はてなキーワード: アクションとは
漫画である限り地の文が作品の展開上長く必要であっても必ずそれに割いたページ分絵を描かなければならない。
まあ一コマぐらいは真っ黒に塗りつぶしてそのうえに文章だけとかでも許されるかもしれないが、数ページに渡って絵なし文章だけというのはラジオで無言になって放送事故と言われるレベルで認識されているタブーに思う。
だからそんな漫画少なくとも商業では見たことない。同人でもないと思う。
しかし抽象的なメッセージが入る作品だったら、地の文もそれに応じて抽象度の高いものになって、本来絵が不要ということもあり得る。
それをわざわざ不必要な絵を強要しているのが今の漫画業界だろう。
本来余計な要素なのにそれに対してまで絵を無理にひねり出して逐一挿入するというのは、ノイズを混ぜるようなものであって、余白の美という観点にも反する。
漫画であっても、それが必要だと言うなら、適宜文章だけのページが数ページ続いたって問題ないじゃないか。
漫画と名乗るなというなら新ジャンルを創設させてくれよ。どうせラノベだと言ってもある程度はコマ割りのページが続いてるって時点でハブられるに決まってるんだし。
まあそもそも作品の展開であるときそういうページが生じるかもしれないって話なのだから、そもそも作品の展開など作者にも読めるものではないわけで、あるときまでは文句なく漫画だったものがあるときから全体として漫画と言い難いものになるってことを言っているのだから、新ジャンルを創設しただけでは解決にならないのも自明だ。
最初は漫画を描くつもりで漫画として投稿しているのかもしれないのだから。
まあここまで言っていることに対する一つの解がビジュアルノベルってやつなのかもしれないけどな。
やっぱfateはすごいわ。漫画じゃないのに、アクションシーンとかでも、適宜スチルが切り替わって、漫画を読んでいるのとは確かに違った種類でありながら没入感としては同程度のものをもたらしていた。
あれはウェブトゥーンとラノベの折衷といったところだろうな。エクスカリバーとか放っているシーンはウェブトゥーンの1コマに相当し、ウェブトゥーンだったらオノマトペの文字だけで一コマ使って間抜けになるところを、効果音の再生という形によって解決させている。
dorawiiより
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『ラッシュアワー4』は、長年愛されてきた名コンビの復活として大きな期待を集めています。独特のテンポと軽快なユーモア、そして迫力あるアクションを融合させたシリーズは、多くのファンにとって特別な存在です。新作では、熟練のバディが再びタッグを組み、息の合った掛け合いやコミカルなやり取りが戻ってくると予想されています。
このシリーズの魅力は、派手な戦いだけに留まりません。異なる個性を持つ二人が支え合い、危険なミッションに挑む中で生まれる絆こそが、観客を作品へ引き込む大きな要素です。年齢を重ねたことで生まれる新たな一面や深みも、物語をより魅力的なものにするでしょう。
また、緊張感あふれるアクションと軽妙なコメディが織り成す独特の世界観は健在であり、新旧ファンの心を掴むことは間違いありません。『ラッシュアワー4』は、懐かしさと新鮮さが交差する、新時代のアクションコメディとして期待が高まっています。
https://daryl-mitchell.onthewifi.com/
『ラッシュアワー4』は、長年愛されてきた名コンビの復活として大きな期待を集めています。独特のテンポと軽快なユーモア、そして迫力あるアクションを融合させたシリーズは、多くのファンにとって特別な存在です。新作では、熟練のバディが再びタッグを組み、息の合った掛け合いやコミカルなやり取りが戻ってくると予想されています。
このシリーズの魅力は、派手な戦いだけに留まりません。異なる個性を持つ二人が支え合い、危険なミッションに挑む中で生まれる絆こそが、観客を作品へ引き込む大きな要素です。年齢を重ねたことで生まれる新たな一面や深みも、物語をより魅力的なものにするでしょう。
また、緊張感あふれるアクションと軽妙なコメディが織り成す独特の世界観は健在であり、新旧ファンの心を掴むことは間違いありません。『ラッシュアワー4』は、懐かしさと新鮮さが交差する、新時代のアクションコメディとして期待が高まっています。
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このシリーズの魅力は、派手な戦いだけに留まりません。異なる個性を持つ二人が支え合い、危険なミッションに挑む中で生まれる絆こそが、観客を作品へ引き込む大きな要素です。年齢を重ねたことで生まれる新たな一面や深みも、物語をより魅力的なものにするでしょう。
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SEKIRO風MOと言われてやってみたのだが、感覚的には「キャラガチャの代わりに武器ガチャがある鳴潮」という感じ。
俺がやりたいのはチャキチャキキンキンキンシュッシッザシュザシュュキンキンザシュザシュなゲームなんだがこのゲームにそういう奥行きはないっぽい。
まあ原神クローンのパンチラオープンワールドには飽き飽きしてたのはそうなんだが、かといって単なるMOを今更やる気もなあ。
味がしなくなるまで無料版アサクリとしてやってもいいかもなのだが、アサクリと比べると暗殺的な部分が弱くやはり原神ライク。
あと5年も待てばブレワイクローンがクソほど湧いてくるだろうことを考えると今この手のオープンワールドアクションを半端にやるのもどうかと。
ボス戦の動画見てもなんかイマイチ判定がハッキリしないというか、そもそもこれを「パリィがあるからSEKIROライクだね」とか言ったアホに釣られたのがアホだった感あるなあ。
うん。
やらねーでええわ。
SEKIROライクでなんかねーんかなー。
地罰やThymesiaは難しすぎるって聞くし、かといってツシマみたいに卑怯殺法で殺りたい砲台ザムライもなんか違うのよねー。
スマホOSにAIがガッツリ統合されると、一体どういうことになるのか。
まず、「アプリを意識する」って感覚が消えていく。翻訳したいなら翻訳アプリを開くんじゃなくて、「これ訳して」で終わり。写真加工も、音楽再生も、買い物も、どのアプリが動いてるのかユーザーにはほぼ見えなくなる。
AIがOSレベルで個人データを全部つないで理解しはじめるから、生活の最適化が勝手に進むようになる。例えば「最近睡眠短いし歩いてないよね」とか勝手に気づいて、予定・食生活・通知設定まで調整してくれる。支出の癖を見て家計改善を毎週提案したり、仕事メールとか予定調整は半自動になる。
体感としては「生活執事OS」。寒くなったら空調を微調整し、帰宅前に家の照明を整え、歩き方のいつもと違う変化から「今日ちょっとしんどい?」と判断して会議のリスケ案を出してくる、みたいな。
「おすすめ3つだけ出して」「この週末、行ける美術展の最適ルート組んで」「予算1.5万で鮨屋予約しといて」みたいに結果だけもらう使い方が主流になる。
デスクワーク仕事も相当な範囲がAIに肩代わりされる。資料の要点抜き出し、次アクションの案出し、レポートからの異常値を検出、売り上げ資料の問題点ピックアップ、改善提案…「常に優秀な副操縦士が横にいる」状態になる。
将来のOSは大きく二極化するとみられている。Appleみたいな超安全なオンデバイス型と、Google/Microsoftみたいな自動化特化のクラウド型。どっちのOSを選ぶかで、生活の自動化レベルが変わってくるかもしれない。
企業のアプリ側も、AIエージェントに操作される前提で、データ提供とかアクションAPIを開かないと存在感ゼロになってしまうかもしれない。
AIがOSレベルでユーザーの文章癖・感情パターン・趣味嗜好・集中力・疲労度を全部学んでいくから、「本人よりも本人の意思決定を理解してるAI」が予想される未来。
そうなると、いくつかの疑問も生じる。たとえばAIリテラシーの差が、今まで以上に致命的な格差を生み出す可能性。最新のAIを使えるかどうかで、生産性や効率に圧倒的な差が生じてしまう。
そして、AI統合OSとプライバシー、使われ方の問題。ユーザーの意思決定を理解したが、たとえば犯罪傾向が極めて高いと判断される場合や、政治的に危険な傾向に対して、OSは機能をどこまで提供するのか。またはエラーを出して防ぐのか。
そもそもお前は見たかどうかに対するアクションを俺が起こす前に消したろ。
まともに見せる気ないのバレバレ。偶然見ることができたに過ぎない。
dorawiiより
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タイトルで突然、「Line Walker 2」と出てきて「エッ、2なの!?」と思ってちょっと調べたら、ドラマと同じタイトルで全然関係ない映画「Line Walker」と役者が共通なだけの別映画だった。ナニソレ珍百景すぎる。まぁいちおうCIB(犯罪捜査局)を舞台としている点だけは共通しているらしい。
孤児院で育てられた2人の少年、アンとディー。しかしある日、謎の男たちによってディーが誘拐されかけ、それを助けたアンは逆に誘拐されてしまう。それから30年後、香港で大規模ひき逃げ事件が発生。裏にテロ組織が絡んでいることがわかり、情報部のイップとチェン、保安部のジェンは互いに縄張り争いに精を出しながら解決へと協力する。しかし警察内部にテロ組織のスパイが潜んでいることが分かり……
という、インファナル・アフェア以来、香港で永遠に流行ってる潜入スパイもの。
ジャッキーやジェット、ドニーらがハリウッド進出した2000年代以降、日本ではすっかり影の薄い香港映画業界だけど今でも普通に大作映画を連発していて予算をたっぷりかけた武侠ファンタジーやド派手な銃撃カーアクション映画が作られている。今作は後者。レイジング・ファイヤやコールドウォーシリーズなんかの系譜になる。
最初に出てきたアンとディーがそれぞれの陣営にいるんだろうなってことはすぐわかるんだけど、そもそもどいつがアンでどいつがディーかはさっぱりわからない作りになっている。中盤まではあいつがこいつでこいつがあいつでどいつがどいつだ?みたいな潜入スパイもの特有のサスペンスが繰り広げられるが、ここの出来があんまよくないので話にのめりこめない。気取られたくない意識が強すぎて無意味にガチャガチャしすぎ。本筋はバカアクションなんだからこんなのは「やっぱりか~!!」ってなるくらいでいいんよ。
本筋のアクションはここ最近の香港大作は特にその傾向が強いんだけど市街地で銃をぶっ放しまくる。ハリウッドでも最近それ系の映画少ないのに、香港は香港市街でサブマシンガンを警官もテロリストもぶっ放しまくって後ろで市民がキャー!とか言ってる。いや香港、中国領土になってから倫理感なくなったんか。
しかも今回は合同捜査だ!とか言ってミャンマーに行って現地の高速道路で香港警察がやっぱりサブマシンガンをぶっ放しまくる。お前ら国際問題とか怖くないんか。大中華思想すぎるだろ。韓国映画の犯罪都市シリーズでは合同捜査中に暴れすぎるなって散々釘刺されてたぞ。
そして挙句の果てにはスペインの牛祭りに行って牛を暴走させまだ何の準備もできてない闘牛士コスプレマンや赤いユニフォームを着てただけのお兄ちゃんらが牛にボッコボコにされたりする。まぁ闘牛は野蛮な動物虐待行為だからね。牛による天誅だね。
後は最後の展開だよなぁ。これはすごかった。
牛追い祭り会場での銃撃戦から這う這うの体で逃げ出したジェンにチェンの車が迫る!ひき殺される!と思ったら車はジェンの前に横づけされ「乗れよ」の展開かと思いきや、車の向こうから闘牛が!(???) そのまま車に突撃しドアを角で突き破りチェンの腹にぶっ刺し、車ごとジェンを吹き飛ばす闘牛!
何を見せられとるんや。
そこに迫る韓ドラのイケメン悪役を煮詰めたようなテロ組織の殺し屋!強すぎる!ダメだ勝てない!しかし最後の力を振り絞って殺し屋を抑え込む2人。その向こうには……闘牛だ~~~~!!!!!猛突進してくる闘牛にぶつかった殺し屋は息絶え、それまでの傷により施設で兄弟のように育った二人は仲良く息絶えるのであった。
何を見せられとるんや。
これ間違いなく制作に牛資本、カウマネーが入ってるだろ。そうじゃないとこんな無茶苦茶な展開にならんだろ。あんな激しい市街戦を3回もやっておいて最後は闘牛の一人勝ち。そんな脚本あるかい、あったやろがい。
という感じで、なんか硬派なスパイアクション映画っぽい感じで始まって最後は闘牛映画で終わるという謎映画だった。
とはいえ、アクション映画、特に大規模アクション映画はやっぱ予算かけてなんぼなんよっていう日本にはとても期待できないバカ銃撃戦をたっぷり味わえるので1990年代のハリウッド映画みたいな雑アクション映画を見たい人と、あとやっぱ映画は牛が活躍してなんぼなんよっていう牛の人にはオススメの映画。
おフランス映画版ジョーズ良くできてはいると思うんだけど俺が見たかったサメ映画ではなかった。55点。
おフランスの海辺の田舎町に初めてのサメが出る。定年寸前の海岸憲兵のマジャは海岸封鎖を申し出るも観光業に打撃が出るだろとか、サメなんか出たことないし気のせいやったらどうするんやと周囲からはさんざん反対される。マジャは定年を延期しサメと対決、麻酔銃を打ち込み生け捕りに成功。しかし2022年という時世を鑑み、苦情を恐れる市長の意向もありインド洋にサメを放牧しマジャは無事定年。しかしサメは帰ってきて新たな犠牲者が。するとたちまち周囲は「マジャがサメを殺さなかったからや」と一転攻勢。犠牲者の子供たちにボコボコにされたりで危機を感じたマジャは町を離れるも再び帰ってきてサメと対決、見事サメを討ち取るのだった。
おフランスらしい意識高い系サメ映画だった。どうやらフランス初のサメ映画だったらしく、のちに「セーヌ川の水面の下に」という傑作サメ映画の礎になったと考えればそれだけで、まぁ。
序盤は本当にバカバカしいヨーロッパ系コメディ調で話が進む。どいつもこいつもオーバーリアクションでやることもガキっぽく、サメを捕まえるシーンとかウスノロ黒人がサメ釣っていて海に引きずり込まれるところを女二人は井戸端会議してて全く気付かなかったり、背びれに向けて麻酔銃を撃ったら腹に刺さって浮いてくるとか、それどういうテンションで見ればいいんだよみたいな展開が続く。
う~ん、ハズレだったかなぁと思っていたら、後半急に牙をむきだす。
あらすじにも書いたけど、マジャは炎上状態に。序盤の自己中心的で何もせんくせに他責思考で文句ばっかり一人前の市井の醜さをこれでもかと見せつけてくる。
最終的にはラジオでも「マジャは批判されて当然」「マジャのせいで人が死んだんだから責任を取るべきだ」「マジャは暴力を受けるべきだ」と流れてくる始末。まぁこれは追い詰められたマジャの夢だったんだけど。でも実際にSNS炎上で「こいつは叩いていい奴だ」とされてしまった相手に対してはこれくらいの物言いしてる奴いっぱいいるからね。フランスもたぶん同じなんだろう。フランス人って陰湿っぽいもんな(唐突な偏見)。
サメ放牧展開からの復帰被害で実害に対する環境活動家のバカバカしさを風刺したりしながらも、自己利益のことしか考えていない政治家や商人、町のために労を尽くした英雄を何か問題が起こったらそんなことはなかったとばかりに叩きに走る人間の醜さ、叩いていいと思ったら何してもいいと思ってしまう軽薄さ、そして炎上が収まったら何事もなかったかのように別の問題を探し出すさもしさ。
マジャの夫が唯一の両親としてマジャを支え続けるんだけど、結局実際に何かできたかって言うと何もできてないのが哀しい。
第一被害→第二被害→対決→打ち取り→第三被害→最終決戦という構図はかなりジョーズを意識しているし、初期の町でのいざこざもかなりジョーズリスペクト。
「サメ映画をやるにあたってやるべきことやってまっせ!」という姿勢と「せやかておフランスとしてやるべきことはやらせてもらいます」という姿勢はよかった。
ただ、どうしても近代サメ映画に慣れきっている身からすると展開がゆるかったり、アクションが弱かったり、あとはまぁ主張があからさますぎる部分はあんまり好きじゃなかった。「セーヌ川」が面白かったからね、しょうがないね。とはいえ、序盤のナニコレってなるコメディ展開からは考えられないくらい社会派の映画になって最終的に落ち着くべきところに落ち着くのはマジメに映画撮ってるなって感じで悪くはなかった。
ストーリー・キャラクター・脚本については他の増田達が書いているのでほえーなるほどーとしか言えないアホなんですけど見た感じ、絵作りというか演出というかの話書かせて。マジで他に似た画面のアニメ作品ないね。
カットの6割くらい(体感だと8割くらい)が初心者カメラマン写真の日の丸構図というか、左右対称で真ん中にメインとなるキャラクターが一人いるのよ。アップだったりバストショットだったり全身像だったり。キャラクターがいない時はトンネル(通路)が真ん中にあったり、棺桶が真ん中にあったり、矢。あとはときどき二人並んで左右対称ダブル日の丸構図(マスターカードのマークか)。
なんで実際より体感の比が上かっていうと、キメのカット…真ん中に○○(顔、キャラ、等等)にあるのが長いから印象に残るのよ。動かないから。(動いているカットでもキャラクターが真ん中にいてこっち向かって走ってくる等なので、全体の構図としては固定されている)
左右対称画面好きと言えばウェス・アンダーソン監督(実写)。
細田監督もわざとやってるんだろうけどメリハリなく左右対称カットがすっごく続くんよね。コンテ切るの楽だったと思う。
あとタイマンのアクションシーン、ずっと真横からうつしている。20年30年前の2D 対戦格闘ゲームみたいな画角で。上に体力ゲージないのが疑問なくらい。
真横と言えば、日の丸構図の大半はスカーレットの正面顔なんだけど、ときどき横顔になるんよ。
最後のウェンブリースタジアムの演説シーンだったかな? イマジナリーラインまたぎが発生していて日の丸構図のまま右向きだったり左向きだったりしてたと思うんだけど、あれ何か演出意図があったのかな? ながなが喋るのに絵が動いていないとつまらんから変えてみただけ???
淡々と与えられた作業を行い、向こうから指示が来ない場合はそのまま終業まで時間調整する。
そして終業前に最低限の報告をして定時でとっとと退社する。
以前はこの真逆の事を行っていた。
そうすると有能上司の時は全てが上手くいくが、無能の場合はやる必要のない作業が激増する。
何故こうなるかと言うと、有能な人の場合はその日の終わりを見越して全体を見て仕事の流れを組むが
その状態で仕事を手早く終わらせてレスポンスを返すと、アホみたいに仕事が舞い込んでくる。
以前の自分はそれをよかれとして行っていたが、実態は無能に餌を与え続けただけなのだ。
しかも全体を見てないという事は部下がどういう働きをしているかも把握していないので
そんな人間の元で一生懸命働いても、何の評価を上がらず徒労に終わる。
彼ら無能にとって指示出しをして、その結果を受け取ればそれで仕事として成立しているのである。
言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。
3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズでもっとも人気のあった作品のスピリットを継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクション」である。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。
散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬マシマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写を二郎系の野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。
「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界に告発したいという強い意志を感じた。
最後の戦いのランボーが機関銃を掃射してミャンマー軍兵士の身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。
あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。
身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。
今作のストーリーとしては
タイで雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡の仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。
まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボーはタイを隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争のPTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。
俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴに移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。
今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会系ボランティア団体の扱いにある。
彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボーを人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボーを空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆を投影しているのは明らかだと思う。
それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローンの本音だろう。しかし特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。
言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療や教育で少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。
誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想になっちゃったら世界めちゃくちゃになっちゃうよ。
よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲとブロンド美女がいるんだけど、ランボーはハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。
ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険だから帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。
お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理だからね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナム系アジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!
最終的に大惨劇の後に美女はハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲと美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーがガチで美女に惚れちゃってただけかもしれない。
この作品の最後にランボーは実家に帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボーがタイに隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争の英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。
2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!
あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争のPTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲも美女もあんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。
でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。
ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品の対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法もちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。
1→2とバルクアップしていた肉体はついに天元を突破し過去最高にバキバキにバルクアップしている。首がゴン太になり常にロイドレイジを発症しているのか顔つきも非常に攻撃的に変化。その結果、彼は悲哀を背負うベトナム帰還兵から筋肉と火薬で敵を虐殺する殺人マシーンへと進化した。
この肉体をもって「強さに説得力がある」とする向きもあるけどボディメイク畑の人間としては「ステロイドで膨らませた機能性の低い筋肉」、俺はその向きには反対だが巷でよく言われる「使えない筋肉」にしか見えない。1のスタローンのほうがよっぽど"ガチ"の兵士感があった。
アーーーーーーーーーーーノルド・シュワルツェネガー(中山きんに君)ともはや何も変わらない。別にシュワちゃんも好きだけどさ。でもそうじゃないからランボーはランボーだったんじゃん?
こうしてスタローンがパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまったように、映画もパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまっている。
1では国のためとベトナムで戦いPTSDを負って帰ってきたら国内でも軽んじられ疎まれ蔑まれるベトナム帰還兵とアメリカという国との戦いがメインテーマとして描かれ。
2でもいちおう、いちおうすれは引き継がれ、国のために戦い捕えられるも国の冷徹な損得で見捨てられそうになるベトナムのアメリカ兵捕虜を助け、見捨てようとする国との戦いが描かれていた。
が、今作ではそういったベトナム帰還兵ランボーのアイデンティティはほぼ霧散している。
彼は友人のトラウトマンが戦地でソ連兵に捕えられたことをきっかけに彼を救出するために戦地へ赴く。その過程でソ連に侵攻されていたアフガニスタンゲリラの奮起を促し結果的にアフガニスタン(の一部)を救うことになるんだけど、そもそもトラウトマンは最初、それをランボーに頼みに来てたのにランボーはそれを断ってるのね。
しゃーなし、トラウトマンはランボー抜きでアフガニスタンに赴き捕えられてしまう。
つまりランボーにとっては友人>>>ソ連に侵攻されて困ってる国だったって展開になっているから、現地民との触れ合いのシーンも、途中で登場する「ベトナムで我々が負けたみたいに、その国を愛するゲリラがいる国は征服できない」みたいに彼らを鼓舞するランボーを見ても「でも、お前見捨てようとしてたしなぁ」としか思えない。
ちなみにこの映画が公開される前にソ連はアフガニスタンから撤退。ランボーとトラウトマンが支援したアフガニスタンゲリラはタリバンへと進化し彼らを倒すために今度はアメリカがアフガニスタンを侵攻するのであった。
まぁ、これはランボー3の責任じゃないけど皮肉な話だな。これを映画化しろ。
出てくる敵がカカシなのは2と一緒なので割愛。今回は「冷徹で頭が切れる奴だ」というカンバンが敵の大将には追加されてちょっとは歯ごたえが増してたからまだ2よりはボス感があってマシだったかな。最後の戦車とヘリの正面衝突を選ぶ展開でこいつが本当に頭が切れる奴だったのかは疑問が残ったけど。
救出シークエンスもまぁいまとなってはテンプレートだし特に語るべきところはなかった。脱出時にトラウトマンが一緒に戦うのは過去シリーズを見てきてた身からしたらファンサとして多少良かった。
アクションは俺の中では2よりも悪くなってた。火薬も人数も増えてるし規模は上がってるはずなのに編集のせいなのか妙に安っぽくペラペラの映像になっててもしかして予算だいぶ減ったんかな?って感じてしまうくらいだった。
最後のランボーwithアフガニスタンゲリラVSソ連軍のパートはゲリラの騎馬隊は動物倫理感の低い時代特有の迫力があってよかったけど、ランボーが戦うパートはやっぱペラペラ。画面が明るすぎるのがよくないのかわからんけど、2000年代とかの中国の戦争ドラマみたいなハリボテ感がすごかった。
ハリボテ感で言えば今作では妙にヘリが飛んでるだけのシーンが出てくるんだけどこれも作りモノ感がすごくて、これミニチュア飛ばしてる?って思っちゃった。まぁ、あんだけ撮ってるってことはホンモノなんだろうけど。
とにかく編集をケチったのか画面の映画っぽさが後退していたのが、特に大規模アクションパートの影響が顕著だったなって感じ。
映画としてのテーマ性も退化してアクションも退化してる。点が上がるわけないよね。
このアクションすごいなぁ!っていうのがせめてもっといっぱいあればランボーであるという点を忘れさえすれば楽しめる一作として別点つけられたのにそれもほとんどない。まぁ、頑張ってお馬さんいっぱい走らせて撮ったのかな。+4点。
駄作だと思う。