はてなキーワード: 年金事務所とは
義父の急逝につき、呆然となっていた義母(70歳)にかわり、遠方に住んでいる息子夫婦達でやったこと。
葬儀一切…父が葬儀会社に積立をしていたので、そちらで一切おまかせ。
自分たちが準備したのは通夜・葬儀前の待合室用の茶菓子・お布施のみ。
初七日を繰り上げて行ってもらったけど、あとで知り合いから、身内が遠方にいる場合は、49日も繰り上げたりするよ、と聞かれた。そっちがよかったかも。
翌日から数日間のみ休みをもらったので、市役所に行って手続き一切をした。
戸籍謄本も父の出生から死亡までと相続人の現在戸籍謄本を取得(死亡はまだ取れなかったけど)。
それから電気水道ガス新聞固定電話携帯電話保険関係についてかたっぱしらから電話して名義変更、口座変更、解約手続きの依頼。
年金事務所にも来所予約。
義父名義の銀行口座は当面そのままに。
銀行口座内の入出金のすべての動きがなくなってから、口座の解約手続きを行う予定。
頂いた香典等を帳簿につけ、香典返しが半返しになっていなかった方をリストアップして、追加の香典返し。葬儀会社のカタログギフトを利用。
お寺さんに49日の法要の日程調整、葬儀会社に法要場所を予約、食事、引出物、生花、供物用の花を依頼。
子供達は皆遠方で母もその余力がなくて、7日ごとの法要はしないことに。
通常なら、各種事務処理は、ゆっくり行うところだろうが、義母は自分で手続きをできる精神状態ではなかったし、子供達は頻繁に実家に来れる距離に住んでいなかったので、可能な限り、すませた。
義父が生前、葬儀等の準備をしていて、必要書類は決まったところにあったので、嫁の自分でも色々処理ができた。
見た限り、相続税の基礎控除の範囲内で財産を残していたので(父名義の土地も路線価で計算済み)、他に預貯金有価証券等がなければ、相続税の申告も必要なさそう。
仕事柄色んな業種のお客さんがいる。IT関係の会社もあれば、漁師もいる。そしてお客さんの中には社会にはなくてはならない業種(建設業、食品関係、清掃業等)もいる。もちろん、こういう仕事があるからこそ、我々の生活は成り立っているし、一定の尊敬を持って接してはいる。しかし、世の中というものは不思議なもので、こういう社会に不可欠な仕事や業種程見下されるものだ。こうした風潮がなぜあるのかわからなかったけど、最近になってわかってきたので、ここに書こうと思う。
清潔感や身だしなみ
まず、一番に上げるのがこれだ。ただ、これは仕方のないことだ。社会に必要な仕事をしている人たちは日々忙しく、いちいち作業着からスーツに着替えて、来客と接する時間などない。ただ、世の中、特にビジネスの世界では身だしなみや清潔感というのはかなり大事なウエイトを占める(ちなみにワイの元上司(男)はにおいケアにも余念がない男だったが、下請けの業者がたばこのにおいのついた作業着を着たまま挨拶にきて、ぶちぎれていた)。だから、社会に必要な仕事よりも下賤なことをしている港区女子の方が尊敬を集めるとういことが起こるのだ。だって、彼女たちは清潔感(本当に清潔なのかはともかく)もあるし、身だしなみには人並み以上に気を使っているのだ。
社会に必要な仕事というのは人件費や原材料費がかなりかかる業種であることが多い。これが何を意味するのかと言うと、そうした社会に必要な仕事をしている企業というのは常に資金繰りが厳しいということだ。
そして資金繰りが厳しいとどうなるのか?
税金や社保が払えず、税務署や年金事務所、又は市役所の税務課に分納をお願いすることになる。そして、分納のお願いを受けた役人たちはそうした人間たちを”金にだらしない”と見下すのだ。
※ちなみにこれがさらに進んでいくと、住民税の特別徴収の預かり分に手を付け、従業員の住民税を治めなかったりする。
実際、役所の人間というのは一般の人間以上に”社会に必要な仕事”への侮蔑感が激しいと思う。彼らからしたら、治めるべき税金を払わず、へらへらしている人間に見えるのだ。
親族が亡くなった。悲しみの中で、私はあることに気づいた。死後の手続きが、驚くほどスムーズに進むことに。
死亡届を役所に提出すると、淡々と手続きが進み、戸籍に反映された。銀行に連絡すると、口座は即座に凍結され、相続の準備が始まる。年金事務所に問い合わせると、受給停止の案内が送られてきた。葬儀社は遺族の負担を軽減するために動き、病院も「事務的」に死を扱う。
この「事務的」という言葉に、私は最初、違和感を覚えた。しかし、時間が経つにつれ、それがどれほど大切なことかを理解した。悲しみに暮れる遺族が、感情に押しつぶされながら煩雑な手続きをこなさなくて済むのは、すべてがシステム化されているからだ。
日本の社会は、こうした「死の処理」を徹底してマニュアル化している。そこには人間味がないようにも見えるが、実はそれこそが、遺族にとっての最大の救いなのではないか。もしも役所の担当者が毎回感情を込めて対応していたら、処理は遅れ、遺族の負担は増し、社会は混乱するだろう。冷たく見える仕組みこそが、実は多くの人を支えているのかもしれない。
しかし、この「完璧なシステム」にも、落とし穴はある。私の親族は生前、経済的に困難な状況にあった。病院に行くのをためらい、生活保護の申請も躊躇していた。日本には助けを求める仕組みがあるのに、彼はそれを利用しなかった。
「申請しなかったのが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、本当にそれでいいのだろうか。なぜ彼は手を伸ばさなかったのか? それは、社会のシステムが冷たいからではなく、「申請すること」が恥ずかしいと思わされる風潮があるからではないか。
結局、社会は守るべき人を守る仕組みを持ちながら、それを「利用しにくいもの」にしてしまっている。私は、親族の死を通して、日本のシステムの「優秀さ」と「盲点」の両方を見た気がする。
「自己責任」ではなく「自己防衛」の時代。私たちは、社会が用意した仕組みを、もっと気軽に使えるようになるべきではないか。親族の死を経て、私はそんなことを考えるようになった。
がんだった。
長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。
父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。
余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月の誕生日も越えて、4月に父は身罷った。
深夜だった。
訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、
深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。
死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、
わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。
チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。
火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。
父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。
引き出したら相続を承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。
両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。
役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関へ負債の照会に行って、
火葬を済ませて、相続放棄の手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、
相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。
会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。
父が本籍を居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。
今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。
余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。
お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。
親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。
火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。
DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。
もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。
こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。
最晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。
今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。
お父さんの作った唐揚げが食べたい。
まぁ、いいんだけどさ。
氷河期は大概これで終了だぞ。
なんか障害年金を便利、優しいとか思ってるけどな、ぶっちゃけ手に入れるまで地獄だぞ。
・診断書(場所による。うちは安くて初回1万円・更新時5000円)
・社労士(完全成功報酬。1.5ヶ月分。なので、初回は0.5ヶ月分しかもらえん)
・住民票、収入証明書(概ね非課税証明書。ちゃんと確定申告していないと「未申告」ってはっきり書かれるからな。そうなったらさっさと税務署に行け。行って2年分の申告してこい)
・年金手帳(氷河期はこの記載ミス、年金手帳受取ミスが多くて年金事務所を何度も行き来する。老婆心だが年金は年金用の口座にしておけよ。カード支払いと同じ口座にしてると痛くない腹探られること多々あるぞ)
氷河期の貧乏ライフをのうのうとしているさなかに「キタコレ!」って楽をしようとすると、世の中のルールを突きつけられるので安心して悶絶して欲しい。
起業した。
小さな会社だ。社員は自分含めて3人、あと雇用保険に入らない20時間未満のアルバイト3人。
給与は自分は20万、争奪戦が激しい資格持ちの人は30万、もう1人23万。
3人合わせて、毎月年金事務所に払う社会保険料、23万円くらい。
まだ儲けなんてないのに、毎月23万円!半分は社員が払う分とは言え、正直腰が抜けてしまった。
会社を立ち上げてから一番驚いたのが、会社員時代は気づきもしなかったこの社会保険料だった。
久々に病院に行ったら、俺の前の番はおじいさんだった。
半分ボケていて1人では歩けない90歳くらいのおじいさん。俺と同い年くらいの介助者がついている。
おじいさんは半分ボケてるのでひたすらよくわからないことを大声で喋り、時折感情が抑えきれなくなり、長時間医者に対して話すので、後ろの俺もかなり待った。
意味不明なおじいさんと、それに振り回される医者と介助者と、まだギリギリボケていないおじいさんの奥さん、たくさんの会話を聞いてるその間、つい色々考えてしまった。
この人たちはもう自分の稼ぎでは働いていない、ほぼ年金だけで暮らしてるだろう、医療費も俺たちのお金で賄われ、隣にいる介助者に関わる費用も全部俺たちの介護保険。その上現役世代はこの介助者という人手も補っている。
この爺さんが生きるための手厚い支援を、全部俺たちがしてる。
この人たちが、より健康で長生きするために、俺たちは金を払わされている。
テレビで、95歳の半分ぼけたおじいさんに対し、看護師が訪問看護するのを見た。
体調が悪くならないように、クーラーをつけっぱなしにして、水を飲むように促してた。
そんなに彼らに金と手間と人手を注いで、95歳の半分ボケた人に、長生きしてもらう必要はどこにあるんだろうか?
バスに乗ると乗客はほぼ老人、シルバーパスで乗車して、若者が咳一つしようものならみんな睨みつけてくる。
生きづらい、凄く生きづらい。
人口バランスが崩れて、現役世代にものすごく負担を強いてることをこの人たちはわかってない。
年金だけじゃやっていけないと嘆いている。
そもそも年金だけで働かなくても生きてけることが人類史上稀なこととも気づかずに。
殺せとか死ねとか、そんな過激なことを思っているわけではない。
本当はおじいちゃん長生きしてねと言いたい、でもそんなことは言えない。
彼らはどれだけの現役のリソースをさいて生きてるんだとしか思えない。
介護の人手不足と言うけれど、この上もっと彼らが生きるためだけのお世話係を増やせというのか?
すでに人口の30%が65歳以上になってる。彼らのお世話を、現役世代がしなきゃ行けないのか?
なんのための世の中なんだ?
広い心を持ち続けることができない、世代分断は悪いとは思うけど、ヘイトがどうしても溜まってしまう。
この老人をダメだと思うようになってから、24時間介護が必要で11人のヘルパーが交代交代で面倒を見なければいけない重度障害で意思疎通できない寝たきりの子どもに密着したテレビ番組を見て、これもおかしいのではという気持ちになってきている。
誰か俺を否定してくれ。
余裕のない俺を。
https://www.ht-tax.or.jp/sozoku-guide/procedure-schedule
ホットエントリーにあったので、実際11月に父を亡くした際のことを書こうと思う。
また、相続人は母(配偶者)、同居の子(同子)、別居の子(別子)の3人。
一応国民年金の方にも知らせておいてください、とのことだったので年金事務所へも行ったが、そこで具体的な手続きはなし。
母と同子も国保で世帯主が変わったので、そちらの手続きも行った。
葬祭費もあわせて申請。
死亡届提出前に普通口座から葬儀費用として全額引き出し(が、足りずに別子が立て替え)
年金以外に僅かながらも収入があったので発生(再雇用とシルバーセンターの間くらいの仕事)
相続するものは現金土地家屋車。これらについて同子別子は相続放棄をして全て母が相続をすることに。
その旨を記載した遺産分割協議書を作成し、印鑑証明で登録してある印を用いて3枚に割印。
保険金は受取人が母のみのもの、受取人が母・同子・別子でドル建てのもの(フラグ)
死亡診断書は入院先で亡くなったので病院の方で精算とあわせて出してくれた。
死亡届を葬儀会社の人が提出してくれて、そこで火葬許可書を貰ってくれた。
円安のおかげで想定より多くなった保険金の所為で子二人に相続税がかかることになった。
書類を自分達で作成した為、間違いなどないか相談をしたかったのだが。
となって宙ぶらりん状態。
今すぐ年金事務所に問い合わせを
義弟が無くなったけど、スマホもパソコンもロックされてて何もわからない時にどうしたか。
年賀状から探そうとしたけど、ほとんど電話番号は書いてない。数年分探してなんとか1人連絡
ナビダイヤルで契約変更を選ぶと、カード番号を入れさせたあとで暗証番号を入れさせてくる。
暗証番号を間違えると切られる。
正解は紛失を選ぶ。暗証番号を間違えるとオペレーターに繋がる。
サブスクはカード会社にそれらしいものがあるか確認すると教えてくれる。
でもどこの会社のSIMか分からなかったらどうすればいいか分からない。
社保なので年金事務所に電話。家族全員の基礎年金番号が必要だった。
ロックはかかってなかった。念のため継続購入を辞めた。クレジットカードの停止で問題なさそう。
電話で問い合わせ。名前と住所と死亡届でアカウント閉鎖してくれた。プライム特典未使用だったから年会費返却してくれた。
「6~7年前だと思うんですけど、年金事務所から2~3回電話がかかってきたこともあります。その時は『36万円分溜まっている』と言われた覚えがあります。その数回の電話の後は2か月に1度くらいのペースで封筒が届くくらいで、催促の電話もなければ何もありませんでした。そしていきなり今朝、『サシオサエ』となったんです」(同前)
NEWSポストセブンの記事をここまでぶちこんで自動生成かけて出てきた続きがこちら。
「私は社会保険労務士ですし、年金を滞納した経験がないのですが、そんな私でも『これはヤバい』と思いましたね」と小田原氏。
文体で「あ、これは週刊誌のやつですね」ってところまではわかるもんなんだな
たいしたもんだ
ある日障害年金の存在を知って、かかりつけのお医者さんに聞いてみたら、3級なら随分前から該当すると思われるので年金事務所に相談してみたら?とサラッと言われた。
知らなかった私も悪いけど、なんで教えてくれないの!?まああくまで病気を診るだけだししょうがないのかな。
お役所仕事だから何も情報を持たずに行くと絶対何度も相談しに行く羽目になると思ったので、まず下調べをした。
調べてみると、3級というのは障害厚生年金にしか無いようだった。
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/shougainenkin/jukyu-yoken/20150401-02.html
1. 厚生年金保険の被保険者である間に、障害の原因となった病気やけがの初診日があること。
2. 障害の状態が、障害認定日に、障害等級表に定める1級から3級のいずれかに該当していること。ただし、障害認定日に障害の状態が軽くても、その後重くなったときは、障害厚生年金を受け取ることができる場合があります。
3. 初診日の前日に、初診日がある月の前々月までの被保険者期間で、国民年金の保険料納付済期間(厚生年金保険の被保険者期間、共済組合の組合員期間を含む)と保険料免除期間をあわせた期間が3分の2以上あること。
ただし、初診日が令和8年4月1日前にあるときは、初診日において65歳未満であれば、初診日の前日において、初診日がある月の前々月までの直近1年間に保険料の未納がなければよいことになっています。
かいつまんで言えば
初診日は、約10年の間に何度か転院はしてるけど、今のかかりつけがこの病気で受診した最初の病院(と、その時は思っていた。後述)なので、聞いてみたらすぐに教えてくれた。ねんきんネットで調べてみたら、その初診日は厚生年金を納付済の月で、それ以前の月も1年半ほど厚生年金を納付していた。
障害認定日(初診日から1年6ヶ月後)の時点でもその病院にかかっていた。
不謹慎だけど、おっこれはもしかして遡及して時効の5年分もらえちゃうんじゃないの?とその時は胸が熱くなった。障害持ってようが人ってのは現金なもんだ。
ついでに、年金事務所に行くのがしんどい場合は社労士さんに頼む方法もあることが分かったので、一回だけ相談しに行ってみてきつそうだったら頼もうと考えた。
そこで相談に乗ってくれた担当者の方から、驚愕の事実を知らされた。
「初診日」という受給要件が、私が思っていたよりずっと厳しかったのだ。
担当者の方曰く、「まずあなたの病気は、一回の診断ですぐ病名が判明するような病気ではない」。
うん、それは分かる。
「その場合、最初はそういう病気と知らずに、なんか頭痛いとかお腹痛いとか手首痛いとかで、内科とか外科とかの比較的広範だったり見当違いの医療を行う病院を受診する場合もある」。
まあ、それも分かる。
「その、『本当の』初診日じゃないとだめ」。
そんなのいちいち覚えてない。私はこの病気だけじゃなくて喘息とかアトピーとか色んな病気を持ってるんだ。その別の病気で受診したついでに「そう言えばなんか頭も痛いんですよね」とか言ってしばしば鎮痛剤とか貰ってたりする。どこまで辿ればいいんだ?下手したら20年くらい前かもしれない。それってカルテ残ってるのか?何より住所も転々としてるし、そんなに多くはないけど旅行先で受診したこともある。紹介状なんてそんな毎回作ってもらってないし、どの病院に聞けば良いかも分からない。
その後も色々と丁寧に相談に乗って頂いた。
初診日の次に窓口で確認するのは初診日の前日時点での年金の納付状況らしい。つまり初診日以降にそれ以前の月の分を追納とか免除申請とかしてると、それは障害年金の受給要件でいう納付済・免除期間とはみなされない(受給要件の3.の「初診日の前日に」ってのがそういう意味みたいだよ。分かりづらいね!)。
まあこれは、不正受給を防ぐためってことでなんとなく分かる気はするけど、いつ納付・免除申請したかは窓口でないと分からないんだってさ。そんなんねんきんネットで見れるようにしてよ!窓口行くだけで大変なんだよ!
とにもかくにも、初診日を辿るというだけで絶望的だと感じた私は、すっかり受給を諦めてしまった。
相談の終盤で、「年金事務所の方に言ってもしょうがないんですけど、これ制度上の欠陥じゃないですか?少なくとも事後重症の請求(平たく言うと、障害認定日が過ぎた後でも請求できるけど、過去の分の年金は貰えないってことみたい)でも同じ定義の初診日いるっておかしくないですか?そんな厳密に初診日辿るってお互いにすごい手間ですよね?」って担当者の方に言ってしまった。担当者の方が内心何を思ったかは知らないけれど、苦笑いで同調してくださった。
年金のことはよく知らないけど、基礎・厚生・共済でお金の出どころが違うのかなあ。すごい初診日を強調してきたのが印象的だった。
私はまだ良い。普通の会社で働くのは難しいんだけど、幸いお金を稼ぐ方法が全く無いわけじゃない。めっちゃ不安定で怖いし大変だけどな!
でもこの制度じゃ、本当に必要な人に、必要な時に届かないだろ。初診日と納付状況クリアしたあとも色々と大変みたいだしさあ。そこは社労士さんにお任せするけどさあ。
ちな、初診の病院は分かるけど、病院に問い合わせたらカルテ残ってませんって言われたときとか、廃業してましたってときは、たぶんまだなんとかなる。
初診の証明をお医者さんに書いてもらうかわりに、お薬手帳とか診察券とか色んな物を寄せ集めて「この病院に初診で通いました」って自分で証明する。
だから、普段からそういうブツはなるべく後々のために取っておくのが良いみたい。
今あらためて見ると、一応「添付できる参考書類は何もない」って項目もあるけど、これどうなの?窓口で聞けば良かった。
まあ、私はもういいや。初診の病院がまず分からんし、こんなクソ制度のために適当な嘘とかつきたくない。
私が頭悪いだけかもしれないけど、みんな気をつけてね。