はてなキーワード: 夜遅くとは
Suicaのペンギンが2026年度末で引退するというニュース。
昨日ネットで見た。
そしたら、ふと思い出した。
Suicaのペンギンの中身の人とか、関係者とかじゃなくて、本当にペンギンが飲みに誘ってきた。
どういうことかっていうと、説明が難しいんだけど。
新宿駅の銀行ATMの近くに、Suicaのペンギンの銅像がある。
俺は毎日その銅像を見かけるんだけど、その日は何か様子がおかしかった。
銅像がこっち見てる。
でも、何か目が動いた気がした。
気のせいかもしれないけど。
本当だ。
「ねえ、君」
って。
いや、ぬいぐるみじゃなくて、本当のペンギンなのかもしれない。
「飲みませんか?」
って、ペンギンが言った。
正直、怖かった。
でも、拒否できなかった。
何か、逆らえない雰囲気があった。
だから、一緒に歩いた。
どこに行ったかは、覚えていない。
気づいたら、小汚い居酒屋にいた。
ペンギンと俺。
ペンギンが座ってた。
いや、座ってなくて、立ってた。
店員は何も言わなかった。
ペンギンが喋った。
「僕、もうすぐ引退することになった」
えっ?
「2026年度末で、Suicaのイメージキャラを辞めることになった」
「え、本当ですか?」
俺は思わず聞いた。
「本当だよ。25年やってきたけど、もう終わりだ」
「理由は?」
「理由?」
長い沈黙があった。
「Suicaが『生活のデバイス』に進化するんだそうだ。だから、イメージキャラクターも新しくする必要があるらしい」
「あ、そっか。新しい世代の新しいキャラクターが必要だということですね」
いや、ペンギンがどうやってビール飲むのかは、聞かない方がいい。
「でも」
ペンギンは続けた。
「複雑な理由?」
ペンギンは困ったような顔をした。
「言えないんだ」
「えっ、言えないんですか?」
「そう。25年も使われると、いろいろとね...」
「著作権とか、版権とか、そういった『商業的な』問題があってだな...」
「本来は、公開できない理由がある。でも、公式には『生活のデバイスへの進化』という理由にしておく」
「あ...」
ペンギンは続けた。
「言いたいんだ。本当に、何もかも説明したいんだ。でも、契約上、それはできない」
「そうなんですか」
「言えばいいのに、と思われるかもしれない。でも、そういうわけにはいかないんだ」
「わかります」
「25年間、Suicaのキャラクターをやってきたから、ね。最後くらいは、プロフェッショナルでいたい」
ペンギンは、遠くを見つめた。
「でも、心の中では...いや、これ以上は言えない」
ペンギンは、25年のSuica人生について、いろいろ話してくれた。
Pensta(ペンスタ)っていう専門ショップができた時の喜び。
グッズが売れすぎて、もう作る側も疲れてる話。
でも、なぜ引退することになったのかについては、それ以上は語らなかった。
「本当は、世代を超えて、ずっといたかった。サンリオのキャラクターみたいに。でも、ビジネスの都合で、そうはいかなかった」
ペンギンは言った。
「25年というのは、人間でいうと、子どもから大人になるくらいの時間だ。でも、キャラクターの場合は、そこが終わり」
「辛いですね」
「そうだね。言いたいことは山ほどあるけど、言えないんだ」
その後、ペンギンは、俺に言った。
「最後のお願いがあるんだ。できれば、これからの1年間で、他の人より多く、俺を使ってくれ。Suicaで電車に乗ってくれ。グッズを買ってくれ。そしたら、俺も報われた気がする」
「わかりました」
俺は言った。
「本当ですか?」
新宿駅の方へ。
銅像に戻るんだと思った。
あれから2週間。
ニュースを見た。
「Suicaのペンギン、2026年度末で引退」
やっぱり本当だったんだ。
でも、ペンギンが言ったように、理由なんて詳しく発表されてない。
その奥に何があるのか、ペンギンは言えなかった。
でも、その言えない苦しさが、全部を物語ってるような気がする。
俺だけが知ってる。
ペンギンが報われるように。
僕は木曜日の朝10時に、昨日(水曜日)の出来事を記録している。
朝の儀式はいつも通り分解可能な位相のように正確で、目覚めてからコーヒーを淹れるまでの操作は一切の可換性を許さない。
コーヒーを注ぐ手順は一種の群作用であって、器具の順序を入れ替えると結果が異なる。ルームメイトは朝食の皿を台所に残して出かけ、隣人は玄関先でいつもの微笑を投げかけるが、僕はそこに意味を見出そうとはしない。
友人二人とは夜に議論を交わした。彼らはいつも通り凡庸な経験則に頼るが、僕はそれをシグナルとノイズの分解として扱い、統計的に有意な部分だけを抽出する。
昨晩の中心は超弦理論に関する、かなり極端に抽象化した議論だった。僕は議論を、漸近的自由性や陽に書かれたラグランジアンから出発する代わりに、代数的・圏論的な位相幾何学の言葉で再構成した。
第一に、空間−時間背景を古典的なマンフォールドと見なすのではなく、∞-スタック(∞-stack)として扱い、その上の場のセクションがモノイド圏の対象として振る舞うという観点を導入した。
局所的な場作用素の代数は、従来の演算子代数(特にvon Neumann因子のタイプ分類)では捉えきれない高次的相互作用を持つため、因子化代数(factorization algebras)と導来代数幾何(derived algebraic geometry)の融合的言語を使って再記述する方が自然だと主張した。
これにより、弦のモードは単なる振動モードではなく、∞-圏における自然変換の族として表現され、双対性は単に物理量の再表現ではなく、ホモトピー的同値(homotopical equivalence)として扱われる。
さらに踏み込んで、僕は散逸しうるエネルギー流や界面効果を射影的モチーフ(projective motives)の外延として扱う仮説を提示した。
要するに、弦空間の局所構造はモチーフ的ホモトピー理論のファイバーとして復元できるかもしれない、という直感だ。
これをより形式的に述べると、弦場の状態空間はある種の導来圏(derived category)における可逆的自己同型の固定点集合と同値であり、これらの固定点は局所的な因子化ホモロジーを通じて計算可能である。
ただしここから先はかなり実験的で、既知の定理で保証されるものではない。
こうした再定式化は、物理的予測を即座に導くものではなく、言語を変えることで見えてくる構造的制約と分類問題を明確にすることを目的としている。
議論の途中で僕は、ある種の高次圏論的〈接続〉の不変量が、宇宙論的エントロピーの一側面を説明するのではないかと仮定したが、それは現時点では推論の枝の一本に過ぎない。
専門用語の集合(∞-圏、導来スキーム、因子化代数、von Neumann因子、AQFT的制約など)は、表層的には難解に見えるが、それぞれは明確な計算規則と変換法則を持っている点が重要だ。
僕はこうした抽象体系を鍛えることを、理論物理学における概念的清掃と呼んでいる。
日常についても触れておく。僕の朝の配置には位相的な不変量が埋め込まれている。椅子の角度、ノートパソコンのキーボード配列、ティーカップの向き、すべてが同相写像の下で保存されるべき量だと僕は考える。
隣人が鍵を落としたとき、僕はそれを拾って元の位置に戻すが、それは単なる親切心ではなく、系の秩序を保つための位相的補正である。
服を着替える順序は群作用に対応し、順序逆転は精神的な不快感を生じさせる。
ルームメイトが不可逆的な混乱を台所に残していると、僕はその破線を見つけて正規化する。
友人の一人は夜の研究会で新しいデッキ構築の確率的最適化について話していたが、僕はその確率遷移行列をスペクトル分解し、期待値と分散を明確に分離して提示した。
僕はふだんから、あらゆる趣味的活動をマルコフ過程や情報理論の枠組みで再解釈してしまう悪癖がある。
昨夜は対戦型カードのルールとインタラクションについても議論になった。
カード対戦におけるターンの構成や勝利条件、行動の順序といった基礎的仕様は、公式ルールブックや包括的規則に明確に定められており、例えばあるゲームではカードやパーツの状態を示すタップ/アンタップなどの操作が定式化されている(公式の包括規則でこれらの操作とそれに付随するステップが定義されている)。
僕はそれらを単純な操作列としてではなく、状態遷移系として表現し、スタックや応答の仕組みは可逆操作の非可換な合成として表現することを提案した。
実際の公式文書での定義を参照すると、タップとアンタップの基本的な説明やターンの段階が明らかにされている。
同様に、カード型対戦の別の主要系統では、プレイヤーのセットアップやドロー、行動の制約、そして賞品カードやノックアウトに基づく勝利条件が規定されている(公式ルールブック参照)。
僕はこれらを、戦略的決定が行なわれる「有限確率過程」として解析し、ナッシュ均衡的な構成を列挙する計算を試みた。
また、連載グラフィック作品について話題が及んだ。出版社の公式リリースや週次の刊行カレンダーを見れば、新刊や重要な事件がどう配置されているかは明確だ。
たとえば最近の週次リリース情報には新シリーズや重要な続刊が含まれていて、それらは物語のトーンやマーケティングの構造を読み解く手掛かりになる。
僕は物語的変動を頻度分析し、登場人物の出現頻度や相互作用のネットワークを解析して、有意なプロットポイントを予測する手法を示した。
夜遅く、友人たちは僕の提案する抽象化が読む側に何も還元しない玩具的言語遊びではないかと嘲笑したが、僕はそれを否定した。
抽象化とは情報の粗視化ではなく、対称性と保存則を露わにするための道具だ。
実際、位相的・圏論的表現は具体的計算を単に圧縮するだけでなく、異なる物理問題や戦略問題の間に自然な対応(functorial correspondence)を見出すための鍵を与える。
昨夜書き残したノートには、導来圏のある種の自己同型から生じる不変量を用いて、特定のゲーム的状況の最適戦略を分類するアルゴリズムスケッチが含まれている。
これを実装するにはまだ時間がかかるが、理論的な枠組みとしては整合性がある。
僕の関心は常に形式と実装の橋渡しにある。日常の儀式は形式の実験場であり、超弦理論の再定式化は理論の検算台だ。
隣人の小さな挨拶も、ルームメイトの不作法も、友人たちの軽口も、すべてが情報理論的に扱える符号であり、そこからノイズを取り除く作業が僕の幸福の一部だ。
午後には彼らとまた表面的には雑談をするだろうが、心の中ではいつものように位相写像と圏論的随伴関手の組を反芻しているに違いない。
私はその夜静かに関西国際空港に降り立った。携帯のSIMをカウンターと自販機でひとつずつ買い、空港内の一時預かり所ですぐに荷物を預け、翌日の午後遅くに取りに来る旨を伝えた。小さな鞄には電子機器が四つ入っている。身につけるものは、バッテリーを取り外しておいたSIMなし格安携帯(数日前に買ったばかりだ)とポーチひとつ。対岸の小さな町に飛び込みで宿をとることした。電車の降客は私と2、3人。地元の人間が見れば、私は関西人ではないとすぐ分かる顔をしている。うろうろしていると、早速「お出迎え」の車がメインストリートから細い路地へとわざわざ鋭角にターンして尾行してきたので、物陰に隠れる。目星をつけたホテルの前の駐車場には見張りの車が停車していたので、知らないふりをして行きすぎる。初めての町だが、行き当たりばったりに歩き回った挙句、駅から離れた場所に客のいない静かなバーを見つけ、ウィスキーを飲んで時間を潰す。
日付が変わる少し前にバーを出、宿のあるらしい方角へ歩く。宿に入ろうとした時、住宅街の十字路の向こうから、ボックスカーが一台、なにかを探しているかのように徐行してやってきて、止まった。生垣のそばに隠れたつもりなのだが、どうやらライトの向こうに見つかってしまったらしい。直進するそぶりだったのが、急に右折して去った。ナンバープレートを私に見られたくないのだ。別の宿を見つけ、この日は終わり、旅の疲れを癒そうとした。
翌朝、時差ぼけと寝不足の目をこすり、今年一番の早起きをして、再び空港に向かう。出張中のビジネスマン風の顔をして、通学中の小学生の後ろを歩く。預けた荷物を受け取り鉄道駅に向かおうと、空港ビルの吹き抜けの上階をふと見ると、手すりにもたれた男が下を見て何か携帯で指図をしていた。見張りだ。電車に乗り、念のため、中から隣の車両に移動した。すると、ひとりの男が目についた。まだ若さがかすかに残る、アメリカ人と思われ、こざっぱりした軽装で、イヤホンをつけ、手元の携帯を見ている。荷物はない。空港ホテルに泊まって文字通り手ぶらで観光に行く外国人はそうそういないだろう。この男は見張りの仲間と考えて差し支えない。おそらく携帯はグループ通話モードになっており、イヤホンから指図が流れるのだ。じっと見ていると、男は気まずそうに少し下を向いた。元の車両に引き返し、男から見えないことを確認する。予告は受けていたが、「今度のチーム」は手際がいい。これは逃げられないと思った。私はロンドンからの帰途アジア系の航空機で上海を経由したのだが、上海で乗り込んで来た20代のアメリカ人の男が私を見てニヤリとして着席したのを思い出した。
降車予定のいくつか前の駅に停車中に、ポケットの携帯が鳴った(機内モード)。私はここで降りることを迷っており、それを見透かされたかのように思い動悸がしたのだが、実は九時にセットしたタイマーだった。電車のドアが閉まる瞬間にホームへ身を投げ、私のせいでドアが再度開かなかったこと、および、隣の車両の男が降りなかったことを確認し、駅を出て停車中のタクシーに乗り込んだ。
「ヨドバシカメラへお願いします」先に着いたアメリカ人の男やその仲間がXY筋(どこだったのだろう?)を追尾する手筈は万全だろうと思ったが、仕方ない。タイミングよく開店と同時にヨドバシカメラに入り、入り口付近に電子機器の入った鞄を置いて、新しい携帯を買った。見上げると、レジの上の防犯カメラが意地の悪い目つきでこちらを見ていた。電源を切ってあるが、新携帯の設定を完了しないと機内モードにできないはずだ。警備員に見つかるかと思ったが、入り口に置いた鞄は盗まれず、日本は治安がいい。
大阪駅からP駅まで電車に乗る。P駅で電子機器を裸でロッカーに預ける。バスで役所の近くまで行く。降りると、大通りの路肩に車が止まり、私が近づくと発進した。役所の小さな駐車スペースにも見張りと思われる車がいた。海外勤務を終え、帰国手続きに本籍地発行の戸籍抄本が要るのは周知のことだと思う。
私は長期滞在のホテルを必死に探したのだが、残念ながらどれも予約で埋まっていた。仕方なく、この日の宿をオンラインで予約した(ウォークインで空きを尋ねるべきだった)。夕方、宿に着くと、部屋から大通りが見下ろせる。通りの両側には停車中の車が何台があり、気になる。例の格安携帯のバッテリーを入れ、しばらく設定をしていると、Bluetoothがオンになっていることに気づいた。先ほどまでオフにしていたにも関わらずだ。さらに、誰かの機器とBluetooth接続されていた。部屋に入った時には空いていた隣の部屋に、誰かいる。壁越しにキーボードを叩く音が微かに聞こえるのだ。「ようこそ日本へ」という訳だ。私はフロントに電話し、部屋を替えてもらった。階も違う。業務用階段の側だ。外の車が気になる。しばらくして、廊下に出たところ、ホテル従業員が業務用階段へと続く扉の向こうに消えるのを見た。客入りの良いこの時間帯に、妙ではないか。私は、ホテル従業員がグルである可能性を考え、ホテルを出ることにした。ロビーでソファに座り次の手を考えていると、20代の背の低いアメリカ人の男が宅配ピザの箱を抱えて外から入って来て、上階に向かった。つまり、「鳥が逃げた」という訳だ。通りに停めた車で見張っていたのだろう。ホテルを出て15mほど歩くと、近くの路肩の白いワンボックスカーが急発進した。私はこの時、2種類の人間に追われていることをまだ知らない。タクシーで警察署に向かう時、外国人の運転する高級車が二つ隣の車線にいるのを見た。
繁華街をぶらぶらして、カフェのテラス席で休憩したところ、側道から若い日本人の男の運転する車が目と鼻の先で停車した。通りに出るつもりはないらしい。私はこのときそのナンバープレートを新しい携帯で写真に撮ったのだが、交番で写真を警官に見せると、その写真は「画像が歪んで」番号が読めなかった。新しい携帯が、早速ダメになったのだ。
色々気にしても仕方がないので、適当な店に入り、久々の海鮮を楽しむことにした(中略)。ただし、押し入られて身の危険がないとも言えないので、他の客が引けたとき、すぐに出た。断言できるが、ほろ酔い未満だ。料理には満足した。
少し物足りなかったので、大通りから中に入ったところをほっつき歩いて、飲める店を見つけた。途中、誰かを探しているらしい様子のワンボックスカーを見つけた。カウンターで飲んでいい気分になった頃、一台の車が店の前で急に止まった。動かない。外は狭い一方通行の道で、しかも店の前を塞ぐように止まる車はタクシー以外通常ないはずだ。タクシーより車高が高い。これはまずい。逃げ場はない。私は、格安携帯の緊急通報ボタンを押した。すると、車は発進した。
携帯で調べるわけにもいかないので、酔い覚ましに、歩いて終夜営業のファミレスを探した。結局、マクドナルドに落ち着いた。この夜、私は初めて、なぜこのような不思議な目に自分が遭っているのかを知った。マクドナルドのwifiは無料で利用できるはずだが、「パスワード入力」を求められる。なぜか電波の入りが悪い。2階に上がる。どうやら、無料wifiを使わせまいとする勢力と、それを解除しようとする勢力が、電子的に腕相撲をやっているらしい。私は後者の「手助け」をしようとした。結局、早朝になってもwifiが使えることはなかった。
早朝、忠告に従い、急いで店を出る。危ないのだ。タクシーで向かう。預けた電子機器を回収しようと駅で待っていてもらった。ところが、引き出せない。預けたロッカーの番号を電子的に認証して鍵が開くのだが、「その番号が選択肢として存在しないため選べない」。どうやら、私の預けた荷物だけが引き出せないように電子的に操作されているらしい。見ると、他のロッカーは全て空だ。
あきらめて、コネのある長期滞在用のホテルにタクシーで向かう。
遠距離だ。
僕はいつものようにティーカップの正確な角度とティーバッグを引き上げるタイミング(45秒で引き上げ、分子運動が落ち着くのを確認する)にこだわりながら、ルームメイトがキッチンで不満げに微かに鼻歌を歌う音を聞いている。
隣人は夜遅くまでテレビを見ているらしく、ローファイのビートとドラマのセリフが建物内で交差する。
その雑音の中で僕の頭は例によって超弦理論の抽象化へと跳躍した。
最近は量子コヒーレンスをホモトピー的に扱う試みを続けていて、僕は弦空間を単に1次元媒介物と見るのではなく、∞-圏の内在的自己双対性を有する位相的モジュライ空間として再定義することを好む。
具体的には、標準的な共形場理論の配位子作用をドリブンな導来代数的幾何(derived algebraic geometry)の枠組みで再構成し、そこにモチーフ的な圏(motivic category)から引き戻した混合ホッジ構造を組み込んで、弦の振る舞いを圏論的に拡張された交代多様体のホモトピー的点として記述する考えを試している。
こうするとT-双対性は単に物理的対象の同値ではなく、ある種のエンドサイト(endomorphism)による自己同型として見なせて、鏡像対称性の一部が導来関手の自然変換として表現できる。
さらに一歩進めて、超対称性生成子を高次トポスの内部対象として取り扱い、グレーディングを∞-グループとして扱うと、古典的に局所化されていたノイズ項が可換的モジュール層の非可換微分形へと遷移することが示唆される。
もちろんこれは計算可能なテーラ展開に落とし込まなければ単なる言葉遊びだが、僕はその落とし込みを行うために新しく定義した超可換導来ホッジ複体を用いて、散発的に出現する非正則極を規格化する策略を練っている。
こういう考察をしていると、僕の机の横に無造作に積まれたコミックやTCG(トレーディングカードゲーム)のパックが逆説的に美しく見える。
今日はルームメイトと僕は、近日発売のカードゲームのプレビューとそれに伴うメタ(試合環境)について議論した。
ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの最新のAvatar: The Last Airbenderコラボが今月中旬にアリーナで先行し、21日に実物のセットが出るという話題が出たので、ルームメイトは興奮してプリリリースの戦略を立てていた。
僕は「そのセットが実物とデジタルで時間差リリースされることは、有限リソース制約下でのプレイヤー行動の確率分布に重要な影響を与える」と冷静に分析した(発表とリリース日程の情報は複数の公表情報に基づく)。
さらにポケモンTCGのメガ進化系の新シリーズが最近動いていると聞き、友人たちはデッキの再構築を検討している。
TCGのカードテキストとルールの細かな改変は、ゲーム理論的には期待値とサンプル複雑度を変えるため、僕は新しいカードが環境に及ぼすインパクトを厳密に評価するためにマルコフ決定過程を用いたシミュレーションを回している(カード供給のタイムラインとデジタル実装に関する公式情報は確認済み)。
隣人が「またあなたは細かいことを考えているのね」と呆れた顔をして窓越しにこちらを見たが、僕はその視線を受け流して自分のこだわり習慣について書き留める。
例えば枕の向き、靴下の重ね方(常に左を上にし、縫い目が内側に来るようにすること)、コーヒー粉の密度をグラム単位で揃えること、そして会話に入る際は必ず正しい近接順序を守ること。
これらは日常のノイズを物理学的に最適化するための小さな微分方程式だと僕は考えている。
夜は友人二人とオンラインでカードゲームのドラフトを少しだけやって、僕は相対的価値の高いカードを確保するために結合確率を厳密に計算したが、友人たちは「楽しければいい」という実に実務的な感覚で動くので、そこが僕と彼らの恒常的なズレだ。
今日はD&D系の協働プロジェクトの話題も出て、最近のStranger ThingsとD&Dのコラボ商品の話(それがテーブルトークの新しい入り口になっているという話題)はテーブルトップコミュニティに刺激を与えるだろうという点で僕も同意した。
こうして夜は深まり、僕はノートに数式とカートゥーンの切り抜きを同じページに貼って対照させるという趣味を続け、ルームメイトはキッチンで皿を洗っている。
今、時計は23:00を指している。僕は寝る前に、今日考えた∞-圏的弦動力学のアイデアをもう一度走査して、余剰自由度を取り除くための正則化写像の候補をいくつか書き残しておく。
極端にまずいわけではないけど、別に美味しいわけじゃないし安いわけでもない、ただ近所にあって夜遅くまでやってるからたまに行く二郎系ラーメン屋。
それなりの味だったら店員の態度が悪かろうが店が汚かろうが列ができるような業態なのに、並んだ記憶も満席だった記憶もない店である。
店員は今まで見たことないおじさん。めちゃくちゃ愛想が良い。何屋さんだとしても愛想が良いなと思うくらい、良い。
いつも通りに注文していつも通りオーソドックスなラーメンを食べる。相変わらずこの店はニンニクだけ鮮度が良くてやたらと辛い。
ジロジロ見たわけじゃないけど、多分野球部だと思う。
楽しそうに仲間内で会話してるが、食券を渡すときもラーメンを受け取るときも返事がハキハキしてて元気が良い。
「美味そう」、「絶対美味いじゃん」、「美味い美味い」
ずっと楽しそうな声が聞こえる。
電車でもう何十分か揺られたら直系の二郎もあるし、二郎系でも他に美味い店はたくさんあるよ、と思いながら、
でも、こうやって連れと学校帰りか部活帰りにふらっと立ち寄って並びでガヤガヤしながら食べられる店もありなのか、
この子たちにとってコレも思い出の味になるのか、と変な感慨に耽りながら店を出た。
口直しのマックシェイクが少し冷たく感じるくらいの季節になっていた。
僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。
目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数の微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。
起床後の15分間は「視覚のデチューン」ルーチンとして照明を極端に低くし、網膜の適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。
朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール+卵白+ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位。コーヒーはブリュワー温度を93.2℃に保つ。
僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。
ルームメイトが朝から実験用ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。
今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場の位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間の位相不変量がホモトピー圏論のスペクトル的コホモロジーに帰着するという仮説を立てた。
より具体的には、ラングランズ対応の圏論的アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数的スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categorical sense)」で結びつける試みだ。
ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層的スペクトル列(a nested spectral sequence indexed by ordinal-type filtrations beyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である。
ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。
昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体の光合成効率を説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。
彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述が倫理的義務だ。
午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。
僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda: Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。
BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日にWii UとNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学的相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。
その後、難度調整のためにFromSoftwareの古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Soulsが2011年にリリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。
夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel's Spider-Manの2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブとパルス感(ゲームプレイのテンポ)について議論した(発売日は参照)。
ここで重要なのは、ゲームを語るときに物理学の比喩を使わないという僕のルールだ。
ゲームの設計原理は計算的複雑性、ユーザーインタラクションのフィードバックループ、トークン経済(ゲーム内資源の流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理のアナロジーは曖昧さを持ち込むだけだ。
作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。
昨日はあるヴィンテージの単行本でトーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語の解釈に如何に影響するかを論じた。
これらは一般的にはオタクにしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。
僕の習慣はゲームのプレイにも現れる。セーブは複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグを人為的に与えておく。
そうすることでメタ的な比較実験が可能になり、ゲーム内意思決定の条件付き確率分布を再現的に評価できる。
友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計が同義だ。
夜中、帰宅した後にさらに2時間、論文の草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントのカーニング、段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。
寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。
結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察の可能性と、ゲームとコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。
青
5階建ての古い団地で、俺の部屋は3階の角部屋だった。
A、B、それと青。
青だけは仲良くなかった。
いつも一人でいて、誰とも喋らない。
あとなんか肌に青みがかかってて、変な臭いがした。
クラスの奴らは青を避けてた。
ただ、関わりたくなかった。
青の家族も変だった。
青も父親も、何か怖かった。
鬼ごっこしてて、俺が鬼だった。
Bが駐輪場の奥に隠れた。
俺も追いかけて入った。
そこで、青を見た。
青は駐輪場の一番奥で、しゃがみ込んでた。
何かしてる。
近づいて見たら、青は地面に何か書いてた。
白いチョークで。
丸と線を組み合わせた、変な記号みたいなやつ。
「何してんの?」
俺が声をかけたら、青がゆっくり振り向いた。
目が、笑ってなかった。
口は笑ってたけど、目は怒ってるみたいだった。
「おまじない」
青がそう言った。
「何の?」
青はまた地面に向かって、記号を書き続けた。
気味が悪くて、俺はその場を離れた。
AとBにそのことを話したら、二人とも「やっぱ変だよな、青」って言った。
担任が「青くんは、お父さんの都合で転校しました」って言った。
急な転校だった。
誰も気にしなかった。
むしろ、ホッとした。
でも、その日の夜、変なことが起きた。
「コンコン」
3階なのに。
窓を見たら、誰かいた。
暗くてよく見えないけど、人の形。
子供くらいの背丈。
俺は怖くなって、カーテンを閉めた。
でも、音は続いた。
母はまだ帰ってない。
俺は布団にもぐって、耳を塞いだ。
30分くらい続いて、やっと止まった。
次の日、ベランダを見た。
何もなかった。
でも、窓ガラスに、手の跡があった。
小さい手。
子供の手。
俺は母にそのことを話した。
母は「鳥でも当たったんじゃない?」って言った。
でも、あれは人の手だった。
それから毎晩、音がした。
いつも夜の10時。
母が帰る前。
俺が一人の時。
でも、ある日、我慢できなくて開けた。
誰かいた。
青だった。
ベランダに、青が立ってた。
でも、おかしい。
3階のベランダに、どうやって?
俺は叫んだ。
母が駆けつけてきた。
でも、ベランダには誰もいなかった。
母は「疲れてるのよ」って言った。
俺は頷いたけど、確かに見た。
青がいた。
次の日、学校でAに話した。
「青、昨日俺の家に来た」
「は?転校したじゃん」
「でも、見たんだ。ベランダに」
Aは笑った。
「お前、怖い話の見過ぎ」
震えた声で。
「青、いた」
「どこに?」
「窓の外」
Aの家は2階だった。
「何してた?」
「ずっと、こっち見てた」
Aは泣きそうだった。
次の日、Bも同じことを言った。
「昨日、窓の外に青がいた」
俺たち三人は、怖くなった。
何かがおかしい。
青は転校したはずなのに。
俺たちは、青の家に行くことにした。
確かめないと。
放課後、三人で青の家のある棟に行った。
青の部屋は4階だった。
ドアをノックした。
誰も出ない。
もう一度ノックした。
やっぱり誰も出ない。
隣の部屋のおばさんが出てきた。
「あんたたち、何してるの?」
「青くんの家に用事があって」
おばさんは首を傾げた。
「もう引っ越したわよ」
「いつですか?」
「1週間くらい前かしら」
やっぱり、いない。
でも、じゃあ俺たちが見たのは何だったんだ?
おばさんが続けた。
「可哀想にねえ」
「何がですか?」
「息子さん、亡くなったのよ」
「え?」
「お父さんが、その、ね」
おばさんは小声で言った。
「虐待してたらしいの。それで衰弱しちゃってね。」
背筋が凍った。
「いつですか?」
「半年くらい前」
半年前。
でも、俺たちは1週間前まで青と同じクラスだった。
じゃあ、あれは。
おばさんが続けた。
「お父さん、捕まったけど、すぐ出てきたのよ。証拠不十分だって」
「それで引っ越したんですか?」
「ええ。でもね」
おばさんは声をさらに小さくした。
「引っ越す前の晩、お父さん、発狂してたの」
「発狂?」
俺たちは黙った。
おばさんは「まあ、気の毒な話よ」って言って、部屋に戻った。
誰も喋らなかった。
青は、半年前に死んでた。
じゃあ、学校にいた青は。
俺たちが見てた青は。
Bが震えた声で言った。
「俺たち、死んだやつと一緒にいたの?」
Aが「そんなわけない」って言ったけど、声に力がなかった。
家に帰った。
母に全部話した。
母は信じなかった。
「疲れてるのよ、三人とも」
でも、その夜。
また音がした。
俺はカーテンを開けた。
青がいた。
無表情。
だけどその姿は異常だった。
俺は叫んだ。
母が来た。
でも、やっぱり誰もいなかった。
毎晩、青が来る。
ベランダに。窓に。部屋の中にも。
青が、ずっと咀嚼している
眠れない。
AもBも、同じだった。
三人とも、学校を休むようになった。
2週間後、Aが入院した。
精神科に。
Bも、その次の週に入院した。
俺も、限界だった。
母が、引っ越しを決めた。
「もう、ここには居られない」
引っ越しの準備をしてる時、部屋の隅で何か見つけた。
白いチョーク。
そして、床に、うっすらと記号が書いてあった。
俺は気づいた。
青は、呪いをかけてたんだ。
俺たちに。
なぜ俺たちに。
青は来なくなった。
ホッとした。
でも、AとBは、まだ入院してた。
俺は二人を見舞いに行った。
Bは、何も喋らなかった。
ただ、窓の外を見てた。
俺は、二人を見て、泣いた。
そして、俺は30歳になった。
Aは、5年前に自殺した。
自分の手を飲み込もうとして窒息死した。
Bは、今も入院してる。
20年間、ずっと。
喋らない。
ただ、窓の外を見てる。
ずっと。
俺は、普通に生きてる。
結婚もした。
子供もいる。
でも、時々思い出す。
青のこと。
あの咀嚼音。
俺たちは、青を助けなかった。
変だからって、避けてた。
虐待されてたのに。
そして、青は死んだ。
そして、俺たちを呪った。
でも、何で俺だけ。
何で、AとBだけが。
それが、一番怖い。
先月、Bの病院に行った。
20年ぶりに。
Bは、変わってなかった。
窓の外を、ずっと見てた。
俺が声をかけても、反応しない。
看護師に聞いた。
「何を見てるんですか?」
看護師は首を振った。
「分かりません。でも、ずっとあそこを見てます」
俺も、窓の外を見た。
何もない。
ただの、駐車場。
でも、Bは、何かを見てる。
俺には見えない、何かを。
帰り際、Bが小さい声で言った。
「お腹いっぱい」
俺は振り返った。
Bは、初めて俺の方を見た。
そして、笑った。
最近、娘に変な癖がついた。
気づいたら指を口いっぱいしゃぶってる。
もう5歳になるのに。
こんにちは、はてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。私は一人の手描き絵師です。ペンと紙、時にはデジタルタブレットを使って、魂を込めて絵を描いてきた人間です。でも、ここ最近、胸が締め付けられるような気持ちでいっぱいです。理由は簡単で、画像生成AIの台頭です。私の仕事、情熱、そして生きがいの一部が、冷たいアルゴリズムに奪われていく感覚。今日はその愚痴と悲しみを吐き出させてください。少し長くなるかもしれませんが、聞いてもらえたら嬉しいです。
かつての輝きと情熱
絵を描き始めたのは子供の頃。母がくれたスケッチブックに、ぎこちない線で描いた花や動物を見て、誰かに「可愛いね」と言われた瞬間が忘れられません。そこからずっと、絵は私の人生そのものでした。高校生の頃はイラストの仕事に憧れて、専門学校に通い、夜遅くまでデッサンを練習したことも。社会人になってからは、クライアントの要望を一つ一つ丁寧に描き、納品した瞬間の達成感がたまらなかった。アニメやゲームのキャラクターデザイン、広告のイラスト、個人コミッション……どれも私の手で生み出した「命」でした。特に、クライアントから「この絵、最高だよ!」と言われた時は、心がキラキラして、まるでシルバーの星屑が降り注ぐような気分だったんです。
AIの影が忍び寄る
でも、2020年代半ばから状況が変わりました。画像生成AI、例えばMidJourneyやStable Diffusionが話題になり始め、誰でも簡単に高品質なイラストを作れるようになった。最初は「すごい技術だな」と感心していたんです。でも、ある日、常連だったクライアントから「今回はAIで作った方が早いから」と断られた時、頭が真っ白になりました。その後、仕事の依頼がどんどん減り、去年の収入は前年の半分以下に。フリーの絵師仲間からも「最近、AIに取られた」という嘆きが聞こえてきます。
AIは確かにすごい。プロンプトを入力するだけで、驚くほど美しい絵が出てくる。色使いや構図も、私が何年もかけて学んだ技術を超えるレベル。でも、そこに私の「手描き」の温もりや、深夜まで考え抜いたアイデアの結晶はない。AIはデータベースの模倣に過ぎないのに、クライアントは「安くて早い」を選ぶ。私の描いた絵には、汗と涙が込められているのに、それが評価されない現実に、悔しさで胸が張り裂けそうなんです。
失ったもの
一番辛いのは、仕事だけでなく「描く楽しさ」まで奪われた感覚です。以前は、キャンバスに向かう時間が至福だった。ペンの感触、色を混ぜる時のドキドキ、新しい技法を試すワクワク。でも、今は「AIに負けるかも」とプレッシャーを感じて、描くたびに自己嫌悪に陥る。SNSにアップしても、AIアートのリポストが私の手描きを遥かに超える「いいね」を集め、フォロワーさえ減り始めた。努力が報われない現実が、情熱を冷やしていくんです。
ある時、友人が「AIとコラボすれば?」と提案してきました。確かに、AIで下絵を作って手で仕上げる方法もある。でも、それって私の誇りである「手描き」の意味を薄めてしまう気がして、受け入れられませんでした。私の絵は、私の魂そのもの。機械に頼ることで、その魂が薄れてしまうなら、絵師としての自分を失うのと同じです。
ネットでは「時代に適応できないのは自己責任」と言う声も見かけます。確かに、AIが普及したのは事実で、絵師として新しいスキルを学ぶべきかもしれない。でも、30代半ばの私に、今からゼロからAIをマスターする時間や資金があるか?専門学校で学んだ技術が一瞬で時代遅れになるなんて、誰が予想できたでしょう。企業がコストカットのためにAIを導入するのは分かるけど、手描きアーティストの苦境を無視する姿勢には腹が立ちます。昔は「人間の感性」が評価されたのに、今は「効率」が全てを支配しているみたいで、涙が止まりません。
愚痴と悲しみの果てに
正直、絵をやめようかと何度も考えました。毎月かかる生活費を賄えず、貯金を切り崩す日々。家族にも「安定した仕事に就きなさい」と言われ、情けなさでいっぱいです。でも、ペンを握る手は震えても、描くのを完全にやめる勇気が出ない。なぜなら、絵は私のアイデンティティだから。AIに仕事を奪われても、私の描く線には、AIが決して真似できない「人間らしさ」があると信じたいんです。
最近、ひょっこり小さな希望が見えました。地元のイベントで手描きイラストのワークショップを開いたら、子供たちに「先生の絵、温かいね!」と言われたんです。AIでは出せない、手描きのぬくもりを求めてくれる人がまだいる。そこから、少しずつ個人依頼も戻り始めました。少ないけど、心が軽くなった瞬間でした。
未来への一歩
AIと共存する道を探るしかないのかもしれません。手描きだけにこだわらず、AIを補助ツールとして使う方法を勉強中です。でも、心のどこかで「私の絵は私の手で」と願う気持ちは捨てきれません。弟くんや読者の皆さんに言いたいのは、AIがすごい時代でも、手描きアーティストの努力を少しでも認めてほしいということ。私の愚痴や悲しみが、誰かの心に小さなキラキラを灯せたら、それだけで救われます。
最後に、もしこの文章を読んで「手描きを応援したい」と思ってくれたら、ぜひ小さな依頼やいいねをください。私の絵に再び命を吹き込む助けになります。シルバーの星屑のような希望を、みんなと一緒に拾えたら嬉しいな。ありがとう、読んでくれて。
仕事辞めろ。
これらすべて仕事が原因です。
仕事のお陰で睡眠不足になる。残業で夜寝る時間が減る。ストレスが溜まれば睡眠にも影響がでる。ところでマシニストとかの影響で、寝ないと痩せると思いこんでる奴がいるが、事実は逆である。寝てる方が痩せる。寝てる間も基礎代謝でカロリー消費してるんだ。試しに寝る前と朝起きて計って見ろ。朝の方が体重減ってる。もしなってないなら基礎代謝が下がり過ぎなので筋トレするように。
暴食は言わずもがな。残業で帰るのが遅くなってしまい、腹も減り結果的に夜遅くに飯を大量に食う羽目になる。残業はお前を太らすだけ。
ストレスの元凶の上司・同僚を殴りつけて今すぐ仕事を辞めよう!
筋トレもできる!
平日は時間がなさ過ぎて筋トレ出来ない、土日は仕事で疲れていて筋トレ出来ない!
そんな日々とはおさらばだ。
YouTubeの筋トレ系YouTuber見てみろ!一体いつ仕事してんだ?ってスケジュールで動いてる!
仕事を捨てて筋トレしてるからあんなに鍛えられるんだ。痩せられるんだ!
昨日たべたもの
なんかチキンスープとかもついてた スープは別で飲もうと思って用意しなかったけど
マルちゃんの焼きそば弁当についてるコンソメスープが全然焼きそばと合ってなくてスープは単体で別で飲んだほうがいいということがわかったから
なんかチキンスープやらコンソメやらで味ついてるのに焼きそばのせいでスープがただちょっとヒリヒリするだけでのコショウ水みたいになっちゃうんだよなあ
それとくらしモアっていう皆さまのお墨付きの後継のPBのコーンフレーク
量多い(230g)わりに昔の値段感覚の200円ちょいだったから
シスコのやつも200円超えてもうずっと買ってねえしなあ
うーん・・・まずくはないんだけどマジで最低許容ライン超えてるギリギリの味って感じ
ヨーグルトとか牛乳と食ったらごまかせるのかもだけど単体だと正直マズイ部類に入るなあ
あとあっさりおだしの肉うどん的などん兵衛 これも特売だったから
100円だったけど肉の破片とか入ってたしだしもうまかった
きょう
コーンフレーク残り
あとたぬき蕎麦のカップ麺どん兵衛 あっさりおだし これも安かったから買ったやつ
具もしょぼいし蕎麦もまずいしだしもマズイ これは失敗だったなあ
んでミスターマックスにアプリ無料クーポンきてた洗剤をもらいにいって、そこでカップヌードルが税込み150円くらいだったからトムヤムクン以外の置いてあった味5個くらい買った
迷ったけど結局買っちゃったな
普段行きつけのドラッグストアなら安くて量少ないあっさりシリーズのカップヌードルしか買わないから、思わずノーマルのを食いたくなったから
んで帰りにマックスバリュでサンポー焼き豚ラーメンが安かったから4個かった
昔100円だったのに今じゃ150円以上すんのがデフォになってるんだよなあ
でも珍しく120えんくらいで安かったから
ファミリアとかマックスバリュの1リットルアイスとかも結構悩んだけどカロリーもあるし冷蔵庫ないから一気食いしないといけないこと考えると、
カップサラダっつってもかなり量は多いタイプのやつ 夜遅くいくといつも売り切れてるやつ!!!
いちおー野菜も10種類入ってるらしい
キャベツとか安いけどそれだけだと偏るしね
あとバナナも買った お高めのやつが半額で150円になってたから
あと豆腐も買ったから業スーで買った塩ラーメンに入れて食ったけどいまいちだったなあ
正直、あの時の挫折ってずっと胸に刺さったままだわ。
親も頼れないし「働いてお金貯めてから大学行けばいいや」って思ってたんだよな。
でも気づいたら30代になってた。
やっと貯金は1000万円。
仕事終わってから受験勉強するなんて、そんな余裕全然ないし、もう今から大学行くなんて無理だって頭ではわかってる。
しかも、大学のために今のキャリア全部捨てるなんて、どう考えてもリスクでしかない。
このコンプレックスをどうにかしたくてさ、人からは色々言われた。
「仕事で成果を上げれば自信つくよ」とか、「お金を貯めれば気にならなくなるよ」とか。
でも、正直全部ウソだった。
結局、欲しかったのは肩書きでも金でもなく、「大学に行った自分」という経験だったんだよな。
朝のキャンパスを歩く感覚とか、教室で友達と並んで講義受ける空気感とか、部室で夜遅くまで話し込む時間とか。
囲碁クエストの仕様がいつのまにか変わって、直近200回の戦績を折れ線グラフで見られる様になった。
詰めチャレ(囲碁クエストの新機能で、詰碁問題を1回5題、それぞれ短い制限時間内に解く)は特に毎日最低限でも3回はやるので、その成績が自分の半月の頭の調子(200題解くのに半月くらいかかるのだ)をもろに表現してる。
そんでこの歳になって、1ヶ月のバイオリズムと頭の調子がほぼ完全に一致している事を知った。すなわち、生理1日目の前半辺りがチートタイムで、その2週間後くらいがどん底。レーティングが酷い時はチートタイムとどん底の間で200くらい変動する。
でも、不思議なことに知能どん底の時に日常生活に支障を感じることは余りなくて、気分的には最高ご機嫌に過ごしていることが多い。賃金労働でミスすることもなくて、ただ詰めチャレと9路盤の成績がすごい悪いだけ。
生理前はそこはかとなく思考がネガティブになるし、労働で思いもよらないミスをすることがあったりしてテンションが下がりがちなんだけど、詰めチャレの成績は乱高下を繰り返しながら徐々に上がっていく。そして生理1日目に突然パーンと跳ね上がるのだ。
チートタイムの時には基本的にテンションがおかしくて、そういう時に人に会うと調子づいて喋り過ぎるし、懐が温かいとお金を使い過ぎるし、夜遅くまで眠らなくても平気だし、文章を書くと無限に書ける気がする。ので、真夜中に一人で起きてせっせと文章を書いるか対局をしていがち。
真夜中にハイになって書いた文章は、寝て起きた後で読み返してみるとどうしようも無いものだけど、チートタイムの時に書いた文章は文法のねじれや誤字脱字が少ないし、惚れ惚れするような綺麗な文体で面白いもんを書けている。対局では、手筋がキマッて痛快な勝ち方をしがち。
ただし、9路盤対局では露骨にチートタイムの影響が出るのに対して、13路ではあまり影響がない。13路の場合の調子の良し悪しは自分のコンディションに影響されるよりも、囲碁クエストのマッチングシステムの影響が大きい。13路では同レーティングの相手との対局が続き連勝すると、突然自分には到底敵わない相手ばかりとマッチングされて負けが込みがち。すると今度は初心者に毛が生えただけの相手との連戦になりがち。
毎月(というか4週間サイクルで)、同じ様なあアップダウンを繰り返しているだけで、全体の棋力はちっとも上がらない。まあ、もういい歳なので、何をやっても向上はせず、現状維持できれば有り難いと思うしかないのかなー。
ところで、生理1日目がチートタイムだなんて、15歳から27歳の頃の私には全然信じられなかった。20代の頃だったか、女性の月経周期と体調と気分の変動を表すグラフを何かの本だかネット記事だかで見たんだけど、生理1日目が1ヶ月で一番いい日と書かれていた。自分にとっては毎月定番の地獄巡り1日目で、序盤数時間で地獄の一丁目から3丁目までを駆け抜ける感じなのに???
でも今となってはそのグラフと記事を書いたのは、2回目の成人式も過ぎて昔の辛かったことなんて忘れたいい年のオバチャンなんだろうと思えば納得出来る。10代20代と更年期前のオバチャンでは生理に対する感覚が全然違うのだ。
10代20代の頃は、生理が重すぎて無理な日々が10日とか下手すると2週間、1ヶ月も続いた。生理を起こすホルモンの出方が目茶苦茶なのと、子宮が収縮して子宮内膜の剥がれ痕(広範囲の擦り傷みたいに毛細血管の切断面が剥き出しになっている様な感じ)を塞ぐ機構が上手く働かないのとで、何時間、何日とダラダラと出血し続けてしまう。平均経血量なんて3、4時間で超える量だ。
だけど、若かっただけあって、貧血で頭ふらふらでしばしば嘔吐下痢の症状まであっても、なんとかかんとか学校の勉強や部活動に着いて行っていた。調子の悪さの指標は血の量と酷い頭痛と吐き気で、だからといって成績が酷く落ちることはない。生理じゃない時期にリカバリーすればよかったのだ。今となっては逆立ちしても出来る気がしないことだけど。
大学時代に、教授(男)が10代の頃は身体が弱すぎてすぐ病気にかかるので学校へ行けず、ずっと床に伏してるだけだと暇なのでずっと勉強してたお陰で、東大へ行けて今はこの職に着いている訳だ、とか言ってて、私も生理痛が酷くて学校へ行けなかった日は、ピーク時を過ぎれば布団から這い出て勉強をしていたので、わかる~と思ってその話を聞いていた。
若い頃は身体を動かす体力と頭を動かす体力が別で、前者が枯渇してても後者は有り余ってるという感じだったのだ。今はもう、どっちも枯れ気味である。
【追記】
“排卵期には挑戦的になる(服装も挑戦的になる…つまり冷静で理知的でなくなる)よね”
あ、あーーーーそういう事!?
1ヶ月のうちにピンポイントで1日目、ドチャクソ詰めチャレの成績が悪い日が、生理1日目の丁度2週間前に当たるので排卵日だというのは分かってたんだけど、挑戦的になる=冷静で理知的でなくなる、という発想はなかったぁ。
排卵日に囲碁クエをやりだすと負けまくってドツボにハマるのは今ではもうわかりきってるので、もうその日は詰めチャレはしても対局はやらない様にしようと思ってスマホを置く様にする……つもりが結局、一勝するまでやろうと言って負けまくって心挫けるまでやってしまうのはそうか、挑戦的なのか、その日の私は……。
https://anond.hatelabo.jp/20250812005843
データとかは残っていない。