はてなキーワード: ソリストとは
といっても、首席卒業クラスの上澄みレベルをdisるつもりはない。
あくまでアマチュアの自分が教室の先生とか、最近だったら主に配信とかでお目にかかれる、いうなれば「量産型」卒業生のお話。
自分が習っている先生は3人目(社会人向けレッスン)だけど、幼少から高校まで習ってた1人目と2人目は藝大卒の人。
これが原体験にあって、かつ藝大卒を自称する配信者の演奏を見た感じ、ホントにこの学校出身の人って、根本が驚くほど似通っているというか、弾き方に共通点がある。
とにかく
この弾き方のメリットは、普通の人から見たらわかりやすく上手に見えて、すごい!という評価をもらえることだろう。
そして大抵の場合はそれでいいじゃん、いやそれが大事じゃんになると思う。
だから自分がこれから書くデメリットは、正直かなり逆張りな自覚はある。
ということで、上掲の弾き方の問題点を挙げると
もちろん上に書いた弾き方を出発点にして、表現の繊細さを極めるのは不可能じゃないと思うし、それを実現できている人もいるにはいる。
でも、何をどう聴かせたいのか?という根本部分を置き去りにして、最初からやたらと正確さと音の大きさだけを是とする価値観を主軸にするのは、表現として不自然過ぎるでしょっていう。
何より表現を突き詰める過程で、このままでは伝えたいことが伝わらない→伝わるよう正確に弾こう、いや弾けなきゃ気が済まない!というのが本来の上達の流れなわけで、
そういう順序も踏まえずにいきなり正確に弾け!とか、習う方からしたらなぜそんなに厳しくツッコむのか理解できないので、苦痛でしかない。
結果、こういう超面倒な技術習得ありきのプロセスに過剰適応できた人しか生き残れないし、そういうタイプの人が、後から細やかな表現を磨くのは並大抵のことじゃないというのは、この学校出身の人の演奏の多くが、
音程だけはやたら正確だけど、それ以外はインパクトだけの大味な表現だったり、細やかさを実現していてもどこかわざとらしい(≒不自然さが抜けてない)音になっていることで証明されていると感じてしまう。
ちなみに自分はそういう価値観に嫌気が差したことや、何より身体に対する負担が大きすぎてこのままでは先がないと判断したことで、より古典的な弾き方に回帰し、音大受験レベルの曲をさらいつつ楽しくやっている。
即ち
その結果、今は自分の弾き方に近い音を出してる人が多い、桐朋出身のヴァイオリン奏者をいいなーと思うようになった(習ってる先生は桐朋出身じゃありません、念の為)。
なお桐朋出身のソリストで、サイトウ・キネン・オーケストラのコンミスも務めた故・潮田益子氏は生前
正しさで殴りつけてくる麗奈にめっちゃムカついてたので、(滝にフラれるとかして)コイツ1回ボコボコに心折られねーかなと思ってたら、自らの手で久美子をソリ落ちさせて死ぬほど凹むという、まさにそんな展開が飛んできたので麗奈を赦す気になれたの良かった(結論)。
色んな意味で話題になったシリーズ第3期12話で久美子と滝は以下の会話をかわす。
滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは、皆に平等ですから」
滝「黄前さんは、どんな大人になりたいですか」
久「私は…。私も、そんな人になりたいです」
以下、アニメ『響け! ユーフォニアム』シリーズの感想を、物語が提示した“正しさ”に沿って述べる。
正しさを他人に押し付けるとき、そこには暴力性が宿る。久美子と麗奈はむしろそれを行使してきた側で、実力が上だからという理由で3年生の中世古香織をソリから追い落としたことや、家庭の事情で全国大会前に引退しようとしていた田中あすかを強引に引っ張り出したことは、まさにその典型だ。その時、久美子たちはまだ1年生で、責任を負わない立場だから好き勝手やって良かったし、正しさで相手をねじ伏せることは快感を伴うので、作劇上それらはむしろ肯定的に扱われていた。ゆえに正しさの中に潜む暴力性はこれまで適切に隠蔽されていたのだが、3期になってブーメランとして返ってきたことで、その問題点が一気に噴出した。そして久美子と麗奈では反応が違った。
久美子は下級生を指導する過程で黄前相談所という二つ名を得るほど面倒見が良く、そして部長になったこともあって精神的に成熟し、融和的なスタンスを取るようになった。一方の麗奈はなんら変わることなく正しさの信奉者であった。ふたりとも「北宇治は実力至上主義」というイズムを共有していたし、強豪校からの転校生である黒江真由が「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と何度も何度も何度も本当にしつこく何度言ってきても久美子は「上手い人が吹くべき」というスタンスを一度も崩さなかった。
ただ、全国大会金賞を目指すべくオーディションを大会ごとにしたことで緊張がずっと続いたことや、大幅に変わった編成への疑問、そして精神的支柱である久美子が本当にソリから陥落するに至って部の混乱はピークに達する。これに関しては仲の良い者の間でも意見が別れており、たとえば強豪校出身の川島緑輝が「実力は同じなのだし、それだったら部が落ち着く方が」と久美子を支持する一方で、高校から吹奏楽を始めた加藤葉月は「それだとオーディションが成り立たない」という意見だった。葉月は本当に素人からスタートしており、3年生になってようやく大会メンバーに選ばれた。しかしだからオーディションを肯定しているわけではなく、落ちていたとしてもおそらく同じことを言っただろう。彼女の言葉は真っ直ぐで、積み重ねてきた努力に支えられていることは明白だった。一方の緑輝も、強豪校でやってきた経験から、おそらくは部の空気が合奏に与える影響を理解しており、だから部がまとまることを重視していたのだと思われる。つまりどちらも「正しい」。しかしそうやって意見が分かれ、「正しさ」が衝突しあう只中で、久美子と麗奈は袂を分かつ。
久美子は、部の混乱を収めるには顧問の滝が編成の変更やオーディション結果に対する意図を説明することでみんなが納得することだとしてその道を模索するが、しかし麗奈は「そこに疑問を抱くと全てが崩れる。指導者の方針に従うのは大前提」と否定、さらにはソリ落ちした直後の久美子に「自分の努力不足を棚に上げて思い通りにならないってそんな言い訳か文句が大半」という正論を浴びせ、「部長失格」の烙印を押す。
このシーンに対する感想を言わせてもらえれば、「安全地帯から正論ぶってんじゃねえよ麗奈ァアッッッ!」である。心底ムカついたね。
高坂麗奈はサラブレッドなトランペッターである。父がプロの奏者で、家に防音スタジオを作れる程度には裕福で、幼い頃から音楽指導も受けてきた。彼女は学生離れした実力者で、当然のように大会メンバーはおろかソリストに選ばれる。環境だけが彼女をそうしたとはもちろん言わない。それに見合うだけの努力をしてきたのだろう。だから彼女が「自分の努力不足を棚に上げて指導者に楯突くなんて!」と言うのは“正しい”。目標を全国大会金賞に設定したのは部員たちだし、それに向けて合奏を作り上げるという意味で滝の指導力に疑う余地はないのだから、従うのは当然。麗奈が言うことは常に“正しい”。そして久美子も視聴者も、その麗奈の“正しさ”に一度は与したはずである。“正しさ”でもって中世古香織を追い落とし、田中あすかを大会に引きずり出し、劇的に描かれたそれらのシーンに感動してきたのだから。そこに潜む暴力性に気づこうともせず。だからいざその暴力性が自らに向けられたとき慌てふためくのは滑稽な話である。しかし感情は偽れない。“正しさ”で殴りつけてくる麗奈はやっぱりムカつくのだ。そのムカつくという感情がベースにあることは認めつつ、その上で言いたい。正しさは万能薬じゃない、と。
麗奈の正しさは(構造的に)滝の影響を強く受けている。北宇治吹奏楽部顧問の滝昇は若手ながら実力のある音楽指導者で、部員たちに「全国を目指す」か「楽しく過ごす部にする」かを選ばせた人物である。生徒の自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、自分たちで選んだからには妥協を許さないという暴力性がそこにはある。確かに滝の指導力は本物で、北宇治はメキメキと実力をつけ、就任1年目にして全国大会に進出するほどの成長を見せた。しかし実力が上がれば目標が上がる。目標が上がれば部員たちにより負荷が掛かる。そうして発生したのが関西大会直前に発生した部の混乱であり、滝にはそれを鎮める力もその気もなかった。それは合宿中のやり取りに現れている。
滝「楽しむ、と書いて音楽、ですね」
橋「本当に分かってる?」
滝「(虚を突かれたような顔をした後)分かっていますよ」
場面としては関西大会直前の合宿で、部のピリピリした空気を感じ取った橋本(滝の音大時代からの友人で、北宇治の外部指導者)がジョークで和ませた後、軽く訓示しようとした時のことである。橋本に言わせれば、音を楽しむことが音楽だと本当に分かっていれば、こんな空気を放置しておくはずがない、といったところだろう。滝の、合奏を作り上げるという意味での実力は確かなのだろうが、その指導力が及ぶのは正しさが通用するところまでであり、それで解決できない問題にぶち当たったときは無力である。そして滝自身に解決する気がない。ただの外部指導者に過ぎない橋本が一瞬にして感じ取った「ピリピリした空気」を滝はただの一度も解消しようとしなかったのだから。滝には解決する能力がなく、その気もない。滝に無理なのだから、ミニ滝にすぎない麗奈にはもっと無理である。
そんな部のピリピリした空気を解消したのは久美子だった。思っていることを素直に打ち明け、解決したのだった。
「1年生も3年生も同じ土俵で競ってひとつの目標に向かえる北宇治が好き」 「その北宇治で全国金を取りたい。でも届かなかった」 「何かを変える必要があって、だから大会ごとのオーディション形式にした」 「間違っていたとは思わないけど、でも戸惑わせたことも事実。すみませんでした」と部長として謝ったあと、「納得できない人もいると思う。でも私は北宇治で全国金を取りたい」そう訴えた。「1年間みんなを見ていて思いました。こんなに練習してるのに上手くならないはずない。こんなに真剣に向き合ってるのに響かないはずない。北宇治なら出来る。私たちなら出来るはず」と。
この久美子の真剣な訴えが部員たちの心に響き、部は急速にひとつにまとまった。
さて、久美子は部長失格だっただろうか。その答えは言うまでもなく明らかで、失格なのは正しさを押し付けることしかできない顧問とドラムメジャーであろう。
このあと、久美子と麗奈は仲直りをするのだが、ハッキリ言って納得できるものでは到底なかった。久美子はあっさりと赦していたが、一視聴者としては、「ああ、麗奈を赦すことは絶対にできないな」と思った。物語としては、このあと黒江からソリを奪還し、全国大会金賞を取って大団円を迎えるだろうが、それはそれとして高坂麗奈というキャラクタを心底嫌いになったことだけは動かせないだろう、という結論に至り、そしてそうなるはずであった。
のだが、物語は急展開を迎える。
ここからは原作改変としてすでに話題になっている、ユーフォニアムのソリ奏者を決める公開オーディションについて、私が受けた衝撃を述べる。ちなみに原作未読である。
久美子にとって憧れである田中あすかを思わせる銀のユーフォニアムを携えた強豪校からの転校生で、実力は高い。つまり久美子を脅かすポジションを与えられたキャラなのだろう、ということはすぐに分かった。実際その通りの役回りで、「(私のせいで大会に出られなくなる人がでるから)オーディション辞退しようか?」 「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と本当にしつこいぐらい繰り返し久美子に訊ねるうっとうしいキャラでもあった。それはさておき実力は本物で、いち早く警戒感を露わにした麗奈は、当初「久美子の方が上手い」と言っていたのに、途中から「久美子の方が好き」とトーンダウン。さらにソリの練習に久美子を付き合わせて「私は全国も久美子と吹くつもりでいるから」と激励している。しかし関西大会でソリの座から久美子は陥落する。その際、麗奈は「やっぱり…」という表情を見せるため、滝の求める音を出せるという点で、黒江は明らかに上だったと思われる。
ただこの段階でのソリ落ちは明らかにそういう流れであったし、物語的には全国大会でソリ奪還して金賞の方が盛り上がるため衝撃は全くなかった。物語がそのラインに乗ったことで、そうなることはもはや確定的に明らかだとさえ思った。
関西大会は滝の一存で決まったが、全国大会は甲乙つけがたいとの判断で、部員投票による公開オーディションをすることが決まった。2年前、当時1年生だった麗奈と3年の中世古が競い合ったアレのリフレインである。しかし当時と違ったのは、奏者を幔幕で隠し、音だけで判断してもらうということ。奏者は視聴者にも隠されており、これには第四の壁みを感じた。つまり視聴者であるあなたたちも、音だけで判断してくださいね、という制作者たちの声が聞こえたのである。
音楽的素養は0で、細かいことなんて何も分からないが、確かに2つの音は違った。
1番目の奏者は音が小さく、2番目の奏者は大きく聞こえた。自分が部員なら2番目に投票しようと思った。
投票シーンに移り、2番目の奏者には緑輝、塚本、奏の手が上がる。やはり2番目が久美子だったんだと確信した。同時に勝利も確信した。しかし同票であるという。
滝「奇数のはずですが…」
麗「私が、まだです」
ここで2年前のトランペットのソリオーディションの回想が入る。「裏切らない?」 「もしも裏切ったら、殺していい」のやつである。そして――
麗「……1番です」
え、ちょ、待って。2番が久美子やろ、1番????????????
滝「分かりました。では1番の方は、前へ」
黒江の脚が前に出て、麗奈の顔がくしゃりと歪む。久美子が目を伏せる。
マジかよなんだこれふざけんなよ。
客席からざわめきが広がり、部員たちの困惑した表情が映される。
また正しさの暴力かよ! 誰が得するんだよ、この展開!
困惑と怒りの感情でないまぜになったが、まっさきに動いた久美子の言葉に背筋が伸びた。
久「これが! 今の北宇治のベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです! これで全国へ行きましょう。そして、一致団結して! 必ず金を! 全国大会金賞を、取りましょう!」
3年間やってきたことがある意味で潰えた直後にこれを言える久美子は本当に立派だと思ったが、脱力した。訳が分からないと思った。
呆然としたまま画面を見続ける。
場面は進んで行き、久美子が麗奈を探している。しかし先に帰ったという。大吉山で待ってるというラインの画面が映され、登りきった先にいた麗奈は背中で泣いていた。
それを見た瞬間、(上からで申し訳ないが)「赦せる」と思った。麗奈は分かってて久美子に引導を渡したんだと理解し、麗奈に対する怒りが氷解した。
正しさは暴力性を孕む。しかしその正しさが自らに向かうときのみフェアネスになる。日本語に直すなら公正さだが、ここは敢えて“正々堂々”という言葉を使いたい。
麗奈は黒江を選んだんじゃない。久美子より音楽を取ったんでもない。久美子との約束を果たしたのだ。
2年前。中世古香織をソリから追い落としたとき、そうけしかけたのは久美子だった。麗奈は「裏切らない?」と聞き、「もしも裏切ったら、殺していい」と久美子は答えた。ここで彼女が言いたかったのは、「自分の音楽に正直であれ」ということだったろう。そういうセリフがあるわけじゃない。しかし含意は明らかなように思われる。迷いを振り切った麗奈は実力を発揮し、ソリの座につく。
麗奈はその時の同じように、正々堂々と、胸を張った。
たとえそれが自らの心臓に刃を突き立てるほど辛いことであっても。
久美子は音大に行かない。公式大会でソリを吹くチャンスは最後だろう。海外の音大に留学する麗奈からすれば、肩を並べて吹ける最後のチャンスでもある。
でもそれを分かった上で、どちらが久美子でどちらが黒江か分かった上で、久美子を切って捨て、そのかわりに約束を、果たしたのだ。
久美子は言った。「私は、それが何よりうれしい。それを誇らしいと思う自分に胸を張りたい」
もし仮に、麗奈が久美子との約束ではなく、久美子を選んでいたら。麗奈はもちろんのこと、久美子も胸を張れなかったはずだ。最後の全国大会で一緒にソリを吹けたかもしれない。高校時代のいい思い出として残せたかもしれない。しかしあのときかわした約束を裏切り、その時の自分たちを殺すことになる。だから“正しさ”に傷つくことが分かっていても、麗奈は己を曲げなかったし、久美子はそんな麗奈を誇りに思うと胸を張ったのだ。
原作改変で賛否両論の展開であるが、私にとってはアニメ『響け! ユーフォニアム』が描いてきた物語の結末として、これ以上のものはないし、これ以外のものもないように思われる。私は私の感想が正しいとは思っていない。久美子と麗奈がソリを務める全国大会が見たかったし、今もまだ見たい。久美子がソリを吹けないなんて嘘だろう、とまだ思っている。だから原作改変に怒っている人たちを否定する気には一切なれない。それもまたひとつのあり方だと思う。でもだからこそ、正々堂々と胸を張る道を選んだ久美子と麗奈を、いち視聴者として誇りに思う。
余談。滝は「どちらも充分ソリが務まると考えています」と言って部員投票に委ねたが、ある意味で嘘だろうと思う。というのは久美子と黒江の音に明確な違いがあったからだ。どちらが上か下は分からない。でも違いがあった。久美子の音は大きく、黒江は小さかった。麗奈が選んだ今なら分かる。久美子のユーフォニアムは主張が強かった、ということなのだろう。あくまでユーフォニアムは影だ。スポットライトがあたるべきはトランペットであって、黒江のユーフォニアムは影に徹することでペットを際立たせる演奏だった(黒江の楽譜には「支える!」という書き込みが何度も現れる)。合奏で求められるのは、つまり滝が求める音を出せたのは黒江だった。
ではなぜ滝はソリオーディションを開いたのか。責任を投げたとは思わない。頑張ってきた久美子にチャンスを上げたとも思わない。本人が述べているように、久美子が部員からの信頼篤き部長であるがゆえに、部がまとまるにはそれが最善と考えたのだろう。
「私は、今の北宇治を高められるところまで高めたと、自負しています」。つまり本当に、久美子と黒江で大きな差はないのだ。どちらで臨んでも、金に届きうる。そのために必要なのはむしろ部のまとまり。そういうことなんだろうと思う。
余談その2。12話の放送直後、シナリオライターが原作改変を主導したのは自分だと告白していた。
https://x.com/oitan125/status/1804807383018795391
賛否両論になるのは間違いなかったから、その責任を一手に引き受ける、とそういうことだろう。アニメの中で、麗奈がやったのと同じ立ち回りである。これが正しい結末だと、原作を改変してまでそれを押し付けた。しかし同時にそれに納得のいかない視聴者からボコボコにされることを引き受けた。正々堂々と、胸を張ったのだ。いち視聴者として、制作スタッフの決断とそれを支持した原作者を誇りに思いたい。
3年最後の大会で主人公がソリストに選ばれ全国に行く原作展開を、あえて視聴者受けしないであろう転校生に敗れる展開に改編しただけあって、とても出来の良い脚本だったと思う。
面白かったよ。
京都アニメーション「響け!ユーフォニアム3」の最終回直前で起こったことがあまりに衝撃的だったので、未視聴勢にもわかるように説明したい。
(そもそも大前提の話)吹奏楽部では夏に全国大会があり、部員が多い強豪校は舞台に乗るメンバーを選抜しなければならない。曲のソロパートがあれば、さらに選抜メンバーから一人だけが選ばれる。
6月23日放送の第12話「さいごのソリスト」で起こったこと。
卒業を控えた3年生の主人公がソロの座をかけて最後の公開オーディションに挑むも、今回からやってきた転校生に負けてしまい、大泣きして終了。
↓
(補足説明)
・アニメは2015年の1年生編から、原作小説は2013年からスタートしており、10年近くにわたって応援しているファンが存在している。
・原作小説では主人公が選ばれてハッピーエンドになっているらしく、アニメオリジナルの大胆な改変が行われた模様。
どうせ主人公が選ばれるんだろうと思っていたので、マジでびっくりした。例えるなら某エアリスなみの衝撃。これは伝説になるよ…。
自分の音をどう稼ぎに変えるかを専門的に教えてくれそうな学校って、ヴァイオリンとかのクラシック系の楽器向けにはなさそうなのが残念。
エレキやベース、ドラム、キーボードといったポピュラー系の楽器だと、完全プロ志向の専門学校はあるっぽいんだけど。
ちなみにクラシック音楽系専門学校の世界最高峰はジュリアードとかコンセルヴァトワールとか、ああいうのね。
「音大があるじゃないか」というけど、音大はあくまでUniversityであってCollegeではないので、そんな就職予備校まがいのことを求めるのは根本的にお門違い。
実際、ほぼ全ての有名どころの音大はソリスト志向で表現を高めることに特化していて、卒業した後でどう食うかは自分で考えろって立場でしょ。
同時に、卒業生全員がソリストで食えるわけじゃないというか、ほとんどがアンサンブルメンバーや指導者として食いつないでいる現状があると。
このギャップにより、音大は今も昔も数年に一度レベルの天才を除けば「入るまでも少なからず大変、でも出た後はもっと大変」とか「お金持ちのお嬢様の嫁入り道具にしかなってない」とか揶揄されるわけで。
もちろん同窓・同門のつながりで仕事を貰う、人脈という意味で有名な音大を出るメリットは計り知れないと思う。
でも逆に言えばそれくらいしか、音楽で食っていく目的で音大に行くメリットがなさそうなのがなんとも。
あとは芸大の別科か桐朋のソリストディプロマがあるくらいだけど、これはもうガチソリスト志向の中の、本当に上手い人じゃないと入れないので、それ以外の音楽のお仕事に対応しているとは言い難い。
まあ別に音大がUniversityであることを堅持して潰れようが知ったことではないけど、もう少しソリスト志向以外にも対応した、Collegeになるような学校があってもいいのでは?と思ってしまう。
伴奏ピアノとか、オケや室内楽とか、そういう他人との共同作業前提の団体競技はソロとは別の奥深い世界があるというか、それはそれできちんとした教育が必要なわけで。
もしそういう学校でソリストの才能を見出されたとしても、卒業後に音大に中途編入する仕組みがあれば、大きな問題にはならなさそうだし。
ここに書いた内容から察して俺におすすめの漫画を教えてほしい。
ジャンプ+も全部読んでるわけじゃないんでこれが抜けてるっていうのがあったら教えてくれ、あ、ファイアパンチは読んだぞ。
ヒーローと太ももが好きなやつには間違いなく刺さる、俺には刺さったね。
アクションシーンが分かりにくいっていう不満もあるんだけど、そこはアニメ見て補完せよってことなんだろう。
アニメ見るのは苦手なんだけどこれは太もものためにも見てみようと思ってる。
話が短い中でよくまとまっている、1本で完結する映画を見ているような感じ。
連載が途中で途切れてしまったので記憶の彼方にある人もいると思うんだけど全話通して読み返してほしい。
最近良く見るサキュバスものの中でもかなりギャグよりの漫画、真面目に読めば性癖についてもう少し強く考えることが出来るかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
サムネイルの絵にあまり魅力を感じていないので読んでいなかったのだけど、ふとした拍子に読んでみると気がついたらコイン払って一気読みしていた。
縦読み漫画が珍しいことはさることながら、画面内の配置(こういうの何ていうの?)などが素晴らしくてSFの難解な部分はさっぱり分からなくても漫画は分かるぜ!という気持ちで読める。
首を捩じ切るシーンがよくないんかね?
サムネイルの絵にあまり魅力を感じていないので読んでいなかったのだけど、ふとした拍子に読んでみると気がついたらコイン払って一気読みしていた。(その2)
DJ漫画では無い気がするし(そもそもDJ漫画とは?)料理漫画でもない、ギャグな気がするけど多分ギャグでもない。
正直、この漫画の魅力を言葉に出来ないのだが気がついたら一気読みしていたんだ。
俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
アニメは見ない人間なので初めての魔法少女もの体験だったんだけど魔法少女ものというジャンル、なかなかいいじゃないですか。
魔法少女ものに限らずカワイイ女の子がたくさん出てきてキャッキャウフフしてる作品が全般的に苦手なんだけど、きっと魔法少女というジャンルはそういう話じゃなかったんだね、
多分ミステリー、芸能界もアイドルもよくわからんけどこの漫画は面白いよ。
これもなんだけど俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
個人的には柳さんが好きです(一緒に働きたくはないけれど)。
内容も決して悪くないので少しでも気になったら単行本買ってくれー
通勤電車に揺られるあなた。紫煙を眺めて貴重な休憩時間を浪費するあなた。コロナ前から巣ごもり派のあなた。「少年ジャンプ+」はいかがでしょう。
「ハイパーインフレーション」の精子もとい製紙法お勉強回、最高でしたね。「ゲーミングお嬢様」のウマ娘回は腹がよじれて死ぬかと思いました!
ただ、悲しいかな、連載作品は時間やコインの閲覧制限があり、過去回をストレスなく好きな時に楽しむことはできません。
そこでオススメしたいのが読み切り作品群。ジャンプ+の読み切りがはてなブックマークを賑わせるようになって久しいですが、その数じつに900件以上!
お気に入りの読み切り作品は、原則、好きな時に何度でも無料で読み返せます。
(藤本タツキ先生の「ルックバック」やへじていと先生の作品群等、例外はありますが。。)
あまりに読み切り作品が多すぎて、はてブを盛り上げた作品もあれば、時流に乗らずただ通り過ぎていった作品もあります。
今日はせっかくですので、読み切り作品のほぼ全てを読んだ私が「この作品を語りたい」だけを基準にいくつか作品を紹介します。
※はてなブックマーク数は2021年12月30日12時現在。作品ごとにリンクを貼ったところ、SPAM扱いされたので解除しました。申し訳ない。
これぞ若さ。これぞジャズ。作中のセリフをもじった読者コメント「拗らせた中学生みたいなマンガの才能」に尽きます。
悩める主人公が、学生特有の沼のような人間関係に沈む一方でジャズとの出会いが並行して進み、ハレの舞台で全てを解放する。
主人公の表情の機微や光の当て方、仕草、小道具の一つ一つに張り巡らされた作者の意図は、練り込まれた展開と相まって唯一無二。
感情の流れや勢いを感じる演出力、もっといえば「説得力」が異様に高い。1点、画力は明確な弱点「ではありません」。
蛇足:最近、絵が「綺麗」ではない人の作品を見るにつけ、すぐに「画力をつけろ」「原作側に回れ」という人がいて、気になっています。実際、その方が向いているケースもあるとは思いますが、少なくともこの作品に関しては、明らかに絵柄も含めて漫画として完成しています。例えば施川ユウキ先生の「鬱ごはん」を真鍋昌平先生が描いたらどうなりますか。日本の自殺者数を増やして何が楽しいんですか。画力はリアリティの演出(説得力)であって、「鬱ごはん」で語られるような、日々の生活に潜む不安やアンニュイな微かな感情は、あの絵柄でソフトに描き出すことで、ほのかな共感を得られるのだと思います。商業(万人受け)を念頭に置かなければならない編集部が「画力」を望むなら、アニメ化するなり実写化するなり、別媒体での展開を考えればよかった。one先生の「モブサイコ100」はその好事例では。あと、エントリーページが3つに分かれているせいで、見事にはてなブックマークやらの登録先が分かれてしまっています。せっかくの名作なのに、編集部が下手。
はてなブックマーク数:522
世のすべての名作はジャンプ編集部に集う。そう思わされるのに十分なインパクトををもった作品でした。
激烈なバトルシーンや感情の爆発があるわけではない。ただ、ストーリーが緩やかに進み、迎えるべき結末を迎え、静かに、祈るように幕を下ろす。
主人公たちの考え方や感情が少しずつ入れ替わる様子の演出も見事。最後のカラーページとモノローグは、どこか心の隅を掴んで、いつまでも放してくれません。
蛇足:この手の作品は、これまで「アフタヌーン四季賞」に集まっていたような気がします。ジャンプ+のように毎日追加とまではいきませんが、定期的に良い作品を読むことができます。鏡ハルカ先生の「手指の鬼」や山素先生の「時間跳躍式完全無劣化転送装置」が私のオススメです。みんな読もうね!
はてなブックマーク数:21
レトロフューチャーなディストピアSF。あるいは家族愛を描いた、始まりの物語。
掲載日が2017年1月1日と5年前だったこともあって、覚えている方は少ないかもしれません。
書き込まれた背景や装置はもちろん、キャラクターの豊かな表情、特に作者の特徴が出る口元が私は好きです。
最後の終わり方がまたニクい。この家族に幸あれ。そう思わずにはいられません。
蛇足:作者である森屋シロさんはその後、「檻ノ中のソリスト」を連載されています。単行本?もちろん買いました!途中、2年間の休載を挟まれた際は続きがもとい作者の体調が気が気でありませんでした。無事に完結させてくださったことに感謝の念しかありません。休載といえば、山本章一先生の「堕天作戦」とさかめがね先生の「憂鬱くんとサキュバスさん」はいつまでも待っています。待っていますから・・・!
はてなブックマーク数:211
除霊を描いたホラー作品、ではなく主人公の成長を描いた王道バトル作品。第2話はどこですか・・・?
丁寧に積み重ねた主人公の生きづらさを一気に吹き飛ばすカタルシス。こんなに格好良い失禁シーンを見たことがない。
対化物のバトルものは昔からあるのに、ちょっとした設定やエピソードでこんなにユニークに仕上がるのかと純粋に驚きました。
あと、個人的に祓沢さんのキャラクターが好きです。デザインも性格も、不器用にバットを振り回す姿も。
蛇足:ホラー系作品といえば、マンガワン(裏サンデー)が豊作です。先に紹介したモブサイコ100はもちろん、田口 翔太郎先生の「裏バイト:逃亡禁止」や、えろき先生・コノシロしんこ先生の「うしろの正面カムイさん」など、オリジナリティあふれる佳作が次々に登場しています。他の媒体では泉朝樹先生の「見える子ちゃん」も好きです。あれ、私がホラー系作品が好きなだけ・・・?
はてなブックマーク数:248
拙者、ラブコメ大好き侍。義によって助太刀致す。ご都合主義? 切り捨て御免!
真面目で消極的な主人公と、表情豊かで快活なヒロインの掛け合いは、ニヤけずにはいられません。
ヒロインが主人公に近づいた目的をあれこれ想像させての見開き(p38)は、十分な説得力がありました。
ヒロインの魅力度やラブコメとしての完成度が群を抜いています。こういうのでいいんだよ。
蛇足:私が初めて心を動かされた読み切り作品は、2004年頃に妹が買った「りぼん」に掲載されていた、おおいま奏都先生の「恋してハニー」でした。快活な主人公が生むドタバタはもちろん、当時のりぼん作品では群を抜いて絵も話も上手かった。特に柔らかなスクリーントーンの使い方は感動ものでした。今でも十分に通用するクオリティだと思います。ちなみに私が初めて買った単行本は、当該作品が掲載された単行本「たたかえ!ハニー」でした。最近、そのことを思い出して電子書籍を購入しましたが、肝心要のスクリーントーンがスキャンで完全に潰れてしまっていました。ですのでみなさん、紙の単行本を買いましょう!
はてなブックマーク数:646
腐女子の怨念、ここに極まれり。隅から隅までギャグの息遣いを感じます。p38はみな同じ思いでしょう!
大石浩二先生の作品「トマトイプーのリコピン」に突如掲載された読み切り作品。存在自体がギャグであると同時に、単品での完成度が高い!
はてなブックマーク数:269
ハードボイルドかと思いきや、炸裂するシュール系ギャグがたまりません。コメディ、で良いんですよね・・・?
はてなブックマーク数:184
はてなブックマーク数:148
下ネタ系ファンタジーコメディ。魔法少女はどこの世界も受難続きですね・・・。
はてなブックマーク数:87
はてなブックマーク数:56
SFミステリー作品。随所に差し込まれた小粋なユーモアもたまりません。
はてなブックマーク数:682
誰がなんと言おうとSF作品。これほど的外れな編集部コメントも珍しい。最後の安堵感は、いろいろな作品に触れた大人でなければ味わえないものなのでしょう。
はてなブックマーク数:1
読者コメントにあるとおり「美少女に頼らないキャラ設定」が良い。続きが読みたくなる作品です。
はてなブックマーク数:2
ファンタジー設定はもちろん、どこか抜けたところのあるヒロインの造形や性格が素敵です。
はてなブックマーク数:6
不思議なお姉さんは時代を超えて愛されます。特徴的な絵柄も相まって、不思議な読後感のある作品です。
今日も朝から忙しいみたいなので私は各位深刻なほど確定申告のあとは売上とか入力して細かい経費を計上すれば完成なんだけど、
どうなることやらって感じよ。
まあそれはともかくとして、
忙しいと言うよりまとまった時間がないからじっくり腰を据えて書けないわね!っていいつつスタンディングデスクを使いたいなって思うんだけど、
あれって本当に腰にいいのかしら?
あのさ
お弁当は幕の内大好きだけど、
コンサートの幕の内的なやつあるじゃない演者が多くてリサイタルじゃないやつ。
有名な人が集まれば集まるほど、
良さがかき消されちゃうような気がして、
見て得したってお得感がないのよね!
そう言うんだったら堪能できるソロコンサートの方が楽しめるし
感動するんだけどなぁーって思う所存中の所存なの。
でねやっぱり各演者が先輩後輩だとか色々とややこしい背景があったりするから、
遠慮のえの字でも表明したいぐらい遠慮してるんじゃないか説があるのね。
こっちは見ていて不満のふを表明したいぐらいよ!
こないだなんかね、
女性ソリストのボーカルが4人集まったライブに行ってきたんだけど
まあ各人が各人の良さを見事に逆に打ち消し合ってなんだったのかしら?って思うぐらい、
ソリスト達のラインナップはとても素晴らしいお客さんも呼び込めるショービジネスとしてはとてもウマウマな公演だったんだけど、
内容はつまらなくて残念よ。
個性のある声同士がハモってもあんまりいい感じにはならないのかしら?って
まあ私のそういったカラッとした感想だからあまりあてにしなくてもいいんだけど、
いろいろ幕の内公演を見ているとそんな感じなのかしらね?
でもきっと素晴らしいそう言う相乗効果のあるシナジーな公演を見たことないだけかも知れないわね。
また私の知らない世界なのかも。
まだまだ私の幕の内公演の旅は続くわ!
でもね、
ソロライブに命燃やしていきたい感じだし
行きたいのは行きたいんだけど余裕があればねってところかしら。
お昼いただく幕の内弁当は色々なおかずが入っていて蓋を開けたらあんなにワクワクするのに、
本当に不思議よね。
幕の内公演には全くないもの。
そんな話をしていたら
もう出掛けると言うから、
支度して行くわね!
レッツラゴーよ。
うふふ。
朝摂るタンパク質は体温を温めてくれるから食べたら食べた方がいいわよと言う朝ご飯食べるか食べないか論争に私が付けた終止符よ。
まあ美味しいものが食べたいって訳なんだけど。
昨日マーケットに行けなくて買い物できなかったから果物買えなかったわーってときに便利なと言ってもいつもの
やってみたいそれなんてクックパッドって思うわ。
今度検索してみる。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
特に首都圏では多くのアマチュアオーケストラがあります。4月からの就職、進学、転勤等で活動の場が変わった人は新しい団体を探す人もいると思います。
また、楽器を習っていて始めてアマチュアオーケストラを始めたい、と思う人もいると思います。
知り合いに直接紹介してもらうという手も無いわけではありませんが、特別な理由(紹介してくれた人と活動したいなど)がなければ自分で探すことをお薦めします。
まれにHPがなかったり、更新が滞っているところもありますが。
こういう団体はHPのメンテナンスが出来ないほど人不足か、募集をしていない(内輪だけで活動したい) のだと思います。募集をしていないような団体であれば知り合いのつてがなければ入団は不可能でしょう。
アマオケの人不足は技術力不足と鶏と卵の関係にあります。人不足だけど技術力は高い団体があれば、それはもっと大きな闇を抱えているに違いありません。
例えば、指揮者が横暴であったり、一部の中心人物が牛耳っているなど。
さて本題の、自分にあった団体の見極めかたですが、まずはHPで過去の演奏会の履歴を調べます。これによりだいたいの団体の規模(人数)が分かります。大きく分けて2管編成なのか4管編成なのか。
次に曲の選び方として弦楽合奏があるかないか、協奏曲があるかないか、協奏曲のソリストは団内か否か。
どのような曲が多いか?ロシア系ばかりを取り上げている団体、北欧系ばかりを取り上げている団体などもあります。
年に何回の演奏会があるか?
練習回数はどれくらいか?半年程度の期間で20回程度の練習が組まれていると多い方で、少なければ4~5回という団体もあります。
演奏会を見に行きましょう。
観点は、エキストラの割合。プログラムのメンバーリストに記載されている場合があります。記載されていない場合は動態調査しかありませんが、慣れていないと難しいでしょう。
次に演奏の方向性。これは好みになります。演奏の雰囲気が気に入るかどうかです。
次に問い合わせをします。
まず募集があることを確認して、入団を検討しているという意思を表明し、質問します。
一回の演奏会あたりの費用。チケットノルマの有無。その他必要となる費用。
その他としては、団費といったり、合宿費であったり遠征費であったりします。
本来、これらをすべてひっくるめて演奏会費だとおもうのですがね。
一回の演奏会の費用が引っくるめで3万円を越えるとかなり高い方だとおもいます。安いところでは2万円以下です。
しかし、高いところは有名指揮者が来ていたり、高額なソリストを使っていたりするならばありえます。
ホールの使用料は似たり寄ったりです。東京ではサントリーホールが飛び抜けて高い以外は。
これが曖昧な答えしかこなかったり、先に見た演奏会と辻褄が合わなければ、怪しいです。
見学といっても弾かされることが多いです。こちらが団を選ぶように、団側もあなたを査定します。
これで(見学で)お断りされることは滅多にありません、オーディションでなく。私は一度経験がありますが。
見学に行った時期が次の演奏会の時期と比較して、完成度がどのようであるか?を見ると仕上げかたの方向性が見えます。このとき演奏会を見に行って完成度を確認してあることに意味が出てきます。しかし、ほとんどの団体が練習期間によらず、最後の2週間程度で一気に仕上げます。
地方におけるクソしょぼいコンサートであっても、わざわざ「ブラボー」と叫ぶ手合いがだいたい一人はいる。
最初の一人が叫んだのを皮切りに、後続がどんどん出てくるパターンにもしばしば遭遇する。
「こんなソリスト風情にブラボーとは片腹痛い。それはせめてbest everだと感じたパフォーマンスに対してするものではないのか?」
と思っていたが、ふと先日「あれは演者に対する賞賛の行為ではないのでは?」ということに気づいた。
つまり、クソしょぼいコンサートにおけるブラボーおじさんの叫びは自己顕示欲の自然な発露なのだ。
基本は「誰よりも早くブラボーと声を上げる俺のなんと趣を解していることか……」であり、
すなわち「客席でサイバーファイバー(とかなんとか)って大声で唱える俺マジでイケてる……パネぇ……」の同類である。
ほかの大多数がパフォーマンスを見に、聴きに、楽しみに来ている場所で、
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
.
演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
.
ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
.
■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
.
ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
.
なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
.
順番に見ていってみると。
.
先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
.
■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
.
さて本編。
.
■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
.
さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
.
あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
.
助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
.
そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
.
「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
.
えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
.
あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
.
そして、問題の↓
.
■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
.
はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
.
それでも、なんとか受容を試みてみる。
.
(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
.
この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
.
途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
.
うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
.
可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
.
ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
.
さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
.
■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
.
というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
.
例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
.
例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
.
でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
.
■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
.
■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
.
そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
.
ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
.
するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
.
というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
.
さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
.
■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
.
■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
.
あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
.
■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
.
■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
.
■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
.
■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
.
■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
.
■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
.
■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
.
■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
.
Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
.
Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
.
F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
.
(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
.
Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
.
Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
.
Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
.
メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
.
えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
.
こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
.
.
本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
.
.
でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
.
最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
.
ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
.
んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
.
まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
.
しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
.
また機会があれば。
、