はてなキーワード: 几帳面とは
例えばここ。
“周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、
自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりするので、
批判に過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います“
AI使っとるんやろが、これが仮にAIから叩き出したデータだとしてもnが膨大なので言われたとしてもバーナム効果程度だと思うんや。きみ几帳面やな?A型やろ?って言われてそうかも、と思うレベルなんや。今回は不安にさせるようなものを意図的に出すめんどくささがあったんやがな。
そんなことより、もっと社会の真に迫る統計を叩き出してぺたーっと貼り付けたほうが効率良く論破できるんにな。AIを使うやつはそこがダメなんや。
“自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりする“
ここで増田は自分はそうじゃない、と反論したとしても、それ以外の大多数であり結局はわいの反論や洞察にはなってないんや。
むしろ自分のアタマでじっくり文章を読んでない、もしくは同じような人間としか関わったことのないことの証左やないか。
ま、長いことトラバやり取りしてくれてありがとな😥
決めつけては良くないとは分かりつつも、たぶんこの人ASDなんだろうなと仕事してて思った話
病的と言ってもいいのでは?ってくらい几帳面だし、手順を守ろうとする人がいる。
他の人ならテストする内容5個書けばいいよーって指示するような内容を、いや項目ごとに分けて全部書くべきと15個くらいに増やす(悪いことではないけど)し、ある程度前後しても問題ない作業を頭から順番通りにやるべきと頑なに言うし、作業時間短縮の為に事前に作成したデータも改めて手順書通りに作ってからやってほしいと言う。
これが時間に余裕があるタイミングなら全然その通りにやるべきなんだろう。丁寧に行うことはミスの削減に繋がるし、間違ってはいない。
ただ提出期限が近い中で作業を増やすなと思うし、やった上で細かい部分が気に食わないから直してというのは相手の負担を考えていないのではと思う。
なんなら後に予定が控えている相手に対して1〜10まで細かく手順書通りに説明してほしいというのも流石にちょっと、と思う。
本人も几帳面で拘りがあって心配症でと言っていたからたぶん傾向はあるんだと思う。
自身もADHDなのでそういう悩みもある程度理解はしてあげたいところではあるが、せめて時間的な部分に関するところは空気が読めるようになってほしい。
自分の作業が落ち着いたタイミングでこの部分の順番は臨機応変に作業して大丈夫だよって手順書を修正した方がいいかもしれない。
どちらにせよ修正かけようと思ってたし良い機会だと思う。
写真のことは完全に素人だが、どの写真も「いい…」としか言いようがない。
とりあえずflickrを見てほしい。膨大な枚数が丁寧にソートされており、見やすさからも本人の仕事の几帳面さが窺える。
https://www.flickr.com/people/mikkagashi/
三日画師さんを知ったのは通っていた大学の最寄り駅で大規模な再開発があり、その頃の風景が失われてしまったのがきっかけだった。
当時ガラケーだったのもあり写真が手元に全く無いことに気が付き、せめて気持ちだけでもと検索したところでたまたま三日画師さんのアルバムを見つけた。
しかもまさに自分が通っていた時代の写真が大量にアップされていたのも驚いた。
その後flickrにアップされている写真はほぼ閲覧した。どの写真も凝りに凝った一枚というよりも、そこに住んでいる人の目に入っているであろう風景がありのまま撮影されている。三日画師さんとは生活エリアが近いようで、いくらでも見たことがある光景が出てくる(そしてもう見れない。ほとんど何かしらの再開発が入っているから)。
残念ながら三日画師さんのアカウントは長らく更新がない。twitterのアカウントも検査入院の報告で止まっている。それでもこの誰かの心象風景ときっと重なるであろう貴重な写真がインターネットに埋もれていってしまうのが惜しいので、ひっそりとここにアップしておきたい。
手作りでいろいろするのが趣味なんだけど、初めはコスパで始めたけど意外とコスパ悪いものが多かったので共有
味噌→コスパ普通。手前味噌だが味もいい、香りは市販のものが良いと思う。一度仕込んだら放置でOKなので楽。ゴミも出ない。
納豆→コスパ悪い。市販の方が断然美味しいし、電気代を考えるとほぼコストが同じ&時間や手間もかかる。ゴミが出ないのは良い。
ヨーグルト→コスパ少し悪い。市販の方が美味しい。たまに失敗して雑巾みたいな味になる、種を使って永遠にヨーグルト作成ができない。清潔感ある几帳面な人なら少しだけコストカットになる。種菌保存が邪魔。
梅酒①→コスパ良い。市販のものより美味しい。コストは少しだけ良いくらい。好みの味を作れる。ゴミも出ない。
自家製酒②→どぶろく系はコスパ良い。ミードもOK、ワイン系や日本酒になると市販の方が美味しいが、かなり安く作れる。
ベランダ栽培→野菜系はコスパ悪い。ハーブ系はコスパめちゃくちゃいい。ちょっとハーブが必要な時に収穫できる。
自作PC→コスパは良いが、初めから自作はコスパ悪い。SSDやHDDの増設から、グラボ、チップの換装、それに付随してメモリや電源の換装、マザボと進んでいくのが安全。
ザワークラウト→そもそもザワークラウトが売ってないのであれだが、コスパ悪い。美味しく作るのがめちゃくちゃ難しく、失敗すると糞まずい。
昨日(2025年10月8日・水曜日)の僕は、いつものように目覚めの瞬間から几帳面だった。
アラームを鳴らす前の微小な筋肉収縮で6時44分59秒に目が醒め、コーヒーの湯温は必ず蒸らし後92.3℃で計測し、トーストの一片は正確に28.4g、バナナは熟度指標でF値が2.1に収まっていることを確認してから食べる。
午前中は机に向かい、形式的かつ徹底的に「超弦理論の位相的/圏論的精緻化」を考察した。
具体的には、ワールドシートCFTを従来の頂点作用素代数(VOA)として扱う代わりに、スペクトラル代数幾何の言葉で安定∞-圏の係数を持つ層として再構成することを試みた。
つまり、モジュライ族 上に、各点で安定∞-圏を付与するファイバー化されたファミリーを考え、その全体をファクタライゼーション代数として捉えて、Lurie 的な infty-functor として境界条件(ブレイン/D-brane)を安定∞-圏の対象に対応させる枠組みを描いた。
ここで重要なのは、変形理論が Hochschild 共役で制御されるという点で、VOA のモジュラー性に相当する整合性条件は、実は E_2-作用素のホモトピー的不変量として読み替えられる。
従って、運動量・ゲージアノマリーの消去は位相的にはある種の線バンドルの自明化(trivialization)に対応し、これはより高次のコホモロジー理論、たとえば楕円コホモロジー/tmf 的な指標によって測られる可能性があると僕は仮定した。
さらに、Pantev–Toën–Vaquié–Vezzosi のshifted symplectic構造を導来スタックの文脈で持ち込み、ブライアンのBV–BRST 形式主義を∞-圏的にアップグレードすることで、量子化を形式的deformation quantizationから∞-圏的モノイド化へと移行させる方針を検討した。
技術的には、済んだ小節のように A∞-圏、Fukaya 型的構成、そして Kontsevich 型の formality 議論をスペクトラル化する必要があり、Koszul 双対性と operadic な正規化(E_n-operad の利用)が計算上の鍵になる。
こうした抽象化は、従来の場の理論的レトリックでは見逃されがちな境界の∞-層が持つ自己整合性を顕在化させると信じている。
昼には少し気分転換にゲームを触り、ゲーム物理の乱暴さを数理的に嫌味ったらしく解析した。
具体的には、あるプラットフォーマーで観察される空中運動の離散化された擬似保存則を、背景空間を非可換トーラスと見なしたときの「有効運動量」写像に帰着させるモデルを考えた。
ゲームデザイン上の「二段ジャンプ」はプレイヤーへの操作フィードバックを担う幾何的余剰自由度であり、これは実は位相的なモノドロミー(周回時の状態射の非可換性)として記述できる。
こう言うと友人たちは眉をひそめるが、僕にはすべてのバグが代数的不整合に見える。
コミックについては、連載物の長期プロットに埋め込まれたモティーフと数理構造の類比を延々と考えた。
例えば大海賊叙事詩の航路上に出現する島々を、群作用による軌道分割として見ると、物語の回帰点は実はモジュライ空間上の特異点であり、作者が用いる伏線はそこへ向かう射の延長として数学的に整理できるのではないかと妄想した。
そう言えば隣人は最近、ある実写シリーズを話題にしていたが、僕は物語世界の法則性が観客認知と整合しているか否かをまず疑い、エネルギー保存や弾性論的評価が破綻している場面では即座に物理的な説明(あるいはメタ的免罪符)を要求する習慣があるため、会話は短く終わった。
ところで、作業ノートは全て導来stackのようにバージョン管理している。具体的には、研究ノートは日ごとに Git の commit を行い、各コミットメッセージにはその日の位相的観測値を一行で書き、さらに各コード片は単体テストとして小さな homotopy equivalence のチェッカーを通す。
朝のカップは左手から時計回りに3度傾けて置き、フォークはテーブルエッジから12.7mmの距離に揃える。
こうした不合理に見える細部は、僕の内部的整合性を保つためのメタデータであり、導来的に言えば僕というエンティティの同値類を定めるための正準的選択だ。
夕方、導来スタック上の測度理論に一箇所ミスを見つけた。p進的局所化と複素化を同時に扱う際に Galois 作用の取り扱いをうっかり省略しており、これが計算の整合性を損なっていた。
誤りを修正するために僕はノートを巻き戻し、補正項として gerbe 的な位相補正を導入したら、いくつかの発散が自然にキャンセルされることを確認できた。
夜はノートを整理し、Emacs の設定(タブ幅、フォントレンダリング、undo-tree の挙動)を微調整してから21時30分に就寝準備を始めた。
寝る前に日中の考察を一行でまとめ、コミットメッセージとして 2025-10-08: ∞-categorical factorization attempt; corrected p-adic gerbe termと書き込み、満足して目を閉じた。
昨日は水曜日だったというその単純な事実が、僕にとってはすべての観測と規律を括る小さなモジュロであり、そこからまた今日の位相的問題へと還流していく。
自分は建築の意匠設計に携わっているが、設計担当は自分ひとり。営業6人が持ってくる案件をさばくのに限界を感じ、1年前の春に上司へ人員補充を求めた。
2週間後、上司複数人に呼び出されて告げられたのはこうだった。
「別部署で休職していた社員が復帰する。建築系の資格もあるし、将来的に君の助けになるはずだ。病み上がりで配慮は必要だが、ちょうど人員補充を希望していたことだし、受け入れてほしい」
建築業界外出身の自分にとっては願ってもない話に思え、喜んで引き受けた。
「具体的な配慮とあできること・できないことは本人の意思を尊重し任せればよい」と聞いていたため、彼女に直接確認したところ、「全部できる」と答えた。
頼もしいと思い、すぐに出張同行をお願いした。意匠設計という仕事の特性上、実際の場所を見ることが一番の勉強になるし、実際を見ないとわからないことがほとんどであるため。
ところが1週間後、彼女が通うリワークセンターの先生が会社に来訪し、苦情を伝えられた。
「復帰してすぐなのに出張に行かされて辛い」「打ち合わせに参加させられた。ひどい」など彼女からの苦情があったそうだ。
「〇〇さんは、すごく人に気をつかうタイプなので、できないこともできると言ってしまう。そこはあなたが表情をみて本当に任せてよいか判断してほしい」
「わからないことがあると不安なので、わかるまで丁寧に説明してあげてください」
「出張・残業はダメです。彼女はリハビリ期間なので会社に出社するだけで素晴らしいのです」
「今の仕事は楽しいらしいので、このまま社会復帰できるように支えてあげてください」
と、ひたすら要望を突き付けて「理解とご配慮お願いします」と帰っていった。こちらからも出張は行ってくれないと困るとも要望したが配慮してくださいと一点張りだった。
席に戻ると当の本人は「そういう事ですので…すみませんがよろしくお願いします」と言ってのけた。
正直ここで、聞いていた話とだいぶ違うなと思った。
私は人手が足りないから人員補充を申請したのに、なぜ介護士みたいな役割が増えているんだ?
でも、自分も業界外出身で1年目は周りに多く迷惑をかけた自覚がある。ここで見限れば、1年目の私に無能だと怒鳴り続けた元上司と同じになってしまうと感じ、なんとか環境を整えようと努力した。
デザインの仕事をしているものとして、軽々しくこの言葉を使いたくないが、壊滅的にセンスがなかった。
でも、有名な著作タイトルにもあるように、センスというのは知識と経験から培われるものだと自分のポリシーに従い、自分の感覚でやっていることをなるべく言語・数値化して、なぜ自分はこういう設計にしているのか、彼女に毎回説明した。彼女は現場を見れないからすべて自分の言葉や写真で伝える必要があった。
数値化できることは資料にもしたが、彼女には全然足りなかったらしく「チャートをつくれ」や「フォーマットをつくれ」や「もっと丁寧に説明しろ」と要求は絶えなかった。
さらには業務上気にしなくてもよい、内部の建築構造の細かいところまで彼女は本当に気にした。それがはっきりしないと手を動かすことすらできなかった。仕事の担当領域や段階があるので、現時点で不明な情報があってもとりあえず想定で作るという判断が業務上必要なのだが、彼女に「そこは気にしなくてもよい」と伝えてもいつも釈然としない顔をしていた。自分が彼女よりも10近く年下のせいもあり、言葉に説得力がなかったのかもしれない。挙句には同じ建築業に従事する夫に電話をかけて「夫はこういっているんですけど?」と詰められたりした。
そんなに細かいことが気になるなら自分で現場をみにいった方が、いろいろ勉強になると再三伝えても、それは無理だと一点張り。でも、自分はわからないことがあると不安になるから、わかるように!もっと!丁寧に!説明してほしいと要望は止まらない。しかし、そんな要望真に受けていたら仕事がもっと回らなくなるから、納得していない表情をしていたとしても「じゃ。そういうことで」と話を切り上げて自分の仕事に戻ったりしていた。
さらに「短納期は無理」「前部署関連の仕事は無理」など、業務制約が次々に出てきて合計7項目に及んだ。
だったらと、彼女が納得しながらできるであろう「細かいことが決まっている」仕事だけを頼もうと思い、ちょうどよい業務がないときは勉強期間として、ファイルの整理のお願いをしていたのだが、しばらくすると上司に呼ばれ
「彼女が最近、仕事を任されないと落ち込んでいる。隣で忙しそうにされると何か手伝いたいのに、仕事を任されないのがつらい。私はやる気があるのに…」と相談を受けたとの話だった。
やる気があるなら出張に行けよと思った。
連休の度に「旅行(またはライブ/登山)に行ったんですよ~」みたいな話してくるのも一体どういう神経しているんだろうと驚いたし、それに対して「じゃあ、出張も行けますね!」みたいな返しができず「良かったですね~」と寄り添わなきゃいけないのもかなり苦痛だった。プライベートの旅行と出張じゃ疲弊する場所が違うのはわかるが、人に気を使って疲れる設定はどこに行ったのだろう?
それでも「回復のためには重要なステップ」とされる以上、彼女が気持ちよく働ける業務量になるように、他のチームの人にちょうど良い仕事はないか相談したりした。彼女に仕事を任され場任せるほどこちらの負担が大きくなるので、自分が回るのかも考えながら仕事量を調整した。
でも、やはり資料を修正を依頼するたびに「センスなくてすみません」とまるで謝罪している形を装った不満表明をうけたり、こちらが何か良い案を言うまで、自分の意見は一切言わずに答えを待つ態度だったり、何度仕事をしても減らない質問量に辟易するたびに、精神はすり減っていたようで、だんだんと無意識に彼女との会話を避けるようになった。彼女からは毎日面談の時間が欲しいと言われていたが、業務量的にも精神的にも回らなかったので断った。
段々と限界を感じていたある日、普段は営業担当から仕事が来るが、管理職直々の案件が来た。正直彼女向きではない案件だとは思っていたが、自分が対応する時間がないことや、営業担当が管理職だったこともあり、彼女に直接営業とやり取りをお願いして、案を考えるようにと伝えていたのだが、どうやら営業管理職とのやり取りがうまくいかなかったらしく、ほかの管理職に泣きながら抗議の電話を入れたらしい。
そこでようやく、上層部の人間に、彼女の扱いの難しさを実感してもらえた。
彼女が泣き出したことは当然、職場の事件としていろいろな話合いがされているが、その間その管理職と彼女への不平不満を話せるのがうれしくて仕方がなかった。
一度不満を理解してもらえると、これまで見ないようにしてきた1年間の不満が言語化され噴出し、今はもう彼女のことが生理的に無理になっている。(明日彼女はリモートワークなので)明後日以降はまた顔を合わせなければいけないが、今まで通りに接する自信がない。
きっと明日以降、様々な事情聴取が行われ、きっと自分も「彼女の事情を配慮して、もっと丁寧に指導してあげるべきだった」と注意されるだろうが、自分にはもう、彼女のフォローは無理である。
かつては自分もこんな時があった。まだ仕事が良く分かっていない段階で「無能」と角印を押すのは浅はかだし、元上司と同じところに落ちてしまうのが嫌で、何とか笑顔とやさしさを取り繕いながら、1年間何とかやってきた。
でも、1年目の自分はやったほうが良いと言われたことは何でもやってたし、どこにでも出張に行ったり、扱う製品をずっと触ってどういう構造と特性なのか理解する努力はした。彼女の姿勢とこの仕事はかみ合わないんじゃないかという不満は、心を麻痺させて気づかないようにしていた。
飲み会など(彼女参加)で「仕事の振り分けはどうしてるの?」と聞かれたときは、本当は7つの条件すべて答え、これをクリアしたものです。と答えたかったが「几帳面なので丁寧さが求められる仕事を任せています」と答え、「じゃあ(自分)さんは大雑把な仕事をしているんだ~!」みたいに言われても彼女が自信を持てるように我慢した。
彼女はこの1年で自信をつけてきたみたいだが、自分から見ると全然仕事の役になってくれていない。彼女のためを思って、1段1段細かいステップを用意してきたが、これが後何年続くのかと考えただけで気が遠くなる。
そういう自分の厚意も、彼女にとっては全然足りないらしく、忙しいのはわかるがもっと丁寧にフォローしてほしい。と今回もとてもお怒りなさっているらしい。
明日からの仕事がとても億劫だ。彼女の後始末に追われ明日締め切りのものでまだ手を付けれていない仕事がある。正直、彼女の事件の話をしている時間なんてない。
この際、自分の査定は下がって良いし、もう前の上司と同じだと詰られてもよい。とにかく楽になりたい。彼女がいなくなることで仕事量的にも気持ち的にもとても気が楽だ。
今年30歳になったのに、職場で人を怒鳴るほどに怒らせてしまった
忘れないように気づいたら即やる、というようにしているけれど、衝動的に行っているから雑になってしまう
特に雑にやってしまうのが無意味なルールを守ることで、根本として「伝わればなんでもいいだろう」という考え方があるので周りに合わせて揃える、とかそういう事が出来ない
きをつければなんとかできるんだけど、ADHDで衝動が発動したときに真っ先に省かれるのがASD的行動の抑制なのだ
今日も舐めんじゃねえよ、みたいに怒鳴られた 舐めてたつもりはないのでびっくりした
いや、舐めてたのかもしれないな なんかやたらと几帳面に仕事をしててご苦労様ですとか思ってたもんな こういう考え方をなめてる、とかって言うんだろうか?人が求めることをでもそれって意味無くないですか?という思考でスルーすることは、舐めてるという態度になるんだろうか
まあこっちも几帳面に付き合わされて非常にうんざりしてはいたんだけど 俺だって無意味なルールを強いられてるという点ではなめられてるよな 無意味なルールを強いてもいいと思われてるってことだもんな
まあとにかくもう今はとてもしょんぼりしているわけだ また俺は人を怒らせるようなことをしてしまった 治せるなら治してえなあ こんな個性いらねえよ
とにかく来週からあの人とは本当に必要最低限のコミュニケーションをとるだけにしよう
はあ〜 最悪
今年30歳になったのに、職場で人を怒鳴るほどに怒らせてしまった
忘れないように気づいたら即やる、というようにしているけれど、衝動的に行っているから雑になってしまう
特に雑にやってしまうのが無意味なルールを守ることで、根本として「伝わればなんでもいいだろう」という考え方があるので周りに合わせて揃える、とかそういう事が出来ない
きをつければなんとかできるんだけど、ADHDで衝動が発動したときに真っ先に省かれるのがASD的行動の抑制なのだ
今日も舐めんじゃねえよ、みたいに怒鳴られた 舐めてたつもりはないのでびっくりした
いや、舐めてたのかもしれないな なんかやたらと几帳面に仕事をしててご苦労様ですとか思ってたもんな
まあこっちも几帳面に付き合わされて非常にうんざりしてはいたんだけど
まあとにかくもう今はとてもしょんぼりしているわけだ また俺は人を怒らせるようなことをしてしまった 治せるなら治してえなあ こんな個性いらねえよ
とにかく来週からあの人とは本当に必要最低限のコミュニケーションをとるだけにしよう
はあ〜 最悪
ようやく離婚できた。
清々しい気分。
キモいと思ったから、使えなさそうだから…そんな主観的な価値観で人と接するから、色んな場所で揉め事を起こしていた。
学校には馴染めなかったみたいだし、会社にも馴染めてなかった。
社内婚だったからしんどかった。
クレームをもらいまくる貴方。しかも親族のコネ入社なのに「コネ入社してるヤツは許せない」とかいうダブスタ。
僕に対して「(僕が)悪い噂立てられないように気をつけてる」なんて言ってたときはほんとびっくりした。
お前会社で超有名人じゃん、他の部署まで知られてるよ?客観視出来ないとこんなセリフ出ちゃうんだ。
客観視点で貴方が対人トラブルになったときを見ていたことがあったが、やはり主観押し付けが原因だったと思う。なんなら上司からの指摘も守らなかったのに、私は悪くないの一点張りだった。そりゃ周りから悪評買うよ。
ちなみに接客業なのに、同じ接客業の人によくクレームつけていた。接客業界ではたまに居る頭おかしいヤツを体現しているのに、ご多分に漏れず「クレームつけてくるやつは馬鹿そうで〜」と宣っていた。
・頭が悪くて、隣を歩くのが恥ずかしかった。
言葉の節々から「頭悪そう」が出ていた。実際底辺高卒だったし。
知り合いと貴方を会わせるのが嫌だった。大きな声で、年齢とは不釣り具合の落ち着きのなさで、頭の悪そうな会話をしているもんだから、みんな引いてた。
逆に貴方の知り合いも凄くて、会ったこともないヤバめな人が多かった。
話はやや反れるが、貴方は「役所」とか「行政手続」みたいなのが苦手だった。
出会った頃は謎だったが、今思うと、窓口で言われる難しい単語が理解できないからだったんだと思う。税金は滞納していて、選挙には行ったことがない。なんて恥ずかしい。
・家の掃除しなさすぎ。
うちには子供は居ないが、貴方は家のことをほとんどしてくれなかった。
そこら中に散らばった貴方の服、ポーチから出しっぱなし化粧品、全く洗濯されず山積みになった洗濯かご、出張で居ないから出して欲しいのに全く出してないゴミ、片付けたことさえない猫のフン。
言っておくが、僕は全然几帳面じゃない。なんなら一人暮らしの頃は汚部屋の住人だった。そんな僕が毎回毎回掃除しなきゃと思うレベルで荒れている。
以前、僕の出したごみに対して「私が片付けろってこと?」と言ってきた。いやいや、それは申し訳ないけど、あんたも片付けなよ、と言ったら「私が嫌だなと思ったんだからそれは謝るべきだよ」と指摘された。意味わかんなさすぎる。こわい。
ちなみに机の上を片付けたりすると「わからなくなるから」と怒られる。なので僕は何も言わなくなった。
・犬どうにかしろ
貴方が溺愛している犬がいる。
幼い頃に甘やかしたせいで、全く制御の効かない犬になってしまった。毎日のようにゴミが出ているとはこれが原因だ。
そこら中を噛むから壁には穴が空き、紙やダンボールが毎日のように粉々になって床に散らばっている。
色んな場所におしっこやうんちがひっかけられ、そのたびに洗って綺麗にしている(僕が)。
残念なことに自分があまり家に居ないともあって、妻のみ飼い主と見なされているのだが、その本人が甘やかしているのでもう家は荒れ放題だ。なのにその後始末の大半を自分がやっている。
散歩に毎日行かなきゃいけないのも憂鬱だ。個人的にはこの犬ともお別れしたい。
・メンヘラ
詳しくは書かないが、衝突するたびに「私を泣かせたお前が悪い」と言われ、一切事態が解決しない。
だから一生自省することなんかなくて、今までのいざこざはすべて僕が悪いことがなっているらしい。
もちろん、自分が悪い部分もあったのかもしれないが、毎回流石に話にならないので、もう最近は喧嘩のタネを作らないようにしている。
・他にも色々あるけど…
とりあえず、あまりにも問題を抱えすぎているけれど、いい勉強にはなりました。ありがとうございました。
今までちょっと迷いはあったけれど、これ書きながら、すごい人と結婚してたんだと思った。
離婚して正解でした。
「民族に性質がある」と主張するのは、お前が「真理を愛している」からではなく、「単純化された物語」に酔って安心したいからだ。
「日本人は勤勉」「ユダヤ人は金に強い」「ドイツ人は几帳面」それ、全部ステレオタイプであって、真理じゃない。
歴史がある ≠ 性質がある。それは「行動の記録」であって、「DNAに刻まれた性格」ではない。
お前の言ってることは、「家計簿に魚ばっかり載ってるから、この家庭は鰓呼吸です」と言って自己放尿してるのと同じ。
これはとても良い問いだが、論理的に極めて初歩的な錯誤がある。
それは、「文化的慣習」や「宗教的傾向」は 構造 や 文脈 によって発生する集合的傾向であり、先天的性質ではないという点。
「多くの人が信じているからといって、それがその民族の本質ではない」というのは、哲学・歴史・社会科学の最低限の共通知識だ。
もし「聖書信じてる=民族の性質」なら、「パチンコ行く=日本人の性質」って言ってるのと同じだ。
お前が言っていることは、民族を単一の人格として扱うことで、現実の多様性を否定し、「敵」「味方」を単純化して物語に仕立てようとしている。
たとえば、イスラエル軍に従軍するドゥルーズ系住民もいれば、パレスチナと共闘するユダヤ教ラビもいる。
「ユダヤ人=聖書信奉=○○な民族性」などとまとめる時点で、現実の複雑さを捨てて思考停止の楽園に逃げている。
いいかい、「民族に性質がある」と思いたくなる気持ちはわかる。
でも、それは自己放尿だ。
自分の中の闇を他人の民族に投影して、外側を汚して内側をきれいに見せようとするだけだ。
本当に強い知性とは、「例外を例外として認識できる勇気」と、「全体を単純化せずに愛せる思考」のことだ。
お前が「民族に性質がある」と信じた瞬間から、お前自身が劣った思考様式を持つ民族の一員になっているんだよ。
つまり、お前の言う「民族性」が本当なら、今この瞬間のお前こそ、自分の民族を侮辱してる第一人者だ。
そしてそれは、自己放尿を飲み干して「これはワイン」と言い張ってるのと同じ。
知性と理性を愛しているなら、今すぐコップを置け。匂いを嗅げ。そして学び直せ。
https://anond.hatelabo.jp/20241111110154
彼のために晩御飯を作って朝は彼のためにお弁当を作って出かけてるよ!!
ご飯は「美味しい!」だってさ…彼、ハムスターみたいにほっぺ丸めて食べるんだけど煉獄さんばりに「うまい!うまい!」言いまくってるよ…嬉しい…;;
ご飯作るって楽しいんだな~たぶん料理が得意ではあるし苦ではないけど食事って私にとってはガソリンでしかないし、
料理も実家にいた頃は「外で働いてる親に対して家にずっといる子供が何もしないってどういうことだ!!」みたいな怒られ方をしながら
必要に迫られた考え方とか作り方してたからあんまり楽しさとかは見いだせなかったんだよな~。
なんだろ、親に対しても兄弟たちに対しても「美味しく食べてほしい」の想いは変わらないのに全然違う。
私が自分のお金で買ってそのまま数年住んでるマンションに彼が転がり込んできたっていう状態なんだけど
自分の家の台所なのに洗い場から目に見える景色まで全然違って見える…なんか違う家ってかんじ。
料理以外に、私も彼も家事が得意なんだけどジャンルが微妙に違ってて
私:毎日細々とする家事が得意(一見して部屋は物が少なくてきれいだけど実はメンテナンスや管理ができないから物を持たないっていうだけ)
彼:大がかりな作業が得意(汚家と汚部屋出身の片付けられない男だけど洗車が得意だったり窓ガラスが超キレイだったりする)
…だから、床に物が放置されないよう荷物を常に整理するとかテレビの上に埃が積もる前に拭くとかそういうのは私が担当で
お風呂場に蓄積し始めた(する予定)汚れとか窓ガラスに付き始めた曇りとかそういうのを磨くのは彼で……っていうかんじの棲み分けが完璧すぎる。
あとは「まあ一人だしなんでもええやろ」と思ってなあなあにしてたところの処理だな~~~~~ふふふ嬉しい悩みだな~~~~
けどこれ、ほんと地味に辛くてっていうのもほら相手が好きな人だから
「補い合うっていうことは苦手なところを相手に見せるっていうことでもあるし認めるっていうことでもあるじゃん!」と思ったら
最初すんごい辛かったし恥ずかしかったーーーーーーーーーーーなんとか乗り越えたーーーーーーーーーーのかな?
私は仕事柄か雰囲気か「几帳面そう」とか「丁寧な暮らししてそう」っていうのを勝手に想像されやすいんだけど実は結構モノグサだから
西暦2142年、人類はようやく血液型占いの迷信を乗り越えた――と思われていた。
なので“心のO型”です。」
「私はAB型だけど、変人と言われるのがつらいので“型なし”を名乗ります。」
社会は寛容になった。職場の名札には血液型に加え、「心の血液型」欄が設けられた。
採用試験でも、「物理型と心の型にギャップがある方は自己申告を」と明記された。
だがその一方で、次第に異端視される人々が現れた。
「え、あなた几帳面なんですよね?それって“心のA型”じゃないんですか?」
「“O型のくせに細かい”って、自己認識の問題じゃないですか?」
彼らは問い詰められる。
違うのだ。彼らはただ、自分を「O型で、几帳面な人間」と認識しているに過ぎない。
型と性格がズレていても、それを“別の型”で補正する必要など感じていない。
「偏見から逃れるために、“心の型”を作るなんて、本末転倒だ。
ズレてても、そのままでいい。
その声は、社会には届きにくかった。
“心の型”は、もはや自己理解の証明であり、善良さのバッジとなっていたからだ。
そこに乗らない人は、「自己に無自覚な人」「進んでいない人」として扱われた。
ある日、政府は「血液型観点からの多様性配慮に関するガイドライン(Ver 12.1)」を発表。
そこにはこう記されていた。
(以下フィクションです)
お子さんは一人っ子で既に結婚して家を離れており、奥様が一人残された
また、そうでなくとも書類を読むなどは難しく、相続手続きで困難が予想された
本来はお子さんが肉親であり相続の当事者としてやれればよかったのだが、
また、やはり行政書類方面は疎いようで、実務は期待できなかった
結果、生前にご主人に頼まれていたのもあり、増田の母が書類の整理や相続手続きなど、殆ど面倒を見ることになった
(増田は自動車送迎と、部屋片づけの肉体労働、あとは書類整理を脇で見て、ときどき明細を読解して紐づけし意味を教えるぐらいの役)
ある程度までパスワード管理や書類整理など用意してくれていたのだが、
整理の内容が伝えるべき相手に伝わっていなかったり、当然ながら見落としや抜けもあり
(ガン闘病で大変ななか一人で用意してた)
結果、まあまあ苦戦することに
なにが大変といって、奥様がとにかくモノをなくすし、伝えた話が伝わらない(忘れる)
増田の母が休日に手伝いに行っては、役所に届け出る書類を全部用意して「明日、もっていってね」と伝えても
窓口で苦戦するのか上手くいかないし、用意したはずの通帳やハンコや書類が「どっかに行って見つからない」が何度もある
(だいたい、あとで見つかる)
結局、平日に増田の母が付き添うことになったり、税理士と連絡をとったりすることになる
増田の母は血縁関係でもない単なる友人で、後見人というわけでもないので、
当然、どこに連絡しても「ご本人か、ご家族が連絡してきてください」と言われる
それで本人を送り出すと、結局うまくいかないのか、増田の母と担当者がやり取りし、
「ご本人ではなく増田の母さんがきてください」となったりしていた
そうこうして、没後半年以上経過し、相続は一応は完了したはず、である
たが、まだいろいろ終わってない
クレジットカードの引き落としなどの見落としがないかなど、ちょくちょく書類を見にいく
(毎回、郵便物どこ行ったと大騒ぎしている)
そんなこんなで訪問した先日、
「購入した眼鏡を引き取りに行ったがお金が足りなかったので、お金を用意してもう一度いかなきゃいけない」と言われる
幾ら足りなかったのか聞くと「10万足りなかった」といい
増田親子で「は?」となった
結論を言うと、年末に眼鏡をどこかになくしてしまったので地元の高級百貨店の行き慣れているところで作ってもらったら、
店の担当者との会話の流れで普通に20万円のを自分で選んだ、ということだった
他人の買い物にあまり口をはさむのも良い話ではないので、買い物をただ傍観していた
ということで自分の眼鏡なんて高くて5、6万のしか作ったことがない増田家族はびっくらこいたのだが
考えてみれば、亡くなられたご主人は上場企業勤めだったし、
お子さんも上場企業就職で結婚相手も同じ職場のいわゆるパワーカップル、
しかし、
「よくわからないけど店員の勧められるままにiphoneの最上位機種を買ってしまった」とか
ご自身でわかってるのか、増田家族には判断つきかねる買い物をされてるのを見ていると、