はてなキーワード: オッパッピーとは
文春砲によってすっぱ抜かれて事態が大きくなっていった当時、「もともと(松本人志を/ダウンタウンを)好きじゃなかった」と告白する人が相次いだ。
それはごく一部というには多過ぎたし、しかし「今それを言うのってダサ(勝ち馬に乗りたいだけじゃん)」と批判しながら、かの人物を擁護する種の反応もまた多かった。
雑で体制的な言説に頼ることでしか発言できない人々のことはさておいて、あえて今言いたい。
増田は90年代の半ば生まれである。ゆえに、「ダウンタウン黄金時代」なるものを知らないとされる世代である。
天才的なネタによって「お笑い」文化を書き換えた生ける伝説のコンビであり、ゆえに世代に当たる人間が神格化するのもやむなしの存在なのだ――とは耳タコになるほど聞かされてきた。
なお、知人友人から上記と近しいコメントを返されてきた芸人には、とんねるずがいる。
ダウンタウンとほとんど同じような理由から苦手だったので挙げたまでであり、他意はそれ以外にない(言語化できない感覚値のみで苦手なのではないことを言いたかっただけだ)が。
なぜ「好きじゃない」と思ってきたのかを、くだんの報道内容や今般の始動への言及は一切抜きに、まずは語らせてもらいたい。
「好きじゃない」と表明したとき、もっぱら返されるこの「伝説」としての文脈であるが、どのように伝説だったのかを、増田の知人友人から具体的に聞けることはないまま、今に至る。
むろん、いくらでも動画が合法違法問わずアップロードされる時代だ。気になるなら自らの目でネタを確かめればよいかもしれない。
けれど増田はお笑い批評が仕事でも学業でもなければ、お笑いフリークでも誰かのグルーピーでもない、ただの一お茶の間の人間である。
嫌だから冠番組はほとんど見ないし、見るにしても当人らが話すシーンは飛ばしたり離席しようとする(ここ10年の話)だけでとどまっている。わざわざ自ら検証なり好きになりするための営みを取る動機はない。
ただ、まとまった文章を読むことで考えを改めて視聴してみようと思う可能性は否定しないので、なにかいい記事があれば教えてほしいし、コメントで教えてもらえることももちろん歓迎である。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』を筆頭に、『リンカーン』などの番組でのイジリに対する印象である。
つい笑ってしまうような瞬間が皆無ではなかったと思うが、そこで得られる笑いによる快よりも、「これのなにがおもしろいの?(むしろ胸糞が悪いだけ)」と即時に感じてしまうことで生じる不快のほうが大きかった。
古い純文学なんかを読んでいると、今では考えられないような価値観を目の当たりにして驚くこともままあるが、それによって作品をキャンセルしたいとかもう読みたくないとかとは思わない。
過去は今と地続きとはいえ、故人の、昔に固定された作品だからである。
そして、快より不快が勝るものは閉じれば終われるほど、直線的な影響を持つものではもはやない。
しかし、先に挙げたようなバラエティ番組は当時の自分にとって現在の話であり、出演者が同時代を生きている人間であるのはもちろんのこと、その番組を笑って見るのは、自分のクラスメイトや、ときに友人だった。
もちろん、「作り物」たる芸の世界での言動であるとは、みなわかっていたと思う。けれど、芸人のネタや言動はミーム化するものだ。「オッパッピー」は決め台詞以上の意味を見いだせないまま口にするだけのものであっても、「あーいとぅみまてーん!」は、(軽い?)謝罪シーンにおいて、流用されるものであったろう。
「なにをどんな視点で切り抜くと痛快か、共感を得られるか」ということを大小発見するのが、お笑いのひとつの構造であるはずだ。
だから、芸の世界での言動の過激さや切れ味がそのままに持ち込まれることはなくとも、縮小版は容易に現実世界にも輸入される。そもそも、現実世界の観察に立脚しているからこそ支持を得られるものなので、当然のことなのだが。
彼らを単なる好き嫌いで終わらせられない理由が、このあたりにある。自分にとってはいじめにしか思えないものがひろく支持されている(まさに横の席に座る級友もだ!)ことが、恐ろしかったのだ。
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*長すぎるとブツ切りにされると聞いたので、「ダウンタウンが昔から苦手だった」論について❷に勝手に続けます。
ペペロンポップポポンチュ緑川、ってキャラがいるんだけど面白い名前だよね。
オッパッピー、ってネタもあった気がするし、芸人は詳しくないけど半濁音を決めゼリフに組み込んでるの、意外とあるんじゃないかな?
つい最近のペンパイナッポーアッポーペンなんてまさにそれだしさ。
あすかりんのこぜにかせぎって番組でも荻野可鈴が「ポスカのピンク」の語感がツボにハマってずっと言ってたし。
多分、箸が転んでもおかしい年頃だとより半濁音のおかしさにセンシティブに反応できたりするんだろう。
でもPPAPの反響を見るに、どの年代でもある程度半濁音フレーズに面白さを感じられるのではと思うね。
うんことかおならの下ネタが大好きな人種いるでしょ、どの国でも。
その音から来ているのかもしれない、半濁音の魔力は。
生理が大変であること、避難所に生理用品が無ければ感染症も起こしかねないこと、そういうことの啓蒙って確かに大事ですよ。
でもさー! 「こんなことも知らない男は本当に駄目だな!日本人男性は終わってる!」みたいな人、なんなの?
ちゃんと理解しようとしてくれる人までまとめて殴るなよ。わかろうとしてくれてるじゃん、終わってないじゃん。
「女の大変さを知らないなんて!」VS「男だって大変なんだ!」じゃなくて、
双方ともに「人体」に詳しくなればいいんじゃね? って思う。対決する必要ないでしょ。
「お互い大変ですね」って理解すればいいだけの話でしょ。
男の人だって自分の意思とは関係なく、しかも苦痛と共に精液がオッパッピーしたらしんどそうじゃん。
いや実際に男の人がそれを不快に思うのかどうかは知らんけどさー。
しんどい側も、あんまり「気遣え! 尽くせ! 無知は罪だ!」っていう勢いになりすぎず、普通に教えたらいいよ。
受け取る側もただ「知ってほしい」って言ってる人に対しては「気遣えというのか!?」って怒らないでほしいよ。
「こういう感じで大変なんですよ」「そうなんだー」って感じだったらいいなと思う。
確かに「どうせ生理って○○なんだろ、甘えすぎw」みたいな、無知と暴言のコンボは腹が立ちますよ。
それを咎められても「知らなかったんだから仕方ないだろ」って無知を盾に暴言を正当化する人は嫌ですよ。
でも、ただ知らないだけの人を罵るのはやめましょうよ。機会がないと知れないのは仕方ない。
腹が立ったからって「男性」をまとめて殴るのはやめてほしいです。マジで。
私も自分が理解しようとしてる事について「こんなこともわからないなんて、これだから女は」って言われたら腹が立つと思う。