はてなキーワード: 前田とは
一昨年の年始に成人式の話がルッキズム丸出しで炎上していたと思うが、そもそもちびまる子ちゃんの作品そのものがルッキズムヤバイよね
花輪くん、城ヶ崎さん、大野くん、杉山くんあたりの美人・イケメンキャラは良い人として描かれていて、逆に前田さん、みぎわさん、藤木あたりのブス・不細工キャラは悪い人として描かれている。そして主人公=作者のまる子はどちらかというと可愛いよりのデザインなのがまたキモい。
全く別の話なのだが、作者自ら脚本を担当した『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』って映画、これよく考えると痛すぎない?
作者のアバターであるまる子とオリキャラ白人イケメンの恋愛模様を映画にしました〜ってキッッッツ!!って思っちゃう。ちなみに声優もイケメン俳優なのがさらにキツイ。金の力で夢小説を映画化して楽しいか?
そしてこの映画もルッキズム丸出しで白人イケメンのアンドレア以外にもインド、ハワイ、ブラジル、香港からの留学生も登場するがみんなステレオタイプすぎてビビるよ。
以前、「国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代の新撰組の扱い」という記事を書いた。
その続きとして戦前、特に新選組のイメージを覆したと言われる子母澤寛『新選組始末記』(1928年)前後の評価を探っていきたいと思う。
関連:新撰組は「悪役」扱いだったか?~彼らの「語られ方」の歴史を検証する - posfie
近藤勇といへば、維新当時、鬼勇とまでいはれた武勇伝中の一人で、今に尚、芝居や講談、読物によつて若い人たちの血を湧かして居るが、彼れは若い時分、近藤周斎の門に這入つて剣術を学んだ。
これは古今の剣術家らのエピソードを集めた子供向けの読み物らしい。そのうちの一篇として近藤勇が紹介されている。特に悪い書き方はされていない。
「芝居や講談、読物」によって、近藤勇がよく知られていたことが窺える。
『創作講談』は「近藤勇・宮本武蔵・一休和尚・猿飛佐助・清水次郎長・紀伊国屋文左衛門」という伝記のシリーズで、1925年に刊行されたようだ。
勤王、佐幕、そして今の世は勤王劇流行で、勤王で無ければ成らぬ流行中を、我が澤田は新撰組の佐幕劇を以てその隊長近藤勇で見えている
劇団「新国劇」についての論評。『新撰組』は新国劇の十八番で、たびたび上演されているとも書かれている。
そこで先づ目に映つたのは、此頃人気を呼んでいる新撰組の隊長近藤勇が、大阪の富豪鴻池善右衛門、加島屋作兵衛、辰巳屋文左衛門外十数名から金を用立てさせた「約定証書」は、鴻池の家蔵品として出品されてあつた。
大阪朝日新聞社主催・大阪市後援の「大阪市史料展覧会」のレポートらしい。
そういうイベントに鴻池家が新選組の史料を出している、というあたりに「此頃の人気」が窺えるのではないか。
続いて子母澤寛『新選組始末記』直後の1929年の新選組の評価をいくつか。
今日の大衆文学に行はれている赤穗浪士にしても由井正雪にしても近藤勇にしても、悉く正史よりも寧ろ外傳の史料に拠るものが多い。
剣劇に映画に大衆文芸に何百回となく描かれて居る一代の剣豪近藤勇も、明治元年正月幕軍の敗走以来、落目となつては為す事毎に齟齬し、四月三日越ヶ谷の官軍本営にて捕はれた。
時代は常に逆転す!チャンバラの本家は新選組だ!現代のチャンバラ全盛を地下の近藤勇は苦笑でもやつてるか?明治回天の大芝居の其花形新選組の後始末はサテどうなつたか!?
だが、近藤勇のこの頃の人気は素晴らしい。大衆的人気の上で維新の三傑などは、蹴飛ばしているから愉快である。後代の人気と云ふものは、その時代を作つた人に集らずして、その前代に殉じた人に集るやうである。
なお、新選組が登場するフィクションとしては、前回に紹介した講談を除くと、1913年から連載された中里介山『大菩薩峠』が一足早い。
そして前田曙山『燃ゆる渦巻』、大佛次郎『鞍馬天狗』、白井喬二『新撰組』といった人気小説が1924年に揃って出ている。
いずれも新選組が主人公というわけではないが重要な役どころで登場する。
それを受けてか、1925年から新選組を主役とした映画が立て続けに公開されていたらしい(参考)。
戦後になるが1959年の大井廣介『ちゃんばら芸術史』から、まとめっぽい記述を。
たとえば、小説では、白井喬二の独楽師の角逐というめずらしい題材をとりあげた『新選組』の遠景には近藤勇の池田屋斬込みなどが扱われ、大仏次郎の『鞍馬天狗』の最初の単行本でも、近藤勇がすこぶる活躍した。劇では、行友李風が新国劇に『新撰組』を書きおろし、沢正が近藤勇をやる。映画では、枚挙にいとまないという有様だった。このように、勤皇か佐幕かのチャンバラ、新撰組や近藤勇がしきりにでてくるようになったのは、『大菩薩峠』や『月形半平太』が既にあるにはあったが、『朝日』の『燃ゆる渦巻』が大々的に口火をきった。
以上からすると、『新選組始末記』以前から、近藤勇および新選組は十分に時代劇のスターだったようだ。
維新志士の好敵手として設定されてはいても、しかし「悪役として嫌われていた」という感じではない。
特に1924年ごろからは一種の「新選組ブーム」と言っていいような状況だったのではないか。
ただ当時は、あくまで近藤勇の人気が飛び抜けて高く、次いで土方が知られていたくらいで、沖田などのキャラが立ったのはやはり『新選組始末記』以降だろうか。
(1929年には月形龍之介主演で『剣士沖田総司』という映画が作られたらしい)
「池田屋で沖田が病気により昏倒する」などのエピソードは、明治末の講談に採り入れられてはいたが、それ以降の作品にあまり引き継がれなかった。
そうした細かいエピソードをあらためて掘り起こして、当時大量に作られていた小説や映画に新たなネタを提供した、という点に子母澤寛の功績がありそうだ。
前田記宏
@seira83085324
交番のパネルを窃取したことが大胆な犯行であり投げ入れるように戻したという態様から反省の状が伺えるものではないというDorawiiの論告はあくまで被告人が一連の行為の意味が理解した上でやった場合であるところ被告人が一連の行為の意味を理解していたとは言えない。
え、なにこれ。「交番のパネル」からして増田で一回も言ったことないフレーズなんだけど。
字下げ増田、こわ。
dorawiiより
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日本のテレビを見てると、バラエティや旅番組で当たり前田のクラッカーのように
お寺や神社に旅をしたり、由緒を説明したり、参拝したりしてるシーンがあって衝撃を受けた
しかもバカにする内容ではなく、あたかもそれが正しいかのように紹介していた(例えば神社の参道は神様の通り道だから、真ん中を歩くな。とか鳥居の前では頭を下げろとか)
こっちでは、そういう怪力乱神の類の放送は宗教系のケーブルテレビでしか扱わない内容だよ?
言うなれば祝福結婚を受けないと地獄に落ちるという統一教会の教義を正しいことかのように紹介したり、幸福の科学の会館見学を公共の電波で放送するようなもんでしょ
だから日本人って宗教を信じてる奴が異常に多いんだなあって思った
こっちから見ると異常だよ
時は令和、空前の「異色グルメ」ブームが最高潮!ジビエ料理とか、創作和食とか、みんなが「意外な組み合わせ」と「新しい美味しさ」を求めてた20XX年。そんな中、熊本の繁華街、上通アーケードに、マジで浮世離れしたお姉様が現れたんだって!ちょっと古めかしい着物っぽいのに、なんかこう、芯が強くて知的なオーラをまとったお方。「え?時代劇の撮影?セレブ女優?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「わたくしは…まつにございます。」
え?マジで?あの前田利家の妻で、「賢妻」として有名な、まつちゃん様!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もといまつちゃん様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…加賀ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬ場所になったものよのう。」って、マジで戦国時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い洞察力を感じてたらしい。
そんなまつちゃん様に、恐る恐る話しかけたのは、熊本でグルメレポーターしてる、食いしん坊ギャル、サキ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…はい、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておりまする。」って、意外と丁寧な言葉遣い!サキ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、サキ!熊本のことなら、何でも聞いて!まつちゃん、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、サキに連れられて、まつちゃん様は初めて現代の熊本を体験!熊本城とか、水前寺公園とか、マジで全てが新鮮!でもね、まつちゃん様が一番興味を示したのは、郷土料理店で地元の人たちが美味しそうに食べてたもの。「…この、赤くて美しき肉は、何というものでございますか?ずいぶんと珍しいな。」って、マジ真剣な眼差し。サキ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、馬刺しですよ!熊本のソウルフード!新鮮でめっちゃ美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
まつちゃん様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?舌に広がる甘みと、とろけるような口どけ…まるで、利家様の強さと、わたくしへの慈愛のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで賢妻っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、まつちゃん様の馬肉愛がマジで爆発!毎日色んな馬肉専門店を巡って、馬刺しや馬肉料理を食べまくってたんだって。「馬肉の部位、鮮度、調理法…研究しがいがありすぎる!」って、もはや馬肉マイスターレベル!
でね、ある日、まつちゃん様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくしは、この馬肉をもって、再び天下を…とは言いませんが、この甘味の世界において、人々の心と体に活力を与え、真の『絆』をもたらすパフェを創造してみせましょうぞ!これこそ、わたくしが目指す、『百万石パフェ』よ!」って!
え?馬肉パフェで天下統一?しかも「百万石」とか「絆」とか!マジで壮大すぎる!でも、まつちゃんの「夫を支え、家を繁栄させる」っていう魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってサキも思ったらしいんだけど、まつちゃん様の目はマジだったんだって。戦国の世を生き抜いた知恵が、令和の馬肉パフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、まつちゃん様の馬肉パフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#まつちゃんの百万石パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、まつちゃん様の哲学的なコメントが、一部の異色グルメ好きギャルや、健康志向の人たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSはまつちゃん様の馬肉愛でじわじわ盛り上がり!しかも、まつちゃん様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい馬肉や、馬肉に合う最高のフルーツや野菜、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと肉の旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下の馬肉パフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!まつちゃん様は、銀座のど真ん中に、自分のプロデュースする馬肉パフェ専門店「KAGA HYAKUMANGOKU PARFAIT - 絆 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、加賀百万石をイメージした、豪華絢爛ながらも温かみのあるデザインで、まつちゃん様の美意識と繁栄を表現。店員さんも、加賀友禅風のモダンなユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、異色グルメ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題の馬肉パフェ、マジで挑戦してみたい!」「まつちゃんって、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのに馬肉の旨味が最高!」「食べた後、なんか元気が出る気がする!」「まつちゃん、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、KAGA HYAKUMANGOKU PARFAIT - 絆 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、まつちゃん様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「絆」について熱弁したり、馬肉の栄養価を語る「健康パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のまつちゃん」「馬肉パフェの賢妻」とか呼ばれて、マジで時の人!まつちゃん様の研ぎ澄まされた感性と、馬肉パフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!まつちゃん様の馬肉パフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「まつちゃん印の百万石パフェ」が発売されるほどに!まさに、馬肉パフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、熊本の街に静かに佇んでいた賢妻が、令和の時代に馬肉パフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、賢妻の愛が馬肉の甘みに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!
サキも、「まさかまつちゃんが本当に馬肉パフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
まつちゃん様は今も、さらなる馬肉パフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わたくしの、絆の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、前田まつは、令和の日本で、馬肉パフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!馬肉パフェ、マジ卍!
安野たかひろ :1990年生まれ。東京大学工学部システム創成学科卒。ボストン・コンサルティング・グループ。
高山さとし :1986年生まれ。灘中学・高校卒、慶應義塾大学経済学部卒。ボストン・コンサルティング・グループ。
稲原むねよし :1989年生まれ。東京大学工学部卒。日本IBM。
角野なすか :1989年生まれ。東京大学工学部卒。リクルート。
小林しゅうへい:1990年生まれ。千葉商業高校卒。株式会社ドワンゴ。
みねしま侑也 :1990年生まれ。開成高校、東京大学法学部卒。ゴールドマン・サックス。
河合みちお :1990年生まれ。東京大学文学部卒。教育系企業。
山田ゆうじ :1990年生まれ。東京大学大学院卒。開成中学校・高等学校教員。
川端ゆうすけ :1990年生まれ。東京大学経済学部卒。総務省。
古川あおい :1991年生まれ。東京大学法学部卒。カリフォルニア大学バークレー校情報大学院卒。
前田みさ :1992年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。P&G Japan。
まあ、そういう政党なんだろうな。
【東大法卒】前田記宏 教祖を崇めるスレ[realiste0]
ページ1
9% 5,034,268,410
88 詳しくはコチラ ん
【回答者】ほら、あなたもエキスパート「orzって何?」【募集】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1228075765/
【東大法卒】前田記宏 教祖を崇めるスレ[realiste0]
1:名無しさんの主張:2008/12/01(月)05:09:25 ID:sp1rnVwU
http://d.hatena.ne.jp/realiste0/
http://realiste0.blogspot.com/
【前田氏の変遷】
realiste0についての覚書
http://anond.hatelabo.jp/20081129200805
2:名無しさんの主張:2008/12/01(月)05:18:51 ID :???
2
3:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:20:43 ID:t7rvaga8
やっぱ騙されるより、騙す側にならなきや。
東大ってそのためにあるんでしよ。
4:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:26:01 ID:sp1rnVwU
(;V;)イイコトイヴナー
5:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:27:03 ID:sp1rnVwU
6:名無しさんの主張:2008/12/01(月)10:53:14 ID:t7rvaga8
7:名無しさんの主張:2008/12/01(月)11:56:59 ID:aU7qmvFr
あげ
8:名無しさんの主張:2008/12/01(月)12:32:41 ID :???
すげー
9:名無しさんの主張:2008/12/02(火)01:46:59 ID:BWfLyOkt
あげ
10:名無しさんの主張:2008/12/02(火)02:05:53 ID :???
今こそ前田教祖の教えに則り、国家権力を我々国民の手に! 国民主権!
ht
副本
令和7年(ワ)第2420号 建物の貸室立ち退き請求拒否請求事件
前田記宏
第1準備書面
令和6年5月8日
(1)原告は、本件示談に関し、乙第2号証の存在は争うものではなく、また、そ
の主張の趣旨は不分明であるものの、「示談書の中で甲[乙の誤り]である原告
は、乙[甲の誤り]に対して実際に面会して謝罪したわけではなく、乙代理人弁
護士を通じて謝罪しただけであるので、甲と乙は面会したことがない以上、両者
の関係が接続されているなどとは到底いえない。すなわち、面識のない2者で、
甲が乙の建造物を損壊する理由(怨恨等)が存在しないから、本件建造物損壊に
は怨恨の線などが考えられず、事件の存在自体が疑わしい。」と主張する(令和
(2)しかし、東京地方検察庁三摩哲也検事作成に係る令和7年3月31日付通知
書によれば、「前田記宏に対する建造物損壊事件(事件番号:令和6年検第22
原審東京高裁判決は、被告人が、東京拘置所から、罰条を変更するべきである、公訴を棄却するべきであるという書面を刑事13部に送付したことにふれているが、留置施設にいた60日間の間には、留置施設にある六法全書しか読めないのである一方で、東京拘置所では、模範六法の貸し出しを行っているから、模範六法の貸し出しを受けて身に着けた知識を利用して、東京拘置所に拘禁されている間に、被告人が、便箋などをもちいてそこの意見を記載し裁判所に送付するのは自然である。これとは逆に、留置施設にいる段階でなぜできなかったのかと問われても、留置施設には六法全書しかない、国選弁護人は必ずしもなんでもしてくれるわけではないことから当然である。原判決は、これらの書面は証拠請求されていないから検討しなかったといっているが、拘置所から被告人がこのようにするべきだという手紙を送付した段階で検討するべきであり、証拠請求などは不要である。証拠請求をしなければ拘置所から被告人が送付した手紙の内容も検討しないというのであれば、未決拘禁をされている被告人が裁判所に意見を言いたい場合であって、その当時の弁護人が取り合っていない場合はどうしようもないということになる。このことから、拘置所から本件の書面が到達した時点で検討しなかったこと自体が不合理である。
原判決を読むと弁護人が証拠請求をしていれば警察検察の防犯カメラの証拠請求もできたようによめるが、本件の弁護人は、面会において、公訴の取り消しもしない、防犯カメラの証拠請求もしない、といって被告人に協力をしなかったのであるから、東京拘置所内にいた被告人が裁判所に、裁判所の方から、それをするべきであるという書面を送付するのは当然である。しかも、本件弁護人である川瀬渡の方は、一審段階では、出廷留置場の面会室(東京地裁地下1階にある部屋の奥にある弁護人用の面会室)に司法修習生と来所した際に、裁判官は12年前とか15年前の前科に関する判決は読んでいない、最初の方しか読んでいない、今回は、弁護人である私の誘導に従って反省したほうが裁判が早く進む、本件を心神喪失で争うと拘置所にいる期間が半年どころでは済まないと述べたのであるから、11月13日午後1時30分当時、出廷留置場にいた被告人が、(軽犯罪として)違法性があることは理解できる、二度とやらない、反省している、と最低限のことだけ述べたのは自然であり、なおかつ、最終陳述について特にありません、と述べたのでは、最終陳述で何を言うか自体が流れからして分からなかったから流れから適当に特にありませんと言っただけでこの特にありませんというのは通例反省の文言を述べる機会として与えられている最終陳述であえて何も述べなかったのではなく反省の文言を陳列することを忘れていたためにこのように述べただけで、裁判官の方からも、特にないですか・・・という反応があったものの、「では10分後に判決を言い渡しますので拘置所の方と被告人は一度外に出てください」と述べ、被告人は一度、外に出てそこに設置されている机に腰かけ、10分後に再び呼び出されたが、その際の緊張感は凄まじいものがあったといえる。ほとんど忘我没我の状態で、どのような判決主文が言い渡されるかを虎視眈々とにらみ、執行猶予の文言が出てきたときにはこれから釈放されるよろこびにみちて出廷留置場に戻り、逆送の時間までにそこで安堵のひとときを過ごしたであろうことは想像に難くない。
このように被告人は、11月13日午後2時40分ごろに判決宣告がされ、その80分後に逆送開始となり、午後5時15分に東京拘置所を釈放された。
このように即日判決宣告がされた11月13日午後2時40分から午後4時の間に弁護人との面会もあった中で、出廷留置場で釈放に向けて被告人が安堵の感情で過ごしたことが極めて明白であること、裁判後の面会では、弁護人の方から、前田さんは拘るところをよく我慢してくれました、という賛辞の意見があったことからも、本件事件の顛末およびその際において弁護人からの上記の賛辞の意見と、出廷留置場から拘置所への逆送までの被告人の意気軒昂とした、釈放に向けた安堵感と喜びにみちた感情が確実に存したことだけは間違いがない。
このように、11月13日、午前8時に東京拘置所を出発し、午前9時に東京地裁に到着し、出廷留置場に収監されてから裁判までに非常な緊張、没我や恐怖の状態にあったことに比べて判決宣告以降の釈放に関しては、喜びの中にあったことが明らかであるという事情経過にも照らすと、11月13日以前に東京拘置所内にいたときの被告人の感情が異常であることは明らかで、そのような異常な状態にある中において弁護人が証拠請求をしなかったので、裁判所に書面を送付して公訴棄却などを求めたのは普通の感覚である。
事件番号 令和7年 ワ 2420号 東京地裁 貸室退去請求拒否事件
3月18日に被告代理人が提出した答弁書の内容は以下の理由で認められない。
原告被告が本件の契約を締結する経緯は、従前別のシェアハウスで生活保護を受けていたが、2022年2月28日づけで、当該シェアハウスが閉鎖し、退去させられた。その前後から福祉事務所の住宅相談員2名から、トップ志村、ファインズコート前野6丁目を含む複数個所のアパートの紹介をされていたがいずれも審査に落ちたので原告は、3月2日から一時的に実家に帰省していた。その帰省の最中に、住宅相談員の鈴木から、媒介業者キーポイントを介して、メゾンときわ台がみつかったので、実家のある延岡市の方に契約書類を送付してきて、原告はその書面だけを読んで必要な個所に署名をしてレターパックで送り返した。原告が実際に同物件に住むようになったのは6月8日からである。このように書面だけのやりとりしかなかった経緯に鑑みると、入居当時、原告が、被告の浅賀友里恵を知っていたとは考え難いから、2022年6月8日当時、原告が、本件建物の所有者が浅賀友里恵であったことを知っていたとは考えられないし、それ以後の2年間においても、原告は一度も浅賀友里恵に会ったことがないから、この2年間において原告が本件建物の所有者を浅賀友里恵であると理解して住んでいたとは考えられない。
この点、原告は、被告に対して謝罪をしたとする示談書の存在を本件でいっているが、示談書の中で甲である原告は、乙に対して実際に面会して謝罪したわけではなく、乙代理人弁護人を通じて謝罪しただけであるので、甲と乙は面会したことがない以上、両者の関係が接続されているなどとは到底いえない。すなわち、面識のない2者で、甲が乙の建造物を損壊する理由(怨恨等)が存在しないから、本件建造物損壊には怨恨の線などが考えられず、事件の存在自体が疑わしい。このように、本件契約は、全く純粋な市民同士が締結したものではなく、一方は株式会社の取締役であり、他方は、生活保護の住宅相談員からの紹介を受けて書式のみで締結したという経緯、および、本件契約は、家賃を生活保護費から支弁するという、特殊な構造の契約であって、生活保護世帯用賃貸契約専門会社キーポイントが媒介していたことから、やはり、特殊な構造の契約であって、結局は、生活保護受給者と被告の契約になる以上、純然たる市民同士の契約とはおもむきが違い、家賃も、貸主が給料から負担しているのではなく行政から支弁しているということを考慮すると、純粋なアパート契約の準じて考えることはできない。
被告の主張は、要するに、自分が所有している建造物の一部を原告が損壊した、その上、2023年6月2日ごろに、原告が貸室内でした大きな音によって202号室の者が退去したから、契約書の条項によって解約をするといっている。しかしながら原告は、2024年4月20日に契約を延長して解約をしなかったのだから、契約に基づいて解約をするつもりはなかったといえるし、更に、2024年8月25日の建造物損壊についても、原告の祖母から、40万8870円の被害弁償を受けて、壊れたガラスが修繕されているにもかかわらず、それでも退去してもらいたいなどと懇請することは権利の乱用に該当しその主張は排斥される。
また建造物損壊については刑事記録が開示されておらず、刑事記録の存在の主張立証責任は被告にある。被告は建造物損壊事件があったと主張しているだけで原告にその行為があったことを立証する証拠構造はどこにもない。本件の示談書と呼ばれる書式一枚のみではそのような事実があったことを立証する証拠にはならない。
このように本件貸室の家賃は2年間に生活保護費から56300円が常に落とされていた。被告はともかく、ユナイテッド不動産は、家賃が行政から支弁されていたことを知っていたので借主が会社員などではないことも理解していた。このような本件事案の構造、すなわち、契約時点で原告が被告のことを認識していたわけではない、および関係する契約書と法令の構造にかんがみると、この全体を論理的に接続していった結果として、被告の本件請求は権利の濫用に該当し排斥される。 以上
事件番号 令和7年 ワ 2420号 東京地裁 貸室退去請求拒否事件
3月18日に被告代理人が提出した答弁書の内容は以下の理由で認められない。
原告被告が本件の契約を締結する経緯は、従前別のシェアハウスで生活保護を受けていたが、2022年2月28日
づけで、当該シェアハウスが閉鎖し、退去させられた。その前後から福祉事務所の住宅相談員2名から、トップ志村、
ファインズコート前野6丁目を含む複数個所のアパートの紹介をされていたがいずれも審査に落ちたので原告は、3月2日
から一時的に実家に帰省していた。その帰省の最中に、住宅相談員の鈴木から、媒介業者キーポイントを介して、
メゾンときわ台がみつかったので、実家のある延岡市の方に契約書類を送付してきて、原告はその書面だけを読んで
必要な個所に署名をしてレターパックで送り返した。原告が実際に同物件に住むようになったのは6月8日からである。
このように書面だけのやりとりしかなかった経緯に鑑みると、入居当時、原告が、被告の浅賀友里恵を知っていたとは
考え難いから、2022年6月8日当時、原告が、本件建物の所有者が浅賀友里恵であったことを知っていたとは
考えられないし、それ以後の2年間においても、原告は一度も浅賀友里恵に会ったことがないから、この2年間において
原告が本件建物の所有者を浅賀友里恵であると理解して住んでいたとは考えられない。
この点、原告は、被告に対して謝罪をしたとする示談書の存在を本件でいっているが、示談書の中で甲である原告は、乙に対して実際に面会して謝罪したわけではなく、乙代理人弁護人を通じて謝罪しただけであるので、甲と乙は面会したことがない以上、両者の関係が接続されているなどとは到底いえない。すなわち、面識のない2者で、甲が乙の建造物を損壊する理由(怨恨等)が存在しないから、本件建造物損壊には怨恨の線などが考えられず、事件の存在自体が疑わしい。