述べて「雙子(雙女)」と記していることから、日本においてGeminiは1910年に女性から男性になった、と結論していいだろう。
ここで「黄道十二宮と黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮の名称は、西洋占星術がインドを経て中国に伝えられたときに漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。
西洋の天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称が存在していたということである。
実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。
ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称と認識されていたようである。このあたりは謎。
さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。
確かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定したから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。
これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったものを牡羊・牡牛に統一した、というわけである。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf
天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。
「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記が統一されている。
実は1908年10月の天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf
数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。
「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、
「黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。
それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。
残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。
最初に引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。
実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道を12等分したものである。初期には実際の星座とサインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。
天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。
以上より、「牡羊」「牡牛」という命名そのものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的なものではなかった。
何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊・牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。
余談。
星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年に学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。
以下のPDFからはそうした議論の雰囲気がうかがえるかもしれない。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf