はてなキーワード: 金融工学とは
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義, 直観主義, ユニバース問題, ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定, 二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数, 素数定理, サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, several complex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間, スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析, Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
マルチンゲール, 伊藤積分, SDE, ギルサノフ, 反射原理
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流, ヤン–ミルズ, モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin), カオス, シンボリック力学
点集合位相, ホモトピー・ホモロジー, 基本群, スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory, 幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色, マッチング, マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン, ブーストラップ)
実験計画/サーベイ, 因果推論(IV, PS, DiD, SCM)
時系列(ARIMA, 状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
二次計画, 円錐計画(SOCP, SDP), 双対性, KKT
非凸最適化
離散最適化
整数計画, ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
常微分方程式の数値解法(Runge–Kutta, 構造保存)
エントロピー, 符号化(誤り訂正, LDPC, Polar), レート歪み
公開鍵(RSA, 楕円曲線, LWE/格子), 証明可能安全性, MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
無裁定, 確率ボラ, リスク測度, 最適ヘッジ, 高頻度データ
データ解析
◆ 1. エントロピーと経済的多様性:ヤクブ・カプランモデル
経済学者ヤクブ・カプラン(Jakub Kwapień)らは、**エントロピー(情報の無秩序さ)**の概念を経済システムに適用し、「市場の効率性」や「産業構造の多様性」を定量的に分析しています。
• 市場における情報の拡散と収束を、熱力学のエントロピーと対応づける。
• 経済的エントロピーが高い=多様な選択肢が存在しており、自由市場が活発。
これは経済現象が確率論的かつ統計力学的に解析可能であることを示しています。
Victor Yakovenko(ヴィクター・ヤコベンコ)らの研究では、個人間の貨幣のやりとりを「熱浴中の粒子のエネルギー交換」に見立てることで、所得分布を解析しています。
• 所得を「エネルギー」、貨幣の移動を「熱運動」として扱う。
• その結果、低所得層の分布がボルツマン=ギブス分布(exp(–E/kT)))に従うことが分かり、高所得層は**パレート分布(冪乗則)**に従うという二相構造が確認された。
これは単なる比喩ではなく、実データとの突き合わせでも非常に高い整合性を示しており、自然科学的手法の応用が成功している好例です。
• 株価の変動モデル(例:ブラック=ショールズ方程式)は、物理学の拡散方程式やブラウン運動モデルに基づいて構築されています。
• 市場の価格変動を、粒子のランダムな動きと同様に確率論的に記述する。
これは金融工学の中心的理論であり、実際にノーベル経済学賞も受賞しています(1997年、マートンとショールズ)。
◆ まとめ:自然科学的アプローチは社会科学の核心にまで浸透している
こうした例が意味するのは以下の通りです:
• 経済学は、自然科学と同等の厳密性とモデル化能力を持ちうる。
経済学の数学理論を極限まで抽象化し、たった1つの数理理論に帰着させるとするならば、それは「最適化理論」に集約できる。
経済学のほぼすべての分野は、次のような「何らかの目的を最大化(または最小化)する」問題に帰着される。
消費者は、予算制約のもとで効用(Utility)を最大化するように選択を行う。
max_x U(x) s.t. p ⋅ x ≤ I
企業は、費用を最小化しつつ利益を最大化するように生産量を決定する。
max_q Π(q) = R(q) - C(q)
(q = 生産量, R(q) = 収益関数, C(q) = 費用関数)
市場全体が最適な状態に達するには、需要と供給が均衡する価格を決める必要がある。
∑D_i(p) = ∑S_j(p)
経済全体の成長を最適にするため、社会的厚生を最大化する動学的最適化問題になる。
max_C_t ∑_{t=0}^{∞} β^t U(C_t)
(C_t = 消費, β = 割引因子)
投資家は、リスクを最小限に抑えつつ期待リターンを最大化するように資産を配分する。
max_w E[R] - λ Var(R)
(w = ポートフォリオ配分, E[R] = 期待リターン, λ = リスク回避度)
経済学のほぼすべての理論は、何らかの「最適化問題」に帰着する。
したがって、すべての経済学の数学理論を1つにまとめるなら、「最適化理論」に統一される。
もし「もっと抽象化できるのでは?」と思ったら、変分法や制約付き最適化(カルマンフィルターやハミルトニアンなど)にも一般化できる。
東京大学経済学部(文2)に就活で負けたのが社会人になった今でも悔しい。
第一志望の企業、職種に落ちて現在は財閥系総合商社に勤務している。
第一志望も職種も同じだった知人に就活で負けて、悔しいし不合理だし苦しい。
求める人材について「高度な数学的知識や統計的手法を持ち、あるいは習得の見込みがあり、それらを…などマーケット分析・予測に活用することができる者、あるいはその見込みがある者」という記載があった。
最終段階まで進んだ時、俺は勝ちを疑わなかった。
東京大学や京都大学、九州大学の工学や理学分野、金融工学を専攻した学生を差し引いてもまだ席が余る。
それ以外の学生は東大経済の知人を始めとして慶應経済、早稲田政経、東大法、東大文学など。
当時住んでいたアパートの5倍するマンションの間取りを眺めたり、テスラのホームページを閲覧したり、美女との結婚を想像していた。
一流の男はスーツにもこだわらないとな…。
筋トレも始めようかな…。
そんなことも考えていた。
しかし俺は負けた。
東大文学と早稲田政経は落ちたそうだが、東大経済の知人に加えて慶應経済と東大法の奴は採用された。
悔しい。
数学3、物理、化学、微分積分、線形代数、基礎実験演習、統計、金融市場分析…。
これまで「高度な数学的知識や統計的手法を持ち、それらをマーケット分析・予測に活用することができる」ようになるために努力してきたことを否定され、それらの能力を持っていない奴らに俺は負けた。
性格が悪いがハッキリと言う。
自分よりも頭の悪い奴らに負けた。
負けさせられた。
悔しくて不条理で悲しい。
苦しい。
日系金融機関、いわゆるメガバンクからも内定を得たが、とても入る気にはならず商社に入った。
仕事や人間関係は悪くないが、やはり俺の能力が活かせていないことを痛感している。
虚しい。
苦しい。
もう脱稿してるだろうし意味ないぼやきだけど、出版するからには参考文献をしっかり書いてほしい
元記事が面白くて、インデックス周りの理論(マーコウィッツの理論とか)勉強したけど、文献探しが大変だった
いわゆる「入門書」とか本当に数式出てこないお話で終わっちゃうのも多いし
専門書探すしかないんだよね
結局自分はルーエンバーガーの「金融工学入門」とかいう本読んで数式いじってある程度満足したんだけど
Googleエンジニアがどの程度の専門書読んでるのか気になるんだよねー
いい感じの洋書でもあるんかね?
俺は中学受験成功したけど、そこで「俺は地頭がいいからあんま勉強しなくても点が取れる」という成功体験を得て、中学以降の勉強が全然出来なくなったよ
>> 理系なのに数学力が2Bを必死に解いてるぐらいのレベルだったもの。
分子の構造式見ても使われている原子が分かるだけでどういう結合してるのかとかあんま分からんしな。
理系の学士名乗っていいレベルじゃないし、マジで終わってると思う <<
まあそりゃあそうだって話だよな。理系の大学行ったところで、そこで学んだことを活かせる人間がどれだけいるのか?というと少ないでしょ。
ただ、ネットの有象無象から政治家までよく口にする「文系なんか役に立たない」「文系の大学なんて遊んでるだけ」なる言説を見るたびに、「理系」って凄いんだな、学んだことを体得して役立てられているのだな、と感心してもいたのよ。非論理的な言説垂れ流して一部で識者扱いされている吉本芸人も工業高校出たというだけで理系面しているようだけど、その程度の人間にも理系学問を役立たせられるようにできる理系教育のノウハウは素晴らしいなと思っていたわけよ。自分は受験で数IIIc使ったし危険物と消防設備士の資格持ってて多少は物理化学も勉強したけど文系学部出なこともあってそんな胸張って役立てられると言える自信が無いので引け目を感じてもいたのよ。
友人に数学者とか情報工学者とか医者とか、学んだことを役立てられている連中がいるので、ちょっと勘違いしていたところもある。まあ彼らは「文系なんか役に立たない」なんて頭の悪いことは考えもしないわけだが。
一方でそんな頭の悪い言説にいちいち突っかかってる自分は勿論頭が悪いのだけど、ただやはり文系軽視って危険だと思うんだよね。
先にネットの有象無象と政治家を並置したけど、前者はまあどうでもいいが後者がそれを言うのは本当に危険。だって文系学問とは平たく言えば自然科学以外の社会科学と人文科学を指すと思うのだけど、それってつまり社会に生きる人間を扱う学問なわけでしょ?行政がそれを無視してどうすんねん。とりわけ社会学を敵視している人々を眺めると、公的扶助への憎悪が根底にあると思えてならない。
あるいは福祉大嫌い子ちゃんたちにも聞く耳持ってもらえるんじゃないかなと思う根拠を挙げると、ノーベル経済学者がその金融工学の理論を実践したヘッジファンドが「標準偏差10個分の大異変」が起きたせいで破綻した件なんか良いでしょうね。経済はアニマルスピリットが働くので自然科学的手法だけだと大火傷しますよ。
勿論文系教育にも色々と問題があるけど、文系蔑視って極めて近視眼的だと思うし、そのくせ自称理系連中も案外大したことなかったり(繰り返すけど本当に頭のいい人、まさに理系の上澄みと言える人はそもそもそんな程度の低い対立には関わらないと思う)するので、どっちも尊重して学んでいければいいなと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec5e090ca27b6f2cca25d086bf44fb3cc4c4e218
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-03-18/SAK7CZDWLU6800
nin*****
このニュースの重要なポイントは、トランプは不動産評価額の水増しで融資を詐取した詐欺容疑で訴えられていることと、その上でトランプと司法省のどちらかを信じるかは金融機関の自由であることだ。
本当にトランプの主張する通り、詐欺事件がバイデンの陰謀で保有不動産に本当に額面通りの価値があるなら金融機関は金を貸せば大儲けできる。逆にトランプがウソをついていたら金融機関は大損する。
そういう取引、そういう前提だ。
そして実際に「トランプを信じるか信じないか、お前の金を賭けろ」という選択を迫られた金融機関30社は、その全てが「信じたら損するからヤダ」と言ってきた。
共和党がどれだけギャオろうが、Qアノンがどれだけギャオろうが、テメーのカネで直接損得が発生するならみんな正直にぶっちゃけるものである。
nin*****
というか裁判所が上手いんですよねこれ。いかにもアメリカ的な金融工学的な頓知いいますか。
トランプが「俺の出した評価額にウソはない。この評価額で銀行から融資を受けるのは正当な行為だ」と言い張ったのに対して、裁判所は「じゃあ保証金はその金額にするから、今から銀行行ってその土地で実際に金借りてみせて」って返したんですよね。
もちろんトランプがウソ付いてなければ(1割や2割盛ってる程度なら)金融機関も利息ウハウハですから余裕で借りられるわけですが、既に何倍も盛っていることが金融機関にもバレていて金融機関も独自調査で裏を取ってますからまあそりゃ絶対貸すわけがない。
ほんとこういう状況になると金は正直です。
社会保障制度とはどういう制度なのかというと、個人的リスクである生活上の諸問題について、相互扶助による保険料による支え合いを基本とし、上記の諸問題から国民を保障し、医療や介護などの社会的サービスを現物給付する制度です。
ここで挙げられるように、「個人的リスク」とは疾病を示すことがほとんどです。
リスクという言葉が用いられるように、金融工学でその用語は規定されており、リスク=発生確率×危害の影響という分解式が成り立つのですが、ここで重要なポイントがあります。
保険における根本概念とは「少数確率で発生する望ましくない事柄に対して大多数でリスク分散する」という点です。
そのため本来は「老化」に起因するものは全員に発生することなので高確率で発生しすぎるあまり不確実性がないということであり、リスク商品の中でカバーすべきではないものなのです。
つまり、「いつかはみんな老いるんだから」という理由で社会保険料の正当化をすることは、それ自体が誤りであるということを含んでいます。
<財政政策の話>
近年MMT(Modern Monetary Theory)という経済政策が議論に上がります。
時刻単体での通貨発行権利を持つ日本においてはその買手が国内であるならばいくら国債を発行し続けても、インフレーションが観測されるまで続けられるという考え方です。
この考え方はケインズ経済学に近い部分もあり、穴を掘って埋めるだけでもその経済的価値はあるというものです。
通過はその希少性によって価値が定義されていますが、MMTのように財政出動を続けると1円の価値が大幅に下落します。
グローバル資本主義が行き渡った現在においては、自国内ですべての資材・エネルギーを確保しているわけではないため、為替リスクにしわ寄せされます。
現状、日本は20年以上も実行できなかったインフレを望まない形で達成しつつあります。
インフレには2パターンあり、デマンドプル型のインフレとコストプッシュ型のインフレです。
デマンドプル型のインフレは、需要が高まることによって高く売れるためインフレになることです。
一方、コストプッシュ型のインフレとは、材やサービスの提供に関わる原材料・労働力の価格が高騰することで発生します。
こうなると本来は、物価の安定を目的として金利を上げるべきですが、そうすると国内の消費は更に冷え込むことになります。
世界全体がインフレにひた走る中で、日本は金利を上げられない。
金利差によって、更に日本の円安は進む形で、コストプッシュ型のインフレは加熱していきます。
諸外国が金利を上げてインフレをコントロールする中、日本はその余力が無い。
一人あたりGDPや可処分所得が全て下がっている中で日本だけがインフレではなく、厳密に言えばスタグフレーションに突き進んでいます。
金利での経済のコントロールができない場合、そのビルトイン・スタビライザーとして残された手法は「減税」です。
減税をすれば可処分所得の余地が生まれ、対外的な為替に影響することなく国内経済は加熱をさせることができます。
つまり、今すべきことは減税であるのですが、政府がこれに踏み込めない大きな理由があります。
それは、日本の国債発行の行き先が、通常の国債発行ルールとは異なる部分に注ぎ込まれており、今更その見直しができないからです。
国債とは、国が発行する債権のことであり、多くの場合市中銀行を介して国民が保有する形となります。
自国民にとっては為替リスクとデフォルトリスクが低い、極めて無リスク的な商品として認識されます。
国債を発行する当初の理由としては、橋や建物など長期的にみんなで消費していくものに対して先行投資することで、経済成長を促すというものです。
そのはずなのに、現在の日本の国債発行の支出先は、社会保険(年金と医療費の公費負担)です。
これらは本来国債発行を利用してまで補填されるべきものではありません。
なぜなら、「国債を発行する当初の理由としては、橋や建物など長期的にみんなで消費していくものに対して先行投資することで、経済成長を促すというものです。」だからです。
それにも関わらず、国債の発行が続くのは「命は何よりも重い」という考え方が浸透しているためです。
一方で、積極財政派の人々は「支出先が医療であるなら、医療セクターを中心にして内需が潤う」という考え方がありますが、全くの間違いです。
自費での医療ならたしかにそうなりますが、公費で支出(保険診療)ならば、結局はそれにより税収に不足が起き、増税と国債発行が繰り返され、実質的な円の価値は落ち続けます。
MMT信者は自国内だけでなく、グローバル化が進んだ為替の影響についてもっと考えをめぐらすべきです。
<まとめ>
日本の現在の問題点は、社会保障制度にあり、国債発行をして補填されればされるほど、通貨の価値は落ち、スタグフレーションが進行します。
社会保険の考え方である「保険」の概念に改めて立ち返り、「少数確率で発生する望ましくない事柄に対して大多数でリスク分散する」という点で老化にまつわる医療制度の見直しを行うことが最も重要なのですが、高齢者がマス層となってしまった日本には民主主義の方法論を用いてその立て直しが難しくなりつつあります。