はてなキーワード: ずんずんとは
本当は全部観たかったけど、LOSALIOSに行くため21時にはレッドを離れなければならないと言う…タイテどうなってんの問題がここでも勃発…。リハで普通に一曲丸々演奏してた。前に出た時もリハで2曲フルで演奏してたしくるりってベテランなのにサービス精神旺盛だな〜。一曲目がカルフォルニアココナッツで嬉しい。この曲大好き。こう言う事書くと只の悪口になってしまうんだけど、アジカンの後くるりを観ると歌上手いし演奏めちゃくちゃ良いな…と感じてしまう…。一時期岸田さんも声大丈夫かな?って時あったけどかなり復活してるよね。上海蟹が大分アレンジされててカッコいい感じになっていて良き。前の感じも好きだけどこのアレンジも渋めでめちゃくちゃ良い。この日、21時からどうしてもGETしたい菓子店の通販が21時からあって(超激戦)21時ちょっと前からくるりを聴きながらスタンバイして早押しに挑戦。まさかライジングでこんな事するとは思わなかったけど、これ逃したらこの種類での今季の通販は終わってしまう為必死でボタンを早押し。無事にGet出来て嬉しいしくるりの愛の太陽はめちゃくちゃ良いし最高の気分…。モーニングペーパー、うおおお!!って思ったけどもうLOSALIOSに移動しなきゃ行けない時間でなくなく聴きながら移動…。何でこんなタイテなのか…と後ろ髪引かれつつもボヘミアンへ…。
この時間帯·ボヘミアンと言う最高の環境でLOSALIOSを聴けるのめちゃくちゃ楽しみにしてた!!私が割と前にずんずん行ったら友達にこんなに前でLOSALIOSを観て良いの…!?って言われて笑う。強欲の女なので…笑
LOSALIOSはいつ観ても最高だけど、やっぱりこの環境で聴くと100倍良さがUPする気がする。この日は達也さんもめちゃくちゃニコニコしてて楽しそうだしTOKIEさんは美しい見た目とは真逆みたいなゴリゴリのイケメンベースだし加藤さんのギターは切れ味最高だし、アイゴンのギターも巧みだし、ホリエさんはDr.キリコ(by 達也さん)だし笑 本当にLOSALIOS最高!!!1秒も気が散る瞬間がなくてずっと音に酔いしれていた。加藤さんが「22年ぶりの新譜も作ってます」って話してたら達也さんが「出来るの?無理じゃない〜?」みたな事言ってたけどほぼ無視されてて笑った。加藤さんは参加出来ないけど北関東ツアーもあって…って話してる時に達也さん「チャーハン抜き!」誰か「飯抜き!」って次々に言われてて面白かった。加藤さんに軽くあしらわれて(何時もの事)達也さんが「静かにします」って反省してた笑 メンバー全員ニコニコだしお客さんも皆楽しんでて最高に幸せな空間だったなぁ。新譜もカッコ良かったし、IQ69にはNARUGOさんも参加してバチバチの演奏バトル!!めちゃくちゃテンション上がった!!あっという間に終わってしまったけど本当に最高の時間でした。
2.Screaming Head Pop
3.MOTER SCHOOL
6.HIT MAN
7.SICK
8.HAE
テントに帰って化粧落として歯磨いて明日のお風呂の準備して寝袋も敷いて、寝る以外の全ての準備を終わらせる。私はEZOISTを観に行く事にしていて友達は就寝する予定にしてたけど思ってたよりレッドが近くてFRIDAY NIGHT SESSIONがめちゃくちゃ聴こえてくる…笑 リライトと君という花をまた(?)演奏していて、ゴッチは1日に2回同じ曲を歌うんだなぁ…とかどうでもいい事を考えていた笑 EZOISTの時間を間違えていて意外と時間がなかったので気合いでテントを出て足早にボヘミアンへ。
ボヘミアンへ向かう途中で始まってしまったけど(増子さんの北酒場が聴こえてきた)幸い始まってすぐに到着出来たのでセーフ。後ろの方で椅子に座って聴こうと思って座ってたけどオトナノススメ(増子さんとワタナベシンゴさんVo)が始まって立ち上がって普通に楽しむ笑 JIROさんが怒髪天の曲を弾いてるの地味にすごい。増子さんが「この曲をJIRO君が弾くのか!と言うのが見どころなので!!」って言ってて笑う。「北海道出身者が北海道出身の人の曲をカバーするコンセプト」との事。増子さんが全然ベロベロじゃなくて意外だったけど、その後キビキビ仕切りしてたの見て理解。2曲目はワタナベシンゴさんVo.の新宝島!!マジか!!テンション爆上がりして踊り狂う笑 深夜に新宝島は楽しすぎる!!増子さんが一郎さんに曲やるって連絡したら行きたかったんですけどって言ってたから来年は(ライジングに)来るんじゃないかなって言ってて皆わいてた。「EZOISTはキュウが発起人だけど今回はヨウコさんの還暦ライブがあってどうしても来れないって事で…休めよ!って言ったんですけど…俺がヨウコさんに◯されるんで笑」って話してて笑った。増子さんがさわおさんと中野ミホさんを呼び込む。さわおさんは既にまあまあの酔っぱらいになっていた笑 「ピロウズ解散して恥ずかしながらソロで戻ってまいりました!」「まあまあ高い声も出るのよ。鶏が首絞められた時みたいな声になる時もあるけど」「JIRO君の横で歌うのもあれだけど…」って感じで喋ってからのBELOVED!さわおさんのBELOVEDねちっこいなぁ笑と思いつつ、怒髪天メンバーがGLAYを弾いているのも面白いし深夜のテンションで手を上げて盛り上がった。「北海道の偉大な大先輩。暗い曲だけど」との事で中野ミホさんとさわおさんでファイト。選曲良い!!中野さんのファイトめちゃくちゃ合っててすごく良かった!!さわおさんが引っ込んで中野さんだけでら·ら·ら。この曲改めて聴くとめちゃくちゃキー高いんだなぁと感じた。サビで皆自然と手を振ってて一体感がすごい。人が入れ替わる度に増子さんがちゃんと仕切ってて偉い(?)さわおさんが全然引っ込まないから引っ込んでって言われてた笑 「EZOISTもどんどん若い人に引き継いでいって…若い人の曲もやらないと」「俺達が逆に呼ばれる立場(モーニング娘。方式?)になっていけたら」って話しててまだまだ皆現役で居てくれて〜!!って思ってしまったババアは私です。そんなMCの後に加藤さん(NOT WONK)と増子さんでブッチャーズのJACK NICOLSONなのちょっと笑ってしまった。全然若者意識した選曲じゃない!笑 でも歌詞の内容はさっきの話に合ってるな〜と思った。しかし加藤さんブッチャーズの曲に合ってる…!!そして爆音のギターソロめちゃくちゃカッコ良かった…!!ギター上手いなぁ。「(吉村さんは)急に居なくなっちまったけど今もその辺りで見てるんじゃないかな」ってMCに感動してたら「もう一度◯しといてもらって」ってしんみりしない様に笑い取ってたの増子さんらしいなって思った。加藤さんVoでメロディー。深夜に聴くの心地よかった。吉田(ズーカラデル)さんを呼び込んで(何処出身?って話から吉田さんの出身高校が江別市の大麻(たいま、本当はおおあさ読み)高校です笑 っていう話で笑いとってた笑 イースタンの夏の日の午後。イースタン良いよねぇ。この時期、この時間帯に聴くの気持ち良すぎた。さわおさん呼び込みしたのは良いけど「イースタンとピロウズどっちが売れてるか」「イースタンも良いけどピロウズの方が良いよな!」みたいな絡みを吉田さんにしてて吉田さんがめちゃくちゃ苦笑いで「は、はい!(ピロウズ)大好きです!」みたいな感じで返してて笑った。酔っぱらい過ぎる。「ピロウズの代表曲、売れてないけど」って話からFunny Bunny。この曲を怒髪天メンバーとJIROさんが演奏してるのが何とも言えない気持ちに…。でもやっぱり良い曲だなぁと聴きながら思った。最後は全員を呼び込んで松山千春の長い夜。歌ってる時に投げればいいかって事で最後は恒例のサインボールを投げ込む。増子さんが「サインボールは皆で書いたからJIRO君が投げたのが坂さんのかもしれないけど捨てて帰らないで下さいね!ぺちゃんこにしてその辺りに捨てないように!」って言ってて笑った。最後は子供盆踊りが流れて終演。増子さんが明日も早いだろうから早く帰りなさい!解散!撤収!って言ってて最後まで楽しかった。正直始まる前までグタグタのカラオケ大会だろうなぁとあまり期待してなかったんだけど(酷)めちゃくちゃちゃんとした構成、選曲でずっと楽しかった。全曲JIROさんがノリノリでベースを弾いていたのに地味に感動したし、この日の為に練習沢山してくれたんだろうなぁ。この企画(?)の為にRSRまで来てくれて、国民的バンドのベーシストなのに全然そんな感じ出さずにずっと楽しそうに演奏してたの好感良すぎる。あと勲さん居たと思うんだけど1ミリも見えなくていたの忘れてた笑 座って観ようと思って持っていた椅子には全く座らずずっと立って深夜に1人で踊り狂って楽しみました笑 次やる時はキュウちゃんも来れると良いね。
3.BE LOVED(GLAY)/さわおさんVo.中野ミホさんGt
6.JACK NICOLSON(bloodthirsty butchers)/加藤さん、増子さん
8.夏の日の午後(eastern youth)/吉田さん
9.Funny Bunny(the pillows)/さわおさん、吉田さん
テントに帰ってホクホクで就寝。疲れてたのかすぐに眠りにつけました。今年は周りも静かで良かった…(と言うか右隣の区画最後まで誰も来なかった)
二日目に続く。
先日の参議院選挙の投票事務で思ったことがある。一若手職員の意見に過ぎないけど、テーマは投票立会人について。
まだ勤めて数年以内の若手だけど、先日7月20日に行われた参議院選挙で、都内のある投票所の選挙事務を担当することになった。その時の経験を語りたい。ちなみに選挙事務は人生2回目。
正直、それまで選挙立会人なんて形式的なものだと高を括ってた。いなくても困らないんじゃないかと。だが、今回の経験でその認識は180度変わった。立会人は間違いなく必要だ。
ちなみに立会人というのは、地域住民の代表が投票所・開票所で不正がないか見張る役割である。事務員と同じく、早朝~深夜までずっと現場に居て、投開票を見守る。
多くの市区では、古老と言ったら申し訳ないけど、地域の顔役みたいな人が務める。
早朝に投票が始まって、しばらく経った頃、車椅子に乗った方が投票に訪れた。投票所の入り口から投票箱まで、何メートルもある距離を物凄くゆっくりと進んでいく。介助者が一応いたのだけど、そのご老人はさ……車いすを押してもらうのを拒否したんだよな。職員が押すといってもダメだった。なにかのこだわりか矜持があったのかもしれない。
しかし投票箱の前にたどり着くのに、ずいぶん時間がかかっていた。投票箱というのは、選挙中に最初の位置から動かしてはならない。しかし、このままだと、そのご老人は何度も車椅子を動かさないといけない。投票は2回ある。自分を含め、現場の職員は誰もが「どうしたものか」という雰囲気だった。
すると、そばにある立会人専用デスクに鎮座していた立会人Aさんが、こっちの方を向いて言ったんだ。
「何が正しいか、よく考えて動きなさい」
その言葉にハッとさせられた。
すぐに投票箱の位置を移動させて、その車いすの人がスムーズに投票できるようにしてあげた。距離的には相当のショートカットだった。もし立会人がいなければきっと、ルールに縛られたまま、あの人に不自由な思いをさせていたと思う。
「投票時間中に投票箱を移動させてはならない」というのがどのレベルの法なのかはわからない。でも、仮に国会を通った法律だったとしても、今回はこの対応でよかったと思うよ。
やっぱり人生経験がある人ってさ。法律とか超えたところにあるルールを理解してるんだよな。
ふたつめである。
別の時間帯には、一人の男性が投票用紙交付の列に並んでいた。自分の番になって、選挙の案内ハガキを……2枚出した。「あれ?」と思って私が両方バーコードを読んでみると、片方はその人の奥さんのものだった。
「すいません、こっちは別の人のなので」
と言うと、「代理でできないの?」と言われた。
「できません」と伝えたところ、そのおじさんは、なぜかその場でバリバリと音を立てて投票用紙を破り始めたのだ!そして奴は「もういい」と破り捨てた紙片を床にばら撒いた。
自分を含め、現場の職員は呆然としてた。投票管理者(※課長級の職員)までどう対応すればいいか迷っていると、立会人の男性Bさんがすかさず動いたのだ。
Bさんは低い声で、強い口調で、「おい、○○!選挙の妨害行為すんなや。通報すんぞ。選挙会場でまで迷惑かけんなや……」と毅然として言い放った。ヤンキーの口調だった。※Bさんはおじさん世代
男性は『なんであんたがいる!?』という感じでたじろいで、何も言わずに投票所を出て行った……。投票はしなかった。ちなみに案内ハガキはあくまで案内、ただの紙である。選挙期間中に破ろうがどうしようが問題は起こらない。統計上も影響なし。
みっつめは、午後になってからのことだ。
暇になった時間帯に、いつの間にやら高齢の男性が投票所の受付にいた。女性職員数人の前で、世間話に花を咲かせていたのだ。彼も一応投票者であるが、投票が終わった後に受付まで来てこんな話をしていた。
いくら周りに投票者がいないからって、お構いなしだ。女性職員も困った顔をしていたが、相手が高齢者ということもあり、強く注意できずにいた。老人の性欲ってみっともないよな。
すると、またしても立会人Bの出番だった。こっちの方までずんずんと歩いてきてくれた。
「お話はそこまでにしてください。選挙会場は私語厳禁です。申し訳ありませんが。ご協力ください」
と、穏やかながらもハッキリと促したのだ。老人は不満そうな顔をしたけど、すぐにニコニコとした表情に戻った。それ以上は何も言わず、投票所を出て行った。
最後が一番、「立会人さん、ありがとう!」と思った出来事である。
投票時間も終わりに近づいた頃、若い女性職員数名が、さっき投票を終えたばかりの年の差カップル2人組(※男性がかなり年上)について、ヒソヒソ話をしていた。投票用紙交付スペースのあたりで。
「ね、さっきのあの2人って親子なのかな?それとも……付き合ってる?」
「わかんないけど。そういう雰囲気あるよねー」
そんな詮索をしてた。その子らは、と言っても自分よりも年上職員なのだが……さすがにイラッときた。
自分は業務関係で、たまたまあの2人の関係を知っていた。噂をされるのが特にイラッときた。怒りは有頂天に達しそうだった。
しかし、そんな事態すらも立会人が聞きつけていた。ちなみにAさんである。Aさんは彼女たちのもとに歩み寄ると、「そういうことを話したらダメ。あのふたりが聞いたら傷つくじゃないか。プライバシーの発言は控えるように」と、これまた冷静に注意したんだ。
女性職員たちは「あ……」みたいになって、謝っていた。自分だって気持ちはわかる。確かに、20才ほどの年の差があるカップルである。
ヤキモキしていると、立会人Aさんが、さっきの女性職員に耳打ちするようにしていた。そしたら、小さく「キャー!!キャー!!」という声が聞こえてきた。あの2人のことはさすがにここでは書けないけど、人生にはいろいろあるのである。
これらの経験を通して、選挙立会人の必要性を痛感した。これまでは、本当にいらないと思ってた。投票所じゃなくて、開票所に何人かだけいればいいと思ってた。
自分らは公務員という立場上、とにかく中立性や公平性を求められる。感情的になった有権者や、場の空気を読めない人に対して強く出ることが難しい。住民さんには弱い。
しかし、立会人はそういった「対応しにくいタイプ」の人々に対し、明確な態度で臨むことができる。行政ではなく住民側なのだから笑 あの人達は、選挙の公正さを保つための番人だった。選挙立会人は欠かせない存在であると、今なら自信を持って言える。
自分も今の区役所を定年退職して、生まれ育った特別区で、いつかは立会人をやってみたいと思った。
ちなみに、投票管理者と立会人2人が昼食中に話していたのを聞いたところ、都内だと立会人を1日する度に約一万円もらえる。AさんとBさんは期日前投票の立会人を数回と、この日と、この日の夜の開票立会人を務めるので、最低でも4~5万円はもらえることになる。
責任の重さを考えると、これくらいは当然と思われる。でもさ、選挙の立会人として地域の中で白羽の矢が立つって、普通にスゴイことだと思う。普通の人は指名なんてされないよ。
今まで性格診断とかである「あなたは困っている人がいたら助けますか?」みたいな問いに対して「面倒事に巻き込まれないか考えてから助けるか判断する」「どちらかといえばいいえ」で回答してきた。
あまり人助けをするシチュエーションに立ち会ったことがないから、想像だけで自分は切羽詰まれば誰かのために動くだろうって思ってた。
今日、人助けの絶好のチャンスが訪れたんだけど、結果自分は面倒事に絶対関わりたくないタイプだったんだなってよく分かる出来事が起きたので備忘のために書いてみる。
今日はチェーンのカフェの出入り口近くの席で作業していたんだけど、店内の奥の方で良く言えば庶民的な身なりのおじさんとおばさんが大きな声で話しているのがずっと耳障りだった。
閉店10分前彼らが帰り支度をし始めたようで店内は少し静かになっていた。
店の入り口は押しボタン式の自動ドアのガラス戸だったんだけど、自動で開くと思ったのかおじさんがボタンを押さずずんずん歩いて行ってかなりの勢いでぶつかったようだった。
視界のはじでおじさんが閉まったドアの前で座り込んでいるのが見えた。
「もう何やってるのぉ〜」
おじさんはなかなか立ち上がらない。
この時点で少し様子がおかしかった。
ゆっくり動いているのが見えたのと、おじさんが少し受け答えしている様子があったので店内の人間は誰も助けに行かなかった。
食器を下げたおばさんだけが「早く立ち上がらないと〜何やってんのもう!」と近づいて行った。
おじさんはすごく眠そうに受け答えしながらなかなか立ち上がらなくて、このあたりからおばさんが「ちょっと〜本当にどうしたのぉ」といい始めていた。
やがておばさんも大声で声掛けをしているのにも関わらず、おじさんがいきなり大きないびきをかいて寝た。
いびきは30秒ぐらいで止まって、意識を取り戻したおじさんが相変わらず眠そうな受け答えを始めて開けた自動ドアの脇に移動し始めた。
おばさんの声に店員がやっと反応し始めてパントリー?に下がる。
店内の客は自分含めて誰も2人に近づこうとしなかった。
やがて隣の席に座っていた男性がそそくさと荷物をまとめて退店準備を始めたので便乗して退店することに。
出口の隣にはぐったりしたおじさんと寄り添うおばさんがいたけどできるだけ視界に入れないようにした。
店の外は通り雨が降り始めていた。
傘を持っていなかったので大粒の雨に濡れながら、助けもせずおじさんが最後どうなるのか見届けるのすらしんどく感じられた自分に自己嫌悪していた。
「ベニスでしょう」
これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、
「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。
「兄さんとは……」
「この絵は兄さんのほうでしょう」
「だれの?」
「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。
「違うんですか」
「一人と思っていらしったの」
「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。
美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。
「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。
「その代りここん所へかけるつもりです」
原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。
「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。
「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。
「まだ」
「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」
美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。
「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」
「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」
「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。
女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。
「これもベニスですね」と女が寄って来た。
「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。
「さっき何を言ったんですか」
女は「さっき?」と聞き返した。
「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」
女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。
「用でなければ聞かなくってもいいです」
「用じゃないのよ」
三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」
「わかったでしょう」
美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」
「なんで?」
女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。
「あなたを愚弄したんじゃないのよ」
三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。
「それでいいです」
「なぜ悪いの?」
「だからいいです」
女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。
「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。
「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。
「精養軒へ行きますか」
美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。
「あの木の陰へはいりましょう」
少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
「悪くって? さっきのこと」
「いいです」
「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、
「だから、いいです」と答えた。
雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、
「さっきのお金をお使いなさい」と言った。
「借りましょう。要るだけ」と答えた。
「みんな、お使いなさい」と言った。
ぴょんたこらん
どんちゃか
ぴったん
ぽこりん
ぴりぴり
くるりんぱん
すこすこ
ぽよんぽよん
ぱたぱた
ふりふり
びょんびょん
どかんどかん
すっちゃかめっちゃか
ぴりぴり
どんどん
ぽんちゃか
くしゃんくしゃん
ぴょんたら
ぴこぴこ
すっぽんぽこりん
ちゃらんちゃらん
もりもり
びゅびゅん
ばたばた
ぺったん
こしょこしょ
ずんちゃか
ぴったん
ぱたぱた
どんすこどんすこ
ぴんぴん
きらりんこ
ぴっぴ
きゅるりん
ぽんたす
ぽよよん
ぴりぴり
ぱんぱん
ぴこぴん
もちゃもちゃ
ふにゃらららん
ぽんたすぽんたす
びょんびょん
くしゃんくしゃん
ぴょんたこ
らっしゃい
こしょこしょ
ふにゃふにゃ
すっちゃか
ぴったん
ふりふり
どんぱふ
びょんびょん
どんどん
ちゃかぽん
ぴきゃらぽろりん
どんぱふしゃん
そんな…ずんずん教の野望が…
子供のころ、漫画家になりたい的なことを口走ったら、父が「じゃあとりあえず一番売れてるジャンプを読まないとな」と言うので、とりあえず買ってみることにした。漫画家になりたいなどと言いながら漫画雑誌を買う習慣を持っていなかったのである。早くも暗雲が立ちこめておるな。ちなみに父はスピリッツを読んでいた。
週刊少年ジャンプは当時200円もしなかったくらいだったろうか。当然すでにアニメ化されている超有名作品が連載されていたりしたのだが、なにしろ連載作品というのは連載の途中なので、読んでるこっちはストーリーがよくわからんのに作品のほうは読者がよくわかってるものとしてなんの遠慮もなくずんずん進んでいくのである。ついていけん。
記憶に残っているのは新連載作品。なんかよくわからん一門だか一族だかが法で裁かれぬ悪人をよくわからん技で操ってむごたらしく殺すのである。
ということで立ち上がりに居合わせた特に好みでもないよくわからん仕事人漫画と、勝手にストーリーが進んでいく連載作品を我慢して読み続け、そして8週でギブアップした。僕に週刊漫画のペースは早すぎた。
それ以降ジャンプは1回も買っていない。読者としてもそうなのだから、仮に漫画家になれたとしても、とても週刊作家は務まらなかったろうなあとは思う。
ちなみにそのなんかよくわからん宮下あきらの作品は、後年になって神戸の少年事件の犯人がなんか引用したとかいって取り沙汰された。その犯人と同世代の僕自身、いま書き連ねたように印象には残っていたが影響はまるで受けていないので、どんな作品にも刺さりまくるやつとそうでないやつがいるのだなということを思った。そういやトライガンでも同じようなことがあったな。
相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から「奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます。
勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。
それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、
「開けて下さい。」
と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。
「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」
さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人」泉鏡花、1908(明治41年)
「奥さん」は、自分の配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分が夢想する上流階級を思わせる女性(奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界を垣間見せてくれますね。
「奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石「こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生が青年期に下宿していた、静さんの母親の呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます。
私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
「奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分の配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。
私の知る限り先生と奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
「こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さんと先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品、先生を訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的な夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います。
次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき、奥さんの母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります)
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校のそばとかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。
(略)
私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。
(略)
私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。
「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所でニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者(尊称)」「既婚女性(尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。
そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))
…「下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂は明治生まれですし、物語内時間は10数年前(つまり震災前)という設定ですから、言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代は明治期の想定と言えそうですが。)
昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉のちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願」太宰治、1938(昭和13年))
医者が、夫の体の静養のためにセックスを禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者が患者の配偶者である若い奥さんに言い聞かせるときの呼称、医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者のニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気が表現されているのは実にうまいです。
最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。
妻は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。
「莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」
彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。
しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。
この3つの呼称の呼び分けを、代名詞が豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。
さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称、代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見や議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉が時代のジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。
ゲーム脳なんてインチキだ、って答えるだろうなあんたは。オレも信じちゃいない。それでもゲームで人間が狂っちまうことはある。あのときオレは復讐者になっていた。警告がてら、ちょっと思い出話に付き合ってくれ。
何年か前にIngressってゲームが流行っただろ。青組と緑組にわかれて陣取りゲームやる、ポケゴーの元になったゲームだ。ポケゴーのジムやポケストップをIngressではポータルって呼ぶが、占拠したポータル同士を直線で繋ぎ合わせて三角形をつくると自分の色の陣地にできて、ヘッドフォンからは「素晴らしい成果です」とお褒めの言葉が流れてくる。シンプルに見えて奥の深いゲームだったからオレはやる気になって青色の三角をつくりはじめた。
Ingressは誰かがポータルを占拠したり三角を作ったりするたびに行動ログが流れるから、オレの成果はすべてのエージェント(プレイヤー)に筒抜けになっている。はじめのうちは会社帰りに大きめの青い三角やきれいな三角をつくって帰宅し、風呂からあがってビールを飲みながらパソコンの画面で自分の成果を確かめてドヤ顔していた。遊べば遊ぶほど成果が可視化されて他のエージェントにそれを誇示できるゲーム。それがオレが遊びはじめた頃のIngressだった。
エージェントレベルがA8になる頃には夜遅くまで近所をうろつきまわるようになった。他の娯楽はどうでもよくなってIngressだけ遊び続けた。ビールのかわりにプロテインを飲んで寝て、早朝からIngressをやった。ヘッドフォンからは絶え間なく「素晴らしい成果です」というお褒めの言葉が流れてきた。実際、最盛期の成果はほんとうに素晴らしくて自宅から会社までの約5kmが青色の三角で数珠つなぎになっていた。パソコン画面から眺めるとオレの成果は神龍のようなかたちに見えて、たくさんの青色の三角が龍のうろこのように輝いていた。緑組のエージェントが襲ってきてポータルを占拠するたびに青色のうろこが剥がれ落ちたが、そのたびオレは現地に向かってポータルを再占拠し青色のうろこを保守した。
ここまでは良かった。オレがおかしくなっていったのはここからだ。
そうやって半年ほど遊ぶうちに緑組のエージェントが2~3人で襲ってくるようになった。車に乗り合わせて襲ってきたり北側と南側から同時攻撃されて包囲されることもあった(Ingressは三角の内側では三角が作れないルールなので包囲されたらほとんど行動不能になる。だから当時は日本列島を丸ごと三角で包んで日本じゅうのエージェントを行動不能にするようなスーパープレイもあった)。緑組のエージェントのなかには、ニートなのか夜勤なのか昼間のうちにオレの自宅や会社のまわりを緑色の三角で包囲してしまうやつがいた。オレはだんだんイライラしてきて夜中までIngressをやるようになった。物資が足りなくなったら隣町のファーム(武器などが補給しやすい状態のポータルが集まっている場所)に出かけて補給した。それでもオレの通勤圏内は少しずつ緑組優勢に変わっていった。たまに隣町の青組メンバーが遠征に来てくれたが焼石に水だった。頭がどうにかなりそうだった。
いや、その頃には頭がどうにかなっていた。青色の三角を創造するIngressが終わって緑色の三角に復讐するIngressが始まった。緑色の三角を壊すたび全身に快感が走って、強い酒を飲んでいるみたいに胃が熱くなった。緑組のカップルが街全体を包み込む巨大三角を作ろうと暗躍しているのを邪魔しきった時には笑いがこらえきれなくなって、真夜中の公園のベンチでオレは笑い転げた。警察がいたら職務質問されていたと思う。
それと当時のIngressにはガーディアンポータルという仕様があった。同じポータルを守り続けていると、日数におうじて銅→銀→金→プラチナ→オニキスの「ガーポメダル」が貰える。自宅や会社のまわりは緑組のエージェントがうようよしているのでオレは20㎞離れた山間部のポータルをいくつか占拠し、ガーポメダルが手に入るのを待っていた。ところがプラチナのメダルがもらえる直前の日、山間部のオレのポータルが全部焼かれてしまった。行動ログによれば、襲撃犯のひとりは例のニート野郎でもうひとりは山間部に近い地域で活動している知らないエージェントだった。生まれてから今までであんなに怒り狂ったことはなかった。オレは復讐を誓い襲撃犯たちのガーディアンポータル探しに夢中になった。
それから色々あって奴らのガーディアンポータルをついに突き止めた。ニート野郎が占拠するポータルでいちばん息が長かったのは5㎞ほど向こうの神社の鳥居だったのですぐに遠征して焼き払った。もうひとりの知らないエージェントの最長ポータルは和歌山県の山中、登山道入口から5㎞ほど登った場所にあるお地蔵様で、これを一年近く守り続けている様子だった。ある土曜の早朝、オレは復讐するために和歌山県に出発した。新幹線と特急を乗り継いで近くの駅でレンタカーを借り、登山道に着く頃には霧雨が降りはじめたが頭に血がのぼっていたのでずんずん進んだ。今思えば危険な判断だったが当時は彼奴のガーディアンポータルを焼き尽くすことしか考えられなくなっていた。目標のお地蔵様に辿りついてバースターを撃ちまくるとガーディアンポータルはあっけなく占拠できた。ずぶ濡れになったままオレはゲラゲラ笑った。帰りの新幹線で寒気に襲われて高熱を出した。熱にうなされながら、あのお地蔵様をちゃんとお詣りしなかったから罰が当たったんだとか、とりとめのないことを考えていた。それからゲームのために和歌山県の山中まで出かけてずぶぬれになり、高熱にうなされながら帰る自分はどうかしていると思った。それで気持ちが醒めてきてオレのIngressは終わった。
あんたにはこの話、バカみたいに思えるかもしれないな。だがあの頃の復讐心を思い出すとオレは今でも身体がざわつくしN社のゲームはもうやりたくない。ARが拡張するのは喜びや驚きだけじゃない。憎しみや復讐心だって拡張する。当時のオレはそれがわかっていなかったし、あんたの顔をみるに、あんたもわかってない様子だな。N社のゲーム、それからARには気をつけろ。あんたはあのときのオレみたいになっちゃ駄目だ。
親父にしばかれた思い出でずっと忘れられないことがある
休日に家族ででかけたピクニックかなんかで、山の中のアスレチックに親父と二人で行った
コースを外れてしまったのか、もともとそこはちゃんと管理されてなかったのか
崩れかけたつり橋があった
気にせず渡った
しばらくして親父を待っていたか何かしてたら大声で親父が呼んでいた
引き返して合流したらめちゃくちゃ殴られた
そこら辺の記憶はもう曖昧だが、危ないとかそういう感じの注意だったと思う
親父にしばかれた思い出がそれだけだったら、
(今思い出したが、子供だけで川辺で遊んだのがバレた時もめちゃくちゃしばかれた)
愛情があるからこそきつく怒られたという感じで、プラスに働いただろう
今でもあれは自分が悪いし、あの怒り方でひどすぎたとはあまり思わない
残念ながら親父はしょうもない理由で日常的に暴力をふるうタイプだったから
それ以外にもしばかれまくってて、なんだかんだ人の顔色をうかがう気弱でメンタル弱い人間になったけど
適宜が適宜で済むなら可能性はあるが、親側がそんなコントロールできるできる可能性低いし、子供側も色々だから、暴力なんて滅べばいいとは思う
産後の高テンションな文章なんてわざわざ見ようとしない限り見ないよな。あるとしたら友達とかの繋がりか。
友人たちがまともな人間としての階段を上っていく中、それを得られずに苦しんで反出生主義という陰キャ御用達の便所紙に食いついてしまったか。
これから”老い”という、自分が毛がないだけのキモい猿にすぎないということを絶対的に突きつけられるイベントがずんずんのしかかってくるので歪んだ思想はどんどんエスカレートしていくことだろう。
仲間もおらず、吐き出すところは増田という肥溜めくらいしかない。ただ一人寂しく肉体を腐らせていくだけのモンスターの悲痛な叫びと思うと悲しいなぁ。
本日お昼。
暑い中地下鉄の入口を一生懸命さがし、ようやく見つけた入口に入ろうと道を曲がったら
なにを言われたのかすぐには理解できず、キョトンと棒立ちになっていた私にずんずん近づいてきて、すれ違いざま彼女は「お前は階段つかえやぼけーっ」と捨て台詞のように怒鳴り、去っていきました。
…いや、ここがエレベーターしかない入口だなんて私知らないから。
というか、私、あなたには普通に歩いているようにみえたかもですが、脚痛めて今階段普通には降りれないから(ー_ー;)
100歩譲ってもしそう思ったとしても、町中ではじめてすれ違う人に最初から怒鳴って言う内容ではないかと思うのです。
なんだか心も病んでる人だなーと…