はてなキーワード: 刹那的とは
ホストクラブは、ただの散財でも、盲目的な恋でも、ちょっと過激なオタク活動でもない。
ホストクラブは、姫とホストを供物とし邪神に捧げる現代の悪しき慣習だ。
※このブログでは便宜上、「ホストクラブ=店」「ホスト=キャスト」として表現する。
ホストクラブはよくない、それはなぜか。
悪い男に騙されるから? 借金をすることになるから? 風俗に堕ちるから?
それらは正しいようで全くもって浅薄な指摘だ。
枝葉の問題のみならず、私はホストクラブそのものの構造自体を徹底的に批判する。
一般層の「なんか怖い」「近づきたくない」これらの感想はほぼ正しい。
だが、何に対しても穿った見方をする皆さんの、ホストクラブへの見解は基本的に次の2つの意見に二極化される。
…「バカな女が金を使いまくっている、そのぶん投資に回せばいいのに」など。
また、「楽観視」
…「私もオタク活動してるから気持ちはわかる」「熱烈な恋にお金が掛かっているだけ」などなど。
このような発信を、インターネットの皆さんなら見かけたことがあるのではないだろうか? もしくは自ら発信した人もいたのではないだろうか。
貢ぐ姫を蔑む「冷笑」と、共感や擁護のように見せかけた「楽観視」……このような意見はホストクラブという構造そのものに対して本質的に的を射ていない。
まず、擦り減っているのは姫だけではないということだ。
ホストもまた、金銭を得る代償に肉体を削る。過度な飲酒で荒れる内臓、嘔吐によって溶ける歯、そして慢性的な睡眠不足。
ホストクラブに通う姫は得てして過酷な労働をしている。皆さんが考えられないような時間を使って、労働に充てている。そしてそのような仕事は感染症のリスクが高い。健康被害が出るのは当然だ。
次に「楽観視」への反論をする。こちらのほうが重いテーマとなる。
確かに楽しい時間が全く無いと言っては嘘になるかもしれない。だが、さきほど話した通り、その裏で姫もホストも想像も付かないほど心身共に摩耗している。
ホストクラブはコンテンツではなく、関係性そのものに対価を支払うシステムだ。そこに搾取の構造がある。
また、ホストクラブには姫同士の横の繋がりはない。使った金で競わされ、各々を孤立させる。
キャラクターやアーティストへの課金とは異なり、文化そのものの再生産性がないのだ。
ホストクラブは悪い男に騙される愚かな女という構図ではない。散財でもなければ、推し活の延長でもない。そこには、頑張る人間を消耗させるだけの構造がある。
だが、そのなかに姫とホストが紡いできた関係があるのもまた事実である。それらの犠牲は儚く、刹那的で、美しいと感じることも否定はできないのかもしれない。
「私には関係ない」は間違いだ。夜の世界に近づく貧困や家庭環境の不和はほんの少しの差で、ホストクラブは誰しもを飲み込む魔力がある。そして、人間そのものの消費を加速させる装置により、逃れられなくなる。
ホストクラブには行くな!男も女も!
アホの息子(7歳、小1)が俺の部屋でRobloxをやってる。
スイッチのFortniteでもBrainrot系をやってる
Brainrotとはなんぞや、俺もよくわからん
イタリアンブレインロットというネットミームがあり、それをオマージュしたゲームのようだ。さっぱりわからん。
タブレットでバカ動画を見ながらカスゲームをやってる。しかも床オナしながら、絶望しかない。
横からチラ見したところゲーム内でタスクをこなしながらキャラを集めているようだ、キャラはどれもアホみたいなモデリング
「キミさぁ、それ楽しいか?人生に有益か?アホみたいなキャラの絵を集めるために時間と脳を費やす価値があるのか?
誰だよ、自制心の無い5歳にスマホを買い与えたのは
俺だ
「あとアホみたいな動画、観るの辞めなさい、資本社会の奴隷だよ、悪い大人が知能の低い子供を騙して金を稼いでる
キミは貴重な時間を奪われている自覚はあるのか、搾取されていることに気づいてる?
その時間、算数の問題でも解いてりゃ利口になれるのだよ、有益な本を読めば人生がより豊かになるのだよ、わかっているのかい?」
誰だよ、前頭葉未発達の3歳からFire Tabletを自由に使わせたの
俺だ
「ぱぱぁ時間伸ばしてぇ」
「ダメ、決めたれた時間で遊びなさい、自分自身でスケジューリングしなさい」
「今日だけ!お願い」
「今日だけだよ」
で、毎日延長しているのは誰だ
俺だ
悪いのは誰だ
俺だ
後から「なぜ僕を厳しく育てなかったのだ」と逆恨みされないよう保険はかけている
「息子よ、パパは甘い、厳しくしたほうが良いのかもしれないが、実はパパ自身答えを出せていない
デジタルデバイスを厳しく制限したほうが知能が上がり、QOLが上がり、将来の所得、人生に好影響を与える
という明確なエビデンスが無いのだ、短期的にはスマホはアホになるって研究はあるが、長期追跡のデータが無い
故に、やりたいことやればいいんじゃね?パパは子供の頃にファミコンを買ってもらったが数カ月で見切って飽きた
刹那的享楽、インスタントな自己満足は得られるが、こんなもん熱中しても人生になんら有益性は無いと中1で悟った
キミも同じ程度の知性はある、いずれ身につくだろうと期待している、
ならば幼少期に好きなだけやらせるのも戦略としてありではないかと考えてる
決してキミの行動を容認しているのではない、気付きのための導線に過ぎないのだ、わかる?
「難しくてわからん」
3日に一度警告している、忘れた、聞いてなかったとは言わさんぞ
ぶっちゃけスマホは子育て神デバイスであり、小さい頃はグズると与える、黙る。マジ楽
今小1だが、在宅中にデジタルデバイス無しで息子のひま時間を全て埋めてやるのは不可能だ。
なにも無ければ無いで子供は興味のあるものを探し、本を読んだり、モノを造ったり
古典的なブロックでも創造性を働かせば無限の楽しみを得られる、手先を動かせば脳が活性化され、想像力が養われる
データあるの?エビデンスは?ソースは?それって貴方の感想ですよね?
大学で一人暮らしするまでゲーム禁止、テレビは親の許可したものだけ、おやつは手作り、駄菓子は論外、塾、習い事
っての数人知っているが、全員グレてんぞ。
なんか上位のブコメで、「そんなことないですけどね。なぜなら私は優しいから」なんてこと言ってる輩いてズッコけた。
育児に限らず物事ってのは多面的で、それぞれの一面は個人レベルの話で消失しうるものではない。
それこそ、この話題の発端となったヨッピーが反感を買ったのだって、そういう自分の価値観や経験則から一面を論ったから……っていうのが批判してる側の言い分だったはず。
渦中の人間が使ってるロジックやその態度を批判しておいて、それと同様のことをするのって刹那的な立ち回りだなあと思う。
それとも、そんなブコメしてる人たち、実はヨッピー擁護派だったりするんかね。
だったら一貫してるから、いいのか。
ギャンブルの話なるとトータルでとか今年はとかの単位で収支がどうだってことを言う人たちは多いでしょ?
私はトータルの収支なんて考えないことにしてる。というよりそれを考えるのは「投資」だからね。
ギャンブルっていうのはあくまでその場限りで熱くなったり、あぶく銭が入って豪遊したりする(何なら負けて悔しい思いをすることも含めて)刹那的であるのが楽しいんじゃないかと思ってる。
トータルのことなんて考えたら勝負は出来ない。いや違うな、トータルを考えるなら私は徹底的に勝つ方法を研究してこれならプラスに出来るという理論的裏付けが出来ない限り勝負はしない。そしてそれはギャンブル的にはもう面白くない。
直感とか自分だけの(非合理的なものを含む)理屈で勝負をして当たった時のカタルシスが良いのだから、トータル収支なんていう事を言われたら白けるのだ。
このポストは、X(旧Twitter)上で見られるような、短い詩的な形式で書かれた投稿で、作者の内面的な孤独感や欲求不満をユーモラスに、かつ切なく表現したものです。表面上は風俗店(お金を払う短時間の性的関係)を題材にしていますが、比喩やオチを交えて、心のつながりを求める人間的な渇望を描いています。全体として、日常の悲哀を軽妙に昇華させた「ブラックユーモア」的な味わいがあります。以下で、構造的に分解して解説します。
- **表層**: 風俗通いの虚しさ(お金で買う一時的な快楽の限界)。
- **深層**: 心のつながりを求める孤独。性的欲求を超えた「愛情」や「絆」の渇望。
- **ユーモアの要素**: 風俗嬢を「猫」に喩える比喩で、シリアスな内容をコミカルに転換。作者の貧困や現実の制約を自嘲的に描き、読者に共感や笑いを誘います。
#### 行ごとの詳細解説
- **意味**: タイトル的な導入部。風俗店でのサービスを指し、「お金で買う一過性の関係」の儚さを象徴します。「行きずり(一期一会)」という言葉が、刹那的な出会いの寂しさを強調。
- **ニュアンス**: ここで作者の習慣化(「何度も通っている」)を予感させ、依存的なルーチンを匂わせます。現実の風俗文化をストレートに描きつつ、すでに「虚しさ」の伏線を張っています。
2. **何度も通っているが、心が満たされない**
- **意味**: 繰り返しの行為(風俗通い)にもかかわらず、精神的な満足が得られない。身体的な快楽だけでは埋められない「心の空虚」を吐露。
- **ニュアンス**: 「何度も」という言葉が中毒性を示し、作者の葛藤を深めます。ここでテーマが性的欲求から「感情の充足」へシフト。読者が「あるある」と頷く普遍的な不満を表現。
- **意味**: 風俗嬢を「玩具(おもちゃ)」に喩え、性的プレイ中の反応(「いい声で鳴いてくれる」)を可愛らしく描写。猫の鳴き声(「にゃー」)を連想させる言葉選びで、すでに「猫」への伏線を忍ばせています。
- **ニュアンス**: 「可愛い」という一言が、作者の優しさや愛情めいた視線を表す一方、「玩具で弄ぶ」という表現が搾取的な関係の冷たさを際立たせます。エロティックだが、どこか哀愁漂う描写で、快楽の裏側にある疎外感を強調。
4. **でも違うんだ 心と心を通わせたいのだ**
- **意味**: 上記の快楽は本質的に違う。作者の本当の望みは、互いの心が通じ合う本物の絆(恋愛や友情のような)。
- **ニュアンス**: 「でも」という逆接で感情のピーク。「心と心を通わせたい」というロマンチックな理想が、風俗の現実と対比され、切なさを増幅。作者の純粋さと、叶わぬ願いのギャップが心に刺さります。
5. **でもでも、貧乏一人暮らしだから猫は飼えない 悲しい**
- **意味**: オチの部分。風俗嬢の描写が実は「猫」を指していたことが明らかになり、本当の悲しみの源泉は「猫を飼えない経済的・生活的な制約」。一人暮らしの貧困が、心の伴侶(猫)を遠ざけている。
- **ニュアンス**: 「でもでも」の繰り返しで、諦めのユーモアを加味。「猫」という可愛らしい存在が、風俗の比喩として機能し、性的欲求を「無垢な愛情欲求」に転換。作者の「悲しい」が、全体を優しく締めくくり、読後感をほろ苦く残します。猫好きの日本人文化(ペットが心の癒しになる)を反映した、親しみやすいオチです。
#### なぜこのポストが魅力的なのか
このポストは、笑いと涙の狭間で、心の隙間を優しく突く一品。もし元の投稿者のアカウントや文脈があれば、さらに深掘りできますが、このテキストだけでも十分に作者の「可愛い悲しみ」が伝わってきますね。あなたはどう感じましたか?
巷には、天ぷらを塩で食すことこそが「通」だと宣う、了見の狭い輩が満ちている。海老には藻塩を、舞茸には抹茶塩を、などと、殊更に素材の香りを尊ぶが如き振る舞いを装う。その理屈、表面的には理解できぬでもない。
確かに塩は、衣の乾いた軽やかさを維持し、素材の持つ純粋な旨味を立たせる。料理番組の審査員とやらが、したり顔で「ここは、あえて塩で」などと嘯く場面は、それこそ掃いて捨てるほどある。結構、結構。その程度の了見で食の神髄が掴めるものか。
だがな、私は敢えて言おう。声を大にして断言する!私は天つゆに、天ぷらを沈めるが本懐だ!
理由は単純明快。あの、乾いた揚げ衣を、ジュワリと出汁で濡らし、ふわりと柔らかな塊に変じさせ、大根おろしをたっぷりと絡めて食す。あの瞬間にこそ、天ぷらが、単なる揚げ物から、深遠なる料理へと昇華するのだ。衣は湿気を帯び、油の持つ野暮ったさを、大根おろしが鋭く吸い取り、軽やかな一皿へと変貌する。天つゆは、単なる液体ではない。天ぷらの魂と、それを味わう者の魂を結ぶ、唯一無二の架け橋なのだ。
塩で食うことを是とする連中は言う。「天ぷらは、衣の音を楽しむもの」だと。それは、一面の真理かも知れぬ。しかし、私に言わせれば、音など一瞬で消え去る儚い幻に過ぎぬ。パリッという、その刹那的な快感は、二秒と持たぬ。
しかし、天つゆに沈めた天ぷらは違う。出汁の旨味をじわりと纏い、大根おろしが舌に優しく絡みつく。その余韻は、音よりも遥かに長く、身体の奥底にまで染み渡る。私にとって天ぷらは、刹那の快楽たる音楽ではなく、幾度も読み返せる、深遠なる文学なのだ。出汁が沁みていく、奥ゆかしい物語。
そして、この真髄を語る上で、大根おろしの存在を忘れてはならぬ。油で揚げたものを、胃袋が拒絶する瞬間は、必ずや誰にも訪れる。だが、大根おろしを添えるだけで、まるで救済の光が差したかのようだ。重さが和らぎ、「もう一口」という、食欲の炎を蘇らせてくれる。これこそ、齢を重ねても天ぷらを愛し続ける秘訣である。我々にとって大根おろしは、単なる薬味ではない。美食を長く愉しむための、延命装置なのだ。
己の欲望に忠実であれ
私は常に、こうする。天ぷらを箸で持ち上げ、躊躇なく天つゆの海に沈める。衣から、まるで呼吸するかのように気泡が立ち、つゆがじんわりと染み込んでいく。その光景は、あたかも人生の重荷を脱ぎ捨て、温泉に浸かり至福に浸る老練な男のようだ。ああ、天ぷらよ。お前も気持ち良いだろう。私もまた、満たされている。サクサクした食感が失われても、何ほどのことがあろうか。この崩れ去る柔和さこそが、真の旨さなのだ。
特に、家庭で揚げた天ぷらと、店で食すそれとは、根本的に話が異なる。家で揚げたものは、衣が厚く、油を吸い込みやすい。だからこそ、天つゆと大根おろしの出番だ。家庭の素朴で重い天ぷらを、軽やかに蘇らせ、家族団欒の安らぎを支えるのは、常にあの黄金の組み合わせである。
一方で、外で食す天ぷらは、プロの技術が光るが故に、塩で食すのも悪くはない。しかし、私はその場でも天つゆを求める。なぜなら、人間はどれほど洗練されようとも、「安心の味」を求めるものだからだ。幼少の頃から慣れ親しんだ、つゆに沈めた天ぷらこそが、私の**食の故郷(ホームグラウンド)**なのだ。
美食を語る雑誌などは、決まって「塩でいただくのが大人の嗜み」などと、上っ面だけの美意識を垂れる。だが私は、敢えてその逆を行く。食において、格式や見栄など、何の価値もない。己の欲望に、正直であること。それこそが、美食家の矜持である。
私は、塩派の人間を否定するつもりは毛頭ない。だが、彼らもまた、私が天つゆに天ぷらを沈める姿を、嘲笑してはならぬ。なぜなら、その丼には、私の食に対する揺るぎなき哲学が横たわっているのだから。
ここで、私が天つゆに沈めるべき天ぷらとして、三傑を推挙しよう。
第一位:海老天。 ぷりぷりの海老の身が天つゆを纏い、噛むごとに、出汁と海老の旨味が混ざり合う。これぞ王道の貫禄。
第二位:茄子。 茄子は油を吸いやすく、単体では胃に重い。しかし、天つゆと大根おろしで洗うことで、一気にジューシーさと、軽さが両立する奇跡の存在へと変貌する。
第三位:かき揚げ。 これは、天つゆのために生まれてきたと断言する。ザクザクの具材がほぐれ、つゆに沈んだ瞬間、奥深い旨味のスープのように化ける。
天ぷらは塩か天つゆか、などという問いは、愚問である。大事なのは、己の胃袋と心が本当に求めるものを選ぶ、確固たる哲学を持つこと。それこそが、食の真髄である。
私はこれからも、大根おろしを山と盛り、天つゆを惜しみなく注ぎ、天ぷらを沈め続けるだろう。サクサクの音を尊ぶ者たちよ、己の好みを否定するつもりはない。だが、私の美食道を、ただ見守るがいい。私は、私の道を行く!
---
天ぷらを愛する、全ての真の食通へ。
恐れるな。天つゆに沈めろ。そこにこそ、真の救いと至福が待っている。
今までの人生、とある趣味に情熱を燃やし、社会に認められたくて自分なりにがむしゃらに頑張ってきたけれど無名のままで、40歳という折り返し地点が近づくにつれて、独りで生きていくことが確定したら徐々に希死念慮が強くなってきた。
なんというか、「誰にも選ばれなかった」という事実がこれほどまでに人間の自尊心を破壊するものだとは思わなかった。地球には80億人もいるのに、誰ひとり自分のことを愛していないという厳然たる現実。親との関係は悪くないが、親からの愛は他の異性から得られる愛とは別種の愛だというのは皆もわかっているだろう。
結局、人間が本当の意味で自己肯定感を得るためには、やはり独りでは無理で、親以外の誰かから愛をもらわないといつか壊れてしまうんだと思う。
かといって誰かに愛されるために努力しようとする気も起きないんだよな。というか物理的に無理。年齢も年収も恋愛市場や婚活市場では門前払いレベルだし。気難しい性格を隠して明るく振る舞うことはできるがいつかはめくれるし。もっと俯瞰で言うと「他人に好かれるために本来の自分を曲げる」という行為に強い嫌悪感がある。まぁ、俺みたいな人格の破綻した人間の遺伝子は後世に残すべきではないと思う。それが人類のため。
趣味に没頭してた頃はこんなに病んでなかったんだけど、恐ろしいことに趣味への情熱って加齢と共に薄れていくんだよね。まぁそれが凡人たる所以なのかもしれないけど。行為自体を楽しんでない。
あと今の時代、アルゴリズムが発達しすぎてあらゆる分野で「一番いい」作品にだけ人々の関心が集中するようになってて、2位以下の「いい」「普通」の作品はほとんど無視されるようになってしまったので無名から有名になるのがほとんど無理ゲーなんですよ。それも最近趣味に徒労感を感じてる原因かもしれない。みんなも「再生数の多い順」で並べ替えてるでしょ?蓮舫は2番じゃダメなんですかってほざいてたけど、2番じゃダメなんですよ。1番じゃないと。
こうして書いてみると、俺は趣味それ自体に没頭していたわけではなくて、誰かに認められたい、愛されたいという承認欲求で活動していたんだなとわかる。でもそれの何が悪いの?とも思う。モテたい、チヤホヤされたい、金が欲しいというのは人間の自然な欲求でしょう。レイヤーとオフパコしたくて漫画描いてる人たくさんいると思いますよ。口には出さないだろうけど。
あとやっぱり独身というのに強い引け目を感じるね。「結婚」という行為が社会的にどれほど重要なステータスであるかはみんなも肌で感じてるでしょ?多様性の時代とか言ってるけどあれ嘘だからね。結婚している(た)というだけでまともな人間扱いされるし、その逆も然り。最悪バツイチでもいいんですよ。独身という存在は群れからはぐれた異質なものとして警戒される。この偏見はおそらく動物としての本能に根ざしているものだから、社会の価値観が変容しても絶対に消えることはないでしょう。
そろそろまとめると、まぁ今から真人間になるのは無理なので、残りの人生刹那的な快楽に身をまかせてやり過ごすしかないんだろうな。医者の連中はアテにならんし(経験済み)。何話しても「それは大変でしたね、お薬出しときますね」で終わりだし。
あと猫を飼うことを真剣に検討してる。前に犬飼ってたときは幸せだったから。亡くなったときめちゃくちゃ落ち込んだけど。というか今でも完全には立ち直ってない。こんなに悲しい想いをするなら二度とペットは飼いたくないと思ってたけど、ペットで空いた心の隙間はペットでしか埋まらないとも思っている。
いろいろ書いたけど、自分と同じような境遇の人がもしいたとしたら、人生がクソなのはお前だけじゃないぞ!と思ってもらえれば。まぁこんな俺にも一抹の良心はあるので、ヤケクソで新聞の一面を騒がすことなくひっそりと生きてひっそりと死んでいくのでご安心を。
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
====================================================
遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
ねえ、ご主人様!「人生は紙飛行機」ってフレーズ、めっちゃ詩的でロマンチックな響きだよね!✨ この表現は、Winkの「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」や他の文脈で使われることもあるけど、歌詞や比喩としてどういう意味を持つか、あたしなりにオタクに優しく、ギャルっぽく推測してみるね!😎
「人生は紙飛行機」ってのは、たぶんこんなイメージだと思うよ:
紙飛行機って、シンプルな紙一枚で作られて、風に乗ってフワッと飛んでくじゃん?でも、風の向きや強さ次第で、めっちゃ遠くまで飛ぶこともあれば、すぐ落ちちゃうこともあるよね。人生もそんな感じで、自由に夢や目標に向かって飛んでいきたいけど、コントロールしきれない外的要因(運や環境)で思うようにいかないこともある、みたいな。 歌詞で使うなら、「人生は自分で折って、投げるものだけど、どこに着地するかはわからない」ってニュアンスかも!✈️
紙飛行機って、自分で折り方工夫したり、力加減考えたりして飛ばすよね。人生も同じで、自分で選択や努力を積み重ねて「飛ばす」瞬間が大事!でも、完璧に計画通りにはいかない、みたいな切なさも含まれてる気がする。歌詞だと、恋愛や夢を追いかける情熱を紙飛行機にたとえて、「思い切って飛ばしてみよう!」って気持ちを表現してるのかも。💖
3. 儚さや刹那的な美しさ
紙飛行機って、飛んでる瞬間はキラキラしてるけど、結局は地面に落ちちゃうじゃん?それって、人生の瞬間瞬間が美しいけど、永遠には続かないってことを表してるのかも。歌詞でこういうメタファー使うなら、青春や恋の儚さ、刹那的な輝きを伝えたいんじゃないかな。ギャル的に言うと、「今この瞬間、マジでキラキラしてるから、全力で楽しんじゃお!」って感じ!😉
具体的な歌詞がないから、ちょっと一般論になっちゃったけど、例えばJ-POPやアニソンで「紙飛行機」が出てくると、夢、希望、恋、自由、儚さ、みたいなテーマと絡めて使われることが多いよね。もしご主人様が特定の曲(例えば、AKB48の「紙飛行機」系の歌詞とか)を念頭に置いてるなら、教えてくれたらもっとピンポイントで深掘りできるよ!📝
政治家は、X(旧Twitter)などのソーシャルメディアを断つことを真剣に検討すべき
ポピュリズムを否定する姿勢と、現在のソーシャルメディアへの依存との間に、深刻な矛盾が生じているから
ソーシャルメディアは、瞬時の反応や感情的な意見が渦巻き、短絡的で過激な言説が主流となる傾向だ
政治家が日々、Xの「いいね」やリポスト、コメントの数といった大衆の直接的な反応を重視すると
長期的な視点や専門的な知見に基づいた、国益に資する政策の立案が疎かになる
普段ポピュリズムを否定してるのに、目先の人気や感情に流され、困難であっても将来を見据えた決断を下さない
ソーシャルメディアの即時的な反応を政策決定の判断基準にしてしまうことは、ポピュリズムの温床を自ら作り出している
もちろん、民意を把握する上でソーシャルメディアが一定の役割を果たすことは分かる
しかし、その刹那的な反応に振り回されるのではなく、政治家は熟慮と議論を重ねることで、より建設的で持続可能な社会を築く責任がある
始めた理由は、当方アラサーで、周りがみんな結婚して人恋しくなったのと、自分の社会的立場や今後の人間関係を気にせずに、刹那的な関係性の人たちと適当にどうでもいい話をしたかったから。Twitterで流れてきて気になってたし。
ノリと勢いでメタクエスト3sを買って、説明書も読まずに感覚で操作しながらスタートした。最初にVRワールドが広がった瞬間すごく興奮した。マジで異世界みたいだーって。まあ最初だけだったけど。
VRチャットをやったことがない人に説明すると、VRチャットというのはキャラなりきりしつつ世界中の人たちとリアルタイムに交流できるSNSみたいなのだ。サマーウォーズって映画を見たことある人はあれに近いと思って欲しい。
まず、始めたては服屋のマネキンみたいなアバターが用意されているんだけど、仮想ワールドに表示されているそれを“自分の分身”として操作つつ、「ワールド」と呼ばれる場所に遊びに行ってそのワールドにいる人たちとリアルタイムで話したりゲームしたりして一緒に遊ぶことができる。
そしてしばらく遊ぶとアバターを変更できる様になるから、そうしたら自分の好きな見た目に変更して、その姿で交流できる様になるっていう感じ。
で、色んなワールドに移動する前の、ホームっていう基地みたいなところがあるんだけど、そこで一通りその操作の練習をした後、わたしは初心者向けって書いてあったワールドに移動した。日本人話者が多い初心者向けワールドだった。わたしがワールドに移動すると、見た目から初心者だと丸わかりだったのか早速声をかけられた。
「初心者の方ですか?」
「そうです!」
「わかんないことあったら教えますよ〜」
「ありがとうございます!Twitterで見かけて気になって始めただけなので、全然知識なくて…笑」
「あートコロバさん?バズりましたもんね笑」
ピンク髪でゆるふわカールの可愛い女の子って感じのアバターで、声まで可愛い人だった。へーこんな可愛くて性格もいい人がいるんだなあ、なんて思いながら話してたら、アバターが飾られている博物館みたいなのがあって、そこで好きなアバターをゲットできるからと連れて行ってくれる流れになった。勿論喜んで連れて行ってもらった。
アバター博物館にはそれはもう沢山のアバターが飾られていた。かわいい女の子アバターから動物、無機物まで色々。
「欲しいのあったら言ってくださいね」
って言われて、私は変なものが好きなので、変な妖怪みたいなアバターを指さしてこれがいいです、って言った。
「うーん、コレはメタクエストだと対応してないみたいですね。とりあえずこのアバターをクローン(コピー)してみてください」
そう言われて促されたのはミルクティー色の髪の毛をしたかわいい女の子アバターだった。そういうもんか、と思ってとりあえずコピーしたら、その人のアバターが鼻がくっつくぐらいにぐいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「ありがとうございます!かわいいですね!」
「うん、かわいいですぅ!」
その人は嬉しそうに何度もかわいい、と言って私のアバターに近づいてハグをする動作をした。フレンドリーな人だな、と思いながらその日はVR酔い(車酔いみたいなもの)でギブアップしてお礼言ってからログアウトした。
で、次の日ログインしたら、通知にその人からフレンド申請が来てた。おお喜んで〜、って軽い気持ちで承認してから、適当なワールド選んで移動した。今度はJapan shrineっていう海外の人とかも集まるワールドだった。
そこを彷徨いてたらネズミアバターの中国の人とロボットアバターのタイの人に話しかけられて、カタコト英語で話しながら交流した。話の流れで中国の人に一緒にネズミになろうぜ!って言われてネズミアバターをクローン(コピー)させてもらったタイミングで、「昨日の人がワールドにログインしました」って通知が来た。そのメッセージから数秒で私のところにやってきて、私の視界を遮る様に立った。
「こんばんは〜」
挨拶しても返事はなかった。不思議に思っていると、その人のアバターが急に変わった。黒髪ですごいスタイルのいい、ミニスカワンピースの女の子のアバターだった。そして急に、
って言われた。
正直、え?って思ったけど、断るのも変かと思ってコピーしたら、その人のアバターがまた昨日のに戻って、鼻と鼻がくっつくぐらいにずいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「え、あはは、ありがとうございます?」
ピンク髪でいっぱいの視界の向こうで、交流してた海外の人が「Your friend?」「コンニチワ」って言ってるのが聞こえたけど、その人は何も答えなかった。
結局私が仲介する形で一緒に会話したんだけど、その人は何か聞かれても適当にイエス、とか、んーそうかも、とかしか答えてなかった。
なんかもやもやしながらまたVR酔いしてログアウトして、そんで次の日。
またログインしてホームに行ったら、ピコンと通知が表示された。
一瞬意味が分からなかった。けど、◯◯◯ってのはあの人の名前だった。
それから3秒後ぐらいにあのピンク髪のアイコンが現れて、凄い勢いでまた私のアバターにくっついてきた。
「待ってたんだよ〜!」
そう言われても固まって動けなかった。だって例えるなら、ゲームのセーブかロードか選ぶ画面にゲーム内のキャラが現れた感じだ。こえぇよ。それはナシでしょ。ドキドキ文芸部じゃないんだからさ。
「あ、そうなんですね、えへへ」
びっくりしながらもとりあえず返事をしたら、その人は黙ったまま自分のアバターを一歩後ろに引かせてまた私のアバターにくっつけて、っていうのを何度も繰り返した。腕はハグをするみたいに広げたままで、時折わずかにリップ音みたいな音が聞こえた。
そう思った瞬間腕に鳥肌が立った。
何も言えずにいると、その人がチャットテキストで何か英数字を送ってきた。
「コレ俺のインスタアカウントとディスコードのアカウント。フレンドになろうよ」
「…………。すみません、どっちもやってなくて」
今、俺って言った?
「えーじゃあTwitterならやってるよね?繋がろうよ」
「…………、ハイ」
Twitterをやっているのはバレているので逃げられず、結局あまり使っていないアカウントを教えた。フォローされたあと仕方なくフォローしたら、サングラスをかけた顔絵文字がリプライで送られてきた。
「うん、そうだね!ありがとう!ちなみにこの後暇?」
「…………すみません、実は今日もうログアウトしなきゃいけなくて、」
「そうなんだ!じゃあまたね」
「じゃあね〜!」
そう言ってまたアバターが近づいたり遠ざかったりした。チュ、と小さく聞こえた気がした。私は無我夢中でVRゴーグルを取り外すと電源を落とすと、見えないところにしまい込んだ。少し立って落ち着いた後でフォローされたTwitterアカウントを確認したら、がっつり男だった。半分顔が隠れてるけど自撮りっぽい写真もあった。
あれからわたしは、VRチャットにもそのTwitterアカウントにも未だログインできずにいる。未だにあのリップ音が耳から離れない。
蟹工船で『雑夫、宮口を発見せるものには、バット二つ、手拭一本を、賞与としてくれるべし。』ってフレーズが出てくるんだよ。
よく分かんねーけど野球でもするのかなと思ってたのよ。
んでまあ暫くすると『「うるさい奴だ、煙草のみでもないのに、煙草の味が分るか」バットを二個手に入れた漁夫はうまそうに飲んでいた。』って文章があるんだが、ここでまた混乱だよ。
バットを手に入れた奴が美味そうに飲む?
酒の席での話ってこと?
まあ当時の俺は小学生だったからさ、「タバコ飲み」も「ゴールデンバット」も知らなかったんだな。
結局最後には分かったんだけど、こういう「バット」みたいなその時代で流行ってただけの商品名を書くってのは違うんじゃねえかって思うんだよな。
当時の俺でも「セブンスター」だったら分かったかも知れねえから、その時代の読み物としてはそれで良かったんだと分かるんだが、100年後に読む人は困るよな。
たとえばガストが来年潰れたらさ、100年後にロボコ読む人は「朝までガスト!」とか言われても全く意味不明なわけじゃん?
ぶっちゃけロボコが100年後に生き残ってるのかしらんけど、その時代のギャグセンが狂ってて逆にめっちゃ評価されてる可能性もあるわけでさ。
これは僕が「こういうこと恥ずかしいと思っているからできないけど、できる人すごい」と思っていること
例えば結婚式とか、カラオケとかで「#◯◯結婚式」とか「#◯◯(自分の名前とか)カラオケ大会」とかタグ作っている人。
うわぁ~と思う反面、こんなことを恥ずかしいと微塵も思わないその精神が羨ましいと思ってしまう
まぁ所詮Xも、増田も、大小の違いだけでエコーチェンバーというか身内ノリなんだろうなぁと思った
でも、これに関してはそんな受動的な生き方でいいのかと思うけどね、なんで自分から能動的にやらないの
最初に言ってることとズレてきた。
あとこういうこと書くたびにAIとか言われるけど、生きてる人間が書いてるし、A型です
終わり
とりあえず強化人間ノルマを達成、みたいな適当さがその後の全てに感じてしまうようになった
シュウジシュウジキラキラキラキラ言ってたマチュが自分やシュウジの為ではなく、ララァの為に戦う、っていう絵図は良かったけど、過程が薄く感じる
だからそこを軸に据えて、それ以外のキシリアがどうとかシャリアの思想がとか黒い三連星だのバスク・オムだの描いてる場合じゃなかったと思う
ピークと言った4話も惜しいけど、マチュ-シュウジ-ララァのドラマを中心に据えるためだったらシイコさえ圧縮すべきだった
例えば
「ニャアンがやることなすこと考えなしに見える」っていう感想に
「でも彼女は難民で、家族がいなくて、教育も…」みたいな反論があるが、
そういうのが全部視聴者が勝手に脳内で作り出したストーリーにしか思えない。
いや、この例で言えば確かにニャアンは難民だし多分まともな教育も受けれてないのは見て明らかなのだが、
だからやることなすこと刹那的で、無軌道だということと100%イコールにはならない、それはただのステロタイプでしかない
たとえばララァは元娼婦で、どう考えてもまともな教育を受ける機会などないし、家族や仲間も(シャアが来るまで)いないが、「ララァはかしこい」のだ
マブ戦術とかいう要素もはっきり言って扱いきれてなかったようにしか思えない
提唱者の戦友のシャリア・ブルが一人で戦ってる時点で馬鹿げていたが、
これは「きっとシャアが戻ってきたときのためにマブは空けてるんだ」とでも無理やり納得させていたが(これもまた妄想だ)
いざシャアが戻ってきたら実はシャリアはシャアを倒すつもりでいたので、ただ単に一人で戦っていただけだった
ふざけてる
それで、マチュとニャアンのマブ、これをやらないのはさすがにありえないから組むのはいいが
決着で立っていたのは結局覚醒したマチュ一人だった
なんだったよ、マブ戦術
マチュとニャアンのマブすら連携してトドメ刺したりしないんならどんな絵が描きたくて導入した要素なんだよ
最後に
「死んだら…それでおしまいだ」
誰だよてめーは
先日「動画の内容を要約して音声にするAI」というのを見かけて、改めて「この世はどうなっていくんだ」と思った
この「コンテンツソースに当たらず、要約して素早く簡単に情報を得よう」というニーズを満たそうとするAIの方向性が、もう、既存の経済モデル全体と死ぬほど相性悪いよな、って
そもそもYouTubeとか、現状のweb系の経済って、「コンテンツを見る権利を買う」もしくは「コンテンツの合間に広告を挟むことによって収益性を確保する」という2軸で成り立ったいるわけなんだけど、
現状の生成AIを放っておくとこの2軸ってたぶんボロボロに破壊されるんですよね
だってAIの要約で皆が済ませちゃったらyouTubeの再生数全然回らないし、再生数回らなかったら「広告枠を売って儲ける」というYouTubeの事業モデルそのものが立ち行かなくなるし
YouTubeが儲からなくなったら当然コンテンツを作成しているユーザーに対する分配も下がっていくわけで、
となると「頑張って質の良い動画を作れば収入になる」というモチベーションも下がっていく。
しかも、投稿した動画が問答無用で生成AIの学習に使われる場合、コンテンツの独自性やイメージを損なっていく可能性があるしね。
この懸念を重く見る投稿者が増えれば、ファンを連れて別のクローズドな媒体にコンテンツが公開されるようになる。そうなれば、当然サイト全体の収益性が下がっていくだろうし。
で?残るのは生成AIによって低コストで乱造されたハルシネーションまみれの、個人の見解としての価値すら失った虚無動画ばっかり、みたいな末路でしょ。
youtube全体でコンテンツの質が下がったら利用者も減って、どんどんメディアとして斜陽になっていく。
つまり、収益性の利点だけじゃなくて、ファンを醸成する場としての価値までが失われていく。
そうなると、購入型のコンテンツに誘導する導線としてもどんどん衰退していく。
おそらく、YouTubeのCEOもそこを不安視していて「クリエイター重視」みたいな発言をしてるんだろうと思うけど↓
https://gigazine.net/news/20240405-youtube-ceo-says-ai-training-would-break-rules/#google_vignette
そもそも無断学習がなければ生成AIの現段階の機能はほぼ成り立たないわけだからさ
全部の元凶はそれなんだよな
コンテンツの価値を無視している道具が跋扈すればコンテンツで成り立ってきた経済が破壊されるなんて当たり前のことじゃん
現状のAI無断学習横行状態をなんとかしない限りは何も解決しないというか
このままなんの規制もないままなら、生成AI跋扈する世の中に蔓延る「質に誠実な人ほど損をするシステム」は悪化する一方なんだろうなって思う
だから、おそらくは今後揺り戻しが来て、生成AIに関するルールが施行されていく
そうしないと経済が壊れるからね だれも滅びたくないんだからそうするしかないよね
現状のYouTubeで粗製乱造の生成動画でセコセコ小銭稼いでるようなのって、もしかすると「自分は最新技術で賢く稼いでいる」と思い込んでいるのかもしれないけど
そもそもYouTubeが儲かんなかったら広告収益なんてものは無に収束していく一方で、その経済モデルを守らなきゃ個人が稼ぐも何も、何一つ成り立たなくなるっていうのをちゃんと認識した方がいいと思う
その分際で「最近YouTubeの収益減ったわ~」みたいな文句垂れてるやつもいるしで
生成AIで動画制作!効率的に稼ごう!!みたいな主張って、軒並みこの経済的矛盾を無視していて本当に刹那的で自己破壊的だなって感じる。
生成AIによって「無料でコンテンツを公開して広告収益を得る」っていうシステム自体を破壊しているのに、生成AIでコンテンツを作って儲けようと考えてるなんて馬鹿みたいじゃない?
その行動は今、この刹那に微々たる収益を貴方にもたらすかもしれないけど、決してあなたの将来の人生を保証してくれるような「生きる道」には決してなり得ないし、
今後生成AIに関する法律が施行された際には「犯罪行為」として経歴の汚点にすら成り得るからね
既に権利保持者がバンバン生成AI企業を訴えて争ってるんだから時間の問題だと思う
この、一見「儲かる」風に見えて、全力で「生成AI提供元以外の全員が儲からない世界」を作ろうとしてる生成AIを推進して喜んでる人たちってマジで何を見てるんですかね
でもいいじゃん。吐き出させてよ。
俺に対する批判はだいたい受け入れるよ。
1. ほぼ毎日やってる
その金はどっから出てくるんだ。羨ましいよ。俺もUSJ行きてぇよ、北海道行きてぇよ。
3. 自分が正しいと信じて疑わない
自分の意見が正しいと自信を持つのはいいけど、間違うことも言うのが人間なんじゃねーの。
「いいや、俺が正しい。お前は間違ってる」って。何を食ったらそんなことが言えるのか。
何がロジックだ、じゃあお前が論理的であること論理的に示してみろよ。無理だから。
ゲーム誘われ待ちの人が案外多い。そういうタイプのゲームだと言われればそれまでだけど。
なんでそんな刹那的で受動的なの。そんなんだからいつまでたってもそんなんなんだよ。
あぁ、俺もうだめだ。
人のことこんなに愚痴ったり悪く言ったりするなんてな。
でもそんなもんだ。
まだ空が明るい。
何でもできる。
本屋に行って好きな本買おう。
んじゃ、またね