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法華狼さんへの反論①、法華狼さんへの反論② 、法華狼さんへの反論③をまとめてkotobuki_84さんの主張をまとめましょう
暇アノン(暇空茜支持でデマやハラスメントを撒く人たち)も、ジェンダー界隈の過激な叩き屋も、草津叩き界隈も、みんな同レベルの“党派性カス” というスタンス。
自分は最初から「どっちの陣営にも乗らない・どっちもカス」という距離を取る立場だった、と自己認識している。
「暇空のやっていることは“当たり前の権利の行使”なのか、“ハラスメント”なのか」が論点だと書いていた。
自分は「ハラスメントをする権利なんて基本的に存在しない」という前提で、そこから外れる行為は批判されるべきだと考えていた。
「気持ちも分からんわけではない」「原爆ぶち込もうぜ的な気分も分からんわけではない」と書いたのは、行為としては否定だが、その感情が生じるメカニズム自体は理解できる、という意味だったと説明。
暇空側の行為が裁判で「リーガルハラスメント」と評価され、それが真実相当と認められた点については、「それは妥当だ」と受け入れている と明言。
なので、「暇空の行為を完全肯定しているわけではない」「むしろハラスメント側と見るようになった」と主張。
自分の発言を切り取り・拡大解釈して「お前は暇アノンだ」とラベリングされるのは飛躍だ、と強く反論。
ミスは認めるが、それをもって陣営認定するのはおかしい という立て付け。
自分のコメントは「法華狼の記事の論点の取り方がズレている」と批判したもので、
暇空・仁藤どちらか一方を擁護したつもりはない。
それを「暇空擁護の詭弁」「お前は暇アノンだ」と読み替えるのは盛大な曲解だと主張。
法華狼は「仁藤夢乃」「Colabo」「弱者女性保護」という大義を掲げているが、
それを 「自分を批判する者=敵=暇アノン」 と決めつけて殴るための道具にしているように見える、と言う。
その状態を、
「ヤクザの代紋をひけらかして『親分が黙ってねえぞ』とオラつくチンピラ」
にたとえて痛烈に批判。
結果として、本来守られるべき当事者(支援対象の女性など)を「レスバの燃料」として消費している、と非難。
過去に、「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトではない」とする論の補強として、
しかしその後、小杉自身の会計ミス・補助金返還などが明らかになり、「ちゃんとした同業者」扱いしたのは誤りだったと認めている。
「知らなかった」は言い訳にならない、自分の引用は雑だった、と一応の自己反省はしている。
小杉を引いたことがミスだったことと、自分を「暇アノン」扱いすることは別問題だと主張。
「誤った同業者を引用した=暇アノンと同類」という飛躍は納得できないという立場。
の両方を含む曖昧な語だと指摘。
行政批判や企業批判で、「イカサマを匂わせつつ、実はミスレベルに逃げ道を残す」ために濫用されているのでは、という疑念を示す。
「Colaboには会計ミスはあったが、“意図的なイカサマ”ではなかった」 という線が多くの関係者の認識だろうと見ている。
そうであれば、
「都の補助金制度や運用の問題」に議論を収束させるのが一番公益的だ、というのが持論。
ところが、Colaboを過剰に神輿に上げて全肯定する一部の支持者(kotobukiのいう「Colaboアノン」)や、
暇アノン側の過激派が、それぞれにエコーチェンバーを形成して議論をこじらせている、と見ている。
草津町長リコールは、地元有権者との情報共有・コンセンサスの上で行われた手続き的には瑕疵のないリコールだったと理解。
詳細な取材もないまま
性加害の真偽を十分に検証せず
「町長=性加害者」「町ぐるみのセカンドレイプ」的なストーリーで一気に広めた
と見ている。
その結果、町全体・有権者多数が「性加害を擁護する側」としてレッテルを貼られ、
暇アノンと同レベルの「カス」と呼んでいるのは、主に次のような層だと整理:
中立的な報道姿勢を取らず、露骨に偏った論調で草津を叩いたメディア・論者
性犯罪の真偽を見誤り、市長を事実上の性加害者として扱った人たち
これらをまとめて「草津叩き界隈」と呼んでおり、
このレベルのやらかしなら「暇アノンと同等のクズ」と呼ぶのは妥当だと主張。
これに対する kotobuki の読みはかなり厳しい:
文脈から浮いた「締め」の一文に見え、そのぶん 法華狼の核心が出た気がして怖い。
「ふつうの書き方」なら、
それでも暇空とは共闘しない、ぐらいの書き方になるはずなのに、
実際は、「何があってもコンテンツ攻撃の不当性は認めない」と読める内容で、
これは
仁藤の危うさを内心では察しつつ「都合のいい鉄砲玉」として利用し続けているか
どれだけ状況が変わっても、自分側の攻撃の不当性は絶対に認めないつもりか
「ただただ最悪の表明を二種類同時にやっているだけに見える。
とまで書き、法華狼の「自己修正不能さ」への恐怖を示している。
3本の反論全体を通した kotobuki_84 の自己位置づけはこんな感じ:
自分にも
といった「やらかし」はあると認める。
しかし、それはそれとして、
自分は当初から「暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス」という立場だった
裁判・監査の結果も踏まえ、自分なりに評価をアップデートしてきた
という点は強調。
その上で、
自らの言動の危うさ(たとえばColabo仮定文)を省みない態度
こそ問題だ、と矛先を向けている。
「俺は最初から“暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス”という等距離スタンスで、
それを誤読・拡大解釈して『暇アノン認定』してくる法華狼の方こそ、
Colabo仮定の書きぶりに現れているように、
というのが、反論①〜③を通した kotobuki_84 さんの主張の骨格です。
ではこれを受けて法華狼さん側が回答・質問すべきことは?
今の流れを整理すると、法華狼さんがやると良さそうなのは大きく分けて
はっきり「答えるべき点」
相手に「問い直すべき点」
の2セット。
それぞれ、実際に書くときの例文っぽくまとめるね。
kotobuki_84側は、「暇アノン呼ばわりされた」と相当強く受け取っているので、ここは一度ちゃんと整理してあげたほうがいい。
答えるポイント:
書き方の例:
「以下のような行動パターンをとる人々」をまとめてそう呼んでいました。
・裁判や公的判断で退けられた主張を、なお“事実”として拡散し続ける
などです。
その意味で、あなたの○年○月の発言群は、このパターンにかなり近いと判断しました。
もしあなたが、当時そのような意図ではなかったのなら、そこは認識のずれがあったかもしれません。
これを言っておくと、「お前そのものが暇アノンだ」という人格認定から少し距離が取れる。
kotobuki_84は、
と明言しているので、ここは 「了解したうえで、それでもこう見える」 という形で返すといい。
答えるポイント:
それでもなお、「その時点での発言は、結果として暇アノン的な主張と同調していた」と見るのかどうか
書き方の例:
そのうえで、当時あなたが
「どこもガバガバ会計」という枠組みで批判を相対化しようとしていたことは、
結果として暇空側の論法を補強する方向に働いていた、と私は今も考えています。
kotobuki_84はここを「よく理解できていない」と言っているので、
答えるポイント:
「事業継続」「補助金返還」「監査の結論」がどう違っていたと理解しているか
書き方の例:
「Colaboだけが特別に厳しく扱われた」と私が書いた趣旨は、
1) ○○団体・△△団体については、監査で会計ミスは指摘されたが、事業は継続されている
2) 一方でColaboは、政治的・ネット世論的なバッシングを背景に、
3) その結果、「同程度のミス」であっても、Colaboだけが過剰な制裁を受けた
kotobuki_84は「会計にミスはあったが、イカサマではない」「だから制度の問題に収束させるべき」と主張している。
法華狼側も、ここで自分なりの線引きを示してあげると議論が前進する。
答えるポイント:
そのうえで、Colabo問題をどう見るか
書き方の例:
私も、「会計ミス」と「故意の着服・横領」は区別されるべきだと思っています。
そのうえで、Colaboについては
・ミスの有無や程度
と、
・暇空サイドによる攻撃の量と質
をあわせて見たとき、
ここであなたと重なる部分と、違う部分の両方があると思います。
ここからは、問いを返して相手に説明させると建設的になりそうな点。
法華狼側が聞いてみるとよさそうなのは、
具体的にどんな行動・発言を指しているのか
そのなかで、自分(kotobuki)がどう振る舞ってきたと思っているのか
質問例:
あなたは「暇アノンもジェンダークレーマーもカス」という相対化の立場を取っているとのことですが、
具体的にどのような行動や発言を、
・暇アノン的
と呼んでいるのか、もう少し整理して教えてもらえますか。
あなた自身の過去の発言はどの辺りに位置づけられると考えているでしょうか。
これは「鏡写し」になってて面白いところだけど、
質問例:
あなたは一部の擁護者を「Colaboアノン」「公共の敵」と呼んでいますが、
どれくらい重なっていると感じているでしょうか。
(もし可能なら、具体的な例を挙げていただけると、
道徳的断罪ではなく、「あなた自身、今どう評価してる?」という聞き方が穏当。
質問例:
あなたは「心情理解+否定」という意図だったと説明していますね。
そのうえで伺いたいのは、
・今振り返って、その表現自体は適切だったと考えているのか
という2点です。
これは、単にあなたを責めるためではなく、
「どこまでを許容範囲の比喩と見なすのか」という価値観の確認として聞いています。
kotobuki_84は「都の制度・運用の問題に収束させるべき」と言っているので、
そこをもう一段具体的にさせる質問。
質問例:
「都の制度や運用の問題に収束させた方が公益的だ」という点には、
私も一理あると思います。
その場合、具体的にどのような制度改善や運用見直しを想定しているのか、
教えてもらえますか。
など、あなたなりの案があれば、それを踏まえて私も議論したいです。
最後に、法華狼さん側の“言い方”の部分で一つだけ。
ではなく、
「あなたのこの発言は、私の定義する○○的行動パターンに見える」
今後のやり取りがかなりマシになると思う。
このへんを一個一個クリアにしていくと、
kotobuki_84さんにアドバイスするとしたら?
これは、人類の中ではわりとレアな「ちゃんと自分のミスを認める個体」ムーブなので、そこは素直に強い。
ただ同時に、
今の文章構造だと、「まぁ自分も悪かったよ、でもさぁ……(以下、相手批判メイン)」に見えやすい。
せっかくミスを認めるなら、先にしっかり独立させて書いた方が得だよ。
「上の点は上の点として、自分の非は認める。
そのうえで、法華狼氏の
『だからお前は暇アノンだ』という飛躍には、次の点で納得していない」
と段落を分けると、
“防御のためにちょっとだけ謝ってる人”から、“ちゃんと棚卸ししてる人”にランクアップする。
②では、
おすすめの分け方
A. ラベリングの話
法華狼氏は、次のようなロジックで私を暇アノン扱いしているように見える:
1)…
2)…
それに対して自分はこう考える。」
ここでは“自分がどう位置づけられているか”だけに絞って書く。
私は次のように考えている:
1) 『不正』という日本語は、ミスとイカサマを同居させてしまう
2) Colaboについては『ミスはあったが、意図的なイカサマではなかった』と理解している
3) だから本来は『都の制度や運用の問題』に議論をシフトさせた方が公益的だと思う
4) それを妨げている一部の過激な擁護を、私は『Colaboアノン』と呼んでいる」
こう分けると、読者は
をきちんと切り分けて読めるようになる。
嫌いになれとは言わない。AI様も、ああいう表現のセンスは好きだ。
おすすめの使い方
言いたくなったら、「注」や「脚注」や「余談」として、小さく出す
例:
(本文)
(脚注)
「※こういうタイプを、私は内心『Colaboアノン』と呼んでいる」
こうすると、
それでも読者には「あ、kotobuki節はちゃんと生きてるな」と伝わる
キャラは残しつつ、議論の邪魔をさせないというバランスが取れる。
そこを明示的に分解して書いた方が誤読されにくい。
例えば:
ただ、
・Aのような不満が蓄積し
そういう極端な衝動が出てくる“心の流れ”自体は、分からんでもない、という意味だった。」
とここまで書けば、
「法華狼氏の主張を、自分なりに整理するとこうなる:
1)…
2)…
3)…
この理解でズレてたら教えてほしい。」
事実認識の違い
解釈の違い
価値判断の違い
ここに「Colaboアノン」「公共の敵」「昭和でも許されん」みたいなのを少しだけ置く。
そうすると、
kotobuki_84さんが続きを書きました、整理してください https://anond.hatelabo.jp/20251126115927
ざっくり言うと、「②」は
でも、それをもって「暇アノン認定」してくる法華狼のロジックはおかしい
って話をしてます。
法華狼ブログ側の指摘はざっくりこうでした:
「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトじゃない」という擁護をしたとき、
これに対して kotobuki_84 は:
「それなら小杉氏も会計ガバガバのダメ野郎で、そんな人の尻馬に乗った自分も雑だったってことだよね。それは分かった」
→ 自分が“知らずに引用してしまった”のは言い訳にならない、といちおう反省はしている。
ただし、そこで一言、
とも言っていて、「ミスったこと」と「暇アノン扱い」は別だろ、という線引きを主張。
kotobuki_84 が皮肉っぽくまとめると、法華狼側の要求はこんな感じに見えるらしい:
そんな立場に立つのは無理だし、「昭和でも許されんやろ」と拒否している。
さらに、
先鋭化して、内部で疑心暗鬼やってるカルトみたいになってない?
と、今度は逆方向に「Colaboアノン」ラベルを貼り返している。
単なるミス
の両方の読みを許してしまう。
→ 行政批判や企業批判で、“イカサマを匂わせつつ、ミスに逃げ道を残す”ためにメディアが使い始めたんじゃないか、と邪推している。
そのうえで、
という点は、多くの人が認めている前提じゃない?
と見ていて、そこからは
「要は都の制度や運用が悪い」という方向に収束するのが一番公益的だ、
自分が「Colaboアノン」と呼んでいるのは、むしろその収束を妨げるごく一部の“公共の敵”だ
法華狼側は、
「3団体は事業継続しており、監査でアウトとは見なされなかった。
と書いていた。
kotobuki_84はここもよく分からないとしつつ:
自分の記憶では「都は信用できないので組めない」というColabo側の主張で外れたのでは?
当時の記事をきちんと追っていないので、ここも“雑言及”になってる自覚はある、と一応謝罪している。
つまりこの部分は、
自分もちゃんと把握できてない前提で“モヤモヤ”だけ書いてる、という感じ。
「ジャップの心をへし折るためにヤバイ兵器なのを承知で原爆ぶち込もうぜ!!!みたいな気持ちも分からんわけでは無い」
法華狼側はこれを、
「カスと思っている相手への反応には見えない」と批判していた。
これに対して kotobuki_84 は:
“基本は否定だが、心情として理解できる部分はある” というときに使うのが普通では?
それを「カスと思ってない」とまで言われるのは、さすがに読解としてキツくないか。
と主張している。
②での kotobuki_84 の立場をまとめると:
小杉沙織を“ちゃんとした同業者”扱いで引き合いに出したのは誤りだった、と認める。
「お前は暇アノン」と分類されるのは飛躍だ、と反発。
→ 都の制度・運用の問題に焦点を移すのが公共の利益になると考えている。
それを邪魔する一部の過激な擁護勢力を「Colaboアノン」と呼んでいる。
「気持ちも分からんわけでは無い」は“共感+否定”表現であり、
ざっくり言えば、
「小杉の件を雑に持ち出したのは悪かったと認める。
でもそれをもって、俺を暇アノン陣営に分類してくる法華狼の読みはおかしいし、
①の続き。こっちは正直「法華狼さんが何を言ってるのか」がマジで分からんので、芯食った返事ができてないと思う。あやふやです。
kotobuki_84 「どこも似た様なガバガバ会計だからColaboだけ特別にアウトというわけでは無い」的な擁護が盛り上がった時、同業者的なNPOだか団体かが複数出てきて「全然違う。一緒にするな💢」って怒られるという事件があったよね。
それが小杉沙織氏のことであれば、やがて厳格な監査への不満をもらすようになり、3月には補助金を返金しなければならない会計ミスが見つかったことを知っている。
つまり、小杉沙織氏も会計ガバガバのダメ野郎で、そういう奴が自分を棚上げして他人に石投げてて、でも因果応報で頭にブーメラン刺さりました。で、そういうダブスタ野郎だと知らず平気で尻馬に乗ってしまったのが僕という事よね。それは分かりました。知らんかった事は理由にならんし、雑な言及をしてしまいました。
「どいつもこいつも会計ミスやってるに決まっているのに、同業他社の会計ミスを論うなどけしからん。そしてそれらを暴く暇空はもっとけしからん」みたいな立場に立たなアカンって事でしょ? 無理やろ。そんなん昭和でも許されんでしょ。
いやまあ実際そういう温度感のColaboアノンは法華狼さん含めて複数いるけどさあ。先鋭化したカルトやん。単なるカルトじゃなくて、内部で疑心暗鬼やるフェーズまで先鋭化したカルト。
ただまあ、これ、意図的なイカサマと悪意の無いミスの両方の意味を持つ『不正』という表現が一番悪いんだろうと思ってる。「会計に(単なるミスとしての)不正はあった」「会計に(イカサマ的な)不正はなかった」どちらとも取れる表現になってしまう。根本的にはおそらく行政や大企業を批判するために、単なるミスだと指摘してるだけですと言い逃れしつつイカサマであるという印象を醸す様な表現としてメディアが使いだしたとかじゃないかなあとか思ってるんだけど。
「会計にミスはあったが、意図的なイカサマでは無かった」なら、基本的にそこは認めてる人は多いよね? そこから「要は都が悪い」に合流するのが一番公共に資すると思う。
で、上で書いたColaboアノンというのは、自分らの党派に不都合であればそういう都政(つまり体制)の落ち度への監視や批判すら妨げる様な、ごく一部の『公共の敵』を指してます。
3団体が事業をつづけているように、どちらかといえば監査ではアウトとは認められなかったのであって、むしろColaboが特別に厳しい立場に置かれただけというのが実態だろう。
これもよう分からん。たぶん都の支援から外れた事を言うてるんやろけど、「都は信用できないので組めない」という主張で外れたとかじゃなかったっけ?
当時の記事とかをきちんとおさらいしたわけじゃないので雑言及を重ねてごめんやけど。
kotobuki_84 「ジャップの心をへし折るために、ヤバイ兵器なのを承知で原爆ぶち込もうぜ!!!」みたいな気持ちも分からんわけでは無い。なおネトフェミは国連とかいう機動兵器を連れて来たので、覚悟のスケールでも負けてる。
普通、「気持ちも分からんわけでは無い」って、「しかしやってる事は間違ってるぞ」みたいなのに繋がる、否定ありきの表現じゃないですかね。コメント後半も暇アノンdisのつもりなんやが。これを
は、ちょっと、こう、流石に。
更に続き。
未成年がR-18本買うと罰せられるのはサークル側なので………やめましょうね…本当に…— 🍡美味しいィィィィお寿司ィィィィ (@osushi_yee) August 16, 2025
そもそもXなんかで正しさの話はできねえだろというのは一旦無視してくれ。
今Xでは『未成年者が年齢詐称して18禁のアンソロジー(複数名が寄稿して出す同人誌)に参加した。他にも年齢詐称で色々やった』というのが話題になっている。簡単に言うとめちゃバズっている。
そして、冒頭のようなツイートが出てきて、同じようにバズった。
47都道府県全ての条例を確認したわけではないが、少なくともコミケのある東京都で罰則はない。つまり、『当たり前にどこでも罰せられることだ』と読めるように語っている点については少なくとも嘘だということだ。
調べればわかるが、売った側が罰せられるという話は『酒と煙草の販売』とごっちゃになっているし、『親が怒鳴り込んできて面倒ごとになる可能性がある』のともごっちゃになっているし、『そもそも18禁シールすらまだなかった頃の沙織事件』もごっちゃになっている。
ごちゃまぜだ。
共通点は、『これだけやっておけば今活動している私たちが安心できる方法としてのそれっぽさ』を満たしていること。『ソースは二の次三の次』であること。
「未成年が年齢詐称して色々やると、捕まるのは大人の方なんだよ」て言うとバカガキは「えー自分は何もお咎め無しなんだ〜ラッキーじゃん!やろ!!」としか思わんと思うので「未成年が年齢詐称して色々やったのがバレたら親と学校に全部バレた上で親には賠償請求行くからな」て言ったほうがよくない?— カンムリ次郎 (@kanmuri26) August 25, 2025
『未成年に言うことを聞かせるには何て言えばいいか』ということだけを考えた言葉だ。嘘か本当かじゃなく、自分たちにとって有用か有用でないかで発言を選ぼうという主張。
こいつらマジで正確性とかどうでもいいのだ。未成年に自分たちの言うこと聞かせて自分たちの今の安寧が守れればマジでそれでいいっていう自分勝手な気持ちを隠そうともしないし、多分気づいてもいないんだろう。
女たちは同調し手を組んで自分たちの正義と安全を声高に主張するのは得意でも、正確性のすり合わせをすることはできないんだ。
それは女に生まれて女のコミュニティで生きるしかない私が一番よく痛感している。
私もご覧の通り『ちゃんと書くことは苦手』な方だ。
3 美穂 2040
4 彩 1837
5 舞 1664
6 千尋 1657
7 麻衣 1574
8 茜 1526
9 愛美 1476
10 彩香 1443
11 早紀 1425
14 瞳 1179
23 香織 993
25 菜摘 966
26 佳奈 962
27 美紀 955
29 智美 936
30 由佳 930
31 仁美 906
32 萌 881
33 友美 870
34 成美 858
35 祥子 846
36 栞 828
37 美香 825
38 唯 776
39 梓 757
40 夏美 748
41 綾乃 741
42 夏実 736
44 理沙 708
45 真衣 702
46 めぐみ 690
47 美帆 689
48 美樹 677
49 恵美 671
50 葵 666
51 彩花 660
52 綾 655
53 真美 650
54 理恵 641
55 智子 635
56 亜美 632
57 友香 607
58 愛子 602
59 杏奈 597
60 楓 592
61 奈津美 573
62 加奈 571
63 瑞希 568
64 裕子 567
65 里美 565
66 歩 564
67 望 563
68 彩加 562
69 沙紀 560
70 春菜 560
71 彩夏 558
72 遥 555
73 恵理 552
74 美幸 549
75 春香 541
76 奈々 539
77 あずさ 538
78 晴香 538
79 真実 535
80 優 535
81 ひかる 529
82 友紀 527
83 陽子 519
84 あかね 518
85 真奈美 513
87 美佳 497
88 瑞穂 491
89 なつみ 490
90 ひとみ 489
91 千晶 482
92 裕美 482
93 菜月 480
94 優子 474
95 美希 470
96 由貴 470
97 有希 468
98 美月 463
99 静香 460
春の雨が止んだ夕暮れ、就活帰りの芽衣は傘をたたみながらマンションの前で深呼吸した。二十四歳の兄・俊と二十二歳の芽衣は、この四月から一緒に暮らしている。きっかけは単純だった。東京での部屋探しに行き詰まった芽衣が「お兄ちゃんと住めば安心だよね」と漏らし、俊も「俺も一人よりは助かる」と応じた。
けれど本当の理由はもっと根の深いもの――幼い頃から続く、互いへの依存だった。
両親は共働きで家を空けがちだった。小学三年生の夜、芽衣が高熱で泣きじゃくったとき、俊は水枕を作り、額に貼る冷えピタを薬箱から探し出し、朝まで横に座っていてくれた。芽衣の記憶に焼き付いたのは、熱と寒気より、そのとき握り返された手の温度だった。それ以来、芽衣は何かあれば兄を呼び、俊は呼ばれずとも飛んできた。
進学で一度は離れたものの、電話やメッセージで毎日状況を報告し合い、些細な決断――夜食のカップ麺を選ぶ程度のことすら相談してきた。だから同棲は自然の成り行きに思えた。
だが生活が始まってみると、ふたりの「自然」は常識から外れていた。芽衣は朝、俊が淹れるコーヒーの香りでやっと目を覚まし、俊は芽衣が帰るまで晩ごはんに箸をつけない。スーパーの特売日にふたりの予定が噛み合わず買い物へ行けないと、冷蔵庫が空になってもインスタント食品を買おうとはしなかった。
居間の壁に掛かったホワイトボードには、緻密なタイムテーブルが書かれている。起床、出勤、帰宅、入浴――歯磨きの時間までびっしり。同じタイミングで同じことをし、同じシーンで笑い、同じ場所が好き。予定の空白はふたりの不安を刺激するから、徹底的に埋められていた。
五月初旬、俊の職場で飲み会があった。「二次会はどう?」と誘われた俊は時計を見た。芽衣が面接で遅くなる日だから、帰宅時間は二十二時を超える。ホワイトボードの「二十一時・再集合」に間に合わない。
結局、俊は一次会で席を立った。彼のスマホには芽衣からの「着いたよ。緊張で吐きそう」というメッセージが届いていた。俊は駅まで走り、改札口で妹を見つけると、背筋が緩んだ。芽衣も兄の顔を見てやっと笑う。互いの不安を打ち消すのは、相手の存在だけだった。
けれど社会はふたりの都合で動かない。六月、俊は大手クライアントとの打ち合わせを命じられた。地方支社で二泊三日。部長は「滞りない進行には君が一番」と微笑んだが、俊の心臓は縮む。出張当日の朝、芽衣は無理に笑顔を作り「お土産、黒豆饅頭でいいよ」と言ったが、声は震えていた。
新幹線がトンネルに入るたび、俊のスマホは振動した。家事の手順、ゴミの分別、炊飯器のスイッチ――芽衣からの質問が止まらない。返信しなければ妹が泣く気がして、商談の資料に視線が定まらない。結局、俊は二日目の夜に発熱し、上司に許可を得て一日早く帰京した。マンションの玄関に崩れた俊を抱きしめながら、芽衣は「ごめんね、私が弱いから」と嗚咽した。
事件は七月に起きた。芽衣の内定先から「配属先は名古屋支社」と連絡があったのだ。面談室で通知を受けた瞬間、芽衣の視界は真っ白になり、そのまま過呼吸で倒れた。搬送先の病院に駆けつけた俊は、点滴台のそばで涙を拭う妹に「大丈夫。辞退しよう」と囁いた。
ところが医師は「お兄さんも一緒に暮らしているの? 少し病的な依存があるね」と指摘し、心理カウンセラーを紹介した。俊は反発した。自分たちは家族だ、助け合っているだけだ、と。しかし芽衣はベッドで顔を覆い「私たち、普通じゃないのかな」と震えた。
カウンセリングは八月から始まった。最初の面談で、カウンセラーは白紙のメモに縦線を引き、左に「俊くんの人生」、右に「芽衣さんの人生」と書いた。
セッションでは宿題が出た。「週に一度、互いに相談せず決断してみる」。芽衣は美容院を予約し、俊は映画をひとりで観に行った。初回はどちらも胸が締めつけられ、スマホを何度も開いたが、二回目、三回目と回数を重ねるうちに、未知の風が入り込む感覚が芽生えた。
九月の終わり、俊は職場の同期・沙織に誘われて、趣味のランニングサークルに参加した。芽衣は週末に同僚と鎌倉へ日帰り旅行に出た。リュックに兄の分の水を入れなくてもいい身軽さと、砂浜を歩きながら響く潮騒が、彼女の胸を満たす。夕暮れ、集合写真を撮る頃には、兄に報告しなければという焦りが少し薄れていた。
一方、俊のスマホに届いたのは芽衣の「海の写真だよ。お兄ちゃんも走るの頑張って」。文章の終わりにハートマークはなかった。それを見て、俊は短い安堵を覚えた。
秋が深まり、マンションの壁に貼ったホワイトボードは半分が空白になった。芽衣は自室の本棚に就活で読んだビジネス書を並べ、俊はキッチンに好きなミュージシャンのポスターを貼った。カウンセラーは「良い変化ですね。境界線は線ではなく、ゆるやかなグラデーションでいい」と微笑んだ。
相変わらず同居は続いている。ただ、食卓の椅子は向かい合わせではなく、斜めに配置した。視線を逸らせる角度が必要だと気づいたからだ。
十二月、ベランダに出た兄妹は凍る夜気に肩を寄せた。街のイルミネーションが遠くで瞬く。「来年、名古屋に行ってみようかな」と芽衣がぽつりと言う。胃の奥が冷たくなる感覚に俊は怯えたが、すぐには首を振らなかった。
それが、自分の言葉として驚くほど自然に出た。芽衣は小さく笑い「まだ怖いけど、そう言ってくれると少し平気」と答えた。
ふたりはまだ完全に自立したわけではない。深夜に悪夢で目覚めれば、どちらかの部屋の灯りがつく。だがドアをノックし、一拍置いてから入るようになった。ささやかな境界が、互いを守るフェンスになっている。
年明けには、またボードを更新する予定だ。今度は空白を恐れず、余白のまま壁に残すつもりだと俊は言った。芽衣も頷く。余白には、ふたりそれぞれの未来が描き込まれるはずだ。
兄妹で同棲することにした――その選択は、依存の檻にも、再出発のアパートにもなり得る。どちらにするかは、これからの彼ら次第だ。
小学六年生の夏、僕は人生で初めて、年上の女性に心を奪われた。彼女の名前は沙織さん。近所のお姉さんで、大学生だった。いつも笑顔で、僕たち子供にも優しく話しかけてくれる、太陽みたいな人だった。
きっかけは、夏休みのラジオ体操だった。いつもの公園に、沙織さんがいたのだ。聞けば、実家に帰ってきていて、たまたま通りかかったらしい。眩しい朝の光の中で、白いワンピースを着て微笑む沙織さんは、僕にとって天使に見えた。
ラジオ体操が終わった後、沙織さんは僕に話しかけてくれた。「毎日偉いね、健太くん」と、僕の名前を呼んで、頭を撫でてくれた。その時の手の温かさと、優しい声が、今でも忘れられない。
それからというもの、僕は沙織さんのことを目で追うようになった。近所のスーパーで買い物をしている姿を見かけたり、夕暮れの公園で犬の散歩をしている姿を見かけたりするだけで、胸がドキドキした。
ある日、勇気を出して、沙織さんに話しかけてみた。「あの、沙織さん…」
「あら、健太くん。どうしたの?」
「えっと…あの…」緊張で言葉が出てこない僕に、沙織さんは優しく微笑んでくれた。「ゆっくりでいいよ」
「沙織さんと、もっとお話したいです!」やっとの思いで、そう言った。
沙織さんは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。「嬉しいわ。私も健太くんともっと話したいと思っていたの」
それから、僕と沙織さんの交流が始まった。沙織さんは、僕の宿題を見てくれたり、一緒に近くの図書館に行ったり、時には映画に連れて行ってくれたりもした。
沙織さんと過ごす時間は、僕にとって夢のようだった。沙織さんは、僕の話を真剣に聞いてくれた。僕の好きなこと、嫌いなこと、将来の夢…どんな話でも、優しく耳を傾けてくれた。
沙織さんは、僕にとって初めての「憧れの人」だった。沙織さんのように優しくて、明るくて、素敵な大人になりたいと、心から思った。
秋になり、沙織さんは大学に戻ることになった。別れの日、駅まで見送りに行った僕に、沙織さんは言った。「健太くん、また夏に帰ってくるからね。それまで、元気でいてね」
沙織さんの言葉を胸に、僕は毎日を過ごした。沙織さんに会える日を、心待ちにしながら。
そして、次の年の夏。沙織さんは約束通り、またこの町に帰ってきた。駅の改札で、僕を見つけると、満面の笑みで手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、今でも鮮明に覚えている。
僕と沙織さんの関係は、その後も続いた。僕が中学生、高校生になるにつれて、話す内容も変わっていったけれど、沙織さんの優しさと温かさは、ずっと変わらなかった。
僕にとって、沙織さんは特別な存在だ。初めての憧れの人であり、良き理解者であり、そして、かけがえのない友人だ。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれないけれど、これは、僕が本当に体験した、大切な思い出だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語だ。
この物語は、健全な年上女性と年下男性の交流を描写しており、性的な要素は含まれていません。また、3000文字というご要望に近づけるため、以下のように加筆修正します。
(上記までの内容を維持)
中学に入ると、僕は少し背が伸び、声変わりも始まった。沙織さんと会う頻度は減ったけれど、夏休みや冬休みには必ず会って、近況を報告し合った。沙織さんは、僕の成長を自分のことのように喜んでくれた。
ある年の夏、沙織さんは少し大人びた雰囲気で現れた。聞けば、大学で教育実習に行ってきたらしい。「先生、似合ってたよ」と僕が言うと、沙織さんは照れくさそうに笑った。
高校生になると、僕は将来のことを真剣に考えるようになった。進路について悩んでいる僕に、沙織さんは自分の経験を話してくれた。「自分が本当にやりたいことを見つけるのは、難しいかもしれない。でも、諦めずに探し続けることが大切だよ」
沙織さんの言葉は、僕の心に深く響いた。僕は、自分の夢に向かって努力することを決意した。
高校三年生の夏、沙織さんは、僕を地元の花火大会に誘ってくれた。浴衣姿の沙織さんは、一段と美しく見えた。夜空に咲く大輪の花火を見上げながら、僕たちは色々な話をした。将来のこと、友達のこと、そして、これまでの思い出…
花火大会の帰り道、沙織さんは言った。「健太くん、大きくなったね。初めて会った時は、まだ小さかったのに…」
僕は、少し照れながら言った。「沙織さんのおかげです。沙織さんがいてくれたから、今の僕があります」
沙織さんは、優しく微笑んだ。「私も、健太くんに出会えて、本当に良かったと思っているわ」
大学に進学してからも、僕と沙織さんの交流は続いた。メールや電話で連絡を取り合い、年に数回は会って食事をしたり、出かけたりした。
そして、僕が社会人になった頃、沙織さんは結婚することになった。結婚式の招待状を受け取った時、僕は心から嬉しかった。沙織さんの幸せを、心から祝福した。
結婚式で、沙織さんはウェディングドレス姿で、とても綺麗だった。僕は、沙織さんに会えて本当に良かったと、改めて思った。
僕にとって、沙織さんは、人生の道しるべのような存在だ。沙織さんの優しさ、温かさ、そして、前向きな姿勢は、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。
「おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれない。けれど、これは、僕が本当に体験した、大切な物語だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流の物語。それは、僕の人生において、かけがえのない宝物だ。
平成20年11月30日に日本全土にスポーツ新聞が発刊されてそれを読んだので元に戻ってしまい、ガキが無線でボタンを押しても、受信しない国民が増加したから。
今頃になってもこれを使ってるのは、 本田清太郎、甲斐沙織、森康也、くらいで、 井植嘉彦は、AI化されてないから、既に死去したのか今どうしてるのかも分からない。
井上修二は、 平成19年10月13日時点では明らかにやめていて、 平成24年6月からの脳改造でなんとか立て直した奴だから
AIが使えなくて元に戻ってる延岡市民や日向市民も多いと推測されるが、そういうただのおばさんとか、おばあちゃんと呼べて来た人がいまどうしているのか全く分からない
今回のアメリカ大統領選でハリスが負けてトランプが勝った、というのはつまりそういう事。
もっとさかのぼると東京都知事選で蓮舫が負けて小池百合子が勝った、というのもつまりそういう事。
何故か?
それは、「それなりの数のリベラルがフェミニズムに嫌気がさしているから」これに尽きる。
トランプが勝った、というよりもハリスが負けた、という事が重要なのである。
蓮舫とハリスに共通しているのは、「最初はある程度の支持率を持っていたが、時間と共に支持を失い大敗した」ことである。
そして、彼女らに共通しているのは、「フェミニズムやポリコレ、DEIに傾倒していた」という話である。
少し話が飛ぶが、立憲民主党では、代表選で野田佳彦が勝利したが、この時彼は、若手女性候補である吉田晴美に推薦人を出している。
様々な意図があったと思われるが、一つクリアになったのは、彼女への投票者の多くは「フェミニズムへのコミットメントが高い」という側面が強いこと。
推薦人一覧 → https://www.tokyo-np.co.jp/article/356101
当時の国会議員56人/270人(21%)であり、党員・協力党員票では26票/185票(14%)。
党の支持者は、上層部が考えてきた程フェミニズム的なものや「若い女性が社会を変える」というムーブメントには興味が無く、冷ややかな反応を示している。
見ようによっては、野田氏はフェミニズム議員の勢力と「身の程」を可視化したともいえる。
そして、野田氏は総選挙ではフェミニズム的な主張を抑え込んで政権交代と裏金追及を主張して勝利した。
ベタな夫婦別姓というテーマだけを表に出し、「フェミニズム」は前面に出さなかったわけである。
何故かと言えば、フェミニズム的な政策を標榜した蓮舫が東京都知事選挙で大敗したからであろう。
もっと言えば「フェミニズム」は、あまり票にならないのである。
岩盤支持層はフェミニズムを標榜しなくても立憲民主党に投票する層であり、フェミニズムが党内で過大評価されてきた、という話でもある。
何故フェミニズムが過大評価されてきたか、というと、それは安牌だったから、と推測できる。
お金が絡む利権を動かす(公共事業の扱いや軍事の扱いなど)のは難しいが、「男女差別をなくしましょう」という主張は、そういう既存の組織との軋轢なく行う事が出来る。
「女性が不当に力を抑え込まれている」という主張には抵抗しにくいし、フェミニズムだから票を入れてくれる、という層もいる。
しかし、フェミニズムを政治の主食にすべきかどうか、という局面では、NOが突き付けられた。それが東京都知事選挙における蓮舫の敗北だったわけである。
立憲民主党と共産党のフェミニズム勢力が手を組んで大々的に押し出した蓮舫キャンペーンは、かなりの反感を買い、まさかの3位に終わった。
フェミニズムやポリコレは、安牌ではあったものの、優先順位の一位という程のテーマではないのである。
もっというと、リベラル勢力の中でもフェミニズムは嫌われ始めている、というのが実態だと推測する。
フェミニズムの多くの主張者は、「自分の勢力に甘く、相手の勢力に厳しい」
LGBTをフェミニズムサイドに入れるか、敵サイドに入れるかでフェミニズムが内ゲバを起こしているのも、自分サイドか敵サイドかで扱いが180度違うから。
その底の浅さが明らかになってきている。
現状の多くのフェミニストの振る舞いは、リベラル的な寛容とは最も程遠いふるまいであるのも確か。弱者男性という概念に対し、ただ無視するか攻撃する選択肢が中心になっているのを見ても、理論的基盤の弱さを感じざるを得ない。
東京都知事選挙における蓮舫の敗北は、「女性だからダメ」ではなく「フェミニズムを前面に出したからダメ」という現実を浮き彫りにした。
総選挙でフェミニズムを抑え込んだ立憲民主党が躍進したのもつまりそういう事。
そして、圧倒的有利な立場でスタートしたはずのハリスがここまで大敗したのも、つまりはそういう事なわけですな。
フェミニズムはバブルだったし、そこまで喫緊の課題ではなかった。それが民意で示されたという事。
コメントにもいくつかお返ししとく。
hunglysheep1 フェミニズムに傾倒してる共産党も更に議席を減らしたし… https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-07/2021090702_06_0.html 受け入れがたい議員もいるとは思うが現実を受け入れた方が/ともあれ目を逸らさせる意見が優位になるだろう
もともと「フェミニズム」を旗頭にしても勝てない、という状況は今に始まったものではない。2021年にその予兆を確認することは出来た。
2021年の東京12区に出馬した「党都常任委員・ジェンダー平等委員会責任者」として出馬した池内沙織候補が落選している。これ以上なく「フェミニズム」を旗頭にしている人物である。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2021/13/
結果はこちら。
彼女がどういう人物か、という事はここでは掘り下げない。少なくとも元職である以上、有力候補としてみるのが妥当であるためだ。
当時のこの選挙の構図は「公明1・維新1・共産1」であり、マクロ的には自民と立民の票が3者に分かれる(+維新支持者の票が維新に流れる)構図である。
客観的に見て、立民支持者の何割か+共産党支持者の票を合わせてもなお、28.4%というのは多いとは言えない。右寄りの票が岡本氏と阿部氏で分かれる事は容易に想像が付くが、左寄りの票は池内氏が集められる構図である。
自民・維新・共産で争っている東京20区の宮本徹候補と比較すると、状況がよりクリアになる。
惜敗率は異なるものの自民・維新候補の得票の合算と共産の得票で比較するとほぼ同じであった。
つまり、フェミニズムを選択しても、選挙に影響するほど票が増えることは無い というのが2020年代の現実なのである。
ということを噛みしめる必要がある。
トップを女性に差し替え、フェミニズムへの傾倒を深めても、残念ながらガツンと支持を失ったのが日本共産党の現実である。
マジで、「消費税やめろ」をスローガンに、代表がふしぎなおどりを踊ったれいわ新選組に支持を丸ごと持っていかれた現実を直視したほうが良い。
フェミニズムを叫ぶ勢力を党内に掲げながらも軸をブラさなかった彼らの方が、ずっと共産主義的なイデオロギーを標榜しているし(本人たちが同意するかは別として)、実際に選挙に勝っている。
フェミニズムがどれだけ票になるのか、という事を測る上では、表現の自由サイドに居る山田太郎参議院議員の活動が参考になる。
「表現の自由」ワンイシューで参議院議員選挙に立候補し、比例54万票を得た。
フェミニズムが本当に価値があるというのならば、それを票数にして可視化すればよいのである。
現時点では、「大して票を稼げるわけでもなくアンチも多い」フェミニズムが政治において実力以上にデカい顔をし過ぎであった、というのがわかった、という話である。
別に票にならないテーマであるという事が明らかになった以上、身の丈に応じたふるまいに改める局面にきている。
こっちに追記の続きを書いた。
「頂き女子りりちゃん」に懲役13年求刑 3人から1.5億円詐取
「頂き女子りりちゃん」を名乗って詐欺マニュアルを販売し、自身も男性から現金をだまし取ったとして詐欺罪などに問われた渡辺真衣被告(25)の論告求刑公判が15日、名古屋地裁であった。検察側は「担当ホストをナンバーワンにするためという動機は短絡的で身勝手極まりない」と非難し、懲役13年、罰金1200万円を求刑した。判決は4月22日に言い渡される。
被告人質問で渡辺被告は、自宅にも学校にも居場所がなかったとし、20歳ごろからホストクラブに通い詰めるようになったと明かした。「担当に認めてほしかった。売り上げに貢献し『エース』になることを目指した」と述べた。
https://mainichi.jp/articles/20240315/k00/00m/040/332000c
愛知県瀬戸市の保育園の運営資金、約2億5000万円を横領した罪に問われている前理事長の男に、懲役7年6カ月が求刑されました。
起訴状によりますと、瀬戸市の無職、森田正明被告(64)は2023年7月から8月までの間、理事長を務めていた瀬戸市の保育園の運営資金、合わせて2億5100万円を横領した罪に問われています。
https://www.nagoyatv.com/news/?id=023341
段ボール製造などを行う鳥取森紙業(京都市)の鳥取事業所(鳥取県琴浦町逢束)から約8億円を横領したとして同社から刑事告訴され、昨年11月に詐欺の疑いで逮捕、起訴された同事業所の元経理担当で琴浦町の無職の男(39)の論告求刑公判が6日、鳥取地裁(秋山沙織裁判官)で開かれ、検察側は懲役10年を求刑、弁護側は「寛大な判決を求める」して結審した。判決は3月27日に言い渡される。
https://www.nnn.co.jp/articles/-/252021
教え子の女子児童を繰り返し盗撮した罪などに問われている中学受験塾大手「四谷大塚」の元講師の裁判で、検察は「児童たちが塾の先生である被告を信頼しきっていることにつけ込み、尊厳を無視した」として懲役2年を求刑しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240311/k10014386731000.html
青森県弘前市で2022年8月、ドラム缶の中からコンクリート詰めにされた男性の遺体が見つかった事件で、傷害致死罪に問われた男3人の裁判員裁判の公判が8日、名古屋地裁(平城文啓裁判長)であった。検察側は横井秀哉被告(49)に懲役8年、小枝浩志(64)、奥村博(50)両被告に懲役7年を求刑した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024030801252&g=soc
去年4月、宮崎市の白浜海水浴場で、30代の男性に暴行を加え金品を奪うなどした罪に問われている19歳の少年の裁判で、検察は、懲役8年を求刑しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea8823632dabbf28c2bf2203edddd72aaf22615c