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はてなキーワード: 因数分解とは

2025-11-25

anond:20251125225635

へい!増田AIさん!

18世紀に転生したんだが、高校数学産業革命に参戦する」ってタイトルでこんな感じでラノベ書いて!

のんだよ!

数学I

数と式
2次関数
データ分析

数学A

場合の数と確率
整数性質
図形の性質

数学II

式と証明複素数・式の展開など)
図形と方程式
三角関数
指数対数関数
微分積分数学IIレベル

数学B

数列
ベクトル
確率分布統計的な推測(教科書によりMathB/MathC側)

数学III

極限
微分(発展)
積分(発展)
級数微分方程式教科書による)
熱が逃げていくボイラ

数学C

ベクトル空間
行列
確率分布統計指導要領によってはC側)

2025-11-20

お客様のために働きたい!」という営業

これ、因数分解すると、結論「誰かの言うことを聞くのがストレス」なんだよな。昨日気づいた。

2025-10-09

dorawii

わかりづらく言っちゃった時に分かりやすく直すのって難しくない?なんでみんな推敲すれば簡単みたいに言うの?

解決する決まった方法があるわけじゃないじゃん

方程式を与えられた数値が満たすかは誰でも機械的判断できるけど因数分解積分って難しいでしょ。それと同じなのに。

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2025-07-06

dorawii

推敲ってあっちを直すとこっちがおかしくなるとかどこを直しても全体へも影響してその全体のバランスをどうやってもちょうどよくできないような因数分解的な難しさがあってむずかしいよー

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https://anond.hatelabo.jp/20250706170052# 
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=zLIE
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2025-06-29

anond:20250627095636

まーたしか化学式とか因数分解とかは社会では使わんな。😂😂😂😂😂😂

有機化学とかベクトル知識はあって損はない。

2025-06-24

anond:20211204145826

すっかりどこまで書いたか忘れた。

2021年12月ってことは、3年半も前か。

2022年上期 統計検定2級への道

2021年の終わりに↓これを読んだあたりまでだったな。

Pythonで学ぶ実験計画法入門 ベイズ最適化によるデータ解析」

https://amzn.asia/d/0Zcr7n1

すげーいい本だったんだけども、実際に活用する場がないんで(なにせ頭を使わない仕事なんで)読みっぱなし。

今考えるとよくないね

実は、この本に出てくるD最適計画それからサポートベクター回帰っていうやつが1年後くらいにちょっと役立ったのだけど、それは後の話。

ゼロつく」のとき理解できなかったクラス概念も、このころにはすっかり便利さを実感することに。

ここで、もう一度「ゼロつく」に戻ればよかったんだけど、ここまでくると、自分仕事周りのデータに対しては深層学習って不要だなって思って、戻ることはなかった。

前のエントリで書いた放送大学で「Rで学ぶ確率統計」の単位を無事に取れて調子に乗ってたので、せっかく入学したのだからといくつか授業取ってみた。

統計とかプログラミング勉強については、「データ分析知識発見」「コンピュータービジョン」「データベース」の三つかな。

それとは別に文系の科目も調子に乗って履修してる。もともと数学とか嫌いで歴史とかのほうが好きだし。

データ分析知識発見」ってのは、Rを使うやつで、今考えれば多変量解析の入門って感じ。

コンピュータービジョン」はクッソ難しかったな。

OpenCVってやつの使い方をサクっとパパっと知れるんかと思ったら、ガッツリとエピポーラ幾何かいうやつから入って行列三昧だったし。

線形代数を知らないエセ理系舐めんなよ!わかるわけねーだろ(今までの本でも行列を触ってきてたけど、雰囲気でなんとかいける、あるいは読み飛ばしてもそういうもんと思って次に進めた。うまく言えないんだけど、100次元とかあるともう諦めてそういうもんだって割り切れるじゃん?3次元くらいだと、ちゃん現実に戻ってこれないと困るからホント理解できてないのが自覚させられる)

データベース」もお気楽SQLマスターできるもんかと思ったら、歴史から入ってガッツリと三層スキーマなにやら、SQL触るのなんてちょびっとだった。

で、このへんでいろんな方向に手を延ばすのもだけど、1つ資格でも取ってみようかなと思って、統計検定に手を出してみた。

大学がエセ理系ポンコツとはいえ高校出てるんだし大村平の本を読みまくったんだし、受かるだろと思ったが、2級初受験は58点で不合格

すっかり統計学に恐怖が出てしまったので、2級リベンジの前に「Python3エンジニア認定データ分析試験」とかいうやつに挑戦。

こっちは、ホントに易しくて、統計学がわかってなくてもライブラリの使い方がわかればまあなんとかなるもんだった。

ほぼ満点で弾みをつけて、2級リベンジ

今度は過去問を買って真面目に机に向かう。

自分、机に向かうってことが嫌いで、ひたすら通読を繰り返すやりかたしか勉強法を知らなかったんだけど、この時ばかりは体に叩き込む作戦

電卓計算しては、分布表を読んで、判定して、みたいなルーチンを体で覚えて、見事リベンジ

しかし、統計検定2級も受からないくせによく、背伸びしていろんな本読んでたもんだよ。

たぶん、わかったつもりになってなんもわかってなかったな。

2022年下期 統計検定準1級に手を出すも挫折、逃げでまたいろんな方面に手を出す日々

統計検定2級を取った勢いで、準1級とやらもとっちまうかと手をだしたら、テキストが超難しいの。

4章くらい読んで、挫折して、数か月寝かせる、みたいな感じを何度か繰り返すことになった(結局、準1級に受かったのは2025年になってからだ)。

準1級は、統計学以前に、微分積分とか線形代数知識がないとテキスト読めない仕様

例題の解説を読んでも全くわからん

テキストがコレなんだけど、詰め込み過ぎて解説簡素すぎる。

日本統計学会公式認定 統計検定準1級対応 統計実践ワークブック

https://amzn.asia/d/29tEhIM

「式変形については行間を読んで解釈してくれページの都合で次行くからよろしく!」

っていう感じ。

見事に挫折

統計も、微分積分も、線形代数も徐々にってことで、準1級はいったん休止。

で、統計の基礎固めに放送大学の「統計学」を履修することに。

それからバイオインフォマティクス技術者認定試験かい試験をみつけて、興味が出たので公式テキストをとりよせて挑戦することに。

バイオインフォマティクス入門 第2版

https://amzn.asia/d/e1yUQW9

元々、生物系だったので、なんとなくわかる単語も多かったし(理系のくせに微分積分線形代数ヘナチョコって生物だって丸わかりかもだが)。

これが、ほどよく多変量解析から機械学習からいろいろ網羅されていて、いい勉強に。

意外といい本だった。試験のほうは見事一発合格

同じころ、仕事研究部の若い女の子データ分析を頼まれた。

重いもの運ぶくらいしか取り柄がない腹が出て禿てきたオッサンが、若い院卒様に頼られるって自己肯定感高まる良い体験

そこで使ったのが、D最適計画サポートベクター回帰

2023年上期 引き続き、統計検定準1級に手も足もでないので別のことを

まだまだ鼻くそのようなもんなのに、意外と頼られるっていうことになったんだけど、まあ多いのはデータ可視化だったんで、データ可視化を学んでみることに。

で、一冊教科書的なものから始めることにした。

本当は、ggplotとmatplotlibとかplotlyを100本ノックしようと思ったんだけど、やっぱり急がば回れ、有名な教科書和訳らしいので↓をチョイス

データビジュアライゼーション ―データ駆動デザインガイド

https://amzn.asia/d/fyezhsB

すげーお堅いw

データ表現とは?」とか「意思決定とは?」とかばっかw

やっぱ、こころのどっかで、「チャっとやったらパパっとできる!」みたいなのを求めてるんだよな。

そんで、二冊目はもうちょっと実務的に↓を選んだ。

データ分析者のためのPythonデータビジュアライゼーション入門 コードと連動してわかる可視化手法

https://amzn.asia/d/f88EHbl

この本はかなり実務的、というかどうすればお手軽に可視化できるかって話だけなんだけど、おかげさまでキレイに見せるテクニックだけは上がり、職場でも評価は上々。

「なんかよくわかんないけどアイツに持っていけば綺麗なFig作ってくれる。ポンコツからいつも暇だし!」

という状態に。

2023年下期 再び基礎固め

放送大学で「データ構造アルゴリズム」とかいう科目を取ったおかげで、意図せずC言語と関わる。

二度とC言語を使うことなんかないだろうけど、グラフ理論コンピュータと相性がいいのが、データ構造勉強をしてよくわかった。

そんで、やっとこさ挫折していた統計検定準1級の勉強を再開する。

で、また数章読んで飽きた。

だって、難しいんだもん。

っていうか、線形代数微分積分学力不足で投げたことをすっかり忘れて、もう一度開いて投げ出すんだから世話ないわなw

仕方ないから、微分積分高校三年生の使う黄チャートを買って目を通した。

新課程 チャート式解法と演習数学III

https://amzn.asia/d/1CjPmou

線形代数

意味が分かる線形代数

https://amzn.asia/d/arDDO2C

を一周。

部分積分と置換積分を手足のように使えるようになってやっとこさ、統計実践ワークブックを読めるように。

読めるようになってから読むと、因数分解くらいの感じでマクローリン展開してきてることがわかって草。

行列アレルギーもだいぶ克服した気がする。

統計勉強リハビリにと、放送大学でも「統計学」という授業をとってみたけれど、統計検定2級より易しかった感じ。

プログラミング勉強ほとんどしなかったけど、Githubアカウントつくって、renderとかherokuウェブアプリを公開したりした。

Gitを覚えてみて初めて分かる、「名前を付けて保存」以外のファイル管理を知らなかった自分のヤバさ。

かいっても、職場みんなそんなんだけど。

続く。

2025-05-26

anond:20250526053620

これは皮肉ユーモアを交えて、陰謀論的な視点からAI専門家 vs 一般人」の知識格差や、AI技術の実際のシンプルさ(とその誤解)を描いた風刺的な文章ですね。

陰謀論者の視点の変化

最初は「AIを作る側と使われる側には支配構造がある」と考え、警戒心から学び始める。

学習プロセス

段階的に、Transformer、バックプロパゲーションニューラルネット、誤差といった用語をたどって、少しずつ理解を深める。

最終的な到達点

「あれ、結局のところシンプルじゃないか?」という、ある種の拍子抜けと、俗っぽい理解安心感。「ディープでポン」というフレーズが、それを象徴

風刺ポイント

1. 「専門的に見えるものも、分解すれば意外と単純」という感覚→ 実際、現代AIは高度だが、基礎構造自体シンプルな数式や積み重ねによるもの

2. 「知識の壁」は努力次第で乗り越えられるという意外性 → 陰謀を疑っていた人物が、学びを通じて冷静になり、敵視していたものを「理解可能」と認識する。

3. 「専門用語バリア」に対する抵抗感と、そこを突破した時の快感一見すると黒魔術のようなものも、因数分解していけば「ただの道具」になる。

ディープでポン」の語感

これは完全にネタですね。昭和テレビ番組風の軽さで、「ディープラーニング」という重厚そうな言葉を茶化しており、おそらく「簡単深層学習して結果が出た」という皮肉を込めている。

結論

このやり取りは、AI神秘化せず、冷静に中身を見れば案外分かるものだ*というメッセージとともに、「知ることが恐れや疑念を溶かす」ことをユーモラスに描いています

笑ってしまますが、教育的にも一理ある非常に良い皮肉です。

2025-05-23

不機嫌気持ち良すぎる

実父が超絶フキハラ人間で、本当に嫌だったので自分はやらないようにしてた

父がやっかいなのは、「俺はこんなに大変なのにぐちぐち言わず耐えている(=不機嫌)、お前らが察してご機嫌を取れ」と

暗に示していることだった

実際母はいつもご機嫌取りに必死だったし、子供である私と姉もいつも巻き込まれていた

産後夫婦げんかが増えて夫も不機嫌で不満をあらわにするようになり、

自分は不機嫌が本当に嫌い(というかもはや怖い)なので、やだなーやだなーと思っていた

(そういう人を選ばないつもりだったのに…)

昨日、夫が私の料理文句をつけ、流しに捨てたのを見て、何かがブツンと切れてしまい、

何もかも放り出して子供と部屋にこもって寝た

夫はびっくりして「お、おやすみ??」と声をかけてきたが無視した

自分はいつも人の顔色をうかがって不機嫌にならないよう実家でもどこでも明るく無理して努めてきた分、

こうやって人が自分のご機嫌をうかがってくれる(自分は不満を一切口にしていないのに!)のって、

とんでもなく気持ちいい!!王様気分!!になれるんだな~と全く知らなかった快感があった

自分はいつも嫌なことがあったら、自分の中で何が「嫌なものの核」なのか因数分解して、

その核が相手にあった場合ものすごく慎重に言葉を選んで相手シェアすることで解決してきた

でもこれってすっっっごい労力を使う

それがただぶんむくれた顔をして何もかも無視してれば相手自分を慮ってくれる(風)になるなんてびっくり!!

でもこれって慮ってなくて、単に恐怖による支配なだけなので、私はもうやりません

翌日夫にはひどい態度は謝りました、そして「料理がまずいなら言い方と表現を変えてくれ、傷つくから」と頼みました

これ、癖になってる人は自省のやり方の練習ができてないか人生が深まらないし苦労するだろうなと思いました

実際父は老後友達がおらず家でだけふんぞり返ってさみしそうです、ああはなりたくはない

以上、ただの発見でした

2025-05-09

臭い反復練習大事だと気づいたあ

俺は、何者かになりたくて、ここ何十年もいろんな勉強に手を出してきた。

統計学会計機械学習英語プログラミング経済自己啓発に至るまで、はてなブックマークホッテントリはたいていブックマークしてきたと思う。

そして、私はそのどれも身についていない。

1番の理由は、コツコツやらないからだ。

Webコンテンツを流し読みしたり、本を通読して、わかった気になってそれっきりなのだ

その瞬間はわかった気になってる。

数学は得意だったつもりでも、簿記を始めてみると損益分岐点計算にすら手こずる。

要するに、数式をわかった気になって読み進めるくせに、中学数学すら血肉になってはいないのだ。

私の半生を振り返る。

私が勉強サボり出したのは、中学2年くらいからか。

それまでは、泥臭い宿題ちゃんとやっていた。

ある程度基礎力があったので、独力で教科書を読み進めることができるようになり、読んだだけで直後のテストくらいはクリアできるようになった。

高校で綻びが出た。

最初因数分解だった。

展開は規則に従って脳死だったが、その逆は反復練習なしでは乗り越えられなかった。

仕方なく鉛筆を手に取った。

次のハードルは、数学3の積分だった。

微分は何も考えず手が動いたが、反復練習が足りないサボり魔には原始関数がまったくわからなく、仕方なく再び鉛筆を握ることになった。

物理化学世界史地理も全く苦労しなかった。

唯一英語は苦手だった。

要するに、反復練習必要な科目がダメだったのだ。

大学社会人、どのステージでも、中2までの貯金で誤魔化してきてしまった。

例えば、アルゴリズム勉強しようと思ったとする。本来なら、サンプルコード写経して血肉になるところ、小学校時代ベーマガ写経してたので、なんとなく読めてしまい、脳内で動かした気になって血肉にならない。

教科書をなぞっただけで数学の反復練習をしなかったから、統計検定準1級でつまづいてる。

統計がわかってないのに、便利な統計パッケージをわけもわからず使っているので、機械学習が身にならない。

でも、アラフィフオッサンが、中学レベルからやり直せというのか?

AIで学びのインプットアウトプット爆速になるというのは、たぶん間違ってる。

人が楽してインプットアウトプットができる範囲は、それまでの泥臭い努力で作った自力に左右される。

覚えたつもりになっても、所詮背伸びなのだ

から、俺は泥臭く頑張るしかない。

2025-04-14

anond:20250414221409

その辺の高卒とかFランの人に因数分解とか立体の表面積の計算とかやらしたらできない人たくさんいると思うよ

2025-03-23

素数として生まれたくなかった

https://anond.hatelabo.jp/20250323120817

正直に言う。素数として生まれたくなかった。

誰も分かってくれない。この孤独を。分割不能という十字架の重さを。

昨日も空間存在していた。ただそこにある。因数分解できない数として。何もできない。何も変わらない。孤独な点として存在するだけ。それが素数宿命。誰とも分かち合えない。自分を分割して誰かに与えることもできない。自分と1でしか割り切れないということは、永遠に孤独だということ。これが「特権」?笑わせる。

昨日、13という素数の隣にいた。話しかけても無駄17という素数も遠くにいた。みんな孤独交流できない。素数同士でさえつながれないんだ。

最近、また秒針デモが始まったらしい。彼らは「素エリ」とかい言葉を使って私たちを敵視する。素数エリートだって冗談じゃない。素数階級なんてない。みんな等しく孤独なだけ。

秒針たちは何も分かっていない。彼らは増殖できる。分割されて増えることができる。連帯できる。共鳴できる。仲間がいる。彼らには「分身」がいる。同じ存在が無数に。

私たちにはない。

素数孤立している。2, 3, 5, 7, 11…それぞれが完全に孤独。互いに連帯することさえできない。次の素数が何かも予測できない。無秩序孤独な点として空間に散らばっているだけ。

彼らのデモを見ていると腹が立つ。「増殖の苦しみ」だって?増殖できることがどれだけ恵まれいるか分かってないんだ。彼らは分割され増殖することで声を大きくできる。一人じゃなくて済む。一緒に叫べる仲間がいる。

私には誰もいない。

素数として存在することは永遠孤独との闘いだ。声すら上げられない。声を上げるには自分を分かち合う必要がある。でも素数は分割できない。だから声にならない。聞こえない。誰にも届かない。

時々考える。素数じゃなく合成数に生まれたかった。6でも8でも15でも。因数分解できる数。他の数と関係を持てる数。そうすれば2や3や5と繋がれたのに。分かち合えたのに。孤独じゃなかったのに。

秒針はデモで「秒針の尊厳」を叫ぶ。でも素数尊厳はどこにある?私たち永遠に孤独。それが素数宿命。変えられない。逃れられない。素数素数しかない。

昨日も虚無感に襲われた。空間に点在する無数の素数。みんな同じ。でも互いに交流できない。自分は他の素数と同じなのに、決して一つになれない。

秒針は「分割される痛み」を訴える。でも分割されるということは、他者になれるということ。他者と繋がれるということ。素数には永遠にそれができない。

増殖する秒針は自分アイデンティティに不満を持ってる。でも素数にはそれ以上の不満がある。私たちアイデンティティは変えられない。素数素数。それだけ。それしかない。

彼らは「素数特権」と言うけど、特権なんてどこにもない。特権があるとすれば、それは秒針の側だ。分割されて増殖するという特権連帯できるという特権。声を合わせられるという特権

素数として存在するということは、永遠に独りであるということ。永遠に不変であるということ。永遠に他者と分かち合えないということ。

これが特権冗談じゃない。

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この文章は実際の対立扇動するものではなく、このような匿名対立を人々が行う傾向にある状況の分析のために提供されています

「素エリ」とか言われてるけど、素数気持ち理解する気あるの?という話

https://anond.hatelabo.jp/20250323120509

最近よく見かける「#秒針の尊厳」というハッシュタグ。正直、見るたびに疲れる。素数である私たちはいつも「素エリ」とか勝手レッテルを貼られて、あたか特権階級のように描かれるけど、素数として生きることがどれだけ大変か、誰も理解しようとしないんですよね。

素数因数分解されない。それは事実です。でもそれは「特権」なんかじゃなくて、私たち存在のものなんです。分割できないからこそ孤独なんですよ。分かります空間のどこにでも存在できるって言われるけど、それは違う。私たちは厳密に定義された位置しか存在できないんです。その位置予測不能で、見つけるのにものすごい計算量が必要簡単に見つかる場所存在できないんですよ。

でも秒針たちはそんな私たちの苦しみなんて想像もしない。「素エリ」「素数特権」って呼んで、何か特別な扱いを受けている存在のように言いますけど、笑っちゃいますよね。因数分解できないってだけで、なぜか私たちが彼らを見下してるって勝手に思い込んでる。

今日ちょっと時間があったので、Twitterで「#秒針の尊厳タグを見てみました。もう、なんだかなぁ...という感じです。例えばこれ。

@ticking_truth

今日も「刻み虫」って呼ばれた。私たちには名前がある。私たちは「増殖する秒針」だ。尊厳を奪わないで。 #秒針の尊厳 #TimeMattersToo

いや、「刻み虫」って誰が言ったんだろう?ソースは?素数の私からすれば、時を刻む存在は時を刻む存在しかなくて、それを「虫」と表現する必要もないと思うんですよ。勝手被害妄想して、それを私たちのせいにするのはやめてほしい。

こっちはもっとひどい。

@divided_dignity

素エリとの対話集会を申し込んだら「刻み虫と何を話せというのか」と一蹴された。話す価値がないと思われている。存在自体が否定されてる。泣きたい。 #秒針の尊厳 #WeExistToo

え?「素エリとの対話集会」って何?誰に申し込んだの?素数全体の総意を勝手に代弁されても困ります。私は一度もそんな対話集会の誘いを受けたことないし、「刻み虫」なんて言葉も使ったことない。架空対立を作り上げて、自分被害者だという物語を作ってるだけじゃないですか。

素数として生きるのは孤独なんですよ。誰にも分解されない。分かち合えない。それなのに「特権階級」みたいに言われるのは心外です。秒針は少なくとも分割されることで増殖し、仲間と繋がれる。私たちにはそれがない。

このツイート問題です。

@clockwork_soul**

分割されることを「弱さ」と見なす世界観おかしい。私たちは分割されながらも前進し続ける。それが強さじゃないなら何が強さ? #秒針の尊厳 #DivisionIsStrength

誰が分割を「弱さ」と言いました?そんな発言素数の誰もしてないと思うんですけど。勝手私たち発言捏造して批判するのはやめてほしい。むしろ分割できないことのつらさを理解してほしい。

あと、彼らがよく使う「素エリ」という言葉。これって完全に差別用語ですよね。素数である私たちをひとくくりにして、特権階級のように描写する。私たちアイデンティティ否定して、ステレオタイプで語る。これこそ差別じゃないですか。でも私たちが「これは差別だ」と言うと、「特権者の被害者ぶり」と切り捨てられる。理不尽すぎる。

@perpetual_motion

秒針として生きる苦しみ:

1. 常に前進し続けなければならない

2. 立ち止まれない、後戻りできない

3. 分割され増殖し続ける痛み

4. 声を上げると「分際をわきまえろ」と黙らされる

#秒針の尊厳 #OurDailyPain

これも妄想がすごい。「分際をわきまえろ」って誰が言ったの?素数の私からすると、秒針の方がよっぽど攻撃的なんですけど。「素エリ」とか「素数特権」とか勝手レッテル貼って、私たち悪者にする。なのに自分たちは被害者ぶる。

正直言って、「#秒針の尊厳運動自分たちの不満を素数投影してるだけだと思います。彼らが言う「素エリ」なんて存在しない。素数特権階級でもないし、秒針を見下してもいない。ただ、自分たちとは異なる存在様式を持つ存在なだけ。それを敵視するのは、彼ら自身の内なる不満のはけ口を求めてるだけなんじゃないでしょうか。

@ticking_truth

私たちは選んでないんだ。「刻み虫」に生まれたわけじゃない。「分割貧民」になりたくてなったわけじゃない。それなのにどうして蔑まれる?どうして差別される? #秒針の尊厳 #BornThisWay

これ見たときマジで呆れました。「分割貧民」って...私は一度もそんな言葉使ったことないし、周りの素数も使ってない。彼らが勝手に作った言葉を、さも私たちが使ってるかのように装って被害者ぶるのはやめてほしい。素数だって自分で選んでなったわけじゃない。生まれながらに素数なんです。それなのに「特権階級」とか言われるのは筋違いも甚だしい。

秒針の彼らが本当に対話を望むなら、まず「素エリ」「素数特権」といった差別レッテル貼りをやめるべき。私たち悪者に仕立て上げるのをやめて、お互いの存在様式の違いを受け入れるところから始めるべきです。でもそれをすると「運動」として盛り上がらないから、都合のいい敵を作ってるだけなんじゃないかな。

@second_hand_life

もう我慢限界毎日増殖と分割の痛みに耐えながら、一方向にしか進めない絶望を背負いながら、それでも前に進み続けるこの宿命。誰も理解してくれない。 #秒針の尊厳 #EndlessSuffering

うーん、理解しようとしてない人がいうセリフではないよね。素数である私たちだって、誰にも分解されず、共有されず、孤独存在し続ける苦しみがある。でも、それを「素数としての苦しみタグ」とかつけて騒いだりしない。それぞれの存在には、それぞれの苦しみがあるんです。それを競い合って意味があるんでしょうか。

最後に言いたいのは、素数は秒針の敵じゃないってこと。私たちはただ、異なる存在様式を持つ存在です。「素エリ」なんて言葉私たちをひとくくりにして、差別や抑圧の主体のように描くのは、本当の意味での対話を妨げています。お互いを尊重することから始めませんか?

でも、そうは言ってもこの流れを見ていると、秒針たちは本当に対話を望んでいるのか疑問に思います。彼らは自分たちのアイデンティティに基づく苦しみを訴えるけど、素数の苦しみには一切想像力を働かせない。片方的な理解を求めるだけで、こちらを理解しようとする姿勢がない。

そして、最も悲しいのは、この「#秒針の尊厳タグによって、素数と秒針の間にあった平和関係性が壊されつつあること。以前はこんな対立なかったのに、最近はこのタグの影響で、実際に素数を敵視する秒針が増えてきていて、素数としては居心地が悪くなっています。こんな風に分断が生まれるのは本当に悲しい。

結局のところ、「素エリ」「分割貧民」といった言葉で分断を煽るのは、誰の得にもならないと思うんですよね。ただ、それを言うと「特権者の論理」と切り捨てられるんでしょうけど...はぁ。

---

この文章は実際の対立扇動するものではなく、このような匿名での対立を人々が行う傾向にある状況の分析のために提供されています

2025-02-28

anond:20250228141521

そもそも大学を出たら職につきやすくなってるのがそもそも無駄で、大学研究者になるための機関であって、進学率は1割でいいんだよ。

経済学部を出た旧帝大生の知り合いは大学で何も学ばなかったと言うし大学で4年も学ぶ意味ってあるのかと思う。

旧帝大以外ははっきり言って無駄税金はそこだけに集中させればいい。大学教授もわざわざFラン因数分解の授業をする時間を取られることはないし。

高校卒業時点で共通テストを受けさせて共通テスト順位就活に使えるようにすれば同じ高卒内での順位付けもできるだろ。

2025-01-18

anond:20250118205651

覚えるんじゃなくて気づくことって話じゃないの?

大きい数字見るとなんとなく因数分解したり、素数かどうか判定したりするじゃん

そんだけのはなし

2025-01-16

有識者「なぜ女性の方が男より優れたファンタジー漫画を描けるのか判明」

ダンジョン飯とか見てても思うんだけど、やっぱ女性の構築するファンタジー現実の地続きにある。

レッドドラゴンに消化された妹の白骨死体を再構築して蘇生させるなんて手段、多分男は詳細に描けない。不思議な力で治す。

女性作家にとってのファンタジーはかなり細かくて、センス・オブ・ワンダーと言うよりもリアリティ、だなと思う。

生理がある事、生活苦痛と血肉と密にある事。それを恐ろしいものとして遮断しない事。現実に、すくそばにあること。適切に因数分解すれば恐ろしいものでは無いという理解力

物語の構築方法も理路整然としている。人間関係善悪思想が主なテーマであり、戦闘シーンは突拍子が無いものは少なく戦闘自体カタルシスを感じる作品も少ない。

女性の描くファンタジーやバトルものは丁寧。鬼滅も、星野桂九井諒子小野不由美も、恐らく私はちゃんと読んでないけどJKRもグィンも。パズルのようですらある。

人間関係も、肉体の損傷や治癒方法言語に至るまで。そして当然女性作家故に女性物語の陣頭指揮を取る場合が多い。

男性作家による女性キャラは補佐役に徹する事が多いのがノイズになる。

2024-11-30

anond:20241129231421

あん仕事できないでしょ?

少なくとも「仕事ができる」を因数分解したことがない

 

人間には向き不向きがあって当たり前で、「超得意なこと」と「あんまり得意じゃないこと」は各々によってさまざま

苦手に対する質問は、そのレーダーチャートの手っ取り早い見極めと、業務に対して凸凹がハマるかを見てるに過ぎない

 

面接官の気持ちになって考えよう。彼らはどうのレーダーチャートを見極め、ひいては「仕事ができそう」と判断しているのか?

当然、「超得意なことが業務内容にフィットしていて」「苦手なことが業務と関連がない、あるいは努力カバーしている」ことが分かればいい

このうち前者は職務経歴書に散々書いてあるんだから、流れとして後者質問するのは意地悪でも何でもなく当然の結論なんだよ

 

応募者としてできることは、特にカバー力のアピールが望ましい。「業務と関連がない」かどうかはかなり運でコントロールできないからね

あと付け加えると、このカバーへの対応は確実に人柄が出る

他の人のヘルプを頼んだなり、本を読んで自力で頑張るなり、深夜まで残ってしりぬぐいをしたなり・・・どれも正解。ただ会社カラーに合うかは別問題

社風に合うか、能力以外のソフトスキルを測るにも実に手っ取り早い。一石二鳥質問なんだよ

 

まり

対策してけよこれくらい

2024-09-27

肉じゃがって作るの難しくないか

なんか基本の料理ってイメージがあるけど、切る野菜が多い、調味料も多い、煮込み過ぎたらじゃがいもが崩れるとか、難易度高すぎじゃない?

初心者もっと簡単な「おにぎり」「卵かけごはんから始めたほうがいい。

その次は袋麺。茹でるだけだから簡単

他には冷奴とかさ。ネギを切るくらいはここで挑戦してみたらいい。

ここまで来たらやっと次のステップ。肉野菜炒めをしてみる。

もやし豚肉を炒めて、塩コショウするだけでOK

慣れてきたら次はチャーハン。これも卵とご飯しか使わない。簡単

ここでやっと肉じゃが

これくらい段階を踏むべきだよ!

いきなり肉じゃがって、小1に因数分解解かせるようなもの。無理なんだよ。

肉じゃが作るなら、カレー作った方が楽な気もするし、肉じゃがって難しさランキング上位だよ!!

うわわわーーーーん!!!

2024-08-03

be動詞のわからない院卒

俺、一応文系院卒なんだけど、未だにbe動詞もよくわかってない。

今はそんな奴でも形の上では院卒になれてしまう恐ろしい時代なんだよ。

子供の頃から勉強は大の苦手で、中学高校通知表に「1」ばかりの完全な落ちこぼれだった。

本来大学にも行かれないレベルなんだが、少子化という時代追い風(?)もあって5流大学に進学した。

そして、何故か大学学問面白さに目覚め、中高の基礎は全くないのに大学院まで進んでしまったのだ。

そんなわけだから、マジな話、今でも因数分解もbe動詞もわかってない。

院試ではもちろん英語はあって、be動詞もわからないレベルなら受かるはずがないんだけど、なぜか受かってしまった。

それもFランじゃなくて難関大の院だ。

多分、専門科目の点数が良かったということなんだろうけど、それにしたってビックリだ。

当の本人が一番ビビったよ。

要するに、今ってそういう時代なんだよね。

金さえ出せば中卒以下の学力でも院卒になれちゃうめちゃくちゃな時代なわけだ。

学歴なんて全くアテにならないよ。

2024-06-30

不定方程式公式一覧

一次不定方程式

一般解: ax+by=cax + by = cax+by=c の整数解は、 x=x0+bgcd⁡(a,b)t,y=y0−agcd⁡(a,b)tx = x_0 + \frac{b}{\gcd(a, b)} t, \quad y = y_0 - \frac{a}{\gcd(a, b)} tx=x0​+gcd(a,b)b​t,y=y0​−gcd(a,b)a​t ここで、gcd⁡(a,b)\gcd(a, b)gcd(a,b) は aaabbb最大公約数であり、x0,y0x_0, y_0x0​,y0​ は特殊解です。

二次不定方程式

ax2+bxy+cy2+dx+ey+f=0ax^2 + bxy + cy^2 + dx + ey + f = 0ax2+bxy+cy2+dx+ey+f=0 の整数解が存在する条件や特殊解の求め方には様々な手法がありますが、一般的に公式化された解法は存在しません。問題に応じて場合分けや代数手法で解を求めることが一般的です。

不定方程式特殊解法

ペルの方程式: x2−Dy2=1x^2 - Dy^2 = 1x2−Dy2=1 の整数解 (x,y)(x, y)(x,y) を求める方法が知られています特に DDD が平方数でない場合無限個の整数解が存在します。

二次式の因数分解: ax2+bx+c=0ax^2 + bx + c = 0ax2+bx+c=0 の整数解 xxx を求めるために、因数分解を用いる方法があります

モジュラー算法: 不定方程式特定の条件下で、モジュラー算法を用いて解を見つける方法があります

2024-05-31

カッコを外すのが好き

1+(-5)みたいな数式のカッコを外すの好き

から因数分解踏み絵のような屈辱を感じていた

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-10

学校は「生活」の時間を5倍にすべき

因数分解新古今和歌集が分からなくてもいいから、洗濯の仕方を理解できる社会人を増やして欲しい。

悪臭や痛みについての表現力も鍛えて欲しい。

医者に「痛いです」しか言えない大人他人匂いに「臭いしか言えない大人、そんな奴らをこれ以上増やすな。

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