はてなキーワード: 周防とは
応仁の乱後の日野富子による将軍並立と室町幕府の弱体化の経緯についてですね。
応仁の乱(1467年~1477年)は、足利将軍家の後継者争いと有力守護大名の対立が絡み合い、全国を巻き込む大乱となりました。この乱によって室町幕府の権威は地に落ち、各地で下克上が進行する戦国時代へと突入していきます。
日野富子は、8代将軍足利義政の正室であり、9代将軍足利義尚の生母です。彼女は応仁の乱の勃発にも深く関与し、乱後もその政治的な影響力を持ち続けました。
富子が将軍を並立させ、幕府をさらに弱体化させた経緯は以下の通りです。
応仁の乱終結後の1489年、富子の唯一の息子である9代将軍足利義尚が近江で陣没しました。これにより、将軍職の後継者問題が再び浮上します。
義尚には子がなかったため、義政の弟である足利義視の子、足利義材(後の義稙)が将軍職を継承することになりました。しかし、義材は武力による秩序回復を目指し、富子やその近臣、有力寺社勢力など、これまでの幕府の運営に深く関与してきた勢力との対立を深めていきます。特に、富子が抱える多額の負債や、彼女の権益に触れるような政策を義材が打ち出したことが、対立を激化させました。
義材との対立を深めた富子は、幕府の実力者である管領細川政元に接近します。政元は、将軍の権力を弱め、自らの政治的影響力を強めることを企図していました。
そして1493年、義材が大内義興の討伐のために河内に出陣している隙を突き、富子と細川政元はクーデターを起こします。これが「明応の政変」です。政元は兵を率いて京都を制圧し、義材を廃して幽閉しました。
義材を廃した富子と細川政元は、新たに足利義視のもう一人の子である足利義高(後に義澄と改名)を10代将軍として擁立します。
しかし、廃された義材はその後、越中、次いで周防へと逃れ、地方の有力大名(特に周防の大内義興)の支援を受けて、正統な将軍としての地位を主張し続けました。これにより、京都にいる義澄と、地方に逃れた義材という、二人の将軍が並立する異常事態が発生しました。
富子によって引き起こされた明応の政変とそれに続く将軍の並立は、室町幕府の権威を決定的に失墜させました。将軍が自身の意思ではなく、有力大名や政治的な勢力によって廃されたり、擁立されたりする状況は、幕府がもはや日本全国を統治する正当な権力であることを否定するものでした。
また、将軍が二人存在する状態は、各地の武士や守護大名にとって、どちらに従うべきかの混乱を生み、さらなる地方勢力の自立と下克上を促す結果となりました。
日野富子の行動は、結果的に将軍の権威を著しく損ない、室町幕府の支配力を根本から揺るがし、戦国時代の混乱をさらに深める要因となりました。彼女は自身の経済的な権益や政治的な影響力を保持しようとした結果、幕府の統治能力を自ら破壊してしまったと言えるでしょう。
彼らが言うには、序盤にこすられる処女いじりが面白くない、共感性羞恥を受けるだけ、10年前のアニメのセンスだとのことだ
だが待って欲しい
10年前に処女を恥ずべきこととし人前で処女いじりするシーンのあったアニメって具体的に何がある?
俺はかなり記憶力が良く、2014年のアニメは50本くらい覚えているので、近いものを挙げていこう。
グリザイアの果実: 周防天音がビッチ風を演じているが実は処女。ただしそれを追及されるのは主人公と2人きりのシーンだ。
のうりん: 担任のベッキーがアラフォー処女。やばすぎて誰もいじれない。
さあどうだ。答えられるか?答えられないよな。
結局しかのこ批判オタは、しかのこを批判するために10年前のアニメに不当な謂れをつけてしまう、京極万太郎もびっくりの批評ヘタクソの記憶障害者なのだ。
アーマードコアシリーズが大好きなのでAC6プレイしてるVtuberを1年かけて色々見てみた
葉山舞鈴
大空スバル
博衣こより
兎ぺこら
はづまこ
流レ星ミラ
あと覚えてないけどもう10人くらい見た。名前忘れたが飲酒プレイしてるクアッドガトリングの人は途中で離脱したけど
みんなプレイが上手いので普通に見てられるけど、なんか実況トークが無害というか無味無臭というか、無難故に旨味が無いっていうか…社会通念に従って女だからヨシヨシされてるって感じ
大空スバルは察しがよく頭いいんだなってのが凄いわかるし、葉山舞鈴も天然すぎてツッコミどころ多数だし、流レ星ミラのBL妄想配信もほんとにAC6好きなんだなあって思ったし、はづまこは今も対人で腕磨いて頑張ってるしところどころおもろいかなとは思ったんだけど…ほとんどAC動画は見なきゃっていう義務感で視聴してたし、二度と見る気が起きない
なんかパンチが無くてつまんないんだよな
気がつけば、ホロライブ・にじさんじの2強の次くらいの存在感を示すようになっていたVTuber事務所、その名もBrave Group。
強気の買収攻勢でぶいすぽっ!にRIOT MUSICという2大看板を傘下に収めているところに、ヒメヒナまで獲得。
その一方であおぎり高校を手放すという、リスクとリターンを冷徹に見定めるムーブも繰り出していたり。
業界の草創期はベンチャーの中の選りすぐり数社が覇権コンテンツを握るものだけど、ここから先はこういう資本力を背景に、有望そうな小規模グループを獲得するところも目が離せない。
一方で今年から正念場を迎えたのが、Brave Groupが躍進するまで、一応有名老舗として3番手をキープしていたななしいんく。
小森めとのぶいすぽっ!移籍に始まり、とうとう一番の売れっ子だった周防パトラが事務所を脱退して独立。
前向きな話題と言ったら新規タレント3人デビュー(このうち定着したのが2名)というくらい。
それだってRIOT MUSICやぶいぱい、ミリプロといった他のハコの新人デビューの前に霞んでしまっている状態。
むしろ上掲の移籍・脱退や部門統合の混乱っぷりばかりが目に付く有様。
VTuber大手事務所のにじさんじ(とホロライブ)はそろそろタレントVTuberによる権利の買取を認めていいんじゃないか?もちろんそれ相応の値段や年数で。
いや、わかるよ。難しいのは。
VTuber事務所ってIPを握ってるからこそ成り立ってる所だもんな。そうじゃなきゃ、ヒカキンのところのuuumみたいにどんどん辞めていくだろうしさ。
サムネやら編集やら企画やら本人任せな部分がデカい分、独立しても上手くいくやつも多いだろうし。わざわざライバル増やすことするわけないよな。
でもさ、もう今のVTuberってほぼ魂ありきじゃん。そりゃ昔は違ったよ。だけど今の時代を作ったのはにじさんじお前だろ?何いいところどりしてんだよ。
半年前に、ななしいんくってまあまあの事務所の周防パトラってVTuberが独立してその金額が話題になったし、同じくななしいんくの小森めとがぶいすぽへ移籍したって例もある。
にじさんじができて5年。そろそろ改めなきゃいけないところなんじゃねーの?
l
そういう当たり前の事をきちんとやりません。
l
l
スパイ防止法とほざく。
l
不都合な人士、つまり日本人を守り、外人の謀略の魔の手から守ろうとする
l
などと思っていらっしゃるようですが、
l
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/
l
ttps://www.amazon.co.jp/山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか-ヤコブ-モルガン/dp/4887190239
l
やけどや傷の手当てをしてくれました。
これが日本兵だったら見捨てられていたでしょう。
日本兵は住民に銃剣を突きつけて『ここは日本軍が使う』と言って、
大切な食料を日本兵に奪われることも珍しくありません。
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/799.html
l
l
推進してるのが自民党=統一教会を中心とする外人優遇勢力だから、です。
l
と記されているそうです。
https://twitter.com/teds8888/status/1560617726829215745
l
https://twitter.com/soulflowerunion/status/1553317255756529664
笹川良一の運転手をしていたのが維新の松井一郎の父親の松井良夫。
笹川の部下で同じくA級戦犯だった児玉誉士夫の運転手だったのが
ハマコーの運転手をしていたのが「芸能界のドン」バーニング周防。
石元太一を「ヤンキーアイドルオーディション」の審査員にしていたのがエイベックス。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235072792?fr=pc_tw
l
元NGT48山口真帆さん襲撃犯はバーニング役員の子と噂されています。
襲撃犯は釈放されました。山口さんをいまだに誹謗中傷する工作員がいても放置されている。
l
むしろ犯人に不都合な人士を虐殺するために「スパイ防止法」という名の
違憲な軍事独裁ファシズム悪法(戦中の治安維持法のような)を作ろうとしているのは
「お花畑」でなければわかりきった事のはずです。
根本的には金の回りが悪くなっているんだろうな
大きく儲けているところ(とスポンサーがデカいところ)よりカツカツのところに影響が表れる
・ななしいんく
登録者数最大だった周防パトラが卒業して個人Vに。同時視聴者数トップクラスの空澄セナがぶいすぽっ!に移籍。他にも不磨わっとなどが卒業。今年デビューのいなうるうがサポート困難として活動休止中。
・VOMS
登録者数トップの天野ピカミィが引退。しかし、今月新人3人がデビュー。
登録者数3番手で幅広く外交していた姫熊りぼんが卒業。4番手のかしこまりが移籍。去年デビューした5人組のうち2人が卒業。
・のりプロ
一期生の大量卒業発表(個人V化)で大騒ぎ中。なお、鬼灯わらべのタレント活動終了(スタッフ化)で今年が始まっている。
今年一杯で倒産…
・あおぎり高校
音霊魂子が炎上して実家に帰る。無事に復帰して今に至る。新人もデビュー。
おそらく平和
| 年 | 名称 | 概要 |
|---|---|---|
| 1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
| 1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
| 1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
| 1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
| 1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
| 1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
| 1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
| 1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
| 1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
| 1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
| 1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
| 1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
| 1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
| 1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
| 1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
| 1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
| 1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
| 1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
| 1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
| 1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
| 1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
| 1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
| 1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
| 1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
| 1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
| 1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
| 1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
| 1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
| 1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
| 1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
| 1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
| 1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
| 1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
| 1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
| 1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
| 1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
| 1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
| 1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。
774株式会社が運営するVtuberグループの774inc.(現ななしいんく)に所属する4人組ユニット(結成当初は5人組)だったハニーストラップ。774inc.内では屈指の成功ユニットと言われていたが、2023年3月に774株式会社の運営方針の転換により解体。
それによってハニーストラップのリーダーでありチャンネル登録者数67万人と774内では圧倒的な数字を誇っていた周防パトラが5/9にななしいんくから脱退、独立することになった。周防パトラ本人が独立へのきっかけはハニーストラップの解散であると明言している。
周防パトラが抜ける前の時点で全メンバー合わせて総登録者数290万人弱のななしいんくにおける周防パトラの67万人という数字は非常に大きく界隈を騒がせ、ハニーストラップの解散は愚策だったと大いに批判が集まった。
ハニーストラップは2018年7月に結成された配信メインになってからのVtuber界隈でもかなり老舗のユニットである。同774inc.内のユニットであった有閑喫茶あにまーれはその前月にデビューしている。
外部で同月にデビューしたライバーとしてはにじさんじゲーマーズの「笹木咲」「本間ひまわり」「魔界ノりりむ」「葛葉」「椎名唯華」、翌月にはホロライブ2期生として「湊あくあ」「紫咲シオン」など。
前提はここまでとしてハニーストラップがうまく行ったユニットだったのかという話に戻る。
まずハニーストラップはメンバー間の中が非常によく内部でのコラボ配信を活発に行っており、仲良しユニットとしては非常にうまく行っているように見えた。これは裏ではどうかはこちらからは計り知れないためそう表現しているだけで、うまく行っているように見えたが実は……という話ではない。
特に同社所属でほぼ同期のあにまーれがメンバー間の仲があまり良好とは言えなかったためハニーストラップの仲の良さが際立って見えたという部分もあるが、それを差し置いてもVtuber界隈でも仲のいいグループの筆頭に上がるくらいにはうまく行っていたと言える。
では数字的にはどうだっただろうか。
ハニーストラップは5人でデビューし間もなく1人が脱退。その後メンバーチェンジを一切行わなかった。
先日までの登録者数としては
西園寺メアリ 22万人
堰代ミコ 9万人
ではあにまーれはどうか。
あにまーれは5人ユニットとしてデビューし2人辞め3人になってその後追加メンバーが入った。
ハニーストラップの同期となり現在もななしいんく内に在籍しているメンバーでは
日ノ隈らん 13万人
宗谷いちか 10万人
先ほど例に挙げたななしいんく外のメンバーとしては
湊あくあ 179万人
葛葉 152万人
紫咲シオン 112万人
と大台越えが3人いてその後50万人越えが続き最下位が
となる。
数字としてユニットがうまくいっているというのをどう評価するのかという話にもなるが、一緒に活動することによってお互いのリスナーを共有し合える関係性があるかという点は欠かせない。つまり人気のあるメンバーがそうでないメンバーの数字を引っ張り上げるような効果があるかどうか。
ホロライブなどはそれをうまく使って数字の底上げを行っていた。
その点で、ハニーストラップはYoutubeでも登録者数が取れやすいASMRで非常に高い評価を得ている周防パトラ、西園寺メアリは非常に高い数字を持っているものの、その数字を他のメンバーと共有するような関係性が作れていたとは言えない。周防パトラ、西園寺メアリを推していた視聴者は多かったがだからと言ってハニーストラップの他のメンバーまで応援する気はないという視聴者も多かったということだ。
あまりうまくいっていなかったあにまーれの初期メンバーは全員が10万人を超えているのに対して、ハニーストラップは半数が10万人に手が届かない状況となっている。圧倒的登録者数を誇る周防パトラ、774inc.内No3(一時期はNo4)の西園寺メアリを有していながらもその数字を活かせていたとは言い難い。
結成当初はまだライバル関係とも言えた(あにまーれはにじさんじの妹分ユニットとされていた)、にじさんじ、ホロライブには約5年間かけて数字で圧倒的に水を開けられてしまった。
運営会社、またその親会社から見て本当に「ハニーストラップはうまく行っているユニット」だっただろうか。
もちろん「数字的にはうまく行ってないし解体したろw」で解体した結果、周防パトラという大看板Vtuberを失っているのだからハニーストラップの解体は愚策は愚策でしかないのだが、ではハニーストラップというユニットを周防パトラを繋ぎ留めるためだけに継続するのが正しかったのか。
あにまーれには次々と新人が投入された。そのほとんどがうまくはいかなかったが、中には風見くく(11万人)、柚原いづみ(8万人)とハニーストラップの初期メンバーを超える、近い数字を持つライバーも現れた。しかしハニーストラップは仲良しユニットとしての完成度が高すぎたために新人を入れられなかった。
ユニットとして活性化させるための施策を打つ=ユニットの方向性、ユニットの色を変えるということが非常に難しかったとも言える。なによりハニーストラップは774内で一番活発に活動していたユニットだった。が、うまく数字にはつながらなかった。
ユニットを解散するという試みは、今のところあまりメリットが見いだせていない上に周防パトラという屋台骨を失う結果になったので、結果的には大失敗と位置付けられる。そもそもなんでハニーストラップがうまく数字につながらなかったのかの検証をちゃんとしたとも思えない。
もちろん自分で何でもできる周防パトラを774株式会社に繋ぎ留めていたというだけで価値は計り知れないので、そこをもって「ハニーストラップはうまく行っていた」と言うこともできるが、客観的に数字だけの評価をするならうまく行っていたとは言い難い。
AはVtuber事務所に応募するにあたり、他人であるBの名前を配信活動の実績として事務所側へ申告し、
事務所はAを採用して新人Vtuberとしてデビューが決定、配信に先んじてtwitterで活動を開始していた。
ところが事務所所属の先輩VtuberであるHがたまたまBの知り合いであり、新人Aが知人Bと別人だということに気が付く。
デビュー配信の直前に運営との取り交わしに虚偽が発覚したため急遽デビュー取りやめとなった。
あにまーれの店長として最後に歴代メンバーを1人ずつ弔っていく因幡はねる【周防パトラ/ななしいんく/切り抜き】
雅成くんは私の太陽でした。
2.5次元ミュージカルなんて興味なかったし、当時は今と違って世間は2.5次元ミュージカルに明るくなかった。大好きな周防くんをリアルの人間が演じるなんて無理だと思ってた。どれ、私が確認してやろう。くらいの思いでチケットを取って、メルパルクの座席に座っていた。
幕が開いて、周防くんが現れた時。周防尊がこの世に誕生したと思った。
それから雅成くんに転がり落ちるのは簡単で、雅成くんが出る舞台には全部通った。ちょい役の舞台もテレビも全部チェックして、イベントにも通った。雅成くんに出会った当時は学生だったけど、社会人になっても雅成くんを追いかけた。自由に時間は使えなくなったけど、その分お金を手にしたから一回に使う雅成くん費用が増えた。幸せだった。
“ガチ恋”ってやつだ。
雅成くんは私のことを知らない。だけど長くファンをやっていたし、イベントにもほぼ全部通っていたから、見たことある子。くらいではあったのかも。若手俳優にガチ恋なんてやばい女なのは分かっているけど、雅成くんを見るのも、知るのも、幸せだった。
かっこいいだけじゃなくて、可愛くて、うるさくて、だけどピュアで、ワハハって綺麗な歯並びを見せて笑う顔がとびきり可愛い。付き合いたいとか結婚したいとか、そんな単純な好意じゃなくて、たとえ雅成くんが結婚して子供ができても、全て愛せると思ってた。結婚発表されたらしばらくショックで泣きまくるのはわかっているけど、私に幸せをくれてありがとうって伝えようと覚悟を決めてた。雅成くんのファンはいい女が多いなって思われたかった。それが雅成くんの価値になるなら。
雅成くんへ。
雅成くんは私の太陽でした。どんな雅成くんも分かってあげたくて、応援したくて、ついて行きたかった。
だけど最近は、どんな雅成くんも愛する!!って豪語していた昔の自分が嘘みたいです。雅成くんが地上波のドラマに出たいのは分かってる。2.5次元だって本当は卒業したいんでしょ?分かってる。分かってるけど。
もっと違うやり方があるんじゃないのかな?
そんな我儘な雅成くんも愛していたいけど、最近の雅成くんが選んでくるお仕事は、ファンの気持ちを考えていないものばかりな気がする。
どんな俺でも好きでいて。だけど嫌な作品は見ないでいいよ。でもチケットが残っている舞台には見に来て欲しい。悪口は書かないで。
私はそろそろ無理かもしれない。
私の太陽だった雅成くん。
今の雅成くんは私にとって何?
分からないけど、太陽ではなくなっちゃった。大きすぎた雅成くんの代わりになる太陽はしばらく見つからないけれど、いつか見つかるといいな。
雅成くんがまた私の太陽になってくれる日はくるのかな?来るといいな。
それまでさようなら。