はてなキーワード: 徒党とは
YouTubeの「精神科医が語るサイコパス」的な動画で「サイコパスは器質的に他人の感情に同調できない。だから他人がどうでもいい」などと言われていて笑ってしまったのだが、その後の論調が終始「恐ろしいサイコパス」「どう対処するか」という感じでめちゃくちゃ恐れられていて、「そんなに怯えなくても」と少し思ってしまった。
他人をどうでもよく感じてしまうのは俺もそうだし、面白いなこいつと思い仲が良くなるタイプは大体似たような人の心が無い人間なので、多分俺たちはサイコだと思うのだが、別に他人を傷付けることや犯罪に興味があったことはない。どちらかといえば、「みんなこんな事で傷付くのか?」といううっかりの方をやりがちだった。今は普通の人がどう振る舞うか分かっているので、そんなことは(なるべく)しないが。
嘘を付いて他人を操るとか、魅力的に振る舞うというのは、別に良心の呵責があるかないかで行われるものなのか?俺は他人を操る事に罪悪感は感じないが、「他人なんか操ってどうするんだ?」と思うからそんなことはしない。それに他人だって俺に操られたくはないだろうから、その意思を尊重する。人が人を操るのは良心の呵責の問題ではなく、それによって得られる利益が欲しいからだ。俺はサイコだが地位とかカネに興味がないからそういう事をしない。興味があるならサイコでなくても人を利用するし、その気があれば誰にでも訓練次第でできるはずだ。
その攻撃性はサイコ器質の生み出すものではなくて、誰か(ここではサイコパス)を「われわれ」とは違う「あいつら」と命名することで排除してもいいものと集団的に定義する「普通の人」も、一般的に持っているものに過ぎないのではないか?反社会的なサイコはそれを「わたし」と「それ以外」でやっているだけだ。
俺の人の心の無い友人は、いいヤツ…とは言えないかもしれないが、面白くて信用できる連中だ。むしろ心で物事を判断しないからこそ信用できる。俺は時々、いざとなれば平気で徒党を組んで、心のままに「異端」を潰す、普通ヅラした人間どものほうが恐ろしいと思う。
チーズケーキを初めて食べた老人が「洋菓子は好かん!」と言ったとする
ところが翌日にはシュークリームを食べて、「これはうまい。洋菓子もいいもんだ」と言った
これをダブスタだと批判するのは馬鹿げてる。無知からくる前言撤回なんてのはよくあることだ
ある政治家が過疎の村に出向いて言った
「熊被害をなくします! 人間の生活を脅かす熊の駆除を進めます! 清き一票を!」
「熊の残虐な駆除をよりやめ、捕獲して森へ帰す方式へ転換します! 清き一票を」
これはダブスタというかただの嘘つきだが、村人も団体員も政治家を批判して良いだろう。
森の中のエルフの村では、人々は木の実の採取し弓矢で狩猟をしながら細々と暮らしていた
そこへ悪い知らせが届いた
ゴブリンたちが各地で徒党を組んでエルフの村を襲い、とらえた村人を食べているという
エルフたちは立ち上がった
「他種族の集落を襲うことは許されない!ゴブリン族を厳罰に処すべきだ!いや、予防的に奴らを根絶やしにしよう!」
呆れたのは、これまで散々エルフたちに襲われ食料にされていた森の小人族だ
「いやお前ら、ダブスタやんけ!」
こいつ、徒党を組んでBANとか仕掛けそう
※専門家でもないし、ネットの情報を鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法・定義が間違ってたらごめん。
自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ、対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。
それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界が曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深い問題なんだなと思った。
自分がどのように認識して、どのようなプロセスで改善されてきたかを日記として残しておきたい。
・相手を遊びに誘うことができない
育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%のパフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。
プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。
どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。
ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達と対話していくうちに思考のベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。
例えば、以下のような流れを繰り返していった。
3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司が説明してくれる。
3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。
4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。
認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)
5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。
4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。
「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分を犠牲にして他人に自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。
(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)
「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。
好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。
そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。
あと、こういうときに仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。
好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的と手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。
好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。
もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティで自分の価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。
最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。
これは自分に置き換えるというのをよくやった。
自分が仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。
お菓子とか物をあげてしまうタイプの人であれば、自分がお菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。
もしかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEでブロックするなり、上司に相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。
自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである。
長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。
何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身の問題だからだ。
他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。
本当に、人間として成長できたのが嬉しい。
物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。
運送業は明らかに女性を増やそうとしてるよな。ネックになる荷役について、本来それトラック運転手のしごとじゃなくない? せめてばら積みやめてパレットにしてフォークリフト用意しろよ、って話にしてる。ただ少数派ではあるんだが。ルート決まってるトラックとかは増えてんじゃないかな。
建設業はまだそこまで来てないのは現実としてあるよな。河川改修やってるブルドーザーのオペさんが女性だったときは普通に驚いてしまった程度にまだまだない。測量ドローンを使いこなすすげー人だった。
一部のママが男性保育士は信頼できないと言い始めて、親父連中が徒党を組んで守った話とか聞いたことがある。結局辞めちゃったけどな。。。
性犯罪のニュースやら見て女が男を警戒するのは白人が黒人をことさら危険視してKKKが台頭したのと同じなんだってよ。
https://note.com/beatangel/n/n6bd6bf4b8060
なんか似たような感触の文章読んだことあるなと思い出したのがこれだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220510124233
青識がなりすまししたのは別の立場に立ってみる必要があるからなんだってよ。
こういうのにあんまり同じ土俵でがっぷり四つでここがおかしいのどうの言う気しないんだよな。
「自分の中で一本理路が繋がったからって、全体として明らかにバランスを欠いたこと言ってたら意味ないんだぜ」というツッコミが、自己客観視ができない/する気がない奴には通じないのである。
それは別に男女論厨や陰謀論者だけの悪徳ではない。馬鹿が必死になると呈する典型的症状である。
前に付き合ってた女がこれで本当に消耗させられた。最終的には「自分の言ってることは客観的には事実ではないかも知れないが、自分がそう思ったのは事実なのだから、それに寄り添わないのは自分に対する加害である」みたいなことを堂々と言い放ってたからな。
自分の中で自分に都合の良い結論ありきでそこにつながる理屈を考えて、細く曲がりくねった道がどうにか繋がったら証明完了!となってしまうアホにどう対処すれば良いのか。だいたい距離置くしか無いんだけどそういうアホが徒党を組む場合もあるのだ。
私は所謂オタクと呼ばれる人間で、X(旧twitter)で毎日イラストなどを眺めてはリポストといいねを繰り返している。
ある日、私がいつものようにXを漁っているとそれが流れてきた。
一瞬?と思ったが何となく察した。これはフォロワーさんがプレイしていたゲーム、「ブルーアーカイブ」のキャラなのだと。このコンテンツはモブの女の子も結構可愛いらしく人気がある、おそらくそれだろうと。
じゃあ「エリ」の方はおそらくモブじゃない子なのだろう。エリカとかエリコとかそんな感じの名前の子なんだろうと予想し、では見てみようと検索をかけてみた。
普通に後悔をした。
まず私自身、百合と呼ばれるコンテンツは嫌いではないし、むしろ好きな方だ。女の子同士の友情が少しずつ愛情へと変質し、ゆったりと距離が近づいていくあの時間は、たまらなく好きだ。男女間の恋愛とはまた違う味があり、定期的に飲料としてゆったりと摂取したくなる。桜に味があるとしたらこんな味なのだろうと言う、温かさと甘さを感じられる、それが百合の良さだと個人的には感じている。
では、これはなんだろう。
見たのは1枚のイラスト。おそらく「エリ」と呼ばれてる方の女の子がそのイラストの中心にいる女の子なのだろう。如何にも魔女っ娘みたいな見た目をしていて可愛いなと思った。
続いてその周りの女の子。フォロワーが正実モブ正実モブとか言って黒いセーラーの女の子を愛でていたのをよく覚えており、それと同じで目元が見えないからおそらくこの子らがモブなのだろう。
そしてそのモブたちがこのエリと呼ばれる女の子を左右から挟み、何かに誘っているイラストだった。おそらくまあそういうことなのだろうが、真ん中のエリという女の子は内向的な性格なのだろう、全くと言っていい程断れていなかった。
私は、これを見て1つだけ思ったことがあった。
そもそもいじめというのは、強いものが徒党を組んで弱い者に暴力を振るう事ではない。特定の誰かに精神的、肉体的な負荷を与え続けて心身疲労を蓄積させ、自尊心を失わせる、これがいじめなのである。
では、これはなんだろう。おそらくこのエリという少女が自分達の要求を断れないのをいいことに、そういう関係を迫っているのか?
気が狂いそうになった。同時に胃がきゅーっと痛くなった。作品の雰囲気が性的であるとか、そういうのを感じられる余裕が一切なくなった。私はキャラクターに対して感情移入をしてしまいがちなタイプだという認識があるのだが、これを見て感じたのは圧迫感だった。非常に息苦しかった。
もしかして、ブルーアーカイブというコンテンツはいじめを助長するコンテンツだったのか?いやそんなわけがない。私のフォロワーが凡そ正気とは思えない狂い方をしているのに、そんなコンテンツである可能性は皆無であろう。ではこれはなんだ?なんでこんなものが?Xで「モブエリ」と検索をかけてみると、皆気が狂ったようにこれを摂取している様子が見られた。どうなっているんだこのコンテンツは?
どうしても気になったからフォロワーに頼んで、今このエリと呼ばれる女の子が出ているというイベントのシナリオを見せてもらった。どうやらそこで出た概念らしい。
見たところ、普通に会話をしているようだった。エリという少女はなんかやたら言葉が詰まっているのを見るに人見知りなのだろうかとか、そんなことを考える様子はなかった。
普通に良い関係ではないか。エリという少女側が何やら苦手意識を持っているのが気になったが、どうやらこれは他者へ対する劣等感や嫉妬心といった負の感情の影響らしく、彼女を入手する事で見れるストーリーではそういった部分がある程度緩和されているように見えた。なるほど、エリと仲良くしたいクラスメイトとちょっと受け気味だが否定的ではないエリ。良いではないか、これを摂取したい。
じゃあ、今Xで見ているこれはなんだ?このユーザーたちはこれを極限まで曲解して、内気な少女を徒党を組んでいじめるのが好きなのか?わかっているのか?それはいじめなんだぞ?他者から自由意思を奪い、苦しめる最低な行為なんだぞ?
勿論それが全てではないことくらいはわかった。ちゃんと見ていれば、上で私があげた「エリと仲良くしたいクラスメイトとちょっと受け気味だが否定的ではないエリ」というまさにそれらしいシチュエーションが目についた。いいではないか、これの延長線としてゆっくり関係を築いていく百合、これが見たい。
正直なところを言えばもう思い出すのも気持ちが悪いため、執筆はここまでになるだろうしこの単語を目にするのもこれが最後になるだろう。この「モブエリ」というのを好んで摂取しているユーザーがもしこれを読んでいるなら、今一度よく考えてほしい。君たちが摂取しているそれは、いじめに該当する行為だ。勿論、漫画やアニメにおけるいじめのシーンを見て何も思わないというのならば最早君たちにかける言葉はない。だがもし、そういうものに忌避があるユーザーは今一度よく考えてほしい。それはいじめなのだ。いじめの助長なのだ。「何を言っているんだろう」と思う者もいるだろう。どうか考えてほしい。君たちは、レズを摂取しているように見えて、いじめを助長しているのだと。どうかその認識を、胸に抱いて欲しい。
社内で、ある間接部門がまるごと外注にアウトソースされることになった。
スキームは、その間接部門を分社化した上で、株式の2割を残して派遣会社に売却すると言うもの。
それに伴う説明会があった。
説明会に寄れば、今まで各拠点で行われていたサービスが大幅に縮小され、派遣切り&パートは解雇。彼らが担っていた細々としたサービスはみな廃止となり、その分一般社員が「お手数ですがお願いします。」の一言でやらされる、と言うものであった。
ITシステムになっているからいいだろうというのが言い分だが、要は株主に間接経費を圧縮すると宣言したが進まないので、強制的に経費を付け替える施策なわけである。
さらにITシステムに対応する客ばかりではないので、手動が必要なところが多数残っておりそれらの手続きを丸投げできなくなるわけだから、社員からは不満たらたらである。
ワイはそもそもそんなサービスなんぞ存在していない拠点で働いているため「そんなの無理なら自分らでやるしかねえだろ?糸冬」という気分で聞いていたのだが、そこで発見したのは。
説明している人たちが、みな、今回の施策でリストラされる人々であるということだった。
彼らからすれば、自分たちが首になる事による影響の後始末をやらされていることになる。
しかも、自分たちで決めたわけでもないことだ。それに対して、やれこれはどうするんだ、業務がまわらなくなる、あーだこーだと文句を言われて、答えに窮しながら応えていると言う状況だ。
部長クラスが「私たちもなんとか影響があるという事を上げてはいますが、トップクラスの決定でなかなか覆すことは難しく」とか言ってる始末で、もう地獄絵図だった。
言わば、これから自分が埋められる墓穴を掘らされているわけである。
文句を行っている人はその構図に気付いているのかいないのか。気付いていて言っているのかも分からない。
一方で、気付いている人は彼らに言ってもかわいそうなだけだと思って自粛しているだけにも思える。
ただ、彼らからすれば自分たちが必要だといって文句を言ってくれている人の方が、自粛して沈黙する人よりも欲してくれているとしてうれしいかもしれないし、これから死地に向かう彼らを矢面に立てて肉の盾にしようとする経営層の思うつぼとも言える。
今後決定が覆る可能性を考えると強い不満と問題が出たと言う実績があった方がいいのかもしれないとも思う。
まぁ、既に株主総会で決定され、IRが出されているので覆ることは有り得ないんだが。
もしワイだったら、こう言われた瞬間に転職エージェントに登録し転職先を探しつつ「静かな退職」を実行して、手を抜きまくるだろう。
何かやれと言われても「上の決定なので上に聞いてください」と答えるボットになると思うが、そうならずに矢面に立っている人たちは立派だと思う。
立派だと思うが、そんな余力があるならば、本来は徒党を組んで戦うべきなのではないだろうか。
っていうか、弊社にはそういえば労働組合があった。
この間まで選挙で○○に投票しろとしつこく活動していたが、こちらの惨状には何かコミットをしたのだろうか?
組合費を払いたくなくなってきた。
同性愛のセックスビデオはまだ理解できるけど、女性が妄想で男性同士がこんなやり取りあるんじゃないかって勝手にその機微を想像して性行為なのシーンを描いて作品に落とし込んで共有してキャッキャしてるの見てると気色悪い。
他人のそんな所まで入り込むという傲慢さがごく気持ち悪いし、相手を人間として見なしていない。
性欲ではないといいはるけど、その人間を自分がよくわかってるとかこう動いてて欲しいという願望とかいう都合のいいオブラートに包んだ相手への支配欲なあたり、男性が支配欲で嫌がる女性を手籠にしてる作品を描くのを性欲と呼ぶのと構図がどうちがうのか。差異をどう考えているか知りたい。
同じでしょ。気持ちいいとか官能を捉える思考の動線が不健全だし、気持ち悪いよ。
若い女性が人生の経験不足でこういう方向に走って耽美とか官能とか言ってるのは経験値低くて迷惑バカだなあって笑ってられるけど30過ぎてもあんなのに鼻息荒くして心拍数あげてる人たち見ると本当痛い。なのに自分たちはマシだと思ってる。