はてなキーワード: スタジオカラーとは
ジークアクスは、アイコニックで即効性のある(インスタントな)ビジュアル、演出、シナリオ表現を多用しており、その密度ゆえに観る側に強い情報負荷を与える。結果として、視聴体験がどこか疲れる。(これが楽しいというのも勿論ある。)
鶴巻監督(スタジオカラー)の作品だなぁという強い印象を受けた。
ターゲット層についても、既存ガンダムIPが想定してきた年齢層よりも幅広いリーチを狙っているように見える。(最初はみんないってたよね)
物語構造は「少年少女のミクロな視点」と「政治や戦争のマクロな視点」「世界の構造(並行世界)のメタな視点」の交差という、やっぱりちょっとカラー味のつよい構成で、この両視点の深部に迫ろうとすればするほど、初代ガンダムをはじめとした旧作の知識が避けられない要素となってくる。
しかし、仮に初代の文脈を充分に理解し踏まえていたとしても、本作はメッセージ性や語り口においてはまったく別の作品であり、その味わいは異なる。
初代ガンダムが持っている富野的メッセージ性を渇望すると損をするので注意が必要だとおもう。
全体として、ジークアクスはガンダムという巨大な文脈を土台にしながらも、独自のスピード感・刺激性を優先しており、それが逆に“観る者がキャラクターの内面に入り込む余白のなさ”や、“作品と視聴者との信頼関係の築きづらさ”に繋がっているという印象も受ける。
(自分にとっては鶴巻キター!なのである意味信頼通りでもある)(ガンダムが好きな自分の気持ちは少し蔑ろ)
ここまではなんか全体の話。
ジークアクスは物語構造上、キャラクター同士のコミュニケーションに“余白”を設けているように見える。だがこの余白すら、どこか違和感を伴う。
というのも、その会話の多くが象徴的・記号的な文脈で構成されており、キャラクターが“語っている”というより、“意味を演じている”ように見える。これが作品全体に、アイコニックでインスタントな印象をさらに強めている。
少年少女の造形ややりとりにはそれほど違和感はないが、対照的に“大人たち”がガンダム世界にしてはどこかだいぶ幼く見える。これはキャラクターデザインの印象と、言葉遣いや立ち位置の“象徴性の強さ”が作用しているように思える。
また、主軸以外の登場人物たちは非常に簡素に処理される。結果として、視聴者によっては極端に記号的に消費されるキャラクターも出てくる。
もちろん、あらゆる物語が多かれ少なかれそうした構造をもつものだが、この作品においては特にその“設計図の線”が強調されており、それを構造的に“意識させられてしまう”。ここが、観ていて妙にキモい。
マブという設定の印象付けと演出の作為性で、後半に差し掛かっても変にキャラクターは2人セットで見ることを強制される感覚がキモい。
この「キモさ」は、作劇の設計意図とキャラの生っぽさが乖離していることへの本能的な違和感とも言えるかもしれない。意図や象徴は感じ取れるが、なぜかキャラクターに“自由”がない、そんな窮屈さがあ...る...かも。個人的にはもっとマクロ構造の方の強さをもぐもぐしたいんだけどな。
セカイ系っぽい感じが強くなるオチだと少し辛い(ガイナすぎる)から嫌だなと思いつつ、自分はニャアンが好きなのでもっと活躍してほしい気持ちです!
おわり
ガンダムジークアクスの、マチュの相棒ロボとシュウジの(今はニャアンの)相棒ロボ、こいつらの癒し効果が半端ないです。かわいいです。こいつらがいなかったら視聴を継続できていなかったかもしれません。
公式ページをみたら、キャラクターのページではなく、メカのページに載っていました。
https://www.gundam.info/feature/gquuuuuux/mecha/
ひとまず本編は9話まで観ましたが、このお話をちゃんと理解するのは、初見では不可能のようです。サンライズとスタジオカラーが一緒になって作った意欲作、ということぐらいしかわかりません。意欲作なのかどうかも知りませんが。
ニャアンはどうなるのでしょうか。わかりません。とりあえず殺されなくてよかったなと思います。マチュと醜い殺し合いとかにならないといいですけど。あのエヴァみたいなモビルスーツに乗ってマチュを追い地球へ向かうのでしょうか。わかりません。
ララァという重要らしい女性も出てきましたが、ただの新キャラにしか見えません。彼女以外にもいろいろなキャラが皆「御存じの」といった顔をして現れますが、言われないとわかりません。
キラキラってなんでしょうか。わかりません。才能のある人間にしか見えず、キラキラが見えると凄い力を発揮することぐらいしかわかりません。7話でキラキラのなかに吸い込まれていったように見えたシュウジは、どういう原理でああなったのでしょうか。わかりません。
あと、マチュのお母さんが不憫で仕方ないです。故意かどうか微妙であるにしろ、凶悪犯罪に手を染めてしまった娘、しかも行方不明で安否不明、可哀想です。マチュのお母さんはどうなるのでしょうか。わかりません。
ところでコロニーでみなさん爆発をかましまくり暴れまくっていたのは、相当な事件だと思いますが、後処理はどうなっているのでしょうか。わかりません。
エヴァの初号機の顔から触手が出るとかはないけど、表現として人造人間とMSの違いってあると思うんだよ。
MSのマスクの下から気色悪い触手が伸びてって整合性がとれない表現になんの意味があるのかと。
これが人造人間なら生体的な触手も理解できるけど、MSはただの機械だろう。人間っぽくする意味もない。
誤解してほしくないんだが、気持ち悪いと感じるのは俺個人の感性だし、それに従えと思ってるわけでもない。
ただ作中表現としてガンダムというよりはエヴァ寄りだろうと感じるということ。
ガンダム視聴歴は鉄血と水星のみで、宇宙世紀は見たことがなかった。
前情報として「シャアが出てくる」「宇宙世紀が別展開になったif」ということだけは知っている状態で観始めた。
新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめますよみたいなこと言ってる人いたんだけど、あれは嘘だったようです。嘘つくのやめてもらえませんか?
1話:いきなり総集編が始まったかのような印象。カットの入り方にかなりの違和感。映画を再構成して圧縮しているからか、劇場版未視聴にとってはかなり違和感のある入りになっている。鉄血も水星も1話の出来が良く、推しの子とかウィッチウォッチとか1話はキャッチーで収まりが良いものが多いから、いよいよ違和感が強かった。コロニー内遠景など、作画はきれい。
2話:全然意味がわからず、途中で視聴を止めた。YouTubeのガンダムチャンネルで無料公開されているファーストの1話を見た。これでこの作品が何をやっているのかが初めて分かった。ファースト1話を見てからジークアクス2話を見る面白さを100としたら、ファースト1話を見ずにジークアクス2話を見る面白さは5とか1とかだと思う。
3話:確かマチュがシュウジの全財産を水路?ドブ?に落としても謝りもしないで「クラバやろー!」ってなってた回。怖っ…となった
4話:1児の母、すぐ死んだ…。あとマチュがシュウジに一目惚れしてほとんど経ってないのに殺人にまで追いつこうとしている感情に引いて笑った
5話:発熱しているシュウジを見下ろしてニャアンが顔を赤らめたあと、下着姿になりだしたのが本当に!本当に意味わからなかった。あとニャアンが人殺してて笑った。ファーストの1話で爆破の衝撃でモブが地味に死んでしまう描写の生々しさ、人体の脆さと比べて、ジークアクスの死って軽くてギャグっぽいなと思った
6話:何があったんだっけ?
7話:メインキャラクター誰も好きじゃねえ…となった回。新キャラが出てきて名前も覚えないうちにすぐ死んだ。シャリアが新キャラを殺すキケロガの動きが美しくて、この戦闘のシーンが好き
8話:アップルパイ、ケーキ、毒ケーキ1、毒ケーキ2、毒ケーキ3という流れに笑った。毒同期がレーザーで死んだときも「ニャアンがまた殺した!」って笑った。これギャグアニメなのかって思った。前半のシャリアの戦闘がやっぱり良かった
以上が観た感想。何も心に残らないし、マチュがじわっと嫌になって、7話以降ニャアンもじわっと嫌になって、キャラクターが死ぬ描写が声出して笑えるという露悪体験になってる。
あとキシリア暗殺計画の前に、勢力図みたいなものが全く意味わからんと思って、ファーストの地球連邦VSジオンという設定、ダイクンの息子のシャアとザビ家の因縁、ザビ家内の権力争い、みたいな説明も読んだ。読まないとマジで意味が分からなかったから。
感想をXで見ると、ファーストのオマージュがここにあった、Zのオマージュだ、エヴァだ、と他作品との共通点を示しているだけの内容がバズっていて、ジークアクスという作品は暗記科目の試験会場なんだろうかと思った。
試験範囲はファーストだったり、Zだったり、ZZだったり、スタジオカラーが関わっているからエヴァシリーズだったりもするらしいです。知るかよ。
アニメって覚えゲーなの?「バスク・オム!」「ここがオマージュだ」っていうのが好意的な感想のほぼ全てになっていて、旧作品群に出てこない新キャラの行動については基本的に叩かれてばかり。
急に横で服を脱ぎだして下着になるとか、意味がわからないし不気味なんだよ。ニャアンがシュウジのこと好きでも、友情しかなくても、どちらにしろそうはならんだろ…ってなる。
マチュ役の人が前にフォスフォフィライト役をやってたらしいけど、「格好良くてすごいことをやりたい」「大きなものを追いかけて近くの人の扱いが雑になる」みたいなとこはマチュと初期フォスで似てなくもないなと思って。
でもフォスは分かる~!!フォスの周りのストレスも分かる~!!ってなるんだよな。そしてマチュは気持ち悪いの。
いっぱいオマージュを詰め込みました、元ネタは何でしょう!という、深夜から早朝のXで開催されてる早押しクイズなんじゃない?
戦闘の作画はきれいで、特にキケロガは観てよかったなーと思ったんだけど、作画技術の進歩以外で良いところって何かある?
(作画技術の進歩はファースト1話と見比べたことでもすごく感じた。でもジークアクスの死は数字とギャグで、ファーストのモブの死亡描写のほうが笑えない生々しい死だったんだけどね)
キャラクターどいつもこいつもよくわからなくない?そうだ、最新話でエグザベ君が同期全員毒殺とレーザー蒸発で全滅した直後に「窓が大きいなあ」って言ってニャアンの才能トークしてたのもなんか気持ち悪くて面白かった。
声優の人って理解して演じられてんのかな?どういう人たちがキャラクター作ってんの?やべえやつ、しかもカリスマ性があるとかじゃなくてなんか一言で言葉にいい表せない気持ち悪いタイプのやべえやつしかいねえ…としか思えないんだけど。
シャアが出てくる2話を理解するためにファースト1話だけ見た立場だから、オマージュ元早押しクイズには参加できないし、そうなると新しい要素を楽しめるかだけになってくるんだけど、
キャラクターが見事に内面…?行動や発言…?が気持ち悪くて、さすがについていけなくなってきたので切ります。フォスも宝石なんだけどね、なんかジークアクスのキャラクターってプラスチックとかでできてそう。
「キケロガまとめ」みたいな動画がYouTubeに出てるからそれだけで良いやと思う。
これエヴァ(新劇場版をアマプラで観た)の感想と同じだった。気に入った使徒がいて、その変形シーンがYouTubeにアップされてて、それだけ観りゃいいなと思ったんだよね。
カラーが作るストーリーとキャラクターは破綻していると思う。特にキャラクターの中身がすごく気持ち悪い。だから死んでも「ジュッと蒸発して草」みたいな感想しか出てこない。
人物は本当に気持ち悪いけど、物体が変形するシーンの作画だけは良い。機械・物体が得意なアニメスタジオだと思う。
追記:
トラバはそうでもないけどブコメに内容を読めてなくて単語に反応しているだけのやつ多くね?
とりあえず「バスク・オム!」って言っとけばいいSNSノリと結局同じなんだなとしか思えないんだけど
あとファーストは教養だみたいに言われても59歳の監督が親より年上なので観てないのが当たり前です
フリクリもウテナも観てねえよ知らねえよどんだけ古いアニメのオマージュ多いんだよ
とりあえず新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめるというのは噓ですよね
https://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2025/05/22/073211 の要約
大学時代には、ガンダムによって困難を乗り越え、何とか大学を卒業できたという経験もある。
ある意味、ガンダムのおかげで命拾いしたと言えるかもしれない。
特に、新作の『GQuuuuuuX』には「戦後の描写」を期待していた。
多くのガンダム作品が戦時中や開戦直後を描く中で、意外と戦後をちゃんと描いたガンダムは少ないと私は思っている。
『機動戦士Zガンダム』や『機動戦士ガンダムZZ』、『機動新世紀ガンダムX』など、既存の戦後を描いたとされる作品についても、その描かれ方は様々だ。
私の人生は修羅場であり、人が偶然ランダムに死ぬという感覚を知っている。
だから、戦争直後の混乱や無法地帯を描いたガンダムが見たかったのだ。
しかし、『GQuuuuuuX』はそうではなかった。
第7話を見て、全体として昔のガンダムの要素、
例えばモビルスーツやメカを現代風、特にスタジオカラー作品のようにアレンジした、どこかで見たものの安全な羅列であると感じた。
まるで安牌ばっかり切ってる麻雀のようで、なんの面白みもない。
物語の展開においても、男女関係の分かりやすい恋心や別れ、戦闘状況の説明が「説明セリフの羅列」となっており、これを聞くのは苦痛でしかなかった。
何の感情も込められずに状況や行動理由を説明しているだけでは劇にならないだろう。
コロニー内でビームが飛び交い、モビルスーツが派手に爆散する派手さの割に、
怪我人や建築物の倒壊描写がほとんどないことに違和感を感じる。
『機動戦士F91』であれば、もっと派手にモブが死んでいたはずだ。
スタジオカラーの「いつもの手癖」である、残虐なバトルシーンに明るいポップソングを流す演出もそうだ。
これは戦闘の怖さを脱臭しようとしている、自信のなさの表れではないか。
コロニーという設定に関しても、直径や回転速度による遠心力の説明があるにも関わらず、
謎の大穴ができてもキャラクターがあっさり通り過ぎる描写に対し、危機感のなさや背景構成の違和感を指摘せざるを得ない。
「戦中戦後の不潔で無法な日本的戦後なんて誰も見たくない」という方向性を選び、安全なガンダムであった。
これは株式会社BANDAI SPIRITS ホビー事業部のプラモデル販売CMフィルムのように見え、
ガンプラが兵器ではなく、女子がインスタ映えする写真を撮るためのアイテムのようであるという皮肉も言いたくなる。
私の人生の皮膚感覚、つまり人が偶然ランダムに死ぬという感覚に照らすと、
『GQuuuuuuX』のダウンサイジングされた危険描写やパロディは、安っぽすぎて吐き気がする。
総じて、『GQuuuuuuX』は、
おい、お前ら。最近ネットの片隅とか、なんかこう…オタクっぽい界隈で妙な文字列見かけないか? そう、「GQuuuuuuX」だよ。
最初は何かのエラーコードか、新手のパスワード生成かと思ったんだよ。だって「Q」のあとに「u」が6個だぜ? キーボードの上で猫でも寝たのかと。タイプミスにしては妙に見かけるし、ちょっと気になって夜も8時間しか眠れない。
で、俺なりに考察してみたわけ。
説1:新手の飯テロ説
「G」は「グルメ」、「Q」は「級」、「u」の数はうまさの段階、「X」は「未知の味」…みたいな?
つまり「GQuuuuuuX」は「超絶うまい未知のグルメ」的な?
説2:某巨大ロボットアニメの新作説
「G」はもちろん「ガンダム」。じゃあ「QuuuuuuX」は?
…なんか必殺技っぽくない?「クゥゥゥゥゥゥエックス・バスター!」みたいな。
「Q」が「クアンタム」で「u」がエネルギー充填、んで「X」で発射!みたいな。
…うん、これも違う気がしてきた。中二病が爆発しすぎだろ俺。
説3:実はアレのアナグラム説
「GQuuuuuuX」を並び替えたら何か意味のある言葉になるんじゃないか?
…と思って色々試してみたけど、俺の語彙力じゃ「QGUXUUUUU」とかにしかならなかった。誰か得意なやつ頼む。
説4:新種のプログラミング言語説
GQuuuuuuX { print("Hello World") } みたいな。
いや、読みにくすぎるだろ。却下。
…とまあ、色々考えてみたけど、結局よくわからん。
お前らはこの「GQuuuuuuX」が何だと思う?
(追記)
読み方は「ジークアクス」。スタジオカラーとサンライズの共同制作で、監督は鶴巻和哉氏、脚本に庵野秀明氏と榎戸洋司氏が名を連ねているようだ。2025年の最新アニメで、テレビシリーズは4月8日から日テレ系で放送されているらしい。プラモデルも出るみたいだな。
そして、ちょっとその「ジークアクス」とやらが気になってきたじゃねえか…。
ジークアクスに負けてしまった――この事実が、どうしても悔しくて仕方ない。
サンライズが誇るガンダムという金字塔が、今、スタジオカラーによるエヴァンゲリオンによって“戦争”に勝ち、ガンダムをさらっていったかのように見えてしまう。私たちはその暴挙を前に、ただ立ち尽くすしかない。蹂躙されるのを傍観するしかないなんて、こんな屈辱があっていいのだろうか。悔しさで胸が引き裂かれそうだ。
シン・ゴジラが震災後の日本で新たなゴジラ像を提示して喝采を浴びたのは、確かに素晴らしい出来事だったし、特撮のリブートとしてウルトラマンや仮面ライダーへ広がっていくのも一理あると思う。けれど、ガンダムは今もなお多くのファンが愛している“現役”の作品だ。初代ガンダムが礎となり、近年ではサンダーボルトのような初代のアナザー作品も出てきて新しい視点をもたらしてきた。その長い歴史や積み重ねを、ただ“フリーライド”するだけの口実にされるなんて、考えただけで腹立たしい。
かつてサンライズの名を消し去ろうとしたバンダイの動きや、スポンサーの論理に振り回される現場を想像すると、憎しみが募ってしまう。富野監督が抱え続けてきた苦悩や、商業主義に対する怒りが、今になって痛いほどわかる気がする。私たちが愛するガンダムが、資本の力に絡め取られてしまったようで、ただただやりきれない。
ジークアクスという存在は、その絶望の象徴みたいに感じられる。リブートや新生の名の下、実際には“ガンダム”が築いてきた巨大な資産を都合よく食い荒らしているように思えてならないから。もちろんビジネス的には正しい選択なのかもしれない。でも、打倒エヴァンゲリオンと思っていた富野監督を始めとしたサンライズの作品群やガンダムの積み上げてきた新しいガンダムを産むという試みを踏みにじるようなやり方には、怒りや悲しみを隠せない。
結局、私たちが見たいのは、歴史あるガンダムの“誇り”をしっかり受け継ぎながら、新しい時代や状況に真正面から応えていく作品だと思うんだ。そこを無視してしまえば、それこそ“ガンダム”そのものがどこかへ連れ去られてしまうことになる。スタジオカラーのエヴァが勝者として君臨する現状は、もはや私たちの手の届かない場所で進んでしまっているのかもしれない。だからこそ、あまりに無力な自分たちが情けないし、何かしら抵抗したくても、ただ見ているしかないのが本当に悔しい……。
せっかく浄化されたと思ったのに、なぜ戦争を仕掛けてきたんだ。またエヴァンゲリオンも庵野秀明もファンにも失望させられた。しかしそんな世界で私たちは、生きていかなければならないのだ。
そもそも政治話に関わらず常識が生まれつき構築しづらいせいでやらかして会社から処されてるぞ
書き出したらキリが無いがここ10年くらいのだと、