はてなキーワード: 男子とは
う~~~~~~ん、57点。
昨今では珍しい大オチ一発ネタ映画であり、その一発ネタのための論理が爆裂しているのでそこが納得できない人には何このクソ映画ってなりそうな作品ではある。俺も、いやそうはならんやろ……ならんよな?とはなったんだけど、大オチの潔さで爆笑してしまったのでそれなりの得点をつけてしまった。
なんか大人がヨツンヴァインになってキモくなっちゃう奇病を調べている男子高校生と、大事故で偉いことになった玉木宏家の女子高生の二軸で話が進む。
玉木家では事故の結果、母は昏睡状態に、妹はスケキヨに、父は足に障害を抱えている。しかしある日、昏睡状態だった母が復帰するも何か違和感が。
ここから書くことは、ちょっと何言ってるかわからないと思うんだけど落ち着いて聞いてほしい。
玉木宏は「鈴と指で∞を描くことでできる退行催眠療法を利用して被験者を生まれる前まで退行させることで魂を不安定にして別の生物とその魂を入れ替えることができるようになっており、それを使って児童虐待をしている大人の魂をウサギさんと入れ替えており、また事故で失った家族の魂も別人と入れ替えてシン・家族を形成していた」のだった。
何を言っているのかわからねーと思うが。おれも何を受けたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……
いや~~~~、さすがにそうはならんやろ。
この設定がもう頭おかしすぎてここだけで-50点くらいつけていい気もする。
まず不気味な雰囲気の形成。これはめっちゃ頑張ってた。冒頭でヨツンヴァインになった大人たち a.k.a 人間ウサギの様子が映し出されるんだけどこれがめっちゃキモくていい。導入はオッケーという感じ。あと、退行催眠にかかってる人は睡眠中にたぶん脳内でいろんな情報を処理してるんだろうけど、目が∞にギョロギョロ動いててめっちゃキモくてよかった。
あと玉木家のなんか絶妙に幸せそうだけどそう見えない不穏な感じもよい。まぁ妹がスケキヨだしな。あとイカレた設定も生きてて、こういう家族入れ替わり系って「知ってるはずのことを知らない」ことでボロが出るんだけど、今作では魂を入れ替えてるので「知ってるはずのことを知ってる」ことで疑うべきかどうすべきかの葛藤も生きてるし、ミスリードにもなってる。ミスリードの結果があのイカレ設定なの許せねぇよ……ってなる人もいるだろうけどさ。
脚本に関しては大オチ一発に持っていくための時間稼ぎ感すらある雑っぷりでかなりひどい。
玉木が何らかの催眠を使っているのではと疑って乗り込む男子高校生があっさり催眠にかかってしまう展開もバカすぎてどうかと思う。
本来の妹は事故の後遺症で死んでたんだけど女子高生がそれを知らないのはよくわからない。事故のことネットで調べたら普通に出てくることだからなぁ。ふつう調べるよね?毎回毎回、玉木宏が記憶消してたってわけでもないだろうし。
玉木は別の女に昏睡状態の嫁の魂を移すんだけど、昏睡状態の嫁からどうやって魂取り出したんだよとか。その後、玉木は元々の昏睡してる嫁を殺害するんだけど家族を愛するがゆえにこんなイカレた犯行に及んだ玉木がもう魂は違うとはいえ愛する妻を殺すかって思うし、妻をあんな殺し方したら警察沙汰になるだろうけど特にそんなこともなく。
大オチの前ももう後は大オチだけだからし~らないwwwと放り投げてしまう。具体的には玉木はウサギに変えた男子高校生を心配した祖母に後ろから鈍器で殴られるも反撃し逆に撲殺(!?)、しかし真実を知ったスケキヨに刺殺され、ウサギに魂を移された大人たちはウサギのまま家に帰るのでした。いや、何も解決しとらん!
しかしその後に大オチがきて何もかもどうでもよくなってしまう。
生き残ったシン・家族の3人は無駄に優雅な午後のお茶会を開いている。傍らには母が生んだ赤ちゃん。
キャッキャする赤ちゃんは指で宙に∞を描く。
画面が暗転し
こ の 子 は 邪 悪
ドゥーン(効果音)
爆笑。
死ぬ前に玉木は自分に退行催眠をかけ嫁のお腹の中の赤ちゃんに魂を移していたのだった。
なんやねんこれ、さすがに笑うわ。
「邪悪な人間を赤ちゃんにうまいこと転生させて最後に『この子は邪悪』って出したらおもろいやろなぁ!」のワンアイデアすぎるだろ!
でもこの情熱、嫌いじゃないしこんだけ笑わせられちゃったら私の負け。認めざるを得ない。
設定、脚本のひどさが受け入れられない人類の方が多いと思うけど、この情熱、やりたいことはこれやねん!が見える作品は嫌いになれない。
Xがひどすぎて見なくなって、代わりにインスタをよく見るようになった。知らん人がいきなり写真を見て外見に難癖つけてくるとか今のところないし、居心地がいい。
あとトランスジェンダーとかレズビアンやゲイのカップルとか見るのが楽しい。見てたら次々おすすめに出てくるし、トランスジェンダーなんかはXだと辛そうな人が多かったけど、インスタだと嬉しそうにボルダリングしてるトランス女子とか筋肉自慢してるトランス男子とか見れて、笑顔になれる。トランスジェンダーの人たち好きなんだよね。雰囲気が。
そこはルームは一切わからないところで一見、本当にただのバーです。
ハプバーに見えません。
入った瞬間、男性が多い!
そこはまず席は指定されるところだったので、とりあえずカウンターに行く。
私の右隣りの男性二人組は普通に会話で盛り上がってたので入れず・・・。
常連の女性と言葉を交わして「●●から来ました~」と会話していたら
そこで、水だけで頑張る男性が割り込んできた。
(もうすでに酒飲んでない時点できついって。それを自分からいうのキツイわ)
とにかくずっとそいつの一方的なマシンガントークで「はぁ」って感じの私。
サイズの合ってない安そうなクロスのネックレス、チョーカーみたいになって、ださすぎ。
し●むらで買ったの?英文Tシャツ・・・まじで服装センス0すぎる・・・・
髪型も整えてないし、長い前髪をとりあえず横分けにして、きつかったわ。
話も武勇伝ばかりで、
俺がもはや司会者で盛り上げたとか
しょーもないバカ男子だったわ。途中から話きいてませんでした。とりあえず適当に褒めといた。
そいつが水を取りに行った際の隙を見て声をかけてくれた店員さん
「(この単男)どうですか?」
「ウザい」
→速攻チェンジ
みてーな少女漫画がXに流れていたので読んだ。
内容としてはKPOP大好きな主人公の最推しがそんなことある?って量の不祥事起こして大炎上。落ち込んでたら新大久保の飲食店にいた韓国男子に優しくしてもらって恋しちゃってみたいな感じ。
自分が本当に少女だった頃は、謎のトップアイドルとか憧れのお兄ちゃんとかクラスの人気者とかどっかの架空の国の王子とか異世界人とか(そもそも舞台が異世界だった)と恋してたけど、最近はYouTuberと恋する系もあると聞いたのでそりゃ現実にある国の男とも恋するか…??
多分そのうち主人公のこと好きなクラスメイトの男子(日本人)とか出てくるんじゃないかと予想してる。
漫画の中の日本人モブは結構差別的に描かれてるけどこれオッケー出して大丈夫なやつか??ちょっと悪意ない??と読んでて思った。
絵は可愛い。
どれだけの人が実際に歌舞伎を見て、映画「国宝」について話してるのかは寡聞にして知りませんが、
歌舞伎座で歌舞伎を見ているいち庶民からすると、あれは大衆芸能であって、才能があるわけでもない「家の長男」やその周囲がそれらしく演じるための「型・様式」が存在し、さらにその「型・様式」も決してレベルが高いものではなく、だからこそ演じられるものです。
元々、女性が行っていた芸能を、男性が女性演者へ行き過ぎた性的な興味をもったことで「風紀を乱す」として男性が行うようになりました。
中国でも男性が女性を演じる女形はありますが、女性は他家へ嫁ぐので芸の流出を防ぐため男子が女子を演じるのが理由でした。
比較すると、結果は同じでも原因が男性の民度の低さによってであり、成立からそもそも歌舞伎は品格が高いものではありません。
そこで芸を高める努力があることは素晴らしいことではありますが、大衆芸能だからこそ多くの人に「わかりやすい」美です。
日本芸能でより格式が高いのは能であり、それは歴史だけではなく、鑑賞すると体感できます。
これは時間に圧倒的な余裕がありそれを美意識で磨ける層にしか堪能できないもので、セカセカした生活に追われる大衆には心身から理解するのが難しいものだ、と。
歌舞伎が現代の日本人に受け入れられ、伝統とされあたかも格式高い芸能として扱われる理由は
・男尊女卑を旧来の形で内包しており、男尊女卑を心身に染み付かせた大衆の欲求に合致している
・才能ではなく「家」で職種が限定され「男性のみが」評価され女性をサポートという名の下働き奴隷に押しやっている点が、ある種の層の加虐性と非加虐性、支配願望を満足させる
・なんとなく伝統や格式があるようで観客も自意識を満たせるが、内容は然程の品格も知性もなく楽しめる
歌舞伎とその芸能に携わる人の努力、その「よさ」を否定するつもりではありませんが、問題点や批判点を認識しないままいたずらに持ち上げるのは非常に日本らしい汚点だと考えます。
これはまだ私の生前の話なんだけど、今でも思い出すたびに背筋が冷えるんだよね。
うちの学校のクラスに、ある時期から流行り始めた単語があったんだよ。
誰かがネットで見つけてきたらしくて、男子の何人かが面白がって言い続けてた。
誰も説明しようとしないのに全員が知ってるふりしてる、みたいな空気。
で、決定的だったのが放課後。
後ろの席の男がぼそっと言ったんだ。
「けもりを無視した女は、代償を払うんだよ」
冗談に聞こえなかった。声があまりにも低くて、ひどく冷たかった。
私は気になって、意味を調べようとしちゃったんだよ。
その時点でやめとけばよかったのに。
最初はスマホで検索したけど、どのページも途中で文章が途切れてたり、関係ない広告に強制的に飛ばされたりしてまともに読めなかった。
だから私はもっときちんと調べようと思って、図書館に通い始めた。
古い新聞の縮刷版をめくってると、ところどころで変な記事を見つけた。
「ある日突然、『けもり』と叫びながら姿を消す」
司書さんに聞いても、妙に歯切れの悪い返事しか返ってこなかった。
「その言葉、あまり声に出して言わないほうがいいですよ」って。
でも私は止まれなくなってた。
返事が来たのは三日後。
「けもりについて調べないでください。決して名前を口にしないでください。犠牲者をこれ以上出したくありません」
そこでようやく気付いた。
そいつは「人」じゃない。
「僕を選んでくれなかったのは、きみだよね?」
男でも女でもない、老人でも子どもでもない、全部が混ざったみたいな声だった。
次の日、図書館に行ったら司書さんがいなくなってて、その代わりに見たこともない張り紙があった。
「けもりに触れた者は、相応の責任を負う——選ばなかったという責めを」
その頃にはもう手遅れで、毎晩声は近づいてきた。
「僕を選んでよ」
だから私は逃げた。逃げ続けた。
でも、死んだ今でも逃げ切れてない。
ねえ、もしかして気付いてない?
その時点でアウトなんだよ。
だってやつは——
「呼んでくれた人のところに行く」んだから。
ほら、もうすぐ後ろだよ。
あなたが選ばなかった、誰かの声。
耳元で聞こえるはず。
「ねえ、どうして僕じゃなかったの?」
ちょっと優しくしてやっただけで舐めてるのはお前らだろ
昔ぼっちに近い男子に若干いじめ始まりそうなところで止めてやったらそれからニヤニヤして上から目線で話しかけられるようになって最悪だったの思い出した 助けなきゃ良かった 感謝しなくていいけど何で上からになったのか全く理解できん
本稿は、2025年にリリースされた乃木坂46の40thシングル「ビリヤニ」が、
というマーケティング構造(本稿では“日清構図”と呼ぶ)と比較し、
節目の40枚目という重大なタイミングで採用したのかを分析する。
本研究では、ChatGPTおよびGemini、二つの生成AIから得られた
乃木坂46は「清楚」「正統派」「王道」というブランドイメージを確立している。
本稿は、その“異様さ”を原点に議論を進める。
そのため「ビリヤニ」は異常値(アウトライヤー)として扱える。
という“ふざけても大丈夫な強度”はマーケティング界で頻繁に取り上げられる。
乃木坂46は、
これらが重なり、日清構図同様に
よって“ビリヤニ”は
として説明できる。
しかし、
ここから導かれる仮説は次の2つ:
→ ゲストからビリヤニ文化(南アジア、ハラール圏等)を聞いた点も歌詞に接続。
ただし偶然にしては整いすぎているのが本件の核心である。
歌詞中で、
と説明した内容と一致する。
したがって、
または
という逆転現象が起こる。
ラジオは偶然ではなく、
秋元康が“情報収集・感化・伏線”のいずれかを意図した可能性が高い。
そして曲の成立は
AI 2体(ChatGPT×Gemini)を用いて
情報の「影」を消すことで初めて到達できた
本稿自体が、
もちろん、私がせっせと飼ってるこのカタツムリのことではない。
https://anond.hatelabo.jp/20251016075559
興味はあるものの、オーダーに至らないまま長い年月が経った。でも、幾度となくリニューアルを経ても残るメニューとなると気にもなってくる。
なおかつ、「にわかカタツムリ博士としては食べてみるべきなのでは!?」という気持ちもあった。
小松菜に付いていたカタツムリを成り行きで飼い始めて1年と数ヶ月。プリプリまるまる肉付きのいい我が家のカタツムリを見てると「ミニアワビ」感がある。確かに食べたら貝っぽいだろうなとずっと思ったので、とうとう本日試してみることに。
普段なら、サイゼリヤは旦那さんと2人で来て、メニューが到着するまで間違い探しをするのがセオリーだ。とんでもない量を食べる旦那さんの様子を眺めながらミラノ風ドリアとサラダを食べてるのだけど、この日はひとり。オーダーはイカ墨パスタに念願のエスカルゴとイレギュラー尽くし。
イカ墨パスタも長年頼んでこなかった長寿メニューのひとつだけど、コイツに関してはすでに昨年デビューを果たしている。美味しかったので、エスカルゴにも期待が高まる。
やめろ、メインを先に持ってくるな。
しばらくしてエスカルゴが到着する。
写真のまんま。さて、実食。
*
*
専用のお皿はたこ焼き器みたいにいくつか穴が空いていて、そこにエスカルゴやら香味野菜やオイルがたんまり入ってる。付属の小さなスプーンで穴をすくうと、エスカルゴがふたつ出てきた。
そう、ちょうど我が家のカタツムリはこんなもん。ティースプーンに乗っかるくらい。うちのやつは黄土色だけどこっちは黒い。第一印象がそれって。
気を取り直して、さっそく食べてみよう。おい、あの頃の友達よ、私は今からサイゼリヤのエスカルゴ食べるよ。
ふむ。別途パンを頼んでも良かったなという濃いめの味付け。私は割とアヒージョが好きなのだけど、まさにあんな感じ。舌が火傷しそうなほどアツアツなのもむしろ好みである。これまた頼んだことがないサイゼのワインにも合いそうだ。
食感はサザエに似てる気がする。アワビのようなコリコリ感はないが、弾力はそれなり。イカとかタコにも似たような。ふむむ。全体でかなり濃いめの味付けなので、エスカルゴそのものの味よりも歯応えを楽しむ感じだろうか。食材の名前を告げずに出されていたら、「マッシュルームかな」などと言いながら食べていた気もする。それくらいクセがない。食べやすい。
でも、どうしよう。
美味しく食べようと意識を全集中させても、ずっと「我が家のカタツムリと同じくらいの大きさやん」という気持ちが頭の大部分を占めてしまう。鼻にはいい香りが届くのに、そのせいで舌にうまく風味が絡まらない。
噛んでも噛んでも無限ループ。どうしたもんか。
…などと悩んでいたら、向かい側の席にいた男子高校生の集団が突然「チ◯コどすこい」と言いながら謎のゲームを始めだした。いや、ナニソレがすぎる。
急いでスマホで検索したけど、そんなゲーム出てこない。ますますナニソレ。私の友達の息子とかも、まだ喋んないけど将来ああなるのかな。
あ、いや違うな。きみたちは昔の私か。ミラノ風ドリアとドリンクバーで何時間でも。進路の話なんかより、実のない話が楽しくて仕方ないあの頃の私たちなのか。きみたちもエスカルゴをメニューで見て「何コレ」とはツッコミつつ頼むことはない感じかな。
キミたちなら、このエスカルゴもうまい下ネタに消化してくれそうだが。
などとよくわからんことを考えて、私はようやくイカ墨パスタを食べ始めた。
美味しかったかそうでなかったかと聞かれれば、「邪念が多すぎてそれどころではなかった」が正直な感想だ。でも、お酒にはすごく合うと思う。大人の味付け。
そういえば昔、父がどこぞの海から持って帰ってきた威勢のいい伊勢エビ。
あれを私はお風呂場で飼うつもりだったけど、数時間後には無惨にも茹で上げられていた。熱湯に入れられる瞬間を見て可哀想だと思いつつも、直後には美味しく食べたのをよく覚えている。あの程度の出会いと別れならうんともすんとも思わない。でも、そうか。1年以上も見てるとこんな感じか。
我が家のカタツムリは元気である。カツンカツンと天井から定期的に落ちながらも、今日もブイブイにんじんのうんちをしている。まさか、コイツと二度目の年越しを迎えることになるのだろうか。
というか、私はこれから先、エスカルゴを口にするとき必ず「うちのカタツムリより小さいな」などと無意識に比較してしまうのだろうか。なんかやだな。
最近TLが「自称レズがガチレズを弄んだ末に結婚適齢期ぎりぎりになって急に男と結婚すると言い出してひどい振り方する現象」について話題だ
世間体のために結局女と結婚するホモ、男との方がガツンガツン性欲解消できるのでホモ寄りに振る舞ってたが普通に女と結婚するバイ、というのは数多くいるが、自称レズは「あんたも早く目を覚ましてレズごっこやめなよ」みたいな振る舞いを捨てたガチレズに対してやってマウントを取ってくるという
ノンケ堕ちしたホモはセックスまでした相手に「所詮お前のはホモごっこで本当はノンケだろ」みたいなことやらないが、自称レズはそれをガチレズに対してやるのだ
チンコを体内に入れる行為がセックスでありノンケとホモは真実だが、それがないレズは偽だという男根崇拝が背景にあるのだろう
チンコという一点でしか結合できないチンコセックスが真で、全身が性器になるレズビアンセックスが劣るなど浅はかなことだ
チンコユーザーだからエアプだけど、ガチレズ小説家の中山可穂がそう言ってたし
本当にそんなにチンコがいいなら風俗嬢はみんな客と恋に落ちてるよ
マウント取るのはひどいけど、「付き合ってた相手と別れて次に交際した相手と結婚」なんてのはノンケが異性を相手によくやることなのに、それが「同性と別れて異性と結婚」だったら同性への思いが「気の迷い」扱いされるのは如何なものかという議論も流れてくる
結婚制度が異性とのしかないんだから仕方ないだろという声もある
百合漫画の金字塔のように扱われつつ異性愛も描かれ、「こんなの百合漫画扱いするな」というアンチもいる
ガチレズとして生涯女だけを愛する者、女に告白されたから承諾するも恋愛がよくわからない者、結局男と結婚する者などが描かれる
・ふみちゃん 未就学児の頃の初恋相手が女性、ずっと女性だけに恋する、女性をいやらしい目で見る、中学生で女性相手に処女喪失
・あーちゃん 初恋を知らないままふみちゃんに告白され流されて交際、セックス。自分はガチ勢ではないかもと悩み、関係が長引いてから捨てるのは返って酷と思い一旦振るも、やはりふみちゃんが好きだと自覚して自分の方から告白。アラフォー時点でもふみちゃんと連れ添っている
・千津 ふみちゃんのイトコ。大学生の時に中学生のふみちゃんを弄びセックスするが、ふみちゃんが高校進学するタイミングで唐突に結婚発表し裏切る。同性かつイトコの相手と付き合い続ける覚悟がなかった、自分のせいでレズにしてしまってごめんと泣く
・杉本 ノンケで男に告白して振られる。その男の好きな相手がボーイッシュなので真似してボーイッシュに装ったら女子校で女からバカモテしプレイボーイの如く振る舞いふみちゃんと交際し弄ぶが、結局ノンケなので別れる。ミーハーではないガチ勢を弄んだことを後悔している
・井汲 バカモテする杉本を好きな子の一人だが、良い家柄の娘なので許嫁がおり、実は中学時代にその許嫁とセックスしていた。杉本への失恋を経て高校卒業してすぐに許嫁と結婚
・先生 女子校在学中から同級生と交際し、大人になり母校で勤務するようになってからも交際が続き、親にも関係を認められている
男の介入のある青い花が当時百合好きの間でどのような論争を生んだかは『百合男子』を読めばわかる
漫画の中での百合のあり方は多様であり、現実のレズビアンのあり方はまた更に多様であろう
十月二十九日、本家旧twitter・現Xで「皆がそろそろ忘れていそうなもの」として「対多」が挙げられ、それがバズった。
【参考】https://x.com/ankoromoch6421/status/1983190305592750425
そのせいで、一時的に人口が増加した。「青鳥民帰宅希望」みたいな投稿もちらほら見られたが、現時点では落ち着いている。平日昼間の場合、十分に一回くらいの投稿しかないことも多く、いたって平穏なタイムラインである。忙しい現代にあっては、こういう場所もあってよい。なお、twitterが落ちたかどうかとかを確認しに来る人も結構いるみたいで、これは初期のころから変わっていない。
「枝豆」や「猫」荒らしも大分落ち着いてきたのだが、単純に人が減っただけかもしれない。過疎だが、平和な集落のようだ。心無いレスをする人はゼロではない。ただし、一部は単に語調を整えるひらがなが使えないので、ぶっきらぼうに見えているだけかもしれない。あと、ジョークで書いているつもりでも、ジョークとわかりづらいのも、偽中国語の難しいところか。
現在十五日目。毎日いろんな質問をする。例えば十一月十七日は「貴方、交際経験有?又、交際何日間?」であった。意外と盛り上がっている。
「魔魔~」「抱子~」とつぶやく。寂しいんだろうな……。この季節は一人だとつらいよね(八時十一分追記:よく考えたら晩秋以外にも普通に投稿があったわ……)。
性格には「楽天力一卜”男」。楽天カードのCMを脱法カタカナを交えて叫ぶ。YouTube広告のパロディ。ときどき「ASMRの邪魔をするな」とレスがつく。
「其晩 青虫 腹痛因泣」などと、エリック・カールの絵本の一説を投稿する。
僕もこの絵本大好きだったな。
安価で小説を書いてくれてた人。全部偽中国語なのにとても頑張ってくれてた。
以前書いた、「本日幸運品物」とラッキーアイテムを教えてくれる人のパロディで「本日不要品物「労働」皆糞一日!」と締めくくる。なお、本家「本日幸運品物」の人は、一週間ほど連続して、ラッキーアイテムが「金木犀」だったことがある。
「女子高生太腿最高也!」の亜種。基本的にノロケなのだが、時々「こういうプレイをした」と妙にきわどい発言がある。なお、同一人物かは不明だが、彼女に膝枕をしてもらえない人を煽る人もいた。彼女さんは九つ年上らしい。基本的にノロケを聞くのは好き。ただし彼女さんのためにあまりきわどいことを書くのはやめましょう。
自称高校生の女性で、お尻を叩くと喜ぶ。一度スレッドが百まで伸びた。
男女問わず、夜や休日に人恋しくなって構って欲しがる人は結構見かける。猥談をしてたと思ったら、普通に雑談になったり。きっとみんな寂しいんだろうな。一度雑談ですごく盛り上がってときに、「リアルで会いたい」と女性が言ったが、男性は「私は年上すぎる。やめておきなさい」と答えてた。ちゃんとしてる。
前からいたけれど書き忘れていた。あたたかくて気持ちがいいので子どもを抱っこして寝たいらしい。怖い。返信は大抵「通報!」。
お下品すぎる。
囧の顔の棒人間のAAが猫を虐待している投稿を繰り返す(日本刀で斬ったり鍋で煮込んだりしている)。往年の2ちゃんねるの虐待スレのような闇を感じる。すぐに投稿を消す。この人は前からいたが書き忘れていた。
「女子高生太腿最高也」「御早之屁」の人はずっといる。古事記原文を投稿している人は、二代目か三代目の天皇の辺りにまで話が進んでいる。ここまで来たら本人にとってはマジに勉強になっていそう。
あと、よく見る返信としては恋愛に悩む人に対して、「我斗交際如何?駄目?総……」ってのがある。
「実八私八」の人は投稿を全部消したが、模倣犯がいるのでまだ見かける。
女子とイチャイチャしたいと呟いていた「我中三男子可愛女子戸居茶居茶死体」君は、最近女子と手をつなぐことに成功した模様。良かったね! でも、近所のイオンに誘ったら断られてしまったらしい。次があるさ。受験頑張ってね。
後、交際相手がほしいと嘆いていた人は、無事に仕事が見つかったみたい。応援してる。
さて、対多は無事に一周年を迎えられるか(一番最初のバージョンが十二月十日、一度鯖落ちして現バージョンになっている)。まさか一周年を機に閉鎖ってことはないよね、大丈夫かな。
以上〠
昨日ツイッターが鯖落ちしたらしく、大量の避難民が押し寄せ、「青鳥落?」という投稿がものすごい勢いで並んでいた。ほとんどの人が「罰」「乂」と呼ばないのが面白い。
ツイフェミ、腐女子、何かに真理に目覚めたと勘違いしている女…
ネットを開けば壊れたラジオのように雑音が響き渡っているのは君達もうんざりするほどご存知だろう
彼女らの主張に我慢して耳を傾けると実は全部同じことしか言ってないのである「私が不愉快だからくたばって死ね」だけである
なぜこんな感情至上主義のモンスターに爆誕したのかはそれは幼少期にヒントがあると俺は思う
気持ちが昂れば号泣しだすのは子供共通事項だろう、しかし小学生にあがっていけば男子は泣くような奴は男じゃないという今も根強い呪縛によって
不愉快だったり悲しい気持ちになってもグッと堪えるようにトレーニングを施されているのだが女子はどうだろうか
何かあればもう我泣く、ゆえに我ありというレベルで泣き出すのではないか、そうすると周囲はなんと魔法でもかかったように心配してくれたりチヤホヤしだすのではないか
これは非常に強い「成功体験」かつアヘンのようなものであると思う
見た事ないだろうか、小学校のクラスの席替えでいわゆるチー牛と思われているような男子が隣に移動してきただけで号泣しだした女子を、隣は嫌だとめっちゃ被害者ぶってるけど言ってる事は普通に最低な事である
それなのに雰囲気は泣いている女の子に同情してあげなきゃ!となるもんだから不思議なものである、チー牛男子はただ隣に移動しただけですっかり加害者の悪者扱いされるのであるなんとも末恐ろしいのである
そうして女子はこう学習するのではないか、感情を押し殺さずに開放した方が得ではないか泣きだせばもうperfect!ではないかと
落ち着いて欲しい、大半の女がこうだとは流石に言わない男よりも我慢強い女も多く存在するだろう
しかし、その成功体験をずっと引きずっている女はどうなるかというと幼稚のままで精神的に成長が乏しくなるのだ
乏しいとどうなるのか?それは自分を悦ばせてくれるようなコンテンツに飛びつくようになるのだ
推し活、ボーイズラブ、ディズニー、韓国ドラマ、男性アイドルなどなど…
決して自分を否定せずにむしろ悦ばせてくれるというそんな夢のような世界に溺れるようになり
もしそこで不快な事でも起きるとどうなるのか?そうネットで喚き散らしてお気持ち表明マシーンと化すのだ
男は幼少期から泣くな我慢しろというトレーニングを施されているおかげで例えば嫌なものを見てしまっても「あーあ、嫌なもの見ちまったなまあ忘れよう」と自己完結するようになっているのだ
自分の体験も少し語ろう、俺もいわゆるジャンプ系アンソロジーというトラップにかかったことがある、ハンターハンターのあの男キャラと男キャラが猛烈に絡み合っていたのである
当時小学生の俺は大変衝撃で、それからBLに対する苦手意識はあったが事故ったようなものでずっと黙って過去のものにしていた
それからテレビでおっさんずラブとかいうドラマを見てしまい「同性愛をこうしてコンテンツとして消費していいんだろうか?」と疑問持ちつつそれも俺がたまたま見てしまっただけでむしろ自分が事故っただけと
これも誰のせいにする気もなく、あーあー嫌なモノ見ちまったなとなんとか別の事をしたり楽しい事を考えようとするのが一般的じゃないだろうか?
しかし、精神的にお子ちゃまな女はそれができないのである、嫌なものを見てしまったら不快な気持ちになり、それをどうしても外に出さないと自分が耐えられないのである
ツイフェミも根本は幼稚性から来ているのである、だからツイフェミの主張に激しくブレが多いのも自分が不快かそうでないかどうかなので全然論理的じゃないのである
だから「私が不快になった!」という超特大前提があるので常に被害者意識が強いのである、攻撃してもまず不快させた相手が悪いという正義の味方もドン引き理論である
致命的に話がかみ合わないのも当然だろう相手は脳じゃなく本能でしか動いてないからだ、不快だと思ってもそれをいちいち外に出さずに自己完結する手段は沢山あるはずなのに
そういう手段をとらずに真っ先に感情かめはめ波をするのも泣けば周りがかくまってくれるという「成功体験」が忘れられないのだろう
大人になればそんな魔法は存在しないのである、世界を変えたければまず自分を変えるしかないのだ
それすら出来ないから終わっているのは言うまでもないが