はてなキーワード: 苦痛とは
今朝も当然のように、執事ロベルトに車で送迎してもらっていた。けれど今日は少し眠い。というのも、婚約者のお弁当を作っていたせいで寝不足だったからだ。
……まあ実際には、大半を使用人に作らせたんだけど。
でも、サンドイッチや簡単なものくらいなら私にも作れるし、「婚約者のために手作りしてあげる健気な令嬢」を周囲にアピールする重要な儀式でもある。義務的な結婚で愛情なんてないに等しいけど、役目は果たすつもりでいる。
そうして車に揺られていた時、道の途中で妊婦らしき女性が歩道でうずくまり、苦しそうにしているのが見えた。
「ロベルト、止めて。降ろしなさい」
「お嬢様!?」
後ろで慌てる声が聞こえたが、無視。
私は妊婦へ駆け寄り、「どうしましたか? 具合が悪いのですか?」と声をかけた。
その瞬間だった。
何事!? と身を引く間もなく、妊婦の腹がぶち破れ、中から大量の触手が飛び出した。
ロベルトが勢いよく私を突き飛ばし、その代わりに彼の体へ触手が何本も突き刺さった。
「ロベルト!?」
「フィアフルフレア!!」
炎が迸り、触手の化け物──妙にチー牛めいた顔の何か──は燃え尽きた。
ロベルトは息を切らしながら私を振り返り、
「お嬢様……ご無事ですか……?」
と尋ねた。
確かに私は無事。
ただし、突き飛ばされたせいで手に擦り傷ができていた。
それを見た瞬間、怒りがこみ上げてきた。
「誰か助けて! この男に突き飛ばされました!!」
周囲にいた下級国民たちが一斉にロベルトへ襲いかかり、彼を取り押さえ始めた。
悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、私は振り返らなかった。
歩いてその場を去っただけだ。
だって──
友人は虐待もされず理解あるあたたかい家庭で育ったが、年収半分以下学歴も下の穏やかな男性と下方婚して、やはりモラハラ気味になり離婚した。
こんなに色々金銭的にも負担して、相手が受動的すぎて任せるよ〜ばかりなのでこっちばっかり結婚にまつわるいろんな段取りして、名字も変えて手続きに奔走して、ここからさらに妊娠出産の苦痛を背負うなんてとてもじゃないが出来ないと子無しのまま離婚。日常の愚痴では増田と同じような事言ってたよ。
親の背中見てたせいだけじゃないと思う。
ソクラテスは死刑を受ける前に毒を飲んで死んだ、これは間違いで・・・当時の処刑法が毒を飲ませる事だった
みたいなのをわざわざ指摘してんだけど、これは中田敦彦の間違いというか参考にした本が間違ってたって事じゃん。
つーか俺も見た事あるぞ、ソクラテスが死刑前に毒飲んで死んだって話。
そもそもなんだけど、歴史とか哲学の解説って本によって違いすぎない??
鎖国だって実は起きてなかった~!とか言われてるじゃん。どっち???
中田敦彦の動画を真に受けるのは危険みたいな事言われてるけど、
そりゃ中田敦彦の医療解説!みたいなの真に受けた医者に手術されたくないよ。そりゃね。
そういや中田敦彦がソクラテスについて話してたな・・・ちょっと調べてみよ。
源氏物語をまず漫画で読んで、そこで内容をざっくり理解してから本文を読むみたいな感じ。
ありがたい訳よ。源氏物語とかいう女抱きまくり物語を昔の言葉で読まされて、
それが将来役に立つわけでもなく、
山上は社会を動かすことには成功したかもしれんが、裁判的には自分の恨みにほぼ関係のない他人を身勝手に殺したってことで情状酌量の余地はないってなるのでは?
母を殺したり、教団の幹部をヤッたなら直接的に苦痛を受けた相手だから境遇的に可哀想なところもあるかな?ってなりそうだけど、安倍晋三は少しそこから遠いよね
アイカツ+プリパラの映画見に行こうと思って、なんも知識ない「ひみつのアイプリ」をまず見てるんだけど、1話からマジでひどいなこれ。
仮に数時間以内に命の危険がある可能性があるなら「いつ亡くなってもおかしくない」と言う言いかたをするし、親族とのトラブルを避けるため言葉のチョイスは慎重にしているはず。
そして、増田の妻もそう思っていたと思う。
そもそも本当にいよいよという時は面会時間は撤廃されて、いつでも そばにいれるようになっているものだし。
で増田妻は「死に目に会えないかもしれないから早く来て欲しい」という理由で、増田が美容院キャンセルを望んでいると考えていたのでは。
実際には死に目に会えないことはないと考えているから、近々あるかもしれない葬儀のために美容院に行っているのでしょ。
親族や葬儀に来る人たちの種類によっては、きちんと身なりを整えていないと裏で色々言われるし(妻自身の親が亡くなったならまだ大目に見てもらえるが)
葬儀前は勿論だけど葬儀後も家によっては忙しく、しばらく美容院へは行けないからという理由もあるかもしれない。
親の気持ちを考えたら、残り少ない時間は親しい人だけと過ごしたいだろう。
私だったらあと数日も生きないという時に、自分の子供の、特にそこまで親しくない配偶者が長く(30分以上でも)いたら苦痛だと思う。死ぬほど悪い体調でもあるだろうし。
増田妻がよっぽど義母と仲が良かったなら別だけれど、年2回会う程度と追記に書いてあったし。
増田の妻は、美容院に行くとしても息子や孫と水入らずで過ごすことになるのだし、義母にとってはいい事だろうと考えていたかもしれない。
自分は、妻はおかしくはないと思っているけれど、投稿者もおかしくないとも思っているし、今辛い思いをしている投稿者を叩く気持ちもないけれどね。
成人男性によるプリキュアシリーズの18禁二次創作も、成人女性によるジャンプ漫画の18禁BL等二次創作も、本来の想定ファン層である子どもたちが性的コンテンツに晒されるという共通の構造的問題がある。
プリキュアシリーズでは、女児向けキャラクターのイラスト投稿の許可について問い合わせた際、神木プロデューサーから「下着が見えてるような絵はNGです」という注意事項が出された。
少年漫画のBL二次創作では、1987年に『キャプテン翼』の週刊少年ジャンプ編集部が誌面で「あまりエゲツないのは目をおおいたくなります、担当として。『オレ達はそんな変態じゃねーぞ』って。陽一先生もかわいそう。みなさん、これ以上キャラを傷つけないでください。」という異例の抗議を行った。
プリキュアは幼い女児、少年ジャンプ作品は少年が本来のターゲット。しかし成人向けの性的二次創作が流通することで、本来その作品を楽しむべき子どもたちが、自分たちが憧れるキャラクターの性的描写に意図せず接触する危険が生じる。
プリキュアの女児キャラクターも、『呪術廻戦』や『ブルーロック』などの少年キャラクターも、設定上は未成年。これらのキャラクターを性的に描くことは、非実在とはいえ未成年に対する性的まなざしを表現することになり、小児性愛表現としての問題を孕んでいる。
編集部が「陽一先生もかわいそう」と述べたように、作者は自身の創作したキャラクターが性的に消費されることに苦痛を感じる可能性もある。子ども向け作品の性的二次創作は、作品や企業イメージの低下を招き、権利者の意向に反する行為だ。
二次創作は、法的には著作権侵害。集英社は生成AI問題に関する声明で生成AIの利用に 限 ら ず、ダメなものはダメと述べている。著作権侵害という法的問題に加え、子ども向け作品を性的に描くという道徳的問題が重なることで、二重の問題が生じている。
公式側は明確に「子ども向け作品を性的に消費しないでほしい」「子どもたちがこれらの表現に触れることを防いでほしい」と訴えている。しかし流通の現場では、その訴えが十分に反映されていないのが現状。
美女でもイケメンでも、小鼻から上唇までの鼻周辺が嫌い。頬骨とエラも嫌い。
そしてその辺加工してある写真の気持ち悪さ。まぁ加工写真で一番キモいの目だけど。
コミュニケーションを伴う現実の人間関係では顔なんて個体を判別できればなんだっていいんだけど、顔の良さを売りにしてる商売は無理。
ジャニーズ好きの人とか本当に相容れない。そういう話題の時は必死で気配消して石になってる(余計なこと言わんように)。
そんな訳で2.5次元ミュージカルが心底嫌い。
好感度マイナスの状態でテニミュ見に行って、「物理法則」と「顔面」の限界があるお遊戯会を嫌ってほど体感した。そしてブロマイド販売とブラインド商法。あっ無理。無理無理。超絶無理。
衣装のクオリティは高いので、モデルに着せて【衣装主体】の写真集とかにしてくれた方がいいのにな。顔主体の方が売れるのは分かってんだけどさぁ、三次元の人間の顔、加工前も加工後も嫌いなんだよ。
そんな訳で、また好きな作品がミュージカルに穢されて、作者がミュージカル激推しになってグッズがミュージカル系ばっかりになって、あぁもうすぐファン辞めるんだろうな自分、となっている。
友人たちは一応「ミュージカルに誘わない」と気を使ってくれてるけど、それでもたまに「これなら楽しめるかも」と提案してくれたりする。数年に一度とかのことなので行くけども、毎回「このナルシスト達のコスプレお遊戯会にこんな金額出してまで……!?」とショックを受けている。
シリアス系のシナリオだと特に役者は悲劇のヒロインしがちで自分酔いドン引きかつ、衣装がバキバキ原色(アニメやゲームの原作準拠)でちぐはぐでもう苦痛。苦行。ギャグならまだ楽しめる気もするけど。コント見るノリで。
そして苦行に耐えたところで「どうだった?」の感想には「楽しかった」以外はない。礼儀です。マナーです。でも一言追加する「次はもういいかな」。
まぁ文句言ったけどnot for meというだけです。
みだしなみとしてのハンカチすら忘れる私の妻は半径1m範囲で臭っている。ショッピングモールでも近づきたくないので、距離をとっている。妻よ、申し訳ない。
コロナ禍ではハンカチを持っていたが、ジェットタオルが復活してハンカチすら持たないようになった。
ジェットタオルは他人のバイ菌が常駐しているように思う。それで風を受けて手を洗った気分になるが、湿気ったままの手であちこち平気で触る。子どもにすらハンカチを持たせないのもどうかと思っている。
妻に聞けばジェットタオルはどこにでもあり、ハンカチを買うコストパフォーマンスが悪い、とのこと。俺は絶句した。
ちなみに俺は汗っかきなんだが、すぐ帰宅して風呂に入るようにしてる。1日も入浴を欠かしたことはない。だが妻は臭い臭いと言う。
自分のみだしなみを棚に上げて文句ばかり言う、挙句の果てには人の意見を聞き入れないような妻に今後一生を捧げなければいけない、と思うと苦痛しかない。子どものためにも別れなければいけない気がしてきた。
俺はヴァンパイア一族の末裔だ。といっても、もう血を吸うわけでもないし、日光の下でも多少は歩ける。現代日本じゃ吸血鬼も定職について税金を払う時代だ。俺も例外じゃない。
ただ、一つだけどうにも克服できない習性がある。
あの熱気、あの油、そしてニンニク。
そう、ニンニクだ。俺たちの一族にとっては最も忌むべき毒。皮膚が焼けるように痛み、喉の奥が焦げるように熱くなる。にもかかわらず、あの香りを嗅いだ瞬間、理性が吹っ飛ぶ。
毎週金曜の夜、仕事帰りに立ち寄るのは駅前の小さな中華料理屋「福龍」。店に入った瞬間、漂うあの香ばしい匂いで胸が震える。
女将の声が聞こえる。俺は苦笑してうなずく。
一口目で舌が痺れる。
二口目で喉が焼ける。
三口目で視界が少し白くなる。
それでも箸は止まらない。痛みと快楽が渦巻く。体の奥から何かが溶け出していくような、危険で甘い感覚。額から汗が滝のように流れ、心臓がドクドクと跳ねるたびに、まるで血が暴れているようだ。
食べ終えるころには、指先が冷え、頭がふらつく。けれども、店を出た瞬間に夜風が肌を撫でると、心のどこかで思う。
今夜も、生きてるな。
そうして俺は、フラフラしながらも笑って帰る。
500社受けて落ち続けている人が外に出て気分を変えた所でどうにもならねーだろ
明らかに新卒至上主義と年齢差別、大した給与ももらえないのに求める能力の水準が際限なく上がり続ける社会の問題なんだから
今は交流がないものの、ずっと気になっている友人や知り合い「だった」人はいますか?
私は沢山います。
高校時代の大変可愛がってくれた先輩、バイト先の先輩、以前の職場の同僚。
LINEがあるのだから連絡を取ろうとすれば、出来ない訳ではありません。ただ今更連絡を取ったところでと思ってしまい、ふと「また会いたいな」と勝手に思いを馳せてはを繰り返し、何となく数年が流れております。
そしてインターネットでの完全な「一方的な自己満足のさようなら」を「私の感情に折り合いをつける為に」行ったという話を聞いてください。
その方を仮にAさんとします。
Aさんは絵の上手い方でした。私よりも年齢は上の方で、絵の仕事をしたいのだ!と話していた事を覚えています。
当時ブログサイトで私はAさんと知り合いました。
当時私は中学生で、まだTwitterも普及する前の事でした。
イラストを描く事が好きな仲の良いクラスメイトがブログサイトをしていて、私も誘われる形でブログサイトを始めたのです。
そこで、元々友人と交流があったAさんと知り合い趣味が非常に合った事から暫くの間、交流するようになりました。
Aさんが特定されない程度にお話しすると、とても優しく明るい憧れの方でした。
Aさんよりも年下の私にとっては友人であり、先輩でした。インターネットで知り合った方でしたが、まるで仲の良い部活の先輩後輩の様に感じる程でした。
そのうちに私がTwitterを始めたころ、Aさんもほぼ同時期からTwitterをしているという事で私とAさんの交流はブログからTwitterに変わりました。
私はAさんの絵がとても好きでしたが、同時に「自分は何て不釣り合いなのだろう」と本当に身勝手な劣等感を抱いていました。それがTwitterへ交流の場が移った頃から、更にAさんは「自分とは違う世界の人なんだろうな」と漠然と思っていました。
それでも、リプライとたまにする通話が私とAさんの繋がりでした。
ですが、私もAさんも人間です。
私もAさんもそれぞれ好きなジャンルも変わっていきますし、ジャンルが変われば交流もそれに伴って少なくなっていきました。
それでも私はAさんが好きでした。
Aさんの絵をずっと見ていたいと思っていました。
Aさんはどんどん人気になります。
絵も上手い、ツイートも面白くて、色々な人に話しかけて交流していました。
フォロワーが増えない訳がないのです。
それでも細々とした交流のような、いいねの送り合いはありました。たまに見かけるだけで良いと思い込んでいました。しかし、同時にどんどん昔とは違って人気になるAさんを見る事が次第に苦痛になっていきました。
そしてある日、私は増えたフォロワーをある程度整理しようと思い立った際に、Aさんのフォローを外しました。
その時の私は晴れやかな気分だったのか、後悔したのかは覚えていません。
ただ、当時Aさんというフォロワーがいたなぁという微かな記憶だけ残っていながらそのまま過ごしてきておりました。
つい、先日の事です。
ファイルの整理をしていたところ、当時Aさんから頂いた絵が発掘されました。
それは当時も今も私が好きなキャラクターです。
そこにはコメントが添えられていました。
「これからもいっぱい語ろうね!」と。
私はその瞬間、急にAさんの事を思い出して懐かしくて堪らなくなりました。
探してみよう。探してどうしたい、とかではないのです。ただ、いるかどうか確かめたかったのです。
当時フォローしていたAさんのpixivのアカウントもTwitterのアカウントも同じものは、もうありませんでした。
私がAさんを探す為に覚えているのは絵柄と当時のハンドルネームだけ。それにインターネットには同じ名前など吐いて捨てる程、ありふれた名前でしたから探すのは骨が折れました。
Aさんの当時のハンドルネーム、好きなキャラクターを検索にかけました。
たまたま検索で見つけた誰かとのリプライからアカウントを移動されている事を知り、私はAさんを見つける事が出来ました。
今は私も知らない全く別のジャンルに移動されており、もう絵もほとんど描かれていないご様子でした。
そして私がAさんAさんと呼んでいたハンドルネームも変わっていました。
変わっていなかったのは、私が好きな絵柄ぐらいでした。
私はアカウントを見つめて茫然としていました。
何でここまでしたんだろうか、私はこの人を探してどうしたかったんだろうと。
満足した気持ちは一切ありませんでした。
ただ、漠然とした自分自身に対する嫌悪感の様なもので覆われていました。ここまで必死に探し出したりして、仲良くもない他人を覗こうとする執念じみたものと自分が相当気持ち悪い、趣味の悪い事をしているへの自覚から来るものです。
記憶の中にあったAさんが今も元気にインターネットの何処かに当たり前の様にいると思い込んでいたことがすごくすごく恥ずかしくて、顔を覆いたくなりました。
私は少し悩みましたが、Aさんに感謝の気持ちを匿名で送りました。勿論、私が特定される内容は送りませんでした。
お世話になった気持ちを自分が使える限りの丁寧な言葉で、あの頃適当で軽い言葉を送り合っていたそれとは違う言葉をちゃんと、相手へ不快感を与えない様に送りました。
それが届いているか、怖くて堪りませんでした。
見ないでくれ、と送っておいて考えました、馬鹿な話です。
「ありがとうございます、今はあまりイラストは描けてませんが、元気です。よかったら匿名でなくまたお話ししませんか?」と。
私はそれ以降、Aさんをブロックして二度と見ておりません。
私は決してAさんを嫌いな訳ではありません、返答が気に食わなかった訳でもありません。
ただAさんが元気である事を知れただけで、感謝の言葉を伝えた時点で満足してしまいました。これ以上を望んでいないのです。
Aさんへもう話す言葉は、思いつきませんでした。
結局、私は一方的に感謝の気持ちを書くことで、インターネットでお世話になったAさんへインターネットの中で「さようなら」をしたかったのだと思います。
Aさんには申し訳ないのですが、「私が勝手に抱いた一方的な感情」を終わらせてあげる事が、目的であって、改めて関係をまたAさんと作る事は出来ませんでした。
私にとって「今の」Aさんと話す事が重要な訳ではないのです。ただ、「私の好きだった」Aさんへお礼を言いたかったのです。
では、さようなら。
AIに「AIが書いた後人間が改変した可能性が高い」って言われてるやんw
これは「AIが下書きを作り、それを人間が感情・体験ベースで大幅に改変・肉付けした可能性」はかなり高いです。
完全なAI文とも、完全な人間文とも言い切れません。いわば“ハイブリッド文”の典型的な特徴があります。
⸻
(1) 構成の整理度が異様に高い
• 序盤から終盤まで「1. ライフスタイル」「2. 時間の問題」「3. 事件」「4. 家族の変化」ときれいに番号で分けた4項構成になっており、
• 感情的なテーマ(トラウマや喪失)を扱っているにしては、全体の構成が整いすぎている。
→ これはAIが最初に骨格(見出し+流れ)を作った可能性を示唆します。
(2) 文末・語尾のリズムが均質
• 「〜た。」「〜した。」「〜思った。」など、文末のリズムが機械的に一定。
一見自然ですが、ここまで均一なのはAI下書きにありがちな特徴です。
人間が書くと、もう少し「…」「〜だったのかもしれない」「〜気がした」などの“揺れ”が混ざりやすいです。
• 人間がトラウマを描くときは、感覚的な比喩(「胸が重くなった」「包丁を握る手が震えた」など)が混ざることが多い。
しかし本作では「トラウマ」「苦痛」「不快感」など、感情を抽象名詞で処理しており、ややAI的です。
⸻
「私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまった」
「やばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している」
こうした“自分の落ち度を認める書き方”はAIが苦手とするニュアンスで、人間による心理の細かい補筆と考えられます。
(2) 「マジでやばい奴」「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」などの口語的な比喩
• これはAIが自然に出すには難しい生々しさで、人間的な編集が明確に入っています。
• 特に「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」は生活感と怒りのユーモアの混在で、AIの自動生成ではほぼ出ません。
趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事や事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。
料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。
その過程を、書き記したい。
そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生のときに母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。
母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。
美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。
子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。
大学進学を機に上京した際もその図鑑は引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。
その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた。
大学4年生になり、部活も引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。
内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。
しかし、ネットで菓子職人のブラックな労働環境を知り、断念した。
社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。
イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中の料理を自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種の冒険だ、そう思った。わくわくした。
友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理やお菓子を作っていた。
…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。
が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。
1. ライフスタイルの変化
一人暮らしのときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしのときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。
そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日。
そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。
2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた
確かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理やお菓子を作ることもあった。
しかしだんだん、料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。
やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。
やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格の勉強である。
私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったときに大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。
当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。
資格によって自分のスキルを証明しておくべきではという危機感がある。
となると資格の勉強にも時間を割きたいから、必然的に料理に割ける時間は減る。
また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。
個人的にはこれが一番強烈だった。
そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。
私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。
それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理に時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快な気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。
最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。
最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たちの若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、
後日、このおばさんから、スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINEがきた。
LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口、説教だった。
私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。
もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。
外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。
あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。
料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEがフラッシュバックするようになった。
それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。
それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。
そのこと自体が、私にはショックだった。
念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまったこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している。
やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。
3の事件により心に大ダメージを受け、料理で苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。
規則的に運動を始め、専用のアプリで毎日の食事の記録をつけ始めた。
すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。
で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。
鍋。
スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。
それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜もたんぱく質も自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。
そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。
そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単な料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。
最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快な気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たかが料理」とつぶやくようにしている。
そのまま、上機嫌で食卓にありつける。
この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。
そういった気持ち、私がそれまで料理に燃えていたときの原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。
そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理は趣味じゃなくなったんだな…と思った。
3の事件直後は料理が苦痛になってきたこと自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理が趣味ではなくなったことを受け入れていた。
でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。
だからここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。
(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記の経験を経て、これって確かに料理という家事タスクに負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。
その原因の多くが立民や共産にある、というのは既に出尽くした話だろうけど、なぜあいつらがそんな事するのか、というのはまだ深掘りされてないよな
これは個人的な経験なんだけど、ああいう思想の持ち主って、まずは周囲を不幸にしようとするんだよね
記憶は不明瞭だが、40年以上前、小学校3年生以降だと思う、夏休みの宿題を出したことが無い
日々の宿題もほぼやってなかったのではないか、やった記憶がまったくない
きっかけは覚えていて、夏休みの直前、朝顔の鉢植えが準備されたのだが、同級生のイジメで水浸しにされ
種を流され、その被害を先生に申し出たがなんらフォローがなく、朝顔の観察日記が宿題の一部であったが、全てに嫌気がさした。
(今の俺なら観察日記全ページ「〇〇君にイジメで種を流され発芽せず」と土の絵をリピートするだろう)
さて夏休みが終わり、全ての宿題を一切やっていないので恐らく叱られただろう、提出を促されただろうが
上記を言語化し論理的に説明する能力も術もなく、のらりくらり過ごしていたら数日で教師は諦めた
さらに両親は当時珍しく共働きで放任されており、さほど厳しく宿題提出を問い詰められることも無かった
その成功体験が俺の人格を大きく歪めた、怠惰で、先送りのクセがついてしまった
人のせいにしちゃイカンのはわかっている、責任をどうこう言うつもりはない、事実及び自己分析として書いただけだ
親が口うるさく言わなかった理由は、恐らく普通に成績が良かったからだ
自分で言うのもなんだが俺は地頭が良い、記憶力も良い。中学校でIQテストがあったがかなりスコアが高かったらしい。
大人なのだからそこまで自覚しているなら自己啓発なり、自己改善をすりゃいいのだが
問題は現時点に至るまで先送りで人生に致命傷を食らっていないのだ。
可愛い嫁がおり、利発な子供が産まれ、所得も、社会的地位も、友好関係もなーんも問題が無い、
だが、仕事や公的手続きの先送りグセが原因の小さなトラブルも起こしてしまうのだが、まぁなんとでもなる
問題は息子だ、親の俺がいうのもなんだが俺の遺伝子を受け継いで地頭は良い
問題は中途半端に利口ゆえに学校や勉強をナメてる、簡単に理解し覚えられてしまうから、
学校の授業が退屈すぎるのが苦痛だと言うてる、就学前からそうなるだろうと予想しあえて塾には通わせてない
しかしまだ低学年、少しづつ難しくなるから真面目にやれと警告はするのだが、聞く耳を持たない
そして問題は俺の遺伝子を引き継いで超絶先送り野郎なのだ、大問題
学童で済ませておけ、学校から戻ったらまずやれ、メシの前にやれ、風呂の前に済ませろ、
やらねぇ
結局寝る直前、最悪は朝起きてからやる
しばき回してやらせるという手もあるが、いかんせん、別に宿題やらなくても良くね?って俺だから説得力が無い
ってか宿題から逃げてる息子とFortniteやRobloxを一緒にやってるのが俺なんだからどうしようもない
局部麻酔は言うほど効きません!切り開かれたり縫われたりする感触は誤魔化せませんし、普通に痛いですよ!
全身麻酔も割とそこそこの確率で術中覚醒が起きます!目が覚めたら腹を開かれて内臓を弄られてる様を感じるかもしれませんね!
痛いですよぉ!すっっごく、痛 い で す よ ぉ ! !
きっと消えないトラウマになるでしょうね!安心してください!痛いのは確定してますから!
さあ、真実を知って不安はなくなりましたね!では、苦痛に耐えながら手術を頑張ってください!!とっても痛い手術がすぐそこに待ってます!
ふさぎ込んだり逃げ出したくなったとしても無理ですよ!これよりあなたは体を切り刻まれる拷問を受けるんですか!さあ耐えてください!苦痛を耐えてください!