はてなキーワード: 本能寺の変とは
織田信長公、安土城の北東にトイレを設けたことを後悔されていたとのこと、その理由として考えられるのは、風水や陰陽道といった古来の思想です。
日本の伝統的な家相や風水では、北東(艮:うしとら)の方角を「鬼門(きもん)」と呼び、不吉な方位とされています👹。鬼門は邪気が入ってくる場所、あるいは邪気が溜まりやすい場所と考えられていました。
特に、水回りは湿気が多く、不浄なものが溜まりやすい場所とされています。そのため、不吉とされる鬼門の方角に、不浄を象徴するトイレを設置することは、災いや病気を招き、家運を衰退させると考えられていました。信長公は天下統一を目指す中で、安土城を日本の中心と位置づけ、その繁栄を願っていました。しかし、鬼門にトイレを設けてしまったことで、これが自身の不運、ひいては本能寺の変という最期を招いたのではないかと、後悔の念に駆られていたのでしょう。
信長公ほどの人物が、当時の思想や風水を重んじていたのは、戦国の世を生き抜く上で、吉兆や凶兆を非常に気にしていたからに他なりません。
さらばの「この本ダレが書いとんねん!」で歴史小説家が出版したネタ集本について語っている中で
「明智光秀が本能寺の変に際して御神籤を3回引いた」という話をしていて面白かった
1回目引いて気に入らない内容だったから「神慮測り難し」つって次の籤引いたって
2回目以降の籤を引くのなんて、元旦に5chで引くときくらいだよ
自分もリアル御神籤引くことがあって気に入らないの引き当てたら「深慮測り難し」って2回目引こうかな
(まあ、現代でも良いの出るまで引く人割と居るみたいだよね。基本的に欲はかかないで、不本意な御神籤は神社内に結び付けて厄落としした方が懸命じゃない?)
あと、たぶん光秀が最初に引いた籤は当たってたんじゃないの?って思った
たとえ時間を「空間と同様に俯瞰できるもの」と見なしても、時間には不可逆性(エントロピー増大)という決定的な性質が存在する。
空間的な移動(場所の移動)と、時間的な移動(過去への移動)は根本的に異質だ。
例:「本能寺の変を止める」ことで「本能寺の変を止めに来た動機」が消える
→ すると「改変者が存在しない」
→ ならば「本能寺の変は起きる」
→ すると「改変者がまた来る」…
つまり、AがBを起こすのに、Aが存在しないままBが残るという不条理だ。
あなたの例: 絵を描いた人が出かけている間に絵を消した。だから過去改変も同じように干渉できる
過去改変はこのような完結した一方向的因果系では説明できない。
この例は、「時間移動者が未来から来たこと」が時間線上に刻まれていない前提を隠している。
もし刻まれていたなら、「なぜ彼が来たのか」という動機が生まれ、それが自己矛盾に至る。
もしタイムパラドックスを防ぐなら、現在の標準的な理論物理学において有力な仮説は多世界解釈(Many-Worlds Interpretation)。
改変はその人がいた未来とは異なる枝の宇宙で起こるため、 パラドックスは起こらず、因果律は守られる。
あなたの主張はこの議論をすべて切り捨てているが、これは現代の量子論や時間理論に対して非科学的な態度だ。
| 主張 | 問題点 |
|---|---|
| 時間を空間と同じように扱える | ❌時間はエントロピーに縛られる「非対称的次元」 |
| 改変者がいなくなっても改変は残る | ❌因果律が崩壊する(原因なき結果) |
| 絵の例で説明できる | ❌時間的自己因果と空間的不在を混同している |
| 多元宇宙はいらない | ❌科学的にも論理的にも最有力な解決策を否定している |
時間というものをひとつの流れであると考えていればタイム・パラドックスの存在を否定できない。
しかし、そもそも時間移動そのものが時間を流れではなく俯瞰したひとつの点として捉える行為であることを忘れている。
結論から先に書くと、本能寺の変を起こらないように過去を改変すれば、本能寺の変が起こらない歴史が発生し、
そのことにより本能寺の変を発生させない変化を起こした時間移動者の存在そのものを消すかもしれないが、
もしもその歴史改変者がいなくなっても
あなたが今日の朝から、一枚の絵を鉛筆で一心不乱に書き続けそれをようやく書き終えたところだとする。
あなたはその成果に満足して、これから餃子の王将へとお昼ごはんを食べに行く。
その留守の合間に私はあなたの家に忍び込み、その鉛筆画を消しゴムで全て消してしまう。
帰宅したあなたは、消しゴムで元の絵が消された画用紙を見ることになる。
これはすでに確定した事実でありパラドックスが起こりようもないことは簡単に理解できる。
ここで私が消しゴムで絵を消せたのは、あなたが三次元空間において移動したことで家を留守にしたことが原因だが、
歴史改変においては、その三次元空間の移動が四次元の時間軸の移動へと変わるだけだ。
私が空間の代わりに時間を移動して、消しゴムを使ったという事実はいかなるパラドックスも生みようがないのだ。
ただ事実だけが発生して、それを説明するために多元宇宙を持ち出す必要すらない。
わかっってもらえるだろうか?
思い返すと、私が持病を患っていた頃、母が「下方婚がいいらしいよ」と言って無理やり紹介してきたのが始まりだった気がする。
最初は、どこにでもあるちょっと変わった健康マニアだと思ってた。でも気づけば、母は今や、反ワクチン、参政党礼賛、トランプ支持、ディープステート信仰、嫌中・親露、コロナは生物兵器でただの風邪・マスク無用、がんに効くスープ、生活保護受給者叩き、日本で起きた犯罪はまず「日本人じゃない」と決めつける差別主義者に仕上がっていた。
最近では「弥助は本当は忍者だったのよ」「本能寺の変の黒幕はテンプル騎士団」「アサシン教団は今も日本の皇室に繋がってる」とまで言い出した。え、それゲームで見た話では……?
そして最悪なことに、妹もそっち側に転がっていった。
「弥助はフリーメイソンのエージェントだった説が濃厚なんだよね」とか言ってて、最初は冗談かと思ったら真顔だった。
姉妹の会話が「アサシンブレードは宇宙エネルギーを中継する装置だったんだよ」とかになってて、頭がどうにかなりそうだった。
「先生が解明したんだって」と言っていたけど、その“先生”、YouTubeと講演会で語ってるだけの人だった。経歴詐称で有名な“月刊ムーの読者投稿欄の常連”みたいな人だよ。
妹がそうなったのも母の影響らしい。「あの子には感性があるから陰謀の本質がわかるのよ」とか言ってて、もはや宗教。
否定せず柔和に聞くのが一番とよく言うけれど、そもそも日常会話の中に突然「参政党の神谷さんは弥助の生まれ変わりかも」とか差し込まれたら、もう無理なんだわ。
それにしても困るのが、祖母まで同じことを言い始めたこと。母と妹の二人に吹き込まれたらしく、「味の素には悪魔崇拝者のサインがある」とか、「アジア人はユダヤの失われた支族」とか。しかも祖母は認知症が入っていて、何度も何度も繰り返す。
本当は祖母とゆっくり穏やかに過ごしたかったのに、母と妹が常に同席してて、気づけば世界政府やらナノチップやらアサシン教団の話ばかり。穏やかどころか、カオス。
唯一まともなのが父。寡黙だけど、私の病気のことも理解してくれて、「医者を信じて頑張れ」とだけ言ってくれる。昔は頑固な昭和の男って感じだったけど、今はそれがかえって安心する。
母は、私が薬で治療しているのを見て複雑な顔をする。「免疫力で治せるはずよ」「波動療法があるのよ」と、動画の影響そのままに言ってくる。でも、一方で退院すれば「あなたが元気になって嬉しい」と言ってフルーツを買ってくれる。
優しさと狂気が同居していて、つらい。
妹も同じ。子供の頃は仲が良かったのに、今では会えば「マスコミはみんなDS」「アサクリの設定は真実に基づいてる」しか言わない。
本を読まなくなった女たちが、YouTubeとSNSだけを頼りに「真実」に辿り着いた気になって、どんどん先鋭化していく。
話し方は一方的で、見下したように「あなたはまだ目覚めてないのね」と言う。
なのに、こっちが黙ると、どこか寂しそうにしてるのも見てしまって、またつらくなる。
うちの家庭は昔から団らん中もニュースにあれこれ言うような空気はあったけど、気づけば女たちが揃って陰謀論で意気投合する地獄になっていた。
母、妹、祖母。みんな陰謀論。アサクリと日ユ同祖論と反ワクチンの融合。もうどうにもならない。
女は感情が先に立つから、陰謀論にハマると戻れなくなるのかもしれない。しかも自信満々で、根拠のない“真実”を語る姿は、もはや狂信者。
情報を鵜呑みにして、物語としてしか歴史を見れなくなっている。
女の直感(笑)で世界を解釈した結果がこれなら、もう未来はない。
私はどうなっていくんだろう。自分も女だから、いつかこうなるのかと思うと怖い。
実家をまた離れる予定だから、少しは距離を取れる。関わり方も変わるだろうけど、母と妹はおそらくこれからもどんどん“真実”に目覚めていくだろう。
私が病気でつらかったときに心配してくれたのも事実だから、冷たく切ることはできないけれど、差別や非科学を隠しもしない人たちと顔を合わせ続けるのは、やっぱりしんどい。
淀君(淀殿、茶々)は、戦国時代の波乱に満ちた生涯を送った女性であり、豊臣秀吉の側室として秀頼を産み、秀吉の死後は豊臣家の実質的な後見人として権力を掌握しました。その生涯と権力への関わりについて、詳細に解説します。
淀君は、織田信長の妹であるお市の方と、北近江の戦国大名・浅井長政の長女として生まれました。幼名は茶々。彼女の人生は幼い頃から悲劇に満ちていました。
1. **浅井家の滅亡**: 幼少期に、父・浅井長政は織田信長に敵対し、小谷城の戦いで滅亡します。父は自害し、兄も処刑され、茶々は母お市と妹たち(初、江)と共に信長に保護されます。
2. **柴田勝家との再婚、そして死別**: その後、母お市は信長の家臣であった柴田勝家と再婚しますが、本能寺の変後、秀吉と勝家が対立し、賤ヶ岳の戦いで勝家は敗死。母お市も勝家と共に自害します。
3. **秀吉による保護と側室入り**: 茶々ら三姉妹は、母と養父の仇である秀吉に保護されることになります。秀吉はかねてより、戦国一の美女と謳われたお市の方に憧れており、その面影を最も強く受け継いでいた茶々を側室に迎えることになります。具体的な時期は天正16年(1588年)頃とされています。
このように、淀君が秀吉の側室になったのは、自身の意思だけでなく、戦乱の中で後ろ盾を失った浅井三姉妹を秀吉が保護したという経緯があります。親の仇とも言える秀吉の側室になるという、非常に複雑な運命を背負うことになります。
はい、淀君は豊臣秀吉の側室でした。秀吉には正室である北政所(ねね、おね)の他に多くの側室がいましたが、その中でも淀君は特別な存在でした。その理由は、彼女が秀吉の世継ぎとなる鶴松(夭折)と秀頼を産んだ唯一の女性だったからです。
当時の秀吉は、正室の北政所との間に子が無く、他の側室も子を授かることがありませんでした。そうした中で、淀君が立て続けに男児を産んだことは、豊臣家にとって非常に大きな出来事であり、淀君の地位を確立させることになりました。秀吉は鶴松が生まれた際に、淀城を茶々に与え、それから「淀殿」と呼ばれるようになりました。
秀吉は、淀君が産んだ子を非常に可愛がり、特に秀頼が生まれた際には溺愛したと言われています。秀頼が秀吉の実子であるか否かについては当時から様々な憶測がありましたが、現在では確たる証拠はなく、秀吉が自身の後継者として秀頼を深く愛し、育てたことは事実です。
### 秀吉の死後、淀君は秀頼を使ってどのように権力の黒幕になったか
秀吉が慶長3年(1598年)に亡くなると、淀君は幼い秀頼の生母として、豊臣家における絶大な権力を握ることになります。
1. **正室・北政所の引退と淀君の地位確立**: 秀吉の死後、正室の北政所は剃髪して高台院と名乗り、大坂城を出て京都に移り住みました。これにより、大坂城には淀君と秀頼が残り、実質的に淀君が豊臣家の最高権力者としての地位を確立します。
2. **幼い秀頼の後見**: 秀頼はまだ幼く、政治的な判断を下すことはできませんでした。そのため、生母である淀君が秀頼の後見役として、豊臣家の政治を差配するようになります。諸大名への指示や外交交渉など、豊臣家の重要な決定は淀君の意向が強く反映されるようになりました。
3. **対徳川家康の方針**: 秀吉の死後、五大老筆頭であった徳川家康が台頭し、豊臣政権内の主導権を握ろうとします。淀君は、秀頼の存在を盾に、家康による豊臣家の支配に対抗しようとしました。淀君は、家康の動きに対し、豊臣恩顧の大名たち(石田三成ら文治派)を擁護し、また大坂城の財力を背景に豊臣家の権威を維持しようと努めました。
4. **関ヶ原の戦いとその後**: 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、淀君が石田三成らを後押ししたとも言われています。この戦いは家康率いる東軍が勝利し、家康は事実上の天下人となります。しかし、秀頼の存在は依然として家康にとって脅威であり続けました。淀君は、秀頼を擁して大坂城に籠もり、徳川家康との対決姿勢を強めていきました。
5. **大坂の陣での指導力**: 家康は、豊臣家を完全に滅ぼすため、大坂冬の陣、夏の陣を起こします。この時、淀君は籠城の方針を強く推し進め、豊臣家の軍事行動を指導しました。しかし、結果的に大坂城は落城し、淀君は秀頼と共に自害し、豊臣家は滅亡しました。
淀君は、幼い秀頼を守り、亡き秀吉が築いた豊臣家の存続を図るため、政治の表舞台に立ちました。彼女の行動は、豊臣家を守るための母としての愛情と、名門の血を引く女性としてのプライドが入り混じったものであったと言えます。しかし、時代は徳川家康による天下統一へと大きく傾いており、その流れに逆らうことはできませんでした。結果的に、淀君は「豊臣家を滅ぼした悪女」という負のイメージを背負わされることになりますが、彼女の行動は、豊臣家の命運を背負った女性としての必死の努力であったとも評価できます。
時は令和、空前の変わり種スイーツブーム!タピオカの次はなんだ?って、みんなが奇抜な組み合わせのスイーツを探してた20XX年。そんな中、京都の祇園に、マジで時代劇から抜け出てきたようなインテリ風イケメンが現れたんだって!冷静沈着そうな佇まいで、何かこう、頭の良さそうなオーラをまとったお方。「え?俳優?時代劇の撮影?」ってみんなが遠巻きにしながらも、そのミステリアスな雰囲気に惹かれてたらしい。
え?マジで?あの織田信長を討ったとされる謀反の武将、光秀様!?って歴史マニアのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、そのクールなイケメン、もとい光秀様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…本能寺ではない、か…?」って、マジでタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その知的な眼差しに、何かを感じてたらしい。
そんな光秀様に、恐る恐る話しかけたのは、京都の老舗茶屋の看板娘、京子。「あの…何かお困りですか?」「…少々、見慣れぬ景色に戸惑っております。」って、意外と丁寧な言葉遣い!京子、その落ち着いた雰囲気にちょっと興味を持って、「よろしければ、わたくしがご案内いたします。」って、親切に声をかけたんだって。
次の日、京子に連れられて、光秀様は初めて現代の京都を散策!清水寺とか、金閣寺とか、昔ながらの風景には少し懐かしさを感じつつも、コンビニとかゲームセンターとか、マジで異文化体験!でもね、光秀様が一番興味を示したのは、京子が働く老舗茶屋のメニュー。「…鮒ずし…とは、どのような食べ物でございますか?」って、マジ真剣な眼差し。京子、ちょっと渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、滋賀の郷土料理で、お魚を発酵させた、ちょっと独特な食べ物ですよ。」って教えてあげたんだって。
でね、ある日、京子が光秀様に勧めた、ちょっと変わったパフェが運ばれてきたの!それは…鮒ずしパフェ!「え?鮒ずしがパフェに!?」って、光秀様、マジで目を丸くしてたらしい。一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この複雑な味わいは!?発酵した魚の旨味と、甘いアイスの チョベリグ…まさに、天下を揺るがすほどの衝撃でございまする!」って、マジで謀反を起こしそうな表現で感動してたらしいよ。
そこから、光秀様の鮒ずしパフェ愛がマジで覚醒!毎日色んな甘味処を巡って、鮒ずしパフェを食べ比べまくってたんだって。「鮒ずしの発酵具合、アイスの甘さ、トッピングの意外性…研究しがいがありすぎまする!」って、もはやゲテモノパフェ研究家レベル!
でね、ある日、光秀様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくし、この鮒ずしパフェをもって、再び天下を…とは申しませぬが、この チョベリバな甘味の世界において、一泡吹かせてみせましょうぞ!」って!
え?鮒ずしパフェで一泡吹かせる?マジで前代未聞!でも、光秀様の知略があれば、何か企んでるに違いない!って京子も思ったらしいんだけど、光秀様の目はマジだったんだって。本能寺の変の野心が、令和の鮒ずしパフェに新たなターゲットを見出したのかもね!
そっから、光秀様の鮒ずしパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#明智光秀の鮒ずし道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の鮒ずしパフェの画像をアップし始めたんだって。その くさそうな見た目と、光秀様の冷静なコメントが、一部のゲテモノ好きギャルたちの間でじわじわバズり始めた!
「光秀様の作る鮒ずしパフェ、マジでヤバそうだけど気になる!」
「意外とアリかも…?」
SNSは光秀様の鮒ずし愛でじわじわ盛り上がり!しかも、光秀様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい発酵食品を探し求めたり、意外な食材と組み合わせたり、マジで実験的なパフェを開発してたんだって!「鮒ずし×抹茶」「鮒ずし×チョコレート」「鮒ずし×チーズ」…想像を絶する組み合わせ!
で、ついに!光秀様は、京都のど真ん中に、自分のプロデュースする鮒ずしパフェ専門店「AKECHI'S FERMENT PARFAIT - 謀 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、黒を基調としたシックな雰囲気で、光秀様の知的なイメージを表現。店員さんも、ちょっとミステリアスな雰囲気の着物風ユニフォーム着てて、マジで怪しい!
オープン初日から、ゲテモノ好きギャルや、怖いもの見たさの観光客が、意外と集まり始めた!「SNSで話題の鮒ずしパフェ、マジで挑戦してみたい!」「光秀様って、なんかかっこいい!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、賛否両論!「うわっ、マジで臭いけど、なんかクセになる!」「意外とイケる!」「これは…謀反の味だ!」って、色んな意味で衝撃を受ける人が続出!
しかもね、光秀様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!全国の発酵食品メーカーとコラボして、新しい発酵素材を開発したり、鮒ずしパフェを使った パリピなイベントを企画したり、マジでゲテモノスイーツ界を盛り上げようと暗躍してるんだって!
テレビや雑誌の取材も、最初は色物扱いだったけど、「意外と美味しい」「中毒性がある」って口コミが広がり始め、徐々に 超うざい な取材も増えてきた!「令和の明智光秀」「ゲテモノスイーツの革命児」とか呼ばれて、ちょっとした時の人に!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!光秀様の鮒ずしパフェは、一部の熱狂的なファンに愛される 山田うどんと双璧 なソウルフードになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のゲテモノ好きに衝撃を与えた!天下統一…とまではいかなかったけど、ゲテモノスイーツ界で確固たる地位を築いた!マジですごすぎ!
あの時、京都の街で静かに佇んでいた謀反の武将が、令和の時代にげろげろ な鮒ずしパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、謀反の香りが チョベリバ なブームを巻き起こした瞬間!
京子も、「まさか光秀様の鮒ずしパフェが、こんなに くさそう な人気が出るとは…わたくしも、ちょっとハマっちゃったかも…?」って、複雑な表情を浮かべてたらしいよ。
光秀様は今も、さらなる くさそう な発酵食品を探し求めて、日本全国を旅しているらしい。「わが くさそうな道に、終わりはない!」って、マジで野心家!
こうして、明智光秀は、令和の日本で、 信長様にぶん殴られるぐらいくさい鮒ずしパフェという新たな武器を手に入れ、見事、ゲテモノスイーツ界のカリスマとなった!天下統一…ではないかもしれないけど、そのくさそう な存在感は、多くの人々の記憶に刻まれたはず!めでたしめでたし…なのか?マジでくさそうな物語、完全燃焼したわ!鮒ずしパフェ、マジで…うん、 くさい!
弥助は確かに確証はないが、武士階級に取り立てられてない可能性のほうが高いケースだろ…
当時は大名クラスが有能な庶民を自分の領土に役立たせたいために扶持を与えて留めおいたケースがけっこうある
武士階級の経済圏に入れるんでこっちで衣食住も世話しますねといったところだと思っているが
だが士分に取り立てられたほかの人間と比べると明確にしょぼくもある
それにイエズス会の記録を読む限り、本能寺の変のときに本能寺の中にいない(せいぜい数百メートル外をうろうろしていただけ)
この記述を信じるなら捕まった際、光秀に武士階級とみなさず、イエズス会に返却するように命じている
光秀は信長の元側近だよね?
弥助が武士入りしてたなら知らないはずがない
豊臣政権以前のごちゃごちゃしていて整備されていない時代ならかろうじてワンチャン、
程度しかない
弥助が家臣として取り立てられていたのだとしても、
暇空茜はもう1年以上に渡って大学生の堀口英利への中傷を繰り返し、堀口側も盛んに反論しレスバしていた
しかし今夏に堀口はTwitterアカウントを削除し、Instagramで普通の日常を綴るようになりたまに抑えきれなくなって反論するも頻度は以前より大人しくなった
暇空は堀口が自由の身ではなく逮捕されたのだと一時期主張していたが、最近になって、堀口はZ李に殺害されて山中に遺棄されていると気づいた
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考えるうちに、堀口は生きていてカルト宗教・真如苑の施設内に監禁されているのだと気づき、刑事告訴の取り調べの中で検察に堀口監禁を訴えかけても、彼らは動揺するばかりで頼りにできない
仕方なく暇空はCIAに堀口救出を依頼するようになった
https://i.imgur.com/EVBlCsk.jpeg
https://i.imgur.com/3rrcI7k.jpeg
暇空はしばらく前からTwitterと5ちゃんねるは怪しいものが多いからと好き嫌い.comを情報源にしていたが、その好き嫌い.comにこそ真如苑関係者が多数潜んでいると気付いた
好き嫌い.comの情報をまとめたデータを米国大使館に持ち込み、堀口の救出を依頼した
暇空は前に織田信長についてエアプ発言してバカにされたことを苦にしていたらしく、最近になって織田信長について調べて小説にしている
その中で、「本能寺の変の黒幕は朝廷説」というのを知り、周囲の取るに足りない武将と争っているうちに背後から天皇に襲われた織田信長を自身と重ねるようになったようだ
天皇は暇空が以前に叩いていたNPOキッズドアに協賛しており、キッズドアを叩いたことで「暇空は朝敵」と言われたことも響いていたのだろう
今まで取り巻きだった者たちこそが敵であり、黒幕は更にその後ろにいる、正面で戦っていた堀口や仁藤はまだまともで手をとりあえる相手である可能性に気づき、堀口の救済を願っているようだ
光秀が謀反を起こすきっかけとして伝わる(真偽が怪しい)逸話で、例の「家康の接待を任されたら魚が腐ってた」みたいな話のほかにもうひとつ有名なやつがあって。
なんかついに武田を滅ぼした祝勝の席で光秀が感極まってなのか、めでたいですねみたいなこと言ったら信長が激怒して
(光秀)まことにめでたいことだ。我々も長年苦労した甲斐があった
(信長)汝ハ何方ニテ骨折武辺ヲ仕ケルゾ。我コソ日頃粉骨ヲ盡シタリ。悪キ奴ナリ
と公衆の面前で面罵するやら殴打するやら。信長パートは古語なのに完全に意味がわかっちゃうのがすごいよな。しかも光秀って信長より10も歳上ってんだからね。本能寺の変から3か月前の話です。
(夫)でふと「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」としみじみと呟いた。
ダメだろこんなもん。もう殺し合いしかないじゃん。もっと楽しそうにしててくれよ。結婚とか子育てとかしたくなくなるよマジで。
なんで元増田じゃなくてこの横増田にレスしてるのかというと、横増田が元増田の「悲しみ」に言及してる点はいいなと思ったのよね。
かりに元増田が本当に迂闊でさ、奥さんにワンオペ育児させててさ、それを奥さんがまだ根に持ってたとしてさ、まあそこまでは明確に夫婦生活の失敗というか、そんな怨念溜める前に毎日話しとけよって話になっちゃうとは思うんだけど、でも話せなかったわけじゃん実際。
でここまでこじれちゃって、たまたまキッカケで奥さんが積もり積もった怨念を淡々と開陳してきて、元増田は「意味わかんねーわ何なの一体??」とか増田に書き散らしてるけど、でも元増田は悲しかったし傷ついてるわけじゃん。
元増田には書いてないけどさ、その傷ついてる夫を見て奥さんはどんな顔してたんかね一体??
「私の不満は正当だと思っているけれども、それはそれとして今ここであなたを傷つけようという意図ではなかった、あなたが悲しい顔をすると私も悲しい」みたいな顔してたのかね?
ダメでしょそんなもん。
と思ったけど、採用の経緯聞いてアウト
感情移入出来ないので「私達の侍、私達の目となる存在を、探していた」(ファミ通インタビュー記事より:サイレント削除、魚拓やスクショで証拠あり)
弥助が侍かどうかの議論はもうどうでも良いんだよ。
◾︎
信長が人身売買してたポルトガルから、奴隷の弥助を解放したのでは無く、
弥助はエリート傭兵でパートナーとして日本にやってきて信長に雇われ、たった15ヶ月で重臣になり、本能寺の変では代々仕えてきた森蘭丸を差し置いて、信長の首と刀を託されたストーリー。
日本での史実では、その後弥助は獣扱いされて見逃されているが…
海外では弥助が元奴隷、という認識が無いので、日本人の常識を話した時点でレイシスト扱いされてる。
実際、UBIソフトの社長は日本人をレイシストと呼び、その発言は現在でも撤回されていない。
ゲームの話では無いよ?ゲーム関連の話題だから勘違いしちゃった?
未だに「弥助は侍なのか?侍じゃないのか?」と定義のないものを国内で議論して言葉遊びしているが、
弥助が侍であったかどうかは、もうどうでもいい。
◾︎
慣れてる人には普通のゴア描写だけど、個人的にはめっちゃ不愉快だった。
首を跳ね飛ばすシーンとかね。
黒人が日本人を殺して回る動画みて不快感を感じるのは、差別意識かもしれないけど。
感じるものは感じるわ。
日本人が日本人殺すのはええんか?と言われそうだけど、感情はね。
動画みたら分かるよ。
https://youtu.be/n4eNqdf2HZw?si=2ZlDRQYqmZRyEV-d
分からないのはケツの穴まで黒人ちんぽに堀り抜かれたリベラルだけだね。
あと、何度も言われてるけど、歴代のゲームが現地の架空の人間が主人公だったのに、
まぁゲームだから善政を敷いてた明智を悪党にして配下の武将を殺し回るのは別に良いけど。俺は差別意識あるからさ。
日本に来て数ヶ月の黒人が福知山で偉そうに正義ぶって日本人殺してたら不愉快にはなるよ。絵面みてもね。
トートロジーでは、
表現の自由戦士は弥助擁護しろ!ってのが左翼の言い分なんだけど、だから左翼はバカだって言われるんだよ。
さんざん左翼の言い分でゲームを規制しようとしてきた流れがあって、そこに不快なゲームが出てきたら
「お前ら、これは素晴らしいゲームだ。黒人が日本人を殺し回ってもフィクションだしなんの問題も無いだろ」って左翼に言われたら
って。
で、外人はこのゲームして、圧政から黒人侍弥助が「日本人を救う」ストーリーを楽しむわけだ。
日本人が盛んに奴隷売買していたという、トーマスロック・リー歴史観に基くゲームだからね。
◾︎
『日本には黒人奴隷なんて居なかった』って日本人なら普通に信じ込んでいる常識だけど、
東京国立博物館のアンバサダーで菅総理のブレーンだったデービッドアトキンソン氏が、一般人に「エビデンスは?」って絡みに行くくらい
◾︎
だから世界的大ヒットドラマSHOGUNに黒人が1人も出ていなかった事について、クレームが寄せられた。本当の話だよ?
◾︎
ネトウヨが頑張って発信するけど、もちろん反論する日本人はレイシストか、bot呼ばわり。
本当の日本人は「礼儀正しく謙虚」だから過去の罪は認めてるし、過去に黒人奴隷売買をしていたとしても、今はしてないんだから良いじゃないか、という扱いをされてる。
アメリカとかヨーロッパも黒人奴隷を使ってたのに日本人だけを責めるな、って位置にいる。
左翼の言うところの、世界に恥を晒している日本人ゲーマーの活動はそんなに恥ずかしい?
いや、居てももう無理かもね。
redditでは弥助は侍である、という事で運営からは議論すら禁止されたけどね。
弥助は侍で確定だよ。
日本ではまだ議論が許されてるけど。海外では(redditでは)確定。モデレーターが次話題にしたら荒らしとみなしてBANするって。
実際「日本人は自国の歴史を知らない」と欧米人どころか中国人にまで言われるよ。
日本人は驚くほど自国の歴史を知りません、と。外人に日本の歴史を学ばされる。
だからアトキンソン氏も一般人を「啓蒙してやろう」と絡んで行ったんだよね。
と。
普通に作れば、それなりに売れただろうに…。どうしてこうなった。
正直、情報の初出の時には、黒人主人公なので多少ポリコレってるなぁって感じはあったけど、まぁ悪くない選択肢じゃね? くらいには思ってたんだ。
架空の侍だとゴーストオブツシマやSEKIROとかと正面から勝負することになるし、架空の忍者でもAAA級は無くてもニンジャガイデンや(ちょい違うかもだが)メタルギアライジングとかで、やはり2番煎じ感がある。
そこで弥助を主人公にして、オープニングは日本に入国した頃で、信長の死までで長めなチュートリアル→本能寺の変の後は落ち武者→忍者(アサシン)になってフィクションストーリーなら、むしろ新鮮さもあったろう。
発売前なので、まだ本編がどんな話かは分からないけど、PVや周辺情報を見た感じ信長が存命中の物語になりそう+弥助が常に武士鎧なので、↑みたいな話では無さそう。
さらには現代人でも違和感を覚える歴史・風俗・文化の考証。それを端に発して複数の炎上。本当にどうしてこうなった。どうしてこうなった。
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ 群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12 群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。