はてなキーワード: 体制転換とは
すごく鋭い視点ですね。
実は「戦略的あいまいさをやめて、明確化(strategic clarity)した結果、逆に情勢を不安定化させた」例は、現代史の中でいくつもあります。代表的なものをいくつか挙げます。
ジョージ・W・ブッシュ政権がイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しして「体制転換(regime change)」を公言しました。
これにより、あいまいだったアメリカの方針が「明確に敵視」に転換。
結果どうなったかというと、
北朝鮮は「抑止のためには核しかない」としてNPTを脱退し、核実験路線に突入。
つまり、「あいまいさを捨てたことで、敵側に先制的な行動を促してしまった」典型例です。
冷戦後、NATOは旧ソ連圏への拡大を「あいまい」にしていました。
しかし、2008年ブカレスト会議で「ウクライナとジョージアは将来加盟する」と明言。
この「明確化」がロシアにとって「NATOがいずれ我が国境に来る」という恐怖を確定させ、
結果として2008年のグルジア侵攻、2014年のクリミア併合、2022年の全面侵攻へとつながった、という見方が専門家の間で強いです。
つまり、「明確にした瞬間に、相手が『今のうちにやるしかない』と決断する」構図。
ディーン・アチソン国務長官が演説で「アメリカの防衛線はアリューシャン列島・日本・沖縄・フィリピンを結ぶ」と発言し、朝鮮半島を外した。
これが北朝鮮とスターリンに「アメリカは韓国を守らない」と受け取られ、侵攻を決断させた。
アメリカが「台湾防衛を明確に公約すべき」との声がありますが、
それを本当にやると、中国は「それなら武力統一の準備を早める」と判断しかねない。
「やるかもしれない」「やらないかもしれない」という抑止のバランスで保たれています。
ここを明確化したら、東アジアの安全保障構造が一気に緊張化する可能性が高い。
要するに、
「あいまいさをなくせばスッキリする」と思うのは国内政治的には分かりやすいけど、
国際政治の現場では、あいまいさこそが“冷静な抑止”の土台なんです。
言い換えれば——
参院選中盤に参政党が急伸しているので、各党は急遽外国人対策の施策を打ち出した。
そのうちの一つに秀逸なものがあった。
国民民主だか維新だか忘れてしまったが、「転売による空室、家賃急騰対策で5年以内の所有権移転をさせないように不動産業界に要請する」っていうの。
だがこれ全く意味が無いのだ。何故なら転売対策はとっくに実装済みなのだ。不動産取引で得た所得には所得税が掛かるが一般所得と分離課税となっていて、取得後5年以内の短期譲渡だと約40%が掛かる(所得税30%+住民税)。だから個人で短期転売というのは普通しない。この税率になったはかなり前、少なくても35年以上前からこの税率だ。
要するに実装済みのものを「直しました」と発表している訳でマイクロマネジメント無能上司によくやる手だ。
・させ子、ディーラー工場でエンジンブレーキ付けてやったぞ。ブレンボ製だ。2に入れてアクセル離すと自動でブレーキ掛かる
・中国の水源地買収から水を守るために井戸水の汲み上げ規制を施行しました!(経済成長期に汲み上げ規制を施行した自治体は多い)
・農地の買収、ソーラーサイトへの転換をさせない為に農業委員を設置し厳しい審査を行うようにしました!
・斜面のメガソーラーを規制する為にワイヤ式以上の法面工を義務付けました!(→アングルボルト工法。雑草が生えると見えない)
・外国人の土地ころがし対策の為に汚い空き家には住宅用地特例による減免を行わない事にしました!(とっくに。特定空き家法)
・裁判官、検察官は日本国籍が無いとなれないようになりました!(最初から)
・不起訴率を日本人と外国人で同じになるように運営しました!(最初から)
・家主が外国人にかわり高額な家賃を通告された場合、現行の家賃を法務局が預かり大家には金が入らないが家賃を払った事になり居住権を主張できるようにしました!
・外国人大家に退去を求められた場合、300万円を吹っ掛けて120万ゲットとかが出来るようになりました!
・外国人が農地の競売に入札する時には買受適格証明が必要になりました!
・外国人対策の為に有効な自賠責証書と走行ルートの提出が無いと仮ナンバーを発行できないようにしました!
・大統領閣下、我が国は年に77万トンの米を無関税で輸入することに決めました!
・大統領閣下、我が国はアメリカ産自動車の関税をゼロにしました!
日本は憲政施行後150年、敗戦での体制転換から80年、ボケーっとしてきたんじゃなくていろんな問題に対処してきたんですよ。いい大人なら仕事で社会制度とか慣行、判例に衝突したり参照したり助けられたりした事があるもんなんです。
ネットの扇動に触れて個人でもそれらを参照できない、参照の仕方が分からない、多数の同じような人間が集まって誰もその能力が無いので修正されないというのは驚くべきこと。これは学知じゃなくて世間知だ。
そしたらいちいち説明するんじゃなくて、「解決しました!」と言っておけばいいのではないか?無能上司への報告のように。地場産業相手の会社には二代目三代目ボンボン社長相手にはこの人!と言われる転がし上手な営業が居るだろう。「社長が仰る通りに直しましたら上手くまとまりました!さすがです!(直してない)」とか。
40歳になったところでなんとなく藤子Fの大長編ドラえもんを読み返したので感想を覚え書き。
ドルマンスタインが外道。恐竜ハンターが「人間狩りはやったことないでしょう」と誘ったときに乗っかってきた辺りで、ドラゴンボールの魔神ブウ編に出てきた混乱に乗じて人を撃ってた外道二人組の雰囲気があった。しかしその後、のび太たちにティラノサウルスをけしかけたとき、恐竜ハンターが止めようかと思った辺りでドルマンスタインは「こっちの方が見たくなった」と言う。いやあド外道。幽遊白書で垂金の賭けに乗っかってた B.B.C. のメンバーとかにいてもおかしくない。
ギラーミンが有能。ギラーミンが出てくるまではチンタラしてたガルタイト鉱業のやつらが一気に引き締まって動くのが面白い。序盤ではケチな嫌がらせしか出来なかった三下も的確に爆弾しかけたりして動きがよくなるのがいい。
まあ、コーヤコーヤ星のガルタイト鉱業の支部長?の奴があんまり仕事をすすめる気がない「ゆるくやって給料もらえればそれでいい」タイプだったんだろう。ギラーミンに「嫌がらせはやってるんだがなかなか進まず」みたいなことを言ってるけど結局嫌がらせしかしてないあたり向上心もない。のび太が来なくても遅かれ早かれ更迭されそう。
しずかちゃんが序盤から何度も「おふろに入りたい」と言うのが、終盤で先取り約束機をしずかちゃんが持っている伏線になっているのに今更気付いた。巧妙だ。
敵のダブランダーは軍部を掌握してクーデターで政権を簒奪したんだと思うが、民衆の支持が本当に全くない状態で軍事に全振りの総動員かけてる有様なのでそのうち政権崩壊しそう。「姫が残されているから」以外に正統性を持ってないから時間の問題だろう。
あとブルスス強すぎ。折れた木だけを武器にして何人もの兵士と戦って生還するのは普通にすごすぎる。
前半のキャンプが楽しい。子供のころに読んだときは前半ばっかり読み返してた記憶があり、同じ感想だった。
敵のポセイドンは海底火山の活動を攻撃と捉えて報復してるあたりポンコツだし、人間の生贄を要求するあたりはコンピュータのくせに呪術に傾倒していて狂ってるとしか思えない。アトランティスの技術者はなんでそんなAIプログラミングをしたのやら。
魔界に乗り込んで一回いけそうな所まで行くが撤退せざるを得なくなり、なんとか立て直して再侵攻でトドメを刺すという王道、「カリオストロの城」の形式。魔界に入ってからのファンタジー世界でありがちな罠をかいくぐるところが楽しい。
ボスのデマオンは登場時点でほとんど詰みの状況まで作り上げていて手強かった印象。メジューサの石化もドラミが助けてくれなければあの時点で勝利確定だったはず。魔界歴程とドラミがいなかったらやりようがなかっただろう。こういうほんの僅かな綻びから主人公に負かされる展開、ジョジョ4部の吉良吉影や6部のプッチ神父とかの歴代ラスボス戦に通じるなと思った。(強すぎる敵を負かそうとすると同じ感じになるだけなのかもしれないけど)
大魔境に引き続いての出木杉解説がある。なんか民明書房を思い出した。
戦車を宇宙に飛ばして無人機を撃墜するところがアツい。大抵の作品で宇宙で活躍するのは戦闘機や戦艦であるところ、履帯つき戦車を宇宙空間に飛ばして敵機を撃墜するのは他ではあまり見ないなと思ってニヤニヤしてしまった。
ギルモア将軍は「大統領を倒して皇帝になろうとしている」らしく、共和制やめて王政にするとかどんな体制転換だ、銀河英雄伝説のルドルフ大帝か? という気持ちになった。でも例によって軍部・・というか諜報機関と無人機の部隊しか押さえてなさそうで、大衆の支持が全くないのでどうせだめだろう。ドラコルルは諜報機関の長として有能な感じ。ドラコルルが頑張ってるからギルモア体制が維持できてるんじゃないかな。
ギルモア軍の総戦力80万に対してレジスタンスは100人ちょっとであり、レジスタンスは「民衆の蜂起に賭けて動く」と言っていて「いやーそれはいくらなんでも無理では」と読んでて思った。しかしギルモアが劇中で動かしていたのは諜報機関と無人機だけ。総戦力80万のうち多くを占めるであろう有人戦力を全員動員するなんて出来ない、無理だろうという読みがレジスタンス側にあったのかも。
ミクロスが妙に人間味があってカワイイ。言いたい放題言ってくれるので全員シリアスな中での息抜きになってる。
今見るとリルルが神話を語る場面が印象深い。リルルが神話と同じ信念で来てるんだったらもう宗教戦争のような構図で、上官っぽいやつに何を言っても説得なんて不可能だろう。リルルが実質寝返ったのは・・リルルは現地に先に潜入して拠点確保など工作をする目的で作られているだろうから、現地で自然に振る舞うために現地人の感情などを理解する仕組みが組み込まれているのでは? など考察してみる。
あと森を焼くシーン、戦況が絶望的すぎてつらくなる。
世界観の謎解きがメインで明確な敵が居ないという新しい形式のオチ。でも風雲ドラえもん城とか隕石落下とかスペクタクルがあるし、スッキリまとまるので読んでて楽しい。
冒頭の自分だけの国をつくるところ、時代の歴史要素、時空乱流あたりのオカルト、ペガとドラコとグリという厨二かつペットとの別れという感涙シーン、中盤の大冒険、終盤の追い詰められてからの大逆転、と盛りだくさんですごい。
「ツキの月」のところがやっぱり面白い。大長編補正をそのまま正当化するすごい道具。子供のときはこんなんいいのか?って思ったけど今読み直すと結局こういうのが見たいんだよなあ、と思ってしまう。
終盤、戦ったことのない動物たちを陣地と作戦で戦力にするところ、子供のときはスルーしていたが、今見るとヒストリエとかドリフターズとか思い出すアツいシーンだと思う。
中盤の砂漠を彷徨うところやしずかちゃんの境遇が、これまでのどの大長編よりもヤバくて一手間違えると死にそうでハラハラする。シンドバッドが現れてからは、実質主人公がシンドバッドなのでは?と思うほど活躍するし、シンドバッドがのび太一行に諭されるところも名シーンと思う。おっさんが往年の生気を取り戻す話なのかも。
あと、序盤のアラビアンナイトと現実とが交錯する点を探すところ、子供のころはなんとなく見てたけど巧妙な構成だなあと感じた。
「竜の騎士」の行き違い展開や「アニマル惑星」のエコロジー思想を盛り込みつつも違う印象になっている。
中盤、かなり長い間のび太一人だけの逃避行になっていて、前作と同じくらいワンミス即死の展開をやっていて辛い。その後ドラえもんが復帰してもずっと緊迫感がある。
終盤の雲もどしガスで脅しをかけるところ、子供の時には「そんな物騒な・・対話でなんとかできないの?」など思っていたが、今読み返すと連邦最高議会での討論がとんだお気持ち表明大会になっていて、「地上人の意見も聞こう」と言いつつスネ夫やしずかちゃんを「証拠を出せ」と詰める感じになってて、あんな場で言い合いするくらいなら武力に訴えるわな・・とも思った。雲もどしガスを撃っちゃったからこそドラえもんの特攻が説得力を持ったような気もするし。
ナポギストラーの反乱について、「発明するのもめんどくさくなっちゃって、発明ロボットナポギストラー博士を作った」という説明がある。これが通ると言うことはナポギストラーの発想や発明品は流通させちゃうということで、もう倫理観や知性もナポギストラーに丸投げしちゃっている。そこまで投げたらそりゃあ反乱されるよね、という気がした。
作中では人間の身体が弱ることだけ言及されていたが、もうちょっと反乱待って数年やってたら知性も劣化しそうだし、そうなってからナポギストラーが「幸せになれる薬を発明しました」とかやったらそのまま征服完了しそう。
ドラえもんが焼かれてから復活するまでずっと読んでて辛い。前作・前々作に続いての中盤辛い系なので子供の時にあまり読み返さなかったのかも。
個々のエピソード・・伝説の武器の回収、ドラゴンとの戦い、敵の将軍との戦いあたりは王道でかっこいい。ダイの大冒険とかロトの紋章とか読んでたときの気持ちになる。だけど、やっぱり最後の打ち切りエンドのような話のまとめ方が気になる。ジャイアンもスネ夫も呼べなかったし。大長編の連載スケジュールから言ってケツが決まってたから仕方ないんだろうけど。
妖霊大帝がトリホーを連れて夜襲をかけるところ、ダイの大冒険でハドラーがザボエラを連れてバラン戦直後の一行に夜襲をかけるところを思い出した。
明確な敵がおらず、「竜の騎士」や「雲の王国」のように対話エンドなせいか、子供のときは特に終盤なんだかよく分からないうちに終わった印象だった。
今見ると個々のエピソードは面白いし、しずかちゃんがダイジェストで語ったこともページがあれば描かれてたんだろうな、とか思う。「T・P・ぼん」とかでやりたいネタがたくさんあったんだろうなと感じた。
王道展開をやりつつ、「禁断の星」とか「忍法壁抜け」とかの伏線回収も忘れない、とても整った作品。あとがきで藤子F本人が言及している通り、まさに集大成。
ハテノハテ星群の「鉱業で栄えたが衰退、土地だけはあるのでテーマパーク建設」というの、思い浮かぶ地名がいくつもある。
子供のときは、敵がしょぼい、小便小僧は結構すき、くらいの印象だった。あと透明ペンキを出すコマでドラえもんがポーズを決めてるのが子供ながらに違和感があって、「あーもう作者交代したんだ・・」という気持ちになったのを覚えている。
今見ると、藤子Fの遺作となったのもあって、どうしても制作背景が気になってしまう。あらかじめ話の概要を伝えてあったり、絵を任せる比率を増やしていたり、 Wikipedia に載ってる「種をまく者=藤子F本人」説があったり、その種をまく者の行動が自分が問題解決するのではなくのび太たちに託す形だったり、後に伝えることをとても意識してたのかなあ、と思わされた。