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はてなキーワード: 文転とは

2025-11-25

理系から文転就職して良かったと思うこと

都心で働くことができること

理系ってせっかく都内に出てきても、勤務地が研究所工場がある23区外の残念地になっちゃうんだよね

都内なのに残念地に住んで、郊外の広い場所にある研究所に通う生活とか、あほくさくない?

その点、事務職寄りはええで

大手企業幹部職になれば勤務地は大手町とか四谷とか都内キラキラ地や

そこに通うために都内23区内に住宅補助を考慮しつつ選べるやで

せっかく上京しても三鷹田舎ライフに近い生活を送るか、神楽坂に住んで都心ライフ満喫するか、その分かれ目が理文の就職

優秀な理系学生は、絶対文系就職するべきだと断言するよ

2025-10-13

[]

多浪して、年齢的に修士は厳しいか文転して、神高卒神大法卒の市役所勤めのしょうもない人間になりましたとさ

2025-04-01

実際体感時間は半分くらいしかないけど

卒業した。

入学から変な目立ち方をした。

本名割れなかったものの、普通に目立った。

中高と女子部もしくは所属生徒の大半が女子だったので、男子校同然のキャンパスで目立つの必然だった。

Twitterで騒いでいたら尚更だろう。

一度登校すると最後講義が終わるまでキャンパスから離れられなかったので、よく目撃された。

毎朝メイクする時間も取れずそもそもメイクに疎かったのでほぼすっぴんだった。そんな芋女を見つけて何が楽しいんだか、構われたかったんだろうとは思うが。

じゃあ話しかけろよ。同じ学校に通ってるんだから不審者でも何でもないだろうに。ツイートするんじゃなくてさ。

ついていけない講義が多かった。

センター試験の数Ⅱ・Bで36点をとったくらい数学ができなかったし、数Ⅲなるもの存在することすら知らなかった。

数学以外にもわからないことが多すぎた。

大体のものは先輩に教わった。

図書館ミーティングスペースみたいなエリアで、帰りの電車がなくならない程度まで教えてくれた。

おかげで100点で単位が取れた講義もあった。

感謝してもし足りないし、今でも感謝している。

先輩に恵まれた。

目立ったおかげか名が知れて声が届いたようで、サークルに入れなかったにもかかわらず複数の先輩から講義でついていけないところをフォローしてもらったり、履修相談とか、過去講義資料をもらったりした。遊びにも行ったし、ご飯を奢っていただいたこともある。誘っていただけたのにこちらの都合で行けないまま卒業して疎遠になってしまった先輩も少なくないので、今後機会があればこちから声を掛けたい。

卒業しても引き続き仲良くしてくださっている先輩方ももちろんたくさんいて、本当に嬉しく思っている。一緒にライブカフェに行ったこともあるし、会えなくてもゲームで一緒に遊んだこともある。相手社会人なのだからスケジュール無茶振りはできないが、忙しい社会人自由時間を割いてくれたのが嬉しかった。修了式前に1人、修了式後にも1人会いに来てくれた。彼らはそれぞれ入学早々からお世話になった先輩だった。この嬉しさを表す語彙がないのが悔しい。

同じキャンパスで学んだ尊敬する先輩方だが、卒業して学外で会うことで友人に近くなった人もいる。感謝尊敬は忘れないままこれからも仲良くしてもらえると嬉しい。

コロナ流行った。

新型コロナウイルスは良くも悪くも私のキャンパスライフを大きく変えた。

悪いほうで言うと、大きく2つある。

1つ目は私の計画が実現不可能になった。

キャンパスが男だらけなので可愛いを増やそうと入学早々から計画しており、それを実行するのがあの春だった。

実行予定だったイベントは中止を余儀なくされ、そのまま今に至るまであのイベントは当時の姿に戻れていない。伝統的に続いていたイベントコロナによって中止、規模縮小と形を変えてしまい、あの頃を知る学年は基本的に全員卒業してしまった。なのでもう最盛期の形に戻すことができない。このイベントのために1年間いやずっとやってきたようなものなのに。結局それから通学中の感染リスクが大きいということで私は週1しか登校できず、“可愛い計画頓挫した。ノリノリで可愛くされようとしていた男子たちも大半卒業してしまたことだし。

2つ目は後輩との関わりがほとんど持てなかった。

1つ下の学年は入学式がおそらく中止、2つ下も代表のみ現地でオンラインでの視聴だったくらい外出ができない学年だった。私自身も対面での講義委員会活動日以外は家を出ないよう厳命されていたので、ほとんど会うことができなかった。会えたとしても飲食店営業していなかったし、どこかに連れ出して感染させてしまったら申し訳ないので誘うに誘えなかった。

新入生と関わるバイト活動をしていたので一応ちらほらと知り合うことはできたし、ありがたいことに後ろをついてきてくれた後輩もいたが、ついぞ遊びにはおろか食事にも行けないまま彼女が先に卒業してしまった。私の貸した参考書を使い倒して単位を取れていたようなのでそれで十分といえば十分ではある。

そんなこんなで先輩からもらったあれやこれやを後輩に繋げていくということは満足にできなかった。

ファ○キンコロナではあるものの良いこともあった。

学校に行かなくてよかったことだ。

計画頓挫大学の人に会えないといったマイナスポイントは大きいが、私の通学時間は往復で約6時間かかっていた。朝一の講義に間に合うには始発しかなかった。そのレベルが通学時間0で8時に起きても余裕で抗議に出席できるようになったのでそこは感謝しなければならない。

そういえばzoomを用いたオンライン講義先生カメラオンを強制しやがったときは猫と一緒に受講していた。猫を撫でながら単位が貰えるオンライン講義万歳

大学生活ターニングポイントといえばやはり研究室に入ったところだろう。

自ら志望して違う学科研究室に入ることになり、そこから大学生活基本的研究室ベースになった。コロナ学校に行けなかったので自分の在籍する学科話題はわからないし人間関係も大半フェードアウトした。学科的にはみんな単位を取り終わって就活に力を入れる時期だったのもあり、話題もないのでほとんどそれきりだった。

研究室の同期は不思議なことにコロナ前に全員と接点があった。ずっと仲良くしてもらった。コロナが落ち着いてから同期で飲みに行くときは私が行きたいとゴネた結果付き合ってもらっていたようなものだし、終電を逃したときは1人だけ女の子がいたので無理を言って泊めてもらっていた。

先輩や後輩もいい人揃いだった。基本的に成績上位者ばかりなので人間性担保されていたし、知らないだとかわからないところを教えてもらった。学科の違いで私だけ知らないことが多かったし恥ずかしながら正直今でも首を傾げるところはあるが、多数のフォローをもらってどうにかなった。ここまで書いて自分がお騒がせ者だったことを再確認した。

何より驚いたのは就活エージェントに文理登録を求められた際に「私ってどっちなんですかね〜」と尋ねたら「理系に決まってるじゃないですか」と指導教員から即答され、知らない間に理系になっていたことだった。文転は周囲にまあまあいたが理転現実に?しかも私が?と思った。まあ文理などというものはそんなにあてにならないし、私自身も理系という響きが良いと思って理転しちゃってた…と言い回っているだけなのですごいえらいとかそういう話ではない。理系ってすごい!とは思う。私自身を除いて。

実際のところ理数科目はてんで駄目なままだし。

指導教員には本当にお世話になった。

そもそも彼は入学から研究室配属までの指導教員であり、他学科先生講義を受ける機会もないのに知り合ったのはそういう経緯があったからだ。それまででいう担任先生ポジションで、1年前期には大学生として必要プレゼン力だったりの指導が週に1回ある講義で行われており、あとは履修やら生活の悩みを相談する先でもあった。先に書いたように入学当初は通学時間が長く満足に遊べなかったため、みんなと遊びたいご飯食べに行きたいと言っていたら受け持っている学生(15人程度)をご飯に連れて行ってくれた。講義がなくなってからも何かと気にかけてくれて、食事が苦手で1日1食しか食べたらえらいほうだと言うと少しでも胃に入れろと毎週お菓子を用意してくれたり、苦手なものが多いならば食べられるものを探しに行こうと色々食べにも行った。周りには結構引かれたが、私はありがたかったし先生と話すのが楽しかったので良い思い出しかない。

私は普通に研究室に入った学生よりも先生との付き合いが長い。それこそに入学から卒業までずっと一緒だった。6年だ。生まれから6年だと物心もついてそろそろ小学生というところまで成長するし、本当に育ててもらったという感覚すらある。

私にとって先生は、第二の父であった。

大学院に進学した。

理由はいくつかあった。

家族には黙っていた。

3年生の時点で就活に無関心だった時点で察していたとは思う。

自分勝手に出願して、まだみんなが寝ている時間に家を出て、久しぶりに始発に乗って試験を受けて、勝手合格した。

合格発表から1か月半くらい経ってから親に報告したくらいには黙っていた。悪かったとは思っている。

コロナも落ち着いて対面授業に戻るというから下宿を始めた。

夢にまで見た一人暮らし、通学時間は1/36とかそれくらいにまで短くなった。歩いてすぐ、雨でも余裕、楽しくて仕方がなかった。

研究が家でもできるおかげで実際のところはほとんど学校に行っていないが、帰る時間を気にしなくてよくなったことが私の心と体を軽くした。

研究室で夜な夜なボードゲームをしたり、飲みに行ったり、朝までダーツに興じたこともあった。先輩とカラオケオールもした。夜にマーダーミステリーをやって怖くて帰れなくなり、後輩を朝日が昇るまで研究室に拘束したとか、帰れたものの思い出してしまい隣の部屋の子SOSを出したこともある。実家暮らしのままだったら絶対にできなかった。大学生らしいことはほとんど大学院生になってから経験している。私の大学の思い出の大半は大学院に入ってからのものだ。

大学に進学するにあたって掲げていた目標として、人生のやり直しがあった。

元々わがままなお騒がせ者ではあったが、それはあくまで外でのキャラ付けであり、本当の自分は家庭環境のせいで顔色を伺いながら生きてきた。望まれた振る舞いをしてきた。ゆえに本当の自分というものもわかっていなかった。

家庭から離れ、自主的講義を選び、やりたいことを見つける。私自身を確立することができると期待していた。

私の学科は大きく分けて3つの領域があり、各領域対応する講義が用意されていた。好きだったり興味がある分野に集中して履修することで、自分方向性を確かめた。

人との関わりも頑張ってみた。名が知れているので初対面のハードルは低いだろうと会話の輪に入ってみたこともある。アルバイト複数やってみて、接客もいくつかやった。いろんな人と話し関わるなかで様々な価値観に触れ、確かにそうかもしれない、いいえそうは思わない、を繰り返して自分思考の軸を探った。言動に関しては相手の反応ありきで確認していたためマッドサイエンティストみたいになっていた。反省はしていないが。

6年経ってようやく自身言動理由根拠言葉説明できるようになった。自分意思決定もできるようになった。6歳児にはなれたのではないか

先輩に恵まれたことも、研究室も、その先生も、人生のやり直しができたのも、愛だったな、と思う。

もちろん恋愛感情を持ってこられたこともあった。全部お断りした。恋愛けが愛というわけではないし不要だったので。

ほぼ男子校で浮いてはいただろうが、それでも身体が綺麗なまま6年過ごせたというのは、本当に愛ゆえのことだ。

大学に入るまで愛が何かわからなかったが、卒業が近付いてきてようやく沁みてくるような感覚があって、ああこれが愛だったのか、と気付いた。愛される感覚、愛する感覚、そうかこれが人の心か、とまで思った。

2年延長した甲斐ちゃんとあったということだろう。いや、私自身で断言しよう。ちゃんとあった。

院生なんだから研究は?と言われるのは想定の範囲内なので最後ちょっと書いておくと、全然すごいことはしていない。査読は落ちた。大学院生の本分は研究である、それは事実だしごもっともだが、私にとっての優先順位ちょっと違ったかもしれない。実は研究の中にも自分と向き合うプロセスがあったので、研究も実質人生のやり直しの一部だったとも言える。

6年間通った大学卒業した。

寝て起きたら社会人になる。

まずは朝起きられるかが心配である

2025-03-26

SPI勉強楽しい

中学の頃の全能感を思い出す。簡単に解けた問題が手強いと評されてると嬉しくなっちゃうね。

今振り返ると理系に進めばよかったなぁ。

全くイキることじゃないけど、中学までは公式だけ覚えるだけでも原理をそれなりに理解した上で問題をその本質を捉えた上で解けてた。

だけど、高校から公式だけでは問題は解けるがイマイチおぼつかないという感じで、評定は90を超えてたが、自信は全くなかった。

実際、原理のあたりがあやふやから応用もできんし、公式試験1週間前とかに詰め込んではテスト後にすぐ忘れるという感じだったから、数学力というのは微塵も身についていなかったと思う。

ただ試験前にひたすら問題解いて間違えたところの解放を覚えてっていうクソ効率悪いやり方で試験をこなしてた。

そういう効率の悪い勉強法や前述した自信の無さが嫌になって高3で文転したんだよな。

でも、それなりに努力方法を身につけた今となっては、あの時に面倒くさいからと原理理解を放り投げずにちゃん教科書と向き合っとけばよかったなぁとSPIとか就職とか諸々考えると後悔が募る。

そんな気持ち吐露増田

2024-10-14

anond:20210611150347

あれから3年経ちました。

息子は一浪した時に文転し、東京語学国立大に入りました。世界史から語学に興味を持ったのだろうと思います

世界史Bは独学でしたが共通テストもほぼ満点で大きな武器になりました。

相談に乗っていただいた増田先生方に感謝です。

2024-06-23

無能学生愚痴

大学二年、サークルなど活動なし 文転後期入学 多少毒親あり 父親不倫と母のDVで別居

生きててつまらない

親が出て行ったとき依存した酒が一番楽しい

いい趣味とかないか

2024-05-17

anond:20240517203434

空いた時間で見るのがアニメってのが引っかかるかな

大学での勉強って確かに独学でもできなくはないけど、体系化された講義とか信頼できる本のピックアップとかは大学に行かないと得られない恩恵だと感じたよ

とはいえどんな大人になりたいかで決まるかな

高卒就職して周りとうまくやっていけそうな性格ならよし、そうじゃなきゃランク下げたり文転してでも行ったほうがいい

2023-06-22

anond:20230622073147

工学部男子就職口なくて自力文転就職してたで

研究室の推薦枠も減らされてたからな

大学院行ってもポスドクの蟻地獄

とにかく人数が多すぎてどこの学部だと安泰とかないわ

2023-01-21

anond:20230121235224

俺が学生の時にあってほしかった技術No.1

もしこれが俺の学生のころにあったら、俺は修士文転就職せずに、理系博士号取りに行ってた

MATLABっつーのが大昔からあるんだわ。

2022-06-12

anond:20220612081420

でも小さいころから商材じゃんじゃん流し込まれて(特に英語小学校中学校までは大丈夫だったけど

高校大学で鬱になったりなぜか文転理転できない今のカリキュラムで専門か留学にいこってなる子いっぱいおるのよ

学力の勾配はなだらかになるよ

問題発達障害の子の早期分離教育ができることだとおもう、

どんなド田舎でもオーダーメイド医療ならぬオーダーメイド教育できるようにならないと結局孟母三遷の教えとなってしまって子は負担のまま

2022-05-02

パソコン使えない理系大学生

お前ら親の金とか借金とか無駄に使ってるヒマあったらさっさと大学やめるか文転しろ

2年生でPDFとかdocxとかxlsxとかの識別がつかないとか馬鹿なんか?

やっぱりクズだね。理系教養だけで卒研まで行くとか許されないから。

お前らが卒研に行ったら絶対人の足を引っ張るどころか研究室がめちゃくちゃになるし、日本大学の格がゴミ以下になる。

正直こんなやつらに日本の将来を任せたくもないし、こんなやつらが月に10万も20万も30万も他の有能の稼ぎから盗んでいっていい理由がさっぱりわからない。

こいつらは文系官僚がお似合いと言いそうになった。あぶねえ。こんなものにさせたらそれこそ日本が滅ぶ。もう外国送りでいいよ。

もう日本は半社会主義資本主義ではやっていけない。中堅~有能だけで社会形成するべき。

あ、あと無条件に色々中傷するfエミニストは無能文系と一緒に外国行ってて下さい。

2022-04-13

文系ネットでは馬鹿にされる分野に興味持って進んでしまった上に普通のレールから外れてしまったけれど、適性なくても手に職のある分野にしておけばよかった

どこにもなんにも適性なくて昔から職業診断で芸術家おすすめされて、MBTIではINFP以外にならないくら無能なんだから、使い潰しのきく人材じゃなくてまだ有用人材になれる手に職のある分野に進んでおけばよかった

高校では理系クラスが一個しかないの関係なく素直に文系を志望したけれど、理転より文転の方がまだ簡単らしいのに

無能であることを早めに自覚して手に職のある分野に進んでおけばよかった

絶対ミスすると思ってやめたけど文系でも医療系進学はできたのに

一人っ子からガチャ失敗しただけなのに親が悪いからになってしまって本当に申し訳ない

2022-02-01

anond:20220131180950

吉野家カウンターでどこからか客の「いただきます」が聞こえただけで、

したり顔だとか命をいただくだとかこんな長文転回しながら紅ショウガつついてるヤツが居るんだ。

2022-01-15

anond:20220114234135

あーあ、俺もあの時文転なんかしなければ、、 というか、今からでも遅くはないかな。

2021-12-14

anond:20211214214709

文系理系入試理転文転)してついていけるかいな。ついていけたら教育の質が悪いってことだし、ついていけないなら留年して終。

2021-06-09

星野源下位互換

 最近様々なことに悩みだした。大学4年生にして思春期の訪れである。世の中の様々なことに興味を持っては、大学卒業するまでの期間の長さを嘆き、折り合いがつかないまま悶々とした気持ちで日々を過ごしている。

 僕は今まで散々人生をサボってきた。最低点主義とでも言おうか、家族など周りの人の反応を見ながら自分である程度の基準を作り、それを満たしさえすればなんでも良いと思っていた。高校受験の際は、祖父・両親が通っていた高校に行くことが家族の中で当然とされていたためそれに合わせて合格することを目標としていた。中学校程度の勉強はそれなりにやっておけば志望校くらいは受かる頭の良さであったため難なく受かった。しかし、例えば部活動自分の中の基準にまったくなく、練習サボりまくり挙げ句そのせいで同じ部活女子に泣かれた。僕の中の基準高校に受かる一点に集中していた。高校に入ってからは、なぜかわからないが志望校東大と言ってしまったために家族先生を期待させてしまい(と勝手に思い)よくわからないことになっていた。端から東大に行けるとは現実的に思っておらず、勉強はしていなかった。それでも宣言してしまっているからにはある程度の「惜しさ」を演出しなければならない。高校3年生の頭には学年で半分以下の順位になっていた僕は、「文転」した。文転してからはある程度の順位は取れるようになりワンチャンあるかもという感じを出せていたがあくまで「ワンチャン」。そのまま受験突っ込み、結果は惨敗した。我が家浪人には寛容であったためもう一年やらせてもらえることになった。しかし僕の基準はもはや東大ではなく「惜しさ」の演出に移行していたのかもしれない。一年中遊び続け、昨年よりは改善したが結果はだめだった。それでも後期である程度の大学に滑り込めてしまったために「惜しさ」の演出には成功してしまった。大学に入っても最低点主義言わずもがな変わらない。単位を取るだけだったら誰でもできる。何一つとして学問は身についていないが、あと卒論さえかければ僕は卒業できる。

 こんな、最低点主義人生を通して実践してきた僕も勉強だけをやっていたわけではない。絵を描いてみたり(才能が絶望的だった)、小説を書いてみたり(根気がない)、ギターを弾いてみたり(練習嫌い)、作曲を行ってみたり(世に出ているものクオリティーにならないことが気に食わない)、いろいろなことを知りたいと思い最初の一歩だけ踏み出してみた。しかしどれもすぐに飽きたり萎えたりしてしまった。今でもこれらをある程度好きだという気持ちは持っているが、世に出るレベルには到底ならないだろうということを予期してしまっている。最低点など存在せず、最高点なら∞の世界の話に立ち入れない僕がいる。

 社会に出てしまえば周りから求められる最低点などというものはどこにもない。それに、最低点を取れなくても、ある程度のセーフティーネット存在する。僕がこれまで回してきたサイクルはほとんど無に帰す。僕はこの社会の中でどこまでもフラフラとしていくしかないのだろうか。

 僕の「好き」は移り気で、小さく、根気がなく、僕を規定するものになってくれない。それでも今はこれを大事にせねばならないと芽生え始めた自我が言う。僕の「好き」はこれから最低点を求めず、自由に泳いでいけるか。22年間サボっていたからこそ、今、世界のすべてを手に入れたくなってしまった。領分をわきまえず色々とやることをこの僕が僕に認めなければならない。そして、世に花開くことを真に夢見なければならない。

 何者にもなれないことこそ誇らしく、胸を張って生きていこう。

 これは人生絶望した若者戯言です。今日話を聞いてくれたみんなへの感謝の一つの形として書きました。そしてCrazy Crazyに感じて星野源にドハマリしていた15歳の僕に捧げます星野源の多才っぷりはとどまることを知らず、どんどんとかっこよくなっていくばかりです。この7年で更に距離は離れてしまったけれど、星野源はたしかに僕を構成する一要素です。一応結婚のことについて触れておくと、私は有名人の誰と誰がどうだ、みたいなことには全く無頓着で無関心です。しかし、星野源結婚したことによって新たな面を見せてくれるかもしれないということには期待することもあります。これまでエッセイで見せてくれていた暗黒面もさわやかなライブでの姿にも、それを支える世界への愛のようなものが僕の心までも包んでくれているような気がしていました。これからは包み、包まれた愛が僕に触れることになるのでしょうか。それならば一層、僕も源さんの心を包むような愛を持って世界に向き合っていかなければなりません。世界のすべてを肯定することは難しくても、世界には素晴らしいことがたくさんあるとよく噛み締めたいです。そしてそれを表現にまで昇華できればこの上ないことと思います

 ありがとうございました。

 2021-06-09 Crazy CrazyPVBGMに聴きながら

2021-03-30

anond:20210330164909

教師理系はつぶしがきくし文転はかんたんでも理転は難しいから成績いい人はとりあえず理系にしなさい」

私立文系専願「理系科目?めんどくせー赤点回避できればそれでOK

スボーツ推薦狙い「授業とか寝る時間っしょー」

↑こういう選択は許されて、高専存在すら認知されないっておかしいよな

2020-11-19

「求む!性犯罪被害から立ち直る方法」(その後)

前に投稿したとき被害を受けて半年後でした。

それから半年弱経って、今すこし良くなった部分があるのであのとき話を聞いてくれた人と、今悩んでいる人に向けて報告します。

あの時ほんとうにありがとう

前の増田こちらですが

https://anond.hatelabo.jp/20200703170535

短いので全文転します。 

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「求む!性犯罪被害者が立ち直る方法。」

主にメンタルの部分においての話です。

身体の方は婦人科対処済みです。

あなた病院ではどのような治療を受けていますか?

病院ではなんと言われてますか?

薬物療法のある方は何飲んでます

いろいろ探したけど全然ヒットしないので、具体的な情報がわかる方はURLを教えてください。

どうかおねがいします。

味方がいるって、同じことに苦しむ仲間がいるって信じたいです。

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以下報告です。

1 投薬が効いた

私の投薬は半年間一貫していました。以下の通りです。

セルトラリン商品名 ジェイゾロフトセルトラリン) ○日中

・クロナゼパム(商品名 ランドセンリボトリール)※私はリボトリールでした。 ○寝る前

の2種類

まず、寝る前のクロナゼパムの話。

私は夢で被害にあった環境再現のような、ストーリーをよく作ってしまい、寝ながら格闘したり必死説明をしたりしていて、寝汗や起き抜けの精神状態がひどい状況でした。

それを就寝前のクロナゼパム(リボトリール)で抑えてぐっすり眠れるようになりました。これはかなり大きかった。あくまで私の場合ですよ。

リボトリールを飲んで30分くらい立つと身体が湯船に入った時のように、こわばりがとけます脳みそいくら考えても、身体リラックスしている感じ。そうなると不思議自然に眠くなります。そのまま寝て気づくと朝みたいな状況になりました。これは本当に救いでした。もう夢でこの件について戦ったり負けたりしたくなかった。

私は事が起きてすぐは比較的元気で、できる限りはやった。その事後である今はもう加害者に対して自衛する必要は無いんだよね。それでも全てうまく行った世界を夢で実現しようとしていた。我慢して、うまく立ち回った世界線を作ろうとしていた。

いまは過去は変わらないとわかってる。

それからもう一つのセルトラリン血中濃度が飲むうちに安定してくる?みたいで、はじめは効いている?本当か?くらいだった。でも2週間くらい続けていると日中フラッシュバック(当時のことを思い出して無力感に襲われる)が明らかに少なくなり、嫌になってしまったお風呂シャワーが平気になった。それでもまだ一日一回風呂はきつい。痒くなったらくらい。人に合うときは入れる。なんでだ?見栄っ張りだからな〜私。

明るくなったと言われたのもこのセルトラリンが効き始めたと思われる2週間後くらいから。

希死念慮がなくなったのは3ヶ月後くらい。

薬のことは以上。

量や頻度は何回か変わったし、個人差大きいそうなので伏せます。よく効く人もいればたくさんでも効果出ない人もいる。最低の量でも効きすぎてしんどいひともいるらしい。


2 業界での出世を捨てて、在宅での下請け孫受けをやり始めた。

もともと一線を離れた後自宅で補助業務をする女性が多い業界なので信頼できる社外の人(社内で起きた被害なので)に拾ってもらえてアルバイトととして雇ってもらってる。本当にこれはたまたま。これがなかったら私は人間関係を気づく体力がなくなったのに今までのスキルを使うことを諦めていたと思う。そうなってたら今どうなってたんだろうと薄ら寒いあんまり器用なタイプではないから。

対人関係が在宅でうすーくなると私が今までこの仕事で頑張ってきた理由がよくわかった。まあ、好きだし、だから無理もできる仕事だったんだよね。

一年くらい前はもっと大きな仕事を目指していた。責任者になりたかった。少ない女性業界スーパースターを追いかたかった。その助けになりたかった。しかし適正が足りなかったみたい。

その少ない業界スーパースター達に被害複数会ったが、私より酷いこと、中々あったみたい。それを乗り越えてったんだね。私は本当に甘いやつ。はあ〜いや、でもおかしいんだよね。世の中。

ただ私は今はもう名誉とか尊敬だとかはもういらない。本当に諦めたから、今とても落ち着きのある感じで仕事が充実してるなと思う。仕事で関わる人の助けになるならそれでもういいや、という気持ち

回り回って当時の私と似たような状況の人にいい仕事してるなって思ってもらえるようなるべく頑張ってる。

本当のこと言えば、あれがなければなあ〜でも同じ状況はもう本当勘弁して〜っていう感じ。あー大きな仕事してみたかった。一人前未満から一人前まで上げてもらえるのは男の人が多かったなあ。まあ、まあ、そんな人生もある。

以上報告2点です。

もし、語ってもいいかなと思う人いたら、少しでも良かったやり方を話してくれると嬉しい。

2020-10-21

ただ高学歴になりたかった・・

 自分現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・

しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ

高校友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。

それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。

おそらく大学に落ちて地方大学に入ったことが原因だろう。

県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。

そもそもこの大学に入ってしまったのは自分理系選択してしまたからだ。

自分はもともと英語国語地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった

高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。

何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。

高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。

自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴大学に行っている。自分浪人が許されなかった・・。

そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・

でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学社会に出たら関係いかもしれない悔やむこと自体時間無駄 十分に頭ではわかっていた

でもどうしても納得がいかないのだ。自分低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるか高学歴大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学スタートしてからはずっと仮面浪人編入することしかやってこなかった。

編入が許されても常に自分学歴イライラしていた。中学生とき自分より成績が悪かったやつが・・ はるか高学歴になっている。

その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大編入学することができた。

最初コンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった

何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。

俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・

しか自分編入したとはいえ結局自分地方大学にいたという経歴は残るのだ。

いまだに自分京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある高校合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ自分低学歴時間があることが許せないのだ。

最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。

そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。

Twitter編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。

高校の頃大学在学中に億稼ぐのが夢だった。残念ながら100万行けばいい方だろう。

日本入試は一度失敗するとあまりにも大変すぎる。自分のような人が他に出ないことを望むばかりだ

2020-10-13

社会から早々にドロップアウトして人生ヌルゲー状態

タイトルのとおりなんだけど

小学校サッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。

普通公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。

パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽命令みたいなのも普通にあった。

最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど

なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。

こりゃいかんと思ってソッコーでサッカー部をやめた。

もともとサッカー特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。

未練はなかったし、

何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、

さらに先輩の上には先輩がいてさらサッカー部顧問先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて

その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。


まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。

まりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。

くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。

幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強シフトすることにした。


で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って

マイナースポーツをはじめた。身バレ嫌なのでぼかすけども

マイナー故に男女が別れていないような運動部だ。

男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。

で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。

理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。

中学経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。

センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。

これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります


でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。

無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。

じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。

なぜそこに入ったのか。おそらくそしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社労働環境凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)

なんか書くの飽きてきたな。増田長編書くモチベってなんなの?

で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性出世できるわけではないので、大卒男性なんて勝手出世するんですね。女の人って大変ですね。

しかも、もともとが時代遅れブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。

そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子どもまれて、まさにヌルゲー人生謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。



自分がカラッカラのペランペランだということに。



なにか仕事ヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったとき自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。

今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。

手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。

退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。

正面切って正攻法努力する方法知らないんですよ。

どうしたらいいですか?

僕は何を恐れてるんだろうか?

どうしたらいいんだ。


こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。

「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。

なんだこれ。最悪じゃん。


もう寝よ。最悪だ。

2020-10-05

ただ高学歴になりたかった・・

 自分現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・

しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ

高校友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。

それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。

おそらく大学に落ちて地方大学に入ったことが原因だろう。

県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。

そもそもこの大学に入ってしまったのは自分理系選択してしまたからだ。

自分はもともと英語国語地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった

高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。

何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。

高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。

自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴大学に行っている。自分浪人が許されなかった・・。

そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・

でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学社会に出たら関係いかもしれない悔やむこと自体時間無駄 十分に頭ではわかっていた

でもどうしても納得がいかないのだ。自分低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるか高学歴大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学スタートしてからはずっと仮面浪人編入することしかやってこなかった。

編入が許されても常に自分学歴イライラしていた。中学生とき自分より成績が悪かったやつが・・ はるか高学歴になっている。

その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大編入学することができた。

最初コンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった

何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。

俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・

しか自分編入したとはいえ結局自分地方大学にいたという経歴は残るのだ。

いまだに自分京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある高校合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ自分低学歴時間があることが許せないのだ。

最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。

そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。

Twitter編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。

高校の頃大学在学中に億稼ぐのが夢だった。残念ながら100万行けばいい方だろう。

日本入試は一度失敗するとあまりにも大変すぎる。自分のような人が他に出ないことを望むばかりだ

2020-08-09

anond:20200809033405

私自身が理系萌え工学部に進んだものの、憧れと自分がそれになりたいかは違うことに在学中に気づいて就職時に専攻から離れた人間なので、他人事とは思えなくてね…

とりわけ情報系の男性が好きだったが、私の場合はお付き合いとか結婚とか、増田よりもう少し推しに近づきたい願望があった。

そうなったときに専門が同じだと、お互いの専門への思いの熱さが災いして、どの実験手法採用するかとかで軋轢が生まれ離婚危機かになったら嫌だなあ…と妄想して、

非情報系の専攻にしたのも良くなかったと思う。(方向性は違うけどかなり拗らせていた)

大学の専攻も学問としては面白かったが諸処の事情仕事にしたいとは思えなくなってしまった。

で、いくつかの転職を経て叩かれがちな所謂職業プログラマになったけど、これが思ったより自分に向いていて、

今は理系男子よりも、とは言わないけれど理系男子と同じくらいプログラミングが好きなので充実した日々を送っている。

同時に、18のとき妙なことを考えず、普通に大学情報系の専攻に進んでおけばどれだけ良かっただろうと後悔したし、情報科出てないコンプレックスは今も消えない。

思えば、普通に自分自身が好きなものと向き合って極めようとする過程挫折することへの恐怖心が強く、

理系男子萌え理由自分理系なっちゃう私マジヤバイ女~」というメタ視点に立つことで自分を守ろうとする意識もどこかにあったと思う。

別に増田がそうだとは言わないけれど、私はそれで自分が本当に好きなものを見つけるまでに30超えてしまって人生遠回りしたので、もし増田にもそういう部分があるなら自分省みるのは早い方がいい。

親に頭下げて転科/文転可能ならそれもいいし、学生やり直すのが現実的じゃないなら、就職時は分野を変える大きなチャンスだし、第2新卒ぐらいまではまだまだ全然やり直しもしやすい。

増田人生を楽しむ力が強そうなので、別に今のままでも上手く生きていけそうな気はするけれど、ちょっと似ているババアからの小言でした。

というか増田は、勉強と違って仕事なら楽しめる可能性も大いにある。研究職は知らないけど、一般的仕事なら良くも悪くも大学勉強とはベクトルが違うから

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