はてなキーワード: 菓子とは
アホの息子(7歳、小1)が俺の部屋でRobloxをやってる。
スイッチのFortniteでもBrainrot系をやってる
Brainrotとはなんぞや、俺もよくわからん
イタリアンブレインロットというネットミームがあり、それをオマージュしたゲームのようだ。さっぱりわからん。
タブレットでバカ動画を見ながらカスゲームをやってる。しかも床オナしながら、絶望しかない。
横からチラ見したところゲーム内でタスクをこなしながらキャラを集めているようだ、キャラはどれもアホみたいなモデリング
「キミさぁ、それ楽しいか?人生に有益か?アホみたいなキャラの絵を集めるために時間と脳を費やす価値があるのか?
誰だよ、自制心の無い5歳にスマホを買い与えたのは
俺だ
「あとアホみたいな動画、観るの辞めなさい、資本社会の奴隷だよ、悪い大人が知能の低い子供を騙して金を稼いでる
キミは貴重な時間を奪われている自覚はあるのか、搾取されていることに気づいてる?
その時間、算数の問題でも解いてりゃ利口になれるのだよ、有益な本を読めば人生がより豊かになるのだよ、わかっているのかい?」
誰だよ、前頭葉未発達の3歳からFire Tabletを自由に使わせたの
俺だ
「ぱぱぁ時間伸ばしてぇ」
「ダメ、決めたれた時間で遊びなさい、自分自身でスケジューリングしなさい」
「今日だけ!お願い」
「今日だけだよ」
で、毎日延長しているのは誰だ
俺だ
悪いのは誰だ
俺だ
後から「なぜ僕を厳しく育てなかったのだ」と逆恨みされないよう保険はかけている
「息子よ、パパは甘い、厳しくしたほうが良いのかもしれないが、実はパパ自身答えを出せていない
デジタルデバイスを厳しく制限したほうが知能が上がり、QOLが上がり、将来の所得、人生に好影響を与える
という明確なエビデンスが無いのだ、短期的にはスマホはアホになるって研究はあるが、長期追跡のデータが無い
故に、やりたいことやればいいんじゃね?パパは子供の頃にファミコンを買ってもらったが数カ月で見切って飽きた
刹那的享楽、インスタントな自己満足は得られるが、こんなもん熱中しても人生になんら有益性は無いと中1で悟った
キミも同じ程度の知性はある、いずれ身につくだろうと期待している、
ならば幼少期に好きなだけやらせるのも戦略としてありではないかと考えてる
決してキミの行動を容認しているのではない、気付きのための導線に過ぎないのだ、わかる?
「難しくてわからん」
3日に一度警告している、忘れた、聞いてなかったとは言わさんぞ
ぶっちゃけスマホは子育て神デバイスであり、小さい頃はグズると与える、黙る。マジ楽
今小1だが、在宅中にデジタルデバイス無しで息子のひま時間を全て埋めてやるのは不可能だ。
なにも無ければ無いで子供は興味のあるものを探し、本を読んだり、モノを造ったり
古典的なブロックでも創造性を働かせば無限の楽しみを得られる、手先を動かせば脳が活性化され、想像力が養われる
データあるの?エビデンスは?ソースは?それって貴方の感想ですよね?
大学で一人暮らしするまでゲーム禁止、テレビは親の許可したものだけ、おやつは手作り、駄菓子は論外、塾、習い事
っての数人知っているが、全員グレてんぞ。
趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事や事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。
料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。
その過程を、書き記したい。
そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生のときに母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。
母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。
美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。
子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。
大学進学を機に上京した際もその図鑑は引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。
その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた。
大学4年生になり、部活も引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。
内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。
しかし、ネットで菓子職人のブラックな労働環境を知り、断念した。
社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。
イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中の料理を自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種の冒険だ、そう思った。わくわくした。
友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理やお菓子を作っていた。
…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。
が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。
1. ライフスタイルの変化
一人暮らしのときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしのときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。
そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日。
そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。
2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた
確かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理やお菓子を作ることもあった。
しかしだんだん、料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。
やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。
やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格の勉強である。
私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったときに大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。
当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。
資格によって自分のスキルを証明しておくべきではという危機感がある。
となると資格の勉強にも時間を割きたいから、必然的に料理に割ける時間は減る。
また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。
個人的にはこれが一番強烈だった。
そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。
私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。
それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理に時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快な気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。
最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。
最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たちの若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、
後日、このおばさんから、スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINEがきた。
LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口、説教だった。
私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。
もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。
外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。
あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。
料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEがフラッシュバックするようになった。
それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。
それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。
そのこと自体が、私にはショックだった。
念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまったこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している。
やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。
3の事件により心に大ダメージを受け、料理で苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。
規則的に運動を始め、専用のアプリで毎日の食事の記録をつけ始めた。
すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。
で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。
鍋。
スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。
それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜もたんぱく質も自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。
そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。
そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単な料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。
最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快な気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たかが料理」とつぶやくようにしている。
そのまま、上機嫌で食卓にありつける。
この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。
そういった気持ち、私がそれまで料理に燃えていたときの原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。
そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理は趣味じゃなくなったんだな…と思った。
3の事件直後は料理が苦痛になってきたこと自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理が趣味ではなくなったことを受け入れていた。
でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。
だからここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。
(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記の経験を経て、これって確かに料理という家事タスクに負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251031155236# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQRctQAKCRBwMdsubs4+ SHPMAP0fyReUIS3Hq4kY9ZseM+8HWKzDg4ZUD4cNlioIX9JHrAEAhd+Z9ldj0R9x VdpiyiNvTZHqr0O7N/A2i6s5nk9jjQk= =jYpK -----END PGP SIGNATURE-----
キモっw
■どうやら自分は幸せになる気がないらしい
彼女を振った。
めちゃくちゃ良い女だった。気立ても良く、細かいことには拘らず、無駄遣いせず週末には高級な菓子を一袋だけ買い、SNSは嫌いだからとやらず、可愛げはあっても依存心はなくのんびりとした子。
この子に限らず、ハッキリ言って、今まで付き合ってきた彼女全員が良い女だ。みんな顔が可愛い。みんな卑しくない。みんな愛してくれる。みんなしっかりしてる。
でも、人生に対して本気じゃない。やる気がない。夢を語る割には簡単に諦めてだらける。そのせいで生まれたミスを愚痴る。どうにもならないことをどうにかする気もないのに文句ばかり。こいつら頭が悪いんじゃないかと思った。
だけど、頭が悪くても幸せにはなれるし、そもそもそんな程度のことに考えを巡らせるというのが最も頭が悪い。そう気づいてからはイライラしなくなったけども、代わりに人を見下すようになってしまった。
苦労せずに生きてきた代償か、人の痛みがあんまりよく分からない。色々方法を試しているうちに、満足するほどの金を貰い、良い人を模倣して慕われて、幸運に恵まれて大きな失敗なくやれてしまってる。小心者なのでミスになりそうなところは先に潰す性格もあるだろうが。
どう考えても、満足してるならその幸せを享受すべきだし、退屈なのを嫌って面白さを求めて道理に合わないことをやるのはもうやめるべきなんだが、やっぱりそうしないと生きられない。そうしなかったら、正味俺じゃなくて良いもん。面白くない人生なら面倒くさいだけなので生きてる意味を感じられない。
彼女を振った。
めちゃくちゃ良い女だった。気立ても良く、細かいことには拘らず、無駄遣いせず週末には高級な菓子を一袋だけ買い、SNSは嫌いだからとやらず、可愛げはあっても依存心はなくのんびりとした子。
この子に限らず、ハッキリ言って、今まで付き合ってきた彼女全員が良い女だ。みんな顔が可愛い。みんな卑しくない。みんな愛してくれる。みんなしっかりしてる。
でも、人生に対して本気じゃない。やる気がない。夢を語る割には簡単に諦めてだらける。そのせいで生まれたミスを愚痴る。どうにもならないことをどうにかする気もないのに文句ばかり。こいつら頭が悪いんじゃないかと思った。
だけど、頭が悪くても幸せにはなれるし、そもそもそんな程度のことに考えを巡らせるというのが最も頭が悪い。そう気づいてからはイライラしなくなったけども、代わりに人を見下すようになってしまった。
苦労せずに生きてきた代償か、人の痛みがあんまりよく分からない。色々方法を試しているうちに、満足するほどの金を貰い、良い人を模倣して慕われて、幸運に恵まれて大きな失敗なくやれてしまってる。小心者なのでミスになりそうなところは先に潰す性格もあるだろうが。
どう考えても、満足してるならその幸せを享受すべきだし、退屈なのを嫌って面白さを求めて道理に合わないことをやるのはもうやめるべきなんだが、やっぱりそうしないと生きられない。そうしなかったら、正味俺じゃなくて良いもん。面白くない人生なら面倒くさいだけなので生きてる意味を感じられない。
寝ぼけた顔してスマホいじってる暇があったら、まず冷水を頭から浴びろ。眠気なんか根性で吹き飛ばせ。シャワーの冷たさに文句を言う奴は、人生のぬるま湯にも文句を言って終わるタイプだ。
次にランニングだ。走れ。走る理由なんか要らん。走ることでしか人間は目を覚まさない。息が切れて、心臓がバクバクして、もう無理だと思った時、そこからが本当のスタートだ。お前らは走らないから一日中だらけてるんだよ。
飯をちゃんと食え。エナドリとコンビニ菓子で誤魔化すな。脳みそは糖だけで動くと思ってる奴は、電卓レベルの知能しかない。タンパク質を入れろ。野菜を噛め。水を飲め。そうすれば身体が動く。身体が動けば思考も動く。簡単だ。
仕事では、最高のパフォーマンスを出せ。結果以外、誰も見てない。過程とか努力とか頑張った感は、無能の慰めだ。勝つ奴は黙って成果を出す。負ける奴ほど言い訳を並べる。そんなもの、俺には関係ない。
世界はお前の感情に興味がない。数字で語れ。締め切りを守れ。上司の機嫌を取るより、数字を叩き出せ。価値があるのは頑張ったお前じゃなく結果を出したお前だけだ。
うけけけけけけけけけ。
深夜の街は静か……のはずだったが、アルミの山の影で国民は今日も働き続ける。
男子は体重が45キロまで、女子は28キロまで減り、鍋やスマフォのアルミを抱えながら、よろよろと列を進む。
それでも口角テープで笑顔を作り、子どもたちは穴の上で紙飛行機を飛ばす。
街は疲弊の匂いで満たされ、犬も猫も忍び足で通り過ぎる。うけけけ。
「皆さん、少し痩せましたね。ご飯がなくても、今川焼きはありますよ?」
誰も笑えない。笑わなければならない、口角テープの国民は笑顔を押し付けられる。
少年カモノハシは母の肩に手を置き、体重の減った母を見て、小さく呟く。
「ママ、もう45キロ……それでも僕らは歩かなきゃいけないの?」
兵士たちは胸を張るが、国民の骨ばった手がアルミを持つ音は、どこか寂しげで、リズムを刻む太鼓の音にすら混ざり込む。
ペンギン党員たちは穴を掘り、模型ガス室の設計図を描き、アルミ山を数える。
夜になると、反乱のひと握りの者たちが密かに集まる。
彼らは力で抗うのではなく、疲弊した者たちにそっと寄り添う方法を探した。
「安らぎ」という名の小さな行為が、重労働で削られた体と心にそっと染み込む。
街の暗闇で、それは光のようにひっそりと広がった。
翌朝、広場では「スマフォ供出+今川焼き推奨」の記念式典が始まる。
「我が国は屈しない! 倍返しだ! ご飯がなくても創意工夫せよ!」
口角テープの笑顔、紙飛行機、アルミ山、減った体重の影……すべてが一体となって、タカイチョの狂騒オーケストラを奏でる。
少年カモノハシは小さく呟く。「これ、いつまで続くんだろう……」
その声も、アルミの山と今川焼きの煙に吸い込まれ、夜の街に溶けていく。
うけけけけけけけけけ。
周りが勝手に減点されてく横で「おっ、じゃあウチもいっちょかましときましょか」となるのどういう心理状態なの?
ガキの世界じゃ「田中くんがガム食ってんだから俺がチョコ食ってもええやん?内申点って相対評価なんやろ?つまり菓子はノーカンとちゃうん?」みたいなのまかり通るし社会人も体感半分はそのレベルのカスやけどさあ。
でも政治家はさあ。
タレントならわかるで?
でも政治家がさあ。
ねえ?
他の人のそういった瞬間を奪っている行為なわけです。
一般的には奪われたら負け、奪ったら勝ち
たまに増田でネタになる株とかも奪ったら勝ち、金融市場に限らずあらゆる市場においては奪ったら勝ちだろ
貴増田はつまり他人に食わせられない奴は能力的に劣っている=負け、すなわち能力主義的に負けって言ってるんだろ?
それはその通りだと思うよ
でも生活保護受給者は時間を奪われず逆に労働者から時間を奪っているという意味では勝ってる
まさに負けるが勝ちだよね
能力主義に勝って高給を稼ぎ購入した高級菓子はもちろん美味いだろうが、死んだ顔して電車に乗ってる連中の姿を見て食う駄菓子もまた美味いよ
能力的勝利者が勝ちをいくら叫ぼうがエコノミックアニマルの遠吠えだし
労働者が能力主義的な勝利を心の拠り所にしながら時間を搾取され続けるだけだよ
ちなみに
増田で勝ちだの負けだの考えなきゃいけない人生はまあ負けてるだろうな
稼いでもこんなんじゃ夢も希望もねえ
金が泣いてるよ