はてなキーワード: あっちこっちとは
大学1年生の息子が雨穴の「変な○○」シリーズを立て続けに読んで(ちゃんと紙の本で新刊で買って読んでた)はまったらしく、こういう感じのない?と聞いてきた。
僕も最近、ああいうモキュメンタリーっぽいホラーが好きだったので数冊貸してあげたところ、読み終わっての感想に「悪くないんだけど、もうちょっとミステリーっぽいのが好きなんだと気づいたわ」と言ってきた。
うーん、そういう場合、一番最適なのはたぶん京極夏彦なんだろうけど、あいにく自分は未読で家にもない。ちょっとホラーっぽいミステリーねえ、ミステリーの文庫本はトランクルームに閉まってるか実家だなとしばらく思案。
書棚の奥の方をあさったら、島田荘司の「異邦の騎士」が出てきた。数年前に近所のブックオフで100円棚にあって買ったのを棚に刺したままにしていたやつだ。本当は「占星術殺人事件」か「斜め屋敷の犯罪」の方がベターなんだけど今、手元にはないので、まあ、これでいいかと読んでみなと渡した。
翌日、読んでる?と聞いてみたら、「100Pくらい読んだけどまだわからん、っつうか、昭和の話かあと思ったら、主人公が昭和25年生まれで、うわーとなった」 「東横線とか横浜とか高円寺とかたぶん俺の知ってるそれとは違うんだろうなとなった」 「ああ、J-POPがさげすまれてた時代ね、ジャズが人気あった時代かあと思った」とか面白い感想を言い出した。
なので、しばらくほっといたら翌日も「話がすすまねえよ。あっちこっち行きすぎだよ」と愚痴ってたが、すまん、御手洗潔シリーズって全部そんなんなんだよと返すしかなかった。
翌々日くらいに「読み終わった」と言いに来たので、感想を聞いたら「いくらミスリードといっても真ん中250Pくらいいらねーじゃねーかと思った」 「御手洗、一気に解決しすぎなんだよお前はと思った」 「いったい何を読まされたんだよ俺は」と言っていて、ああそれは御手洗潔シリーズの正しい感想だわと嬉しかった。ちなみにドラマで御手洗潔役は玉木宏がやってたぞと伝えたら「それは絶対違う」と笑ってた。うんそうだよね。
読みながらReturn To Foreverの「浪漫の騎士」をSpotifyで聞いたそうで、俺が最初に読んだ頃はそういう読み方はできなかったのでちょっと羨ましかった。活字で読んだ音楽をその場で確認できるのはほんとにいい時代だと思う。
息子に「異邦の騎士」を渡したのは、この小説は僕が父から渡された小説だったからでもある。ちょうど自分が息子と同じくらいの年齢のころ、父から気まぐれに「これ面白かったから読んでみな」と渡されたのがノベルズ版の「異邦の騎士」だった。ミステリーって探偵が出てきて、依頼者がいて、殺人事件を解き明かしてみたいなやつでしょというくらいの認識でいた当時の自分には、そういう典型ではないこの「異邦の騎士」が御手洗と主人公の掛け合いの面白さもあり、非常にはまって読んでしまい、そこから立て続けに図書館で借りたり、本屋で買ったりして読みまくったのだった。
かといって、ミステリーマニアになったりするほどではなかったのは、どちらかと言ったら、この本は"面白いミステリー"の枠ではなく”父に薦められた面白い本”の枠だったからだと思う。
父は雑食な本好きで僕が学生の頃は家に何十冊もノベルズのたぐいがあった。僕が本を読むようになった頃は架空戦記ものにはまってしまっていたので自分の嗜好とはかなり違っていたが、中高生のころは何冊かは彼に教えられて読むようになった本がある。最初に薦められたのはたぶん「ぼくらの七日間戦争」だった。ちょうど映画化するころの話。まあ、あれは息子に読ませようと買ってきたのかもしれない。あと、高橋克彦なんかもすすめられた記憶がある。
結果的に「異邦の騎士」は父から僕へ、僕から息子へと三代をつなぐ小説となったわけだ。今度、墓参りにいったら父に報告しておこう。
息子は、課題があるからしばらく小説はやめとくが終わったらまた読むわと言ってたので、今度は書庫で探すかブックオフで拾うかして「占星術殺人事件」を渡そうと思う。
【追記】
書いてなくてすまんな、親父は8年前に死んでんだわ
話せない趣味
Youtube → くだらない動画しか観ていない。登録者10万人でも、日本の人口的にマイナーなので話が合わない。
読書 → 具体的なタイトルを出すと、そのタイトルの解説をしなくてはならないのでめんどい。学問系とかだったら「写像ってなんすか?」とか聞かれて答えに詰まると気まずい。
プログラミング → 「何作るの?」と言われても、データをあっちこっちするだけのもので説明がめんどい。「電卓とかですかね」と言ったら、「まだ電卓作ってるの?」といじられ続けたので、二度と言わない。
日記 → 「世間的には少数派という意味」で趣味だと思うけど、趣味として言っていいのかわからない。
筋トレ → 筋トレって言うのは孤独に己の内面と向き合うことなんだよ。見せつけるものじゃない。昼食にプロテインを摂るとバレやすい。
話せる趣味
ゲーム → Steamのよくわからないゲームをやっている。同じ返答を維持し続けるために、FPS・ローグライク・シミュレーションなどリプレイ性が高いものが良い。
変に流行りのゲームや終わりがあるゲームを言うと、「まだそれやってるの?」となったとき面倒なので。
Steamのフレンドになったら本当に何やってるか話す。ただSteamでゲームやってる人は現実の人にフレンドを申し込んだりはしない。
(↓編集した)
朝ドラの。
フィクションなんだけど、フィクションすぎて、「それはちょっとあり得なくないか」ってなってる。
(父上なんで祝言の日まで落ち武者ヘアなんだよーとか)
脳の変換が間に合ってないんよ。
当時の風習込みで見てる時代劇モードと、アニメの時代・歴史物を見るときのファンタジー寄りのフィクションモードの間をあっちこっちしてる感じ。
(追記:時代劇っていうと大河とか水戸黄門ぽいね。時代物とかコスチュームドラマとかヒストリカルフィクションとか広義の意味よ、って長ぇわ)
ほら明治ってまだ封建的で旧武家家族なんかは結構厳しかったりするじゃない。
杉本鉞子の『武士の娘』でさ、アメリカ育ちの娘を連れて日本に帰国したら母(祖母)がまー厳しくて娘さんたちがたちまち萎縮しちゃったっていう。
去年の虎に翼でも、当時の民法では財産にせよ相続にせよ女は家の付属物扱いだったみたいなさ。
アニメだったら楽だったのに。
ヘブンさんが出るまでは粘るか~。
これ毎回「役に立たないと思われてた研究から思わぬ成功が生まれるんだ」みたいな擁護の論法が出るんだけど、
そのたび「そっちじゃねえ」と思ったりする
自分の理解としては「そっち方面の話が分かるやつの母数が多いほど、トップの仕事の能率が上がるのが良い」だと思ってて
つまり常人の100倍1000倍、頭の回転の良い奴に頭の回転1倍のスタッフを付けたら能率ガタ落ちでしょ、って
だいたい、1000倍デキるやつが常人のあたふたしてるのを面倒見る羽目になるよね
二世三世議員に振り回されて要らない仕事増やされる官僚みたいにさ
周囲がついていけないと、デキる奴がやりたいことを始めたくても全部自分で準備しなきゃいけない
なんか成果を出しても、成果を理解できる程度の能力が同業界に10人や100人、出来るだけ大勢いないと成果が埋もれかねない
そう考えるなら、1000倍デキる能力を持つ奴のやってることをサポートするには、
その100倍デキるスタッフを支えるそれぞれのサブスタッフには、常人より10倍デキる奴が複数いて欲しいし、
1000倍デキると思われてたやつがミスって捏造論文なんか出しちゃったとしてもダメだしできるよう、
でさ、そういうふうに、そこそこデキるスタッフやサブスタッフを、ただ1000倍デキる奴の仕事待ちにはしたくないわけよ
じゃあ、他の事やらすか、って考えた時、1000倍デキる奴の専門領域の、
膨大な裾野の周辺領域の基礎研究みたいのをやらすのって、飼っておくには効率いいよね
基礎研究大事ってのの本来の意味は、そういう「専門知識に関われる、そこそこデキる人数を増やして囲い込むこと」だと思ってる
これを「この基礎研究やってるやつら、普段何してるかよくわからんから切っていいよね」ってやると、トップの能率がガタ落ちしてく
たとえば、理解してない常人が見当はずれな質問して話の腰を折るようなイメージ
話が分かるやつがそこそこ溢れてれば、たとえば研究者があちこちにいて、
研究者にはならなかったけど話ついてけるやつが民間にそこそこいて、
メディアにも話が分かるやつがそこそこ混じってれば
KindleUltimateで無料だった第七女子会彷徨って漫画を読んだんだけどさ!
性格の悪い藤子不二雄(元からそうだけど)みたいな基本一話完結の不条理SF女子友情漫画かと思いきや
最終巻で「OIOI、いつからこの展開を考えてたんだよ!」ってな感じの怒涛の回収に入り
これまで散逸的に飛び散っていたエピソードや設定をうまく拾って大団円で終わる
めちゃくちゃいい漫画だったんだよ!
でさ、そういう最終巻で伏線がバリバリ回収される作品だったら当然だけど
このエピソードどこにあったっけ、あそこだっけどこだっけってめちゃめちゃ読み返したくなるじゃん?
パラパラパラ~って読み返したいのに、あっちこっちの巻から拾い読みしたいのに
私は元々細かく読み返すタイプだったから電書っていまいち使い勝手よくないな~とは思ってたけどさ
同時並行的にいろんな本読むのにも向いてないし、電子書籍もまだまだこれからですな
第七女子会彷徨は今度ブッコフかなんか行った時に100円だったら普通に紙で揃え直したいと思った
次は何読むかな~小林さんちのメイドラゴンが無料キャンペーンやってたし
内容まったく知らないけど一時期めっちゃ話題になってたし読んでみようかな~
【追記】
作品の定価購入を強制してくる奴がキモい(anond:20250609171555)
毎日朝も早くから息子が起こしてくる、腹が減ったのと電車の動画を見せろという要求だ。
テレビで電車の動画を流してるあいだにご飯を用意、作ってでも食わないでバナナを寄越せと主張してくる。
おむつを変えたり保湿をしながらあっちこっちに歩き回る息子に服を着せてあげて出発。
お迎えに行くと俺の顔をみるなり笑顔で走ってくる、しかし持っているお気に入りの消防車の玩具は頑として離さない。
帰ってきたらゲームやドラマを見る間もなくご飯を用意したり食べさせたりを妻と分担するが、また食べなかったりデザートを寄越せおっぱいを飲ませろと主張。
食べ終わったらお風呂にいれて体を洗って一緒に湯船で少し遊んでから、妻にバトンタッチで着替えとかをお願いする。
着替えが終わったら歯磨きをさせるが、これがもう嫌がってしょうがない、電車やしなぷしゅ、アンパンマンなんかで意識を散らしてる間にやるしかない。
歯磨きが終わったら寝かしつけ、絵本を何冊か読んであげていると前まで言えなかった言葉を拙いながら言おうとしている。
絵本を読み終わってもぐるぐる回ったり、俺の頭の上に乗ろうとしたり、顔に触ってきたりでしばらく暇な上にだるい。
毎日のように発見や成長があって、子供が生まれる前とは比較にならないほど生活に彩りと変化があって、比較が出来ないほど幸せ。
真面目に作品を作ろうとせずにしょうもないアイドルネタを仕込む事にばっか熱心になってる様な奴が音頭取ってるせいだったんだな
ガンダムで更に初代の地続きっていうおんぶに抱っこ状態なのにそこですらちゃんと自分で話作らずに
元ネタやらその匂わせでやれあのキャラやロボが出ただのあの場所が出ただのしょうもない言葉遊びだのを定期的に出してあっちこっちに目配せしながら驚き屋のゴミ共に褒められたいっていう感情がありありと溢れてる駄作
それがジークアクスっていうガンダムシリーズが新たに生み出した巨大なクソ
Xの反応では~とか先行上映が盛り上がってるから~みたいな自分の感性じゃなくて他人の反応伺ってエコチェンに入り浸って無断転載の画像で会話してる様な連中にはこれが良い作品に見えるのかね
こいつらって作品や物語じゃなくてそこにある要素しか見てないし気にしてないから内容がペラッペラで児童向けの絵本未満の無理がある世界観と展開だらけでもそこに違和感を感じる事すら出来ない
エヴァはまだ自分の作品で勝手にやってたからまだ良いがジークアクスについてはもう本当に擁護しようがない
絵柄がやる気ないとかロボの造形がキモいとか世界観が意味不明とか以前の問題
わざとなのか知らんが「俺はまだ本気出してない」をずっとやるつもり満々な作品作りの姿勢に反吐が出る
カラーだからとかガイナだからとか庵野だからとか鶴巻だからとか言い訳してる馬鹿も居るがそんなもん作品に何の関係もない
どこの誰が作ったもんだろうが大物気取って寒いオタクのノリを出すばかりでちゃんと真面目に作ってないもんはただのゴミでしかない
内容が同人誌レベルなんだからマジでただの同人誌にしときゃそれで良かった
わざわざ映像化するような域にまで中身が仕上がってないんだわ
これまでのガンダム作品でも駄作と呼ばれてる作品は幾つかあったがこいつは頭一つ抜けてる
ここまで酷いもんが出てくるとは思わなかった
アニメーションの利点(一部欠点)として、「全ての構図はアニメ製作者が意図を持って配置することが出来る」というのがある。
実写だと予算の都合とかロケの都合とかで描けないものでも、アニメなら好きなものを並べて好きな構図でそれを描けるってことで、つまりその分手が抜けないから欠点とも言える、ってことなんだけど。
これを声高に単著(映像の原則)まで出して主張していたのが富野由悠季なわけだ。
よりによって彼が中心になって作っていた過去の名作のif作品に、いろいろな要素を並べていったら、そりゃ深読みされてもしょうがない、っていうか、原則的にはそれは深読みするまでもなくそういう意図があるものって読まれちゃうよねと。
映画版の方に関わってた別の先輩のほうもあっちこっちからインスパイアしていたけど、引用元を散らしていたのはそれがあくまで遊びであってメインの主張じゃない、って逃げだよね。
それを集中して1ヶ所からインスパイアされまくっているのは、その対象によほどはまり込んだのか、それともそれしか引用できそうなものを知らないか、どっちなんだろうね。
好きなイラストレーターさんにブロ解をされました。
まず自己紹介から始めます。自分は趣味で絵を描いているだけのただのオタクです。二次創作がメインで、細々と好きな作品の絵を描きながら日々を過ごしています。
絵を描いてSNSに載せる、ということを長くやっていると色んな方と知り合う機会にも恵まれます。好きなイラストレーターさんからフォローバックを頂いて、相互フォローになったりすることもあるらしい。
今回ブロ解をされたイラストレーターさんは、言葉の通り絵を仕事にしておられる方で、フォロワー数も数万人。私は元よりその方の絵が好きで、ひっそりとRPといいねを繰り返していた只のファンだったのですが、二次創作をしていた作品がきっかけで相互フォローになりました。フォローをして頂いたのを見たとき、大変恐れ多いことだなとスマホを持つ手が震えたのを覚えています。
その後、互いに好きな作品を通じて仲良くして頂けていた……と、私は思っているのですが、どうなんでしょう。ブロ解された今となっては、もしかしたら過去に話したアレコレすべてが相手にとっては不快だった、という可能性も大いにありますね。
いわゆる鍵垢というアカウントからもフォロー頂き、互いに日常的な話のやり取りも頻繁に行っていたと思います。通話したり、直接お会いしてご飯に行く、ということもありました。
しかし、ここ1〜2年くらいは私のメンタルが不安定になりがちだったのもあり、その方が鍵垢でたくさん呟かれる鬱ポストを浴びるのがややしんどくなり、申し訳なさを感じつつもひっそりとミュートすることにしたのです。そのあたりから、リプライを送り合う頻度が減っていったと思います。心が元気なときだけ、ミュートしてるアカウント一覧から閲覧して、たまにいいねを飛ばすなどはしていたし、たまにリプを送ることだってありました。それでも、それ以前よりは確実に会話が減っていたと思います。
そんな日々を過ごしていたところ、私のフォロー数とフォロワー数が一気に減ったことに気づきました。
確認すると、そのイラストレーターさんの複数のアカウントからブロ解をされていたのです。
そうか、私はブロ解をされたのだな……と気づいて落ち込みました。ブロ解をされた1週間ほど前にもリプを送り合ったばかりでした。……もしかしたらそのリプの内容が良くなかったのかもしれません。はたまた、それ以前からもう私の存在がその方を不快にさせていたのかもしれません。もしくは、所詮は一般人である私と繋がっているメリットなど無いのだとお気づきになられたのかもしれません。理由は全くわかりませんが、私が好きなイラストレーターさんにブロ解をされたということだけは確かでした。
ショックは受けました。あくまでも私個人としては仲良くして頂けている、と思っていましたので。
でも私の発言や行動がその方を不快にさせたからブロ解をされた可能性が高いわけで、それなら仕方ないか……と思っています。そもそも私、自分はお相手のことをミュートしてたのにいざブロ解されたら動揺するなんて、なんでワガママなのでしょう、とも思うのです。
ただ、それとは別にもし不快にさせたなら謝りたい気持ちがあります。そして、もし誤解があるならば誤解をときたい気持ちもあります。
でもブロ解された相手から「なぜ私をブロ解したんですか?」なんて訊かれたらそれこそたいへんご不快にさせること間違いないでしょう。関わり合いたくないからブロ解したのに、接触してきてほしいと思われるはずがありません。
私がやらかしてしまったことはなんなのかを知りたい気持ちを必死に抑えつけつつ、ここ数日を過ごしています。
そしてもうひとつ、私はなぜかホッとしている自分が居たことにも気づきました。
ホッとした、というのはそのイラストレーターさんと相互フォローじゃない関係に……つまり、推しクリエイターとただのファンに戻ったということにホッとしている気持ちもあるのです。なんでなんでしょう。
こうして文章にするとブロ解されたことへの負け惜しみにも見えるなと自分でも思うのですが、それでもやっぱりホッとしているのです。正しい距離感に戻れた、と。
ブロ解されて悲しい気持ちと、この謎の安堵感。二つの感情を持て余してどうすればいいんだろうな、と考えているうちにこの記事を書いていました。
どうするもなにも、もう出来ることなどなにもないので時間が解決してくれるのを待つほかないんですけど。
この気持ちに整理をつけられる日は来るのでしょうか。
その方の描く絵が好きなので今後も活動を見守りたい気持ちはあるのですが、絵を見続けてたらブロ解された事実を忘れることはできないよなぁ、でも絵は見たいんだよなぁ………と、心があっちこっちに反復横跳び。