はてなキーワード: マイノリティとは
・女湯に執着する
トランス女性でそれらを利用したい人も利用したくない人も利用できる人も利用できない人もいるだろうが、自分たちの利用は「執着」などと呼ばないだろうにマイノリティの利用だけ「執着」と呼ぶのは公平ではない。
「今」ではないが、岡崎京子って漫画家も「女のケモノ道」ってエッセイ本で、女湯について「せーそできゃしゃな感じのコが」「すっげーいいチチしてたりすんだよねー」「ヘアーも人それぞれだねぇ」「そろえすぎて長方形の人とかあー」「みていちばんドキドキする思春期前期の女のコ」って書いていた。
30年くらい前の連載だから、彼女が吊るしあげられるべきとも言わないが。
白人にしか接客しない店よりアジア人も差別しない店の方が嬉しいだろう。
マイノリティの医療は制限したいとか、差別の中でも最低な部類じゃないか。
トランス女性が「性暴力に遭って就労でも差別されたいです」とでも言えば満足なのか? そんなこと言うシス女性は見たことないし、そもそもトランス女性も性暴力に遭ったり就労で差別されたりは珍しくないが。
これ、商業イベントでの排除の話から個人の相手の選別の話までごっちゃにして語られるが、どういうケースを言ってるのか。
・「女より女らしい」とイキる
「女より女らしい」ってトランス女性が言われたくない言葉としてよく挙げられてるが。
フェミニズムに否定的なのにフェミニズムの恩恵は受け取るシス女性はたくさんいる。
差別に強く抵抗しているようなトランス女性だと、むしろもともとフェミニズムを支持していて、差別的な一部のフェミニズムだけ否定しているタイプが少なくない。
・女湯に執着する
→してない。使っててもおとなしく普通に使ってる。
→してない。してるとしても一部の不心得者で、シス女性も大差ない。シス女性に至っては盗撮での逮捕者が複数いて、危険性が高い。
→してない。使ってる人はおとなしく使っているし、使えない人は通販を利用するのが主。
・女性用下着屋に突入して女性店員に接客させることを喜びに感じる
→確かに無視されたら邪険にされるよりは女性客として普通に接せられるのは嬉しいのはある。
→してない。正規に処方されている場合はシス女性の更年期障害の量と変わらないし、非正規の場合は国外から個人輸入だから日本への供給と関係ない。
→してない。一部してるとしてもシス女性のコスプレと変わらない。というか、そんな格好では仕事とかできない。
→したかろうがしたくなかろうが、トランジションとともに手放す以外の結果は存在しない。むしろ男性特権もシス特権も手放してシス女性以下の存在になる。
・トランスレズビアンと称し女に突撃し、私を受け入れない純女は差別主義者だとほざく
→ゴールドフィンガーのことを言ってるなら、ゲストDJの友人として招待され、最初は断ったけどどうしてもというので行こうとしたら入り口で拒否されたという事件で、店から謝罪済み。
・「女より女らしい」とイキる
→「トランス女性は女じゃない」のような差別発言へのカウンターとしては確かに見る。「トランス女性は女じゃない」と攻撃する人間がいなくなればなくなるだろう。
→トランス女性を女じゃないと否定する人間へのカウンターとしては見る。「トランス女性は女じゃない」と攻撃する人間がいなくなればなくなるだろう。
→している人がいるとしても、フェミ嫌いなシス女性と大差ない。
→女性の先人もトランスの先人もよく語られているが、トランス差別的なシス女性の先人は確かに非難される傾向がある。一方で女性内のマイノリティへの認識が強固な女性の先人は非常に尊敬される。ベル・フックス、キンバリー・クランショー、アドリエンヌ・リッチ、アンドレア・ドウォーキンなどは読まれている印象。
→していない。トランスアスリートの人数はトランスの人口比に対してむしろ極端に少なく、トランスにスポーツの道はほぼ閉ざされている。
→していない。トランス女性アスリートで優れた成績を上げた者はほとんどなく、リア・トーマスも大学水泳で一度一位になったくらいでほぼシス女性に負けていて、ローレル・ハバードもオリンピックには出たが結果は残せなかった。ほかには有名な選手さえいない。基本的に女性スポーツはシス女性の独壇場。
・オリンピックの性別規定がトランス女性ではなく、むしろ女子種目に出ていたトランス男性を排除するために設けられた歴史を理解していない。
・いずれもそれが一部の話ではなく、一般的にトランスに当てはまる話であることをデータで示す必要がある。一部のアンチフェミ女性の存在がフェミニズム否定に使われるのが不当であるのと同じように、一部の犯罪者の存在が移民排除の根拠にされるべきでないのと同じように、偏ったデータでトランス排除を求めるのは合理性を欠く。
ネットの情報しか見てなさそうに思えるから、現実のトランス達と交流して仲良くなったり、身近な人にトランスがいたら親しくしたらといったことをするか、当事者による映画や本を見るなどしたほうがいいと思う。まあ、たぶん周りにいてもカムアウトしてもらえないと思うけど。
https://x.com/sayacarisma/status/1988945677930623073?t=hVB0PBmDuRmcYg4WbQQvQg&s=19
そりゃ車椅子ユーザの女の子からしたら、自分と同じ車椅子プリキュア、出たら嬉しいだろうなとは良く分かるけど
昨今"マイノリティ"と見なされている属性って、例外は無いくらい片っ端から圧力団体•利益者団体がすでにあるから、そういう団体の是非とは全く別問題の話で
いざ「○○(マイノリティ)プリキュア作ろうぜ」ということになった瞬間
「それを作りたいなら一回ウチに話を通せ」もしくは「ウチに無断で作ったな?差別だ許さん」とその手の団体がシュババしてくるイメージしかない。
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4778751852830916097/comment/Gl17
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。
即座だのどうのこうのだのニチャニチャぶちこむのって?
理工系の女子が少ない大学、あるいは高専出身者ならわかると思うんだけど、あの空間、文化って凄く独特で、普通の学部や学校だと教室の隅でラップトップをカタカタしていたり、ライトノベルを読んでいたりしたようなカースト下位のオタク君たちがグループやクラスの中心にいるんだよね。
つまり理系っていうのは「オタク」という被差別属性の存在がカースト上位の男子や女子のいない空間で、モテ度による非人道的な差別から逃れて主体性をもって技術や学問に没頭できる保護区だったわけ。
女性が主体的に教育を受けるための教育機関が女子校であれば、オタクが主体的に教育を受けるための教育機関が理工系だったんだよ。
そしてこれまでの理工系の成果というのは、間違いなくそういった、一般社会ではキモい、陰キャと迫害された人たちが中心となって育ててきたものなんですよ。
それが儲かるようになってくるとSTEMだなんだともてはやして、「こんな良いものをオタク共が独占するな」と言われてるのが今なんですよ。
だからこそ、いま理工系で起きていることは「多様性の拡張」ではなく、「文化的な再征服」の捉えるべきだ。
かつて見向きもされなかった“オタクたちの保護区”が、経済的価値を持った瞬間に、社会の主流に収奪されようとしている。
誰もがモテ度やカーストに縛られず、数少ない女子学生も含めてただ好きなことに没頭できるという自由の構造こそが、理工系の文化を支えてきた。
その自由があったからこそ、教室の隅で世界を観察していた少年少女たちは技術で世の中を支える人材に育ってきた。
STEMを誰が学ぶかよりも先に問うべきは、その自由がまだ残っているかどうかだろう。
60年代〜70年代のグループサウンズや新御三家やフォーリーブス、GAROその他女性人気のあったバンドやアイドルでSNSを検索すると、当時ファンだった高齢女性は軒並みジャニーズ含む日韓の男性グループを追いかけてる。
特にBE:FIRSTに多い。
何が言いたいのかと言うと、ジャニーズを筆頭とした男性アイドルやグループの推し活に依存してるのは女全体の中の極一部の10代から追っかけや推し活するようなマイノリティにすぎず、そういう層が下へ移動したりまた古巣に戻ったりぐるぐる回遊しているだけに過ぎない。
実際に不特定多数の女性と出会う機会があると、推し活に依存する女性は極わずかであり、ペットに傾倒する方が遥かに多いのが現実。
もちろん「推しがうんたら」とネットで主張する女も参考にならない。
ネットで推し語り()する女よりしない女の方が圧倒的にマジョリティだが、何も発信しないのだからリアルで女性と接点のない男性からは当然存在を認識されない。
性加害問題で崩壊する前のジャニーズすら動員人数は大ゴケ映画以下だからね。
実際、解体前のジャニーズタレント主演映画でヒットなんてほとんどなかった。
〇〇アリーナ等一つの会場を1日2日埋めても、全国の映画館に動員出来る力はない。
アンフェ男性「女はフェミを含めてジャニーズや中居を盲目的に擁護する生き物」
「たった4900人では…」 訴訟は回避濃厚も、中居正広氏の“復帰熱望”を打ち砕く「厳しい現実」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d43320530b4b5b0d88347dd59cf43b8b622f556
リベラルとかフェミニストとかLGBTQ+活動家とか、反対者からやたらと「金持ちの道楽」扱いされるが、これは実態にあっていない。
まず統計的に女性は男性より稼ぎがない。フェミニストの未婚率がどの程度かわからないが、独身ならかつかつの者が多いはずだ。LGBTQ+になるともっと酷くて貧困率が上がる集団が多い。トランスジェンダーなんて男も女も貧困で、シス女性より遥かに酷い。
女性の権利や性的マイノリティの権利に関わっているのは主にそうした人々だ。もちろん、いわゆる発言力がある人間は大抵そこまで貧困ではない。大学教員であったり、ライターであったり。けれど、デモやパレードなどの実際の運動が大学教員などばかりで構成されていることはまずなく、発言力がないから不可視化されているだけの、膨大な「金がなくて社会制度の変革を求めている女性やマイノリティ」が現場には存在している。
SNSなどを見ているだけではその存在は気づきにくく、フラワーデモとかレインボーパレードとかに実際に行って、各団体が募金でどうにかこうにかやりくりしている様子を見たり、参加者の思いがけない普通さを見たりする必要があるだろう。
それを怠る人間が、「金持ちの道楽」呼ばわりする。単に経済的に恵まれた発言力のある人間がメディアで目立つだけで(それは「発言力のある」の定義そのものだ)、それ以外に気づいていない。メディアに出る俳優だけ見て無数の売れない舞台俳優に気づかなかったり、メディアに出る売れっ子作家ばかり見て無数の売れない物書きに気づかないようなものだ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251102162819# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQcIFAAKCRBwMdsubs4+ SMbMAP4p9R+0xkrTVgiSe5iLz/4LhIfXlTkXz4i1Y65PNpJMbgD/dN4SlJI1eOOC oFGQ+O2KeYxV4/GtITBexZ40w2GEMgo= =xger -----END PGP SIGNATURE-----
まずは、「Virtual Gorilla+(バゴプラ)」という名のWebメディアです。
そしてもう一つが、SF小説に関する事業「Kaguya」。Kaguyaの取り組みは、いくつかあります。①ショートショートのコンテストの開催。②Kaguya PlanetというWebマガジンの刊行。ここでは毎月短編小説を配信しています。③Kaguya BooksというSFの出版レーベルとしての活動。
二つの活動以外にも、企業のSFプロトタイピングのコーディネーターなど、SF関係のさまざまな仕事も手掛けています。
Kaguyaで開催している短編小説のコンテストは、最大4千字です。気軽に書いて、読者や審査員からフィードバックをもらうなかで、自分の強みが何かを発見してステップアップしていく。そういう場所を目指しています。
ライフステージや、家庭における役割、精神状態などに大きく左右される。「連載が約束されていない長いもの」の執筆に時間を割けるということ自体、特権的なのかもしれない。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251022002010.html
【井上】 日本のSFだけではなく文学全体がそうかもしれませんが、商業デビューの王道として、新人賞をとって、そこで作品を出して商業デビューし、その出版社から2作目3作目を出し、他の出版社からも声が掛かる……というルートがあると思います。もちろん日本のSF作家で、そのルートに乗らず商業デビューして活躍している方もいるのですが、わりとイメージしやすいロールモデルとして、それがある。
主催によってカラーが決まっていることが悪いわけではないですし、一つのコンテストに「全ての多様性を担保しろ」と求めるのは無理だと思います。なので、窓口を増やすことで、デビューへの道筋を多様にすることが大事だと考えています。
【井上】 23年10月に文芸翻訳の経験を持つ編集者が新しく参加してくれたこともあり、海外から日本への輸入や、日本から海外への発信に力を入れることができるようになりました。
写真・図版
第3回かぐやSFコンテスト大賞作品「マジック・ボール」は、中国のSFマガジン『科幻世界』とイギリスのウェブジン『Schlock!』にも収録された=井上彼方さん提供
【井上】 「自分の表現で誰かを傷つけてやろう」と思っている人って、そんなにいないと思うんです。ごく一部の悪意のある人をのぞけば。でも実際に、自分が書いた文章に批判がくると、身構えるじゃないですか。そういうときに自分を見つめ直して反省して次に生かすって、非常に難しいことだと思うんです。特にSNSで炎上してしまうと、冷静ではいられないですよね。
自分の書いた文章について言われるのではなく、あらかじめ「こういうことって気をつけた方がいいね」とわかっていたら、過剰な自己防衛に陥らず、話を素直に受け止められる場合があるはずです。
ヒューゴー賞は世界SF大会によって設立されたSF・ファンタジー作品の文学賞で、受賞作品は世界SF大会に参加登録した人による投票で選ばれます。そして、このSad Puppiesというのは、ヒューゴー賞の選考に影響を与えるための組織的な投票運動でした。女性や有色人種の受賞が増えていることに抗議を示すため、白人でヘテロセクシュアルの男性作家たちが自らを、権利を侵害されているSad Puppies(悲しい子犬たち)と称したのです。
ヒューゴー賞は投票制なので、人々に開かれたものではあったはずです。ところが、Sad Puppiesたちは、「ヒューゴー賞はポリティカルコレクトネスに配慮するあまり、本当に面白い作品を受賞させなくなっている」といった主張を始めた。「もっと面白い白人男性の作家を受賞させろ」という風に呼びかけた。そういう事件ですね。
【井上】 ヒューゴー賞は2010年代、女性作家や非白人の作家の受賞が増加しました。女性だけではなく、クィアであることをオープンにしている作家の受賞も増え、それに対して「自分たちの土俵が荒らされた」というような被害感情を持たれる方がいた。それで起きた事件です。
【岡田】 この事件については、SF評論家の橋本輝幸さんが、ウェブ連載「いつでもSF入門」のなかで詳しく語られています。SF界において女性が優遇された時代はなかった、と指摘されています。
【対談を終えて】
対談から2年。2024年に慶応義塾大学にサイエンスフィクション研究開発・実装センターが開設されるなど、社会の中でSFをどうツールとして使っていくのかという取り組みは広がりを見せ続けているように思う。その中で、SFを取り巻く世界やSFが描く世界の中から、誰が取りこぼされてきた/いるのかということは今も問われ続けている。
この間、VGプラスで行った取り組みの一つに、刊行しているマガジン『Kaguya Planet』でのパレスチナ特集がある。1948年のイスラエルの建国以前から続く、入植型の植民地主義と人種差別的な支配、ジェノサイドは、「世界では誰の声が優遇されているのか」ということと無関係ではない。そのことにSF企業としてどう応答できるのかを考えて行った特集で、パレスチナ人/パレスチナにルーツのある作家による、パレスチナを舞台にしたSF・ファンタジーを翻訳した。
写真・図版
ウェブマガジン「Kaguya Planet」のパレスチナ特集
だが同時に、システムや場づくりについて問題提起をしているVGプラス自身、たくさんの方から至らぬ点についてご指摘をいただき、ときに引き立てていただき、ときに知恵を授けていただきながら活動をしている。マイノリティーの方々に「指摘する」というコストを支払わせてしまった局面もたくさんある。それらを抽象的な次元にとどめることなく、現実の制度や権利回復へとつなげるためになにができるのか、常に考えていきたい。
そしてそれは、SFという私の愛するジャンルそのものを豊かにすることにも、当然つながっているのだと思う。
排除はしばしば、「質」の名において実行される。
なにが「優れた」作品なのか。その指標そのものが、特定の経験や価値観にもとづいて構築されてきた。そうした規範に照らせば、大きく異なる経験を持つ他者の書いた作品は必然的に「劣った」ものと評価されよう。排除は意図的に行われるのではない。それは常に「客観的な評価」の結果として生じる。
Sad Puppies事件は「ポリティカルであること」への反感が運動のきっかけだったが、むしろ、従来の選考こそが政治的だったと考えることもできる。価値判断の場では多くの場合、既存の権力関係が反映される。正統性を維持するためのシステムは個人の意図を超えて作動する。
だからこそ、井上さんたちの取り組む解決策はシステムそのものに切り込むものだ。短編コンテストの開催、発表の場を多様化すること、経済的に持続可能な仕組みをつくること。これらはすべて、異なる価値観が共存できる環境を目指している。
誰が未来を語るのか。どのようにその語りを開いていくのか。今回の対談で示されたのは実践だった。完璧な一つのシステムを目指すのではなく、複数のシステムを並走させることで、今は「評価」できない作品や価値観にも光が当たる可能性を残している。SFの想像力が現実を形成する力を持ちつつある世界において、その想像力を担う主体の多様性こそが、私たちの未来の豊かさを決定づけるだろう。
もちろん、少数派で弱いからこそ群れがちと言うのはあって
それは良いんだけど、それならそう言うふうに名乗ってほしい
フェミニストはどこまでも女性の権利を主張する集団だって欲しい
こう言うのは欧米もそうで、少数派の性的マイノリティが台頭した
やりすぎておかしなことになってる
変な話、少数派なら少数派なほど群れたいが、人数が多くないと声が小さくなるから、結果的に少数派同士で集まって「フェミニスト」みたいな名前をつけるしかないんだろうなと思う
LGBTQも同じ、「一緒にすんな」とよく言われるが固まらないとマイノリティ過ぎて主張が通らない
では、マイノリティに対する政策が実行されたらマイノリティは喜ぶのかと言うと、当然いろんなマイノリティが固まってできた集団だから不満はいくらでも出てくる
結局、そのような集団の外の人間は「君らの主張が通ったぞ」というけど、マイノリティ集団はずっと文句を言い続けると言う展開になるわけだ
だから変な話だけど、マジョリティ側は彼らの主張を耳に入れつつも、真に受けないというやり方になるが
お互いにどうしようもないよなとも思う
左翼はすぐ印象操作をします。マイノリティなのにマジョリティを装います。
政治家の街頭演説にテレビ局が来るとき、大声で騒いでさもこれが民意だと言わんばかりですが、引いたカメラで見るとほんの少しです。みんなを集めてこれだけかよ。
はてなスターをいっぱいつけます。(いっぱいついてる主張がマジョリティになりますように)と祈りながらです。トップコメなのにおかしな意見なわけありません。
(フェミニストは女のくせに自分の主張ばっかり言いやがって。生意気でムカつくなあ。よし、フェミニストは間抜けだって風潮を作ってやる!)。「デートのとき割り勘の男ってなんなの?奢ったほうがモテるに決まってるじゃん。バカなの?」←失敗。「レディースデイは男女差別だ!ってバカなの?普段興味が無いけど割引だから行こうかなって気になるのに。差別とかと違うでしょ」←失敗。正論。
「炎上しないなー」。素の女「なんで男ってそうやって主語がデカいの?」
「おれ、実は精神疾患持ってて」「うん」「ADHDと躁鬱と軽い統失」「うん」「だからいま仕事探してるけどできなくて」「うん」「生活保護は実家にいるから無理で。でももらえる資格はあるんじゃないかな」「うん」。
「高市はどうかなー。結局男の操り人形でしょ。ノーカン。もっとちゃんとした日本初の女性首相はいると思うよ」「例えば。。?」「例えば、うーん、えーっと、今はいないかなー。昔だったら田中真紀子とか。知ってる?田中角栄の娘。あの人とかいいと思うけど」「うん」
「えっと、これからどうする?どっか行く?」「ちょっと用事があって」「そうなんだ」「えっと、私の分、700円」「あ、うん。。。あ、これくらい払うよ」「いまは割り勘が当たり前なんですよー」「いや、これからどっか行くかもと思って余裕あるし」「じゃあ今度のとき出してもらおっかな」「いいよいいよ」
「全然出そうと思ってたのに、普通に『私の分です』って出してきて。いいよいいよこっちが出すよって言っても、じゃあ今度奢ってくださいだって。絶対焼肉連れてかれるよ。やり方がうまいよねー。でもしょうがない。完敗って言うか一本取られたって言うか。こうゆうときにぐだぐだ言って出さないのは、ほっんとーにカッコ悪いと思う。さすがにそうゆうのは分かるって。そんな奴を見たら、うわダサッって思うもん。出せばいいのにって聞こえないくらいの声で言いたいもん。勝ち負けなんか自分でも分かるって言うか、自分がいちばん分かってる説あるけど、負けたときは謝ったりしっかり負けないとね。それで人生負けることにはならんし。そこでちゃんと負けると、後々の勝利になるんだよね。意外と」
10年後
(こうゆう女でも、いつか自分も結婚して子供産んでとか考えてるのかなあ。出会いとかないだろ。それで焦って35歳すぎてから結婚相談所行くんだな。なるほどねー)。「コバヤシさんって休みの日は何やってるの?」「漫画とか読んだり」「どんなの?」「多分言っても分からないだろうし」「少女漫画?NANAとか?NANAは古いか。でもど真ん中なんじゃない?」「そうですねリアタイ」「でも結構まえだよねー。オレとか僕の地球を守ってがリアタイだから。知ってる?」「あー」「綿の国星とか」「綿の国星はもうちょっと前ですよね」
(コバヤシさんとの結婚はなくはないな。オレは性格的にだいたいのことはなんとも思わないし。流石に子供を虐待とか浮気して帰ってこないとかなら離婚するだろうけど、それ以外なら普通にやってけると思うけどな。となるとせっくしか。コバヤシさんもふぇらとかするようになるか。結婚ってそうゆうもんだよな。昔はみんな結婚したし、うちの親もだし。結婚してから良さがあったりするんだろうな。オレことは恋愛対象外だろうけど、こっちが真剣に真面目な態度をするなら、振り向く可能性はあるな。そりゃ本気で大事にするとかなら、普通の女なら結婚を甘んじてするだろ。一生なわけないとか今だけとか実際はそんなんだからだけど、こっちも本気出して毎日ずっと大事にするってゆう確約があれば、それは神様が保証するとか、タイムマシンで未来をみてくるとかで、逆に俺だったら結婚するな。それで浮気すればよくね?
SHOGUNとかをポリコレやwokeに屈しないドラマと評してるアカウントをXで見た記憶があるけど、反ポリコレ勢のポリコレ解像度低すぎだと思う。SHOGUNみたいに日本のことをちゃんと日本の人たちで作るとか、ポリコレ以外の何者でもないのに。マイノリティ(アメリカでは日本人や日系人はマイノリティ)を偏った仕方で描写せず、マイノリティを題材にする癖に当事者を締め出したりせず、またマイノリティをできるだけいないことにしないのがポリコレ的に評価される作品なわけで、日本人が日本人を演じて日本人が日本考証をするハリウッドドラマが反ポリコレなはずないのに。
なんか、「行儀のよさを求めるもの」程度に思ってたりするよね。バイオレンスだって下ネタだってエロだって、ポリコレ的に評価されるコンテンツはいくらでもあるのに。
そもそも未手術で男性器つけたままトランスレズビアンを名乗って女湯に侵入し続けてるオートガイネフィリアの性犯罪者って、見た目が気持ち悪いのと性犯罪をするから嫌われて排除されているわけじゃん。
性犯罪をしていたら、シス男性でもシス女性でも逮捕されてるんだけど。
見た目が気持ち悪かったら、シス男性でもシス女性でも忌避されて非モテ化しているんだけど。
「マイノリティだから」見た目が気持ち悪くても排除するのは差別で、性犯罪をしても排除するのは差別だとしたら、オートガイネフィリアに特権があることになるよね。オートガイネフィリアへの批判はすべて差別でヘイトだってことにされるなら完全に特権じゃんね。
そういう真似をしてる自覚があるのかな左派って。こちらはシス男性やシス女性のような多数派と同様に、性犯罪者をちゃんと逮捕してくださいね、って思ってるだけなんだけど。
あと見た目が気持ち悪かったら性的需要がないのはマジョリティでも何も変わらないし、それは差別でもなんでもないので、現実を受け入れてくださいってだけのことなんだけど。
オートガイネフィリア(男性が自身を女性だと想像すること、または女装行為自体に性的興奮する性的嗜好)の、性対象女性の男性が、未手術で男性器つきのまま女装だけしてレズビアンを自称して執拗に女湯に侵入する行為を共産党が庇ったから、長らく左派を支えていた女性層の離脱を招いたと思う。MtFについては「男性の身体に生まれたが、手術をして女性になって、男性と相思相愛になりたい」という人を擁護しているときまでは味方が多かったが、オートガイネフィリアの性犯罪者に善意を利用され始めて瓦解が始まった。
腐女子がマイノリティである自分たちへの弾圧に反発していたころは味方もいたが、腐女子の消費者としてのパワーが認められ発言権を持つに従って増長し、次第にWoke腐女子(主に『腐ェミ』と呼ばれる)のグループが異性愛表現を攻撃するようになっていった。昔からジャンプヒロイン(テニスの王子様の桜乃や、BLEACHの織姫など)は腐女子に異常に叩かれてはいたが、「カップリングの邪魔だからムカつく」という私情から来る憎悪は今やLGBT運動によって正当化され、異性愛表現を社会悪とみなす腐女子まであらわれている。明らかに度を越している。