はてなキーワード: ドラマ映画とは
でも金出して映画館に劇場版見に行くほどじゃねぇよな、という熱量のファンだ。
一番気に入らなかったことは1話30分のドラマを1時間40分くらい(ED含めて110分)の映画にする場合、
当然あるだろうと考えていた「作品としての一本の筋」がない。あるにはあるけどユルユルのガバガバ。
もちろん話としては元恋人の娘の金持ち爺に「いっちゃん汁(意味深)」という謎の汁物を死ぬ前に食べたいと言われ
主人公の松重豊がそれ(の材料)を探しに奔走する話が全編通して描かれるんだけど、これがガヴァガーイなの。
故郷である長崎県に行く→そこの郷土料理を聞く→その中でもより古い料理を聞く→ジジイの母が韓国で暮らしてたことがあったと聞く→これやな!→合ってました。えっ、それでいいんだ。
爺も金を尽くして探したけど見つからなかったって言ってたけど、故郷の古典郷土料理の出汁を韓国料理でよく使われる食材でアレンジした汁ってそんな見つからんか?ほんまにか?爺、もしかして詐欺師に金むしられてたんちゃうか?
重要な食材が島の店にしかない(元々その島にいた気がするんだが……)→その店が18時に閉店して次店が開くのが3日後→その島への今日のフェリーがもうない→海辺の貸しボート店から無断でボートを拝借し海に漕ぎ出す→嵐にあって転覆→遭難した島で貝とキノコの汁を作って食う→毒キノコで泡ふいて倒れる→島の住民に助けられる→そこは韓国でした。
狂人じゃん。しかもこの貝とキノコの汁はその後何にも活かされない。せめてこの汁がいっちゃん汁解決へのヒントになってるとかだったら「これは運命的にもこの経験をした松重豊にしか解決できない話だったな」ってなるし、凶行の必然性にもなるけど、それが一切ない。ただ、松重豊がクソイカレてましたってだけにしかなってない。
その後、様々な事情を持った人と触れ合ってそれぞれに食材や調理法のヒントを得て最終的にいっちゃん汁が再現できるという話にはなるのだが、この作品が一貫したテーマというものを持っていないため、全てのエピソードが散逸的で結果的に「いっちゃん汁を作るため」のものにしかなっていない。いっちゃん汁を作るのに松重豊がそこまで思い入れなければならない理由がないため、よりエピソードのつながりが弱くなっている。
表現の仕方が難しいんだが映画であれば「いっちゃん汁を作る」ってことが単に「いっちゃん汁を作る」ことを飛び越えて別のテーマに通じている、様な作りであってほしいという願望があったがそれが満たされなかった。「いっちゃん汁を作ること」に対する真摯さも特にないのでよりそう感じた。
なぜこの話を映画にしなければならなかったのかがよくわからない。そこが一番気に入らない。
そもそも孤独のグルメにそんなもん求めてないって意見はよくわかるし、
松重豊がいろんな場所でうまいもん食うってアイデンティティは保たれてるしそのシーンは実際にいい。
これが3話分割されたドラマであれば「ふーん」って感じにいつも通り楽しめたかもしれない。
でもさ、せっかく映画で見るんならたぶんコレじゃないんだよ。
ただテンポはめちゃくちゃよかったので110分間サクサク見られたのはよかった。
なんかテーマ性が欲しかったとは言ったが、とってつけたようなお説教がなかったのもよかった。
韓国編ではDV被害、東京編ではコロナ、インフレといった社会問題がさりげなく提示されていたが、
そういう部分は非常に孤独のグルメ的だと思ったし、誠意的な態度だと感じた。
『恋のドッグファイト』(こいのドッグファイト、英: Dogfight)は1991年のアメリカ合衆国のドラマ映画。 リヴァー・フェニックスが残した恋愛映画。戦争映画。共演リリ・テイラー
戦場シーンを最小限に抑え、戦後別人のように雰囲気の変わったエディのセリフはほとんどなく、最後のリヴァー・フェニックス(エディ)の表情だけで戦争がどういうものか伝えようとしている。
醜い女の子を競わせ踏みにじる。けれど本当に踏みにじられるとはどういうことなのか。取り返しがつかないとはどういうことなのか。
リヴァー・フェニックスの映画の中で最も過小評価されている作品といわれ一般の知名度が低い。当時、試写で若者に不評だったため全米では限定公開しかされず、日本でも劇場未公開作品。2024年4月、海外でBlu-rayになり[1]、「小さな宝石」といわれる特徴を持ち、無名の名作としてファンの間で評価が高い[2][3]。
2018年12月設立。映画・映像コンテンツの企画・制作・配給・宣伝、イベント企画運営、俳優・クリエイターのマネージメントなどを行う会社です。
「TEAMカミナリ」はこの株式会社カミナリが運営する映画制作チームと考えられます。
オンラインコミュニティ「KULMILA(くるみら)」も運営していました(現在は終了している可能性あり)。
増田有美です。アートサイトこれやんを企画。YouTubeチャンネル「くるみらTV」 をプロデュース。
株式会社カミナリの代表取締役社長であり、TEAMカミナリの中心人物です。
記事で言及されているモキュメンタリー映画**『Already Over』では監督・プロデューサー**を務めています。
その他、株式会社カミナリが制作した作品で監督やプロデューサーを務めています。
短編ドラマ映画『コロナになりました。』(2022年):監督・プロデューサー
短編映画『シェアハウス33クラブ』(2022年):プロデューサー
映画『Floating Holidays』(2024年):プロデューサー
彼女の具体的なフィルモグラフィーや、カミナリ設立以前の詳細な経歴、園子音監督との個人的な出会いの経緯などについては、公表されている情報からは詳細には明らかになっていません。
TEAMカミナリ(及び増田有美監督)と園子音監督の関係は、単なる知人という以上に、制作活動において協力的な、あるいは園監督をリスペクトする関係であったことがうかがえます。
TEAMカミナリの第一作とされる『シェアハウス33クラブ』(2022年)は、
プレスリリースに「映画監督の園子温氏の協力のもと」制作されたと記されています。設立初期から園監督の何らかのサポートを受けていた可能性があります。
園監督の性加害疑惑が報じられた後も、TEAMカミナリが制作した複数の作品で、エンドクレジットに「スペシャルサンクス:園子温」と記載されています。
『コロナになりました。』(2022年9月公開時プレスリリース)
『Floating Holidays』(2024年2月公開)
『コロナになりました。』のプレスリリースでは「スペシャルサンクス:くるみらサポーター/園子温」とも記されており、園監督がTEAMカミナリの運営するオンラインコミュニティ「KULMILA」のサポーターであった可能性が示唆されます。これが事実であれば、単発の協力関係以上に、チームの活動を応援する立場にあったと考えられます。
『Already Over』は、まさに園監督の性加害疑惑をテーマにした作品です。これを制作したこと自体が、園監督への強い関心、あるいは何らかの意図(擁護、問題提起など)を持っていることの表れと言えます。
記事や公表情報からは、彼らが園監督を強く支持する具体的な理由(個人的な恩義、思想的共鳴、ビジネス上の深いパートナーシップの詳細など)は明確に語られていません。
園子音監督は国内外で評価される個性的な映画監督であり、その才能や作品、あるいはインディペンデントな制作スタイルに強い敬意を抱いている可能性があります。
『シェアハウス33クラブ』での協力や、「KULMILA」サポーターとしての関与など、過去に受けたサポートに対する感謝の念が強いのかもしれません。
『Already Over』の予告編の内容(「あれもダメこれもダメ、どれもデタラメ」という挿入歌、「どこまでが本当?」というテロップなど)からは、疑惑報道に対して懐疑的であるか、あるいは園監督を擁護したいという意志が感じられると記事は指摘しています。彼らなりに「真実」を追求したい、あるいは別の側面を提示したいという考えがあるのかもしれません。
ただし、これらはあくまで状況からの推測であり、本人たちが公に理由を語っているわけではありません。
TEAMカミナリの現在の態度は、記事の指摘通り、園子音監督を擁護し、疑惑を矮小化あるいは疑問視していると解釈できる行動を一貫して取っていると言えます。
予告編の表現は、園監督の疑惑を軽視し、フィクションを用いて現実の問題を否定しているかのような印象を与えると批判されています。
タイトル『Already Over』(もう終わった)も、問題が解決しておらず被害者が声を上げている中で不誠実であると指摘されています。
これらの表現は、被害者感情を無視し、二次加害にあたる可能性が懸念されています。
疑惑報道後も、最新作に至るまで園監督の名前をクレジットに掲載し続けていることは、彼らの園監督への支持が変わらないことを示しています。
『Already Over』の予告編公開後、内容に対する批判が上がっていますが、
TEAMカミナリ側からこれらの批判に対する公式な説明や釈明、あるいは被害者への配慮を示すような声明は、現時点では確認されていません
結論として、TEAMカミナリ(代表:増田有美監督)は、園子音監督と設立初期から協力関係にあり、
疑惑報道後も一貫して園監督を支持する姿勢を作品制作やクレジット表記を通じて示しています。
園監督の疑惑を題材にした作品では、疑惑を軽視するかのような表現が見られ、この態度が被害者への二次加害であると批判されています。
モデルになった事件の被害者は、自分たちだけが美女を独占して性奴隷にしたいマスゴミ権力者によって「美女は性格悪い、ブスは性格いい」と思い込まされて、あんなブスに騙されて殺されたアホどもだが、本書では、日本で行われている、そうした女の場合だけ美女蔑視し、男の場合は、コンビニ人間みたいにブサイクだけ叩くという現実を捻じ曲げ、逆にし、ここにもいるような増長しきった屑フェミ女どもを喜ばせているだけ。こういう時だけ、平気で被害者叩きが受け入れられる。よくもまあ、女の被害者の時だけ、人権だとか建前でバッシングできるよな
日本の女優なんてのは、マイナス要素以外の何物でもなくなっている。日本の女優は、映画もドラマもほとんど出ず(出たらコケるから)、宣伝しなくても売れるようなロングセラー商品のCMばっかやっているのは、そういう事情がある。なおハリウッドはもっと酷くて、フェミがもっと女優を出せと喚いているくらいだ。日本のフェミ腐女子が女優なんて出すな、イケメン俳優以外女性差別!と喚いているのと対照的である。
大人になっても映画館に行くような男はバカしかいないが、女の場合、高学歴ほど、そういうものを見て、増長して糞フェミ化していく。高学歴な女がモテないのは、そういう性格のせいであって、男が高学歴を嫌がるからではない。結局のところ、美女でも、男に攻撃的で糞フェミなら持ち上げられるので、テレビを見ていると、美人でも、というか、テレビを見てる層だと、美人ほど露悪的な糞フェミ化していく。余裕のあるブスは偽善的で自己中な糞フェミ化していて、表面的には優しそうにふるまいながら、平気で男を騙して殺す。
女受けを狙ったようなブスメインの映画ドラマも全く受けない。男向けでそういうのが受けるのは、それくらいしか男にとって面白いものがないからで、チー牛女たちにとっては、もっと面白いイケメンドラマや映画が沢山ある。ごくたまに受けるのは、ひたすらイケメン俳優ばっか推しまくってる作品だけだ。結局、デブスを見に来るのではなく、イケメン俳優が見たいだけだから、デブスがメインだと分かるともう二度はない。SPY/スパイが小ヒットした後、ゴーストバスターズは大コケした。稲垣吾郎でブスの瞳を猛ステマしても、視聴率はダダ下がった
大体、日本の女優と言う奴は、そういう男叩き美女叩き嫉妬ブス媚びドラマ映画ばっかやってるから、男からは総すかん、必死に媚びた女視聴者層というのは、嫉妬ブスばっかだから、当然女優がメインの映画もドラマも大嫌い、ということで、商品価値が殆どなくなっている。ということで、映画もドラマも、スター男優がメインになり、女優は居なければいないほどヒットする。男も、女がメインの映画ドラマなんて糞ばっかであることを学習しており、頭が良ければ映画もドラマも見なくなり、鈍感なバカでも女メインの映画ドラマを避けている
それと、もう一つ重要なことがある。それは、マスコミと仲の良い女も信用しないという事だ。特に、顔が良いのにそういうプロパガンダに協力している女なんて言うのは、大体整形の元チー牛女だ。
女の場合だけ、”チー牛”ほどクズ、美女ほど性格が良い、という常識だけ身に着ければ、こんなモンスター女の被害者にはならない。マスゴミのイケメンアイドルが、ヤクザ顔負けの脅迫を性奴隷ファンに行っていることからも、男の場合は、勝ちグミっぽく見える奴ほど屑いのだが。まあ、日本は極度に恋愛市場が偏っているから、モテる男は増長しまくって、妊婦の腹を蹴るぐらい平気でできる状況なのだ
海外でも人気とか宣伝されてるけど、本当に人気なら、なぜ代理店の強い一部の先進国だけでしか翻訳されてないんだろう? 村上春樹は、代理店なんてあってないような第三国でも大人気である。
anond:20210304122852 の後日談になる。
ここに挙げた映画の半分くらいはなんと、Amazon Primeが2024.04.30現在見放題作品にしている。
具体的には、
がAmazon Primeの見放題タイトルで見られる状態になっている。
いつまでこれがタイトルに入っているかはわからないので(実際、トッツィーズ & フェイクスターはその後日本のNETFLIXラインナップから外れた)、このGW後半にはぜひとも見てほしい。
ついでに、The Con Heartist以降のgdh映画についても短評しておこう。ついてるのは予告編URL
ゴースト・ラボ 禁断の実験 //youtu.be/RN9G-g5PhJE
ホラー映画。インターン医師たちが霊の存在、そして幽霊との会話が可能なことを証明するために、とんでもないことを思いつき、実行してしまう。NETFLIX(JP)で見られる。思いつきは怖いが内容は怖くない。お勧めではない。
モキュメンタリーホラー映画。泰韓合作。タイ東北部の巫女インタビューを通じて、彼女の周囲にある霊的に非常識な状態が明らかになっていく。日本でも公開した。NETFLIX(JP)で見られる。比較的グロい。お勧めではない。
プアン/友達と呼ばせて //youtu.be/CcZkHdfus_A
ドラマ映画。かつて友人だった白血病患者の別れの旅に付き合った結果、彼が自分の元カノの去就にも関わっていたことが明らかになる。日本でも公開した。WKWプロデュース。Amazon Prime(JP)で見られる。 おすすめ。
スピード&ラブ //youtu.be/pg_Ij-3YySM
コメディ映画。カップスタッキングに生活をかける男と彼のサポートに青春をかけてしまった女性のゴタゴタを描く。韓国映画のパロディとか第4の壁描写とかが面白いが、それだけ。NETFLIX(JP)で見られる。お勧めではない。
運命のふたり 劇場版 //youtu.be/ShD0CvB9kWM
同名のドラマ第1弾(NETFLIX(JP)でかつて公開されていたが公開終了済)とドラマ第2弾との間をつなぐストーリーで、日本でいうと江戸末期ごろのタイ、バンコクに転生とタイムスリップが交錯する。この時代近辺に興味がある人には同時代の実在の人物とか出てくるのでおすすめ。逆に言うとほとんどの人にはお勧めではない。NETFLIX(JP)で見られる。
オー・マイ・ガール なんで今なの!? //youtu.be/VKk6UvyysU8
ラブコメ映画。たぶん性格は合うのだがタイミングが絶妙に合わない2人のラブストーリー。2020年代のバンコク周辺の若者事情覗き見としては見どころがあるが、あまりスカッとしない。NETFLIX(JP)で見られる。まあまあ。
You & Me & Me //youtu.be/s7H5JV9wfdQ
青春恋愛映画。替え玉を駆使しまくる双子女子の片割れを好きになってしまった男子とその双子が自分たちの家族的愛情との間で葛藤する。監督自身が双子女子という面でたぶん実体験がいくつも入っていると思われる。日本未公開。1999年代の風俗が懐かしい。おすすめ。
Home for Rent //youtu.be/db8puvbOhQw
ホラー映画。実話に基づく映画で、引っ越した後の家を他人に貸したら、その家で怖い儀式が行われるようになるというあらすじ。おそらく「邪厄の家」という邦題でそのうちNETFLIX(JP)でみられる。未見。
青春映画。推薦入学を狙って死んだ友達の遺作をネタに短編映画を作ろうとする高校生を中心に「友情とはなにか、親友とはなにか」を考えさせる作品。大阪アジアン映画祭で公開。日本で一般公開するべき。おすすめ。
ポジティブシンキング! 行動は変えれないけど気持ちは変えれるから
バタフライエフェクト的なすぐには行動は変えれない
てかやはり不幸幸福ってのはバカにしてたけどうつ病になるから重要
ご主人 フラグを踏み その沼にはまっていく はまっていったら抜け出せない
布団パタパタ それはやるんだ ご主人
どうせ死ぬし じゃあ失敗の人生ってあるのかって言われるとない
質問の仕方によって答えが変わってくる
まあアレルギーないほうがいいよねとりあえず そういう人生のほがいいよね
いい思いをしたいか べつになくてもいいか って質問だと べつになくてもいいってなる
だけど どちらも選べるならどっちがいいかみたいな聞き方だとそりゃいい思いしたい
カビ カビ うおあああおおああ
なんで生きてるのかとか考えなくなった
いや、私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかなっていう感じですね。
はい、人それぞれやり方は違うので。
ねねこさん。原作者さん気の毒です。脚本家さんも気の毒です。 脚本は原作を変えるように言われることも多いですよね。ね、伴さん多いですよね 恋愛要請入れてくれとか。
結構注文がつくことは多いですし、役者さんが決まってから変えてくれみたいなこともあったりしますよね。
意外と多いのが役者さんからの要望っていうのもあったりするのかな。
ロックさん。素人からするとアニメは比較的原作に忠実で、実写は原作から離れるイメージがありますね。
やっぱり肉体を持った役者さんが演じるってなった時に、変えざるを得ないことが多いんですよね。
伴
昨日もちょっと話しましたけど、アニメって原作、シナリオを作らないでまんま原作を映像化するみたいなケースもよくあると聞いたんですが、どうなんですか?
そういうケース。
原作が一番大変なのってことですね。
ですよね。だからもう映像化も想定したところで全部作られてる、作られるケースってのはこれから多分アニメーションが増えてくるのかもしれないですね。
宮崎駿も脚本も描かないといきなり絵コンテから入っちゃうみたいですからね。
この問題、いろいろ脚本化、オリジナル描きたいですっていうことは強く言いつつ、やっぱり。
伴
原作、売れてるもの、売れてる原作しかやらないっていうふうに決まってるらしいんですよ。
だからそうなると、こっちはオリジナルで描きたい、それこそ人のふんどしで相撲をとりたくない方じゃないですか、どちらかというと。
でも、その道も閉ざされてるんですよ、一方で。
はい。本当その通りです。
うーん。ね、せめて配信だったらオリジナルやれるだろうって脚本家たちも思っていたんですけどね。
その道もちょっと閉ざされつつあって。
伴
でも、あるテレビ枠は、ある曲の、あるテレビ枠は、もう、なんで原作モノやんなきゃいけないの?みたいな。
まあ、予算が少ないこともあって、オリジナルで作っていきましょうみたいなところもあることはあるんですけどね。
伴
まあ、自由にできるじゃないですか。
原作料を払わなくても、それができる。
いや、だから、やっぱりこう、テレビもだいぶ予算がね、減っているみたいな話も聞きますし、予算が減ると、かける時間も減ってしまう。
いや、悪循環ですね。
伴
そうそうそう
ちょっとまとめに入りたいと思うんですけれど、原作者さんが攻撃したかったわけじゃなくてごめんなさいってコメント残されてるのが本当に私切なくて
謝る必要なんか全然なくて、なぜかというと最初から条件として出していたその約束を
どういう経緯かわからないけど破られてしまったっていう、その経緯を説明しただけなんですよ
どうしてこういうことになったのか、それはやっぱり人として説明したいじゃないですか
ファンの方もいらっしゃるし、なんかいろんなところで誤解をするよりはってなって、それをしただけで全然
謝る必要なんかないし、誰が 責めるべきことでもないし
でも誰かを責めたい人は脚本家さんに向かってしまって、でも脚本家さんもやっぱり自分の言われた仕事をしただけなんですよ
だからそのあたりはやっぱり脚本家さんも責めてほしくないし、ただ状況が生んだなんかボタンの掛け違いで
こんなになんか世間が対立構造を作って攻撃するような状況を起こしてしまったことが私はとても悲しくて仕方がありません
はいすいませんこれが私の今回の皆さんにお願いしたいことです
本当にあの今回の件に限らず皆さん好き勝手言ってくださってもいいんですけれど でも 読んだ人は匿名のただの思いつきの発言でもやっぱり
脚本家として自分の作品が何か叩かれたりとかするのは皆さんが思っている10倍20倍実は傷ついているってことはわかっていただきたいなと
そう思っております
伴
じゃあちょっと最後にもう質問が来てるので コセキさんから、今回の問題は今後の脚本家の先生の仕事に影響を与えると思いますか?
という質問がきているんですけど
伴
どうなんですかね、脚本が勝手に変えたんだっていう風潮が広まるのは、よろしくないし、それで影響されることは出てくるかもしれないですよね
本当に原作通りやらないと、脚色は認められないようなことになってしまいますかね
でも原作通りにやるとなると、それこそ事務所側の要望も聞かない、TV局側の都合も言えないってなってほんとに純度高いものがつくれることってあるんですかね?
そういうふうにするしかないんでしょうけど
それが求められてる、世間の人が求めてることだよっていうふうに制作サイドが判断してしまうと そうなってしまうかも知れないですよね
ちょっとじゃあ私が本当に今回 もう胸が痛んだツイートを 最後に読んでご意見いただいてもいいでしょうか とある方が
このようにツイートされていました今回話題の原作をないがしろにしている脚本家って ミステリーというなかれですね
の脚本もなの?大人になってからドラマ映画って初期設定が多少違うだけで話の展開も 恋愛も人間関係もほぼ同じに見えてあまり見なくなった
もしかして全部原作の魅力をダメダメにしている脚本家のせい? 同じようなつまらない展開は10代のうちならまだ見飽きてないけど20代になったら
またこの展開か と ごめんなさいねまたこの展開かよって飽きてくるよね 水戸黄門とかのお決まりの展開を求めている人はそれ見てるだろうし原作の設定
だけコピペして人気フリーライドするのが脚本家の仕事なの? っていうツイートがあるんですけど
世間はこういうふうに見ている方がいるのかな
まあ結構多いでしょうねそういうふうに見てる方
ということです
ようは全部同じような設定に見えてきちゃうとこですか?
そうそうそれって結局原作の魅力を全部消している 脚本家のせいなんだね
そんな原作にフリーライドするのが脚本家の仕事なんだね だったらもう見ないよ
そういう意見がね 届いたり
脚本家のせいって言うよりもプロデューサーの意見が入らない脚本ってないじゃないですか
本来 制作体制とかその脚本を生み出す構造側にもっと大きな問題があるんじゃないのかなと思いますけどね
伴
ただ数日前にちょっと
CAさんとかそのお友達とかと会ったんですけど脚本家って言ってもどこまでやってる人かまだ知らないんですよ
そういう人たちってプロデューサーが何をやるかもわからない さらにわからない
わかりにくい仕事じゃないですか皆さん決めたりとかキャスティングとか全部やってるんだって言ってもなかなかヒントもないみたいなね
そうなんですよ だからね 結局でもそういう人たちの意見を取り入れすぎなのかもしれないんですよね
分からないんだから分からない人のに 分かってもらおうとかっていうんじゃなく
分からない人たちの意見みたいなものも今やっぱりね sns どれぐらいフォロワーがいるかとか
世間の認知度ってやっぱり sns 上で測ってしまう以上そこで声が上がったものが神様のように扱われてしまって
そこにこうみんながそっちめがけて動いていってしまっているから 状況変わらないかなぁ
伴
僕もこの件に関してポストしたのは 両方に同情しますって書いてあるのにそうやって擁護するんだってリアクションがあったりとかね
僕はそういうことをいろいろ説明するべきだと思うんですよ 脚本家の仕事はどういうことでプロデューサーはどういうことでみたいなことはね
でも最低限の知識を持ってほしいなと思うのと
そうですね
うん、そうですね。だから、やっぱり脚本家としてね、やっぱりこういう形できちんと脚本家ってどういうことをするのかっていうのは、
やっぱり少しでもね、わかっていただけるように、やっぱり脚本家も努力していかないといけないのかもしれないですよね。
伴
あと、昔の映画とかの広告を見ると、必ず脚本家と監督が同じポイント数で、表示されてるじゃないですか。
これもさきほどずっとやってることだけだと、もう、氏名表示っていうのはまあ作品についてくるんだけれども、
あの、ポスターとかでも脚本家の名前がなかったりとか、あるいはさっきおっしゃった鬼滅の刃みたいに、脚本家の名前が出なくて会社名になってるとか、
そういう、そこら辺の業界内でのその脚本家に対する扱いみたいな、あの、すごく軽くなってる感じはするんですね。
ここから、発信する側から変えていかないと、 なかなか伝わってこないところもあると思うんですよね。
そうですね。
もちろん、あのね、皆さんに見てもらって、初めて作品って、なんだろう、成立するってところがあるわけですから、
そういう方々の意見も大切なんですけれど、
あと、10ならえではなく、やっぱりこちらの方が一歩先に立ってリードするぐらいの作品をこれから作り出していけたらいいですよね。
伴
じゃあ、人のふんどしっていう意識はちょっとあるんじゃないですか。
オリジナルでやりたいっていうね。
はい。それはもう本当に、脚本家をオリジナルでやりたいと思ってますっていうことは、
そのためには本当にみんな勉強してる方もたくさんいますので、それだけは本当にわかっていただきたいのと。
みんな勉強そこから入りますからね、オリジナルでどう書くかっていうところから。
本当にそうです。
伴
あとほら、脚本家自身がこの小説を映画化したいとか、ドラマ化したいと思うこともあるじゃないですか。
そういう時は、直接本人に言います?
伴
それともプロデューサー?
ああ。
伴
なると思いますね。
だから、これをきっかけにして、原作物はやめようみたいな意識が、業界に働いて素晴らしい原作が見過ごされるのも悲しいじゃないですか。
うん。もちろんです。そこら辺ね、もう本当に極端に走るのはやめましょうよっていうのもありますよね。
まあね、決してその、脚本家だって頑張ってるんだから、そんな原作改編とかそんなこと言わないでよっていう気持ちも分かりつつ、
その、ね、その実際に、その、僕が、じゃあ逆の立場になった時に、
好きな原作のドラマを見てみて、うわ、なんでこんな風にしてんだってことだって、往々にしてあるし。
だから、その、なんですか、別にすごい脚本家の方持ってとは言わないですけど。
ね、でも、ね、なんかちょっと、どういう、その、色々書いちゃってるのは脚本家だけじゃないよっていうのはちょっと、知っといていただければっていう気がします。
ということで、今回は急遽本当に、伴さん、ありがとうございました。
伴
えー、すいません。何か、まともな話が出来たことが。
あ、いえいえ、いえいえ、やっぱり、はい。
じゃあ、脚本家も頑張りますということですし、本当にね、もう今回のことを教訓に、私たちも丁寧な仕事をしていくことを求めたいなと思いました。
出典:
芦原妃名子さん自◯事件について日本シナリオ作家協会の削除された密談動画の全文文字起こし公開
AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。
こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家の名前を貸している以上、ちょっと脚本家の立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから、はい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたします
よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNSに投稿されるんですよね。
それを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイート、アカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家のドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っております。はい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、
はい。
いかがですか。
いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。
うんうん。
そうなんですか。
そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。
ええ、ええ
そのとき、もう、いや、だから、別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから、脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか
はい。
監督が勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組の方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマ、バリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。
つまり、トラブルがなくすのが、プロデューサーの仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者の意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者会記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙な作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者の要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家が原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。
伴さん、経験上、ご自身、勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」って言って通るってどれぐらいの確率であります?
いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則を歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当の上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作のエピソードも使ってないんですよね。
なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後のスタジオ収録の日、最終回のスタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとドキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。
エースの悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルームに手書きの漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。
なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。
原則通りにやれっていうことですか。ママ会会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。
監督後から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光の場合はもう現場のありもすごい面白い監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。
うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作は原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツの場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい。
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。
もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断でよろしくですそうです。はい。3社になってますねこれ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。
患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はい、はい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作で企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。
はいはいはい。ドスパラ部木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそのドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。
ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから、絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。
なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそう丸山を正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。
何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通の契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。
脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しましたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。
なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章でメールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代はちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。
うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビかOKしてくれたと思うんですよ。手続きの場合は、もう本当にあの台本隅から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。
そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。
全くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
うん。だけど、やっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。
本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。
だから不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身で脚本を書かれていますが、前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。
うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初の約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分のストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本は脚本家で最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効な要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。
まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃したかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランだから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。
なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
いい点
放射線吐き出す時の背中が機械ぽく伸びるのが個人的にカッコよく思っちゃった
戦闘機が、逆Vで渋い
悪い点
ゴジラが人を噛んでポイするとき、人体が分断しないよう甘噛みしとる。優しいんかい。
山崎貴の演出か、めちゃくちゃ演技が臭い。佐々木蔵之介とかマヨネーズぶっかけとるくらい臭い。まともな演技できる俳優さんなのに。
吉岡、こいつは臭い演技しかどんなドラマ映画でもできんから、まぁ山崎監督が好きなんだろなぁと。くっせぇ。
「生きなきゃいかんのです」って言っといて、電車の中でぼちぼち遠い距離でゴジラ見かけて椅子に座ったまま「あれが、、ゴジラ」じゃねーよ、さっさと電車から降りろっての。車両齧られるまでなにやってたんや。しかも、接近されても逃げないという。その後の宙吊り浜辺美波見たいだけだろ、山﨑よ。
その後神木登場は臭過ぎる。
吉岡がゴジラの沈める作戦伝えるとき、「ダメージ」という言葉つかう。1948年?とかでダメージって学者が言葉使うのか?
吉岡よ、「官の太平洋戦争とはちゃうで!民間のは生きる為の作戦や!」
言うといてゴジラ沈めた後、途中で浮かび上がらず、ゴジラ止まってたら圧力の急変そんな効いてないから、今から上げたところで、対応策無いくせになんで漁船もろともあげようとしてんねん。漁船死ぬやろ。吉岡。お前、神木の特攻知っとるやろ。脚本がクソ。一人で作る脚本はマジで爪が甘くなる。
人々の話し方とか、価値観が2023年の人の演じる戦後って感じ。
シナリオがご都合主義過ぎる。山崎って感じ。ドラ泣きしよう、とか三丁目の夕日みたいに、感動押し付けてくる。ウザい。嫌い。
あと思い出したら書いてく。
前に増田書いたのよ。どれかは一応なんとなく伏せとくけどね。
その中で、自分の主張をわりとはっきり書いてるのに、ブクマのコメントとかトラックバックとか、ぜんっぜん読んでねえな????って人かなりいるのね。ちょっとビビった。
例えばの話、むずいな、
わたしが彼氏がほしい!けど彼氏の作り方わかんない!気になる人はいる!けどどうやって好きになってもらえるのかわかんない!みたいな増田書くとするでしょ。
そしたらさ、「好きにさせる?何言ってんだお前。お前が好きになれよ。順番逆なんだよ。」みたいなこと書かれるの。
これが全然わかんない。
え、「気になる人」を「好きな人」にレベル上げしないとわたしのことは好きになってもらっちゃダメなの?そういうもんなの?
気になる人って何かあと一押しあったら好きになると思うんだけど、それが例えば「自分のことを好き」とかも一押しに入ると思う。
別に惚れたら負けとかいう考え方じゃなくて、自分のことを好きになってもらう=自分に興味持ってもらうってことに近いと思うから、それも「あと一押し」の一つだとわたしは思う。
だから、どうやったら好きになってもらえるかなーって書いてた。
まあわたしは文章力ないし、表現も拙いし、そんなもん読み取れなかったんだと思う。そりゃそうだろ、こっち素人だし。
けどさ、まずおめー誰だよ増田は匿名だけど馴れ馴れしいんだよ何だお前呼びしやがっててめーの友達でも何でもねえのに上からコメントしてんじゃねえとかもね、思っちゃうわけ。
多分これを思う時点で増田とかブログとか、何かしら発信するの向いてない気はするよ。
あと「何かにつけて蛙化現象とか叫ぶバカ女って感じ」って書いた奴ゆるさねーからなどっかで会ったらネチネチ嫌味言ってやる
他にも、友達の前でどうやってふるまうのがいいのかわからない、気を使ってしまう、自分は他の友達のマネとかドラマ映画漫画で見たようなことしかできない、結局それって本音で話してないし、本音を見せて深い付き合いにはなれない、でもわたしは自分のこと楽しいとか面白いって思わないから、より仲良くなれるかわからない、みたいなこともね、書いたことあるの。
そしたらね、またさあ、「自分を偽るのやめれば?」って書かれるの!
だからよお、それができたら苦労しねえって話だろ???おめー何読んだん?????
自分を偽ってて、それがあんまよくないなって思ってっからそれ書いたんだろ?????そこは読めねえの????
偽ってるけど、それがよくないのわかってる、けど偽らなかったら自分はつまんねーと思ってっから偽らざるを得ねーって話なんだわ、わかるか?????
んで極めつけに別のコメントがさ、「自分をごちゃごちゃ卑下するから表面を取り繕うとかいう話になるんだよ。自分のことを自分が愛せないと誰が相手でも深い付き合いなんて無理」だったわけ。
まあな、前半はたしかにそうかもしれんわ。ごちゃごちゃ自分を卑下してるもんな。
ただな、
いや書いたのはわたしだけどおめー誰だよ何様だよカウンセラーでもやってんのかよ!!!
ワンチャンカウンセラーやってたとしたらおめー勝手な診断つけないでくださいって口コミ書かれっぞ!もっとちゃんと話聞いてからにしろ!!!!
別にちゃんと読んでねえなと思うのは増田に限った話ではないし、SNSの類ならどれでも見かける光景だと思う。
そもそも「優しい意見だけを届けましょう」「ひどいことは言わないでおきましょう」なんてルールはないし、吐き捨てるために書く人や、それを見て思ったことを吐き捨てるように書く人もまたいるだろう。
けど向いてないのに気づけたことは、上記のうるせ~~って気持ちを吐き捨てたからだし、そこは良かったと思う。
多分どうせまた書くと思うよ
・知ったかぶる
→最近はPCR検査について結構適当に話してた。誤ってる部分だけやんわり指摘したら、納得はしてくれた。ドラマ映画の話でも知ったかぶることがあって(見てないのに見たと言う)話が食い違ってしまう。以前からこういうことが何度かあって、モヤっとする。
→友人の部署に新しく来た先輩?上司?が使えないから、めちゃ詰めて違う部署に飛ばしたらしい。罪悪感ないの?とかモラハラじゃね?とか思ってモヤった。
・容姿いじり
→共通の友人(女性)に容姿いじりをする。その子も嫌がってそうだったし、やんわり止めつつ他にいた奴の話題に誘導したけど、それでも何回かいじっててモヤった。
→仕事の関係上、ほぼ自分専用みたいになっている部下や派遣(女性)の方が何人かいるらしい。「自分専用に女の部下・派遣を囲ってる」という発言にモヤった。
少なくとも地の文のうち周りの風景とか視覚的な状況を言ってるところは当たり前だが映像化できるだろ。だって作者の頭の中にある映像が言語化されたものを再翻訳するだけなんだから。
心情を地の文で語らせてる部分は大抵ドラマ映画ならナレーターに語らせてるところだよな。
え、それは音声だから映像化されてるって言わないって?でも少なくとも会話文については「映像化」の程度は同レベルなんじゃないかなあ。
登場人物に会話文を言わせるのは映像化の範疇として納得しててナレーターが言うのは納得できないというのはどういうことなのかなあ。
映像化困難とかうたい文句として訊くことあるけど、あれはまさにその小説のプレミア感を増させて購買意欲をあげるための単なるキャッチコピーにすぎないのかなあと。
個人的にはドラマ映画で当たってるのは草彅剛が解散後一番活躍というか、評価されてるかなって感じがする
オカマ役した映画とかはジャニーズにいたらもらえなさそうな役だったし、一番退社して良かったんじゃないかな
2位は木村拓哉かな
まぁ、唯一無二のキムタクとして色んなドラマやゲームで皆が求めるキムタクを演じて変わらず活躍してると思うが、なんだろう、解散騒動前と後で特に変化が無いというか、唯一キムタクだけ見てるとあれ?SMAPって解散したんだっけ?ってなる
3位、4位は香取、稲垣なんだけどどちらがこの2人は活躍してるというより、ビリが決まっててこの2人は上と下の間って感じでまぁたまにCMとかドラマで見るなって感じ
まぁ中居の司会のスタイルがとても平成感があるというか、古いから仕事が減っていくのは残当(平成ワード)って感じなんだけど
なんかヒロミとか他の平成感があった人たちみたいにDIYとかキャンプとか一点突破でYouTuberやって話題作りながらテレビも出るって感じで戦っていかないと令和には残れなさそう感が漂っている