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はてなキーワード: 支点とは

2025-11-14

インド人の"最下層労働者"を見て泣いた

石をひたすらに機械で砕く動画がある

それ専用のチャンネルがあって、どの動画も50万再生くらい回ってる。

粉塵が舞い岩が転がり絶えず振動に晒される劣悪な環境で岩石が砕かれている。

映っているのは"最下層労働者"で、とにかく堪え性がない

あとちょっと動かせば石の重みで勝手に破砕されるのに、それが待てなくてハンマーで叩き出し、鉄の棒で動かそうとする

彼らの頭の中には支点力点作用点みたいな考えがないのだ

そして時々撮影している人(複数人で1つの作業を撮ってる)が映り込む

iPhone16だった

俺は泣いた

彼らは全然最下層ではなかった

最下層の仕事YouTubeに流すことで莫大な富が得られると知って、最下層の人たちからその仕事を奪った人たちだったのだ

何のことはない、彼らは単に素人だっただけだし、ツッコミどころのある動画のほうが回るから道化を演じているだけなのだ

虚しくなった

俺はここで時間まで搾取されている貧民だった

泣いた

2025-11-13

支点力点

さよう、お主のちんぽを舐めてしんぜよう

2025-10-03

dorawii@執筆依頼募集中

逆上がりのコツ系の動画を見させて頂きましたが的外れな教えだなと思いました

私はこの動画の3つのことは出来ませんが逆上がり簡単に出来ます

なんなら身体能力は数分歩くのが辛くジャンプは数センチしか飛べずキックは腰より上に上がりません

そんな弱りきった体でも逆上がり普通に出来るものです

それは単純に逆上がり簡単物理学運動力学問題しかいからです

その観点から見ればよっぽど貧弱な体でもない限り誰でも逆上がりは出来ます

一番ダメなコツは脚を伸ばしてキックさせることです

その上で視点を脚や体の内側に向けて上体を丸くさせるのは愚かです

支点と回転と遠心力のことを考えれば当然ですよね

重力に逆らい上げる脚に遠心力を働かせ上げるのを困難にして重力で落ちる上体は逆にその力を消して勢いを無くしているのだから

ただ逆上がり成功させるだけなら

膝蹴りの要領で脚を上げ鉄棒に腰を引っ掛ける

落ちていく上体はなるべく反らし遠心力を働かせ回る勢いにする

最後の起き上がりで膝を伸ばしその勢いで体をを起こす

これだけです

綺麗にクルっと回るというより多少泥臭い回り方になります

重要なのは鉄棒に体を引っ掛けることとそこから起き上がることの2つだけです

最低限の動きだしの力と形とさえあれば無機物ですら回転できるんです

自発的に力を追加できる人間で出来ないのはそこから逸脱してるからに他なりません

身体能力によって出来るやり方では出来ない人が絶えないのは当然です

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https://anond.hatelabo.jp/20251003182633# 
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2025-09-01

AI絵には欲望がない。リビドーがない。パッションがない。

AI絵には欲望がない。リビドーがない。パッションがない。

えっちプロトーコル(王室プロトーコル的な意味合いで用いております)を守ることはもちろんできるけど、

欲望の焦点がまったく合っていない。

もちろんえっちな絵ばかりではなくて、何についても焦点がない。

ドローン動画になってカメラマンパッションが抜け落ちたせいで酔うのと同じ。

ヘリ人間が乗って撮影していた頃はカメラマン意識的にせよ無意識にせよ見せたいもの視点移動するとき支点支柱とするもの自然と焦点となっていたのにその視点が抜け落ちてしまったせいで酔うのと同じ)

2025-08-23

anond:20250715190437

わりと知ってた。

うちは普段寝るベッドではなく、和室に布団ですることにしてる。

子どもからも離れられるし。洗濯などもしやすい。

結局、膝がある程度固定されないとだめ。

だいたいどの体位も、男女どちらかまたは双方の膝は布団についていて、そこを支点に動いているからね。

おかげで子ども3人いるよ。みんな褒めて。

2025-07-27

劉仲敬のインタビュー「劉仲敬訪談 096(2020年7月8日)」

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

■ 要約(簡潔版)

大英帝国の核心は本国ではなくインド帝国であり、直布羅陀~スエズインドシンガポールオーストラリア海上交通線が生命線だった。

シンガポールは東の防衛拠点だったが、その防衛あくまオーストラリアニュージーランドのための前線として機能しており、マレー半島自体捨て駒的な扱いだった。

1941年日本シンガポールが陥落したことで、大英帝国東方から完全に後退。オーストラリアニュージーランド防衛アメリカに移り、以後は「アングロ・サクソンの米豪連携体制」へと移行。

それでもインド帝国を守れたことで、大英帝国「コア」を保持できた。これは張伯倫の「地中海防衛優先戦略」の成果。

帝国拡張は当初、自由貿易と最低限の支配で成立していた(1815年がピーク)。しかし、19世紀末以降、他の帝国(独仏露)との勢力いから、コスト高の直接支配へと転換し衰退が始まる。

インド以東の領土シンガポールなど)は、実は英国にとって「コスト過多の義務」でしかなかった。その放棄は、むしろ帝国延命につながった。

比較として、現代アメリカドイツから一部撤兵する決定も、英帝国の「戦略的収縮」と重なる――利益にならない場所から撤退するというリアリズム判断

■ 詳細ポイント

項目 内容

インド位置づけ 英国にとっては「本体」であり、統治機構インドにあったことで帝国として機能

地中海重要性 英印間の交通線を守るための「命脈」。ここを守れなければ帝国存在しない。

シンガポール役割 インド豪州防衛拠点であり、現地防衛意思は弱く、放棄も想定済みだった。

戦略分配の背景 英国内だけでなく、インドカナダ・豪・NZとの利害調整の結果として戦略が決定されていた。

シンガポール陥落の影響 豪州NZ米国依存が始まり英連邦から実質的な自立が進む契機に。

英国の「非正規帝国理論 実際の支配ではなく、貿易権益支点のみで成り立つ帝国構想(1815年頃が理想形)。

総評(劉仲敬の視点

大英帝国戦略後退は、失敗ではなく**「選択と集中」**による合理的判断

地図で大きいか重要」と考える独裁者ヒトラーなど)は戦略を誤る。

同じように現代アメリカも、無限戦線拡大をやめ、利益にならない場所から引くべきだという示唆

https://vocus.cc/article/5f0eba1ffd89780001785200

2025-05-02

dorawii

空間把握が弱いがこのまま数学勉強して大丈夫なのか?

タイヤホイール塗料を塗ったからこの傘を使って雨がかからようにしてみろと言われた。

私にはどう立ててみてもホイール全てが覆われるような置き方が思い浮かばなかった。

というより実際には一種類の置き方しか思い浮かべられていない。

呆れたその人は傘の柄をホイールの上に渡すようにして、持ち手と傘の部分がそれぞれ支点として接地するように置いて見せた。

柄と傘がタイヤの上で合掌を作っているような状態だ。

自分で塗って好き勝手にそのようにする分には自分が抱える目的も注意も明確にわかっているので、思い切ったこともできる。その結果としてなら同じ発想ができたかもしれない。

なんてことは所詮言い訳しかないぐらい私の空間把握能力は劣っているのかもしれない。

他にも、面と面が平行になっているところから、上側の面の角度を下に対して本を開閉するように変えた後で、その開閉するときのような角度の変え方とは別の回転軸で角度を変えるとする。

回転軸というのは角度を変えようとする面上に存在する直線について、平行な直線は全て同じ回転軸とみなす解釈されるものであるが、とにかくそのような操作をしたときに、どちらの面も無限の広がりを持っているとして、その面同士が交わっている箇所での面と面との角度は、どの箇所でも一定なのかどうかについて頭の中でどうしてもイメージして答えを導き出すことができない。

これが単に本を開閉するように角度を変えただけの場合なら一定だとすぐにわかるのだが、どうしたものか。

数学抽象数学四次元以上を扱うところまでいけば、もはや誰も直感的には空間把握できない対象から、たとえ低次元のことについて能力が劣っていても、それが劣位性?として影響してくることもなくなるのだろうか?

それとも四次元以上の分析でもやはり切断等で三次元以下の幾何を通じて理解しようとする論理が多く、その空間把握能力がないのは相変わらず不利に働くのだろうか?

anond:20250502120308

そもそも動かし方が下手すぎ

2話の「史上初のモビルスーツ戦」でふっとばされるところとかギャグアニメしか見えなかった

なんであんなに動きが理解できないんだろうな。支点力点作用点から勉強し直してほしい

2025-04-26

anond:20250426092443

マッハGO!GO!GO!のオープニングアニメ最後主人公支点にして回転するような映像表現ってマジでオーパーツだよな、どうやってあんなの思いついたんだろう

2025-01-13

ギターのFコードのコツが分かった

いろいろ調べててやっとしっくりくるのが分かった。

これをやったら一発でできた。

人差し指に力を入れようとすると、人差し指の後ろに親指を置きたくなるけど、

そうではなくて

人差し指から親指をできるだけ離して、親指を支点にして人差し指ギターのネックを手前に曲げるようにしたら、

できた。

嬉しい。

2024-12-21

腰を落として歩こう

今までさ、靴のクッション頼りに

脚を一本の棒のようにしてまるで竹馬のように歩いてた気がするんだよな

前に出した足のかかとを支点にして、振り子のように後ろの足を前に振り出す

脚を伸ばして一番遠いところにかかとからガツンと着地する

 

でも最近ベアフットシューズを履くようになって

こういう靴はクッション性が皆無だから、そんな歩き方をしているとかかとが壊れる

から歩き方を変えないとなぁ、どういう歩き方がいいんだろうとずっと悩んでいたけど

気持ち3cm腰を落とすとなんか急に良くなった

常にちょっと上り坂を上ってるようなイメージで歩く

すると前の歩き方よりも脚の筋肉をきちんと使ってるのがわかる

前の歩き方よりも歩くスピードは落ちたと思うが、なんか健康には良さそう

2024-09-25

anond:20240924192332

側溝の隙間にハマって抜けなかったとき

前に倒れ込んじゃって立ち上がろうとするとスネがてこの支点になって激痛だったような気がする

正直嫌な思い出すぎてもうあんまり覚えてない

2024-07-29

anond:20240729151123

(支点から距離)×(重さ)が左右で一致しないと力のモーメントの釣り合いは取れない

2024-06-14

もしかしてギャンブル漫画ってギャンブル要素自体は単なるオマケなのか?

ウソツキゴクオーくんが全話無料だと聞いたので初めて読んだのだがこの漫画めっちゃ面白いな。

読み進めていくうちに誰もがふと気づくのだが、この漫画面白さはミステリー的な部分よりも駆け引き的な部分、嘘を嘘で暴く所にある。

この面白さはギャンブル漫画におけるイカサマvsイカサマ利用イカサマのようなものだ。

そこから更に思考を先に伸ばしていくと、どうもギャンブル漫画面白さはお互いの嘘の中にこそあるように見える。

麻雀しろポーカーしろ決め手となるのはブラフ心理トリックであり、単に引きがいいかいか物語本質となることは少ない。

咲のような異能力バトルギャンブル漫画になると、自分能力哲学)と心中できるかどうかが試されるが、多くのギャンブル漫画で試されるのはハッタリを貫き通せる胆力だ。

嘘つき合戦は嘘を平然とつける奴こそ有利だが、嘘に対して哲学を持ってない奴の嘘は弱い。

ギャンブル漫画主人公も多くが自分なりの嘘の哲学を持っている。

人を騙すやつを騙し返したい正義感相手プレッシャーをかけることを楽しむ悪意、騙される方が悪いという弱肉強食、それぞれの嘘にまつわる哲学物語を回す支点となっている。

ギャンブル漫画において最もくだらない展開が、単なる強運で主人公が勝ってしまうことだ。

これほどつまらないオチはない。

なぜつまらないのだろうか?

それは、そこに嘘偽りが一切ないからだ。

ただ引いて、ただ結果が出る。

嘘もなければ偽りもないということは、そこに人の意図さえもないということ。

それではギャンブル漫画は成立しない。

なぜならギャンブル漫画は嘘つき漫画からだ。

2024-03-18

高速道路の橋脚の半円

高速道路の下にある道路を通って帰っている

その道はなだらかな坂になっており、高速道路の橋脚も坂に沿ってその部分だけ20mくらいの長さの壁のようになっている

信号で止まっているときに、たまに高速道路の橋脚を見上げることがある

橋脚のコンクリート肌は全体的に薄汚れていて、灰色が濃くなっているが、上部の方に弧を下にした半円が汚れを拭うように白い線を描いているのが見える

それが目に入るたびに以前の思考を忘れて、この半円ってなんでだっけかと考える

そして、半円の上にツタや木などの植物の枝が垂れさがっているのを見て、この植物が円を描いたのだと思い当たる

横に長い橋脚の上の方、車道を仕切る壁からはみ出した部分は土が盛られていてそこに自然に木や草やツタが生えているのだ

そこから下に伸びる枝が風に揺られて、橋脚のコンクリート肌にこすり付けられて、可動範囲分の汚れをこそぎ落とす

植物の根を支点に枝の可動域を半径とした弧が風が枝を揺らす勢いで描かれて、跡が残るのだろう

その証拠にツタや枝の数だけ、その長さ分の半円が並んでいる

ちょうど車のワイパーが描く半円の上下逆だなとか、風と枝がコンパスのようにきれいな半円を描くのは不思議に感じるなと思った

信号が変わって、帰路をたどり、帰宅して、どうせまたなんだっけこの半円と忘れそうなので書き留めておくことにした

2024-03-06

空白12職歴無し35歳新聞配達ワイ、新聞配達明けのこの時間が超眠い

今日タイムカード1:50で無事2時間切り、雨が降っていないと超楽である

今日やらかしは積み込み時の自転車転倒

後部に積んだ新聞を整理している最中スタンドヌルッと外れ見事に倒れやがった

オヨヨヨ~ってなってたら同僚の方が助けて下すった、本当にありがとうございました

こっっれが配達時も自転車から降りて手を離した直後に自転車スタンド支点ヌルッと回ってその勢いでスタンドが外れて稀に倒れるんだよな

倒れづらいよう積み込み対策必要だな・・・スタンドの固定ボルトちょっとだけ増し締めした方が良いかもしれない

かといって締めすぎると発進しづらくなるんだよな・・・悩みどころだ

積み込みミスって出発時間が遅れたのに1時間50分で配達できたんだから大した上達っぷりだぜイェーヘヘェ勝ったなガハハ

明日からWワーク開始だな・・・気が重いぜ

この時間すげえ眠い

起きてから7時間ぐらい経ってるんで朝7時に起きてたとしたら今14時ぐらいか

かにそのぐらいの時間帯は眠くなるよなあ

机に突っ伏して10分ぐらい寝るだけですげえスッキリするんだよな、脳も7時間稼働すると脳内に溜まった情報やら脳内物質やらなんやかんや整理する時間を欲するのかね

ん~

今日ほうれん草と豆と鶏ひき肉のカレー風炒め作っとくか

にんにく生姜をみじん切りにしてオリーブオイルでぜんぶ炒めてSBカレー粉放り込んで終わりッッッって感じのやつ

まあ不味くはならんだろう

ヨシ!

2023-12-01

アークナイツを3年プレイしていれば「三体」に匹敵しかねないレベル物語を読めたんですよ

コスパ悪すぎて笑ってしまう。

未だにスキップ実装してない(10年前のゲームであるアイギスでさえ搭載してるのに!)超マゾゲーを3年もやってようやく得るものがこれだけとは……。

せめて三体の10倍面白い物語でも読めれば良いものだが、基本的には可愛いキャラに鬱ムーブをさせて格好つけるだけの作品しかないわけでな。

いっそブルーアーカイブみたいにキャラ萌えに全振りしてそこを支点にしたテコばかり使いたがるゲームの方がまだ清々しい。

萌えにも振り切れないまま真銀斬で全部ぶっ飛ばすだけのゲームをダラダラ続けているアクナイを人に薦める気になる人達の気が知れない。

そもそもバラバラに弾け飛んでいるライン生命物語、各キャラクターの背景、アクナイ世界における技術レベル情報、源石技術賛否両論性、それらを理解した上でようやく楽しめるというのは流石に今から入っていけるものじゃない。

劇場版コナンぐらい分かりやすい導入がありそれ単品で見て楽しめるならともかく、別にそんなことはない。

イフリータの成長を理解するには初期の姿を知る必要があるし、ライン生命サイコパスっぷりを知るにはフィリオシスイベント等を通して諸刃の剣を平気で掴むような態度を噛み締めなければいけない。

いくつかの期間限定イベントやそれぞれのキャラクターの固有情報を組み合わせてようやく浮かび上がる全体像、それらの裾野存在しないままでは物語の上辺をなぞる以上のことは出来ないだろう。

集大成集大成たることが出来るのはそこまでの物語があるからだということを理解するのってそんなに難しいことなのか?

2023-10-25

夢日記

タヒチのようなリゾート。青い海には点々と離れ小島木造コテージ/宿舎は暗く寺院の宝物殿のよう、外の眩い自然の緑と海の青に対して黒黒とした、時代がかった木造建築物内部のコントラストが美しい。様々な対応をしてくれる、体格の良い20代〜30代のスタッフが居る。

 

仏像コテージ内に散見される、私は仏像の台座を見ている、年代物と思われる仏像本体に対して台座は新しい木材とパテで形作られている。柔らかな曲線の輪郭。パテの塗り跡/マチエルや鑿(のみ。木材を削り落とす刃物)の跡は研磨されておらず、人の手が行った仕事の跡を残しながら、ふわりとした曲線を形造っているのが、私にはこの上なく好ましく感じられた。

 

その台座を作ったのはスタッフの1人の男性である、というキャプションがついている。妥当比喩が見つからないが、お菓子コロンに似ている。外側に薄く硬いクッキー層(木材)があって、内側がふわっとしたクリーム(パテ)になっていて、異素材による色彩対比は馴染ませるのではなくそのまま活かされている。仏像自体年代物で、台座を新たに作ったようだ。仏像自体ではなく、仏像に対する保護、賛美、敬意を示すような、仏像を支えて彩る台座の方をじっくりと見ている夢の中の自分について考えると、私だなあと思って面白い仏像の方を見ろよという気にもなるが、仏像本体は既に多くの人間に崇められてきたのだろうから、私如きが見る必要もない、と、思う間も挟まずに態度がそうなっている。時間を経て今に語り継がれる敬うべき尊い宝、それを遺してきた人々の努力等も勿論素晴らしいが、今を生きる誰かがそれに添えた、それに寄せる想いが形となってそこにある、それを目の当たりに出来ることこそが私にとっての喜びなのだと。

 

夢なので特に脈絡はないのだが、離れ小島で海遊びをしていると、海でダメージを負った人間が浮いているので救護をする。コテージへ連れて帰りスタッフに任せる。

 

視点コテージから離れる。広大な砂利採取場のような、開けた岩場、明るい灰褐色の地面と岩山、青い青い空、そこに古い巨大な機械がある。機械機械が向き合った合間に錆びの浮いた金属の籠、口の開いた箱のようなものが固定されていて、材木を長いまま丸々その中に敷き詰めてぶんぶん機械で振り回す事によって材木に捻れを生じさせるという、まあ理屈で考えると無理なのだが夢の中に出てきたのだから仕様が無い、そんな機械だ。イメージとしては遊園地にある振り子遊具、あれの両端が結合部で支点となっており、交互に動いて捻れを生じさせるのだろう動きをしている。材木の高さは3メートル程で、長辺方向に×3で敷き詰められているから箱部分は9メートル程ありそうだ、それがぶうんぶうんと振り回された挙げ句に捻じ曲げられた(らしい)材木は向こうの方へそのまま弧を描いて放り出されていく。まともに考えれば放り出された先で重みで粉砕されていそうだが、まあ夢なので大丈夫だろう、兎に角その様子はなんとも爽快で豪快で清々しいものであった。

2023-05-30

IQが出るかも、と思ったのはQ Remasteredってゲーム

https://store.steampowered.com/app/2246110/Q_REMASTERED/

大きな物体を高いところから落とす(重いものを速い速度で当てる)ほど、大きな力が発生するとか、支点力点作用点を作ってテコの原理を利用するとか、そういうレベル小学生物理が全くわかってないやつが結構いる

2023-01-05

寝起きの肩こり解決した

わかってみれば本当になんでもないことで拍子抜けしている。

ここ数年苦しまされてきた寝起きから肩こり

時間とともに和らいで寝る頃にはなくなるものの、翌朝起きるとまたひどい肩こりになっている。

ビジネスバッグを持つタイプから背負うタイプに変えてみたりマウス右手から左手に変えてみたりスーツをやめてラフ服装にしてみたり、色々試してみても毎朝の肩こりはなくならなかった。

それが突然解決した。

原因は簡単にいえば寝ているときの癖だった。

これから寝に入ろうとするとき、腕をおでこに乗せる癖があった。

頭のあたりに何もないと不安になるといったほうがいいかもしれない。

タオルを載せたりもするが、結局は腕の重さがちょうどいいからと気がつくとおでこに腕が乗っていた。

今になって考えてみれば、首を支点としてそこから遠いおでこにそこそこの重量がある腕が載っているのだから、首から肩にかけての筋肉負担がかかるのは当然だ。

肩こり対策に買った首元だけ高くなっている低反発の枕も良くなかったのかもしれない。対策に買ったつもりが悪化させる要因になっていただなんて皮肉だ。

とあることがきっかけで、一週間ほど腕を乗せないように眠るようにしていたところ毎朝苦しんでいた肩こりが楽になっていることに気づいた。

その時は肩こり対策のつもりでやってはなかったので、まさか肩こりが治るとは思ってもいなかったので、とんだ副産物である

万人に通用する対策ではないかもしれないが、寝起きに肩が痛いという人は、首から上の重量バランスを気にしてみても良いかもしれない。

ちなみに、腕を乗っけないようにするきっかけというのは、実はハゲ対策だった。

腕がおでこに載っていると途中でずり落ちるのか、朝目が覚めると必ずと行っていいほど前髪が綺麗に逆立っていた。

そのせいかからないが、最近鏡を見ると生え際からどんどん薄くなっていることに気づいた。

これはまずいと原因と思われるもの全てに対策を施してきたのだが、そのうちの一つがこれだった。

肩こりの苦しみから開放されてしばらく経つが、残念ながらハゲの進行は止まっていない。

ハゲには効果はなかった。

2022-12-19

htnmiki 支点力点はどこなんだ…… 2022/12/18

作用点と言った瞬間支点も必ず想定されなきゃならないと思ってる馬鹿

↓見とけよ見とけよ~

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E7%82%B9%E3%81%A8%E4%BD%9C%E7%94%A8%E7%82%B9

2022-08-09

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

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