はてなキーワード: 吉岡とは
東京の電車内やオフィスで、目的も結論もない雑談が延々と続く光景を見かけると、関西出身者は「オチがない」「何が言いたいのか分からない」とイライラすることが少なくありません。しかし、この一見無意味に思えるコミュニケーションの背景には、東京ならではの社会的・言語的な文化が息づいています。
まず、東京人の会話は「ネガティブ・ポライトネス志向」に強く支配されています。言語学者・吉岡泰夫の研究によれば、首都圏では相手のネガティブ・フェイス(自己領域の維持)を尊重するために、過度に踏み込まず、相手に結論や反応を強制しない「礼儀正しい間」の取り方が重視されるのです。その結果、話し手も聞き手も相手の領域を侵さないように配慮するあまり、会話の終着点をはっきり示さないまま話題を継続する傾向が生まれます。
一方、大阪などでは「ポジティブ・ポライトネス志向」が強く、相手との一体感を重視して積極的にツッコミや乗っかりを行い、共に話題を膨らませる「ボケ・ツッコミ」のキャッチボールが会話の基本です。相手が何を伝えたいのか常に確認し、協調的に結論まで導くことで、お互いが納得感を得るのです。これに対し、東京では「話題を膨らませる」よりも「話す自由」を重んじ、聞き手はあえて質問や反応を控え、話題の主導権を完全に話し手に委ねる文化があります。
さらに、東京は人々が多様なバックグラウンドで混在し、日常的に見知らぬ他者と雑多な接触を繰り返す匿名都市です。この環境下では、会話が「情報交換」ではなく「存在の可視化」や「関係維持」の手段として機能します。結論を共有しなくても「あなたの存在を認識しました」というメッセージが伝われば、それで十分なのです。したがって、オチのない話が続いても、不快よりもむしろ「つながっている感覚」を得るひとつの方法なのです。
結果として、東京人は結論やオチを求めず、相手との距離感を保ちながら延々と話し続けることができるのです。これを「無駄」だと切り捨てるのではなく、ネガティブ・ポライトネスと都市的匿名性が作り出す、東京ならではのコミュニケーション様式だと理解すれば、むしろその静かな空気感こそが、都会での調和の鍵であると気づかされます。
ネットニュースが伝える きみの武勇伝(相対性理論「たまたまニュータウン」)
1 暇空
2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判で最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴は3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。
思い出されるのは、2024年2月16日、アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイトは脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日はTBSが暇空の書類送検をスクープとして報道した日でもあり、犯人はアニメイトに書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果を意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBSの報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人の範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月に刊行予定だったアビゲイル・シュライアー「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラルが脅迫も辞さないことは事実である。
ただ、雁琳訴訟の原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決が最高裁で維持されたことにも触れず、カンパを募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことはリベラルの意思によるものではないと思われる。
暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないからである。西葛西出版の社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象をあんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇な現象なのだ》。一年前というと、2023年の5月である。2023年の3月3日には住民監査請求の再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題は住民訴訟に舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかけであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King's College London)の学生であると自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画を毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。
中村慎太郎は2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブ、バカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限の推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語」である。好き嫌い.comに、7月28日頃から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門にアルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係が悪化し、9月7日を最後に更新していない。
暇空は2024年12月頃から、真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親が真如苑の信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せを意味しませんでした。」)が、真如苑は特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日、神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明の遺体が発見されたが、この遺体が堀口だというのである。しかし、堀口は2025年3月19日にテレビのインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害 関係ない人物の名前が悪用 悪用された本人に取材「ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴しやすくなってしまったのかもしれない。
以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態がリアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。
暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルはSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現を撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダルを暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである。
山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである。裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士の訴訟を担当した吉岡大地裁判長って、名古屋地裁時代に労働者側の請求を棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部の価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁のスタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部の価値観が最高裁にまで及んでいるのである。
2 雁琳
2021年はキャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾が東京オリンピックの開会式の音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月頃であるが、2022年はキャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである。
雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターはネット上からは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページからは不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセルが成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレター勢からもなかったことにされてしまったのであろう。
雁琳は「正論」2021年6月号に「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初である。オープンレターが出たのが4月4日であり、「正論」6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。
雁琳は2022年に複数の雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況」2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象と本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況」2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である。本来なら「正論」「WiLL」「HANADA」といった右翼系雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。
「情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクトが存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称は共産主義者同盟(再建準備委員会)である)(有坂賢吾「新左翼・過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼の雑誌としてスタートしたことは確かである。しかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラルな立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネットの闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。
2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌がリベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌でしかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さらに編集者のようである。絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティとマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義的政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼もマルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。
森脇透青は、《たとえば千田有紀の立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さらに小谷野敦や笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉を留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義の理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集の執筆者たちには「構築主義の理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義の理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実、小谷野は、《私はバトラーを批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダンとトランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義の理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義の系譜学」を書いているくらいであるが、「学問の危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、 Permalink | 記事への反応(0) | 09:34
前作で国家権力の闇を暴いた吉岡エリカは、東都新聞社会部のエース記者として活躍していた。しかし、新たな疑惑が浮上し、彼女は再び巨大な権力と対峙することになる。
今回の舞台は、政界を揺るがす汚職事件。吉岡は、事件の真相を突き止めるために奔走するが、背後には想像を絶する陰謀が渦巻いていた。
事件の鍵を握るのは、政界の大物と繋がりのある実業家。吉岡は、彼に近づくために様々な手段を講じるが、その過程で危険な罠に嵌まっていく。
一方、吉岡の前に新たな協力者が現れる。それは、過去の事件で彼女と対立したことのある官僚だった。彼は、良心の呵責に耐えかねて、吉岡に真実を打ち明けようとする。
吉岡は、協力者と共に事件の核心に迫っていくが、その行く手には様々な障害が立ちはだかる。権力者からの圧力、メディアからのバッシング、そして、命を狙われる危険。
それでも吉岡は、真実を追求する。彼女の信念は、権力の壁を打ち破ることができるのか?
吉岡の前に、新たな協力者が現れる。
前作のキャストが再集結するのか、新たなキャストが加わるのかも注目される。
逮捕されたのは、さいたま市の不動産会社社員、吉岡欧樹容疑者(58)です。
警視庁によりますと、今月5日、埼玉県八潮市のホテルで、女子高校生に対してわいせつな行為をした疑いが持たれています。
今月上旬、被害に遭った生徒が都内の警察署に「SNSで知り合った男から俺はヤクザだ。風俗で一生働くか、殺されて山に埋められるか、100万円を一括で払うか選べと脅された。同意していないのに、わいせつな行為をされた」などと相談に訪れ、その後の捜査で吉岡容疑者が浮上したということです。
調べに対し容疑者は「わいせつな行為はしていません」などと容疑を否認しているということです。
生徒は裸の写真を撮影されたとも話しているということで、警視庁は容疑者のスマートフォンを解析するなどして詳しく調べています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250129/k10014706841000.html
川瀬はる 漫画家
花森はな 漫画家
こまい 漫画家
おおでゆかこ 作家
吉美駿一郎 作家
六多いくみ 作家
もりまゆみ 作家
鳥さんの瞼 作家
夢咲咲子 作家
大島 郁葉 千葉大学 子どものこころの発達教育研究センター 教授
春ねむり シンガーソングライター
Ellie シンガー
かわにしようじ ミュージシャン
KAWANA Hisako ミュージシャン
雅博 ミュージシャン
KOTFE アーティスト
岩澤侑生子 女優
梅村綾子 女優
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change.orgの「大阪高裁の“医大生による性的暴行”逆転無罪に対する反対意思を表明します。」の署名について
「署名しました」「賛同しました」とツイッターに書きこんだ人って他に誰かいる?
ただし全部挙げたらキリがないので以下の条件に当てはまるアカウントに限る
・ただ「判決が許せない」とか「署名お願いします」とか書き込んだだけのアカウントは除外(署名したとは言ってないので)
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(全体像についての補足)
この署名の震源は「立憲共産れいわ支持者」「女性の創作系コミュニティ+女性オタク」「フェミニスト」「夜職・整形界隈」の4つで、これらは普段から緩く連帯している。
(たとえば直近でも、各コミュニティが『おまねこ』の件で男性嫌悪ツイートを発信している。)
そのため、
・立憲共産れいわ支持者は「大阪高裁!?やはり維新の強い大阪は犯罪者の街!」と言い、
・女性オタクたちは反AI論争と同様に「法律とかよく分からないけど、法律より私たちの意見のほうが大事」と言い、
・フェミニストは「男の裁判官が男の性犯罪者を逆転無罪にした。これは男性特権だ」と言い、
・夜職・整形界隈は「裁判長はAVの見過ぎ。やはり男性向けAVは犯罪の温床だから禁止しなければならない」と言う。
(各コミュニティ同士の親和性は高く、お互いのロジックを貸し借りしあっているので、4つのコミュニティが4つの主張をしていると言った方が適切かもしれない。)
さらに今回はこの周囲に「上記コミュニティとは無関係の善意の署名者たち」が多数加わっている構図。
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(追記)
・某東大教授たちは「このオンライン署名に賛同をお願いします!」としか書いていないのでリストから除外しています。
・togetterのURLありがとうございます。反映しました。
「大人が怒鳴ってばかり」 学童体験会で衝撃…子どもも違和感抱く“野球独特の指導”
https://news.yahoo.co.jp/articles/d702a1189b2c4f9240cca45e12969cafb97aee42
「野球界独特の指導法についてどう思っていますか?」。野球経験者であれば、少しドキッとする言葉で始まる「JSBB指導者啓発動画」をご存じだろうか。全日本軟式野球連盟が、少年野球界に根強い“押し付け指導”を見直してもらおうと、ジュニア育成における他競技の取り組みとして、ラグビーチームの指導現場を紹介したものだ。同連盟の公式サイトで公開後、学童野球関係者から多くの反響が寄せられ、その内容が注目を集めている。
同連盟がこの動画を制作したきっかけは、事務局長を務める吉岡大輔さんが、野球に興味を持った小学生の息子とその友人と共に学童野球チームの体験会に行った際、「どうして大人が怒鳴ってばかりいるの?」と子どもたちに質問されたことに始まる。
「私自身、幼い頃から野球をしてきたので、その場の違和感はありませんでした。そのチームの指導者も本当に怒っているわけではなく、声掛け程度にとらえていましたから。しかし、“野球独特の指導法”に慣れていない子たちにとっては、大きな衝撃だったようです」
大学生の頃、俺は合宿所の洗濯機で女子の下着漁りをしたことがある。
当時の俺は童貞で、性欲の全盛期だった。
普段は出会いなどなく、女の子の手すら握ったことのない正真正銘のチェリー・ボーイだった。
はじめに説明しておくと、その合宿所には洗濯機が一つしかなく、洗濯は一人ずつ行うことになっていた。
洗濯の際には洗濯機の前に掛かっている「使用可/使用中」という札をひっくり返す。
洗濯機には鍵がかかっているわけもなく、近くに人がいなければ誰でも中身を見ることができた。
これは女子の下着を見るまたとないチャンスだと思い、俺は誰もいない時間を見計らって洗濯機の前まで来ていた。
既に洗濯は終わっていたが、まだ「洗濯中」という札が掛かっている。
もちろん、誰が洗濯しているのかは分からないから、男のものが入っている可能性もあった。
しかし俺は、運のいいことにある女子が洗濯機を使用するところを目撃していた。
周囲を入念に見回して安全を確認すると、強烈な背徳感を覚えながら俺はそっと洗濯機に手を伸ばした。
まるで絶対に開けてはならないパンドラの箱に触れるような感じがした。
……中を見る。
俺は確信した。
後戻りするなら今だ、と思った。
まだ誰にも見られていない。
すぐに蓋を閉めてその場から離れればまだ取り返しはつく。
見つかったら即アウト。
もう合宿どころではない。
人生終了だ。
こんな絶好のチャンスを逃すなどありえなかった。
俺みたいな童貞は、これを逃したら女子の下着などお目に掛かれないのだから。
周囲の物音ひとつすら聞き逃せない状況で、激しく高鳴る心臓の鼓動がやかましくて仕方がない。
もう一心不乱だった。
そして、それを掴み取る。
顔は、(美化すればではあるが)吉岡里穂似の、明るくハツラツとした、俺のようなザ・非モテ男にも気さくに接してくれる天使だった。
それだけではない。
服の上からでも分かる巨乳だったので、やはりブラも結構なサイズだった。
純白に光り輝くレースのブラのサラサラした手触りからは吉岡里穂の柔らかな感触が伝わってくるかのようだった。
まさに至福。
いつまでもこの時を堪能していたかったが、俺は理性の力で心を現実に引き戻した。
悠長にしている暇はない。
再び洗濯物の塊を漁った。
そして俺はとうとう辿り着いてしまった。
そんな神々しい物が今、俺の手の中にあるのだ。
めまいがした。
側頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
それはもう食いつくように、むさぼるように。
今すぐそそり立つ塔に巻きつけたかった。
しかし俺は再び理性を総動員し、これ以上の長居は危険だと判断した。
そして誰にも見られていないことを確認して洗濯機をあとにした。
もちろんそのあと俺が何をしたかは言うまでもないことだ。
昔からおる
「吉岡さとみです。私はこう思います」と個人が文責を負うような主張をしない
「6歳の息子がいるママなのでこうなってしまいますこう思うのが当たり前ですよね?」みたいなスタイルをとる
自分個人<息子のゆうた、みたいな体裁をとりながら自分の主張をする
そしてゆうたの考えを母親の自分は完全に理解しているから代弁できるつもりでいる
こどおばだろうが、子持ち専業主婦だろうが、文責負わずに自分の主張をしようとするのは変わらない
男だと「普通の日本人です」になる
「川村たつやです。私はこう思います」的な姿勢は絶対にとらない
「在日朝鮮人やクルド人の侵略から、我々日本人は美しい日本を守らなくてはならない」みたいになる
ゆうくんママなので、普通の日本人なので、「このように"思わされる"のは自然のこと」という共通の感覚がある
思っているのではなく思わされているし、主張しているのではなく主張せざるをえなくなっている
私は将棋は知らない。
けれども棋書や解説書や棋士の言葉などから私流に判断して、日本には将棋はあったが、まだ本当の将棋の勝負がなかったのじゃないかと思う。
勝負の鬼と云われた木村前名人でも、実際はまだ将棋であって、勝負じゃない。
そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。
升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一手だけが相手で、その一手に対して自分が一手勝ちすればよい、それが彼の将棋の原則なのだろうと私は思う。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42829_26847.html
本当の勝負というものはタイムではなくて、相手が自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。
吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、
そのような独走的な、又、無抵抗なものは、単に机上の算数であって、力というものではない。
レースは相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43181_21393.html
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
いい点
放射線吐き出す時の背中が機械ぽく伸びるのが個人的にカッコよく思っちゃった
戦闘機が、逆Vで渋い
悪い点
ゴジラが人を噛んでポイするとき、人体が分断しないよう甘噛みしとる。優しいんかい。
山崎貴の演出か、めちゃくちゃ演技が臭い。佐々木蔵之介とかマヨネーズぶっかけとるくらい臭い。まともな演技できる俳優さんなのに。
吉岡、こいつは臭い演技しかどんなドラマ映画でもできんから、まぁ山崎監督が好きなんだろなぁと。くっせぇ。
「生きなきゃいかんのです」って言っといて、電車の中でぼちぼち遠い距離でゴジラ見かけて椅子に座ったまま「あれが、、ゴジラ」じゃねーよ、さっさと電車から降りろっての。車両齧られるまでなにやってたんや。しかも、接近されても逃げないという。その後の宙吊り浜辺美波見たいだけだろ、山﨑よ。
その後神木登場は臭過ぎる。
吉岡がゴジラの沈める作戦伝えるとき、「ダメージ」という言葉つかう。1948年?とかでダメージって学者が言葉使うのか?
吉岡よ、「官の太平洋戦争とはちゃうで!民間のは生きる為の作戦や!」
言うといてゴジラ沈めた後、途中で浮かび上がらず、ゴジラ止まってたら圧力の急変そんな効いてないから、今から上げたところで、対応策無いくせになんで漁船もろともあげようとしてんねん。漁船死ぬやろ。吉岡。お前、神木の特攻知っとるやろ。脚本がクソ。一人で作る脚本はマジで爪が甘くなる。
人々の話し方とか、価値観が2023年の人の演じる戦後って感じ。
シナリオがご都合主義過ぎる。山崎って感じ。ドラ泣きしよう、とか三丁目の夕日みたいに、感動押し付けてくる。ウザい。嫌い。
あと思い出したら書いてく。
千葉県の北部中央に位置し、印旛郡に属する町。近年は「しすいート」「しすいーツ」等のグルメ町おこしに注力
1947年開校。
主な有名人:坂倉将吾(広島カープ)吉岡詩果(フィギアスケート)
主な有名人:長嶋茂雄(読売ジャイアンツ)峰岸真澄(リクルート社長)高見まこ(漫画家)BUMP OF CHICKEN(音楽家)
主な有名人:藤島康介(漫画家)立原あゆみ(漫画家)廣田雅晴(京都大阪連続強盗殺人事件犯人)
1875年創立。国立駅近くの食堂「深川 つり舟」は多くの一橋生の胃袋を満たしてきた。超大盛り注意
2023年国際文化学部、2024年建築デザイン学部、2025年食科学部と拡大戦略中
ちょうどTwitterが死んでたからトレンドに載ってなかったんだけど、ホリミヤの第2期が昨夜から放映始まってる。
1期も楽しく見てたから自分はリアルタイムで見たんだけど、だいぶ思い切った、というか振り切れた作りにしてて良かった。
何が良かったかというと、1期でアニメ化されてなかったエピソードをアニメ化する、という一点のみに完全に振り切ったつくりになってた。
1話から特になんのキャラクター紹介もあらすじ説明もなく、すぐに修学旅行編に入った。
下手に新規視聴者を意識してないし、1期の内容を忘れてる人に対する気遣いもそんなにせず、ただファン向けに作ったという感じが逆に良かった。
シリーズ構成の吉岡さんが「続編ではなくゲームでいうDLCみたいなもの」と言っていたので納得した。
でもまあ、こういうやり方が増えろとは思わないのよね。
そもそもこのアニメ、元の漫画は16巻あるのに無理やり1クールでまとめ上げてたという経緯があるので。
根本的なこと言えば最初から全部アニメ化しとけよって話になる。
こういう、少ない話数で完結までアニメ化するってやり口、結構前例があって、それで嫌な目見てる人たくさんいるんだけど、ホリミヤは取捨選択を上手くやったみたいで1クールでわりと綺麗にまとめたのよね。
もちろん賛否あったんだけど、まあ人気はしっかり出た(海外評価も高かった)ので今回2期が作れたっていう、ご褒美みたいな感じだから。
だから2期のこういう作り方は、まあ、こういうのでいいんだよって感じの納得感はある。
ブクマカってマジで頭悪いんだけど、ここまで思考力が絶無なのは本当に酷い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/06/14/223028 の話だ。
ドワンゴの焼きそばを引き合いに出して水着は本来の専門から外れた業務みたいな扱いにしてるけど、水着はプロモーションになるわけだから全然違うだろ。大本のCDBの記事でもインタビュアーが「事務所の先輩にも、グラビアから女優という道を作った、酒井若菜さんがいらっしゃいます」と話を振ってるように、グラビアによって知名度が上がって芝居の仕事が来るんだから人気商売という顔を売らなきゃ話にならん仕事においてはルートの1本であって、焼きそばを作って売ろうがそれによっていい仕事が舞い込んでくる可能性が1ミリもない事例と同列に語るなんざ知能が致命的に足らないか議論をあさってに誘導しようとする卑怯者がやることとしか言いようがない。当の吉岡だって「グラビアの仕事をさせていただいたことは今でも感謝してるし、あの時間がなかったら今の自分はない。そのぐらい、やってよかった仕事だと、胸を張って言えます!」って言ってるわけで、自分の知名度があがっていい仕事が来るようになったり、現場で場数を踏む経験になったり何らかポジティブな要素があったから肯定してんだろ。SEが焼きそば焼くのとどう同列に扱えるんだよ思考力ゼロか。
そもそも映画で脱いだり、ドラマでキスをしたり「本当はやりたくない」ような仕事もあるのが女優だろ。それとも脱ぐのもキスも本業だからそこは我慢してやれ、水着と同列には扱えないとかになるんか? そっちのが水着になるよりよっぽど嫌って女優も普通にいると思うけど。それでも「売れるために」とか「経験になるから」っつってやるんだろ。自分はSEだから客先には行きませんって言って通る奴なんてそんないねーよ。多少専門外だろうが嫌なことでもやらなきゃなんねーのが仕事だろ。
ブクマに(水着になることは)「男の俳優は求められない!」とか言ってる奴いたけど、ジャニーズとか普通に水着で雑誌に出てるけど。ananのSEX特集で男の俳優が乳首もろだしのグラビア写真出したりもしてるよな。でもこういうのは「無かった」ことになる。お前らの言い分に基づけばこれだって本来の業務からは外れた仕事なんだからいつものようにぶっ叩きに行けよ。アイドルとか女優が水着になる構造については発狂したように騒ぎ立てるくせに、男が脱いで女がそれを性消費することに関しては沈黙、あるいは当人が性消費したりしてる。ご立派な信念ですねえ! ダブスタって知ってるか?
いやマジでさ、はてサとミサンドフェミのダブスタぐせと批判にまともに向き合わない根性マジでなんとかなんないの?
埼玉のプール使用禁止の一件からフェミが喚くたびにツッコミが入れられてるけどぜんぶまともに向き合わないんだよな。
たとえば『もう子役も禁止にしないと駄目だな』(https://anond.hatelabo.jp/20230612125242)という増田。これは未成年者が水着になって撮られることを、「子どもには自己決定権がないから」という理由で禁止すべきというフェミの主張に基づけば、子役だって禁止すべきだろっていう極論なんだけど、正面から答えず論点ずらしで逃げるミサンドフェミだらけ。「自己決定権の有無」で線引きするならそれにいついかなるときも従えよ。なんで自分の都合のいいときはそれで禁止にして、都合が悪くなると今は関係ないみたいな態度になるんだ? 性消費ガーとかふだんから発狂してるフェミはジャニーズ水着とかananのSEX特集もぶっ叩けよ、性消費は悪とふだんから発狂してるミサンドフェミの仕事だろ。こういうこと言うとそれはお前らがやればいいだろ、とか反論になってない反論もどきで反論した気になるゴミがいるんだけど、そうじゃないんだよ。他人の行為や表現を禁止するという強権を振るおうとするなら公平性が必要なんだよ。社会性公平性があるから初めて他人の行為を制限することが可能になるんであって、お前らみたいに自分が嫌いなものをぶっ叩けりゃそれでいいみたいな人間はただ社会をかき乱してるだけのパブリックエネミーにすぎないんだよ。他国との問題は対話で解決すべきとか言いつつ、党を批判する人間は排除する日本共産党みたいな存在はそら嘲笑われて当然なんだよ。ご立派なお題目とやってることがぜんぜん違うんだから。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/774notes/n/n70ee8ae3a6bf
wuzuki これ、吉岡さん本人が言うなら分かるけど、他人が書いてもなぁ……というか。記事で編集が入った部分もあるだろうし。
本人のインタビュー記事からの抜粋なのに、それを言い出したら公式発表以外(いや、それすら「事務所の思惑が入っている」っていいそうだ)、本人へのインタビューであっても信じるなって事になるね。
miyauchi_it むしろ全文読んで、グラビアというお仕事やりたくてやってる人どれくらいいるのかな、女優として仕事を掴むために複雑な思いを抱えつつやってる人が多そうという印象になった。ある種の生存バイアスというか。
お気持ち。
triggerhappysundaymorning 全文読んだけどやっぱり水着は嫌だが芸能で食ってくためには仕方ないって諦念しか無くて性的消費したい奴(ファン含む)に言い包められてる印象しかない。/追記:「当時の吉岡さんには」って事な!メンゴメンゴ。
論外。
一連の性的虐待事件について、藤島ジュリー景子が「知らなかったでは決して済まされない話だと思っておりますが、知りませんでした」と言ったことも信用するのなら、それはそれで筋の通った生き方だと思いますよ。
おいおいおいおい。正気か!? なぜこのたとえを持ってきたの!?
都合が悪いことをいう女はジュリーと同じ扱いってひどすぎだろ。
「比較ができない馬鹿」ならまだ救いがあるけど、わかっててこの比較を持ってきたのなら、悪意of悪意! 吉岡さんってはてなリベラルにそこまでひどいことされることした!?
たのむ、これは悪意じゃなくてただの馬鹿であってくれ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/774notes/n/n70ee8ae3a6bf
これ、吉岡さん本人が言うなら分かるけど、他人が書いてもなぁ……というか。記事で編集が入った部分もあるだろうし。/ 3年前のこのブコメを思い出す→ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/myxx_erika/status/1221087464292356097
自分に都合の良い文脈では嬉々として引用しておいてさすがにこの態度は「都合のいいことを言わないならお前は要らない」っていう感じで、もう人として見てない。リベラルってこういうことするから支持されないんだよ。
t-oblate w***さんのコメめっちゃ怖いんだが。本人のインタビューの引用もリンクも全部載ってるやつに対して「他人が書いてもなあ」ってどういうことなん?本人が「意図と違う拡散されて困る」って言ってるよね?
kotobuki_84 このnote自体がそもそもりのこ氏の切り出し、つまり「勝手に編集して他人が書いてる」事への指摘なんだけど、注目コメに★付けてる人わかってるのかな。こっち側の編集は疑うけど、そっち側はスルッと鵜呑み?
mng_dog グラビアに対して本人の真意がどうであれ、この件で吉岡里帆を持ち出すのは、他ならぬ本人が「違う」と言っているのだから、辞めるべきだろう。
dimitrygorodok これ、吉岡の発言を単純にグラビアへの肯定的側面の根拠とするの無理では?被写体にとってある種の賭けであると指摘してるしファンとの意識の齟齬も言及してる。知名度上がった今も葛藤抱えてるのは確か。
それを「あっ今まで引用してきたやつ、自分たちにとって都合が良い話じゃなかったのか!じゃあなかったことにしよ!」ってのは短絡的すぎ&卑怯すぎる。
こういうこと平気でやるから支持されないんだよ。
asitanoyamasita 記事中の引用文でさんざん「私の意見を『水着は嫌だ』と要約するのはやめて」と主張されてるのに、人気ブコメにまさに「要するに水着は嫌って事でしょ」と書かれて拡散されてるの、地獄でしかないな(呆れ
「最初嫌だったのは事実だ。でもこういう切り抜きはもっとダメ」って本人が言ってるんだぞ。
まず最初にやるべきは「りの子」氏への批判だろはてなリベラル脳になってない人間であれば。
それなのにはてなリベラルにとっての優先順位はそっちなんだね~。
さすがにないわ~~
水着拒否のアイドルや女優は大きなくくりでの「芸能人」においてカーストの下位ランクに属するという差別意識を持っている
吉岡里帆グラビア批判の真相は?過去のインタビューまとめてみた | お役立ち情報 https://godmanners.com/?p=3901
人は、脱いだ人を「脱いでる人が芝居している」って見るんですよ。脱がない人のことは、はじめから「この人は芝居する人なんだ」という目で見ます。その壁ってすっごく厚くて高くて、自分で自分の首を絞めるみたいな行為をしてしまったと思うこともあります。
言葉を選んでるようだけど、「脱いでる人」は女優として駄目といっている
過去に脱いで現在大御所と呼ばれたり名優と呼ばれてる女優はどれだけいるのかと
たとえば、吉岡里帆さんは吉永小百合さんのことを「脱いでいる人」と思ってる?
たとえば、吉岡里帆さんは同年齢で同じ女優をされて肌の露出の多い演技を厭わない門脇麦さんを「脱いでいる人」と思ってる?
ドラマ24 特別編 40万キロかなたの恋 千葉雄大 門脇麦 吉岡里帆 | TVO テレビ大阪 https://www.tv-osaka.co.jp/onair/detail/oaid=1927855/
カメラマンさん、ヘアメイクさん、スタイリストさん、そこで出会った皆さんとは、切っても切れない繋がりができました。本当にかけがえのない人たち。グラビアの仕事をさせていただいたことは今でも感謝してるし、あの時間がなかったら今の自分はない。そのぐらい、やってよかった仕事だと、胸を張って言えます!
フォローを混ぜて過去形にしてますけどまだ継続してますよね、グラビアの仕事。もちろん肌の露出の多い仕事。
吉岡さんを槍玉にする意図はないのですが、頭がよくて正直で言語化するのが得意なので世間(吉岡)が持つ差別の気持ちを代弁してしまったのですね。
2015年の「週刊プレイボーイ」(集英社)インタビューで、吉岡里帆は「グラビアの話を最初にもらった時は抵抗があったのでは?」と質問されて「実は…泣いちゃいました。あははは」と答えている。
そして2017年もまた、同誌のインタビューで「吉岡さんは最初、水着グラビアをやりたくなかったんですよね」と聞かれ、「はい。撮影のお話をいただいたとき、『絶対私にはできない」って、マネジャーさんとの電話で号泣しちゃいました(笑)」「週刊誌に水着姿で出るということがまるで想像つかなくて。自分とは最も遠い世界のような気がして、危険な一歩を踏み出すみたいな心持ちでいたんです」と、その覚悟を明かしている。
CINRAの運営するweb媒体「She is」での、友人でシンガーソングライターの吉澤嘉代子(27) との対談では、インタビュアーからグラビアで着用していた水着の「紐の細さがすばらしい」という話を振られ、次のように語っている。
だって私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、『本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ』という教育を受けてきたから。
それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。
こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその『旬すぎる時間』みたいなものがすごく辛かったです」