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はてなキーワード: 黒電話とは

2025-08-20

anond:20250820233401

例えば日本北朝鮮戦争になって黒電話の居場所がわかったとしても

B2飛ばしバンカーバスター落とすなんて世界でもアメリカしかできないし

できたとしても黒電話も移動するし

バンカーバスターもある程度までしかきかないし

スパイ暗殺現実的ではないじゃん

アメリカ対チンケなテログループくらいの絶大な戦力差がある場合しか斬首作戦って成功した例がなくない?

2025-07-08

anond:20250708093938

あいつああいう煽るのの天才から割とどころか完全計算づくしやで

商売の才能はない(親億万長者なのに破産6回)けどテレビで儲けて前回の大統領で儲けまくり

今回は完全に腐敗政治家やな

北朝鮮黒電話とかプーチンとか大好きなのはそういうこと

2025-06-24

anond:20250624100341

ろんぱもなにも黒電話と仲良くニッコニコツーショットしてただろアホ

2025-04-22

anond:20250422004156

体型は真似できるけど白髪混じりやから黒電話にはならないやで…😟

氷河期世代氷河期世代は働くのに必要スキルは全部身についてる!わかりやすく言うと黒電話からスマホまで使える!」

https://x.com/estaleena/status/1913580947074580829

やっぱり氷河期世代って無能から落ちぶれてるだけなんだな

2025-03-19

手書き黒電話時代アメリカ探偵小説やらが持て囃されていた気がするが、たぶん現代で言うアップルのようなもので、当時は斬新だったんだろう

そのあと片岡義男とかが半和製アメリカノスタルジーバイク小説を書いてた

しか大統領選投票日ぐらいしか報道されてなかったし、アカヒロシア政情の記事をばらまいていた(たぶん米軍むけ報告)

本屋で買える輸入雑誌TIMEぐらい、ジャパンタイムズ英語は変だった

それからビデオデッキができて字幕映画が見れるようになり、洋書販売ももポツポツ増えて、スポコ漫画じゃない大友克洋とかが現れた

インプットがなきゃ、アウトプットももできないよな

で、ビデオテープが今年で終わるんだって

忘れてたけど持ってるかも

2025-03-07

anond:20250307111743

ポケベル以前の公衆電話黒電話時代の人なんかもめっちゃ数字覚えるの得意そう

そういう環境だと覚えるしかいから覚えるようになるんかな

2025-03-05

anond:20250305192756

核兵器ないと人権ないのはトランプ証明しちゃったからなあ

黒電話が正しかった

そういえば仲良かったな

2025-01-11

ALPS処理水放出反対運動北朝鮮扇動してたそうな

まりあれに賛同してるパヨは北朝鮮の犬ww

まさに肉屋に媚びへつらう豚www

黒電話のケツ穴舐めるパヨwwwww

2024-12-02

スゴイいいこと思い付いたんだけど

サザエさんって普通に実写ドラマにしたら面白いんじゃない!?

あんまりドタバタすぎて現実味いかな?

アニメだと今見たら違和感ある時代感(黒電話とか)も

あんがい実写ドラマにしたら、すんなり当時の暮らし的な感じで観られるだろうし面白いかも知れない。

長寿人気アニメなのにドラマ化しないのは逆にもったいなくない?

サザエさん人気の俳優さんで実写ドラマ化したら絶対面白いと思うし

よりぬきサザエさんも爆売れすると思う!

サザエさんの実写ドラマ化いいと思う!

2024-11-27

町中華は生き残っているが町蕎麦屋絶滅危惧種

一昔前までは、俺が知る限り関東地方の近郊住宅街には必ず一定範囲蕎麦屋があった。「更科」「砂場」「藪」などの屋号を受け継いだり、「長寿庵」のような「〇〇庵」という蕎麦屋一定地域内に一軒は必ず存在していた。

笑点小遊三師匠がよくネタに使うカツ丼もここから来ている。

実際には警察逮捕した容疑者カツ丼振る舞うことはないが、20世紀刑事ドラマや2時間サスペンス容疑者が近所の町蕎麦屋から出前されたカツ丼を食って自供するとういうフィクション定番ネタであった。

かつて各地域住宅街存在した町蕎麦屋は、麺類ならきつね、たぬきは当然としておかめ天ぷらカレー南蛮、鴨南蛮、など各種日本麺類蕎麦でもうどんでも出前しただけでなく、ラーメンタンメン味噌ラーメン、五目ラーメンなど日式中華麺類各種は必ず備えていた。丼物は上述のカツ丼は当然として親子丼天丼玉子丼、カレー丼、牛丼メニューにあった。カツライス(トンカツ定食)や生姜焼き定食アジフライ定食なども安価だっか。黒電話で出前を頼むと若い店員スーパーカブに乗って銀色の箱から麺類丼物定食も迅速に届けてくれた。ウーバーイーツとか現在配達サービスより迅速で丁寧だった。

2024-11-01

anond:20241101133027

いやごめん、家の電話器の話

当時はまだ黒電話の家も結構あったか最先端なんだろうけど、マジでブロックみたいなクソデカ受話器なのよ

URL貼ってくれた携帯電話も今見ると「通信兵かな?」ってなるわ

2024-10-27

anond:20241027103950

沖縄で1万数千人、東京大空襲とかちゃんと裏付けのある話してるのに

黒電話とかプーさんお気持ちを表明するのやめてもらえますかね?

2024-09-19

anond:20240919082137

若いころという昔話でもスマホが出てくるあたり俺もほんと年取ったなぁと感じる

俺のころの若い頃はまだ黒電話だったしなぁ

2024-09-03

祖母の好きなひと

わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。

母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。

そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。

玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話どんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。

そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。

良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。

わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。

「私はあの家で幸せに育ったんだから!」

「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」

これが母の口癖だった。

なんだか母はわたし実家より自分実家の方がずっと好きなようだった。

というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然きじゃないだけかもしれないとも思った。

わたし高校生の頃、祖父祖母が同時にボケた。

すぐに徘徊暴言が始まり祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父おむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。

母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。

そのうち精神的に限界が来てわたし愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。

わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。

その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。

葬儀には祖母も訪れ、自分名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母祖父遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。

それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。

そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。

それからすぐに母の実家リフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたし実家味噌汁匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。

何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。

わたし新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。

もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。

そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。

【⚪︎⚪︎トヨコ様】

トヨコ(仮名)は祖母名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。

中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。

【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います

数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。

「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」

こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。

手紙燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。

それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。

その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。

いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。

その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。

「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」

母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛祖母故郷だった。

帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。

家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカン遮断器煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。

「おばあちゃんねえ、好きな人がいたんだって

わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。

「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃん結婚したんだって

「へえ」

「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」

「うん」

「お父さん優しかったし、お母さんは愛されてたから」

「そうだね」

わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。

その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。

数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。

私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。

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