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はてなキーワード: 芋女とは

2025-11-19

むかつく

私より可愛かったり、綺麗なのにパッとしない芋彼氏や芋旦那歩いてる女まじでむかつく

女のくせに女の価値下げんなよクソビッチ

じゃあ世界釣り合いとるために芋女の私に真剣佑みたいな彼氏旦那できて〜

あ!あそこに真剣佑似の高身長イケメン

連れてる女は私じゃ一生着れないスナ着た爆美女だ!

死ねよムカつくな

2025-10-16

anond:20251016205135

処女芋女が書いた論文意味あると思ってんのがチー牛隠せてなくてキッツ

2025-10-12

洋服界隈で顔出しでSNSしてるんだけど、いいねとかリプとかおじさんっぽい人ばっかりでしんどい

おじさん自体別にみんないい人だから嫌なわけではないんだけど、やっぱりこういう界隈

ガチ美女 

いいね、リポスト大量 

コメントは意外と少ない

②そこそこ美女

いいね多い

ポストはそこまで多くない

同性からの憧れ!かわいい!みたいなコメントが多い


③ブス

おじさんからコメントいいねが多い

同性からの反応はあんまりない


って感じじゃん。

自分が③なのを突きつけられてしんどい

別におじさんが悪いわけじゃなくてブスな自分が悪いんだけどさ…

しかもそのおじさんが、アイドルかにはリプしないでリポストばっかりで、わたしみたいな芋女にはリプしてるのほんましんどいわー。

おじさんでもりぷとかいいねくるとうれしいくらいに評価に飢えてる自分のブスさがかなしい。しょぼーん。かわいくうまれたかった。すきでぶすにうまれたわけじゃないのに…

しかもさ、意識低い系から、同性に憧れられるような華やかな女の子たちと華やかな女の子たちが好みそうな話してるよりおじさんと電車とか特撮とかの話しとるほうが話し合って無理しないで気楽に好きなこと話せて楽しいんだよな。女の子からファッション関係のリプもらうよりおじさんから戦艦関係のリプもらう方が盛り上がっちゃってるもんな。ありがたいことにキショいセクハラ発言するおじさんはおらんから不快な思いとかはしなくて済んでるし。あー中身までかわいくなくてかなち。えーんえーん。

2025-09-27

anond:20250927132317

平成一桁女だが、私もそういった外食は一切させてもらえなかった。お小遣いも貰えたことなくて(親族からお年玉は全没収生活費)、大学バイトをはじめるまで自分に使えるお金を持ったことがなかった。

ちなみに、学校制服以外の服は母親趣味でアクシーズのフリフリしか買ってもらえなかった。

私の好みじゃない服だったからしんどかった。

メイク許可されてなかったからフリフリ服+ノーメイク+ノーヘアセットの激ダサ芋女だった。

運動部だったから真っ黒に日焼けしてベリーショートゴリラみたいな女が好みでもないフリフリ服着るしかなかったの黒歴史すぎる。

話は戻るけど、中学生の頃一度だけ、女友達10人くらいで隣の駅のショッピングモールに行くことは許してもらえた記憶がある。

親同士の交流が全員あって、私以外は遊びに行くことが確定していたから仕方なく許可してくれた。

外面は良い人だったので。

これ以上は自分語りが更に長くなり過ぎてしまうので(既に長くてすみません)省略するけど、過保護を通り越して支配的でヒステリックな母で、実家を出て行くまで関係性最悪だった。

物理距離ができてから関係は多少改善されたけど。

増田のお子さんの友達の親御さんが私の親みたいな過保護通り越して支配的な親でないことを祈る。

2025-08-15

anond:20250814103213

だってなぁ

芋女美女嫉妬して憎むけど

弱男は既婚男性イケメン富裕層男を憎むのではなく女を憎むから

弱男は自分を選ばなかった女を憎む

2025-08-05

anond:20250804162411

>持ち物についてもハンカチティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンゴムなどはステキ女子マストアイテムと教えてくれる。


下記の理由女児向けのマナー本に関心を持たない・手に取る機会がない子もいるわけだけどそういう子は「ステキじゃない」と……

女児向けのマナー本の表紙のような少女漫画絵に魅力を感じない、それより小説少年漫画の方が好き

発達障害でよく物を無くしてしまうので極力持ち物を減らしている

女の子らしくおしとやかに振る舞ったりヘアゴムやスカートで着飾るのが苦手、ボーイッシュな格好をするのが好き

スポーツが大好きで動きやすいようにベリショにしている

貧困家庭だったり虐待で親が子どもに物を買い与えない家庭で育っている


女児向けのマナー本って「オシャレ、モテ」といった言葉が使われていることも多いか教育現場に向かないとみなされほとんどの小学校図書館には置いてなくて(少なくともウチの地域にはなかった)、各家庭で買う形になるだろうけど、こうして定期的に女児向けマナー本の存在バズることでより格差が広がっていくんだろうなと思う

女児マナー本を推し進めるのは女児村の掟を強めるだけで、それに背く上記タイプの「ステキじゃない女児」をより迫害し、生き辛くするだけ

逆に言うとマナー本を喜んで読み、それに迎合できるタイプ女児は「芋女」をいじめ強者女性側になれるだろうからいじめられない子に育てるためにおすすめするのは正解なのかもしれない


https://anond.hatelabo.jp/20250804224139

増田の言う「こんなゴミみたいなことより嘘をつかない、卑怯な真似をしない、貸し借りは綺麗にするといった根源的躾を学んだ方が良い」というのは深く同意するんだけど、

実際は中途半端スペック人間女子コミュニティー人間的に正しく生きているとキラキラ女子にいいように利用され尊厳を踏みにじられいじめられるだけなのが悲しいところ

眉毛を整えられない女は頭がおかしいから近寄らない方が良い」 「服装が芋臭い仕事できなさそう」 「この人髪の毛がパサパサしてるし、知的障害があるんじゃない?」とか、大人でもずっとやってるし

オンナのマナーを守れないのは社会迷惑者として糾弾して良いものとしているからね

最近アニメ漫画アイドルオタクの間でも、「容姿や持ち物を美しく保たないのは推しに失礼で推し迷惑をかけようとしている」とみなされて芋ブス女はむしろオタク資格がないらしいから大変だよ


男児向けのマナー本も欲しいとのことだけど

男児に「クッション言葉を使え、絆創膏を常備しろ、俺じゃなくて僕と言え」なんて「マナー」を推し進めたところで……

ママは息子がそんな風に育ったら子どものうちは「ボクちゃんステキよ!」ってご満悦だろうけど

女児村の掟を仕込まれ男の子なんて将来ただの弱者男性まっしぐらからどうなの?と思う、ここは男女逆なの面白いよね


ただまあ社会はどんどん不寛容になっていってるからマナー本を買い与えるのがより当たり前になっていくのかな

私や私の友達は一番上に書いたような「ステキじゃない女子グループだったので、ブリブリ少女漫画絵じゃない、むしろ男児向けのものが増えてくれると助かるのはそう

もし「図書館定番」になるくらいの男児向けのマナー本を作るとしたら

ゾロリ、銭天堂などの人気シリーズコラボする

恐竜新幹線など男児に人気のモチーフ使用する

パズル迷路クイズ間違い探しなどゲーム要素を入れ、その副産物としてマナーを学べるようにする

とかそんな感じになるのかな

子どもの頃にそんな本があったら「どこに行っても女児村になじめず女性に嫌われていじめられて無職ひきこもりになる」っていう今みたいなことになってなかったんだろうか

2025-07-06

フェルンって巨乳設定なかったらただの魔法オタク田舎芋女だよね

田舎魔法陣パーカー着てる痛いオタク 

2025-06-21

TOKIOは私の青春だった

初めて行ったライブ電話を何度もリダイアルしてチケットを取った。そこからライブは欠かさず参加してる。10周年ライブツアー最終日はアリーナから数えた方が早い場所で見れてなんの奇跡かと思ったし、逆に2014年ライブ(今考えるとこれが最後ライブ)は久々に2階席後ろから数えた方が早い場所で驚いた。そこそこ都心に近い所(都内ではない)に住んでたけど芋女だった自分武道館にもお台場にも1人で行けた。メントレも何回か観にいけた。東海道新幹線ポスター撮るためだけに品川まで行った。

家族外食に行ったときDASH時間に被ってしまって店で泣くという奇行もあった。(親はドン引きしてた) テレビの音声が入るMDコンポを買ってもらってDASHメントレも録音してた。高校入ってバイト始めたきっかけはTOKIO番組DVDレコーダーで録画したいからだった。

こんなに好きだったのにこの15年くらいほぼ追ってなくて辛うじて株式会社TOKIOは知ってるというレベルだし、今やってるミタゾノの舞台チケットFC枠締め切り過ぎてから気付くダメっぷり。(結局一般販売で取った)

それでもやっぱり今でもTOKIOが好きでライブいつかやらないかなって思ってた。けどきっともうやらないんだろうな。何があったかからないけど私の中では表立ってコンプラ違反しました休止しますって言うなら戻ってきてほしくない気持ちだし、たっちゃんも今は頑張ってるけど色々あったにせよ女子高生に手を出したって報道された時点で無理って気持ちもある。

ほんとにね、好きなのTOKIO。なんなの。私の青春。悲しい。

2025-06-12

この人生はどう生きればいいのか

ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた

保育園

まだ記憶曖昧な頃ですが、保育士備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります

「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ家族自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います

幼稚園

母親育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリア引っ越し幼稚園へ行くことになりました。

特にイジメなどは自分主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。

小学校

地域公立小学校入学

区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。

休み時間に遊ぶ仲良しグループハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間下駄箱の前で泣いていました。

男子容姿気持ち悪いと叫ばれました。しんどかったです。

高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。

しかしこの頃から父親アルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットアニメマンガ二次創作サイトけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。

親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。

中学校

地域の繰り上がり中学校入学制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母お年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分担任指導室に呼び出されました。結果的教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。

このストレス過敏性腸症候群発症学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので

ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮しろと言われしんどくなって泣きました。

多分そこで明確に学校から監視対象になったんだと思います

父親アル中悪化家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親現在ネットでよく見るような陰謀論統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価集団ストーカー盗撮されてる、喋った言葉迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。

あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。

最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。

収入がないので母はパートを始めました。

この時期は精神限界だったので正直仔細をよく覚えていません。

同時期に自分軟式テニス部で先輩と同級生コーチに虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし

同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力しましたが居場所はなかったです

常に疲れており、死にたかったです。

両親に生活保護申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし貯金も聞く限りなさそうだったし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。

頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下に生まれたんだなと何も感じませんでした。

3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コース女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子(笑)」と言われました(その時代腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。

受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任自分の周りの生徒にあいつは危険から関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね

そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜

高校

結果的都内偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車20分だったのでまた私立高生や電車学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイト禁止されました。

周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。

同時に入学からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。

受験入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分私立大学に親金で行ったくせに。

キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。

清掃バイト先でもふんわりとイジメというか嫌味を言われることが多かったです。寡黙でキョドキョドしているので「昔いじめられてたんじゃない笑」「空気悪くなる」「顔可愛いよね(お世辞でも言わないレベル奇形です)」優しいおばあちゃんが場を仕切っていたので業務差し支えはありませんでしたが。

自由時間と金ができたこタイミングスプラトゥーン出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るもの出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強しませんでした。

オーバーウォッチ出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。

エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。

ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。

その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。

3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。

妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります

自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。

その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲーム現実逃避する生活だったのでトイレ風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。

母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。

救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤抗不安剤を出されました。

母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。

介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。

自力介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。

母が死にました

3日ほど死体暮らしました

簡易的な葬式しました

翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません

多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います

半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重33キロかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。

眠剤が出され始めました。

自立支援申請鬱病の診断が出ました。金がないので。

母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。

なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンマークつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。

その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい

ものを選んで全体の1/3ほどをタッパーに入れて隠しました。

納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます

骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。

寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない

waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。

その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。

同時に提出用の自分人生と症状を書き連ねる作業しました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。

結果福祉に繋がれました。今はあまり通りづらいらしいです。

1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。動ける認知症だったのでかなりハード介護母親ノイローゼ気味で、統失の症状も増えていたように思います介護期の自分抑鬱が酷く判断力も低下しておりあまり手伝えていませんでした(まだ鬱とかの自覚がなかった)自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています

ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。

同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)

常にフラバに怯え、特発性傾眠に怯え、虚無感と希死念慮に怯えて覚醒時間を過ごしています過眠症1020時間寝るので生産的なことがまるでできません。眠剤が上手く作用しない時は悪夢が来るので寝るだけで疲れます

特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲーム人生から奪われたのでドーパミンアドレナリン意識して出せません。何かの虚構コンテンツ熱狂するふりをして生の苦痛覚醒している時間を誤魔化しています

"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています

絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています

お金がほしい。苦痛を誤魔化せるくらいの金が

みんなみたいに友達がほしい

早く安楽死が導入されますように。

コンサータが早く処方されますように。

父親をいつか自分の手で殺せますように

虐めてきたやつらをこの手で殺してから死ねますように。

核兵器になれないなら早く殺せよ。

生きたくないというより苦痛はもう要らない

お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ

己が裁かれますように。

この人生はどう生きればいいのか

ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた

保育園

まだ記憶曖昧な頃ですが、保育士備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります

「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ家族自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います

幼稚園

母親育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリア引っ越し幼稚園へ行くことになりました。

特にイジメなどは自分主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。

小学校

地域公立小学校入学

区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。

休み時間に遊ぶ仲良しグループハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間下駄箱の前で泣いていました。

男子容姿気持ち悪いと叫ばれました。しんどかったです。

高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。

しかしこの頃から父親アルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットアニメマンガ二次創作サイトけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。

親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。

中学校

地域の繰り上がり中学校入学制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母お年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分担任指導室に呼び出されました。結果的教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。

このストレス過敏性腸症候群発症学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので

ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮しろと言われしんどくなって泣きました。

多分そこで明確に学校から監視対象になったんだと思います

父親アル中悪化家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親現在ネットでよく見るような陰謀論統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価集団ストーカー盗撮されてる、喋った言葉迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。

あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。

最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。

収入がないので母はパートを始めました。

この時期は精神限界だったので正直仔細をよく覚えていません。

同時期に自分軟式テニス部で先輩と同級生に虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし

同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力しましたが居場所はなかったです

常に疲れており、死にたかったです。

両親に生活保護申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。

頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下にうまれたんだなと何も感じませんでした。

3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コース女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子(笑)」と言われました(その時代腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。

受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任自分の周りの生徒にあいつは危険から関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね

そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜

高校

結果的都内偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車20分だったのでまた私立高生や電車学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイト禁止されました。

周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。

同時に入学からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。

受験入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分私立大学に親金で行ったくせに。

キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。

自由時間と金ができたこタイミングスプラトゥーン出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るもの出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強しませんでした。

オーバーウォッチ出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。

エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。

ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。

その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。

3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。

妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります

自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。

その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲーム現実逃避する生活だったのでトイレ風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。

母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。

救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤抗不安剤を出されました。

母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。

介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。

自力介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。

母が死にました

3日ほど死体暮らしました

簡易的な葬式しました

翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません

多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います

半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重33キロかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。

眠剤が出され始めました。

自立支援申請鬱病の診断が出ました。金がないので。

母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。

なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンマークつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。

その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい

ものを選んで全体の1/3ほどをタッパーに入れて隠しました。

納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます

骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。

寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない

waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。

その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。

同時に提出用の自分人生と症状を書き連ねる作業しました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。

結果福祉に繋がれました。今はあまり通りづらいらしいです。

1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています

ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。

同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)

特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲーム人生から奪われたのでドーパミンアドレナリン意識して出せません。何かの虚構コンテンツ熱狂するふりをして生の苦痛覚醒している時間を誤魔化しています

"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています

絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています

お金がほしい。苦痛を誤魔化せるくらいの金が

早く安楽死が導入されますように。

コンサータが早く処方されますように。

父親をいつか自分の手で殺せますように

虐めてきたやつらをこの手で殺してから死ねますように。

核兵器になれないなら早く殺せよ。

生きたくないというより苦痛はもう要らない

お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ

己が裁かれますように。

2025-05-31

ガンダムアムロララァシャア関係性は男女逆にして考えると分かりやすいよ。

なかなかヤラせてくれない超美人シャア)よりも

簡単にヤラせてくれそうな芋女アムロ)の方に惹かれるヤリチンララァって事だろ。

その上でやらせてくれない彼女の方にも未練があるから手放せない。

当時の富野は男だから女性心理がよく分かっておらず、女も男と同じように考えると思ったか

男の思考ララァを描いていたんだと思う。

売春婦で性経験豊富から性欲旺盛だとでも思ってたんだろう。

小説の方では管理売春という非道に対して甘すぎる描き方をしてるし。

2025-05-16

いや、前々から公言してたじゃん、俺。「芋女が好きだ」って。素朴で、ちょっと垢抜けない感じの子がいいんだって

でもな、最近気づいたんだわ。あれ、もしかして俺、別に芋女ピンポイントで好きなわけじゃないんじゃないかって。

だってよく考えてみろよ。俺が好きになるもの、大体メジャーじゃないんだわ。音楽インディーズバンドばっかりだし、漫画もなんかこう、知る人ぞ知るみたいな作品に惹かれがちだし。

そう考えると、俺が「芋女が好き」って言ってたのも、単に「まだ磨かれていない原石」的なもの、つまり「まだ世間に見つかっていないマイナー存在」に惹かれてるだけなんじゃねえかと。

うん、そうに違いない。

結論:俺は芋女が好きなんじゃなくて、ただのマイオナだった。

なんかもう、自分が信じられねえわ。

2025-05-15

anond:20250509181745

追記の「本物の芋」について。

本物の芋とこの人が要っているであろう、髪はきちんと整えられていて清潔感はあるがメイクはせず、服装しまむらとかで買ってそうな子はいる。

いるけど、こういう「俺ってこういう『芋』な人の好さが分かるから」という人間に寄られていて、結構確率で異性嫌いか苦手になっている。

そういうのがイヤで、分かりやすメイクしてます、という方向に行く人は多数いる。

髪がボサボサで服がヨレヨレの芋女は、この手の人には見向きもされないし、なんなら罵倒されることが多い。あいつ見た目汚え!芋女ちゃんちゃんとお手入れして素敵だね!とか言ってて、芋女ちゃんが困っている様子を、まあ見る。別に芋女ちゃんはお前に認められたくてすっぴんになってるわけではなく、様々な理由から「そうせざるを得ない」ことが多々あり、お前に褒められても困るんだよね

あとVlogとか出してる「一見すっぴんそうだけど、服装や部屋がおしゃれ」で「素朴に見える」女は、本当に「すっぴんに見える」メイクしている。肌のお手入れも欠かさない。ドラッグストアで売ってる化粧水かな?と思いきや、そこそこ値の張るものが多い。というか、最近ドラッグストアでも平気で10000円近いものもあるため、おそらく判別は難しい。

増田が好きだという「本物の芋」はどういうタイプが書いてみてほしい。

2025-05-12

芋の恩返し

anond:20250511145629

これ男女論とかじゃなくて童話だろ?

鶴の恩返し的な?

芋の恩返し

主人公農家の男の人なんだよ。

毎日汗水垂らして、芋を作ってる。

ある日、今までで見たこと無いような最高の芋ができる。

農家の男は、その「芋」に惚れ込んでしまうんだ。

農作物なのに、芋に対して恋してしまう。

その奇妙な恋心のなにが神様琴線に触れたのか?

ある日、芋は人の姿になって農家の男のもとに現れる。

「もし、もし、お前さま。私です。いつも愛おしい愛おしいと可愛がってもらってる、芋です。」


とまあ、こんな感じだろ?

あとはお定まりだよ。

鶴の恩返しで、鶴が決して覗かないでくださいとお願いしたのにもかかわらず機を織っている部屋を覗いてしまった爺さま。

それと同じように決して急いで私とセックスしようとしないでください、という願いを無視して芋女を押し倒してしまった農家男性

芋の心構えができるまで待っていれば本当に芋は人間女性となって男と生涯をともにすることが出来た。

なのに、男は無理矢理に自らのイチモツを女の中に入れてしまった。

すると、女は芋に戻ってしまった。

芋のままでいい、芋が好きなんだ。そういっていた男の言葉を繰り返し思い出しながら。

おしまい

2025-05-11

いやどう見てもこの芋の彼氏セックスしたいだけだよ

anond:20250511194436

こんな卑屈なめんどくせーカスにしつこくする男なんてそんなのしかいないのは当然だろ

「卑屈なカスぐらいにしか行けなくて目的セックスなだけのいろんな意味ランク低い男」だよ間違いない

  

俺が本当にお前みたいなバカ女にうんざりするのは

なんか生意気な態度でいっちょ前の反抗心や猜疑心みたいなの見せる癖に

物事全然見極められないところなんだよ

疑り深いのに詐欺師にはコロッと行く痴呆老人と同じ

   

それでこの芋は当然セックスすべきだよ

だってそれ以外に彼氏に何を報いられるわけ?

自分のことばっかり気にしてる周りを全く見てないこんなゴミカス

本来なら・男なら・誰にも相手されてねえからな?

 

若くてヴァギナがついてるからこそ、

カスみたいなやつとはいえ異性が寄ってきて優しく構ってくれてんじゃん

当然セックスぐらいしろ

 

  

別にセックス重要じゃないの

なんでもいいか一方的なテイカーじゃなくてお返しをしろって話だよ

お返しが出来ないような質量好意ならおかしいと感じて受取拒否しろって話だよ

   

そのどっちもしないで受け取っておいて被害者ぶって

自分は返礼をなんもしないのにそのことすら美化して被害者ぶって

そういうのは男女以前の人間の屑だぞって言う

それだけの話だろ

 

たとえ相手が芋狙いのランクの低いカス男さんであったって

構ってくれて世話をしてくれた以上はなんかお礼をしなきゃいけないんだよ

   

  

で、芋がなんなんだよな

そういう人としての節義の前には

てめえが芋かどうかなんか心底どうでもいいんだわ

 

まず芋の定義不明だし、

芋か否かの判定基準意味不明だし、

そのセックス男含めてだーーれもそんなこと興味ねえわ

ただの自分向けの言い訳やんけ「わたし芋だからーって」

  

お前も芋女もそうやって

滅茶苦茶低いラインでちゃぶちゃぶしていて

いか被害者ぶるか」「いか責任から逃げるか」ってラインで戦ってんだよな

 

うその時点で人として最低ランクなのに

なんかいっちょ前に強気な口きいたり人への批判っぽいこと言ったりするのが謎過ぎるわけ

 

お前等は自分から水面にケツを浸してそのラインにケツを固定した底辺なんだから

偉そうにするんじゃなくて哀れっぽく媚びて同情を誘えよ

「お尻がつめたいですう~~~溺れるですう~~」って

生存戦略としてそっちの方がいいだろ

自分で何かしようって根性が一切ねえんだから

  

  

あと俺これ実は男女問題じゃない気がするんだ

だってこんな奴等って女同士でもいじめられるだろ

  

女と上手くやれないから男に期待して

でもそこでも期待と依存があまりにも過大で

「私はずっとうじうじしながら『私どうせ芋だから』 と言い続けるのでめげずに構って励ましてください」とか  

「私は庇護されながらセックスすら拒否して『彼とは心で繋がっている』といううわごととウンコだけを垂れるので見捨てず面倒見てください」とか

仰天するような片務的な搾取関係を夢見てそれが叶わないと男への恨みを抱くわけじゃん 

   

お前等のこと誰が好きなの?

から嫌われてるからって女からも好かれてねーだろおめーらみたいの

会ってる間中ずーっと「私芋だから」とか言ってる女を女は許すのか?

セックス目当てがないぶん男より早く見限って軽蔑して去るだろ

   

こんな連中の人生が上手くいかないのは男女問題じゃねえんだわ

2025-05-10

anond:20250509181745

芋女ガチでチー牛を性別女にしただけみたいなのを指すのか

地味風の可愛い子を指すのかによって話が変わってくる

anond:20250509181745

バリバリに濃いメイクをする女がなんでそんなことするのかの理由の一つは、

元増田みたいな人たちに舐められないためだよね。

元増田が「芋女」に対して抱いているイメージって女からしたら女を舐めてかかってきてるように感じるんだよ。

わかるかな?

逆の立場で考えてみて。

わかりやすいように極端な例を挙げる。

たとえば頂き女子みたいな人たち。

あいう人が、騙しやすそうな人を探してる感じ。

恋愛経験のないオジサンとかを物色してる感じ。

女の人に慣れていないオッサンを手玉に取っておちょくってるような感じ。

ああコイツだったら楽勝でお金騙し取れそうだな。

とか馬鹿にされてる感覚?みたいなの想像できます

元増田の「芋女」に抱く感覚って、そういうのと似てる。

からね、女は芋女でいるのが嫌なのよ。

もっともっとわかりやすくいうと髪の毛を金髪かにするとオッサンらの中には途端に態度が変わる層がいる。

そういう感覚みたいなのと一緒のところがある。

女が芋女をやめる理由って。

anond:20250509181745

中身を見て欲しいとかってゴミみてえな姿で生きてる弱男とか大体中身も糞で恨み言吐いてるか女叩いてんじゃん

芋女もそれの女版やで

2025-04-18

anond:20250418201304

男が女に突然「どうせ芋女だろ」とか言いだしたら

バカ負け惜しみしか見えないんだけど、

性別が逆なら何故か効くと思っちゃう知的障害者無限に湧くの不思議だよね。

2025-04-01

実際体感時間は半分くらいしかないけど

卒業した。

入学から変な目立ち方をした。

本名割れなかったものの、普通に目立った。

中高と女子部もしくは所属生徒の大半が女子だったので、男子校同然のキャンパスで目立つの必然だった。

Twitterで騒いでいたら尚更だろう。

一度登校すると最後講義が終わるまでキャンパスから離れられなかったので、よく目撃された。

毎朝メイクする時間も取れずそもそもメイクに疎かったのでほぼすっぴんだった。そんな芋女を見つけて何が楽しいんだか、構われたかったんだろうとは思うが。

じゃあ話しかけろよ。同じ学校に通ってるんだから不審者でも何でもないだろうに。ツイートするんじゃなくてさ。

ついていけない講義が多かった。

センター試験の数Ⅱ・Bで36点をとったくらい数学ができなかったし、数Ⅲなるもの存在することすら知らなかった。

数学以外にもわからないことが多すぎた。

大体のものは先輩に教わった。

図書館ミーティングスペースみたいなエリアで、帰りの電車がなくならない程度まで教えてくれた。

おかげで100点で単位が取れた講義もあった。

感謝してもし足りないし、今でも感謝している。

先輩に恵まれた。

目立ったおかげか名が知れて声が届いたようで、サークルに入れなかったにもかかわらず複数の先輩から講義でついていけないところをフォローしてもらったり、履修相談とか、過去講義資料をもらったりした。遊びにも行ったし、ご飯を奢っていただいたこともある。誘っていただけたのにこちらの都合で行けないまま卒業して疎遠になってしまった先輩も少なくないので、今後機会があればこちから声を掛けたい。

卒業しても引き続き仲良くしてくださっている先輩方ももちろんたくさんいて、本当に嬉しく思っている。一緒にライブカフェに行ったこともあるし、会えなくてもゲームで一緒に遊んだこともある。相手社会人なのだからスケジュール無茶振りはできないが、忙しい社会人自由時間を割いてくれたのが嬉しかった。修了式前に1人、修了式後にも1人会いに来てくれた。彼らはそれぞれ入学早々からお世話になった先輩だった。この嬉しさを表す語彙がないのが悔しい。

同じキャンパスで学んだ尊敬する先輩方だが、卒業して学外で会うことで友人に近くなった人もいる。感謝尊敬は忘れないままこれからも仲良くしてもらえると嬉しい。

コロナ流行った。

新型コロナウイルスは良くも悪くも私のキャンパスライフを大きく変えた。

悪いほうで言うと、大きく2つある。

1つ目は私の計画が実現不可能になった。

キャンパスが男だらけなので可愛いを増やそうと入学早々から計画しており、それを実行するのがあの春だった。

実行予定だったイベントは中止を余儀なくされ、そのまま今に至るまであのイベントは当時の姿に戻れていない。伝統的に続いていたイベントコロナによって中止、規模縮小と形を変えてしまい、あの頃を知る学年は基本的に全員卒業してしまった。なのでもう最盛期の形に戻すことができない。このイベントのために1年間いやずっとやってきたようなものなのに。結局それから通学中の感染リスクが大きいということで私は週1しか登校できず、“可愛い計画頓挫した。ノリノリで可愛くされようとしていた男子たちも大半卒業してしまたことだし。

2つ目は後輩との関わりがほとんど持てなかった。

1つ下の学年は入学式がおそらく中止、2つ下も代表のみ現地でオンラインでの視聴だったくらい外出ができない学年だった。私自身も対面での講義委員会活動日以外は家を出ないよう厳命されていたので、ほとんど会うことができなかった。会えたとしても飲食店営業していなかったし、どこかに連れ出して感染させてしまったら申し訳ないので誘うに誘えなかった。

新入生と関わるバイト活動をしていたので一応ちらほらと知り合うことはできたし、ありがたいことに後ろをついてきてくれた後輩もいたが、ついぞ遊びにはおろか食事にも行けないまま彼女が先に卒業してしまった。私の貸した参考書を使い倒して単位を取れていたようなのでそれで十分といえば十分ではある。

そんなこんなで先輩からもらったあれやこれやを後輩に繋げていくということは満足にできなかった。

ファ○キンコロナではあるものの良いこともあった。

学校に行かなくてよかったことだ。

計画頓挫大学の人に会えないといったマイナスポイントは大きいが、私の通学時間は往復で約6時間かかっていた。朝一の講義に間に合うには始発しかなかった。そのレベルが通学時間0で8時に起きても余裕で抗議に出席できるようになったのでそこは感謝しなければならない。

そういえばzoomを用いたオンライン講義先生カメラオンを強制しやがったときは猫と一緒に受講していた。猫を撫でながら単位が貰えるオンライン講義万歳

大学生活ターニングポイントといえばやはり研究室に入ったところだろう。

自ら志望して違う学科研究室に入ることになり、そこから大学生活基本的研究室ベースになった。コロナ学校に行けなかったので自分の在籍する学科話題はわからないし人間関係も大半フェードアウトした。学科的にはみんな単位を取り終わって就活に力を入れる時期だったのもあり、話題もないのでほとんどそれきりだった。

研究室の同期は不思議なことにコロナ前に全員と接点があった。ずっと仲良くしてもらった。コロナが落ち着いてから同期で飲みに行くときは私が行きたいとゴネた結果付き合ってもらっていたようなものだし、終電を逃したときは1人だけ女の子がいたので無理を言って泊めてもらっていた。

先輩や後輩もいい人揃いだった。基本的に成績上位者ばかりなので人間性担保されていたし、知らないだとかわからないところを教えてもらった。学科の違いで私だけ知らないことが多かったし恥ずかしながら正直今でも首を傾げるところはあるが、多数のフォローをもらってどうにかなった。ここまで書いて自分がお騒がせ者だったことを再確認した。

何より驚いたのは就活エージェントに文理登録を求められた際に「私ってどっちなんですかね〜」と尋ねたら「理系に決まってるじゃないですか」と指導教員から即答され、知らない間に理系になっていたことだった。文転は周囲にまあまあいたが理転現実に?しかも私が?と思った。まあ文理などというものはそんなにあてにならないし、私自身も理系という響きが良いと思って理転しちゃってた…と言い回っているだけなのですごいえらいとかそういう話ではない。理系ってすごい!とは思う。私自身を除いて。

実際のところ理数科目はてんで駄目なままだし。

指導教員には本当にお世話になった。

そもそも彼は入学から研究室配属までの指導教員であり、他学科先生講義を受ける機会もないのに知り合ったのはそういう経緯があったからだ。それまででいう担任先生ポジションで、1年前期には大学生として必要プレゼン力だったりの指導が週に1回ある講義で行われており、あとは履修やら生活の悩みを相談する先でもあった。先に書いたように入学当初は通学時間が長く満足に遊べなかったため、みんなと遊びたいご飯食べに行きたいと言っていたら受け持っている学生(15人程度)をご飯に連れて行ってくれた。講義がなくなってからも何かと気にかけてくれて、食事が苦手で1日1食しか食べたらえらいほうだと言うと少しでも胃に入れろと毎週お菓子を用意してくれたり、苦手なものが多いならば食べられるものを探しに行こうと色々食べにも行った。周りには結構引かれたが、私はありがたかったし先生と話すのが楽しかったので良い思い出しかない。

私は普通に研究室に入った学生よりも先生との付き合いが長い。それこそに入学から卒業までずっと一緒だった。6年だ。生まれから6年だと物心もついてそろそろ小学生というところまで成長するし、本当に育ててもらったという感覚すらある。

私にとって先生は、第二の父であった。

大学院に進学した。

理由はいくつかあった。

家族には黙っていた。

3年生の時点で就活に無関心だった時点で察していたとは思う。

自分勝手に出願して、まだみんなが寝ている時間に家を出て、久しぶりに始発に乗って試験を受けて、勝手合格した。

合格発表から1か月半くらい経ってから親に報告したくらいには黙っていた。悪かったとは思っている。

コロナも落ち着いて対面授業に戻るというから下宿を始めた。

夢にまで見た一人暮らし、通学時間は1/36とかそれくらいにまで短くなった。歩いてすぐ、雨でも余裕、楽しくて仕方がなかった。

研究が家でもできるおかげで実際のところはほとんど学校に行っていないが、帰る時間を気にしなくてよくなったことが私の心と体を軽くした。

研究室で夜な夜なボードゲームをしたり、飲みに行ったり、朝までダーツに興じたこともあった。先輩とカラオケオールもした。夜にマーダーミステリーをやって怖くて帰れなくなり、後輩を朝日が昇るまで研究室に拘束したとか、帰れたものの思い出してしまい隣の部屋の子SOSを出したこともある。実家暮らしのままだったら絶対にできなかった。大学生らしいことはほとんど大学院生になってから経験している。私の大学の思い出の大半は大学院に入ってからのものだ。

大学に進学するにあたって掲げていた目標として、人生のやり直しがあった。

元々わがままなお騒がせ者ではあったが、それはあくまで外でのキャラ付けであり、本当の自分は家庭環境のせいで顔色を伺いながら生きてきた。望まれた振る舞いをしてきた。ゆえに本当の自分というものもわかっていなかった。

家庭から離れ、自主的講義を選び、やりたいことを見つける。私自身を確立することができると期待していた。

私の学科は大きく分けて3つの領域があり、各領域対応する講義が用意されていた。好きだったり興味がある分野に集中して履修することで、自分方向性を確かめた。

人との関わりも頑張ってみた。名が知れているので初対面のハードルは低いだろうと会話の輪に入ってみたこともある。アルバイト複数やってみて、接客もいくつかやった。いろんな人と話し関わるなかで様々な価値観に触れ、確かにそうかもしれない、いいえそうは思わない、を繰り返して自分思考の軸を探った。言動に関しては相手の反応ありきで確認していたためマッドサイエンティストみたいになっていた。反省はしていないが。

6年経ってようやく自身言動理由根拠言葉説明できるようになった。自分意思決定もできるようになった。6歳児にはなれたのではないか

先輩に恵まれたことも、研究室も、その先生も、人生のやり直しができたのも、愛だったな、と思う。

もちろん恋愛感情を持ってこられたこともあった。全部お断りした。恋愛けが愛というわけではないし不要だったので。

ほぼ男子校で浮いてはいただろうが、それでも身体が綺麗なまま6年過ごせたというのは、本当に愛ゆえのことだ。

大学に入るまで愛が何かわからなかったが、卒業が近付いてきてようやく沁みてくるような感覚があって、ああこれが愛だったのか、と気付いた。愛される感覚、愛する感覚、そうかこれが人の心か、とまで思った。

2年延長した甲斐ちゃんとあったということだろう。いや、私自身で断言しよう。ちゃんとあった。

院生なんだから研究は?と言われるのは想定の範囲内なので最後ちょっと書いておくと、全然すごいことはしていない。査読は落ちた。大学院生の本分は研究である、それは事実だしごもっともだが、私にとっての優先順位ちょっと違ったかもしれない。実は研究の中にも自分と向き合うプロセスがあったので、研究も実質人生のやり直しの一部だったとも言える。

6年間通った大学卒業した。

寝て起きたら社会人になる。

まずは朝起きられるかが心配である

2025-03-02

昨日婚活パーティ行ったんだがボストロールレベルクリーチャー女ばっかり寄ってきて異世界転生した気分味わえた

これならアニメイト行って大人しそうな芋女狙ったほうがマシだわ

2025-02-27

anond:20250227014624

これによってチー牛や芋女再生産されて少子化促進

感情よりも理論で選んだ相手不細工さに3日で慣れる事は叶わず墓場のような結婚生活

文明進化の果てはいだって地獄

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