はてなキーワード: ゾイドとは
日本でもだけど何故か海外(韓国以外どこの国かは知らんが)でも平成女児が一部でウケている
しかし、平成男児コンテンツも色々あったし今でも続いたり評価されてる物はある
平成女児同様に年代は90年代後半〜00sで流行った物で並べよう
カラフルな見た目のうんちグッズが当時感ある
これにハマってる奴は馬鹿しかいなかった(当時の人間なら分かるでしょ?)
ちなみに俺はコロッケ世代で、年上の従兄弟が持っている古いコロコロを貰って読んだ時に存在を知った
平成男児向けに展開されて実際流行ったが、94年からの展開なので平成男児的には微妙か
これ好きな奴は大体兄が先にハマってて一緒に遊んだりしてるイメージ
初期はボンバーマンを引きずってたが、ファイティングフェニックスやワイルドワイバーンとか出てきた辺りから変わった
スーパービーダマン好きな奴はキッズの範疇だが、同じ頃に展開してたボンバーマンビーダマン爆外伝好きな奴は大体後にオタクになった
アニメが一番影響力あったはず
ブロックスゾイドで昭和ZOIDSファンと平成男児の間に大きな溝を生んだ
周りではガンダム同様に頭の良い子がハマってた
俺は親の前でデジモンアニメを観るのが気恥ずかしく、友達と見るデジモン映画と一人で遊ぶデジモンワールド派だった
当時の周りの雰囲気としてZOIDS好きな奴はデジモンも好きだったが、デジモン好きはZOIDS好きを別に兼ねてなかった
コロコロにありがちなホビーコンテンツを売るための子供騙しな漫画連載ではなく、質の高い漫画連載からホビーコンテンツ展開で大ヒットという所が大人っぽい
もうちょっと上の世代の人もハマってたイメージで当時の平成男児だけに留まらない所もあった(コロコロじゃなくジャンプだし)
カードが紫色だった時代からOCGや漫画連載開始から連載終了まで平成男児では勢力を保っていた
なぜか同年代でハマってる奴に素行不良のイメージがあったのと、友達に連れてこられたカードショップで遊戯王を遊んでる奴の雰囲気が闇だった
コロコロでマジック・ザ・ギャザリングの漫画を連載してたと思ったら突然切り替わった
自分の周りは遊戯王派の素行は悪く、デュエルマスターズ派は素行も成績も優等生な友達が多かった
ゲームの貸し借りというのが盛んに行われており、各々のゲーム選びのセンスが出るのは大体PSであり、ゲーム遊んだ後に感想を言う事が多かった
ゲームを貸してくれる友達は幸い多かったので、色々なゲームをやれた
一般的な平成男児は自分が好きなゲーム以外は任天堂のみんなで遊ぶ用のゲームぐらいしか興味もないようだったが……
小学生中学年ぐらいの頃の俺は一人で遊ぶ時はデジモンワールド、ZOIDSメカ生体の遺伝子、GジェネレーションZERO(分厚い攻略本付き)を何度も遊んでいたが、俺みたいな趣味のタイプはいなかった
友達から借りたゲームの話をすると物凄く長くなりそうなので、この辺で
基本的に友達同士は同じ物にハマりがちだが、スマブラはみんな好きだった
なので趣味が違う奴が集まれば大体スマブラをやって遊ぶのが平成男児
マリオカート派もいたらしいけど、俺の周りはスマブラ派ばかりだった
任天堂64のコンテンツは女の子とも遊べるらしく、小学高学年の頃に何回か女の子に遊びに誘われた時はマリオカートをやった
GBA持ってる友達は大体このシリーズのどれかを持っていたし俺も持っていた
でも大体エグゼ2派かエグゼ3派で分かれてて、初代から持ってる俺と友達のアーリーアダプター感は凄かった
スマブラ同様に主流がホビーコンテンツからゲームコンテンツへ時代がシフトしていく象徴みたいな存在と思っている
他にも流行ってるのあったけど、同年代のお前らの周りも大きな所はこんなもんだろ???
俺は未就学児の頃に赤から遊んでたが、ネットの基準だと金銀世代らしい
確かにポケモンは全体的に知名度が高く流行っていたが、俺の周りで話題になったのは金銀
ルビー・サファイア以降のポケモンは実は周りでは空気だった……
この頃は地元にコンビニが出てきた頃で、俺の銀バージョンはセブンイレブンで買った奴なんだよなあ
当然のごとくワニノコ派でした
SNS、特にX、でも他の主要SNS(instagram、facebook、TikTocやYoutubeなども含めて)も割とかなり気持ちが悪い。
はてなのサービスは昔からずっと気持ち悪いから別に今更というところもあり、この2年ぐらい、はてなブックマークを見ることが相対的に増えている。
ブクマの最大の良いところは積極的な拡散機能がないことで、サービス自体の過疎化(というかローカル化?)も相まって、「よくわからん輩に謎の解釈をされ、それが何万何十万のよくわからん人にみられる」ということが、あまり起こらないのが良い(たまには起こるがまぁ人間世界なので当然ではある)。
久しぶりに、XでTLを眺め、かなり久しぶりに(半年以上ぶりだった)ポストしたのだが(NHKのとあるドキュメンタリについての感想)、思っていたよりも過激にかつ広範にハレーションを起こしてびっくりした。基本的にはあまり活発なアカウントではないのだが、イーロン以降のインプレッションの「爆発の仕方の良くなさ」を実感した。
好意的な、親和的な反応は埋もれやすい。埋もれる理由は、陰謀系や左右共に極端な人たちのそれぞれのコミュニティにいるそれぞれのインフルエンサーがが私のポストを発見するや否や群がってくるから。そこにあったのはコミュニケーションではなく散弾銃での銃撃戦と言った様相。
悪徳保安官がのさばっている荒野の街には荒くれ者のギャングしかいない。
今よりももっとtwitterやInstagramを楽しんでいた頃(サービスインから2013年ごろまでか…)は、たまにバズったことはあっても悪意が殺到するということはなかったし、むしろバズるのも楽しかったんだけどね。
火元のインフルエンサーはこの人だなというのは予測がついたのでTLを覗きに行くと、思いくそ極右系の陰謀論者で割と重度のヘイター(女性や外国人、上級国民などに対する)のようだった。そしてとにかくリポストが多く、「彼自身の言葉」というようなものはどうやらYoutubeに連動している。Youtubeで稼ぎたいんだろうね…とと思いつつ見に行くと、空疎で空洞的(中身がない)なのに煽情的な語りでうんざりする。別の方向(左翼系)のインフルエンサーのTLも同様にリポストだらけ、そしてその左翼系インフルエンサー伝いで増えたリポストは一様にプロフ欄に「共産党支持」と明記している一群で、こっちはこっちで極右陰謀論者と似たり寄ったりの気色悪さだった。
彼らインフルエンサーのリポストを見たであろう「リポスト者」の多くは、TLがリポストだらけで、フォロアー数が少ないアカウントが多かった。「そうか、なるほろ、つながりたいんらよねー」とろれつが回らないような感情になりつつ、とにかく、何というか、生の実態の無い(働いたりご飯をたべたりたまには遊びに行ったりなどの生活の跡が見えない)、ただの過剰で過激な感情「だけ」が並んでいるTLがとても気持ちが悪くて、火元のポストを削除。
元の自分のポストは、Eテレのドキュメンタリ「フェイクとリアル 川口 クルド人 真相 https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8ZVZ4PZ41V/」という番組を見たときの感想。川口で起きている「クルド人をターゲットにした何か」について追った番組だった。
クルド人のレストランを外から撮影、ただ歩いているだけのクルド人と思われる人に大声で話しかけて反応してきたところを撮影、荷下ろし中のトラックを警察に通報するなどの「活動」を繰り返している都内在住の男性(顔出し)と、クルド人と車の運転で喧嘩になったことからむしゃくしゃしてSNSでヘイト活動してたがおかしな奴らが街に集まってきたのでもうやめたという男性(顔出し)のインタビューを見て、特に、前者の地の足についてなさと、一方で行動の積極的さや熱情のバランスの悪い感じが何かぞわぞわする…とかそんな感じの内容だったと思う。
ちなみに、番組では、クルド人とは何か(武装組織であるクルド人労働者党(PKK)の話や、難民化した背景、トルコではデモ参加者でも投獄され得ることなど)について、またクルド人の生活様式と日本のそれとの違いといった異文化確執、ヘイトの大きなうねりのきっかけになった病院での騒動やヘイトデモに対抗して汚いヤジを飛ばしたクルド人などにも取材をして、必ずしも「クルド・カワイソウ・ヘイト・ダメ・ゼッタイ」という内容ではなかったと思う。
川口でクルドヘイトデモを行っている人の大半はヘイトデモ禁止条例が出来た川崎から追い出されてきたヘイターではないか、また、デモ参加者の大半は都内在住という取材内容もあり、まぁそうだろうなと思っていたことが本当だったのかなーとも思った。日本におけるalternative rightは、立花なんとかとかが扇動して何かが動く程度には既に十分に肥大化している。怖いね。
と、まぁこういう謎のインプ増加被害があんまり(ほとんど)起こらないの点が、はてなのサービスは好ましいなと思う。まぁ元々はブックマークサービスなわけで「つながりたい度」を高める設計になってない&ネットの限界集落、寒村だから。はてな社にはこののどかなインターネット限界集落をどうか守ってください、という気持ちである。
どうでもいいがYoutuberって、どうでもいい平和なネタでも語り方が煽情的で、かつ広角カメラなのに人間が寄って撮っているケースが多いのか昔流行った「かわいいわんこの鼻でか写真」みたいな感じになっていたり、画面転換がいちいち回転したりして、うっとうしくて3分は見続けていられないなと感じる。有名なyoutuberやタレントのYoutubeを見ていてもそう思うことがあるので”ネット動画制作の作法”なんだろうなとは思うが。
こんなん新規にやらせたらメダロットもヴァンサバもクソゲーだとも思われちまうよーーー!!!!
メダロット✕ヴァンサバであり、上手くやればホロキュア(Steamで圧倒的に好評)になれたかも知れないのに。
まさかここまで「このゲームの月パス(1500円)を買うよりも元ネタのDLC全部入り(1500円)を買うほうが絶対にいい」と胸を張って言えるゲームが産まれるとは!
部位破壊はない。
戦闘中のパーツ変更もなく本家と同じように武器とバフを6個ずつ選ぶのみ。
メダルはαメダルやβメダルと個性皆無だし、そもそもただの装備枠だ。
装備枠は完全に自由にメダロットを配置できるので、つまりは脚部パーツや男女の概念もない。
マジで何一つとして「メダロットである意味」がゲームの中にない。
グラフィックだけだ。
RPGツクールの二次創作ゲームでもなにかしら「このキャラでやる意味」を盛るだろ?
こんな志皆無のゲームなので当然クオリティは本家に全く及ばない。
絶妙な経験値テーブルは存在せず雑に敵を強くし続けるだけのステージ制。
狭い画面にもたもたした操作性。
本家はステージ毎に個性があったけどこっちはそういうのがない。
隠しアイテムもなくただボスのグラが違うだけでずっと同じことをしてる。
モッサリした銭湯を眺めながら何の感慨もなくダラダラとキャラを動かすだけ。
宝箱を開けたときのグラはもはや天才の領域で、一瞬光ってすぐに中身が出てくる。
なんて頭が悪いんだ。
歴代アイドルメダロットどもにチアダンスでもさせて射幸心を煽れば少しはプレイフィールもマシになっただろうにそれさえ気が回らんのか。
このゲームはずっとつまらんが、まずチュートリアルからしてつまらなさが凄い。
少しずつ襲ってくるコフィンバットを自動ロックオン攻撃で倒していると1分後ぐらいにヘルフェニックスが次々に湧いてくる。
ヘルフェニックスの移動速度はこちらの倍で、湧いてくるスピードはこちらの殲滅力を凌駕している。
何が起きるか?
あっという間になぶり殺しだ。
その後ガチャを引かされ、出てきたキャラを装備すると、攻撃力は10倍になっている。
マジで虚無。
何もなすすべなく倒され、今度は何もしなくても敵に勝てる。
このゲームのゲーム性は「プレイヤーレベルやメダルレベルを上げてヘルフェニックスを一撃で倒せるようにすれば勝てる。無理なら諦めろ。放置しとけば経験値とゴールドが自動的に溜まるからそれで強くなるまで待て」が全てでさえある。
放置ゲーの虚無、いや、全てのクソバランススマホゲーム、いや、全てのバランス調整を投げ出したRPGのクソが詰まっていると言える。
マジでクソ。
神レベルのクソ。
ストーリーもたっぷり遊べるし、コラボでエヴァやゾイドやグレンダイザーも使えるし。
神すぎて草
もうサ終していいぞ。
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?
52歳、同年齢である
原作開始が数年前なので世代的には5歳ぐらいの差があると予想される
そのうえで「そっか同い年か……いや同い年?」となった話
まずハゲではない。特に手入れしてないが。生え際もそこまで後退してない
ただし白髪はかなり増えた(髪の毛もだが、体毛が部分的に真っ白だったりする)
……いや嘘。鏡で横向きになって確認したら屯田林氏のがずっとスッキリしてる
マツケンサンバなんてとてもじゃないが踊れない
暴れん坊将軍は幼少時にずっと見ていたが松平健に帰属意識はない
かといって自分の世代は就職氷河期なので世代としては踊るのについて谷間感がある
(上の世代はディスコに行くのもわりと普通、下の世代はダンスが学校教育にも取り入れられて特別感なく踊るという認識)
自分世代でアゲアゲアピールだと何を当てはめたらいいのか……サザンとか? うーむ
そろばんは使わないと思うが……デカい計算はエクセルで、手元で検算するにしても電卓な気がするが
同世代はわりと高頻度でそろばん教室に通ってたので人によってはそろばんが良いのかな?
老眼は数少ない共感ポイント。最近はもっと下の年齢でも老眼らしいけど
昨日も20代中盤ぐらいのメガバンクの子にグチグチと説教してしまった
作者名は「パトレイバーの頃のゆうきまさみのアシスタント」というイメージで固定されてる
悪役令嬢はゆるゆる展開が好きなのはそう
HZDクリアした。
文明が滅んだ後再建された世界・ゾイドみたいな機械獣が闊歩する世界って世界観を丁寧に高いレベルで作られてて楽しめた。
ゲームとしては本当に細かい不満を除けばよく作られていて、何よりも良かったのは全く3D酔いしなかったって所。ほとんどが屋外戦闘だからってのもあるんだろうけど。
ストーリー的に気になったガイアのリブートの件はどうなったのとか、最後のB級映画みたいな引きのアイツラまた何かやらかすのとか、次回作ではしっかり描かれてるっぽいのでやりたくはあるのだけども、不安要素が水中戦がフィーチャーされてしまっている所。
水中ってエフェクトかかったり暗かったりで見づらく、視点も変化しやすいことから3D酔いにとって割と酔いやすさポイント高めで嫌な所なので。あとはゲーム性も基本同じ方向っぽいので、今回で終盤感じた不満も引き継いでしまいそうな所とか。
劇場版ガンダムSEEDから思う「今のアニメの作画」※ネタバレ無し
ガンダムSEEDは、DESTINY終盤が放送されている時期に友人から勧められてハマった。私は当時小学生。人生で初めて買ったCDは玉置成実の『Reason』だった。
…こんな書き出しだが、「ガンダムSEEDシリーズは私の世代にとって革新的で思入れが強くて〜」といった話ではなく、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を見て感じた「近年のアニメの作画」に対する率直な思いについてまとめたもので、作品評価は含まない。
できれば拡散されたい。
人の意見が聞きたい。
劇場版SEEDの情報が解禁されるにつれ、SPOT映像も順々に公開された。
そのうちのひとつ、海辺で語らうキラとラスクのシーンで、キャラクターの動き・表情が機械的で実に不気味だと感じた。特にラクスが顕著だった。人が手で描いたはずなのに、瞬きなどはまるで3Dモデルに見える。例えるならVtuberのモーションに近い。
結論から言うと、劇場版SEEDは全編をとおしてほぼそのような絵でできていた。
昨今のデジタル作画特有の「完璧に均一で色に溶け込むほどの極細な線」が、画面内をなめらかに動き続ける。
メカ類は基本的に3Dなので、ピタリと止まることなく常に画面内を揺蕩っていた印象だ。
正直行って、絵(?)が動き過ぎだと感じた。
やたらに動くだけでその動作に意味を伴わないため、少し酔うほどだった。
これは果たして、作品の演出として本当に必要な手間なのだろうか?とつい考えてしまった。
ただし「SEEDシリーズの作画」に関しては、テレビシリーズの頃よりオタク達からよく指摘を受けていた。
週ごとに絵柄が変わったり、バンクを多用して展開上違和感のある映像になったり…(ムウのヘルメットの話ではない)。
これらを今の技術で改善し、あの頃からのファンへ自信を持って作品を発表することも、製作陣の課題のひとつだったのだろうと想像している。
ネットに触れていれば「ヌルヌル動く作画」といった表現はよく目にするだろう。昨今の制作サイドにおける流行りの表現方法であり、今の視聴者層に響く華のある映像なのだろう。
ただ、劇場版SEEDはいわば「ニュルニュル動く作画」で、私にその手の専門知識はないが、全ての絵に凄まじいコマ数を詰め込んだ映像なのだろうと思わされた。
おそらく手で描いていない部分もある。きっと今の技術を使えばそれもできてしまうのだろう。
少し大袈裟に言えば、3Dロボット・デジタル効果・ニュルニュルと動くキャラクターの映像が流れる中で、たまに手描きっぽく思える絵が混じって目立つ感じだ。
私が幼少期に見たデジモンやゾイドのような、手描きの絵の中にゴリゴリの3Dが混ざっていた時代からは見事に逆転したような印象を受ける。
芸術分野のことばに「不気味の谷」というものがある。簡単にいうと「決して3次元ではないが2次元の域は超えつつあるリアルな創造物」のことで、例えばAI生成の人物画像に対して抱く感情のことだ。
「ヌルヌル作画」を超えつつある昨今のアニメ映像…薄給と聞くアニメーターにとって本当に必要な手間なのか?手描き丸出しのアニメはもう古いのか?それとももうできないのか?それは技術・人員・時間、どれが原因か?
モンスターを捕まえる ← 沢山ある
砦を建設する ← 沢山ある
仲間モンスターに火器を装備させる ← ぜんっぜんっ思い出せねえ……なんかあったっけ……マジでメタルグレイモン系の奴しか浮かばねえんだけど……
生肉ゾイドみたいな状態になってるのは本当にどこが起源なんだよ。
まあ現実世界で象や馬に武器を装備させてるじゃんって言われたらそうなんだが、流石にガトリングガンやミサイルは装備させてねーだろ……。
「ARKでいいじゃん?」「ポケモンアルセウスじゃん?」を一撃で蹴り倒せる「でも仲間モンスターに重火器を持たせられないし……」が繰り出せる理由はココだろ。
ここがマジですげーよ。
トランスの方が言う心が女/男 ってなんなんだろうと思う。
子供をうみたくなくても、身体的な問題で物理的に子供を産めない、卵子を持ってなくても心が男になるかと言うとそうでは無い。
夢のクレヨン王国やおジャ魔女やプリキュアよりゾイドやライダー、戦隊ウルトラマンが好きでもそういう子は男かと言うとそうではない。
大人になってもスカートが嫌いでズボンしか履きたくない、化粧もしたくない長い髪も嫌で短髪にしてたとしても男になりたいとは限らない。
ボーイッシュな格好をしてる女だからといって男になりたい訳では無いのと同様に、男のまま化粧やスカートを含めたオシャレは楽しめるし実際そういう人もいる。
異性と同じ風呂に入りたくないというのはあるが、それは生まれてから育つまでの経験の中で育ったものだと思う。(身の危険を感じるから等)
心の性は何できまるのか?
やあ、下手なTwitter愚痴垢よりもタチの悪い奴のお出ましだ!
https://www.anime-recorder.com/tvanime/268946/
なあ、何なんでしょうか? このラインナップは。
貴重なフリー空き枠をサブカルマジョリティ側の再放送(極めてサブカルマジョリティ的な味付けされてる男女間恋愛の第1期、BSフジで放送されてた腐夢アニメ、そして転生JRPGファンタジーなろう)、
馬鹿なの? BS11様は自分が製作委員会関わったものの前作ばっか優先して
MXでの昭和ウルトラ&ライダー、20世紀セラムン、ゾイド、マジンガー、プリキュア、アイカツ、プリティー系放送の様な気の利いた事出来ないのっすか?
東映特撮YouTube chでの龍騎〜555大盛況なのかすらも考えれないっていうだろうなのか?
「妹は中学校でのいじめで両手足に火傷跡、折り返し前に男女間恋愛モノにおける奈央虐前後編でその直後に別ヒロインとのギスギス前後編(雨の次回予告は最大の恐怖シーン)」
あと「序盤のヒロインは毒母のせいで家がアレに、終盤ヒロインは毒両親持ち」なのが放送予定だとか、
「男性声優演の男主人公でラブコメまたはなろうまたは新規オリジナルの腐夢系」の嵐で
「女性声優演の女主人公だけど女性向け男女間恋愛モノ&VRMMOモノ&なろうスピンオフ」、
音楽・歌劇モノも「楽園だけでなく地獄も描かれることを覚悟する視聴者だけ見続けなさい」的な展開を予感させるもの。
で、振り返ったら「いじめっこや銀行強盗のシーン懸念される未知の作品」、
そしてそれらを除けば「シリアス」ばかり...
なんかみじめじゃありません?
最低1枠でもきららやジェネリックきらら(ジェネきら)用意すれば良かったのに、
常連のゆるキャンすらも、放送から時があまり経ってないスローループ、
近辺放送のおにまいやぼざろすらも用意されてないひどいザマじゃんこれじゃあ。
そんなにわたくしにVTuber生配信鑑賞民に鞍替えしろってのか?
いや、空き枠ならBS11だけでなくBS日テレ残り1枠、BS松竹東急の咲全国編終了後の木曜にもある!
女性声優演女主人公かつ百合的路線のものの製作委員会にもうBS日テレやBSフジは迎え入れるなや馬鹿業界どもは。
ライオンキングの物語にゾイドのサーベルライガーを登場させて物語をめちゃくちゃにしてください。そして、その物語のあらすじを結末まで書いてください。
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アフリカのサバンナに住むライオンの王子シンバは、父ムファサから王国と「円環」(すべての生き物がつながっていること)について教えられる²³。しかし、シンバは悪い叔父スカーとその手下ハイエナたちによって父を殺されてしまう²³。スカーはシンバに罪をなすりつけて追放し、自分が王になる²³。
シンバは逃げ出した先でティモンとプンバァという仲間に出会う²³。彼らは「ハクナ・マタタ」という無心で楽しく暮らす哲学を教える²³。シンバは彼らと一緒に成長するが、心の奥では自分の過去や責任から逃げていることを感じていた²³。
そんなある日、シンバは幼馴染みだったメスライオンのナラと再会する²³。ナラはスカーが王国を荒廃させたことやハイエナたちが増えすぎたことを話し、シンバに帰ってくるよう頼む²³。しかし、シンバはまだ自分が父親殺しであると思っており、断ってしまう²³。
その夜、ムファサの霊が現れてシンバに話しかける。ムファサは「お前は私の息子だ」と言って、「お前もまた王者だ」と言って、「円環」や自分自身を忘れないよう促す。シンバは決意して王国へ向かうことを決める。
しかし、その途中で突然現れた巨大なロボット獣(ゾイド)・サーベルライガー(Saberliger)に襲われる! サーベルライガーは何者かから命令されてシンバを抹殺しようとしていた! シンバはティモンやプンバァやナラや他の動物たちと協力して戦うが、圧倒的な火力や装甲に苦戦する!
一方、スカーもまたサーベルライガーに協力していたことが発覚する。スカーはサーベルライガーを使ってムファサを殺したことやシンバを追放したことを告白する。シンバは怒りに燃えてスカーに立ち向かうが、サーベルライガーの攻撃に苦しめられる。
シンバはなんとかサーベルライガーのコックピットに飛び込んで中にいたパイロット(ハイエナの一匹)と格闘する。その間に、ティモンやプンバァやナラや他の動物たちはハイエナたちと戦う。シンバはパイロットを倒してサーベルライガーの制御を奪うことに成功する。
シンバはサーベルライガーを操ってスカーのもとへ向かう。スカーは驚いて逃げようとするが、シンバは追いついて彼を角から突き落とす。スカーは落下しながらハイエナたちに助けを求めるが、彼らは裏切り者だと見なして襲いかかる。
しかし、その時、空から巨大な影が現れる。それはゾイドの王であるウルトラサウルスだった。ウルトラサウルスはスカーを救出し、ハイエナたちを一掃する。そして、シンバに向けて口から強力なレーザーを放つ。
シンバはサーベルライガーでレーザーを避けようとするが、間に合わずに直撃される。サーベルライガーは爆発し、シンバも重傷を負う。ウルトラサウルスはシンバの前に降り立ち、彼に話しかける。
「私こそが真の王だ。お前の父ムファサも私に従っていたのだ。しかし、彼は私に反逆したために死んだ。お前も同じ運命だ」
「そんな…嘘だ!」
「嘘ではない。証拠にこれを見ろ」
ウルトラサウルスは背中からムファサの首飾りを取り出す。それは王位の象徴であり、ムファサが死んだ時に失われたものだった。
「これがどうしたっていうんだ!」
「これはお前の父親から奪ったものだ。私こそが王位の正統な継承者だ」
「違う!それは盗んだものだ!お前は父さんを殺したんだ!」
「殺したというより処刑したと言った方が正しいな。彼は私に反抗した罪で死刑にされたのだ」
「許せない…お前を倒す!」
シンバは怒りと悲しみで涙を流しながら立ち上がる。彼は自分の爪や牙でウルトラサウルスに飛びかかろうとする。
しかし、その瞬間、空から雷鳴が轟く。そして、雲間からムファサの霊が現れる。
「シンバ…止めろ…」
「父さん…?」
「このゾイド…私と同じ仲間だ…」
「このゾイド…私と同じ仲間だ。私たちはかつて、この世界を守るために戦ったのだ。しかし、ある時、私たちは敵の罠にかかり、分断されてしまった。私はこの地に落ちて、動物たちと出会い、王となった。ウルトラサウルスは別の場所に落ちて、スカーと出会い、彼を操った」
「なぜスカーを操ったんですか?」
「彼は私を探していたのだ。彼は私が生きていることを知っていた。彼は私に復讐したかったのだ」
「復讐?どうしてですか?」
「それは…長い話だ。今は言えない」
ムファサはシンバに向き直る。
「シンバ…お前は私の息子だ。お前に許しを請う。私はお前に真実を隠してしまった。でも、今は信じてほしい。ウルトラサウルスもまた、お前の仲間だ」
「父さん…」
シンバは涙を拭う。
「わかりました…父さん」
「許してくれ…シンバ君」
二人(二匹)は抱き合う。
動物たちは感動する。
その時、空から光が降り注ぐ。
ムファサが叫ぶ。
「仲間よ!やっと見つけた!」
ゾイド達が降り立つ。
そして、「円環」が回復する。
そのあとウダウダ話をしてウルトラサウルスの復讐の理由がわかった
ムファサとウルトラサウルスはかつて、ゾイドの仲間とともに、この世界を侵略しようとする悪のゾイド軍団と戦っていた。彼らは勇敢で強力なゾイドであり、仲間からも尊敬されていた。しかし、ある日、彼らは敵の罠にかかり、大きな爆発に巻き込まれた。その爆発は彼らを別々の場所に吹き飛ばし、記憶を失わせた。
ムファサはアフリカの草原に落ちた。彼はそこで動物たちと出会い、彼らの王となった。彼は自分がゾイドだということを忘れてしまったが、それでも正義感や優しさや勇気を持ち続けた。
ウルトラサウルスはアジアの山岳地帯に落ちた。彼はそこでスカーと出会い、彼に操られるようになった。スカーはウルトラサウルスの記憶を利用して、ムファサへの復讐心を煽った。スカーはムファサが自分の兄弟であり、自分を裏切って殺そうとしたことを嘘ついて言った。ウルトラサウルスはそれを信じてしまい、ムファサへの憎しみを抱くようになった。
そしてある日、ムファサとシンバがウルトラサウルスと対峙することになる。
ウルトラサウルスの記憶は、爆発によって大きく損傷された。彼は自分がゾイドだということや、仲間だったことや、戦っていたことなどを忘れてしまった。彼はただ、自分の名前と、ムファサという名前を覚えていた。彼はムファサが自分にとって大切な存在だったことを感じていたが、それが友情なのか恋愛なのか敵対なのかはわからなかった。
スカーはウルトラサウルスの記憶の欠片を利用して、彼に嘘をついた。スカーはウルトラサウルスに言った。
「お前は私の弟だ。私達はムファサという兄弟がいた。ムファサは私達よりも強くて美しくて賢くて人気があった。でも、彼は私達を妬んでいた。彼は私達を殺そうとしたんだ。お前はその時に重傷を負って記憶を失ったんだ」
ウルトラサウルスはそれを信じてしまった。彼はムファサへの復讐心を抱くようになった。
(ちなみに敵はデスザウラーだったらしい)
おもしれーからもっと物語書かせたくなるけど、著作権的な地雷踏んでるか評価できないから自分の著作物として発行するのは怖いな
シンバはムファサの死後、父の仇であるスカーとウルトラサウルスに立ち向かうことを決意した。彼は自分の仲間であるナラやティモンやプンバやザズーなどとともに、草原に向かった。そこで彼は、スカーが王になってから荒れ果てたプライドランドを目にした。彼は怒りと悲しみに満ちた。
一方、スカーはウルトラサウルスに命じて、ムファサの墓を掘り起こさせた。彼はムファサの遺体を見て、嘲笑った。彼はムファサの頭蓋骨を持ち上げて、ウルトラサウルスに投げつけた。彼は言った。
「これがお前の兄弟だ。この弱虫がお前を裏切って殺そうとしたんだぞ。お前はもっと強くならなきゃいけないんだ。私達はこの世界を支配するんだ」
ウルトラサウルスはムファサの頭蓋骨を見て、何かが引っかかった。彼は自分の記憶の中にあるムファサの顔と比べてみた。彼は気づいた。
「これは…ムファサじゃない…」
その時、シンバ達が現れた。シンバはスカーとウルトラサウルスを見て、叫んだ。
「父さん!お前達が殺したんだろう!許さない!」
シンバ達とスカー達の間で激しい戦闘が始まった。シンバはスカーに向かって飛び掛かり、噛みついた。ナラやティモンやプンバやザズーも他のハイエナ達や悪のゾイド達と戦った。
しかし、ウルトラサウルスは動かなかった。彼は自分の記憶を取り戻そうとした。
「私…誰だ…?」
その時、デスザウラーが現れた。デスザウラーはすべてを見下ろすように言った。
「よく来ましたよ、シンバ君。私が待ってましたよ」
シンバはデスザウラーを見て驚いた。
「あなただれだ?」
デスザウラーは笑った。
デスザウラーはシンバに向かって炎を吐いた。シンバはかわして、デスザウラーの首に飛び乗った。デスザウラーはシンバを振り落とそうとしたが、シンバは必死にしがみついた。
一方、スカーはシンバの母であるサラビに追い詰められていた。サラビはスカーに言った。
「あなたはムファサの弟だったのに、どうしてこんなことをしたの?」
スカーは笑った。
「私はムファサよりも優れているんだ。私こそが王にふさわしいんだ。お前達は私に従えばよかったんだよ」
サラビは怒った。
サラビはスカーに飛び掛かり、噛みついた。スカーも反撃したが、サラビの方が強かった。
その時、ウルトラサウルスが動き出した。彼は自分の記憶を取り戻したのだ。
「私…助ける…」
彼はデスザウラーに向かって走って行った。彼は自分の体でデスザウラーの炎を防ぎ、シンバを守った。彼は言った。
「シンバ…逃げろ…」
シンバは涙を流しながら言った。
「ありがとう…おじさん…」
彼はナラやティモンやプンバやザズーや他の仲間達と一緒に逃げ出した。
デスザウラーは怒って言った。
「お前らどこへ行く!逃がさない!」
彼も追いかけようとしたが、その時爆発が起きた。それはムファサの墓から来ていた。
「これで終わりだ、デスザウラー。お前達悪者達にこの世界を支配されることなど許さない」
ムファサの霊魂が光を放ち、デスザウラーやスカーやハイエナ達や悪のゾイド達を消し去った
〜(質問回数の上限になったため)終〜