はてなキーワード: あいりん地区とは
昔は沢山いたよね。汗だくのくっせえ労働者。風呂入ってるのかさえ怪しい奴ら。
ソイツらが中学生でも出来るようなレベルの仕事で生計を立てて、川の水使ってるような屋台で呑んだくれることに人生の意味を見出すこと、それが許されていた時代があった。
今はもう無理だよな。この時代じゃそういう連中はあいりん地区の奥深くでさえ別の弱者に追いやられてそうだ。
たとえば電車にくっせえ奴が乗ってきたとき、本当に目立つんだよ。「令和社会から外れた人間」はもう駄目なんだって驚かされる。バッグからはみ出た「福祉に繋がった証拠」みたいな小冊子に虚しさを覚える。役所が税金使って社会に繋ぎ止めようとしても、たった1日か2日風呂入ってねえだろうってだけでここまで社会からハズレ切っちまうのかと。
昔だったら偏差値40のIQ80ぐらいで済んだ人がさ、今の社会じゃ偏差値20のIQ40って感じなんだよ。要は「それなりによくいるレベルの馬鹿」で済まなくて「言っちゃ悪いがもう死んでもらうぐらいしかないかも知れないぐらいの知的障害者」みたいな状態に陥るんだよな。
本当にさ、この時代が万人に求める水準の高さには驚かされる。大雨の日にレインコートを羽織って荷物を届けに来た配送会社の兄ちゃんに対して感謝より先に「(くさすぎだろお前・・・臭いが移るからさっさと置いて帰れよ)」という気持ちが先に出てきたとき、俺は自分がこの時代に毒された怪物になっていたことに気付かされたよ。
戦時中、兵役を逃れた軟弱者がいる家は徹底的に差別されたから怖いですねと終戦シーズンになると語る人がいるが、形が違うだけで今の時代も「この時代にふさわしいレベルの能力がない人」に対しての苛烈な差別は行われているよ。
電子機器に弱い老人が駅のホームやスーパーが立ち往生している様子に「本当に迷惑だね早く死んでよ」という目を向けられる世の中、そんな時代を生きる多くの人が「この時代はモラルに厳しいポリコレ社会だわ」と考えている。俺には「大した余裕もないくせに意識ばかりが高まった超相互不寛容社会」としか思えないよ。トランスジェンダーとかへの寛容さだって、結局は「意識の低さへの不寛容」による副作用でしかないんだと俺は感じる
わかってないやつなんて日本の大人でもごまんといるはずなんだから笑われる筋合いない。
中高一貫からの難関大学、エリートな職場と来てきて周りをずっと優秀なれんちゅうで固めてきたから認知歪んじゃないのか?
もっと下々がどのレベルなのか世間を見てこい。あいりん地区でも行っとけ。
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「さす九」や「ウンコだけ」が何を目指しているのかを理解してない人達が多すぎて目眩がする。
センセーショナルな意見によって社会に現状を訴えかけることで、まずは皆に意識を向けてもらうのが重要なんだけど、そこが伝わってないみたい。
「日本死ね」と構造的には同じで、正しい間違ってるは後回しにしてとにかく「そんなに言うなら本当に女性差別があるのか調べてみよう!」ってさせるのが目的なんだよ。
そこから芋づる式に現状について理解を深める努力もせずに「九州の女性は別に身長が低くないよ。はい論破」で終わらせる。
それにまんまと踊らされてることに恥とか感じないのかな?
ユニクロが「僕達は別に発展途上国を奴隷扱いしてないよ。現地の賃金レートで考えれば十分な待遇だけど?(ゆうてあの国で平均レベルの暮らしなんて日本で言えばあいりん地区レベルやけどなブヒャヒャ)」と語るのを鵜呑みにするような状態だね。
本当に何の成長もしてない。
成長する気がない。
自分に都合が良い現状を変えないためなら、その下に誰が犠牲になってても関係ないという顔をする。
そういう人種なんだね。
結局さ、税金使ってまで貧乏人共にガキをこさえさせるのって「将来の労働力確保」が目的っしょ?
でもAIとロボットが発展していって低レベルな労働力は代替できるようになっていってるんだろ?
ファミレスのネコロボット、工場のロボットアーム、エクセルマクロで事務員リストラ、ちょっとずつだけど最低ランクの労働者は社会から追放されていってるよね。
まあ今は運送業界っていう受け皿があるんだけど、ここも自動運転やドローンであと20年って所だよね。
つまりさ、底辺人材の受け皿の「底が抜け続ける」のに終わりはないってこと。
20年後なんてまだまだ先の話だけどさ、今作らせている子供が労働力になるのがちょうどそれぐらいだよね。
そのタイミングになって「あっ、いらなくなったわメンゴメンゴ。社会の邪魔だからあいりん地区にでも引きこもって野垂れ死んでね~~~」なんてさ、政府は平気で言うんじゃないかな?
「年金も払ってきてない純正ニート共なんぞを支援する金があったら年金をあげろー!」みたいにさ。
とんでもない無能でも今の時代ならまだ金持ってる老人の話相手になるぐらいには使えるけど、それでさえも20年後のチャットAIを相手にしたら分かったもんじゃないよ。
人口の維持が目的にしたって日本の大きさ考えたら7000万人ぐらいでよくね?
日本という国を支えているのは単民族性だって言うけど、どっちかというと地域の空気感だと思うんだよな。
DNAが人格に与える影響力より空間が人間に与える影響力のほうがやっぱデカイと思うわけ。
貧乏人に無理に子供産ませるよりもさ、そこそこの移民が流れ込んでくる機会を増やしたほうがええんとちゃうかね。
マジでさ、無理して子供増やすことのみを目的にする社会じゃ20年後に上手くいかなくなるって。
20年後に考えても既に生まれてしまった子供の人生に誰が責任持つ気なんだろうな。
凄い勝手だよな。
射精に責任があるなら子供を産むことの責任はどれだけあるのかって話だろうに。
「俺達の将来の年金になるために頑張って働けよ」って言い続ける社会でも、本当にソレが必要としてるならまだいいよ。
でもさ、「AIが発達したからもう要らないわwwwバカは迷惑掛ける前に死んでねwwww」を何千万人単位でやるつもりかも分からん社会は流石にヤバイだろ
たぶん、彼らが許される世であって欲しいと思っているんだと思う。その願いと、そっちの世の中のほうがなんだか楽しそうだという希望を見出してんのかな。錦鯉が好きな理由を考える時、西成あいりん地区の三角公園を思い出す。どんなに治安が悪くて、どんな人相の人がいるんだろうとか思って行ったけど、公園で過ごしている人たちは朝っぱらから発泡酒を飲み、チューニングのあってないギターを弾き、踊り、その脇でボールもないのに全力でピッチング素振り(バッティングじゃない)をし、事情はあるにせよ彼らはかなり幸せそうにみえた。私にとって錦鯉は、三角公園でみたあの光景に近く、彼らが注目されている現状は三角公園に沢山の観光客が集まっている様子を想像する。あの空間はあのまま保たれていて欲しい。西成あいりん地区でおっさんが昼間っからピッチング素振りをしていることが許される世の中であって欲しい。
先日、空気階段もぐら、ニューヨーク嶋佐、トマホーク坂井が「ボクらの時代」に出演していて、坂井が「結局、何かで抑圧された人が自己解放のために芸人やってる人がほとんど。俺はおやじコンプレックスだと思う。おやじの人生みたいになりたくない」と言っていたんだけど、芸人に限らず人は自己実現とか自己解放とかなんやかんやできっかけや理由、目的を求めるもんだと思う。元々あるのではなく能動的に探す、見つかる。でも彼らはずっと受け身。野心や頑固さ、見栄、敵意などの突き動かすような大きな意思を感じない。そりゃM1の優勝を狙っているくらいだから無いわけではないと思うけど、熱すぎることもなくかといって冷めすぎてもいない。2人が出演したしくじり先生で、優勝を逃した2020年M-1を「僕たち2人に、人生で初めて悔しいという気持ちが芽生えた。しかもその悔しさはどんどん増した」と(主に渡辺が)振り返っていて徹底的に情けないと思いつつ、その情けなさを恥を忍んで言えるおじさんたちにちょっと胸を打たれた。
「誰も傷つけない笑いなんてものは本当に存在するのか」というテーマを一人遊びのおもちゃにしていた時期があったんだけど、表現をする人は常に誰かを傷つけるリスクがあり、たとえどんなに気をつけていても知らないところで見知らぬ誰かが傷つき不快な思いをしている可能性は捨てきれない。実際にミルクボーイのM1決勝ネタをみていた友人が「モナカってチョコモナカジャンボのこと?」と彼氏に聞いたところ「最中も知らねえのか」と随分バカにされ傷ついたみたいなことを言っていたし、さっきの三角公園の話も、きれいなところだけを観てわかったような態度でいるよなと自分自身で思う。
私は2020年M-1の錦鯉のネタ「パチンコ」でソファから落ちるほど笑ったんだけど、何が痛快だったかっていうと、パチンコに行ったことない人にとって、まさのりのあの顔が初めて見る「パチンコ台」になったこと。パチンコを知らなくても笑えるネタは、本当の意味で誰も傷つけてないし、置いてけぼりにもしてない。ネタを見ている人が例えパチンコを知らなかったとしても、誰からもバカにされないように、まさのり自身がパチンコ台になってくれる。錦鯉は、バカ担当まさのりさんがこの世の全ての"傷つき"を一身に背負ってくれてるんだと思う。「どうせみんなこうなるんだよ」「からっぽだよ」と冒頭から徹底的に自分を下げ、コンプレックスを持つ人たちに対して「俺のほうがもっと下だから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれる。だから私は錦鯉のどんなネタも安心して観ることが出来る。一番好きなネタは「数え唄」です。