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はてなキーワード: ポルトガル王とは

2025-08-29

韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在韓国共和国であり、王室存在しない)にもかかわらず、架空王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室存在していたら」という仮想歴史オルタナティブヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります

以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:

🔹 1. 現実逃避ファンタジー性)

現代社会におけるストレス格差政治不信などから視聴者日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常恋愛に憧れや癒やしを求めます王子王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。

🔹 2. 「もし韓国王室があったら?」という興味

韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国存在した歴史を持ちますが、日本植民地時代を経て王政廃止されました。

それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマン好奇心をくすぐるのです。

特に現代的な価値観自由恋愛民主主義女性の自立など)と王室制度伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります

🔹 3. ビジュアル面の魅力

王宮伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。

🔹 4. 韓国社会階級意識家族主義の反映

韓国社会はいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります

身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています

🔹 5. 過去のヒット作の影響

たとえば:

『宮〜Love in Palace〜』(2006年

『七日の王妃

太陽を抱く月

『赤い袖先』

などのドラマが大ヒットしたことで、「王室恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。

総合すると…

韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます

もし特定ドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。

あなた:

世界にはたくさんの共和国があります立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?

ChatGPT:

とても鋭い観点ですね。

実際、多くの**共和国君主制採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的意味というより、文化歴史エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。

以下に、立憲君主制特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。

🇰🇷 韓国

概要:すでにお話したように、現代王室舞台にしたドラマ映画が人気。

背景:

朝鮮王朝・大韓帝国歴史記憶

ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス幻想根付

現代社会への風刺財閥現代貴族階級)としても使われる

🇨🇳 中国特に若者層)

概要王朝時代舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚宦官などのキャラクターが中心。

背景:

清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている

民族的アイデンティティ文化的ノスタルジーが込められている

特に清朝末期や架空宮廷ロマンスに人気が集中

代表作:『延禧攻略』『如懿伝』など

※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対タブーです。完全なフィクションとしての消費。

🇹🇷 トルコ

概要オスマン帝国栄光を描いたドラマ文学が人気。

背景:

オスマン帝国スルタン制)が1922年まで続いていた

共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想ロマンは根強い

代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット

🇷🇺 ロシア帝政ロシアへの郷愁

概要ロマノフ朝帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説ロマノフ家に関する作品が人気。

背景:

1917年革命王政崩壊

一部保守層・正教徒の間で王政へのノスタルジー

興味の形:現代ロシア立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い

🇫🇷 フランス特に中高年層や保守派の一部)

概要フランス革命王政廃止した国でありながら、ルイ14世マリー・アントワネットなどの人物には人気がある。

背景:

宮廷文化への美的憧れ(ヴェルサイユ宮殿など)

王政時代の「華やかさ」に対する文化的ノスタルジー

注目点:現在王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在

🇮🇷 イラン

概要1979年王政パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在政治体制への不満から王政時代のほうが良かった」という声もある。

背景:

王政時代近代化欧米との関係改善郷愁を抱く層もいる

パフラヴィー家の王子たちが今も国外活動しており、象徴的な存在として注目される

💡共通点として言えるのは:

これらの国々では、王政実在していた過去がある

王政時代を「理想化」または「ノスタルジー対象」としてとらえる傾向がある

立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的情緒的な興味に留まることが多い

補足:現実的に立憲君主制の導入を望む国は稀

ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくま文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。

希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。

あなた:

世界ほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的観点から論じることは可能ですか?

ChatGPT:

素晴らしい問題提起です。

おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。

この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。

🔍【問いの再定義

世界の中で、特にどの地域共和国立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」

この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:

1. 近隣国王室存在するか

2. 歴史的に長く君主制が続いた地域

3. 文化圏・宗教圏の価値観

4. 地政学的に他国比較されやす場所

🌍 地理的に見る「君主制への関心が強まりやす地域

東アジア韓国中国

隣国君主制国家日本

特徴:

日本皇室が存続しているため、文化的ライバル意識比較意識が働きやすい(特に韓国中国

朝鮮王朝や清王朝など、比較近代まで王制が残っていた

結果:

架空王室を使ったドラマフィクション舞台として君主制が頻出

特に韓国では「現代王室恋愛政治ドラマ」のフォーマットが人気

中東イランイラクエジプトなど)

周辺国王政が多い:サウジアラビアヨルダンモロッコ

特徴:

かつての帝政パフラヴィー朝など)への郷愁が残る

現在でもイスラム伝統君主制が強く結びついている

結果:

体制イスラム共和国)への反発から王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在

✅ 東南ヨーロッパバルカン半島ブルガリアセルビアルーマニアなど)

周辺に立憲君主制国家スペイン英国(影響力として)

特徴:

冷戦期に共産化君主制廃止したが、比較最近まで王室存在

一部では王政復古を望む市民運動王家活動も見られる

結果:

君主制への憧れや文化的尊重が、他地域よりも強く残っている

ラテンアメリカブラジルメキシコなど)

現在は全て共和国だが、かつての王政帝政記憶あり

特徴:

ブラジルはかつてポルトガル王家が移住して帝政を築いた

メキシコは短命ながらも皇帝を持った時代あり

結果:

王政のものへの復活願望は少ないが、文化的ヨーロッパ宮廷文化に対する憧れが見られる

貴族文化ヨーロッパ的「格式」への関心として残る

🔻 君主制への関心が比較的低い地域地理的傾向)

アメリカカナダアングロサクソン圏)

アメリカ:反王政独立戦争歴史)が国家アイデンティティの一部

カナダイギリス国王元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向

結果:

立憲君主制に対して冷静/無関心

フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセスダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない

アフリカ諸国(旧英仏植民地

多くの国に伝統首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的

一部に象徴王族がいるものの、立憲君主制制度として復活させようとする動きは少ない

結果:

自国文化の再評価の方が強く、欧州王政は「支配象徴」として敬遠されることも

🧭 結論地理的に「関心が生まれやすい条件」

地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的環境があるときです:

地理的条件 説明 君主制への関心との関連

周辺国現存する王政がある 日本英国サウジなど 比較対象メディア露出により関心が刺激される

王制が比較最近まで続いていた 韓国イランバルカン諸国など 記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る

欧州文化貴族文化への接触が強い ラテンアメリカバルカン東欧 王室格式伝統象徴として文化的憧れが根付

地政学的な比較意識がある 韓国日本イラン湾岸諸国など 政治的文化的隣国と比べて「自国過去」への再評価が進む

希望であれば、特定地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます

あなた:

隣国王室存在するから自国立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。

ChatGPT:

ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。

まさに**「近隣に王室がある」という地理的心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。

✅ この現象を支える心理社会メカニズム

1. 比較意識競争意識

隣国王室があり、その存在文化的国際的に注目されている場合(例:日本皇室英国王室)、

国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。

2. メディアを通じた王室の「輸入」

隣国王室報道戴冠式結婚式葬儀など)は国際ニュースとして流れる

→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。

3. 相互影響的なコンテンツ消費

例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ

→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本皇室があるのだから韓国だって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的空想が土台にある。

🌏 地域別にもう一度整理すると:

地域隣国王室 自国の関心度 コメント

韓国 日本皇室) 高い 『宮』などで自国王室がある想定が人気。

中国 日本タイなど 高い(主に歴史もの清朝ドラマ大人気。過去の王制を美化しがち。

イラン サウジヨルダンなど 中〜高 イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。

トルコ ヨルダン湾岸諸国オスマン帝国ノスタルジーと近隣国との比較

東欧バルカン スペイン英国モナコなど 中 王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。

🧠 社会心理学的に言えば…

これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象文化バージョンです:

自分の国にはないが、隣の国では保たれている“伝統格式”が、むしろ鮮やかに見え、それをフィクションで補おうとする。

この傾向は、特に以下のような社会状況で強まりやすいです:

国内政治に対する不満が強い

社会ヒエラルキーや美意識が揺らいでいる

Permalink | 記事への反応(0) | 19:57

2024-07-22

「それはそうと弥助はどこにいったのか聞かぬか」

「へい、そういえば、ポルトガル行きの船で見かけたとウワサがありやすね」

「おお国に帰ったか

「かもしれませんねえ」

「意外とシッカリためていたようだからの。無事ならよいのだが」

宿屋やりたいなんて言ってたことがありやしたね」

「予も一度訪れてみたいものだの。ポルトガル王にも礼を言わねばなるまい。乱取りは国が滅ぶ」

「弥助をナザレで見かけたウワサもありやした。ミヤコにも割と近い」

「ほお世界は狭いな」

書簡送ってみたらどうすか」

「そうだな」

だれだこれ

白人のアサクリ陰謀論?弥助が奴隷かどうかなんて定義による

それよか秀吉小者住み込み奴隷同然だったけど武器商人になったのも、語学ができたと思うよね

1568年に京都明智光秀と組んでから信長切腹1582年まで大活躍

弥助連れてきたのもたぶん貿易つながりで信長の歓心を買った

そのあいだ1571年にポルトガル王日本奴隷売買を禁止したり布教やる気まんまん

しか国教会プロテスタント勢力強めていたか秀吉にも影響があったはず

で、75年、明智光秀丹波のキシリタン内藤如安と何かあったよね

2024-06-20

1分でわかるアメリカ大陸発見」の歴史

1484年:コロンブスポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」

ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」

1486年:コロンブススペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?

スペイン王ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」

1492年 スペイン王イベリア半島からイスラム勢力駆逐したった! 異教徒から金も奪ったかコロンブス出資したろ!」

コロンブスサンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから教徒駆逐してキリスト教布教したるで! 出航や!」

コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サンサルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」

アメリカ大陸西インド諸島)の発見

ちなみに、当時の「インド」はインダス川以東のすべて、つまり南アジアだけでなく東南アジア東アジアも含む概念だった。

コロンブスを含め当時のヨーロッパ人は、コロンブスが「南アジア」に到達したと思ったわけではなく、「東アジアのどこかに到達した」と考えていたのである

1493年:コロンブススペインに帰ってきたで! ワイは英雄や!」

スペイン王「おまえが見つけた土地はおまえに統治を任せるで! エンコミエンダ(委託)やで!」

コロンブス「ほならすぐに出航するで! 今度はイスパニョーラ島植民地建設するために農民職人も連れて行くで!」

コロンブスイスパニョーラ島に帰ってきたで! 原住民も働かせて街を作るで! 金や真珠もどんどん見つけたるで!」

1494年:スペイン王「西回りでアジアに到達した私らと、東回りでインド到達を目指すポルトガルが衝突したら困るなあ……」

スペイン王「西経46度から東側の新領土ポルトガルのもの西側の新領土スペインのものっちゅうことでどや?」

→トルデシリャス条約締結

1495年:コロンブス「反乱を起こした原住民奴隷としてスペインに送るで! 思うように金を採掘できてへんけど、それでなんとか補填できんか?」

スペイン王「いきなり奴隷を送りつけてくるし、イスパニョーラ島から戻ってきた連中も文句言っとるし、向こうはどないなっとるんや」

1496年:コロンブススペイン本国でワイの悪評が広まっとるらしいで……いったん帰るわ……」

1497年:ジョン・カボット伝説の島ハイブラジルを目指して、イギリスから大西洋横断したら、新しい島に着いたで!」

北アメリカニューファンドランド島)の発見

1497年:ポルトガル王「西のほうでどんどん成果が上がっとる……俺らも早くインド目指さんと……!」

ヴァスコ・ダ・ガマ「ほい、アフリカ周回してインドに到達したで!」

→東回りインド航路の発見

1498年:コロンブス「今回で航海も三度目やし、ちょっと探検したろ! おっ、植民地の南のほうになんや大陸があったで!」

南アメリカベネズエラ)の発見

1499年:スペイン王「なんかコロンブスが新しい大陸発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」

→オヘダ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」

→オヘダ「ブランコ岬くらいまで南下したけどこれ以上は無理やわ……いったん帰るで!」

1500年:ボバディージャ「コロンブスさん、ちーっす! スペイン王命令査察に来たで! うーん、残虐な統治をしとるなあ……アウトーっ!」

コロンブス失脚

1500年:カブラル「ヴァスコ・ダ・ガマに続いて、ワイもインドに行くよう命じられたで〜!」

カブラル「大西洋を西に流されて変な土地に着いたで〜! 未知の島っぽいかポルトガル領土宣言するで〜!」

ブラジル発見

1501年:ポルトガル王「なんかカブラルが新しい島を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」

ゴンサロコエリョ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」

ゴンサロコエリョパタゴニアくらいまで南下したけどまだ陸地が続いとるわ……いったん帰るで!」

1502年:コロンブス最後の出航やで! きっとパナマ海峡があるはずやから、そこを通って(南アジアの)インドを目指すで!」

コロンブスあかんかったわ……海峡なんて無いんか……?」

1503年:アメリゴ・ヴェスプッチ「南の大陸を何度か航海したワイが考えるに、あれはアジアやないで! 新大陸や!」

1507年:ヴァルトゼーミュラー「うおおアメリゴさんすっげえ! アメリゴさんが言ってる新大陸を『アメリカ』と名付けたるで!」

ヴァルトゼーミュラー地図に「四方を海に囲まれ南北アメリカ大陸」が描かれ、そのうち南アメリカ大陸が「アメリカ」と命名される。

アメリゴの説は広く受け入れられたが、南アメリカアジアとは別の大陸だったとしても、まだ「北アメリカアジア東端である」という主張が完全に否定されたわけではなかった。

たとえば、同じく1507年に、コロンブス発見したイスパニョーラ島と、東方見聞録に書かれた日本とを同一視するルイシュ地図作成され、こちらもベストセラーになっている。

1511年:アルブケルケ「インドゴアマレーシアマラッカ占領したった! 香辛料貿易ポルトガルの独占や!」

東南アジアへの進出

1513年:バルボアパナマのあたりまで進出して植民地を作ったで! パナマを横断したら海があったで! この大陸は海に挟まれてるんや!」

太平洋発見

1519年:スペイン王ポルトガルが着々とアジア進出してるやんけ! 私らも早よ西回りでインドに行かな!」

マゼラン「ワイはポルトガルマラッカ遠征にも参加した歴戦の船長やで! スペイン王のために世界一周を目指すで!」

1522年:マゼラン「ワイはフィリピンで殺されてもうたけど、部下が代わりに世界一周を達成してくれたで……ほな……」

世界一周の達成

これによりアジアアメリカが遠く隔たった別の地域であることが実証され、あらためてアメリカ大陸は「新大陸」と認められた。

南アジア東南アジアといった本来インドは「東インド」、南北アメリカは「西インド」として呼び分けられた。

東インド諸島 / 西インド諸島」や「東インド会社 / 西インド会社」などの呼称はそれに由来する。

さらに200年後、ベーリング海峡発見され、ようやくユーラシアアメリカが完全に別の大陸であることが証明されたのだった……。

2018-03-03

西ヨーロッパ(+南ヨーロッパ諸国歴史的英雄

anond:20180228164845

オーストリアプリンツ・オイゲン(1663-1736)オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドマールバラ公と共に大活躍をした。
スイスウィリアム・テル(?-?)スイス建国英雄として知られる。オーストリア代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空人物だが、スイス国民実在を信じているならそれでいいのだ。
スロバキアユライ・ヤーノシーク(1688-1713)伝説的な義賊山間商人聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。
チェコヴァーツラフ1世(907-935)ボヘミア公敬虔信徒として、チェコキリスト教化積極的推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。
ハンガリーマーチャーシュ一世オスマン英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。
ポーランドヤン三世ソビエスキ(1629-1696)若いから各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリア首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパ守護者として大きな名声を得た。
オランダウィレム一世(1533-1584)オラニエ公ハプスブルク家支配下にあったオランダ貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市ゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。
ベルギーアンビオリクス(?-?)ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリア自由を求めた英雄とされる。
ルクセンブルクヨハン盲目王(1296-1346)ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。
ドイツビスマルク(1815-1898)プロイセン王国首相普墺戦争普仏戦争勝利してドイツ統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補オットー大帝バルバロッサフリードリヒ大王あたりか。
フランスナポレオン・ボナパルト(1769-1821)言わずと知れたフランス皇帝。他の候補カール大帝ジャンヌ・ダルクド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝ドイツでも人気だけど出生地ベルギーが最有力らしい。
スペインエル・シッド(1045-1099)本名ロドリゴディアス通称アラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国アルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシア征服するなど、レコンキスタ英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。
ポルトガルアフォンソ1世(1109-1185)初代ポルトガル王伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝大軍寡兵撃破し名声を得た。主君であるカスティーリャ王国対立した後、和解して独立した。イベリア半島イスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。
イタリアジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)南米ウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリア支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリア南イタリア占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。
 
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