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やってみた
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Queen の楽曲の中で「You're My Best Friend」は、しばしば異色の存在として語られる。
劇的な構成や重厚なハーモニーを特徴とする彼らの代表曲群とは異なり、この曲は実にシンプルで、親密さと温もりに満ちている。
だが、まさにその“シンプルさ”こそが、Queen というバンドの多面性を明確に示していると言える。
作曲者ジョン・ディーコンが、当時の妻に捧げて書いたという背景も相まって、この曲はバンド全体のイメージを一段柔らかくし、新たな側面を広く世に知らしめた。
曲のアイデンティティを決定づけているのは、エレクトリック・ピアノ——Wurlitzer の独特の音色である。柔らかく丸いアタックと、わずかにざらついた残響が、曲全体に温かみを付与している。Queen の鍵盤サウンドといえばアコースティック・ピアノを想像しがちだが、この曲ではあえて電気的なエレピを主役に据えることで、他のロック曲とは異なる質感を生み出した。
実はフレディ・マーキュリーは Wurlitzer の音があまり好きではなかったと言われるが、ライブでは彼がアコースティック・ピアノで代役を務めており、スタジオ版との音色の違いもまたファンの興味を引き続けている。
構造は極めてオーソドックスで、古典的な Verse–Chorus 形式に沿って展開する。にもかかわらず魅力が損なわれないのは、ディーコンの旋律感覚とコード運びの巧みさによるものだ。
主要キーは C メジャーで、I–IV–V を中心とした実に素直な進行だが、ブリッジには IVmaj7 のような柔らかい和音が配置され、気持ちの動きを自然に高めている。
Queen が得意とする大胆な転調は見られないものの、曲が求める感情のレンジにはこのシンプルな和声が最もふさわしかったのだろう。
リズム面でも、派手なアクションはほとんどない。ストレートな8ビートが淡々と続き、ドラマ性よりも安定と親しみやすさを重視している。
ブライアン・メイのギターも装飾的で、主役を奪うことなく全体をそっと支えている。
そのバランスの良さは、Queen が単なる“テクニカルなロックバンド”にとどまらない、アンサンブルの巧みなグループであることを再確認させる。
歌詞は比喩の少ない直球の表現で、「あなたは恋人であると同時に、私の親友でもある」というメッセージが真っすぐに込められている。
Queen の楽曲はしばしば壮大なテーマや幻想的な物語を扱うが、この曲では日常の愛情をそのまま掬い取るようなリアリティがある。
華美な装飾を避けた歌詞の選択は、ディーコンの人柄と楽曲の素朴さにぴたりと合致している。
1975年といえば、「Bohemian Rhapsody」の成功によって、Queen が世界的な注目の中心にあった時期である。そんな中でこの曲が発表されたことは、バンドにとって大きな意味を持った。
派手なイメージが強烈に広がる中で、「Queen はこんなに身近で温かい曲も書くのか」という驚きが、彼らの表現の幅を一気に広げたのである。
この曲の成功があったからこそ、のちに「Another One Bites the Dust」や「I Want to Break Free」のようなポップ寄りの楽曲がより自由に生み出される環境が整ったとも考えられる。
音楽的文脈で言えば、Paul McCartney 的なポップ感や The Beach Boys のハーモニー・センスとの共通点がしばしば指摘される。
エレピを中心とした滑らかなポップロックという点では、後年の Ben Folds Five や多くの AOR 系ポップロックにも影響を与えたと考えられる。
こうして見てみると、「You're My Best Friend」は“地味な名曲”と言われがちな一方で、Queen の音楽性の豊かさとメンバー個々の個性を改めて浮かび上がらせる、実に重要なポジションにある。
劇的な曲を書けるバンドが、等身大の愛情もまた美しい形で描けるという事実。それこそが、この曲が半世紀近く愛され続けている理由にほかならない。
https://www.youtube.com/@%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%82%AC-q6z/videos
【千歳くんはラムネ瓶のなか】4巻まで読んでも千歳朔が好きになれない男によるチラムネ4巻の正直な感想【2025年秋アニメ】
https://www.youtube.com/watch?v=vFerA2aUuJU
【千歳くんはラムネ瓶のなか】正直チラムネ5巻は良さもキャラ心情もよくわからなかったです【5巻のネタバレ注意】
https://www.youtube.com/watch?v=8bP_QJmuhqc
肯定的な反応: 多くの欧米ファンは千歳朔を「社会的に成功したリア充」「自信に満ちた好青年」と捉えている。例えば、Redditユーザーは「dense(鈍感)なMCではなく、千歳は王様のような存在で、多くの可愛い女の子に囲まれている」と評し、彼の自信あふれる振る舞いを評価している。また別のコメントでは「MCは非常に有能で、一見したよりも深みがあり、社交性に乏しいオタク系主人公ばかりの中で新鮮な存在だ」とも述べられ、作品中では千歳が「手先が器用で有能」なキャラとして好意的に描かれていることが分かる。レビューサイト「The Outerhaven」でも「千歳は言動がぶしつけで“好きか嫌いか分かれる”タイプだが、物語が進むにつれて裏にある優しさが見えてくる」と分析され、彼の厚い外面の下に隠れた誠実さが指摘されている。プロトンストームによるレビューでも、千歳の「社交性」が共感を呼ぶ要素とされ、「周囲を理解しようとする姿勢が非常に人間味あふれている」と評価されている。これらから、西洋の評価では「意外にも共感できるリア充主人公」という肯定的な意見が目立つ。
批判的意見: 一方で「セリフ回しが演技じみて不自然」「作者(または視点)がわざとらしい」といった指摘も散見される。Redditの視聴者は「キャラクター同士の会話が演劇のように聞こえる」「千歳自身の発言が、現実の高校生とはかけ離れている」と批判し、Oregairu(俺ガイル)風の重厚なセリフ回しが気になるとの意見が出ている。アニメ第1話の感想では「千歳の振る舞いはやや尖って見える」「(作風として)やや取っつきにくい」といった声もあり、好みが分かれるようだ。
主要ヒロイン(柊夕湖、内田優空/瑠唯、七瀬悠月など)への評価
ヒロイン全体の印象: 米英レビューでは、ヒロインたちはいずれも「個性豊かで魅力的」「二次元的ではなくよく描き込まれている」と評価されている。Protonstormのレビューでも「女性キャラは男性陣と同等に丁寧に描写されており、どのキャラも“よく練られた存在”に感じられる」と指摘される。実際、ある読者レビューでは「ヒロインは誰もステレオタイプな駒になっておらず、主人公との関係も自然で楽しい」と称賛されている。
柊夕湖(Yūko): 率直でおおらかな性格が支持されている。Redditでは「Team Yuko(柊夕湖推し)だった」という意見があり、夕湖の奔放さや思い切った告白に共感する視聴者が多い。実際、「彼女は自分の想いをまったく隠さずストレートにぶつけてくる」「素直で好感が持てる」というコメントも見られる。一方で、少数意見ながら「“Queen Skank”」のように揶揄されることもあり、胸の大きさなどをネタにした表現に批判的なコメントも存在する(ただし多くはそれを擁護する声が上がっている)
内田優空(Yua)※瑠唯(Rui)の記載はおそらく優空のことかと思われる: 冷静で落ち着いたストレートマン役として好意的に受け取られている。Redditの声では「優空の声優(羊宮妃那)が素晴らしい」「真面目なキャラで好印象」というコメントがあり、チームのムードメーカー的存在として評価されている様子がうかがえる。特に自転車で千歳と過ごすエピソードなどでの繊細な心情描写を評価する声もある。
七瀬悠月(Nanase): 美人でクールな人気者として描かれる七瀬にも注目が集まっている。あるファンは「彼女も自分を演じているように見える」「夕湖と同様に“完璧な人気者”像を維持している」と指摘し、千歳と同じく虚像を演じているのではないかと考察している。また第1話感想では「Nanase was pretty fake, just like Chitose」と述べられ、千歳と同様に“嘘の自分”を演じていると受け取られている。ただし「冷静で美しい存在感が魅力的」「役者だけあって表情豊か」といった肯定的意見もある。いずれにせよ、ヒロインたちはストーリー全体で徐々に掘り下げられる余地があると受け止められている。
人間関係・コミュニケーション: 多くの英語レビューは「理解し合うこと」の重要性に注目している。レビューの冒頭にもあるように、「『コミュニケーションの鍵は相互理解への意欲』である」と千歳が説く場面が示され、互いに理解しようとする姿勢が物語のテーマになっている。プロトンストームは「まさに千歳くんはラブコメにおける『相互理解』の役割を担っており、表面的な人気者と引きこもりの対照を通じて人間関係の機微を描く」と解説している。特に、陽気な千歳と内向的な健太(Kenta)の対比が物語の軸になっており、「人気者には聞こえてこない“陰の声”を、主人公が受け止めていく過程が青春らしい成長として描かれる」と評価されている。千歳は外見上は完璧なリア充だが、実は「周囲の期待に応えようとするプレッシャーに押しつぶされそう」な弱さも抱えており、その内面が物語の大事なテーマとなっている。
青春・自己肯定感: 「青春=かけがえのない時間」という楽観的な視点も指摘されている。先述のレディットレビューでは、作者自身の言葉として「青春は本当に最高の時間だ」というポジティブなメッセージだと説明されており、Oregairuの「青春は嘘だ」という否定的な視点とは対照的だと述べられている。このように「青春」というテーマを肯定的に描く試みが、欧米のライトノベルファンからも共感を呼んでいる。
リアル指向の演出: アニメ版でも、自然な高校生活の再現を重視する姿勢が見られる。外部サイトのファーストリアクションでは「典型的な学園ものとは一線を画す“インテリジェントな文体”」として脚本が評価され、ステレオタイプな決まり文句を避けた会話が新鮮だとされている。千歳とクラスメイトたちのやり取り(例:蔵先生との屋上でのやり取りなど)はお互いに毒舌を返し合うなど型破りで、「型にはまった学園スライス・オブ・ライフとは違う」として好意的に受け止められている。
賛成意見: 欧米ファンの多くは、作風の新鮮さやキャラの魅力を評価している。LNレビューやRedditでは「文章表現が秀逸で、オタク向け作品にありがちな軽いノリではなく、しっかり読み応えがある」とされる。特にヒロインたちが「大胆で個性的」「性格が立っていて面白い」との評価があり、友人たち全員が魅力的に描かれている点が好評だ。また、作中のしっかりとした「絆」や「助け合い」の描写に共感する声が多く、笑いの要素も豊富で「笑いの量はKonosubaやOregairuに匹敵する」と絶賛する読者もいる
否定的意見: 一方で、「対話が不自然」「シナリオが平坦」といった批判もある。Redditの一部感想では「非現実的な台詞回しで、まるで演劇を観ているようだ」という意見が見られ、「ストーリーが予測可能で、主人公は最後に必ず良い人を救うだけ」「物語として目新しさに欠ける」と評する声もある。アニメ第1話時点では「ヒロインのキャラデザインがやや平凡」「主人公に共感できない(特にオタク視点の視聴者)」といった指摘も上がっており、好みが分かれる要素である。いずれも「安易な異世界ものに慣れた視聴者には癖が強い」と評価する向きがあり、プロットよりも会話や演出に重点を置いた作風への賛否が対立している。
以上のように、欧米のファンコミュニティでは千歳くんやヒロインたちについて賛否両論の意見が飛び交っており、特に主人公の描写や会話の「リアルさ」が議論の焦点となっている。一方で「従来のラノベとは異なる新鮮な青春譚」として肯定的に受け止める声も多く、今後の物語展開に期待するユーザーが少なくないことが特徴的である
そもそも当時、"bar one"でトランスアライが熱狂しとったやんか
Emma Watson throws shade at transphobe J.K. Rowling: 'I'm here for ALL of the witches, bar one'
One Twitter user posted, "Emma Watson is a queen for this." Others seemed to agree. "I love the shade Emma Watson just threw at JK Rowling at the BAFTAs," another commented. "Emma is a QUEEN." yet another Twitter user wrote, "Emma Watson saying, 'I’m here for ALL of the witches' was absolutely a big [finger[ to JK Rowling and I couldn’t love her more for it."
あるTwitterユーザーは「エマ・ワトソンはクイーンだ」と投稿し、他の人々も同意しているようでした。別のコメントでは「エマ・ワトソンがBAFTAでJKローリングに投げたあの皮肉、大好き」とあり、さらに別のユーザーは「エマ・ワトソンはクイーンだ」と書きました。さらに別のユーザーは「エマ・ワトソンが『私はすべての魔女のためにここにいる』と言ったのは、まさにJKローリングへの強烈な中指サインで、彼女をますます好きになった」と投稿しました。
https://x.com/cmclymer/status/1503402654587830281
”Maybe Emma Watson mouthed “bar one” during her acceptance speech and maybe she didn’t (she absolutely did), but regardless, “I’m here for all the witches” is the best bit for me. A lot of young trans girls are watching that clip this morning and smiling. She’s a lovely soul.”
エマ・ワトソンは受賞スピーチで「バー・ワン」と口パクしたのかもしれないし、しなかったのかもしれない(絶対にしました)。いずれにせよ、「私はすべての魔女のためにここにいる」が私にとって最高の部分です。今朝、多くの若いトランスジェンダーの女の子たちがこの映像を見て微笑んでいます。彼女は本当に素敵な魂の持ち主です。
Will HPV vaccination prevent cervical cancer?
Centre for Global Public Health, Institute of Population Health Sciences, Barts and The London School of Medicine and Dentistry, Queen Mary University,
Institute of Health and Society, Newcastle University
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7068772/
HPVワクチンは「ヒトパピローマウイルス(HPV)」というウイルスの感染を防ぐために作られました。このウイルスは子宮頸がんの原因になることが分かっています。だから「ワクチンを打てば子宮頸がんが防げる」とよく言われます。
でも実際の臨床試験(人に使って効果を調べる研究)では、いくつかの問題があります。
→ 実際には10代の若い人がワクチンを打つことが多いのに、試験では年齢や条件が限られていたため、現実とずれていた。
→ 子宮頸がんは発症までに数十年かかるので、短期間の試験では「がんの予防効果」は確認できない。代わりに「前がん状態」(CINと呼ばれる異常)を使って効果を見ていた。
→ CIN1は自然に治ることも多く、治療すらされない。だから「CIN1を減らせた」=「将来のがんを減らせる」とは直結しない。
→ これらが本当に減るかどうかはまだ結論が出せない。
→ 普通は3年ごとに検査するところ、試験では半年~1年ごとに検査した。その結果、自然に治るはずの軽い異常まで見つけてしまい、「ワクチンのおかげで減った」と過大に見えてしまった可能性がある。
結局はワクチン打ちたい人が打てばいいんだけど、そもそもの効果が過大評価の可能性が高いからねえ
公金ドバドバ注ぐのが適切かどうかとか、ネガティブな情報がきちんと伝えられてるかとかはきちんと検証した方がいいよね
Will HPV vaccination prevent cervical cancer?
Centre for Global Public Health, Institute of Population Health Sciences, Barts and The London School of Medicine and Dentistry, Queen Mary University,
Will HPV vaccination prevent cervical cancer?
Centre for Global Public Health, Institute of Population Health Sciences, Barts and The London School of Medicine and Dentistry, Queen Mary University,
Institute of Health and Society, Newcastle University
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7068772/
CIN1+(CIN1,2,3, AIS)に対する高い有効性 ≠ CIN3+(CIN3, AIS)に対する有効性
細胞診が通常(36か月)より短い間隔(6〜12か月)で実施 → CINの過剰発見
短期的に自然退縮する病変を含めたため、有効性を高く見積もる可能性
持続感染診断も短い間隔(6か月以下)で行われ、不確実性が大きい
👉 まとめると、臨床試験は設計上の制約と代替エンドポイントの使用により、HPVワクチンの真の子宮頸がん予防効果を直接証明していない、また有効性は過大評価されている可能性がある
一口に「ロックが好きで」「え!そうなんですか!自分も好きです!」と意気投合(?)しても結局同年代とは盛り上がらんことが多い
寂しいから、はてなのおっさんたちならわかってくれると信じて好きなアーティスト書いてくで
適当に聴いてて体系的な知識がないからお前このアーティスト聴くならこっちも聴けや!ってのがあれば知りたいやで〜
たくさん書いたしと思って見出しつけたらクッソAIっぽくなって笑うしかないな
やっぱり「雨上がりの夜空に」が好きやなあ
「WISKY,R&R AND WOMEN」が特にええ
王道やけど「さぁ」が好きや
「賽の河原」が好きや
「Balloon Balloon」が好きや
「Another One Bite The Dust」が好きや
「アントマン」が好きや、「新境区」とかも好きやけど
「Banquet.」が好きや
ここもtiktokで知ったで
「MENPHIS」がtiktokで流れてきて最近ずっと聴いとる
ほんまにかっこええわ
活動再開ほんまに嬉しいで〜
「劣り」が気に入っとる
でも「Booby Trup」も捨てがたいわ
「星を願う」が好きなんやがサブスクにあらへんのが悲しいで…(ヨエコの不安のお山もやが)
「WHOOO」も好きや
いい曲はたくさんあるけどやっぱり「水流のロック」やな…と思うわ
https://x.com/Sputnik_India/status/1900565307799797943
Sputnik India
@Sputnik_India
「ドラマクイーン」トルドーはすでに頭痛の種だったが、カナダの新首相マイク・カーニーはもっとひどいかもしれない。
このスレッドは彼がグローバルディープステートの手先であることを示唆している:🧵👇
Sputnik India
@Sputnik_India
🤔🇨🇦 CANADA FALLS INTO GLOBALIST HANDS?
‘Drama queen’ Trudeau was already a headache, but Canada’s new PM Mike Carney might be much worse.
Queen had her own mobile phone - but had one strict rule all royals HAD to follow | Royal | News | Express.co.uk
https://www.express.co.uk/news/royal/1701864/queen-mobile-phone-new-book-one-rule-royals
Commentator Jonathan Sacerdoti told Royally US that the Queen “apparently has a mobile phone which is said to be a Samsung packed with anti-hacker encryption by MI6 so nobody can hack into her phone.”
ジョジョに出てくるスタンド名は主にバンド名や曲名から取られている。
英語版吹き替えでは問題があるようで、例えばスティッキー・フィンガーズはジッパーマンという名前に変更されている。
その曲やバンドのファンが検索でスタンドを見つけ、調べている内にジョジョを好きになる、といった具合だ。
これは特にYouTubeの登場、そしてそのSNSとしての側面が強化されたことにより、より効果の高いものとなっている。
例えばジョジョリオンの主人公のスタンド名の元ネタであるPrinceのSoft and Wetの動画を見てみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=Aq7ddhSGOSE
コメント欄を見るとジョジョ関連のものしかなく、気持ち悪くすらある。
これは極端な例だが、例えばQueenのKiller Queenのような超人気曲のコメント欄でも似たような事が起きている。
作品のファンというのは一度ハマるとむさぼるように関連コンテンツを消費する。
以上、300円。払ってください。
日本語バージョンがある。Stingが日本語で歌っているのがなんか面白い。あとレゲエ感が増している気がする。
ハワイな曲。
なんで「ちょっと待ってください」を選んだんだろう。
サウスパークの曲。
それでも時折、怒りを覚える。
なんでこの作品が受賞するんだよとか、百万部売れた有名な芥川賞作品は特定の障害をモチーフにしているようだが、作者は当事者じゃないっぽいし、こいつは「文化の盗用」ってやつじゃないのかとか、演技の下手な俳優が障害者を演じるとミンストレルショーみたいで馬鹿にしているようにしか見えないから個人的には当事者に演じてほしいが、キャンセルするのは表現の規制につながるし他人の自由は奪いたくない、だがクリエイターの良識に任せるのも信頼できないとか、そういえば文学賞を取ったあの作品に障害ネタを使われちまったなとか、女性視点男性視点とかそういうのには飽きたとか、まあいろいろと矛盾した感情を抱え込んでいて我ながら面倒くさい(関係ないけれど、イーロン・マスクは優れた才能を持っているのに好きになれないのは、きちんとした診断を受けていないのに自閉症だと公言しているからだ。彼の欠点が自閉症の持ち主全員に共通しているって思われたらどーすんだ)。とはいえ、他人に非難がましいことを言うのはあまり美しくはない(性癖について語っておいて今更美しいも何もあったもんではないが!)。
創作意欲がほぼ消えて以来、落ち着いた暮らしをしているのだが、それでもなお、時折作家になりたいと空想している(「何かを書きたい」ではないことに注意! カズオ・イシグロは、おのずと書いてしまう人が結果的に作家になってしまうという趣旨のことを書いている。まったくその通りだ。自分も心が折れる前は何もせずとも一日原稿用紙五枚書いていた。今となっては何も行動せずに空想しているに過ぎない)。
そして、書くことが思いつかず、こんな感想を書き散らしている。僕は中島敦「山月記」のように半ば虎になっている(他人の小説を批判ばかりしているくせに、今でも有隣堂や紀伊国屋書店で自分の書いた小説が平積みになっていることを空想することがある!)。
これだけ時間と愛情をかけても評価されなかったことで、文学そのものを嫌いになってしまいそうなほどだった。それに、文学という梯子でたどり着いた境地の先に行くには、一度梯子を捨てて距離を置かなければいけないのではないか?
自分が正気を保つためには創作や乱読が必要だったが、依存先を変えるときが来ているのではあるまいか? 感情や本能を爆発させる場所が変わったのか?(おそらく毎日日記を原稿用紙五枚分書いているのも、正気を保つ手段の一つな気がする)
それとも、これらすべてはただの思い出話、酔っぱらったおっさんが過去の栄光をいつまでも忘れられずに管を巻いているだけか。昔は甲子園に行ったけれども今は野球とは離れた人生を送っている、しかし酒を飲むといつまでもその話をやめないみたいな。とある文学賞の最終選考に複数回残ったという実績はあっても、たとえば最後の十人に選ばれたということでしかなく、受賞のためにはそこからさらに十分の一で選ばれねばならないのだ。
小説に関する愛憎をここまで書いてしまっては、自分が将来創作するのに役立てるであろう豊かな土壌を売り飛ばしてしまうことになり、小説という野菜が作れなくなるのではないかって気がしないでもないのだが(この比喩については私生活をそのままネタにすることへの批判を扱った沙村広明「シスタージェネレーター」所収「制服は脱げない」参照)、自分が愛しているジャンルは小説くらいで、それ以外のものがないとデビューも難しかろう。小説家は、物語を書かずにはいられない人間が、おのずとなってしまうものだが、小説について書く小説家の想いに共感できる読者は、まれな存在だ。小説以外に熱く語れるものが作家には必要だ。スポーツ、恋愛、仕事、サイエンス、なんでもいい。
じゃあ自分の障害について書いたっていいわけだが、そうやって毎日己の姿を見つめ続けて幸福になるかは疑わしい。モテない苦しみをはじめ、疎外感をネタにして創作をしていたころ、果たして幸福だっただろうか? 自分の負の感情を言語化し、現実的に対処するのには役立ったが、小説にするよりも、素直に現実を直視し、言語化していくほうが手間もかからない。それに、自分の気持ちを綴っただけでは文学にならない。自分の感情の垂れ流しの更に先に行かねばなるまい。
これだけ書き綴ってもなお、自分が抱えている欠落は何だろう。久しぶりにこれだけの長文を書きなぐって、何かが成仏してしまったような気もするが、一時的な緩解に過ぎないってこともありうる。ああ、ダメな人間がダメなまま存在することが許される話が読みたい。愚かさを包み込んでほしい。
これだけ「もう小説なんて読めない」とぼやき、「他人の人生について読んで何になるのだ!」と叫びながら、またいつか発作的に文学を読みたくなるに違いない。よくよく考えれば半年前に新人作家のを含めて小説をちょっとは読んでいたので、読める周期と読めない周期があるってだけかもわからない。
ここまで書いてきて思うのは、くやしいことにまだ文学に対する愛が残っているってことだ。憎んでいる対象に対して、ここまで語れるだろうか? 二十代や三十代のように文学にハマることはできないかもしれないが、またいずれ読めるようになるかもしれない。こうして、何が好きで何が嫌いかが言語化されたのはまちがいなく小説のおかげだし、自分の感受性を形作っているのは間違いなく乱読の結果だ。時々忘れてしまうけれども、これだけ語れるものがあるってことは間違いなく財産だってことはわかっている(映画はさほど見ていないことが若干のコンプレックスではあるものの!)。そしてそれゆえに出会ったサークルの友人もいるのは、間違いなく恵まれている。正規の文学教育を受けず、正当な読解の仕方がわかっていないが、友人を得られただけでも幸福だ。それがわかってきて、だんだんひがみも十年以上かけて薄れていった。
それに、まだ読んでいない「ハツカネズミと人間」をはじめとした名作だってある。ディケンズさえろくに読んでいない。フォークナーもほとんど読んじゃいない。これ以上体力が落ちる前に熱量のある物語に齧りついてやるべきだろうか。いや、再読すればいい。「百年の孤独」をはじめとして、楽しかったけれど細部を忘れてしまった作品が多い。これ以上新しい物語を読まなくても、再読の楽しみがある。
あるいは友人からのオススメを読んだっていい。フォークナーを勧めてくれた友人が教えてくれた阿部昭「大いなる日、司令の休暇」はマジでよかった。おかげで手が出ていなかった野坂昭如「火垂るの墓」が読めた。
(一方、ろくに本を読まずに芥川賞を取ったとうそぶいている作家もいるっちゃいるのだが、名前を忘れてしまった。こういう人を思い出すとプリプリしてしまうので忘れよう。芥川賞は通過点に過ぎない。受賞してから、継続して書けるかどうかが問題である。その点では、数年後にまだ書いている芥川賞作家のを読んでいけばいい気もする)
SFだってやっぱり好きだ。QUEEN「’39」を聞くと感傷的になるもの。理系で研究者になれなかった僕が、日本人の理系の青少年が夢をかなえるSF小説を読むのが、時々ひどく辛くなることはあるけれどね。
そして、嫌な面ばかり見て愚痴をこぼしながら暮らしていると、目の前の幸福を見過ごしてしまうことだろう。嫌なことはすべて過去のこととしてしまえばいい。忘れたほうがいい。そう、重い感情はすべてここに置いて行ってしまおう。すべてのひがみにさよならだ。楽しければそれでいい。ここに、十代から引きずってきた感傷マゾを捨て去ることを決意する。三十代、四十代の鑑賞態度を身につけよう。
今望むのは、他の増田にも池澤夏樹世界文学全集の感想を書いてもらうってことだ。全部じゃなくていい。好きな作品を一つだけでいい。いや、なんでもいいので愛する作品の感想文を読みたい。文学に対して持っている愛を、そして含まれていれば憎しみも、読みたいのである。世間がどう叩こうとも、時代が移り変わろうとも、自分の愛する作品は常に最高である。過去の作家は生まれた時代の偏った思想と社会という制約の中で最高の作品を著し、現代の作家はそれを批判的にしかし愛を込めて継承し、それ以上の高みを目指して己の作品を書く。たとえ古典には弁護できない箇所があったとしても、己のすべてを賭けて高みを表現しようとした黄金の精神は必ずや受け継がれる。作者を非難するのは下策、愛を込めた批判を含んだ評論を書くのは中策、それを超える次世代の作品を書き上げるのが上策である。加点法で評価しろ、好きな物で自分を語れ。言いたいのはそれだけだ。