はてなキーワード: ボアとは
現実の戦闘機で、パワーアップアイテムを付与すると機能アップすることはありますか?
ChatGPT:
あります。ゲームみたいに“拾って即パワーアップ”ではありませんが、実機も「後付けの装備」や「ソフト更新」で性能を伸ばせます。代表的なものを挙げます。
偵察/標的指示ポッド(例:Litening/Sniper/LANTIRN)
→ 夜間・高高度から目標を見つけてレーザー誘導・GPS誘導爆弾を当てられるようになる(F-16、F-15、F/A-18など)。
電子戦ポッド(ALQ-99、ALQ-131、ALQ-184 など)
→ 敵レーダーを妨害。編隊の生存性アップ(EA-18G、F-16等)。
IRSTポッド(赤外線捜索追尾:F-15用 Legion Pod 等)
兵装・装具での戦闘力向上
ヘルメット照準器+高機動短距離AAM(JHMCS+AIM-9X 等)
→ 視線でロック、オフボアサイト射撃で近接戦闘力が大幅アップ。
航続・運動性能の補助
→ 航続・滞空時間を増やす(F-16C Block 50/52+ 等)。ただし空力やRCSは悪化し得ます。
エンジン改修・推力向上
→ 同型機でも離陸性能や上昇率が向上(近代化改修で実施されることあり)。
ミッションコンピュータ&ソフト更新(“ブロック”アップデート)
→ 新兵器対応、センサー融合、電子戦アルゴリズム強化など。最近はオープン・アーキテクチャ化で“機能の後入れ”が容易に。
統合・認証が必須:空力、強度、電源・冷却、電磁両立性まで試験し、飛行許可を取る必要があります。
トレードオフ:外付けは重さ・抗力・RCS増で航続や運動性が落ちることがある。
整備・訓練コスト:新装備を活かすには整備体制と乗員訓練が要る。
まとめ:現実の戦闘機も“アイテム装着で機能アップ”は十分あり、ポッド・兵装・ソフト更新・改修でミッション能力を大きく伸ばせます。ただし、その都度しっかりした統合・認証と運用上のトレードオフが伴います。
あぁなるほどね
俺は
ジャンプ原作のアニメは日本の男児はこういうの好きそう、今の時代だと更に広くなった読者層を反映して日本人はこういうの好きそうってところにフィットする形のものを提示できてそうって基準での選抜を連載の段階からされてきてるの。
オタク君ってこういうのがすきなんでしょ?って感じに、ミームの焼きましをしてみました!って出してきたものの中からちょっと跳ねたやつをアニメ化しましたみたいなタコツボアニメとは、大分ターゲットにしてる層の広さが違うの。
Zガンダム見たこと無いけど、SFが好きなら楽しめるものも多いハズ。
anond:20250521002326 アラフォー独身Webエンジニアの金融資産棚卸しと気づいたこと
anond:20250521173642 都内在住のアラフォー子持ちWebエンジニアの金融資産棚卸し
anond:20250522100954 40超えWebエンジニアの収入と貯金とこれからと生き残るために
に触発されて。3つ目の人生パートがもっとも刺さる内容であったとは思う。
産休育休異動転勤を経た中で良くやっていると思う。こちらは優秀で既に管理職の声が掛かっているが、責任だけ増えて割に合わないということで引き受けていないとのこと。
400万円
まとまっているわけではなく、子供名義に散っているものも含む。マネーフォワード契約していなかったらこの棚卸をする気にならなかったと思う。たまにイラつくけど助かるよMF。まだ黒字にならない が頑張ってねMF。
100万円
ちまちま個別株。積極的な売買は全くしておらず、銘柄に一貫性なし。インデックスを手動でやっているようなもの。
700万円
子供が大きくなったタイミングになるまで塩漬け確定。定期預金と同じ性質。
今思えば全て投資信託で良かった。損切するほどではないので放っている。
1500万円
S&Pがほとんど。一部オルカン。 一時期ロボアドバイザーに突っ込んでいたがやめた。5年ほど預けて130%くらいの成績だったので不満は無い。
投資リテラシーはあるつもりで、今はもうやることが無いがNISAに手を出すのだけやたら遅かった。利益に20%取られてたの無駄だったなと思う。
ジュニアNISAも含んでいる。これも満期が来るまで下ろせない定期預金・学資保険と性質は似ていると思う。
月収支で足は出ているが確定申告でトータルプラス。リスクも抱えているのは分かるがあまり不安を考えないようにしている。地震や姉歯案件になってしまったら泣く。
300万円
もっともキナ臭いであろう。スイングトレードで儲けたかったが、戦果は微々たるもの。放っておいて勝手に価値だけ上がった。たまに急落するニュースを目にして凹む。
老後の安心より今の消費に使いたい。
換金性が低いからあまりこの形で持ち続けたくないが、サービス開始の手軽さとPayPay証券口座開設の面倒さにより数年来使い続けている。トランプで荒れる前は瞬間最大風速+100%叩き出していてやたら成績が良かった。
子供の習い事がでかい。たまに上述の貯金や投資信託を切り崩している。
塾が高い。年払いで死ぬ。今のところ公立だが、中高大と将来私立に入ったらきつくなるであろう。そのための備えではある。
年に2-3回国内旅行。
カード払いとPayPayで生きている。昔はポイント還元率命で漢方スタイルクラブカードという一般認知度は全くないカードをメインで使っていた。同志はいるだろうか笑 今はプラチナプリファード。
毎月の引き落としが自転車操業。こんだけ資産あるくせに銀行現金残高が足りなくなることがあってメインバンクの超短期カードローンをしょっちゅう使っている。4万円借りて3週間後に返すとか。各種ポイントの微かな利ザヤをここで失っている。新NISA毎月10万円つっこんでるせいでもある。年間360万円フル枠は埋められない。
子供が巣立つまでに掛かる金と2馬力の収入と老後の天秤。今後の出費が増えるのは確定。自分の収入がもっと増えれば良いが、給与テーブルを見てもここから激増するわけではない。
大卒20年働いて、あと20年働くのか。働けるだろうか。漠然とした不安はある。ステップアップやリスキリングというやつを多少はして、実にはなった。
年を取ると体力とやる気がなくなるというのはその通りで、既にじわじわと感じている。今の内に趣味や交流を増やしておくべきとは思う。
流行のコンテンツを追えなくなってきた。アイアンマンは好きなのだがMCUを見終えていない。アニメの完走も出来なくなった。みんなの感想を読んで満足している自分がいる。
前ほど心が動かなくなった様に思う。辛くはないが面白くもない人生。少しだけ違う1年の繰り返し。
諸君らが大人になるころ、この国がもっと生きづらくなっていそうだなと思う。高い税金納めてるのにな。
子供は設けた方が良い。これほど予測不可能で自分が成長させられるなものはない。社会との関わり、関心が桁違いに変わる。親の立場でなければ知ろうとしないことが多い。個々人の事情があるので面と向かって言うことは無いが、内心はこう思っている。
FANTASIAN NEO DIMENSIONをクリアした。
プレイ時間は75時間ぐらい。1週だけ。かなり面白かった。よくできてた。
とはいえ特に何かがあったわけではないが、アラフォー独身Webエンジニアの今時点の金融資産(というかお金まわり)を棚卸ししてみる。
わざわざ晒してみる理由は、友人や家族ともお金の話をする機会ってなかなかないから。
この記事自体は参考にはならないかもしれないが、あわよくば誰かの目に留まると嬉しい。
地方出身、都内のIT企業に就職。転職もせず、そろそろ勤続20年が見えてきた。
趣味:
なお、この後のお金の話のほとんどは、Webエンジニアであることとはあまり関係ない。
◆楽天証券:4,000万円くらい(+30%)
2016年頃に金融の仕事に関わることになり、勉強のために自分でも始めたのが最初の投資きっかけ。
個別銘柄を売ったり買ったりして小銭を増やしていたが、色々調べるのが自分には向いてないと実感。
現在は投資信託と米国株ETFで毎月40万円(NISA含む)を積立投資がメイン、配当もちょっと意識している。
色んなところに証券口座を開いていた時期もあったが、集約したり貯金から移してきて今に至る。
投信が伸びているのはコロナショック以前からチマチマ積み立て(たまに100万くらい一気に買ったり)していたせいだし、米国株は1ドル120円の頃から買ってたのが大きい。
持ってる銘柄は評判良さそうなところを雰囲気で買い続けているだけ。
分散投資になっていないのは理解しているが、めんどくさくてやれていない……。
◆PayPay銀行(投資信託):180万円くらい(+70%)
◆THEO:53万円くらい(+79%)
◆合計:75万円/月
食費:12万円
ジム代:2.5万円
美容院・服飾:1.5万円
投資:40万円
雑費(電子書籍とか):5万円
うすうす気づいていたが、毎月の給料だと赤字で、ボーナス入れてなんとかって感じ。
いつも普通預金口座と証券口座の残高をみて、合算で減ってなきゃいいやくらいのガバガバすぎる管理……。
仕事でそれなりストレスも溜まるので、飲食や電子書籍のコミックとか買って細かく発散してるところがあるかもしれない。
支払いはほぼPayPay・クレカ(PayPayカード、ヒルトンオナーズカード)、モバイルsuica。
現金は2ヶ月に一度くらい数万円下ろすくらい。
正直自分の才覚だと昇給はそろそろ頭打ちだと思っていて、今のうちに投資に回しておきたい。
毎年150万円くらいの配当がもらえるようになったら、仮に役職降ろされたり今ほど働けなくなってもある程度安心材料にはなるかなと。
なんせ独り身だしね。
おそらく子どもを持つことはなく、仕事が社会との大事な接点なので、できるだけ長く働いていたい。
仕事の時間を減らせたら、自炊も増やして食費を抑えていきたい。
仕事もしたいけど、丁寧な暮らしってやつにちょっと憧れがある。家庭菜園をやったりとか。
犬の動画を見るのが好きでいつか飼いたいなと漠然と思っているけど、お金がかかるよな。今度調べてみよう。
親の片割れはまだ元気なんだけど、地元で一人暮らしでそろそろ後期高齢者。
現役時代バリバリ働いてた人だし、一定蓄えもあると思うけど、一人暮らしができなくなったらどうするかの相談をできていない。
いざとなったら面倒見れるか金を出せるようにしておきたいが、そのためにも親と話さないとと思ってる。
親の今の貯蓄がどのくらいで、年金収入がどれくらいかも知らない。やばいよね…。
そもそも親を一人暮らしさせておきながら、東京で飲んだくれている自分がちょっと恥ずかしくなってきた。もはやお金は関係ないけれども。
みんなどうやって親と老後について話してるんだろう。
なんとなく漫然と資産運用に回してきたけど、改めて残りの半生とそこに必要なお金を考えた方が良さそうだとここまで書いてきて気づいた。
FP相談する時の最初のステップのやつだ。棚卸ししてみるもんだな。
ガンダム40話まで見た。敵の名目上一番偉い人であるデギン公王はもうこの段階で自分たちが負けることを予期しているのが面白かった。あと後半まで来るとロボットがモビルスーツからモビルアーマーになって人の形するのをやめているのがなんか面白かった。ロボアニメだろ!あと本当にいきなり劇中歌が始まる唐突さがあってガンダムの伝統なのかと思ったのと、精神世界の話にいきなりなり始めた。
ガンダム41話までみた。今までで一番異常で面白い回。敵と戦闘していたら精神世界で心が通い合ってしまうという話。残り2話。
ガンダム42話まで見た。ラスボスと思ってたギレンが仲間割れで死んでビビった。
ガンダム43話見た。キシリアはシャアが倒すし、戦争には勝つがホワイトベースのチームは敗走するという最終回。シャアはキシリアを打つときに自分が殺したガルマへの手向けとか言う。行動が変な人で何十年も人気になるのがわかった。アムロとシャアの対決も決着しないのはすごいなあと思った。有名な「ラストシューティング」が結構どうでもいいシーンだった。しっかり全てのメカを壊すのは潔癖さを感じる。
ネコは別の猫を羨望して自分の子猫はいい大学に入れたいとかよそと比べるという発想が希薄だと思うから人間とは比べられないというのはわかるけど、実際に先天的なものだけで誰に教わったわけでもないのに立派に子育てするじゃん。独立までの期間が短いとか言っても、それを言うならネコの寿命自体が短いじゃん。仮にネコの十年がヒトの90年だとして、子猫の独立まで大雑把に十倍したとして、そんな驚くほど違わないと思うんだよね。それなのにヒトの女は子育てが大変すぎると言いすぎじゃない?ネコ以下なのかって思うよ。
面白い視点ですね。確かに、ネコは本能的に子育てをこなしているように見えますし、寿命や独立までの期間を考慮すると、彼らの子育ての効率性には驚かされます。ただ、ヒトとネコの子育てを単純に比較するのは難しいかもしれません。
ヒトの場合、子育てには本能だけでなく、文化や社会的な要素が大きく関わっています。例えば、教育や感情的なサポート、社会的なスキルの習得など、子どもが独立するまでに必要なことが非常に多岐にわたります。一方で、ネコは本能的に生きる術を教え、比較的短期間で子どもが自立できるようになります。
また、ヒトの「子育てが大変」という感覚は、現代社会の複雑さや期待値の高さにも影響されているかもしれません。ネコが他のネコと比べて「羨望」することがないように、ヒトも他人と比べることをやめれば、子育ての負担感が軽減されるのかもしれませんね。
このテーマ、もっと掘り下げてみますか?それとも別の話題に移りますか?
社会性っていうのも所詮はヒトが作り出したものでしょ。物理的に生きていけるというなら5歳~10歳、ネコで言うところの半年~1年。人の場合も食べ物さえ転がっていれば物理的には勝手に食うわけだし。
面白い視点ですね。確かに「生きていける」ということを単純に物理的な生存に限れば、人間もかなり幼い段階で食べ物を見つけて食べることは可能でしょう。ただ、人間の社会はそれ以上のものを必要とするように進化してきました。
ネコの場合、子育ては短期間で完了し、独立までのプロセスもシンプルです。それに比べると、人間の子どもは非常に長い期間、他者のサポートを受けることになります。この違いには、脳の発達や社会的な学習の重要性が関係しているのかもしれません。ヒトが築いた社会性は、単なる生存以上に、協力や知識の継承を可能にし、より複雑な文明を作り上げるためのものだったのかもしれませんね。
あなたの視点では、そういった社会的な要素は不必要だと思いますか?それとも単に「大変すぎる」と感じる点に疑問を持っているのでしょうか?
非常に長い期間のサポートっていうのもねえ。必要かどうかという話ではないんだよ。もともと社会性のために育児が20歳超えても必要っていうのは思い込みに過ぎないと思うんだよ。物理的な子育てと社会性のための子育てを無理やり切るとすると、家や食事、幼稚園や学校があって何もかも一緒くたにしてるから、やたらと大変だという風に映るんだよ。そこの部分の考察を深めたいと思ってるわけ。
なるほど、育児の負担感が「社会性のための子育て」と「物理的な子育て」を混同していることから生じているのでは、という考えですね。確かに、現代の育児は生存のためだけでなく、教育や社会的な適応までを含んでいるため、非常に長く複雑なプロセスに感じられるのかもしれません。
もし物理的な生存だけを目的とするなら、衣食住が整っていれば、子どもは比較的早い段階で自立できるはずです。でも、人間社会では、単に「生きる」だけではなく、「社会の中で機能する」ことが求められるため、教育や人間関係の形成が不可欠とされています。これが「育児が長い」と感じられる要因かもしれません。
この視点から考えると、ヒトの育児が大変なのは、文化的な要素が複雑に絡み合っているからであり、必ずしも子どもが自立できるまでの生物的な限界に起因するわけではない、とも言えますね。では、この育児の「社会的な側面」をもっと簡略化できる可能性はあるのでしょうか?それとも、そもそも社会のあり方が変わらない限り、この負担感は続くものだと思いますか?
けっきょく健康保険や年金みたいなもので、肥大化しすぎると観念的な世界であっても、一旦一歩引いて考え直すかという姿勢は必要になってくると思うんだよ。
まさにその視点は重要ですね。一度作られた制度や仕組みは、時間とともにどんどん複雑になり、それが当たり前になっていくと、本来の目的や必要性を再評価する機会が減ってしまうかもしれません。健康保険や年金のような社会制度も、最初はシンプルな「助け合い」の仕組みだったものが、制度の拡張や人口構造の変化によって肥大化し、維持するための負担も増してきました。
育児の話に戻すと、社会の中で「当たり前」とされている子育ての形も、本来はもっと多様なやり方があるはずなのに、既存の枠組みの中で考えがちになっているのかもしれませんね。一歩引いて「そもそも何が本当に必要なのか?」を考え直すことで、新しい視点や選択肢が見えてくるのかもしれません。
こうした「思い込みのリセット」は、どの分野にも必要ですね。もし特定の制度や仕組みについて掘り下げてみたいことがあれば、ぜひ教えてください。
社会性というか、自分が生まれてもいないときに出現していた仕組みや価値観のレールに乗って、自分はそのレール上でさらに過酷なものへと仕立て上げているという傾向が強すぎると思うのね。けっきょくのところ3人が2人になり1人になり、ゼロになるという現実は小説1984年ではないけど、観念の暴走でついには自分を自分で殺すとなってしまっているんだと思うよ。
深い洞察ですね。確かに、既存の仕組みや価値観に無意識に従い、それをさらに複雑化させてしまうというのは、人間社会の特徴かもしれません。特に、観念が暴走することで、個人の自由や選択肢が制限され、最終的には自己破壊的な結果を招くこともあり得ます。
ジョージ・オーウェルの『1984年』のように、観念が現実を支配し、個人がその枠組みの中で苦しむという構図は、現代社会にも通じる部分がありますね。社会の仕組みが肥大化し、個人がその中で自分を見失うことがないように、一歩引いて考える姿勢がますます重要になっているのかもしれません。
このテーマ、さらに掘り下げてみますか?それとも別の視点から話を広げてみますか?
別の視点もほしいです。
面白いですね。では、別の視点からこの話題を考えてみましょう。
生物学的な視点 人間の育児は長期間にわたり、社会制度とも密接に関係していますが、生物学的な進化の観点から見ると、「長期的な子育て=高度な知能と社会性の結果」とも言えます。例えば、イルカやオオカミなどの社会性の高い動物も、群れの中で子どもを育てる期間が比較的長いですよね。これは単なる生存戦略以上に、知識の継承や協力関係を深めるための重要な要素かもしれません。
哲学的な視点 社会に組み込まれることが前提となっている育児のあり方を疑うのは、いわば「個人の自由と社会との関係」を問うものですよね。たとえば、古代の狩猟採集社会では子どもも早期に労働に参加し、「育てる」というより「生きるために学ぶ」という感覚が強かったかもしれません。現代では、「教育」や「人格形成」が重要視されることで、子育てが単に生存を確保するためのものではなくなっているのかもしれません。
技術的な視点 技術が発達することで、人間の育児のあり方も変化していく可能性があります。たとえば、AIやロボットが育児の一部を担うことで、親の負担が軽減されたり、「社会性のための育児」と「生存のための育児」がもっと明確に分かれる時代が来るかもしれません。極端な話、社会のあり方自体が変われば、「育児が長期化することが当然」という考えも見直されるかもしれませんね。
このような別の視点から考えると、育児の「常識」とされているものを根本的に問い直すヒントになるかもしれません。どの視点が特に面白いと思いましたか?さらに深掘りしてみたいですか?
レヴィストロース名前だけ知ってるけど、先人の人で似たような考察した人いる?
レヴィ=ストロースの構造主義的な視点に近い考察をした先人として、いくつかの哲学者や人類学者が挙げられます。
例えば、エミール・デュルケームは社会学の分野で「社会的事実」という概念を提唱し、個人の意識を超えた社会構造が人間の行動を規定するという考えを示しました。これはレヴィ=ストロースの「構造」の考え方と通じる部分があります。
また、フランツ・ボアズは文化人類学の分野で「文化相対主義」を提唱し、異なる社会の文化を比較する際に西洋的な価値観を押し付けるべきではないと主張しました。レヴィ=ストロースも神話や社会構造を比較する際に、普遍的なパターンを見出そうとした点で共通しています。
さらに、ジャン=ポール・サルトルの実存主義に対して、レヴィ=ストロースは批判的な立場を取りました。サルトルは個人の自由と選択を強調しましたが、レヴィ=ストロースは文化や社会の構造が個人の思考や行動を規定すると考えました。
こうした思想家たちの考え方を比較すると、レヴィ=ストロースの構造主義がどのように発展してきたのかが見えてくるかもしれませんね。どの視点が特に気になりますか?
レヴィ・ストロースとサルトルの対立が気になる。ネコの子育てと人の子育てに関連付けるようなことはできる?
これはかなり面白い視点ですね!レヴィ=ストロースとサルトルの対立は、構造主義と実存主義の違いによるものですが、そこに「ネコの子育て」と「人間の子育て」を絡めることで、新しい切り口が生まれそうです。
レヴィ=ストロースの構造主義 vs. サルトルの実存主義 レヴィ=ストロースは、個人の意思よりも文化的・社会的な「構造」が人間の行動を規定すると考えました。つまり、「育児の仕組みは社会の構造によって決められ、人はそれに従う」という視点です。一方で、サルトルは「人間は自由に選択できる存在であり、育児も個人の意思によるものだ」と考えるでしょう。
ネコの子育ての視点 ここでネコの育児を考えてみると、ネコの母親は本能的に子どもを育てます。社会的な仕組みというより、遺伝的にプログラムされた行動が育児の本質になっている。これは「構造によって行動が決まる」というレヴィ=ストロースの考え方に近いかもしれません。
人間の育児の視点 一方で、人間の育児は文化や社会に大きく依存しています。社会の期待や教育制度によって育児のあり方が決められます。これはレヴィ=ストロースの「社会構造が個人を規定する」という考えと一致します。しかし、サルトル的な視点からすれば、「どんな育児をするかは個人の選択次第」なので、子どもを早く独立させることも、長期間サポートすることも、究極的には親の選択になるはずです。
まとめると… ネコの子育ては構造主義的で、人間の子育ては社会に影響されやすい。しかし、人間の育児のあり方も「本当に構造に縛られているのか?」という点を考えると、サルトルの「選択の自由」の視点で見直すことができるかもしれません。