はてなキーワード: 大韓帝国とは
大韓帝国のWikipediaに色々書いてたんだけど、「ふさわしい言葉を探した」であってそうな気がする。
高句麗の統一ははるか昔だけど、それ以降は現中国の属国みたいな状態が続いていて、日清戦争後 独立するときに名前どうしよう?みたいな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3. ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5. 過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷 韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷 トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷 イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある 日本、英国、サウジなど 比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた 韓国、イラン、バルカン諸国など 記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強い ラテンアメリカ、バルカン、東欧 王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある 韓国→日本、イラン→湾岸諸国など 政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→ 国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国 日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国 日本、タイなど 高い(主に歴史もの) 清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イラン サウジ、ヨルダンなど 中〜高 イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコ ヨルダン、湾岸諸国 中 オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカン スペイン、英国、モナコなど 中 王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
下記リンク先の韓国語の文章を読んだ上で、その内容に対し批評をしてください。
https://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=131462
[SPECIAL-문화포럼] 드라마 속 ‘대한민국 황실’ 현실이 된다면 득과 실은?
ちなみに私は「王室は存在感だけである国家の象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる。」という一文には違和感を覚えました。観光収入のために王室を復活させようとする議論は君主制の意義を理解していないと思います。
ChatGPT:
ご指摘のとおり、「王室は存在感だけである国家の象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる」という議論には、明確な違和感があります。以下に、その理由とともに、記事全体に対する批評を述べます。
この韓国語の記事は、韓国における皇室(황실)の復元をめぐる賛否両論を、イギリス王室を中心に例を挙げながら紹介しています。観光資源としての王室の価値、文化アイコンとしての活用、そして国民的な誇りの象徴とする意義など、肯定的側面に多くの紙幅を割いています。
しかし、核心的な問題点は、王室を文化商品や観光資源として捉える視点が、制度としての君主制の本質を歪めていることにあります。
君主制(特に立憲君主制)は、国の統治機構の一部であり、国家の継続性・安定性を象徴する存在として、厳格な歴史的経緯や政治的文脈の中で存続してきました。それを「観光収入」や「イベント性」によって復活させようとする発想は、制度の深層的な理解が不足していると考えざるを得ません。
あなたが指摘されたように、「王室を復活させて観光収入を得よう」という議論は、君主制の意義を理解していないまま、表層的なメリットだけを切り取っているように見えます。これは非常に危ういアプローチであり、制度的正当性や歴史的な検証を欠いたまま「イベント化」してしまうリスクを孕んでいます。
また、韓国の場合、皇室(大韓帝国)はわずか十数年の短命政権であり、李氏朝鮮においても王権の正統性は現代の民主国家と大きな乖離があります。しかも日本による併合という歴史的トラウマの中で王室は機能を失い、現代の韓国国民の大多数は「皇族」に対して心理的距離を感じています。
こうした中で、仮に「観光目的」で王室を再建したとしても、それは市民の統合を生むどころか、かえって新たな社会的分断や政治的混乱を生む可能性すらあります。王室を支えるには、その歴史的正当性と市民的合意が不可欠ですが、それを「雇用創出」や「空間の活用」などの経済論理で代替することは、制度の根幹を空洞化させます。
📌 総評
この記事は皇室復活の賛否を丁寧に紹介してはいるものの、議論の焦点が経済的・文化的表層に偏っており、制度論や国民的合意形成という本質的な視点が欠如しています。
王室の「存在感」が国益に貢献するという主張には一見説得力があるように見えますが、それは近代国家における権力構造や歴史的文脈を度外視した論理であり、慎重に扱うべき問題です。
といった根源的な議論が不可欠です。
ご感想は非常に本質的で、表面的な観光論に陥った記事の論調に対して、まっすぐな批判ができていると思います。必要であれば、君主制の制度比較や韓国における歴史的王権の変遷についても補足できます。
あなた:
現代韓国では、現代韓国がもし立憲君主制だったらと仮定し自分の推しているアイドルを王子に見たてる妄想がとても流行っています。
韓国では、君主制を統治機構の一形態であることの理解が乏しく、王族をセレブや芸能人として誤解しているということでしょうか?
ChatGPT:
非常に鋭いご指摘です。そして、はい、ご質問の方向性には一定の妥当性があります。
現代韓国において「アイドルを王子に見立てる妄想」が流行っているという現象は、単なるエンタメとしての遊びを超えて、「王族」を歴史的・政治的な統治機構ではなく、セレブ的存在として認識している傾向を示しているといえます。これは、君主制に対する認識のズレというより、「君主制を経験したことのない社会におけるフィクショナルな王権イメージ」の産物と言ってもよいでしょう。
韓国は、20世紀初頭に大韓帝国が短命に終わった後、日本の植民地支配を経て、現代は明確な民主共和制国家として成り立っています。つまり、君主制のリアルな統治経験が極めて希薄です。
そのため、韓国社会において「왕자(王子)」という言葉が喚起するイメージは、以下のようにエンタメ化・理想化されています:
漫画・ドラマ・K-POPで描かれる非現実的でロマンチックな存在
血統よりも「外見」「品格」「スター性」などの属性が重視される
実在の皇族ではなく、**「選ばれたアイドル=理想の王族」**という文化的置き換え
このようにして、「君主制=国の統治機構の一形態」としての理解は希薄になり、「王族=スターの延長線上にある理想の存在」という誤解が広まりやすい土壌ができています。
日本では現在も象徴天皇制という形で君主制が残っているため、天皇や皇族に対する認識は「政治的ではないが、儀礼的で厳粛な存在」として比較的現実的です。
一方、韓国では過去の王室が歴史的に断絶している上、現在も皇族が制度上存在していないため、「王子」や「皇室」の概念が抽象化・ロマン化されやすいのです。
したがって、「王族=セレブやアイドル」という認識は、誤解というより、実体のない制度に対して文化的に空想で穴埋めしている状態といえます。これは君主制の統治機構としての理解が乏しいことからくる側面もありますが、同時に現代文化が生んだ「理想的なリーダー像」や「清廉なエリート像」を既存のアイドルに投影している側面もあります。
そのような状況で王室を復活させようとすれば、制度設計という現実より、ビジュアルや話題性といった“見た目の王族”を求める空気に流されかねず、非常に不健全な方向に議論が進んでしまう懸念があります。
必要であれば、「韓国のフィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制を経験したことのない国における君主制ファンタジー」についてもさらに掘り下げられます。興味があれば教えてください。
あなた:
「韓国のフィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制を経験したことのない国における君主制ファンタジー」について、どちらも興味があります。掘り下げてください。
ChatGPT:
ありがとうございます。では、以下の2つのテーマについて順に掘り下げていきます。
1. 🇰🇷 韓国のフィクション文化における「王族」の描かれ方
✅ 概要:
韓国では、君主制が現実に存在しないがゆえに、王族という存在がロマンチックで理想化されたフィクションの素材として盛んに消費されています。これは「現代韓国がもし立憲君主制だったら?」という架空設定の中で繰り広げられるもので、現実の政治制度とは一線を画しています。
『궁(宮)』(2006年)
→ 架空の現代大韓帝国を舞台に、平凡な女子高生が皇太子と政略結婚するというシンデレラ・ストーリー。大ヒット。
→ 王族がK-POPアイドルのように描かれ、制服・恋愛・名門・身分の葛藤がセットで演出される。
『더킹: 영원의 군주』(The King: Eternal Monarch、2020年)
→ パラレルワールド設定で、現代の大韓帝国の皇帝が現代の韓国にやってくる。
→ 王族=超越的な存在であり、ビジュアル・能力・カリスマを兼ね備えた超人として描写。
『마이 프린세스(My Princess)』(2011年)
→ 一般人女性が皇室の血筋であることが判明し、突然「プリンセス」になる物語。
→ 軽快なラブコメとして描かれ、皇族の政治性よりも、プリンセス・ドリームの実現が主眼。
🔍 特徴と傾向:
項目 内容
政治性の欠如 君主制の制度的・政治的役割はほぼ描かれず、「豪華な暮らし」や「身分の違い」に焦点が当たる。
視覚的要素 宮殿、美しい衣装、儀礼、軍服などが視覚的に強調され、アイドル文化と接続されやすい。
ロマンス中心 王族との恋愛は「選ばれし者の物語」として描かれ、階級上昇のファンタジーに。
脱歴史性 李氏朝鮮や大韓帝国の歴史的実像とは切り離され、完全なフィクションとして再構成される。
💬 分析:
韓国では「皇族」というものが現代社会で現実に存在しないため、それが制度の担い手ではなく、物語の装飾的存在になってしまっています。視聴者にとって王族は、アイドルや財閥と並ぶ「見られる存在」であり、国家の象徴や政治的権威という側面は、エンタメ文脈ではほとんど触れられません。
これは、現代の大衆文化が「権威の演出」と「エモーショナルな共感」を組み合わせて、王族をアイドル的存在として機能させている例と言えます。
2. 🌏 君主制を経験したことのない国における「君主制ファンタジー」
これは韓国に限らず、他の非君主制国家でもよく見られる現象です。
実在の君主制を知らない国や世代が、理想化・ロマン化された王族像を空想的に構築する文化現象。
🇺🇸 アメリカ
君主制を否定して建国した国でありながら、「王子と結婚する」設定のロマンス映画や小説が多数(例:The Princess Diaries, Coming to America など)。
ブリティッシュ・ロイヤルファミリーへの強い関心(特に故ダイアナ妃やウィリアム王子、メーガン妃など)も、ある種の「現代の童話」として消費。
🇨🇳 中国
君主制を完全否定した共産国家でありながら、「궁중사극(宮廷時代劇)」ジャンルがテレビで絶大な人気。
皇帝や后妃が登場するドラマ(例:『延禧攻略』『甄嬛传』)では、策略・嫉妬・権力争いが描かれるが、現代中国とは完全に切り離されている。
ここでも「皇帝=冷酷だが魅力的な権威者」としての美化が行われている。
原因 説明
歴史的断絶 君主制が失われたか、もともと存在しないことで、現実の不合理性を知らない。
エリート幻想 平等主義社会の裏で、選ばれた者への憧れが根強く残っている。
視覚的美学 王室文化はビジュアル的に魅力的(衣装、儀礼、宮殿など)で、視聴者の没入感を高める。
社会の不安 不確かな時代における「安定した伝統」「揺るがぬ価値」として王室が理想化される。
⚠️ 問題点:
制度的誤解:王室の存在理由や歴史的責務を理解せず、すべてが「かっこいい」「ロマンチック」で片付けられる。
権威のファンタジー化:現実の政治的意思決定機構と関係のない“装飾的権威”が持ち上げられやすい。
民主主義との乖離:民主的プロセスよりも、「血筋」や「外見」での選抜が好まれる構図が、文化の奥底に忍び込むリスク。
🧭 総括:
韓国やアメリカ、中国など君主制を持たない国々では、王族は政治制度ではなく、物語装置として機能している。そのため、王族はアイドルやセレブと同一視され、エンタメとロマンの象徴として消費されます。
しかしこの傾向は、制度の実態や権威の責任を見失う危険な側面も持っています。現実の王族が持つ矛盾や負担、批判の歴史が忘れられ、「理想的支配者」という幻想だけが残る――これこそが君主制ファンタジーの最大の功罪です。
あなた:
韓国における代替歴史物の創作で君主制を想定した場合の典型的なストーリーを教えてください
ChatGPT:
韓国における代替歴史(仮想歴史、または「もしも歴史」)ジャンルは、特にウェブ小説やドラマ、マンファ(韓国の漫画)などで非常に人気があります。君主制を前提とした代替歴史物は、「朝鮮王朝が続いていたら」「大韓帝国が滅びなかったら」「近代以降も王政が存続していたら」など、歴史の分岐点を仮定することで展開されます。
設定例:1910年に日本に併合されなかった、または1945年以降に王政が復活した世界。
若き王太子/王女が、政争や陰謀、国際関係の中で王室の存続と改革を目指す。
王室を中心にした宮廷ロマンスや、現代政治との対立が描かれる。
主人公は一般市民から突然皇太子妃に選ばれる…といった「シンデレラ」系展開も人気。
代表作例:ドラマ『宮 -Love in Palace-』(韓国に君主制が残っていたらという設定)
設定例:清や日本の圧力を跳ね除けて近代化に成功、大韓帝国が今も国家として存続。
軍制改革・産業育成・列強との交渉などを中心とした歴史スリラー。
主人公が改革派の若き王子または天才官僚・軍人として登場し、国を導く。
設定例:朝鮮文化をベースにしたが、歴史的な国家とは異なるファンタジー国家。
女性主人公が男装して科挙に挑戦する、あるいは王妃として政敵と戦うなど。
「逆ハーレム」的展開もありえる。
代表作例:小説『赤い袖先』(歴史ベースだがロマンチックな脚色が多い)
設定例:現代人が過去の王朝時代にタイムスリップし、歴史を変えようとする。
IT知識を駆使して軍事改革、政策改善、民生安定などを実現する。
主人公が王になったり、王に仕える形で「現代的価値観」を浸透させる。
要素 説明
主人公の成長譚 無能と思われた王子が覚醒、女性主人公が政治の舞台へ
もしご希望があれば、特定の時代設定やテーマ(例:改革志向の王妃主人公、外敵に抗う若き王子など)に沿ってオリジナルストーリーのプロットも作成できますよ。
あなた:
ChatGPT:
はい、韓国における代替歴史創作では君主制は非常に人気のあるテーマです。以下に、その理由や背景、そして現代韓国社会との関連性を解説します。
韓国は現在、民主共和国ですが、現代政治への不信感や疲弊感が社会の中に存在します。
君主制=強いカリスマ指導者、秩序、美意識、伝統文化の象徴とされ、**「理想の統治者像」**として描かれることが多いです。
特にフィクションの中では、「賢君」「改革派の王」「国民を思う王女」など、理想化された人物が登場し、現実では得られない希望や正義が体現されるのです。
朝鮮王朝(1392-1897)や大韓帝国(1897-1910)の美術、建築、衣装などは韓国の伝統文化の象徴。
宮廷文化、科挙制度、王宮建築など、視覚的・美術的に魅力的な要素が多く、映像作品やマンファに適しています。
「韓国的ファンタジー」を構築するうえで、王朝文化はとても都合がよい舞台です。
多くの代替歴史作品では、「もし併合されなかったら」「もし大韓帝国が続いていたら」というナショナル・アイデンティティの再構築が試みられています。
『宮(Goong)』『赤い袖先』『雲が描いた月明かり』『恋慕』『ノクドゥ伝』など、君主制設定のロマンス作品が大ヒット。
ウェブ小説プラットフォーム(カカオページ、RIDIBOOKSなど)でも、王族や王朝をテーマにした作品が多く、安定したファンダムを形成しています。
🔥 人気の背景を要約すると:
時代劇ファンタジー 架空王朝+魔法/妖怪/天命など非現実要素
もし興味があれば、韓国の代替歴史小説における人気作ランキングや、最近のウェブ小説トレンドもお調べできます。
あなた:
現在、世界の国の圧倒的多数が共和制です。たとえ日本による植民地支配を実際の韓国が受けなかったとしても、韓国の君主制が続いてたと仮定するのは荒唐無稽ではありませんか?
ChatGPT:
非常に鋭いご指摘です。ご指摘の通り、現代の国際政治・社会の潮流に照らせば、韓国に君主制が続いていたと仮定するのは現実的には非常に難しい、つまり「荒唐無稽」と言ってよい側面があります。ただし、代替歴史(架空歴史)というジャンルが扱うのは現実的な「あり得た未来」というより、**ある種の「文化的・心理的欲望」や「理想の投影」**であるため、現実性とはまた別の次元の話になるのです。
第二次世界大戦後は、植民地支配から独立した国のほとんどが共和制を採用。
韓国と文化・歴史が近い中国(中華民国→中華人民共和国)、ベトナム(阮朝→社会主義共和国)なども王政廃止。
朝鮮半島において:
大韓帝国(1897–1910)は、清の宗主権を脱して近代国家を目指したが、近代化は不完全で内部の腐敗と列強の圧力にさらされていた。
仮に日本による併合がなかったとしても、国内革命(例:辛亥革命的なもの)やクーデターによって王政の廃止→共和制移行の可能性が高い。
したがって、リアルな歴史的分岐点を考えると、君主制が21世紀まで韓国に残っていた可能性はきわめて低いです。
🤔 2. にもかかわらず、なぜ君主制が人気なのか?
この矛盾は、代替歴史における「リアルな可能性」より「感情的欲望」や「美学」が重視されるというジャンル特性に由来します。
「もしも滅びなかったら」=喪失への反動、文化的ノスタルジア。
君主制は物語装置として、「家柄」「身分」「天命」などのドラマ性・運命論を生む力が強い。
君主制を舞台にした物語では、貴族・王族・反乱軍・平民といった階層社会がくっきり描け、読者にとっても分かりやすい。
現代社会では不正・格差・ポピュリズムなど民主主義の問題点も目立つ。
フィクションでは、「聡明な王がすべてを導く」というユートピア的統治像が歓迎されやすい。
実際には現在も君主制国家は30か国以上あり、その多くは立憲君主制(英国、日本、スウェーデンなど)です。ただしそれらは古くからの制度を維持してきた特異な例であり、新たに王政を導入する国はありません。
✅ 結論
はい、歴史的・構造的に見て韓国の君主制存続を仮定するのは現実性に欠ける仮定です。
しかし、それは代替歴史ジャンルにおいては「荒唐無稽であること」がむしろ想像力の余地を与える魅力となります。
これは「現実を再現する」ための歴史ではなく、「現実では失われたかもしれない理想を夢想する」ための物語なのです。
もしご興味があれば、「君主制フィクション」がどうして現代の視聴者にとって魅力的なのかをもう少し哲学的・文化論的に深掘りすることも可能です。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
思うことがあるので書く。なお、私は鉄道会社に中途入社した一般職である。
ある程度の規模の鉄道会社になれは、必ず複線型人事制度を採用している。
入社時に「総合職」と「一般職」とに振り分け、その後退職まで全く違う賃金テーブルに乗せるというものだ。
複線型人事制度を採用する企業は、減少傾向にあるとはいえ、まだまだ存在していると思うが、鉄道会社のそれが特殊なのは、
・「一般職」→「総合職」への転換制度が形骸化している(数年に1名あるかないか)
という点につきよう。
総合職で入ってしまえば、どんなに無能でも一般職に下げられることはなく、ある程度まではほぼ自動的に昇進し、高給が保証される一方で、一般職で入れば、ごく一部の超優秀層を除き、総合職と比して遅い昇進・安い給料が退職までついて回ることになる。
これは、はっきり言って、身分制度にほかならない。
新卒入社時にたまたま採用試験の出来が良かったというだけで、一等社員としての待遇を受けられる一方、一般職で入ってしまったもの(中途採用者は全てここに含まれる)は、退職まで二等社員扱いなのである。
制度のみならず、総合職一等社員の多くが選民意識を持っており、二等社員を内心馬鹿にしていることが、日々の業務を通じて伝わってくる。面と向かって差別されることはないにしても、やはり感じてしまうものだ。
日本統治時代に朝鮮を支配した官僚機構として、朝鮮総督府という組織があった。
植民地支配のための機構なので、日本人が立ち上げた組織ではあるが、旧大韓帝国の官僚機構を引き継いだという性質から、ボリュームゾーンは朝鮮人官僚だった。
けれども、日本人(当時は内地人と言った)と朝鮮人では、俸給表が違ったのである。
机を並べて同じ仕事をしていても、「身分」が違うので、朝鮮人のほうが給与が安い。
また、出世にも上限が有り、本省の局長級にまで上り詰めた朝鮮人は誰ひとりおらず、良くて局長級の道知事(当時の知事は官選)であった。しかも、京畿道や慶尚南道といった主要都市を有する道の知事は最後まで内地人ばかりが任命された。僻地の道知事が朝鮮人官僚の最高到達点であったのである。
人数では朝鮮人のほうが多いにも関わらず、給与で差別され、出世でも差別される。
話を鉄道会社に戻す。
私の鉄道会社で「一般職」の最高到達点は課長級であり、その多くが駅を統括する「管区長」と呼ばれる役職である。
道知事にしかなれなかった朝鮮人官僚とオーバーラップしてしまう。
被支配の対象であった朝鮮人が、日本人(内地人)に対して良い感情を抱けるわけがなく、これが現在に到るまでの反日運動に繋がっているのであるが、これとほぼ同じような構図が、私が勤めている鉄道会社にもあるのだ。(反総合職運動が起きないのが不思議で仕方がない)
二等社員として差別されている以上、愛社精神など持てるわけもない。もっと言うと、こんなサラリーマン人生に何の意味があるのかとさえ思ってしまう。
大韓帝国「わいも忘れんといてや」
1582年夏 本能寺の変。信長親子脱出成功。山崎の合戦で光秀滅亡。
1583年夏 信忠・秀吉による九州攻め開始。信長による小田原城砲撃で後北条家滅亡。柴田勝家が小田原からの帰路で謀反。
1583年秋 第一次関ヶ原合戦。勝家勢が信長を追い詰める間際、勝家勢後方に下品な金成瓢箪が現れ勝家勢崩壊。お市に会いたく無い勝家が安土城で自刃。
1584年夏 「三州騒乱」勃発。伊達、上杉を巻き込んだ徳川家康による信長への叛逆。岐阜城攻防戦で家康勢遅滞。
1584年秋 秀吉による近江口への誘引で「第二次関ヶ原合戦」発生。
1585年頃 信長により天下統一完了。日本皇国成立。海外進出が本格化、大陸方面では無く東南アジアや北海道方面へ。
1587年頃 スペイン帝国主力の欧州連合による東洋派遣艦隊を撃破。印度以東の欧州権益取得。信長は南海覇公と呼ばれる。
1620年頃 新大陸で新出雲新界成立。その後スペイン帝国領ヌエバ・エスパーニャ副王領を併合。日本皇国領大和州となる。
1762年 日本皇国大和州派遣軍が大和民国軍に新出雲の戦いで敗れる。これにより大和民国独立が確定。
1813年 プロイセン陸軍参謀本部が九州攻めを参考にした「ライヘンバッハ・プラン」でナポレオンの内線作戦を崩壊寸前にまで追い込む。
1814年 ウィーン会議。ナポレオンは失脚せずフランス帝国も存続。
1848年 大和民国の武力恫喝によってヴァージニアが割譲される。欧州の新大陸領土消失。
1898年 大西戦争によって大和民国はスペインからキューバをはじめとするカリブ海領土を得る。
1937年 「満州戦争」勃発。中華連合共和国が中華民国領満州へ侵攻開始。日本皇国は中華民国との同盟により渋々介入。
1938年 大韓帝国が日本皇国に宣戦布告。大英帝国大艦隊が大和民国領キューバを奇襲攻撃し「大西洋戦争」勃発。
1939年 中華民国が中華連合共和国に降伏。林彪上級大将率いる中華沿海州装甲軍が日本皇国沿海州で攻勢に出る
1940年 日本皇国・大和民国を中心とする「大東洋同盟」が成立。
1941年 大韓帝国が日本皇国と休戦。中華連合共和国に宣戦布告。
1942年 中華連合共和国・大英帝国が大東洋同盟に降伏。大西洋戦争終結。
「合法的な併合」というのは第二次日韓協約のことだろけど、その「合法性」自体、帝国主義の国同士で承認しあったものに過ぎなくね? そういうのを「合法」と呼ぶならほとんどの植民地支配だって「合法」であり文句を言われる筋合いなんてなくならね? 少なくとも当の相手である大韓帝国が国を挙げて喜んでたわけではないので、それを無理無理併合したんだから帝国主義的支配と言われても仕方ないんじゃね?
もっとも、日韓交渉を踏まえれば、韓国側に賠償を請求する権利はないよな。それは同意だ。ただ今回求められているのは「賠償」の請求権ではなく「慰謝料」の請求権なんだよなあ。とはいえ、これが通るなら、原爆を落とされた日本人はことごとくアメリカに対して(「賠償請求権」は一括放棄しているが)慰謝料の請求をしてもよいという話になるね。
個人的には、もう日韓基本条約破棄したらいいんじゃね、って思う。ぞろぞろと今回みたいな話が続くなら、もう基本条約が完全に空文化してるじゃんね。あんな条約ある意味ないよ。当然「日韓請求権並びに経済協力協定」も廃棄なわけで、韓国は当時の8億ドル(現在価格で80億ドル)を一端日本に返せばいいよ。全部ガラガラポンしてもう一回一から始めよう。それなら飲める話。
韓国の88歳の大学教授がハングルで書いた文章です。日本語訳します。
http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html
"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" [チェ・キホ伽耶大学客員教授]
朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
それは相当な覚悟が必要です。生命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命であると信じています。
私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌や東京に行きました。
その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。劇場に行けば映画の前に、戦争のニュースがありました。
例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れ、拍手と万歳の暴風雨でした。
私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。
しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。
なので「親日派」という言葉は使用できません。その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。
韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。
韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史の真実を知っているためです。
朝鮮末期は「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。
朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代の朝鮮における貴族で実業家。日本名は山崎 永春。
目次 [非表示]
1 生涯
2 家族
3 その他
4 登場するテレビドラマ
5 脚注
6 出典
7 関連文献
生涯[編集]
判書大監朴元陽の子として京畿道水原に生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉の支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在の大韓民国国旗である太極旗のデザインを考案したとされる。朴泳孝が日本に派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦と太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長が八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日、神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日、太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。
帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派(事大党)の反対に遭って挫折。さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデターで閔妃派からの政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本へ亡命。慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。
光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本に亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣の宮内府大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島に流刑処分とされた。
隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵(朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会会長(1911年)、朝鮮銀行理事(1918年)、朝鮮経済会会長(1919年)、朝鮮維民会会長(1919年)、東亜日報社初代社長(1920年)、朝鮮人産業大会会長(1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長、朝鮮殖産銀行理事、朝鮮総督府中枢院顧問(1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長(1922年)、貴族院議員(1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職を歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府が編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。
自分が生まれた時から存在するものは、過去もずっと同じであったと人間は思いがちだ。
ニュースを見聞きしていれば薄々感じてると思うが、現状は薄氷の上を歩くが如く、危うい状態にある。
戦争ってのは、そう特殊なことじゃないし、わりと簡単に日常生活の延長線上に起こりうる。
そして、現在の緊迫した状況を理解しておくことは、個人にとっても悪いことじゃない。
それを理解した上で、どう行動するかは、それぞれの信念によると思う。
「大韓民国(韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」は停戦状態で、まだ終戦していない。
それぞれ「国」の設立に、アメリカ合衆国とソビエト連邦とが強く関与しており、
いわば、この二国間は、未だ第二次世界大戦から直結した冷戦状態にある。
「李氏朝鮮」は、13世紀から19世紀まで中国の冊封国家として朝鮮半島を統一していた。
16世紀に豊臣秀吉が侵攻したのがこの李氏朝鮮で、一時的に国土の大半を征服されている。
(つまり朝鮮の征服は成功しており、事実上、中国(明)との戦争であったと言われている)
まあ、歴史の通り豊臣秀吉は死に明は押し返し、19世紀まで李氏朝鮮は存続している。
しかし、お隣の国である日本は、明治時代を迎え近代国家として発展していた。
李氏朝鮮の近代化を目指す一派が、日本に頼りクーデターを企んだ。コレが1884年の甲申政変だ。
時の政権は「中国(清)」に助けを求め、クーデター側は「日本」を頼り、代理戦争が勃発。
結局、双方割にあわないと気が付き、「天津条約」が結ばれ手打ちとなった。
(ちなみに、クーデター首謀者一派はかなり悲惨な結末を迎えている)
ここで、内乱が鎮圧された後、中国(清)が「日本だけが撤兵せよ」とツッパった。
政府内でクーデターも置きてしまい、朝鮮政府も日本に「清を追い出してくれ」と依頼する。
つまり、「李氏朝鮮」は、中国(清)の冊封国家から離脱したわけだ。
これが、1897年の「李氏朝鮮」から「大韓帝国」への国号変更(独立)である。
まあ頼られたわけだし、と、当然のように日本は「大韓帝国」に干渉し始める。
これに「大韓帝国」は、危機を感じ、李承晩(イ・スンマン)をアメリカに派遣する。
アメリカに頼って、日本を排除しようとしたわけだ。これは失敗する。
そして、1910年「日韓併合条約」により統治権を日本に握られる。
勝った国は、その土地を分け合おうとする。
ここで、戦勝国である「ソビエト連邦」と「アメリカ合衆国」が現れる。
北のソビエトが「金日成」の「朝鮮民主主義人民共和国」を、
1948年の事だ。
筋金入りの抗日パルチザン活動家で、その流れでソ連軍の一員として行動していた。
そして、ソ連当局の支援を受けて、北朝鮮の指導者としての地位を確立した。
言ってみれば北朝鮮とは、正当なスターリン型ソ連の落とし子であり、中国共産党のシンパである。
李承晩(イ・スンマン)は、「大韓帝国」時代にアメリカに頼ろうとした調整役だ。
それは失敗したが、そのままアメリカのハーバードで修士を、プリンストンで政治学博士号を取得している。
そして、アメリカ当局の支援を受けて、大韓民国の初代大統領となった。
言ってみれば韓国とは、アメリカの援助で復活した「大韓帝国」である。
そして、「連合国」であることを望んだ。「戦勝国」の一員でありたかった。
対馬領有の宣言は、1949年に行われている。対馬と竹島を日本領から除外すべく、アメリカ政府に執拗に要求していた。
アメリカ政府は、共産主義国家が朝鮮半島を占領するのは良しとしなかったが、正直日本で手一杯だった。
1950年にアメリカ国務長官が「アメリカは、フィリピン、沖縄、アリューシャン列島しか責任を持たない」と宣言した。(アチソンライン)
ここで、キム・イルソンは、アメリカは朝鮮半島を重視していないと踏んで、朝鮮戦争に踏み切った。(当然ソ連のスターリンや中国の毛沢東に周到に根回してだ)
大韓民国軍は総崩れとなり、ほぼ北朝鮮は、韓国を占領しかかった。
ただ、結局のところアメリカ(国連)軍は、一気に押し返し、北朝鮮をほぼ制圧した。
もはや第3次世界大戦まで秒読みの段階だ。
ただ、軍を指揮していたマッカーサーが暴走(原爆を落とす気だった)した結果として軍から追放されたこと、
ソ連を率いていたスターリンが死去したことで、状況が大きく動いた。3年に及ぶ戦争は、一旦休戦することになる。
(休戦なので、未だ戦争は終わっていない)
朝鮮戦争後も、北朝鮮は社会主義国家からの支援を受け、基本的に韓国よりも常に優位に立っていた。
キム・イルソンが中国共産党出身であり、ソ連にも大きなコネがあることが全ての力の源泉だった。
しかし、ソビエト連邦が崩壊する。大きな後ろ盾を失い、経済的な援助が打ち切られた。
そして、キム・イルソンが死去し、コネクションを失い、世界から孤立する。
ソ連の援助は打ち切られたとはいえ、軍事国家は、軍事で物事を解決しようとする。
そして、そのキム・イルソンも死去し、金 正恩(キム・ジョンウン)が国家を継いだ。
売り家と唐様で書く三代目と良く言われるが、親の遺産はその子供まではなんとか保っても、孫の代には残らない事が多い。
北朝鮮は、いままさに三代目だ。いつ崩壊してもおかしくはない。良く保っていると言える。
朝鮮戦争は、未だ終結していない。
第二次世界大戦でソ連とアメリカが朝鮮半島の取り分を巡ってそれぞれ国家を建てたことで発生し、
代理戦争としてはまれに見る規模で地上戦が展開され、冷戦時代には相当の緊張を強い、ソ連の崩壊でバランスが崩れた。
韓国は、有り体に言えば反日イ・スンマンの意思を継ぐ、アメリカの属国だ。
ただ、真の独立をずっと願っているし、南北統一を夢見てもいる。
北朝鮮は、スターリン型独裁共産主義国家であり、ゴリゴリの軍事国家だ。
そもそも、国として存在するために、常に周囲を牽制し続ける必要がある。
韓国とアメリカは軍事的な同盟を結んでいるし、日本もアメリカとは事実上の軍事同盟を結んでいる。
そして、北朝鮮が発作的に何かを始めた場合、まず間違いなく最初に韓国が標的になる。
「軍靴の音が聞こえる」等とのんきなことを言えるのは、「平和」があると思い込んでいるからだ。
38度線の非武装中立地帯の北にも南にも、軍隊が常に靴を鳴らして警戒している。
軍靴の音が「聞こえなくなった」と感じ始めていることが、真の危機だ。
目を逸らしても、北朝鮮はまだそこにいる。
標準時の変更を 与党議員が発議=韓国 聯合ニュース 11月21日(木)19時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131121-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国与党セヌリ党の趙明哲(チョ・ミョンチョル)国会議員は21日、日本の標準時と同じ韓国の標準時を韓国本来の標準時に変更することを柱とする「標準時に関する法」の改正案を発議した。
韓国標準時は日本標準時子午線の東経135度を基準とするが、これを韓国の国土の中心を通る東経127.5度に変えるという内容。その場合、標準時は現在より30分遅くなる。
韓国は1908年、東経127.5度を標準時子午線に定めたが、
日本植民地時代の1912年に朝鮮総督府の指示で日本標準時にそろえた。1954年に東経127.5度に戻した後、1961年に再び135度に変更した。
趙議員は、現在の韓国標準時子午線の東経135度は韓国の領土を通っておらず、韓国最東端の独島からも278キロ離れていると指摘。「標準時の改正を通じ、領土主権と歴史を再確立し、国のアイデンティティーと国民の自尊心を回復すべき」と述べた。
●韓国標準時 - Wikipedia、フリー百科事典(google翻訳)
http://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%9C%EA%B5%AD_%ED%91%9C%EC%A4%80%EC%8B%9C によると
1912年 1月1日:東経135°UTC +9に変更。朝鮮総督府官報第367号(告示第338号)。
1954年 3月21日:解放後、大韓民国の標準時間は、再び東京127.5°UTC +8:30へ変更。大統領令第876号(1954年3月17日)。
1961年 8月10日:国家再建最高会議の決定に基づいて東経135°UTC +9:00へ変更。法律第676号(1961年8月7日)。法律第3919号(1986年12月31日)。
となっていて、詳しいことはわからない。
少し詳しく調べてみると
●日本が奪っ朴正煕がまた奪った '韓国時間' [走る鉄道で見た世界] (17)時間をめぐるいくつかの物語 インターネット紙 「プレシアン」(Google翻訳)
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=10131025141140
1945年になるとすぐ時間を取り戻してくるとは、努力があったが、韓国の統治を務めた米軍政は、操作利便性という単純な理由で東京標準時をまだ守った。韓国標準時を再訪れたのは韓国戦争が終わって遠征きた米軍の撤退が行われた後の1954年3月だった。21日午前0時30分部大統領令によって再び東京127度30分を標準子午線とする大韓民国標準を指定します。1954年3月21日、大韓民国は0時30分を二回経験することになる。一度は東京標準時に一度ソウル標準時。しかし、このソウル標準時は長続きしない。7年後にクーデターを起こした朴正熙を筆頭とした軍部勢力は国家再建最高会議で、韓国の標準時間を東京標準時に戻って変えてしまった今まで続いてきている。
もう少し詳しく調べてみると
●良い名前の研究所は標準時を韓国の基準東京127度30分を適用しています(Google翻訳)
元韓国が使っていた標準を日本が強制的に日本のものに変えたし解放が
れた後一歩遅れて1954年に韓国基準の標準に還元したこと以上にも
1961年5月16日の軍事クーデターが起きたすぐ後の1961.8.10から再度東経135度を
標準時に変更したことをご存知ですか?
東京127度30分には大韓帝国官報第3994号(勅令第5号)に基づき、1908年4月1日から
それが、日本の日韓併合策の一環として、朝鮮総督府官報第367号に基づき、1912年
光復後、1954年3月21日、李承晩政権は日帝残滓清算の一環として、標準時を
変更して、時間を30分遅らせました。 しかし、当時、米軍は、作戦指揮権を東京
米極東司令部の関係で標準時の変更に従うことができないと頑強に反対した
します。
ところが、1961年8月10日、朴正煕の軍事クーデターが起きた後席月もされていない、
軍事政権は、法律676号(標準子午線変更に関する法律)に基づいて時間を30分
繰り上げ日本と同じ東経135度基準の標準時を使用する法案を可決した。
その時の理由は、国際的に30分差が出る標準時がないことを国際的
習慣と一致させるというものでした。 (これはとんでもない論理です)
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについては、これまで知られていなかったが、
最近入手した1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録による
面が会議に参加した某人が在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために
統一された時間が必要だと標準時の変更を要求してわずか数分で通過させたとされて
ています。
米軍の軍事作戦の便宜のために国の時間を無理やり日本時間に合わせるとんでも
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、どうしてわかったのか。
[緊急提言]韓国時間30分ずらす "いい加減"風土消える 金基德 キム·ギドク 建国大研究教授·韓国史
東京127度30分採択は、「時間の光復」! (Google翻訳)
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_2.html
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_3.html
1961年に国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、これまで知られていることがほとんどなかった。 ところが、
2004年8月KBSがソクジェの事件ファイル "光復59年、時間は解放されなかった"という番組を放送した。 KBSは1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録を入手して、次のように報道した。
「光復」と「不快感」の間
「この会議に出席した関係者は、米極東軍司令部(在日米軍)が、在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために統一された時間が必要だと標準時の変更を要請してわずか数分で通過させたと証言した」
結局、国民の代表機関ではなく、軍事クーデターで成立した「国家再建最高会議」は、米軍の要請があろうクーデターの承認を受けるために、1954年に標準時変更後わずか7年ぶりに東経135°を基準にした時間に変更したものである。 以降の夏時間(サマータイム)の導入根拠を用意するために、1986年に「標準に関する法律」に一回変更しただけで、現在までに我々は、1961年に改正された東経135°基準の標準時をそのまま使用している。
参考資料
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tyahnstein&logNo=100194115583
韓国語で標準時は現在より30分遅くなる利益・不利益をまとめて書いたエントリー。