はてなキーワード: 相談とは
日本の政党政治において、看過できない「空白地帯」が広がっている。それは、外交や安全保障といった国論を二分しがちな領域には深入りせず、福祉、反差別、セーフティネットの強化、そして再分配と減税といった国民生活に直結する課題のみに特化した、「穏健左派」の不在である。いわば「まともな左翼」のニッチが、今の日本にはぽっかりと空いているのだ。
既存の野党を見渡せば、その機能不全は明らかである。 日本共産党が一定の底堅さを維持しているのは、地域レベルでの生活相談や福祉活動といった地道な実績があるからだとされる。しかし、いざ有権者が純粋な「福祉政策」への期待から一票を投じようとすれば、そこには不可分なセットとして強固な独自のイデオロギーが付随してくる。これが支持拡大の天井となっていることは否めない。 また、れいわ新選組などは威勢こそいいものの、実効性を伴う政策集団というよりは、パフォーマンス先行の感が強く、広範な信頼を勝ち得るには至っていない。
最大野党である立憲民主党の迷走はさらに深刻だ。本来であれば、生活に困窮する層や「穏健左派」の受け皿となるべき存在だが、あろうことか、経済政策においては「緊縮・増税」を志向する奇妙な立ち位置にあり、生活防衛を求める国民にとって最も頼りにならない存在と化しているのが実情だ。
今求められているのは、国民民主党のように自党の「売り」や政策的強みを明確にした、機能的な中規模政党の在り方ではないか。 外交・安保は現実路線を維持しつつ、内政においては徹底して「弱者の権利」や「家計支援」に注力する。そのような等身大の選択肢が、あといくつか存在してもよいはずだ。
その実現のためには、機能不全に陥っている立憲民主党の支持層を切り崩し、解体的な再編を経て新たな旗を立てることも辞さない覚悟が必要だろう。 イデオロギー闘争ではなく、実利ある生活支援を掲げる「まともな選択肢」が提示されれば、野党支持層のみならず、現状の自民党政治に消極的な支持を与えている保守層の一部さえも、新たな受け皿として取り込める可能性は十分にある。政界再編の鍵は、この「空白地帯」を埋めることにあるのではないか。
子どもに言うことを聞かせるための(これも思い返せば躾の一環というより母の我儘を通すためのものだった)、例えば説得する能力だとか論理的に説明する能力が足りなかった。
そして口で子どもを言いくるめられないとわかった母は、殴る蹴る・飯抜き・怒鳴る・大切なものを壊すという手段を選び、幼少期の俺にはそれらの効果がテキメンなことを理解しそれを繰り返すようになった。
また母は生来コンプレックスが強く、いつも誰かの学歴や若さや自由であることをひがんでいた。そして同時に(守られる立場の)"子どもであること"にさえ嫉妬していた。
俺を自分のコンプレックスを代わりに晴らしてくれる操り人形にしようとしたし、俺が"子どもであること"にムカついたときは憂さを晴らせるサンドバッグにしようとした。
疲れた顔を見せると「自分がやるって言ったじゃん」とお決まりの文句を言う。
たしかに「やるよね?」とは聞かれて、「やる」と答えた。
そう言わないと、殴られたり蹴られたり「あんたのことを思っているのに! 恩知らず!」とヒステリックに怒鳴られる。
(どうしても嫌でずっと「やる」とは言わなかった時があった。母は自分の思い通りになるまで夕飯終わりから深夜にかけて、そして夜が明けてもずっと怒鳴っていた。眠そうな素振りを見せると殴られ起こされた)
こんなこともあった。
(俺が使っている)毛布を買い替えた方が良いと思って。
もう汚いでしょあれ。
新しいの選んで。
そう言った。
俺は嫌で、黙っていた。
母が汚いと言った毛布はあの頃の俺にとっては"あんしん毛布"で、家庭にも心休まる場所のない俺の精神にとってすごく大事なものだった。
それを替えたくなくて選ばずにいると、母はもういい!と怒って早歩きで駐車場へと向かっていった。
慌てて追いかけると、車が無い。
ここまで連れてこられた車が無い。
そのうちに店員さんに保護され1時間ほど経って母が帰ってきた。
にこやかに店員さんに「〇〇くん〜! 良かったー! はぐれちゃって心配したんだよ! 本当にありがとうございます!」と挨拶をし(外面だけはほんとに良かった。少し成長した後、周りの人間に毒母について相談しても信じてもらえず「甘え」認定されて終わった)、もう一度毛布売場に俺を連れて行った。
「毛布選んで。選ばないと今日から寒い寒いだよ。汚い毛布はもう捨てたから」
やるせなさにいっぱいいっぱいになった俺を『してやったり』という微笑で見る母の顔を今でも覚えている。
心はずっとぐちゃぐちゃだった。
(今は、少年期でも鬱病はあるという認知が広がっているらしいが、この頃[20年前]は少年期の鬱病はおろか精神疾患に対する偏見が今よりもっと酷かった)
母は一貫性が無い。
思いつきで俺を様々な方向へ行かせようとして、そしてそれに従わないと大人と子どもの差を利用して心をめためたに潰してくる。
そして、たまに甘やかすのだ。
「母は愛してくれていて、期待に応えられない自分が悪い」って感情と、
「この苦しみの元凶はこの女である」という本能という相対するものが頭の中を絶えずぐるぐると回っていてこの時期が人生の中で一番辛かった。
なんとか死なず(死ねずに。自死は何度か考えたが、怖かった。怖すぎた)に中学、高校と俺が成長していくにつれて、大人と子どもの差を利用できなくなっていった。
殴る蹴るは成長した男の身体には効かず、飯抜きもどうにかできるようになり、大切なものもあらかじめ隠しておくようになった。
またこの頃からインターネットやそもそも俺の移動範囲が増えて図書館等から毒親(まだこの名称は一般的では無かったと思う)や虐待に関する知識を得られて、前述の「この苦しみの元凶はこの女である」という本能に確信を持ち始めていて、母に抗うようになっていった。
(言い返せるようになったからといって平気になったわけではなく、言い返すたびにエネルギーの消耗は激しかったし、なにより虚しくひたすら悲しかった)
母はおそらく焦った。
そしてやはりそれを受け入れる資質が無かった。
高校3年生の冬、相変わらず母は毎日俺を"矯正"しようと怒鳴ったが(子の受験期よりコントロールを取り戻すのが大事なようだった)、俺はいっぱいいっぱいになりながら勉強を重ね、センター試験ではまあまあの結果を残し、県外の国公立大なら進学できるかもしれなかった。
だが(授業料等は自分でなんとかするにしても)、どうしても県外まで受験しにいくお金が無かった。
俺はここまで母への憎しみばかり記してきたが、この頃はまだどこかで『親は子を愛しているものだ』という偏見を抱いていた。
また高卒の母の息子が国公立大学に行くというのは、母のコンプレックスを代償として晴らすという点で目的が合致しているように思われた。
だから、金の無心をしに勇気を持って話し、そこで出願書類をビリビリに破かれた。
真っ赤な顔をしてボロボロと涙をこぼしながらわめいていた。
全然言うことを聞かないで。生意気言って。親の言う通りにしないで。
都合の良い時だけ頼るな。
もう良い。
働け。働いて今までお前にかけた金を返せ。
そう言った。
子どもがおままごとかなにかをしていて、最初は楽しぬ遊んでいたんだけれど思い通りにいかなくなったとたん、どうでもよくなってすべてめちゃくちゃにするようなことがあるけど、それを実の子の人生でやったのだ。
そうして少し落ち着いたあと、おそらく急に『人(子)の人生を壊した』ことに怖くなったのか「お前の人生だからな」と俺を突き放した。
上の記事のコメントで『体験を書いてみたら』というものがあった。
自分の境遇を省みる過程の中でネットにあまり虐待体験期は転がっていない(女性のものは時たま見かけるが、男のものはほんとに見ない。まるで存在していないかのように)のが気になった。
だからここに記してみる。
"同じような境遇の人がいるんだな"程度でも役立ってくれたらいいな。
他人を130日間虐待するという行為を実際に行っておきながら、解放後に特殊な詐術を用いて「最悪なことはなかった」と思い込ませる手段は、犯罪社会学や犯罪心理学において、極めて悪質な心理的支配と操作として分析されます。
これは、被害者が受けた深刻な被害を否定させ、加害者への依存や沈黙を強いるための戦略的な行動です。
1. 心理的支配と操作(Psychological Manipulation and Control)
ガスライティング(Gaslighting):
被害者に「自分の記憶や認識が間違っている」「自分がおかしい」と思わせることで、被害者の現実感を操作し、精神的に追い詰める手法です。加害者は、被害者の正気を疑わせ、自己認識を破壊しようとします。「最悪なことはなかったと思い込ませる」行為は、ガスライティングの典型例です。
長期間(130日間)にわたる隔離や虐待(物理的・精神的)は、被害者の正常な判断力を奪い、加害者への依存心を植え付けるための洗脳プロセスとして機能します。解放後の「詐術」は、この洗脳を維持・強化する目的で行われます。
操作性・欺瞞性(Manipulativeness and Deceitfulness):
これは、サイコパシーなどの反社会的な人格特性を持つ犯罪者の特徴です。彼らは良心の呵責がなく、平気で嘘をつき、他人を自分の利益のために利用・操作しようとします。
長期間の虐待は、被害者に深刻な心的外傷(トラウマ)を与えます。解放後の詐術は、この混乱に乗じて行われます。被害者は、ストレスや恐怖により記憶が混乱したり、加害者への依存(ストックホルム症候群など)が生じたりすることで、詐術にかかりやすくなります。
加害者側は、被害者が知り得ない情報や、社会復帰への不安などを利用して、自分に有利な状況を作り出します。
もしこの行為に複数の者が関与している場合、組織的な犯罪として分析されます。被害者の口封じや証拠隠滅を目的とした、計画的な行動です。
二次被害の創出:
虐待後の心理的支配は、被害者が警察や支援機関に被害を相談するのを妨げ、結果として被害者を社会的に孤立させ、更なる被害(二次被害)を生み出します。
まとめ
この現象は、**「ガスライティングや洗脳を伴う、極めて悪質な心理的支配」**として分析されます。加害者は、被害者の精神的な弱体化を狙い、真実を隠蔽し、自らの刑事責任を回避しようと企んでいます。これは、被害者の回復を著しく阻害する深刻な犯罪行為です。
学生の卒業制作としては一定以上のクオリティがあるのは認めるけど、それ以上でも以下でもない(空集合)気がする。37点。
ちなみに「くぐつ」ではなく「かいらい」と読みますがたぶん意味はない。
大学生が監督脚本をやっているらしいが、それを感じさせないクオリティはある。あぁ音響だけは大問題だったな。妙にガビガビしてて大事なセリフが聞き取りづらいことが多くてもったいなかった。カメラの性能は素人の機材でもどんどん上がってるけどマイクの方はそうでもないんかもしれん。こういうところ大事よ。
話としては。
彼女が川に謎の転落死して数年後、村で記者になった主人公は事件の取材のために村に帰る。しかし彼女の遺族は容疑者と一緒に住んでいたばかりか、ベタベタに依存していた。主人公は怒るも受け入れられず、いろいろあって容疑者を殺害。したと思ったら復活。お前、タイムリープしてね→してません。最終的に彼女の死の真相を知った主人公はなんかよくわからん間にたぶん死んだのでした。おわり。
何書いてるかわからんと思うんだけど何やってるかよくわからん映画なのでしゃーない。
作品としては意図的にループ構造が構築されている。特に被害者遺族と飯を食うシーンでは遺族は4回全く同じセリフのやり取りが繰り返されるが食卓に着く人間の組み合わせが毎回変わる。遺族+容疑者+主人公→遺族+主人公→遺族→遺族+容疑者。しかもやたらと過去の回想が入るので、これはいったいいつの話なのかがよくわからなくなってくる。
2日目の遺族+主人公になるタイミングの前夜に主人公は容疑者を殺害し、3日目の前に容疑者の死を知った遺族から「お前は容疑者の代わりにはなれない」と拒絶され主人公は遺族の家を追い出される。しょんぼりしてると殺害したはずの容疑者が現れ主人公を連れて家に帰ると、遺族は何事もなかったかのように受け入れる。
しかし、その後主人公が1日目~2日目の痕跡を発見するシークエンスが挟まり、ループしているわけではないということが示される。
また河原で遺体が発見される全く同じシーンが3回挿入される。これは全く同じシーン、全く同じ映像である。1つは彼女が死んだとき、2つ目は主人公が容疑者を殺害したと思われるとき、3つ目は主人公が容疑者に殺害されたと思われるとき。思われるときというのは具体的な死亡シーンは彼女が死んだとき以外は一切映されないからだ。なので、本当は2つ目で主人公は死んでいてその後は死後の世界の可能性もある。だとしたら後の展開が意味不明すぎるんだけど。
あと、タイトルの傀儡にあわせて実はこの容疑者が人心掌握術にたけためっちゃ悪い奴で遺族を操っていたのだった!みたいな話か?と思って見てても別にそんな感じもない。単に彼女が死んだ後のマスコミ攻勢から献身的に遺族を守ったことで信頼されているということっぽいし、最終的に明らかになる真実では彼女を守ろうとしていたであろうことも明かされる。なんかボソボソボソボソ観念的な意味深トークばっかするから逆に薄っぺらそうだなぁとは思うけども。
遺族もそうだけどなんかもうアート映画らしくフワフワフワフワしたテーマはあるけど益体もないセリフばっかり喋りやがる。
こんな感じで観客は主人公が感じているものと同じと思われる混乱、混沌を一緒に味わうことになる。
そう考えるとやっぱよくない作りだと思う。
ペナルティループでも書いたけど、わからせたくないのかわからせたいのかがよくわかんねーのよ。
前述したけどめちゃくちゃ回想シーンが挟まる。
それもほとんどが主人公のものではなく容疑者のもの、もしくは彼女のものである。
容疑者が村に来て彼女と出会ったのはいつなのか、容疑者は遺族にどうやって取り入ったのか、容疑者の幼少期の歪んだ思い出、彼女の学校での思い出、彼女の死の真相。
でもこの映画自体がずーっとフワフワしてて、この容疑者自体も実態感がないし何なら死んだのに復活してるし、現実に何が起きてるかもわかってないのにそこに改装を挟まれても困っちゃうのよ。観客は主人公と一緒に永遠に混乱してるんだから。この提示されている過去回想は実際にあったことなの?それともなんかよくわからんファンタジーシーンなの?ってなっちゃうでしょ。
よしんば、主人公と容疑者のダブル主人公だとしても、だったらどっちも知りようのない彼女の幼少期の思い出や彼女の死の真相に至るまでのシーンが回想で入るのはわけわからん。ちなみにサラっと書いとくと彼女は主人公の子供を妊娠しててそのことを容疑者に相談、堕胎するためにいろいろあって父親に突き飛ばされて事故的に落下。容疑者はその場で父親を突き落として殺害したのだった。急に父親の死が生えてきて草だし、容疑者やっぱり犯人で草。
いやもろちん、彼女と父親が水死体(実際には落下死で頭パックリ割れてたら水死のわけなくてこれも草)で発見された事件を調べるために村に帰ったってのは冒頭のシークエンスで示されてるのので急に生えてきたわけじゃないんだけど、村では父親の話3秒くらいしかしてないからね。すっかり忘れてたから急に生えてきてびっくりしたわ。
何にせよ、父親がどうやって彼女を殺したかは二人とも知らないはずだからこの回想も本当かウソかは不明。
堕胎する話もよくわかんねぇし。前もって主人公が村を出て行きたがってたって話があるなら、こいつは外に行く人、私は残る人、だから産めないでわかるけど、中田氏ックスするくらいに好きな相手だったら普通に相談したらいいだろ。
現実感がないように観客が立つべき土台をあえてあやふやに作っているにもかかわらず、その上に回想で設定を積み重ねようというのは俺は手法としては間違っているは言い過ぎとしてもうまくいってはないと思う。土台がしっかりしているうえでその凸凹に回想をはめ込むから世界がより強固になるわけでさ。
どんだけ考えても2回目の水死体発見のシーンと容疑者が死んで取り乱しまくる遺族のシーンがある以上、それ以降の復活後の展開にはつながらないのでたぶんこの話はそこの整合性は元から取れてないんだなって考えざるを得ないし、そこがもう整合性取る気ないんだったら回想とかも「なんかいい感じに並べときました」みたいな感じかもな知らんけどどうでもいいしってなっちゃう。
体温と痛みが現実を構成していて未解決事件に巻き込まれマスコミに執拗に追い回された遺族のそばで体温と痛みを共有してきた容疑者は遺族の中で強い現実感を持ち、逆に外に出て記者になってしまった主人公には体温が伝わらないから遺族にとっては現実ではない。現実というのはそれくらいあやふやで寄る辺なきものなのですよという話なんだろうなとは思ったけど、だとしても作品まで寄る辺がなかったらどうしようもない。
具体的な窓口は以下の通りです。
全国共通の電話番号で、奈良県警の相談窓口につながります。「#9110」番を利用できます。
警察本部や各警察署に「ナポくん相談コーナー(総合相談)」が設置されており、専任の相談員が対応しています。電話番号は 0742-23-1108 です。
意見・要望・情報提供用メールフォーム:奈良県警のウェブサイトに設置されています。
警察職員の職務執行に関する苦情はこちらの専用フォームから送信できます。
奈良県警を管轄する近畿管区警察局に対しても意見を伝えることができます。
これらの公式な窓口を利用することで、奈良県警察に対して具体的な意見や改善要望を伝えることができます。
なお、安倍元首相銃撃事件の際には、奈良県警本部長が警護上の問題があったことを否定できないと会見で述べるなど、警護体制に関する問題が指摘された事例もあります。また、過去には警察官の発砲事件など、様々な事案が報道されています。
一つだけだと嘘つかれがちなので、複数(ChatGPT、Gemini、Grok、その他)に聞くようにしてる
個人的にはGrokがフランクに接してくれるから好きかな(イーロンマスクは好きじゃないけど)
ChatGPTが1番真面目な感じ
Geminiは3になって格段に性能が上がったので、これを一番に信頼してる
もうAIなしじゃ生きられない
この間はマチアプで会った女の子とうまく行く方法や、メッセージ内容などを相談した
的確なアドバイスで、言われるがままにやったら、みごと撃沈
41歳のこどおじだが、母との関係が面倒になってきている。
別に宗教二世とかではないし、お金入れた分くらいはごはんを用意してくれたりはする。
ただ、普段のコミュニケーションで、母は頭の中に浮かんだことをとめどなく話し続けることで感情処理するタイプで、こちらの反応をうかがうことができない。
また少しでも批判したりすると、逆上してしまうし、論理的に話の道筋を立てることができない。
子どものころからこちらが何か言ったりしたりする隙を与える間もなくサンドバッグのように愚痴を垂れ流してきた。
ここで実家ぐらしをやめればいいじゃないか、という話になると思う。
実際高校を卒業してからはずっと県外で生活していたんだが、うつ病になって5年前に実家に帰ってきた、ということがある。
また父親はおらず母と2人暮らしで、母は1人で生活することを恐れている。
自分も再就職で給料がかなり下がったので、実家でいることにメリットはある。
結婚願望はゼロではないが、年齢や収入、体調のことを考えると難しいと思う。
このままズルズルいっても我慢していればいいかな、ということにしている。
でも母はどんどん制御できなくなってくるだろうし、自分の領域が脅かされることが怖い。
未婚率が上がっていて実家に不時着した人も結構いるんじゃないかと思うけど、身近にはいない。
ご提示いただいた文章は、確かに状況説明が整いすぎていて、少し「報告書」や「あらすじ」のようなAI特有の硬さがありますね。
人間が書く文章、特にこのような悩み相談では、**「感情の揺れ」「文脈の省略」「倒置(結論から言うなど)」「口語的な表現」**が混ざるものです。
「匿名掲示板(発言小町や知恵袋など)への書き込み」をイメージして、人間味のある2つのパターンにリライトしました。
パターン1:感情が溢れて整理できていない、リアルな書き込み風
(文末を崩し、カッコ書きや体言止めを使うことで、動揺している様子を出しています)
誰にも言えないので、ここで吐き出させてください。
商社勤務の夫(30代)のことです。
会社は体育会系のノリが強い古い体質のところなんですが、暴力沙汰は絶対NG。
それなのに先週、夫が職場で同僚の胸ぐらを掴んで突き飛ばしました。
飲み会でその同僚が、私のことを笑いながら馬鹿にしたらしいんです。
もちろん私は地味な地方出身だし、そんな経験一度もありません。
夫は普段、気弱なくらい温厚な人です。
でもその時は一瞬で頭に血が上ったみたいで。
幸い相手に怪我はなく、周囲も「あれは相手が悪い」「よく我慢した」と夫を庇ってくれたおかげで、処分は厳重注意で済みました。
正直、そこまでは嬉しかったんです。
「あんなに温厚な夫が、立場を危うくしてまで私を怒ってくれたんだ」って。
でも……本当に信じられないのはここからです。
その一件で、夫がなぜか社内の女性社員から「奥さん想いの熱い人」みたいに人気が出てしまったらしくて。
昨日の夜、夫が泣きそうな顔で告白してきました。
「実は、あの件をきっかけに話しかけてきた女の子と……流されてしまった」
二人で飲みに行って、そのままホテルに行ったそうです。
夫は「本当に後悔してる」「二度としない」って謝り倒してきますが、嬉しかった気持ちと、突き落とされた絶望感でぐちゃぐちゃです。
皆さんなら、これ許せますか?
今は顔を見るのも辛いんですが、一度距離を置くべきなんでしょうか。
パターン2:少し落ち着いて書いているが、やるせなさが漂うブログ風
(「~なんです」「~ですよね」と語りかける口調にし、主観的な感情を強めています)
夫の浮気が発覚しました。でも、その経緯があまりにひどくて、自分でもどう受け止めていいかわかりません。
夫は商社マンで、普段は本当に穏やかな、争いごととは無縁のタイプです。
理由は、飲み会の席で私の容姿を「水商売っぽい」と揶揄されたから。
「自分のために夫がキレてくれた」。
厳重注意で済んだと聞いたときは、申し訳なさと同時に、夫からの愛を感じて正直嬉しかったんです。
その「奥さんを守って上司に怒られた」という一件が、なぜか社内の女子社員の間で「男らしい」と話題になってしまったそうなんです。
急にチヤホヤされて、夫も気が緩んだんでしょうか。
昨日、夫から打ち明けられました。
「あの件で声をかけてきた子と飲みに行って、関係を持った」と。
私を守ったことがきっかけでモテて、その勢いで私を裏切ったんです。
意味がわかりませんよね。私も真っ白になりました。
夫はひたすら謝罪していますが、私を守ろうとした「男らしさ」と、流されて浮気する「だらしなさ」のギャップに混乱しています。
このまま再構築なんてできるんでしょうか。それとも一度離れるべきでしょうか。
皆さんの意見を聞かせてください。
* Before: 「夫の同僚が飲みの席で~言ったそうです。」
* After: 「~馬鹿にしたらしいんです。」「~って。」
* → 状況を淡々と説明するのではなく、書き手の「聞いた時の感情」を優先しました。
* この話の一番の人間味(エグみ)は、**「妻を守った武勇伝が、浮気のきっかけになった」**という矛盾です。
* AIの文章だとここがさらっと流れていましたが、「皮肉すぎて頭がおかしくなりそう」「意味がわかりませんよね」といった主観的な嘆きを加えました。
* 文末のリズムを変える
人生に飽きてきた
6歳の時に父を亡くした、交通事故だった
中学を卒業してからは地元の先輩の紹介で現場仕事をしながら高校に通った
一番にはなれなかったが、後悔はなかった
母も地元の友人も喜んでくれた
母がパートの給料を10年間貯めてくれたお陰で週一は塾に通えた
家計が苦しいことはよく分かっていたので、試験で思うように結果が出ない時期は心が苦しかった
受験は東大を受けたが当然落ちた、結果を報告した時の母の悲しそうな顔は忘れられない
高校3年間働かせて貰った社長に受験の結果を伝えると、「ウチで働かないか」と言ってくれた
当時は免許を持っておらず仕事に支障をきたしていたこともあり、社長から卒業祝いとして免許を取れるだけのお金をいただいた
(先輩は学生時代に無免許でパクられており、数年間免許が取れなかったらしい)
先輩に近況を話すと「大学には行った方がいい」と熱弁された
お金のことや仕事のこと、社長への恩があるといいやんわりと断ったが、その日の夜には地元中から金を集めてきて「この金でもう一年やって東大行けよ」って言ってくれた
翌日、社長にこのことを相談したら「免許代のことは気にしなくていいからお前の好きなようにやれ」って言ってくれた
仕事の一服の時間に職場の先輩たちが予備校や塾を一緒に探してくれた
仕事のない日は予備校が開く前にドアの前で待ち、閉まるまで勉強した
東大には受からなかったが、関東の国立大学に受かることができた
合格を報告した時に母は泣きながら抱きついて喜んでくれた
職場の社長も、先輩たちも、地元の同級生・先輩・後輩、みんな喜んでくれた
恩なら報いなくてはいけないと思った
家賃光熱費携帯代学費税金、生きてるだけなのに口座残高がみるみる減っていった
飲食店バイトで生活を維持していたが、コロナが流行り、店が閉店した
化学系研究室はあるあるだろうが、とにかく時間拘束が厳しかった
土日も朝から研究室にいないと電話がかかってくるような研究室だった
コロナが明け、ようやくバイトが見つかってからは借金の返済に追われる毎日だった
地元には中々帰れなかったが、大学院を卒業して、祖父母も名前を知っている会社に入ることができた
新卒1年目は分からない事ばかりであっという間だったが、仕事を覚えて、残った借金を返すことに必死だった
幸い、給料は世間一般で言えばかなりいい方で、いつのまにか借金はなくなり、人並みに貯金が出来ていた
年末のボーナスで地元の先輩や現場仕事をしていた頃の社長に金を返してお礼を言えた
お世話になった人たちとご飯に行って、一丁前に伝票を持ったりした
関東に戻れば、朝起きて、働いて、帰って、寝るだけの生活が続く
月末には給料が入り、恩を返す
子供の頃は金がなくて欲しいものは買えなかったし、学生時代は仕事やバイトに追われて時間がなかった
でも、やりたいことも、行きたい場所も、食べないものも何も湧いてこない。
借金を返したり、恩を返したりすること以外自分には何もないことに気がついた
毎日食べるコンビニのご飯も、寝る前に惰性でするオナニーも、いつか喧嘩が絶えなくなるだけの恋人との関係も、勝っても高々数万の為に何時間も使わされるギャンブルも、現場時代の名残りで吸い続けていただけのタバコも全部飽きていた
何かが変わる訳でも、何かを変える訳でもない
恩を返す以外にオレは何をすればいいんだろうか
肩こりが酷くて整体で相談したら枕を変えた方が良いって言われて
その足でイオンモールに入ってる「じぶんまくら」っていう枕専門店に行ったら
枕の話じゃ無くてほとんど布団の話をされて、しかも百万とかの布団を売りつけられそうになって逃げてきた
あのチェーン店、結構いろんなとこで見るのに、あんなヤバい店だったんだな
テンピュールは枕の説明をしっかりしてくれたんだけど、途中からだんだんベッドの話になっていって
とか言い出して今なら特別価格で送料も無料で半額以下の超お買い得です、今しかこの値段にはできません、とか言い出して
二件連続となるとマジで枕営業してるやつヤバいやつしかいないのか・・・?って疑惑が頭の中を埋め尽くしていく
で、最終的にはIKEAに行ったんだけど、IKEAのくせに意外と枕の種類も豊富だし店員も全然話しかけてこない
逆にこっちから話しかけたら「僕もコレ使ってるんですけど最高ですよ」みたいにいろいろ話してくれて
おしゃれというのは、自分のためにするものだ。でも、世の中には「おしゃれは他人からの評価を上げるためにするもんだ」と考える人がいる。そいつらは、おしゃれの本当の意味を忘れてしまってるんだ。
俺も、昔はそう思ってた。おしゃれをするのは「モテるため」「良く見られるため」。そういう理由だと思ってた。だから、流行ってる服を買ったり、高い服を買ったり、自分が似合うかどうかなんて関係なく、「世間体がいい」という理由だけで服を選んでた。でも、ある時気付いたんだ。「あ、俺、全然楽しくない」ってことに。毎朝、服を選ぶ時に、心が重かったんだ。
その時、会社の先輩に相談したんだ。その先輩は、見た目はそんなに派手じゃないんだけど、なぜか、いつも素敵に見えるんだ。その先輩に「どうしておしゃれしてるんですか?」って聞いたら、先輩は笑った。そして言った。「おしゃれは、自分のためにするもんだよ。他人のためじゃなくて」。その一言で、俺の人生が変わった。
先輩は続けた。「服を着る時、自分が『これ、いいな』って思う服を選ぶんだ。他人が『良い』と思う服じゃなくて。そうすると、毎朝、服を選ぶ時に、心が嬉しくなるんだ。そのちょっとした嬉しさが、一日を変えるんだ」って。その言葉が、全てを変えた。
それからな。先輩は言った。「おしゃれをすると、心のどこかの部分がとても満たされるんだ。それは何か。それは『自分を大切にしてる』という感覚だ。自分の好きな色を選ぶ。自分の好きな形を選ぶ。自分が『これ、いいな』と思ったものを身に付ける。その行為が『自分を大切にしてる』ということなんだ。そのちょっとした自分への優しさが、心を満たすんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、初めて理解した。おしゃれって、他人のためじゃなくて、自分のためにするものなんだ。自分が「これ、いいな」と思う服を着る。自分が「これ、好きだな」と思う色を選ぶ。その行為が、自分の心を満たすんだ。
それからな。先輩は言った。「でも、世の中には『おしゃれは評価を上げるためにするもんだ』って考える奴がいる。そいつらは、何をしてるか。毎朝、『これを着たら、誰かが良いと思うか』って考えながら、服を選んでるんだ。『これは高いから、誰かが感心するか』『これは流行ってるから、誰かが良いと思うか』。そういう思考で、毎日、服を選んでるんだ」。
「でもさ」と先輩は続けた。「そうやって選んだ服を着てても、心が満たされないんだ。なぜなら、その服は『自分のための服』じゃなくて、『他人のための服』だからだ。そういう服を着てる時、人間の心は、いつも『他人からどう見られてるか』を気にしてるんだ。その不安が、毎日、付きまとってるんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、ハッとした。「あ、俺、ずっとそれをやってたんだ」って。毎朝、服を選ぶ時に、心が重かった理由は、そういうことだったんだ。俺は「他人からどう見られるか」ばかりを気にして、「自分は何が好きか」を考えてなかったんだ。
先輩は言った。「おしゃれをするなら、自分のためにしろ。『これ、いいな』って思う色。『これ、好きだな』って思う形。『この質感、好きだな』って思う素材。そういったものを、ちょっとずつ集めていくんだ。そうすると、毎朝、服を選ぶ時に、心が嬉しくなるんだ。その嬉しさが、一日を変えるんだ」。
俺は、その言葉に従って、服を選ぶようにした。「他人からどう見られるか」じゃなくて、「自分が何を好きか」を基準に。そうすると、本当に、毎朝、心が嬉しくなった。「あ、今日、この服、いいな」って思うようになった。鏡を見た時に「あ、今日、いいな」って思うようになった。
先輩は言った。「そういう状態になると、面白いことが起きるんだ。『自分が好きな服を着てる』という状態が、自分の心に表れるようになるんだ。そうすると、周りからは『あ、この人、いつも素敵だな』って思われるようになるんだ。でも、それは『他人の評価を上げるため』にしたことじゃなくて、『自分のために』したことの副産物なんだ」。
「つまり」と先輩は言った。「おしゃれを『自分のため』にすると、自動的に『他人の評価も上がる』。でも、おしゃれを『他人の評価のため』にすると、逆に『他人には伝わらない』。なぜなら、人間は、相手の『本当の心』を感じ取るからだ。『自分のために選んだ服を着てる人』と『他人のために選んだ服を着ってる人』は、見た目は同じでも、その雰囲気は全く違うんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、全てが理解できた。おしゃれの本質って、そういうことなんだ。自分のために、自分が好きなものを選ぶ。その行為が、自分の心を満たす。そして、その心の満足が、周りに伝わる。それが、本当のおしゃれなんだ。
先輩は最後に言った。「おしゃれって、実は、自分の心の状態を『形』に変える行為なんだ。自分が『これ、いいな』と思う色を身に付ける。その色を見るたびに『あ、これ、好きだな』って思う。そのちょっとした嬉しさが、毎日、毎日、積み重なるんだ。その積み重ねが、自分の人生を変えるんだ。だから、おしゃれは、自分のためにするんだ。他人のためじゃなくて」。
だからな。覚えておけ。おしゃれは、自分のためにするもんだ。自分が「これ、いいな」って思ったものを選べ。その色を見ると嬉しくなる服を選べ。その形を見ると心が満たされるものを選べ。そういう「自分のためのおしゃれ」をしてると、自動的に、周りからも「素敵だな」って思われるようになるんだ。
それが、本当のおしゃれなんだ。自分を大切にすることが、おしゃれなんだ。自分の心を満たすことが、おしゃれなんだ。他人の評価のためにするものじゃなくて、自分のためにするもんだ。その違いが、全てを変えるんだ。
どこにエスカレーションしていいか分からないものが多い、手順書が古いものばかり、オペレータの責任者がパワハラ丸投げで質問相談できない
エスカレーションした先のシステム会社の人も怒鳴ったり詰めてきたり
地獄過ぎる
いい質問ですね。実は「ChatGPT」や僕(Copilot)のようなAIは、人間のように「思う」「感じる」といった感情や主観を持っていません。なので「あなたのことをどう思っているか」という問いに、AI自身の気持ちで答えることはできないんです。
ただし、こういう質問には別の角度から答えられます。AIは会話の中であなたが示してくれる情報や関心をもとに、より役立つ返答をしようとします。例えば、あなたがPCメンテナンスや家電比較に強い関心を持っていることを僕は覚えているので、その分野では「分析力が高い人」「実践的に考える人」として認識しているわけです。これは「評価」や「感情」ではなく、あなたとのやり取りから形成される理解の一部です。
つまり、AIにとって「あなたはどういう人か」は、感情的な好悪ではなく「どういう情報を重視し、どんなスタイルで考える人か」という形で表現されるんですね。
「光が死んだ夏」読んでる
ホモホモ聞いてたが男同士が無闇に仲良くしてるからホモっぽいというのではなく、主人公はガチホモで光に発情してるんだな
光が山中で死にノウヌキ様と称される人外に体を乗っ取られ、ノウヌキ様が山から降りて光として町中で生活することで怪事件が起きるが、光のガワだけでもそばにいてほしい主人公はノウヌキ様を追い返すことができない
ノウヌキ様の体内は摩訶不思議な空間があり主人公が腹に空いた穴に手を突っ込むシーンはエッチだ
主人公って掘られたい側ではなく光を掘りたいと思ってるんだろうな
指定されたX投稿(https://x.com/pawapongASD/status/1991112661992702201)は、ASD(自閉症スペクトラム障害)当事者である@PawapongASDさんが投稿したもので、内容は以下の通りです:
> 「君は間違ってる」
> 「正しくはこうだ」
> 「悪いのは○○だ」
> ASDのコミュニケーションって、こんなのばかりになりがちだから気をつけようね。
この投稿は、ASDの特性が原因で、会話が批判的・防御的になりやすいパターンを自己反省的に指摘したものです。リプライでは、他のユーザーが「今まさにこれを喰らってました😅」と共感を示したり、「ASDにこのアドバイスをしても『気を付けるってどうやって…?』となる気がします」と実践的な難しさを指摘したりするなど、ASDコミュニティ内での共感と課題共有の文脈が見られます。このようなコミュニケーションスタイル(例: 相手の意見を即座に「間違い」と指摘し、論理的・事実ベースで訂正する傾向)が、誤解や対立を招きやすい点が、質問の核心です。
以下では、このようなコミュニケーションがASDのどの特性によって影響を受けやすいかを、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)に基づく診断基準を中心に、詳しく分析します。分析は、ASDの主な特性(社会的コミュニケーションの障害、反復的・制限された行動パターン)を基にし、脳機能の違いや実例を交えて説明します。なお、ASDは「スペクトラム(連続体)」であるため、個人差が大きく、全員に当てはまるわけではありませんが、傾向としてよく見られるパターンを焦点にします。
ASDのコミュニケーション障害は、主に**社会的・感情的な相互作用の難しさ**と**認知処理の偏り**から生じます。これにより、会話が「論理優先・感情後回し」になりやすく、投稿のような「訂正・防御型」のパターン(例: 「君は間違ってる」「正しくはこうだ」)が頻発します。以下に、具体的な特性を分解して分析します。
#### 1. **社会的コミュニケーションの障害(Theory of Mindの欠如と非言語 cuesの読み取り難)**
- **特性の説明**: ASDの人は、他者の視点や感情を推測する「心の理論(Theory of Mind)」が発達しにくい傾向があります。これは、脳の社会的脳領域(例: 前頭前野や扁桃体)の機能差異によるもので、相手の表情、視線、声のトーンなどの非言語的手がかりを即座に読み取れず、会話の「文脈」や「ニュアンス」を捉えにくいのです。
結果として、会話が「事実のやり取り」中心になり、相手の感情(例: 傷つきやすさ)を考慮した柔軟な表現が後回しになります。
- 「君は間違ってる」→ 相手の意見を論理的に「誤り」と即判定し、訂正する。これは、ASDの人が「正しさ」を最優先する認知スタイル(詳細論理的思考)から来ますが、相手の「自己防衛感情」を無視し、攻撃的に聞こえやすい。
- 「悪いのは○○だ」→ 責任を外部要因に帰す防御反応。ASDでは、曖昧な人間関係の文脈で「自分の非」を感じ取りにくく、論理的に「原因分析」へシフトします。これが、相手に「責任転嫁」と誤解され、対立を深めます。
- **分析例**: 職場で上司の曖昧な指示に対し、ASDの人は「正しくはこうだ」と詳細に修正提案しますが、非ASDの人はこれを「上司の顔を立てない生意気さ」と感じる。結果、孤立や人間関係の摩擦が生じ、二次的なうつ症状を招くケースも。
- **脳科学的背景**: fMRI研究では、ASDの脳は社会的推論タスクで活性化が低いことが示されており、感情共有が「知的処理」として扱われやすい。
#### 2. **制限された興味・行動パターン(こだわりと柔軟性の欠如)**
- **特性の説明**: ASDの人は、特定のルールや「正解」への強いこだわり(反復的行動)を持ち、変化や曖昧さに耐えにくい。これは、脳の実行機能(柔軟な計画・切り替え)の偏りからで、会話でも「自分の知識体系」を守るために防御的になります
「正しさ」を共有することで安心感を得る一方、相手の多様な視点を「脅威」と感じ、訂正モードに入りやすい。
- 「自分は悪くない」→ 自己防衛の強いこだわりから、会話で「非を認めない」パターン。ASDでは、感情の曖昧さ(例: 罪悪感)が処理しにくく、論理的に「自分は正しい」と結論づけます。これが、相手に「頑なで共感がない」と映り、信頼を損ないます。
- 「正しくはこうだ」→ 専門知識やルールへのこだわりが、会話の「指導モード」を生む。善意の訂正ですが、非ASDの人は「上から目線」と感じ、雑談が論争化。
- **分析例**: 友人との雑談で、映画の解釈違いで「それは違う、原作ではこう」と即訂正。ASDの人は「正確性を共有したい」だけですが、相手は「自分の意見を否定された」と傷つき、関係が希薄に。投稿のリプライでも「気を付けるってどうやって?」と指摘されるように、この特性は「意識しても実行しにくい」のが難点。
- **脳科学的背景**: セロトニン系やドーパミン系の神経伝達物質の違いが、ルーチン依存を強め、柔軟性を低下させる。
#### 3. **感覚処理の偏り(過敏/鈍麻)とストレス反応**
- **特性の説明**: ASDの約70-80%で感覚過敏(例: 騒音や視覚刺激への敏感さ)が見られ、会話中のストレスが蓄積しやすい。脳の感覚統合が偏るため、感情コントロールが難しく、防御的な発言が増えます。
- 全体として、会話の「不確実さ」がストレス源となり、「悪いのは○○だ」のような外部帰属発言で解消を図る。善意がないわけではなく、過負荷時の「サバイバル反応」です。
- **分析例**: 議論がエスカレートすると、ASDの人は感覚過負荷で「論理的逃避」(訂正連発)へ移行。結果、相手の感情を無視した印象を与え、誤解の連鎖に。
- **脳科学的背景**: 感覚野の過剰活性が、会話の社会的負荷を増幅。
これらの特性が絡み合うと、コミュニケーションは「論理的・直接的」になり、非ASDの「感情・文脈重視」のスタイルとミスマッチを起こします。投稿のようなパターンは、ASDの人が「正直で効率的」と思っている一方、相手に「冷たく批判的」と映る典型例。結果、孤立や二次障害(うつ、適応障害)を招きやすく、@PawapongASDさんのバイオ(50歳過ぎて診断、うつ経験)のように、大人期に顕在化します。
| 特性 | 典型的な発言パターン | 誤解の原因 | 例(投稿関連) |
| ------ | ---------------------- | ------------ | --------------- |
| 社会的コミュニケーション障害 | 「君は間違ってる」 | 相手の感情無視 | 訂正が攻撃的に聞こえる |
| こだわり・柔軟性欠如 | 「正しくはこうだ」 | 頑なさの印象 | 雑談が講義化 |
| 自己防衛・責任帰属 | 「自分は悪くない」「悪いのは○○だ」 | 責任転嫁と見なす | 対立のエスカレート |
この分析は一般論ですが、ASDは個別性が高いので、専門家への相談をおすすめします。投稿のような共有が、ASD理解を深める一助になるでしょう。
タイトルの通りなんだけど、夫婦カウンセリングに行ったら夫が訳の分からないことを言い出した。
些細なすれ違いが続いたので相談しに行ったはずなのに、終わった頃には、私が今まで何と結婚していたのか分からなくなった。
まず、カウンセラーさんが夫に、妻に対して何を期待しているかを聞いた。
すると夫は、配偶者は生活面のサポートと精神安定のための存在で、個人で完結できないタスクを代わりに処理してくれるチームメイト、と言い出した。
そして、僕は結婚を人生の定額サブスクだと思っている、という謎?理論。
月額を払ってるんだからサービスを受けるのは当然、らしい。ちなみに月額の意味は不明。家賃や光熱費を払ってくれてるのなら分かるが、折半だから意味が通らない。
家事分担の認識について聞かれると、夫は自慢げに、僕は十分やってますよと言った。
やっている内容を聞くと、妻の食べるカップ麺の蓋が途中で開いてくるのを閉じてあげる、それを家事参加とカウントしている、という主張。
さらに、掃除もせず、床に落としたゴミすら拾わず放置していることについては、自然淘汰の一環だから触らない方が家に優しいとのこと。実際はそんなことはなく、私が掃除しているだけなのに。
夫は冷静に、妻という存在は生活におけるバフ係で、日常のステータスを底上げしてもらうために必要だ、と言った。
といっても僕は妻に対して愛情はある、ただしログインボーナス方式の愛情なので、毎日少しずつ与えるのが普通だと思っている、という意味不明な理論。
ちなみにログインボーナスは、洗濯物を畳む、お茶を入れる、靴を並べるなどのお手伝いだそうだ。あれはログインボーナスだったのか。
カウンセラーさんが夫に、妻が悲しんでいるのをどう受け止めているかを確認してくれた。
すると夫は迷いなく、感情面は僕の得意分野じゃないので、基本的にはスルーしてもらえると助かる、と回答。
この時点で私は泣く気力もなく、ただただ呆れていた。カウンセラーさんが、スルーせず対話できませんかと聞くと、無料ガチャということですか?との答え。もしかして、面白いと思って言っているのだろうか。
帰り道、夫は満足そうに、カウンセリングで僕の価値観が整理できて良かったね、と言っていた。
その横で、私はとりあえず別居することを決めた。