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2025-09-20

anond:20250920145709

第四幕 一皿の温もり

 タケルは、もはや教室にいる自分認識していなかった。あるいは、教室という概念のものが、彼にとって意味をなさなくなっていた。広大な宇宙、無数の情報が光の粒となって飛び交う中、彼は自らの意志で一つの場所を選び取る。そこは、東京の片隅にある小さな定食屋だった。

 カラカラと、古びた引き戸が音を立てる。店内はカウンター席が七つほどしかなく、カウンターの中では小柄な老婦人が一人、忙しなく手を動かしていた。テーブルには赤や黄色ビニール製の調味料入れが並び、壁には色褪せたメニュー短冊が貼られている。タケルは一番奥の席に静かに腰を下ろした。

 「いらっしゃい。今日暑いから、冷たいお茶でも飲んでいきな」

 老婦人はそう言って、温かいほうじ茶の入った湯呑みをタケルの前に差し出した。その温もりが、冷え切ったタケルの指先をじんわりと温める。

 タケルは自分の状況を理解しようと試みた。彼は今、神の分身として、世界存在するあらゆる情報を一瞬で読み取ることができる。この店の歴史、老婦人人生、客の足音の数、壁の染みの意味。すべてが彼の脳裏に流れ込んでくる。しかし、それらの情報の中に、彼の心を満たすものは何もなかった。ただ虚しいデータの羅列があるだけだ。

 「何にするかい?」

 老婦人の声が、タケルを現実に引き戻す。タケルはメニューに目をやった。生姜焼き定食アジフライ定食、鶏の唐揚げ定食……。どれもこれも、彼が人間だった頃に見ていたものと何ら変わらない。

 「……生姜焼き定食を」

 彼はそう呟いた。なぜこのメニューを選んだのか、自分でも分からなかった。ただ、ノゾミと初めて二人で食事をした時に、彼女が「生姜焼きが一番好き」と笑っていたことを、ふと思い出したからかもしれない。

 老婦人は「あいよ」と元気な返事をすると、手際よく豚肉を炒め始める。ジュウジュウと肉が焼ける音、甘辛いタレの香りが店内に広がる。その音と匂いが、タケルの心を震わせた。それは、膨大な情報の中には存在しない、生きた「感覚」だった。

 やがて、定食がタケルの前に置かれた。こんがりと焼けた豚肉、千切りキャベツマヨネーズ。白いご飯と、ワカメ豆腐味噌汁。どれもこれも、特別ものではない。

 タケルは箸を手に取り、一口食べる。

 ――美味い。

 それは、単なる味覚の情報だけではなかった。豚肉の柔らかさ、タレの濃厚な甘み、そして、老婦人が心を込めて作ったという事実

 彼が神の分身として得た力は、この定食が「豚肉とタレと野菜構成された料理であるという情報を瞬時に解析する。しかし、この一口が、彼の心に直接語りかけてくるような温かさを持つことは説明できない。それは、人間けが感じられる「温もり」だった。

 「いい顔になったねぇ」

 老婦人はにこやかにタケルに話しかけた。タケルは驚いて彼女の顔を見る。彼女は、タケルが人間であるか神であるかなど、知る由もない。ただ、目の前の客が、心から食事を楽しんでいることを感じ取ったのだ。

 その時、タケルは確信した。ノゾミが彼に与えたかったものは、この「温もり」だったのだと。膨大な知識や力ではなく、ただ一皿の料理を美味しいと感じる心。愛する人と共に生きる喜び。それこそが、彼女が彼に教えようとした、人間としての唯一の真実だった。

 タケルは、温かい味噌汁一口飲む。その味が、胸の奥に残ったノゾミの温かい光を、再び灯したような気がした。

 彼は孤独世界を見守り続けるかもしれない。しかし、その胸には、ただ愛しい少女が彼に残してくれた、一皿の温かさが残っている。

 ノゾミが仕組んだ「恋人ごっこ」は、彼が神としてではなく、人として生きるための、最後の温かいレシピだったのかもしれない。

 そして、その温かさこそが、彼のこれから世界を照らす、唯一の光となるだろう。

(第四幕・了)

2025-09-11

荷台からこぼれ落ちる秋刀魚増田の季節席の出す魔の満去る千緒レボコラ快打に(回文

おはようございます

今年も秋刀魚フェアやるって、

みかん花咲く丘公園前駅の商店街定食屋さんに大々的にサンマポスターが貼られていたわ!

私は今日から実施なのね!って飛び込み前転をキメて入店したけれど、

予告のポスターでまだ開催は先の方だって

もうさー

すっかり選手宣誓を先取りあげたかったところだけど来週にお預けね!

昨シーズン

大谷翔平選手みたくなるんだ!って

意気込んで大谷翔平選手本塁打を超える秋刀魚本塁打を決めるつもりだったけれど、

サンマホームランは4本にとどまってしまっていたわ。

もうさ

二刀流どころの騒ぎではないわよね!

それに

なんだか秋刀魚は今年は大量らしくって、

私も市場の魚市場競りから競り落とされた秋刀魚のたくさん乗ったトラックカーブで曲がったときにその方向きと勢いで秋刀魚が荷台からこぼれてるのよ!

そんな光景久しく見てなかったので秋刀魚大漁なのね!って

私はそのトラックからこぼれ落ちたまだ活きの良い秋刀魚バケツに入れて持って帰って焼いて食べたとさ!

ってもう「あんたがたどこさ」の世界観

煮てさ焼いてさ食ってさ!って感じ。

そのぐらいトラックに満載の秋刀魚カーブでたくさんこぼれ落ちるほどの漁獲量みたいね

から秋刀魚シーズン待ったなし焼き秋刀魚

私はそのこぼれ落ちた秋刀魚バケツに拾ってきたモノを

もちろん綺麗に洗って、

グリルで焼くの!

ああ~

こういうとき強力火力の両面焼きグリルだったらなぁって

焼く手間が一度で済むのにーって思いつつも

私は私の好みの絶妙な焼き加減を自分で覚えているので、

この瞬間をのがさないでひっくり返す秋刀魚タイミングを聞いてみたの秋刀魚自身に。

グリルの小窓からなかの熱源に照らされてオレンジ色に光る秋刀魚

じゅぷちゅーじゅぷちゅーって脂を弾けさせて、

私の心も一緒に弾けるように、

よし!今このタイミングよ!

って勢いでひっくり返すの!

片面焼き魚コンロの定めだけど

さだめと書いて運命と読ませたい気分。

私はひっくり返してもうちょっと焼きを片面に入れるべく、

しばらく経って待ちきれないぐらい

グリルの小窓からオレンジ色の熱源の光に照らされた秋刀魚をじーっと見つめるの。

そんなに見つめられたら秋刀魚が照れるかしら?

赤くなっているわ!

つーか

なかのグリルの熱源の色が反射してるのよ!

決して秋刀魚が照れているわけではないの!

ああ!

秋刀魚が焼けるわ!

私は

そのみかん花咲く丘公園前駅の商店街定食屋さんの

秋の祭典秋刀魚フェアが開催される前に

既に1人SANMA WATASHI COLLECTIONを開催したの!

ランウェイを歩いて出てきた秋刀魚

まり

グリル引き戸を引いて小窓から覗き出てきた秋刀魚は正に

とても美味しそうな焼き色を身に纏ったようで、

美味しそうに脂が弾けているわ!

私はシンプル秋刀魚の味だけが好きなので、

余計な大根おろしとか、

すだちだとかゆずだとかかぼすだとか、

ポン酢すら必要ないぐらい秋刀魚のそれに喰らいつくの!

わ!

私の秋刀魚の焼き加減丁度良すぎ!

さすがSANMA WATASHI COLLECTION!

そのぐらい好きさベイビー!

3尾焼いて食べすぎかな!って思えど

これは今しかない!って勢いで食べないと

秋刀魚って気持ちで食べるモノだからそのぐらいな感じで勢いよく食べたのよ!

あっと言う間に

から尻尾まで骨まですらも平らげて

大満足よ!

秋刀魚ってハラワタ取ったり切り身にしたりしなくてよい

楽チンな処理だってのも助かる唯一の魚じゃない?

そのぐらい簡単

いや

焼き加減こそは難しいこだわりのある焼き方があるので

それが一番大事ってね。

すっかり秋刀魚に夢中だったので

ルービーもキメるのを忘れていたところよ!

すっかりその秋の秋刀魚に大満足しまくりまくりまくりすてぃーで、

ああ!

今年は家のグリル活躍ね!って

昨年はもはや高級魚だった秋刀魚だっただけに、

食べられて嬉しいわ!

ちょっと残念あのが

今回のこの記録の秋刀魚本塁打3本は公式戦じゃないので

記録に残らないところが

ちょっと残念なところね!

だけど

これで私の秋刀魚調子が分かったので、

本番に向けて今からぶんぶんと右腕を回して秋刀魚フェアに挑む気が満々なところを、

とても満ちあふれた自信満々な様を現す四字熟語満身創痍で現したいところなのよ!

ああ

早く秋刀魚フェア始まらいかなぁ~。

本戦が楽しみだわ!

うふふ。


今日朝ご飯

玉子焼きサンドしました。

やっぱりお気に入りのゴロッと大きなゆで玉子が贅沢にも沢の贅にも言えるほどたくさん入っていたサンドイッチは

期間限定だったっぽくって、

また再開出来る時をまっているわ。

その待っている間のこの玉子焼きサンドも申し分無くタマゴ感爆発で

玉子は爆発させたら危険だけど、

美味しさが弾けるって意味の爆発だから安心して!

朝の元気の源よ!

デトックスウォーター

ボトルをしっかり綺麗に洗って作ってこしらえておいた

絶好超薄めで作るルイボスティーウォーラー

レモン炭酸水も冷やし冷蔵庫ストックよろしく

入れ忘れ無しよ!

秋刀魚パワーが効いているのか、

とても元気よ!

良い朝ね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-09-08

知らないオッサンを30m先の居酒屋まで連れて行った話

昨日の夜帰ってたら、路側帯を歩いてた杖のおっさん(おじいさん?)を、女性が付き添って歩いていたので

何か困りごとかと思い、近くに車を止めて駆け寄った。

見ると、20代後半くらいの女性が手を引いて歩いてあげているのだが、どうも知り合いのようには見えない。

大丈夫ですか?、今通ってたら目に入ったので」

と声を掛けると

「私も通りがかりだったんです」

女性

オッサン白髪で、中肉中背、右手に四足の杖をつきながら両膝が少し曲がったまま、半歩ずつ、ゆっくり進んでいた。

「手、持ちましょうか」といって女性チェンジし、

「もう大丈夫ですよ、僕送っていきますんで」と声をかけ女性は帰った。

オッサン左手を握り、肘を支えながら横を歩く。

ただ、あまりにも牛歩の歩みで半歩どころか靴1足分にも満たない。

「どちらまで行かれますか?」

と聞くとオッサン

「そこの信号

と答えた。

信号まで約30m。

曲がったところにいきつけの居酒屋があるから、そこで助けてもらおうというのだと。

いつもはもう少し歩けるのだが、道途中でえらくしんどくなったらしい。

それで前に進もうにもなかなか進めなくなっていたのだとか。

ちょっと・・・そこ、座ろうか」

オッサンマンションの1階の段差に腰かけて、定期的に信号待ちに止まる車の人に時々チラ見されながら、ぼーっとしてた。

しばらくしゃべってたんだが、なかなか立ち上がる気配もないので近くのコンビニお茶を買ってきて、自分も水を買ってきて一緒に飲んだ。

オッサン若いころ電力会社いたことや、スキーが好きで青森まで行った話、

そこで偶然地元の知り合いに遭遇したことや、ゴルフサッカーで慣らした話など色々としてくれた。

オッサン特有の、老けたような、少し小便クサいような臭いがした。

「よし、いってみるか…」

また秒速10cmくらいのスピードで隣を支えながら、ようやくオッサンをなじみの居酒屋だというその店に送り届けた。

開いた引き戸の向こうで、オッサンの後ろに立ってる俺を見て、丸坊主の濃い顔の店員さんが「だれだお前」みたいな顔をしていたので

「じゃ、僕はこれで」

とそそくさとその場を後にした。

オッサンはヨボヨボシテいるのでこちらを振り返ることもなく、

うっすらとこちらに手を挙げて挨拶してくれた。

「ああ、連れてきてくれたの、ありがとうね~」みたいなほっこりタイムを期待していた自分を恥じた。

店内にはチラッとほかのオッサンが見えたが、なんか異空間な感じがしてそこに入る気にはなれなかった。

部屋に帰って晩御飯はサトウのごはん納豆を食べた。

2025-08-03

弟よ、お前はいつシコってんだ

自分の家って団地で部屋数少なくて、私と弟の部屋が隣で弟の部屋は玄関すぐになってんのね

で弟の部屋は団地特有引き戸和室からめちゃくちゃ外からアクセスやすいわけ

から本当に余計な心配なんだけど弟っていつどこでシコってんのかな?

音も響くし結構弟が部屋一人みたいな時間って少ないか性的にとかじゃなくて純粋に気になるんだよね

私女だしあんまそういうの興味ないか自慰行為ってやったことないんだけど高校生男の子ってシコってないとやってらんないもんなんじゃないの?と思ってるからこんな厳戒態勢でどうしてんだろうってシンプルに疑問

聞くのはキモすぎるから多分この疑問は解決しないけど

2025-06-16

明日世界で最も嫌いな弟と決別する

6月引越し再就職が同時に決まり明日20年以上住んだ実家を離れてはじめて自立することになった。

引越し先はワンルーム6畳もない安アパートに決めた。生活水準は大きく下がるし、自立のノウハウもないし、金もかかるし、かといって実家職場距離が極端に遠いわけでもないから、

現実的なことを言えばあと数年は実家に留まるのが賢明だと思う。だけど、それらを踏まえてもどうしても実家を離れたい理由別にあった。

4歳年下の弟の存在だ。俺が世界で最も嫌いな弟。

俺を苦しみ続けてきた諸悪の根源と、明日ついに決別する。

ここから先は生々しくて愚痴っぽい自分語りになってしまうからSNSに大っぴらに投稿するのはやめておいた。だけど、このやり場のない憎悪をどうにか消化しないと前に進めない気がして、結局ここに書き残しておくことにした。

両親は俺の頭が上がらないほど優秀で、持て余すくらい裕福な暮らし享受してきた。昔は弟との関係も良好で、サシで夕飯や買い物に出かけることだって普通にあった。

様子がおかしくなったのは3年前の4月大学に入ってからのことだ。

同期に誘われて参加したサークルを一か月足らずで辞めたらしく、その頃から弟の昼夜逆転が酷くなって、終電後の帰宅朝帰りが当たり前になった。学生だし仕方のないことだ。

弟は帰宅すると決まってリビング徘徊し、何か食べたり誰かと通話したりしていた。それが大体深夜3時頃まで続いた。自室と母親の寝室は壁1枚隔ててリビングと隣接しているから、

うるさくて眠れなくなって、二人で何度か注意した。

だけど弟は反省の色一つ見せずに同じことを繰り返した。それどころか、ある時からキッチン料理をするようになった。フライパンやら鍋やら使って平気で揚げ物とか作るから騒音ますます酷くなった。

俺と母親は度々注意し続けたけど、いつからかそれも面倒になっていった。母親は弟が帰宅する前に就寝するようになり、俺も耳栓をつけることで何とか耐えしのいだ。

防音性には限界があったけど、無駄な体力を使って止めさせるよりマシだ、という思いが勝った。

食器も片付けせずに食卓放置するから、翌朝も臭いが残ったままで不快だった。

それから一年後くらいに、弟の寝室にある引き戸の建付けが急に悪化した。当初は老朽化が原因かと思っていたけれど、すぐに癇癪持ちの弟のせいだと分かった。

弟は頭に血が上るととにかく物に当たる癖があって、その度に引き戸を叩いたり、思い切り開け閉めしたりしていた。親子喧嘩だけでなく、友達との喧嘩ゲームに激昂するようなことも頻繁にあって、

当然これも日夜関係なく行われた。弟の寝室も同じく自室やリビングと隣接しており、正直引き戸の音は、他と比にならないくらストレスだった。

少しでも音が聞こえると身構えるようになってしまって、自分でも明らかに異常だと分かった。

俺はなるべく言い争いを避けて穏便に済ませたかったのだけれど、ある時とうとう我慢できなくなって、弟に強めの口調で暴言を吐いてしまった。

取っ組み合いの喧嘩に発展して、両親が仲裁に入って家族会議になった。

結局、騒音に対する不満はうまく伝えられず、折り合いもうまくつかなかった。あの時俺が冷静に会話できていたら、という後悔も少しはあるけれど、最早取り返しのつかない状態だったように思う。

これ以降、弟とは殆ど会話を交わしていない。

多分、弟には何か精神的な疾患がある。だけど、そのことを目の前では決して口にしなかった。

弟は「病気」という概念に対して気味が悪いくらいに敏感だった。両親に精神科の受診を勧められると、当然「バカにするな」と激昂した。

それどころか、普通にインフルエンザを患ったときでさえ、マスクをするのはダサい病院に行くのは恥ずかしいからと意味不明駄々をこねて俺たちを困らせた。

それなのに、逆に問い詰められると自分から「俺は精神病なんだ」と言い出すから、もうどうしようもなかった。

楽観主義で生きてきたつもりだけど、だんだんごまかしも効かなくなってきた。

不眠症ますます悪化するばかりで眠剤を貰うようになった。悪夢をよく見るようになった。

SNSで同じような境遇の人をごまんと見てきたつもりだけど、まさか自分がこうなるとは思っていなかった。特別病気なんかじゃなく、誰にでも起こり得ることなのだ。

多分、引っ越してもしばらくは不眠症に悩まされることになるだろうから気が重い。

昨晩も弟が癇癪を起して、朝の4時に飛び起こされた。

もう顔を見るだけで殺意が湧いてくるけど、これもあと1日の辛抱だと思うと、幾分かは気が楽だった。

俺だけが逃げるようにして家を出て、両親を見捨てるような形になるのが悔しい。結局、自分のことに精一杯で、還元できるものはなにもなかった。

弟と絶縁するとか、強制的に家から追い出すとか、物騒なことも考えたけどやめにした。それ以前に、こんな弟でも両親は大切に思っていただろうし、実際

昼間の静かなうちは温厚に接しているところをよく見かけた。

弟のことをあれこれ考えても、今は嫌な気持ちしかならないからもうこれで終わりにする。変に触れずに無関心を貫くのが一番だと思う。

あと数年して、お互いが大人になったときに分かってくれればそれでいい。

引越し用の段ボールが山積みになった自室を眺めながらこれを書いている。もう本当にあと少しなんだ。どうかすべてうまくいって欲しい。

隣人が弟みたいな人でなければいいけど。笑

2025-05-17

最近マイブーム一人旅

最近休日になるとふらっと遠出することが多い。ぷち一人旅みたいな感じ。

今日何となく思い立って、バックパックひとつでふらっと山に行ってきた。

別に登山がしたかったわけじゃない。休日ぐらいは人の少ないところを歩きたかっただけ。

しばらく山道を歩いていたら、ひょっこりと現れる蕎麦屋看板

えっ…こんなところに?と思わず声に出そうになる

せっかくだし、寄ってみることにした。

木立の間を抜けると…本当にあった

案内どおり小さな建物がぽつんとあって、昔ながらの木造の店。

森林の中から急に現れまるで雑コラみたい。

ガラガラ引き戸を開けると、鈴が軽く鳴った。中は静かで、木の匂い出汁香りが混ざり合ってる。

いらっしゃいませ、と奥から出てきたのは年配の女。にこやかに挨拶してくれた。

メニューは一つだけ。なのでそれを注文。

ふぅと席に腰を下ろすと他に客は無し。でも居心地は悪くない。

間もなく、蕎麦かき揚げが運ばれてきた。

箸を取る。一口すすると……うまっ。

鼻に抜ける蕎麦香り。噛んだときのコシ。つゆの出汁の深さ。

次はかき揚げ。見た目は薄衣に閉じ込められた野菜小海老。

カリッと音を立てそうな表面で、箸でひとかけらを割った瞬間、揚げたての香ばしさがふっと立った。

鼻の奥がざわついた。

さくりとひと口。口の中でパリパリという衣の崩れる音が広がり、直後に玉ねぎの甘さと海老香りがじゅわっとあふれ出る。

まらんかった。

どれもが一級品。

……やばいなこれ。腹が減っていたこともあるだろう。マジで箸が止まらんかった。

食後の蕎麦湯、しみるように優しかった。何もかもがちょうどいい。

静かで、落ち着く。

そして思い出した。

一人旅醍醐味って、こういう店に出会ことなだって

会計をして(安かった!)、会釈してお店を出る。

午後の光が山肌に柔らかく差していた。

小鳥の声。木々のざわめき。髪を靡かせるゆるやかな風。

たぶん…というか、絶対また来るわ。

うつぶやいて、そのときつぶやきを思い出しながら、これを書く。

休日日帰り一人旅

もうしばらくは、嵌りそうだ。

2025-04-04

身内がわたしに対する威嚇でわざとドアや引き戸を家全体に響くくらい強く閉めることがよくあって昔はその戸を開けてドアバンやり返してたんだけど今は家に犬がいるからそれやると犬が音とピリピリした空気にショックを受けるから可哀想なんだよな

向こうがやるだけでも可哀想からわたしがやって2倍になることはせめてやめてあげたい

でも泣き寝入り悔しい

この間はそいつ炊飯器コンセント外してゴムで他のコンセントと結んで戻しにくくしておいたけど弱すぎるよなー

もう少しイライラすることしてやりたい

anond:20250404113704

でも引き戸って構造上蹴り入れたら絶対外れそうじゃん

anond:20250404113352

荷物が倒れたりしてトイレに閉じ込められるとかあるし

引き戸最高だった?

2025-01-03

トイレが不便だという人の意見を叩くのはなぜ?

実家トイレリフォームしたらしいんだけど重大欠陥かかえてて顔ない→「誰も気が付かなかったのかな??」

https://togetter.com/li/2489468

要点は



というもの

ツイッターはてブは一様に「不便ではない」という意見じゃん

まあそれはわかる

扉を開閉する前にトイレを明るくすれば解決はする

けどさ、実際に不便だと言ってるのは投稿した本人なんだよね

普通に考えるとトイレのドアを開けても閉めていても、電気オンオフができたほうが便利ってのはわかると思う

必ずしも電気トイレに入る前につける人とは限らないんだし

使ってる人が不便と思えば不便なんじゃね?

君たちがそのトイレ毎日使ったりするわけでもなく、公衆トイレなわけでもない

外野から見ると一般家庭のトイレの使い方を冒とくしているのですげー気持ち悪いんだよ

「いや、不便だとは思わん」って言ったとしてもだからなんなんだよw

一人の一般人のトイレ事情揶揄してそれで終わってんじゃねーよ

あれだろ?

ドアを閉めると自動的電気が消えちゃう仕様だとおもったら、単に操作ができないだけだったってオチ揶揄したいだけでしょ?

2024-11-20

anond:20241120094637

これな。

中国系に立ち向かって世界に売るにはこれしかねえってのはまあ頭では理解するんだが

多様性が失われるのはつらい。ゴリゴリに金をかけたアニメ映画から、馬車が引き戸の低予算声優全振りアニメであるからすばらしいんだよ!

2024-11-18

猫が死んでしま

十年弱飼っていた猫が死んでしまう。

原因は悪性の腫瘍、つまりガン。

ある日突然全くご飯を食べなかった。

前の日まではこれまでと同じように普通にご飯を食べていたのに、その日、一日中何も食べなかった。

ちゅーるやウェットフードをあげたら少しだけ食べたけど、ほんの少しだけだった。

元々痩せている小さい猫で(あまり胃が大きくないのか、若いころからまり多くは食べなかった)、数日あまり食べないことが続くだけでみるみる細くなった。

ほぼ食べなくなってもう2週間経つ。

まるで自ら死に向かうことを望んでいるように、多分猫としては最低限の妥協ラインなのか「ちゅーるを小指の先くらいだけだけ」のご飯しか食べずに痩せていく。

ちゅーるをひと舐め、ふた舐めすれば「頑張って少し食べたな」と思う。

数日前は鼻先にもっていけば、少しは自分でちゅーるを舐めたのに、ここ二日は持って行っても食べなくなった。数日前は少し食べたと言っても一日一本もちゅーるを食べていなかったけど。

人差し指でほんの少しちゅーるを口に入れると、少しだけ舐めるが、飲み込みづらいのか口をくちゃくちゃさせている。

まだ少しだけ歩くことは出来るので、飲み込みも出来るだろうと思って口に入れてあげているが、だんだん体力も落ちてきているし、もしかすると飲み込めなくなるのも時間問題かと感じる。

今では背中を触ると骨がごつごつとしているのが分かるので、いつものようにむにゅむにゅと撫でることはできなくて、そっと毛に触れる程度で背中をなでている。

錠剤のステロイド注射抗生剤を使い緩和ケアターミナルケア)をしている。

インターネットステロイドは食欲が出ると見たけど、それでもご飯は食べなかった。

良くなったのは「暖かい場所に居るようになった」ということくらい。

ステロイドを使う前は、猫は冷たいところに行きたがった。私が少し目を離したら、部屋の隅の寒いところ(ベランダへ出る引き戸の近く)に一人で行って身体を冷たくしていた。

慌てて猫のそばに行って抱きかかえた。猫の手も足もびっくりするくらい冷えていて、体温も感じられなくて「こんなに冷たかったらすぐに死んでしまう」と思った。

私が少しでも目を離せば、猫は冷たいところに行った。そうして身体が冷たくなった猫に毛布を掛けたり、弱にして少し布団を上げて熱すぎないようにしているコタツに入れたり、ほのかに温かいカーペットの上にのせたりすることを何度もやった。

身体の冷たくなった猫が一回呼吸をするたびに、「次の息はするのだろうか。寒い場所で冷たくなって死ぬのだろうか」 と怖くなった。

ステロイドを飲むようになったら、自分コタツに入っていった。

猫が自分コタツの奥に入っていくだけでこんなに心の底から嬉しい。

コタツゆっくり眠っているのを、起こさないように少し見るだけで、わたしは感激して胸が詰まってしまう。

きっとこうして温かい場所に居るだけで、猫の寿命は少しだけ延びたと思う。

逝ってしまうその瞬間に私の腕の中に居たらいいが、ずっと抱いているわけにもいかないしタイミングによると思う。

せめてぬくぬくゆっくり眠って、旅立ってほしい。

最初出会ってわたしがその猫を「自分の猫」にしたのは、「冷たい場所に居てほしくなかった」という理由から

私はその猫が大好きで、今までとても可愛がってきた。

毎日可愛いね」と言った。誰よりもその猫を撫でて、抱きしめてきた。

自分に余裕がなくあまり撫でてあげられなかった日もあったが、まるで自分の子供のように基本的毎日ずっと可愛がってきたと思う。

私の人生の悲しいことも嬉しいことも、何かあれば猫に報告していた。

この十年弱はどちらかと言うと悲しいことが多かったけど、猫は優しい重みとほのかな熱で、いつも私の心を温めてくれた。

まだまだ元気な時にも、年に3回は「猫が死んでしまったら」と考えて一人で大泣きしていたくらいには大好きだった。

もう何十回も考えて涙してきたことなのに、いざその時が来るとそんな「心の準備」は役に立たなくて、毎日大泣きしている。

ほんの少し前に、いたずらな猫を見て「もう年だけど、まだまだ元気だな」と苦笑いしていたのに。

猫も、私のことが一番大好きだった。

家族名前を呼んでも返事をしないのに私には返事をしてくれたし、私が帰宅する3時間から少し寒い玄関の前で座って待っていてくれた。

猫はおしゃべりでよく何か話していた。私がお風呂トイレに行く時もついてきて、猫はドアの隙間から私に話しかけていた。

わたしご飯を上げるときに「ご・はーん」 「ご・はん」と言っていたら、猫も「にゃ・にゃーん」 「にゃ・にゃ」と鳴くようになった。それまでは「にゃー」 「にゃ」と言っていたのに。

ずっと「ごはん」のリズムで鳴いているのが面白かったけど、私と会話したくて真似して覚えたのかな、と思うととても愛おしかった。

猫が返事をする時は、嬉しそうに目を閉じながら「にゃ」と言った。今はもう鳴かず静かに過ごしているけど、私が呼びかけるとゆっくり目を閉じてくれる。

私の大好きな猫が死に向かっていくのを、毎日ボロボロ泣きながら最期のお世話をしている。

撫でる時は優しい声で話しかけて、なでてあげている。

後悔はいくつかあるけど、沢山撮った写真が、今まで猫が過ごしてきた沢山の穏やかな時間証拠となって、私の心を少し穏やかにしてくれる。

少し前、居なくなるのは本当に悲しくて辛いし怖くて、信じられないし、受け入れられなかった。今でも完全に受け入れられているとはとても言えないけど。

でも少しずつお世話をする中で、「 『平均寿命』と言われる年まで生きて、猫の一番の死因となる病気・ガンを患って死ぬのなら、ある意味老衰のようなものではないか。それはそれでまだ幸せな逝き方だ」と少し考えられるようになった。

せめて暖かさを感じながら逝ってくれるならいいと、少しは思えるようになった。

猫はコタツで眠りながら、私に心の整理をさせてくれているのかなと少し思った。

大好きなわたしの猫。

はいつまでも私のことを大好きでいるのが分かるし、そして私もいつまでも猫が大好きだよ。






こんな猫がどこかにたことを誰かに知ってほしくて書きました。

これを読んでいるどこかの猫の飼い主さんへ。沢山可愛がって、写真も沢山撮って(撮りすぎとか似たような写真多すぎって思うくらい撮ってください)、思い出を残してあげてください。


追記

>『癌を治してやれよ』

そうできたなら良かったのにと思います

もちろんごはんを食べなくなって病院にすぐ行き相談しましたし、猫の検査も色々しました。通院も何度かしていますし、緩和ケアだとしても二週間に一度は通院しないといけないと言われました。

自分でも色々と調べた上で、猫の状態や、体力、治療副作用、猫へのストレスを考えてこの選択しました。

余談ですが、私はこうなって初めて、人間とは違って猫は点滴で栄養殆ど取れないということを知りました。

私は猫の状態を見て、治療よりも猫が少しでも穏やかに過ごせるようにする緩和ケア治療選択しました。

>『 緩和ケアより安楽死させてあげたほうがいい。 早めに苦痛を取り除いてあげてほしい。 何もせず、「緩和ケア」と嘯いて、生かす理由人間エゴ以外ない。』

緩和ケアは何もしていないわけではなく、「なるべく苦しみを取り除く」というケアのことで、無理な延命治療のことではありません。

分かりやすく言うなら「病気頭痛がするため頭痛薬を飲む」というような、身体を辛くしないためのものです。緩和ケアをしないで痛み止めを飲まなければ、苦しむでしょう。

猫のことを思って安楽死を選ばれる方も実際いらっしゃるでしょうし、「それが猫に対して愛情をもって飼い主が選んだならば」、それは正しいでしょう。

飼い猫ですから緩和ケアか、延命治療をするか、もしするならどこまでするかは、最期にどのように生かすも殺すもその猫の飼い主の考え(エゴ)でしかないと思います


2024.11.20 追記

優しい言葉や、経験の話や、アドバイスなど頂き、少し励まされました。ありがとうございますオムツもさっそく用意しました。

猫が穏やかに過ごせるように気を付けながら最期までしっかりお世話してあげたいと思います

(根気よくちゅーるを口もとに持っていくことを日々していたら、ちゅーるを1本弱くらい食べました。1本だけでは生きるエネルギーには全然足りないけど猫も頑張ってくれているのが分かります)

2024.12.04 追記

猫が亡くなりました。最後こたつの中で、すぐそばで見守りながら最期を迎えることが出来ました。

食べなくなり細くなって死にそうなところまで行ったのに、最後の1週間は何故かよく食べるようになり少し元気になって

最後に少しでも頑張って生きようとしてくれていたようでした。

猫は本当によく頑張ってくれました。

私は最後までしっかりお世話をすることができたと思います

そして猫も最後までわたしの声に応えてくれました。一番幸せな看取り方が出来たと思います

コメントの中に「居なくなっても心の支えになっている」という言葉がありましたが、私の心にもその言葉はしっくりきました。

色々と温かい言葉をくださった方々に、感謝申し上げますありがとうございました。

こんなどこかの猫(と飼い主)に言葉をかけてくださったり心のなかで少しでも想ってくださった優しい方々が、健やかに過ごせますよう願っています

2024-10-08

anond:20241008102719

定義によるけど、フレイル認定されるような状態はほぼ要支援認定は降りるね。よほど特殊な状況でなければだけど。

最近は ロコモロコモティ症候群)→フレイル→要介護→終末期 と進むと言う理解で、ロコモフレイル中間ぐらいから要支援認定が得られる。

また、ロコモティ症候群の予防は、さらにその手前、高齢者社会教育とか、社会参加推進とか、もっと言うとシルバー人材センターなどもその一種といえるかも知れなくて、別枠で存在する。

ロコモ予防なら普通スポーツジムも使えるしな。


しかし、ロコモティブ・シンドロームを「ロコモ」と短縮して普及図った人は頭いいわ。それだけで何万人単位健康寿命延ばしてるんじゃないか


住宅改修についても仰る通りだね。わずかだけど節約にはなるかもしれない。そのためには、ワイは要支援状態のと時に住宅改修をしておくのが良いと思う。

何故かと言うと、2回目の住宅改修を行える可能性が増えるから

住宅改修の枠は20万円の枠がついて、この枠の中であれば複数回でもできるが、ひとりにつき1枠で復活しない。

が、例外があって、介護度が3段階上がった場合というのがある。要支援1で改修をしておくと、その後要介護2で改修枠が復活するんですな。

一方で要介護2で改修すると要介護5でも復活しない。(実際には、例外事項がいろいろあるので言い切れないけど)

もちろん、将来もっと重たい状況になったときに備えて取っておくという考え方もなくはないんだが、要支援1の段階で将来の車椅子生活に備えた改修をするのは全然アリなので、明らかに必要な所はやってしまえばいいかと。


ワイの場合

と使って4回改修している。まぁ枠は全然使い切ってないんだけどな。

実は母の介護保険適用改修の時に、自費でかなり大規模な改修をしている。

介護改修に対応した工務店相談して、自費でやる部分と介護保険を使う部分を分けた。

やってよかった改修は以下。もちろん住宅によるんだけど。


廊下や部屋の中の手すりは、我が家では歩行器と置き手すり併用を選択したため付けなかった。逆に手すりを付けるとその分廊下が狭くなって邪魔になるので、DIYで少し付けたが外してしまった。

このほか、SwitchBotのコンセントや指ロボット、後付けの電子キーなども使ってあちこちオートメーション化したりはちょっとずつちょっとずつやってる。

ほか、介護用品を安全に保管するところとか、使っている治療器具を置く台とか、不格好なDIYでかなり揃えている。まだ介護度が低い家に色々やっておくと良いと思う。

2024-09-10

anond:20240910155517

今どき換気のために普通のドアも室内は全部隙間あけてると思う

デメリットは、引き戸の下が少し空いていて、気密性が低い点

anond:20240910155517

うちもトイレと浴室以外引き戸引き戸欠点は使える壁が少なくなることと遮音性。でも引き戸にしてよかった。

電圧は80Aだけどたまに落ちる。ポットと電子レンジ食洗機IHヒーター、エアコンエコキュートが同時稼働すると落ちる。

後悔ポイントインターホンぐらい。2階にいると全く聞こえない。

床下収納は床下点検兼用でついているものでは?うちは空っぽ

地味に1階の物干しが便利。プール干したりとか、シーツとかタオルケット干すのに使ってる。

トイレセンサーライトにしたけど、廊下もすればよかった。とりあえずホームセンターで売ってるやつつけて夜でも足元だけは明るい。

2階のエアコンの室外機がインナーバルコニーに置いたことが後悔。熱がこもって無駄に電力使ってる気がする。下まで持ってくかバルコニーの外に置けばよかった。

100平米強の注文住宅を建てた後に「よかったこと」と「こうしておけば

[追記]

コメントありがとうー!


これは間違いないです。妻は、相当な時間と労力を家づくりに突っ込んでいますので。

これは知らなかった。私が妻を介護、または妻が私を介護するときに役立つことを期待。

  • 100平米強ならではの要素

特にないです。一般的な広さと言いたかった。

  • 食洗器

うちのは、キッチンLIXILで食洗器はパナソニックなのだが、後から交換はできるようだ。

が、10万とか20万とかかけて交換するのは、ちょっと。。と思い今に至ります

知らなかった。ありがとう

仕事英語は使うのだが、ビジネス用語しか話せなくて、日常用語全然知らないんだ。なすエッグプラントということを昨年知ったよ。

妻がもの多い&捨てられないので、収納はいくらあっても足りない状態

ウォークインクローゼットあります。妻の服がびっしり入っている。パントリーはないです。

れいいですね。やりますコメント感謝

  • 断熱性能や気密性の値

これ、いくつかの工務店から提案をもらったり、YKKAPのショールーム行ったときは興味持っていたのだが、

予算的に最上のものは無理だなーと分かった段階で、あまり興味もたないことにしました。

安価な建売戸建てよりはよい数値だが、気密性にこだわりまくった家よりは低い数値です。

---

[ここから本編]

今年、2階建ての新居を建てた。

妻が戸建てが欲しい欲しい欲しい、というので任せていたら、土地を見つけてきて、あれよあれよという間に家が建っていました。

おおむね、後悔はないのですが、「よかったこと」と「今思うと、こうしておけばよかった」を共有。

よかったこ

間取り

妻が気合を入れて作った間取りなので、妻が満足している。

間取りに関する不満を言うことがなくなった。よかった。

浴室乾燥リビングエアコン

200Vなのでパワフルで早い。

引き戸メイン

引き戸だと、ドアの開閉部分の面積を気にしなくてよいので、部屋が効率的に使える。

デメリットは、引き戸の下が少し空いていて、気密性が低い点。

とはいえ、家全体の機密性はやや高めなので、そこまでデメリットには感じない。

しろ、部屋の暖気(または冷気)が廊下にもれて、廊下が適温になっていたりする、よいこともある。

気密性

こだわると非常に高くなるので、「やや気密性が高い」程度で落ち着いたが、前の家と比べて冬は暖かい

夏は冷房効率がよく、相対的涼しい。ただ、2階の冷房をしていないときはクッソ暑い

でもいいの。寒いのが苦手なので。

一体型ではないトイレ

何かあったときの修理費用が安く済みそうという安心感

収納の多さ

物が多い妻が考えただけあって、収納が多数。実際はこれでも足りなくて、庭に倉庫を買ったが、これで足りたので良かった。

屋内収納が今より少なかったら、とても大変だったので、妻に感謝

こうしておけばよかったこ

床下収納

前借りていた戸建てでは床下収納があったのだが、床下収納には使われないものが多数収納されており、かつ、妻が「処分したくない」というので、開かずの間のようになっていました。

しかし、新居では物が増えたため床下収納があればスペースをより有効活用できたなと思う。

電源コンセント

以前住んでいた賃貸戸建ては30年前に建てられた家だったので、コンセント場所が少なかった。

よって、おおむね3倍くらいに増やしたのだが、これでも足りない。

というより、新居に入居する前と、入居した後実際に家電を使い始めた後では、「ほしいコンセント位置」が結構違う。

「ここにはいらなかったかも」という箇所がある一方、「ここにつけておけばよかった」という箇所もある。

よって、「とりあえず、ちょっとでも気になった場所には、多めにつけておく」のがよい。

電気容量

前の家は60Aで、エアコン、食洗器、除湿器炊飯器、浴室乾燥乾燥洗濯機などを同時につけると、よく電源が落ちていた。

今回は60A以上にしようと思ったのだが、工務店が「最近エアコンは省電力だから、まずは様子を見て、足りなくなったらアンペアあげたらどうか」というので、まずは60Aにした。

つもりだったが、なぜか50Aだったことがこのまえ発覚。工務店なにしてるの。。

電話一本で50Aから60Aにはあげられたが、100Aにあげるのには追加工事必要で数万円かかる。

まあ、アンペアをあげられたのはよかったが、数万円無駄になった。

家の外の地面(コンクリ)の色

白っぽいコンクリだが、夏はとてもまぶしいし、タイヤの擦った跡などが目立つ。もう少し灰色っぽいほうがよかった。

そもそも色を選べるのかは知らないが)

食洗器

これまで後付け食洗器を使っていたが、これをビルドイン食洗器に変更。

50L容量だったものを、60Lにするはずが、ショールームサイズを測った後になぜか「40Lでもいいな」と思ってしまい、ダウンサイズ

しかし、この判断のせいで、食洗器を回す回数が激増している。

これが一番の判断ミスだった。くやしい。。。

吊り戸棚収納

天井近くという、いわばデッドスペース収納をつけておけばよかった。天井裏の床板の補強とか必要なので、後からやろうとするとコストたくさんかかりそう。

吊り戸棚をつけることが決まっていなくても、とりあえず補強だけはやっておけばよかった。

明り取り窓の種類

天井近くの明り取り窓はスモークガラスにすればよかった。隣の家の人から見えてしまうかも、と時々気になるので、結局カーテンでふさいでしまった。

2024-08-24

雑に扱われたほうがむしろ好きになるみたいなやつ

うちの猫家中引き戸自力で開閉できる力の持ち主なのだ

人間そばにいると「わたしカリカリより重いもの持ったことないんです〜だからここ開けて〜!」みたいな声を出しながら上目遣いで寄ってくる

本当は自分で開けられるくせにこいつ……と思いながら人間は扉を開けてやる

猫はその瞬間さっきまでの態度は嘘だったかのように礼も言わずプイッと走り去る

そうやって扉の前に一人残されたとき

猫に良いように使われてしまった快感がじんわりと広がってくる

クズ男にハマる女の気持もこの気持ちの延長なんだろうか

2024-08-20

住宅のリノベについて(別解)

https://note.com/sei_shun/n/n1d4b6243a90c

この記事を見て、似たような建物場所もっと山間の中)をリノベした時の別解をメモ

元々の状態など

やったこ

エクステリア

伸び放題だった庭の剪定や、伐採などは行った。

それ以外は特に弄らないつもりだったが、外で食事がしたいと言う需要が現れて、水道の追加は後からやった。

できあがり

300万円ぐらい。そのうち水回りのプロへの依頼が80万、断熱に120万ぐらいかけている。

解体費は母屋解体と合わせてやったので金額不明

貸し出せるようになるまで半年ちょいかかった。ボランティアの協力者も入ってくださったが、ほぼ3人ぐらいで集まれときに地道にやったため、人件費は入ってない。

その後

周辺の似た建物キャンプ場とグラウンドを一体運営して、民泊・貸しスペースとして運用中。一棟貸しで合宿利用をメインターゲットだけど、家族連れとか、企業利用とか、地道に営業しています

オーナーさんが所有して、うちに管理委託という形態。うちは黒字で補修費の積立も出来てるけど、オーナーさんが負担してくださった金額を入れると無理。

他にも空き家がまだ何件もあって地道にリノベしてます

小ネタ

2024-08-14

家族間の防災意識温度

家族間の防災意識温度

なんか、フッと「あ、もう自分で用意しよう」ってなった。それくらい夫と私で温度差がある。 私は過去の大震災経験していて、夫は一度も被災経験がない。温度差があっても仕方ないのかなあ。 過去被災経験が私にとってはトラウマになっている。 家は新築だったのに庭が陥没し、外壁にヒビが入った。傾きこそしなかったものの、部屋のドアの建付けが悪くなって、閉めても勝手に開くようになった。 親戚の家も新築だったのに大きく傾いて、障子と窓ガラスは全部割れ食器棚から食器が転げ落ち、浴槽にヒビが入った。トイレのドアは鍵がかからなくなった。向かいの家は1階が完全に潰れて、歪んだ平屋みたいになってた。 登下校中は垂れ下がった電線と水たまり絶対近づくなと言われた。引き戸ゴロゴロと動かす音が、地震発生当時の音と似てて震えが来るほど怖くてたまらない。 毎日ダイニングテーブルの下で眠り、寝返りを打つと足がテーブルの脚に

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240811141811

2024-07-26

被害者なのに冤罪逮捕された

増田アカウント消しても記録残るみたいなので残しておきます

隣家嫌がらせが原因で重度身体障害者に。彼らは捕まらず、被害を訴えた私が捕まりました。出所後は嫌がらせ悪化指定難病を患いました。それでも嫌がらせは止まら毎日眠れず身体は振戦痙攣蕁麻疹を繰り返し、悪臭などにより体調が悪く鼻も痛い。毎日眠れずとても苦しい。

自身名誉回復安心で安らげる住居を返して欲しい。指定難病超重度身体障害者の願いです。隣人逮捕の協力をお願いしま

障害病気でぼんやとした状態ですが懸命に書いています。どうか拡散してください



逆恨みから騒音被害

夫婦の家に無職夫婦がやってき二世帯に。挨拶はなし

孫が我が家ボールを入れてしまう。挨拶がなかったことで存在認知していなかったのとカルト宗教みたいな見た目の薄気味悪い親子だった為チャイム無視していると子が庭に入ってきた。たまたまそれを見ていたのだが、それに子供が気付き怯えた顔をしながらこちらを凝視。窓の仕様レースのカーテンで中は外からは見えにくく庭からはほぼ見えないはずなのだが見えたようだ。

孫になっちゅうことするんだー

その事がきっかけで逆恨みされ嫌がらせを受けることに。

騒音それに伴って発生する振動

汚物排泄物

ゴミの投げ入れ

有害物質を撒き散らす

敷地への侵入

悪臭

様々な被害にあってきたが、一番酷いのが騒音

専門家に調べてもらった所本人達は正常だと言うが正規品でも正常でもない代物で改造品であることが判明した

その改造品の騒音振動がとにかく酷く、家屋が揺れるほどひどく耳栓が効かないほど騒音が大きい。身体への悪影響も大きく蕁麻疹がひどく身体も揺れ振戦震えを繰り返す。もはや痙攣といえるほどひどい



「殺ってやる」逆ギレ大絶叫から悲劇

騒音対策として教えて貰ったノイズにて騒音除去を試みると加害者が深夜に逆ギレ

家の中からやってやるー。と絶叫。ちょくちょくこちらを監視していたことがあったが深夜もなのか。

翌朝、部屋が真っ赤に染まりオレンジ色に。火事である。幸い冬だったので雪で消火されたようだ。

理由不明だが病弱のようで深夜に救急車で運ばれていく隣家娘。明らかにメンタルだろう

一瞬の悲劇・・嫌がらせ身体障害者になりました。

その頃には騒音被害も激しく16時以降は一番近い危険な部屋(通称事故物件部屋)には入らないようにしていた。

騒音が酷く家、床がブルブルと揺れる。ガタガタが正しいだろうか。揺れる

16時早いと14時頃から翌朝まで。在宅ワーカーなのに朝~昼までの短い時間しか仕事が出来なくなり困ってしまっていた

その時は運悪く18時を過ぎてもその部屋にいた。作業していたその時だった

ビリビリ身体に強い衝撃が走る。電気ショックを受けたかのように衝撃。身体は赤く腫れあがり歩行が不安定

今も続く重度身体障害が起きた瞬間の出来事である

何かを失うときは強い電気ショックのような症状が出るらしい。

強く深く後悔している。なぜもっと早く家を出なかったのか。生活保護でも貰い出るべきだったのではないかと。

症状は重くアレルギー症状が強く出るため遠くまで行けない身体になってしまった。乗り物も含め強い過敏症が身体に出て筋肉が固まり動かなくなるのである。そんな訳で今もその当時の部屋に住んでいる。お金がないからだ・・



嫌がらせが増し警察相談

毎日深夜に1分おきにドン、ガタガタと揺れが来るように。強い衝撃である

床が揺れ、壁も揺れドアや引き戸も音を立てて動いている。震度3.4ほどでとにかく揺れたことを記憶している。今では頻度が収まったが広範囲になってしまったため24時間時々ではあるがこのような揺れが来る。辛い環境で過ごしている

まりにも酷いため警察相談履歴を残すことにした。

相談履歴が何物かによって削除された

数回目の相談とき相談履歴が消されていたのだ。警察責任などは感じず事務処理の如く対応していく。名前は記録していたのでこいつが犯人なのではないかと考えている

110番通報も・・「また何かあれば連絡ください」

出動義務があるにも関わらず特定の住所を言うと急に対応が悪くなっていた。

朝の四時にかけると「こんな時間ですよ?」皆さん動き出す時間です。という謎の理論を展開。

道路木材を投げ敷地内だけでなく道路歩道に資材が散乱。非常に危険なので通報すると上記対応を取られた。おまけに個人情報流出する騒ぎとな。。

直接突撃するとパトカーが十台やってくる大事件に

通報すると30分から90分でやってきたパトカー騒音がひどいと実名を述べて通報したのにこの時間。そりゃあ騒音は消えていることも多いでしょう。何故か私が悪いみたいに攻める警察官。早く来いよと思いながらも事情説明していた。騒音エスカレートし轟音を鳴り響かせる。障害を負いつつもこの仕打ち和製ガンジーである私は激怒した。

隣家クレームを入れにいくとまさか逆ギレ騒音加害者あるあるですが、逆ギレ

クレームあなただけ

低周波被害隣家に及ばない

通報したのはお前かなどの家族総出で逆ギレ

おまけに散々文句を言った後になぜか被害者ぶり警察通報

発言が二転三転しおまけに金銭要求までしてきた

1分で到着する警察隣家犯罪行為は全て合法です

あれだけ遅かった警察が1分で到着。私達は省エネ設備を使っているのです上級国民ではありません。などと意味不明供述をしたらしい。

話が長くなるのであらすじだけ

隣家ゴミを投げる行為

隣家有害物質を撒く行為

騒音を出す行為

大きな騒音によって振動を発生させる行為

全て何の問題があるのですか?

合法らしい

金銭要求する行為について

あなたも何か言ったんでしょ?」

だそうだ。北海道警察はとにかく腐りきっている

この理論なら人は捕まらないだろう。人を殺してもあなたが何か言ったんでしょ?で終わるのではないか。腸煮えくりかえる思いだ

他にも多数ある。

一番ひどかったのは動画を見せたのに見えませんといったこと。失明しているのだろう失職すべきだ。



翌日何故か警察からしかりのお電話

強気に来たのでこちらも強気でいくとあちらは弱気になる。典型的警察

昨日のことを言うとそんなことはありません。などという。名前所属を述べると黙り込む。

色々話しましたというか強引に話しまくりました

隣家の正体

元々自民党議員などの議員挨拶に訪れていた家で大物議員もいました。悪にも手を染めていたようで・・揉み消しだのなんだのがあり権力者だったそう。だから警察の数や対応が違うのね。

更に女子供をウリにして被害者ぶる老害婆。

家を30年間一度も掃除していない汚物でそれが敷地我が家侵入。とにかく汚い。草木は腐っているしもうなんとかしてって感じ

北海道警察本部クレーム

翌年にあまりにも酷かったためクレーム

更にTwitterにもクレームを入れておきました

本部では取り扱わずにすぐに当該部署に丸投げ。公安委員会等の通報が全く役に立っていないのだ

まさかこれが事件に繋がるとは思いもしなかった・・

翌日警察我が家不法侵入暴力冤罪逮捕

翌日来ました。翌日。記名しなかったのにTwitterから個人情報取ったのですかね。

クレームはどちらも記名せず対応のみのクレームでしたがやってきました

以下簡易版、あらすじ

警察署を名乗り鍵を開けた瞬間強引に侵入居座り始めました

家宅令状などの書類はなく提出?提示も拒む始末。もう何でもありだな

家の中の右往左往。何かを探しているのか私が動くとあちらもついてくる。何を探しているのか。

後に通報などのデータ被害届や診断書といったデータが無くなっていた。紙が全部無くなっていたのである

時間居続け、署員が増員されていく。ここで隠滅工作を図る

更に数時間後突如時間だ。と言い3人以上から締められ圧迫し呼吸が出来なくなる

強引に連行しようとする。逮捕状もなく手錠もかけられていない。任意ですらない強制連行なのだ

乗せられた車はパトカーではなかった。ランプもついていない



刑務所ではなく強制連行施設

留置所でもなく拘置所でもない。未決犯が集う場所もしくは外に出せない者が集まる場所でもちろんここは違法であるオーバードラッグを推奨され飲まなくてはいけないもはやここは人体実験場。現代アウシュビッツ収容所である

亡くなった人がいたことにすら気が付かなかった。ヤクザが泡を吹き手足が痙攣し死にかける有様を見てもはや映画登場人物になったかのようだった

何回も犯罪を犯した反社や元ヤクザ、組長に上級国民犯罪を犯した者、上級国民迷惑をかけた者、世の中から消したいやつ。様々な人間が集まっていた

怖いというより早く出たいといったところだ。

担当外国人なら早く出られるといった。差別か?日本人版の入管である

知ってはいけない事を知ったものが入るらしく君と似たような人は何人かいたと聞いた。

昔はジャーナリストだった私だが大手メディアでページをもって少し書いていただけの無名存在。確かに不動産関係には絡んでいたがそれではあるまい

君のことが気に入ったと担当は述べた。その担当大事件を起こして収監者を出したのはその先の話である



脱出後の話

外の空気はとても気持ちが良いものだ。そして食べ物が生き生きしている。家に帰ってくると家が狭く感じ居心地が悪く感じた。

帰ってきて少し時間が経ってから始めたのがこの事件告発することだった。

有名人になり事件施設存在などを世に広めることを目標活動を始めた。がなかずとばず。

事実小説より奇なりというのは本当だった。数ある告発が世に出なかったり信用されなかったミートホープ事件真実真実だと認められない世界なのだと数年で学んだ。

その他毎年12桁の税金を蝕む幽霊企業を知っているそことも私が揉めていたその情報を知っていたこともあり今回の事件に巻き込まれたのかと思うこともあるがこれまた信用性の問題で信用されない話であるTwitterはくだらない話自己満足政治話ばかりに終始し告発情報などが信用されない世界。その世界ならばなにか変えられると思い活動したのが馬鹿だった。時間無駄にしてしまった。そう思う。そして重病を患うことに



指定難病を患い人生が終了

重度身体障害で動けない中で騒音被害は激しさを増す。ストレスが嵩み吐血指定難病を患った。食事制限が厳しく食べられるものはあまりない。まして貧乏なので何も変えない。麺料理でも具はないし、今日の夜のご飯のおかずもない

長年に渡る騒音で家が傷んできた。ベッドは揺れ床も揺れる空振も発生する。もちろん騒音もあり眠れない。お金のある者は引っ越していった戦わずに。

この地域が抱えている問題ハリーポッター全巻でも書ききれないほどある。絞殺がなぜか事故死になった事故物件、何年も公的機関登録されていない家に人、そんなとこは記録にないと言うが元々家がありその家がまだあるのに何故データ公的機関から消えているのか。地図にもないと言うが明らかに建物マークがありMapにも載っているはずだが・・

そして極めつけは住人の大量死である。毎週人が死んでいく。これよりホラー場所存在するか?

一人死にまた一人。一人死ねば次は隣の家が死にまた隣へと動く連鎖しているパズルゲームのようだ。我が家すぐそこまで来ている。とんでもないとこに長年住んでいたと最近知った

調べたら違法から通報したら誰も何もやらない

違法蔓延している。元ジャーナリストから調べたら自民党に多額の献金そしてパーティー券を買っている。ご丁寧に遠くの議員パーティーまで出席した写真が残っていた。通報しても動かない理由が分かったよ。元々情報があってその情報を元に調べたらすぐに出た。公的機関情報照会するとすぐにタレコミが正しいと分かった。でも動かないんだ

メディアにも連絡したが返事はない。屍かな。ドラクエかな。マトリックス世界を活きているかのよう。タレコミ者も含めだが我々以外に人間は生きていないのかも。人の形をしたデータなのかもしれない

とても悲しくなった

自分の苦しみ悲しみ嘆き。これは次の世代世界に届くのだろうか。ネットの海に飲み込まれるのだろうか。恐らく後者である。こうやって事件の一つは消えていく。そう思った

自分過去出来事とし不祥事を闇に葬り去ろうと決めた。そんな時だった



戦う覚悟を決めた果てしなき続く嫌がらせ

数年ぶりにクレームを入れることにした。30年で二回目である(私)。

指定難病闘病中で体調が厳しく家族も全員難病を患ったからだ。

丁重に内容を考え話を考え出陣。結果は変わらない・・どころか悪化しました。モンスター住民クレーム言うと爆発するのです。だからキチガイと言われるの。

数ヶ月後に③度目のクレーム。深夜に騒音を出したり健康被害を訴えているにも関わらずそれをやるのは嫌がらせですか?違うなら止めてと述べたら、更に深夜までしか毎日やり始めました・・

深夜③時半。四時くらいに終わり。たまに四時くらいにもやっているが。五時半頃からまり終日といったところ。もうね寝れません。

この一家のせいで身体障害者にもなり指定難病にもなった。配慮どころかわざと騒音を出す時間を長くする・・権力かなにかで被害届を揉み消す。もうね許せない。

世の中許せないことだらけだと思うがこれは許せないではなく許してはいけないのだと思う。国家権力なども絡んでいるため簡単ではないですがネットの力で世論を動かしてほしい。そう思って今これを書いています

闘病中にも関わらず、ゆっくり眠れない。音が大きすぎて家が揺れる。床が揺れる寝具が揺れる。1.2時間寝れればいい方。なんの闘病をしているのかわからなくなる。

更に嫌がらせ難病悪化

身体が悪くなりすぎてアレルギー反応で死にかけた。それでも嫌がらせは止まらない。血が止まらないのに薬が重篤なため使えない。もう自然治癒自分の命があとどれだけ持つのか分からない。死ぬまでに悪者が成敗されるクリーンな世の中になってほしいなと思う

私の他被害者はたくさんいる。宗教もの被害者が泣き寝入りする世の中でいいのか。彼らもまた拘置所に連れて行かれたり逮捕されたりした者もいる。ただ騒音被害を訴えただけである。もはやここは民主主義ではない。酷い国だと思います

そこまで良い物は持ってないがどうせあの世には物を持って行けないので大切な宝物達をプレゼントしようと思う。この活動に協力というか拡散や協力などをしてくれた方にプレゼントしたい。

どうせ使ってないし優しい心の持ち主というか普通人間の元に届いてくれたら私も報われる。成仏出来るでしょう

大きなニュースになって犯人である隣人が逮捕されることを願ってますニュースなどになった時にプレゼント配布します。

海外メディアをご存知の方は紹介してください。国内メディア無視ばかりで何もしません

宜しくお願い致しま

2024-06-16

兄弟猫を飼ってる

白と黒のぶち猫で二匹とも生まれた時に引き取った猫だ。

兄弟猫はすくすくと育ち、今では恰幅のいいお腹をしている。

先日、兄猫の方が雀を取ってきた。

朝方起きると軒先にちょことんと雀の死骸が置かれているのを見つけ、もしや…と思って猫を見ると兄猫の方がドヤっとしてた。

こういうときは褒めた方が良いのだと何かで聞いた気がしたので一応兄猫を褒め、頭を撫でてやると兄猫は気持ちよさそうに「にゃあ」と鳴いた。

それからだった。弟猫の方の様子がおかしくなったのは。

翌日、朝から弟猫の姿が見えずご飯時間になっても現れない。どうしたんだろう?と心配になって外に呼び掛けてみても返事がない。

いつもだったら「にゃ~あ~」とけだるそうな声を出して帰ってくるのに。

結局弟猫はその日帰ってこず、丸一日家を空けるのは初めてだったので非常に心配した。

しかし兄猫の方はケロッとしており、弟のことを心配するような素振りは見せない。

そんな薄情者だったのか…と兄猫を見つめると彼はプイッと顔を逸らし、小さく「にゃ」と鳴いた。

深夜頃だった。

玄関引き戸トントントントンと叩く音が聞こえ、何事かと戸を開けると足元に弟猫がいた。

弟猫は煤で汚れたみたいに白模様の箇所を薄黒くしており、顔も汚れている。

その顔は何だかとても疲れて見えた。

弟猫は私と目を合わすと「…にゃあ」と情けなく鳴き、それから申し訳なさそうに軒先のある一点を見た。

そのとき「あっ」と思った。弟猫が見つめていたのは先日、兄猫が雀を置いた場所だったのだ。

私は全ての事情を察し、だいじょうだよ。いいんだよと言って弟猫頭を撫でた。

彼は最初不服そうにしていたがやがて受け入れたように目を細めて身を寄せスリスリすると、それからゆっくりゴロゴロと喉を鳴らした。

それから家に入るとご飯をがっついて食べた。よほどお腹が減っていたんだろう。兄猫はその姿を傍で見守り、じっと佇んでいた。

その後、兄弟はいものように引っ付いて寝始めた。

それを見て、私はようやくホッとした。

猫は意外と嫉妬深いのかもしれない。そのことを初めて知った出来事だ。

内視鏡検査をやってきた

今月はコレのせいで憂鬱だったから、終わってほっとしている

検査を受けた理由

生活習慣病検診で「要精密検査」の判定が出てしまい、「どこかで検査を受けてこい」と検診センターに言われる。

便潜血かなんかだったか細かくは覚えてない。

検査の予約まで

検診センターから近所で内視鏡検査を受けられる病院リストを貰っていたので、

それを頼りに最寄りの病院検査をお願いすることにする。

当日行ってすぐ帰れる検査だと思っていたが、まずは採血検査して、検査日を予約して・・・・という流れが必要らしい。

最短で検査日の予約をお願いしたが、それでも3か月後だった。マジかよ。大盛況か。

検査前日・当日の食事制限とか費用など、説明を聞いてその日はおしまい

3か月後の検査当日が来る頃には絶対に忘れている自信があったので、紙のカレンダーと、スマホスケジュールと、職場グループウェアに予定を入れて置き、

さらに、「検査前日に飲むように」と渡された下剤を自宅の目に付くところに置いておいた。ここまでやっておけば流石に忘れまい。

検査の前日

から消化の良いモノしか食ってはいけない。バナナ豆腐しか食わなかった。

検査食」なる専用の食事病院で売ってくれるらしいが、俺は買わなかった。

なんとなく、高価なもの押し付けられている気がしたからだ。バナナでいいならそれでよい。

夜21:00以降は絶食普段普通に夕食を摂っている時間なので辛い。

空腹だ。量については何も言われてなかった気がするからもっとたくさん食って置けば良かったと若干後悔する。

明日の持ち物を確認し、検査についての同意書やらにサインをしておく。

下剤を飲んで早めに寝る。

検査の当日朝~

検査終わったら何喰おうかな」と思いながら起床。

水以外は口にできない。病院に向かうため、身支度を整える。

当日の持ち物として「水1リットルとあるので、コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。

病院で受付を済ませ、用意された個室に通される。

リクライニングシート、テレビテーブル、あと引き戸の先にトイレがある4畳あるかどうかくらいの部屋。

テーブルにはデカビニールのパックに液体が詰まったものとコップが置いてある。下剤らしい。

看護師さんから指示・説明を受ける。

  • 10分間に下剤を一杯と水一杯を飲む。10分かけて少しずつ飲んでもいいし、10分おきにグイっと飲むでもどっちでもよい
  • 検査に適した状態の便」が出るまで下剤を飲み続ける
  • 検査に適した状態の便」になったら、流さずそのままにして看護師を呼べ

検査に適した状態の便」はわかりやす写真が個室内に貼ってある。

分かりやすいのは良いが、あまり見ていたくはない。

テレビをつけて、下剤を飲み始める。

下剤の最初一口目の感想は「意外と飲みやすい。スポーツドリンクみたい」だったが、飲み進めるうちに辛くなってくる。

腹いっぱいな感じが気分がよろしくない。吐きたい。

しばらく耐えていると、便意が来る。出す。一回目は普通だ。

引き続き、下剤を飲む。3回目くらいから、ほぼ液体になる。

以降、繰り返し。

10分で1杯下剤を飲むペースを守ろうとすると結構忙しい。

リクライニングシートと便座を頻繁に往復することになる。テレビを観てのんびりする暇はない。

10回目超えたくらいでそろそろ検査できるのでは?と思われたので看護師を呼ぶ。

出したものを見られるのはかなり恥ずかしい。

「まだカスがあるんで次くらいでもう一回呼んでください」この恥ずかしいやり取り、またやるのか・・・

その次の次くらいで「いけそうですね」とのこと。下剤が回収される。検査を待つことにする。

結構待ったのでリクライニングシートで寝そうになる。というかちょっと寝た。

検査の順番が近づいてきたのか、看護師さんから検査用のズボンへの履き替えと貴重品のロッカーへの保管を指示される。

検査用のズボンは紙製でケツの部分に穴が開いている。

恥ずかしさがこみ上げるが仕方がないので無心で着替え、財布をロッカーに保管し、引き続き待機する

検査

看護師に呼ばれ、検査用の部屋に移動する。

他の患者?の個室の前を通るので、このタイミングでもし他の個室の患者廊下の様子を伺おうとしたら、

検査ズボン姿の俺を見ることになる。これ、後ろからみたらどう見えるんだ?とどうでもいいことを気にしつつ看護師についていく。

数人の看護師に囲まれ、ベッドに寝かされ、口にのど用の麻酔を吹き込まれる。飲み込む。苦い。

口になにやら筒状の物を咥える。腕に点滴を差される。

まな板の鯉の心境でしばらく待つと、医師先生登場。

先生は「じゃぁ眠くなるんで」みたいなことを言っていた気がする。

意識が遠くなる・・・という記憶もない。

気が付くと検査は終わっていて、個室のリクライニングシートで休んでいた。

どうやってここまで移動したのか全く覚えてない。麻酔スゲェ

検査

元の私服に着替えて、個室を退去し、待合室で先生に呼ばれるのを待つ。

呼ばれる。

とのこと。

正直、検査後の記憶曖昧だ。

後の説明の時、先生から「覚えてる?」という問いかけがあったが、あの様子だと麻酔の効いた俺との間で何らかのやり取りがあったようだ。

何か良からぬことを口走っていないと良いが。

支払いを終えて、俺はとりあえずハンバーグを食いに行った。美味かった。薬局に行くのは忘れた。

何が言いたいのかと言うと、健康には気をつけましょうね、という話。

2024-06-15

先月、犬が亡くなった

その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。

ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。

「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップ散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。

ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。

あ、死んでる。

体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。

明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。

ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。

お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。

来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。

さいころ東北震災地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震大丈夫になったな。

お前はボールおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。

トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。

嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。

老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。

喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。

帰路で他の家族散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。

お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族爆笑されたのが亡くなる直前の休み

熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。

ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。

あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。

スマホ写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。

ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。

小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤電車内でもお構いなしに悲しくなる。

お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人自分寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。

今日肉料理からあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパー精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。

今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。

いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。

今日も枕が濡れてしまう。

2024-06-14

昭和の話だ

大学生の頃、俺は日本の伝統文化に関する研究をしていた。

その中でも特に興味を持っていたのが「夜這い」という風習だった。

ある日、〇〇県の〇〇村には夜這い文化が未だに残っているよという話を耳にした。

俺はすぐに赴いた。卒論の進捗は芳しくなく、焦っていたのだ。

〇〇村は絵に描いたような長閑な田舎で美しい田園風景に囲まれ、鳥のさえずりと風の音が心地よい場所だった。

村に到着すると早速村人たちに取材を試みた。しかし彼らは皆笑いながら言った。「そんな文化はもう残ってないよ。昔は、確かにあったかもしれないけどね」と、訛りの強い言葉で教えてくれた。

取材を終えると既に夜で、村長さんが家に泊めてくれることになった。空き部屋は畳敷きで、木の香りが漂っていた。

俺は不慣れな場所だと寝つきが悪かった。床に着いてもなかなか眠れず夜が更け、静寂に包まれた部屋で俺は古びた布団に横たわりながら頭の中で昼間の取材内容を整理していた。

村人たちの言葉が頭を巡り、夜這い風習が本当に消えたのか、それともまだひそかに続いているのかを考えていた。

すると突然引き戸がスッと、ゆっくり開く音が聞こえた。

ひた、ひたという足音が畳を踏みしめながら、ゆっくりと近づいてくる。

俺の体は硬直し、緊張が走り、泥棒!?と身構えたかったがまるで金縛りにあったように動けなかった。

起きていることを悟られるのはまずいかもしれない。そう思い、寝たふりをすることにした。

足音は俺の前で止まり、次の瞬間、柔らかい何かが俺の唇をふさいだ。

暗闇の中、俺の感覚は研ぎ澄まされた。唇をふさいだのは誰かの唇であり、いい匂いが鼻をくすぐった。それから、手が頬に触れ、優しく撫でる感触が伝わってきた。俺の心臓は激しく鼓動し、何が起きているのか理解できないまま、その手の温もりに引き込まれていった。

「誰だ…?」かすれた声で問いかけたが、答えは返ってこなかった。代わりに、唇が再び触れ合い、その瞬間、俺の中に奇妙な安堵感が広がった。まるで、遠い昔の記憶が呼び覚まされるような、懐かしさと安心感に包まれた。

それから……

翌朝目が覚めると、夜の出来事現実だったのか夢だったのか曖昧なまま頭を整理した。

朝食の席で俺は村の村長に昨夜の出来事について尋ねることが出来るはずもなく悶々としていると、昨日はよく眠れましたか?と村長が聞いてくる。

俺が曖昧な返事をすると村長意味ありげな微笑を浮かべ、「みなさんここではよい夢を見られると、よくおっしゃるんですよ」と言った。その言葉にはどこかしら謎めいた響きがあった。

あれからもう何十年も経った。

それでも当時のあの夜の、あの温もりを忘れられない。俺は未だにあの夜を求めているのかもしれない。

2024-05-06

anond:20240506201404

引き戸の方がいいって聞いたことある

俺は嫁のケツのドア毎日開けてるよ

息子のケツのドアも開けてる

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