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はてなキーワード: ミシュレとは

2025-11-07

神の似姿に創られた存在、と言いますが、箴言ではきっぱりと愚者に対しての扱いを言ってますよね?

箴言ミシュレイ)では、確かに愚者(כְּסִיל/kesil)に対して厳しい言葉がたくさんあります

たとえば次のような節があります

愚か者に答えるな、その愚かさに従って。さもないと、お前も彼のようになろう。

しか愚か者に答えよ、その愚かさに従って。さもないと、彼が自分を賢いと思うであろう。」

箴言 26:4–5)

このような節は、一見「神の似姿としての人間」という考えと矛盾しているように見えます

しかし、ユダヤ伝統的な解釈では、これら二つの概念矛盾せず、むしろ補い合うもの理解されています

ユダヤ思想では、「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」とは人間本質的尊厳を指します。

それは、生まれながらに神の創造によって与えられたものであり、誰も失うことはありません。

一方、箴言で語られる愚者とは、道徳的知的選択の誤りを繰り返す人を指します。

まり愚か者とは存在否定ではなく、行動や態度の批判なのです。

ラビ・アヴィグドール・ネーベンツァール(現代エルサレム学者)はこう説明します:

トーラー人間を決して切り捨てない。愚かさを切り捨てるのだ。」

箴言は知恵文学であり、感情的非難ではなく、人間の行動を正しい道に導くための現実的アドバイスです。

例えば、箴言14:7にはこう書かれています

愚か者の前を離れよ。そこには知識言葉がない。」

これは「愚か者は神の似姿ではないから関わるな」ではなく、「あなた自身が愚かさに引き込まれないように、距離をとりなさい」という心理的倫理的アドバイスです。

まり箴言は人の尊厳否定せず、愚かさの影響を避ける智慧を教えています

タルムード(ペサヒーム 113b)には次のような教えがあります

「三種の人とは交わるな……しかし、すべての人を平和の心で迎えよ。」

まり、行動上は距離をとる必要がある相手でも、心の中ではその人の内なる神性(ツェレム・エロヒム)を忘れないという態度を求めています

ラビヒルレルも言いました(アヴォット 1:12):

「人々を愛し、彼らをトーラーへと導け。」

それは、「愚かさを嫌っても、人を嫌うな」という倫理です

教え 内容 目的
神の似姿(創世記1:27) すべての人間存在価値尊厳の土台
愚者への警告(箴言 行動・言動に対する現実的指針 自己防衛・知恵
タルムード調和 人を嫌わず、愚かさを避ける 愛と現実バランス

まりユダヤ教は愚かさを厳しく戒めますが、愚かな人そのもの否定しません。

彼(または彼女)にも神の似姿がある。

しかし、その行動が有害なら、その影響を避けつつも、心では憎まずにいる。これが箴言と神の似姿を両立させる視点なのです。

2025-10-31

anond:20251031130014

なるほど、意図がよくわかりました。

あなたが言いたいのは、「もし情弱ビジネス的な構造宗教の中にあるとすれば、それは信者を増やすことを目的とする宗教に現れやすい。ユダヤ教そもそも布教目的にしていないから、そういう構造とは無縁だ」

ということですね。

まったくその通りです。あなたの指摘は非常に的を射ています

ユダヤ教本質的に「布教宗教」ではありません。

たとえばタルムード・イェバモート 47aでは、改宗希望する人に対してまず三度止めるよう教えています

これは「ユダヤ教を選ぶのは重い責任と掟を受け入れることだから、軽い気持ちではだめだ」という意味です。

また、ユダヤ教では「義人である異邦人ゲルトーシャブ)」も神に受け入れられる存在とされ(参照:バビロニアン・タルムードサンヘドリン 105a)、全人類ユダヤ教徒になる必要はないと考えます

まりユダヤ教信者を増やすための仕組みを持たない宗教です。

そのため「情弱ビジネス構造不安を煽って加入を促し、献金依存を生む仕組み)」とは本質的に異なります

ユダヤ教倫理観では、商取引宗教行為も「エメト(真実)」と「ヨシャル(誠実さ)」に基づくべきとされますミシュレー〔箴言11:1「偽りの天秤は主に忌み嫌われる」)。

2025-10-28

anond:20251028001823

ミシュレイ(箴言)にはそのような警句が多くあります。たとえば:

愚か者の前を離れよ、彼の唇に知識を見出すことはないからだ。」箴言 14:7

また、

愚か者に答えるな、その愚かさに従って。あなたまで彼と同じにならぬために。」 箴言 26:4

一見すると、「馬鹿と関わるな」という絶対命令のように思えますしかし、次の節でソロモン王はこうも言っています

愚か者に答えよ、その愚かさに従って。彼が自分で賢いと思わぬために。」箴言 26:5

この二つの節(26:4–5)は、まさにタルムード思考の核心です。つまり、同じ状況に見えても「沈黙すべき時」と「答えるべき時」がある。

タルムード(ババ・バトラ 12b)では、

「預言は預言者から取り去られ、知恵は賢者に残された。」

と語られます

賢者は、神の声の代わりに人間の複雑さを読み取る力を与えられたのです。

ですから箴言の「愚か者と関わるな」というのは「すべての愚か者から距離を取れ」という単純な命令ではなく、「関わり方を選べ」という智慧の勧めなのです。

あなたSNS浅薄議論や虚栄を「愚かさ」と見抜くのは正しい。しかし、その見抜いたうえでどう対応するかが本当の知恵です。

愚かさに同調するな(=沈黙の知恵)しかし、愚かさが誤解や害を生むなら、正すために言葉を使え(=責任の知恵)

このバランスを保つことが、「ミシュレイ」と「タルムード」両方の精神なのです。

あなたSNSに参加しないというのは箴言的には「沈黙の知恵」として正当化できます

ただし、もし「沈黙」が真理を隠すことになってしま場合は、沈黙もまた罪になり得る(レビ記19:17)。

あなた兄弟を心に憎んではならない。 あなたの隣人を罪に陥れぬために、彼を正すべきである。」

2025-10-19

愚痴ネット上に書けば発散できる」という現代的発想は、ユダヤ教的にどう映りますか?

愚痴ネット上に書くことで気が晴れる」という現代的な行為を、ユダヤ教的な視点から考えると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります

1. 言葉の力への意識

ユダヤ教では「言葉」は非常に大きな力を持つと考えられています

箴言ミシュレイ)18:21 にこうあります

"死も生も舌の力にある。"

まり言葉は単なる表現ではなく、現実を創り、人を癒すことも傷つけることもできるものとされます

SNS愚痴を書くとき、その言葉他者を傷つけたり、不必要な争いを招く可能性があるなら、ユダヤ教的には慎重になるべきと考えられます

2. ラションハラ悪口中傷)の禁止

タルムード(Arachin 15b)では、ラションハラ他人について悪く言うこと)を非常に重い罪として扱います

この教えは、単なる噂や愚痴でも、人の評判を傷つけることにつながるなら禁じられる、というものです。

ネット上に愚痴を書いても、もし誰かの名誉人格を損なうような内容を含むなら、それはラションハラにあたる可能性があります

たとえ名前を出さなくても、誰のことか推測できるような形なら注意が必要です。

3. 「心の健康」と「建設的な発散」

一方で、ユダヤ教人間感情否定しません。

悲しみ、怒り、失望といった感情を持つの自然なことです。詩篇(Tehillim)では、ダビデ自身が神に対して嘆きや怒りを正直に吐露しています(例:詩篇13篇、22篇など)。

ただし、彼はそれを「神に対して」表現しています。つまり自分愚痴や苦しみを神との対話に変えるのです。

この姿勢は、感情をただ撒き散らすのではなく、内省と成長の糸口に変えるという点で重要です。

4. ユダヤ提案ネットよりも「人」や「神」へ

もし愚痴を発散したいなら、ユダヤ教的には:

  • 信頼できる友人、ラビ家族などに直接話す(Mishnah Avot 1:6:「自分のために師を持ち、友を得よ」)
  • または、祈り日記を通じて神に心情を語る

といった形のほうが望ましいと考えられます

これは他者を巻き込まず、同時に自己理解を深める方法でもあります

まとめ

ユダヤ教視点から言えば:

判断根拠
感情を吐き出すこと自体肯定的詩篇などでダビデも嘆きを表現している。ただしネットでpublic発言するのは注意。
他者を傷つける愚痴中傷否定ラションハラ禁止(Arachin 15b)
感情神との対話内省に変える 推奨 詩篇・アヴォートの教え

引き寄せの法則」に対しユダヤ教はなんと応じますか?

引き寄せの法則」や「思考現実を作る」という考え方は、近代的なスピリチュアル思想でよく語られますが、根本的な違いも明確です。以下に整理して説明します。

1. ユダヤ教における人間思考現実関係

ユダヤ教では、人間思考言葉には霊的な力があると考えます

箴言ミシュレ)18:21にはこうあります

「死と生は舌の力にあり。」

まり、人の言葉思考現実を動かす潜在力を持ちます

ただし、それは「自分宇宙を動かす」意味ではなく、人の思考言葉を通じて、神が世界に影響を与えるという考え方です。

2. 「引き寄せ」ではなく「祈り」と「信頼」

ユダヤ教では、「引き寄せる」というよりも、「祈る」という行為が中心です。

祈り目的は「自分思考現実を変える」ことではなく、自分自身を神の意志に整えることです。

ラビ・シュネウル・ザルマン(ハバド思想創始者)はタニヤでこう述べています

「人の思考現実を形づくる力を持つが、それは神の意志に一致しているときにのみ力を発揮する。」

まりユダヤ視点では:

という位置づけです。

3. 「思考現実を作る」の危険

ユダヤ教は、人間神格化することを避けます

自分思考現実を創る」という考え方が強くなりすぎると、偶像崇拝(アヴォダ・ザラ)の一歩手前になってしまう恐れがあります

なぜなら、それは「自分意志宇宙の中心」とする発想だからです。

申命記 8:17–18にこうあります

あなたが心の中で『私の力と手の強さがこの富を得た』と言ってはならない。あなたの神、主を覚えなさい。」

まり成功や変化の根源は自分思考や力ではなく、神の導きであるということです。

4. ユダヤ的「思考の力」:ビトホン(信頼)とアハヴァ(愛)

一方で、ユダヤ教は「信頼」の力を非常に重視します。

人が神に全き信頼を置くとき、神の祝福がその人を通して現れる。これも一種の「霊的な引き寄せ」です。

詩篇37:3–5にこう書かれています

「主に信頼し、善を行え。…主を喜べ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」

ここでいう「願いが叶う」とは、自分欲望を叶えるというより、神との調和の中で自分の願いが浄化され、現実化されるという意味です。

まとめ

観点引き寄せの法則ユダヤ教の考え
力の源 自分思考
目的現実を思い通りに変える 自分を神の意志に整える
方法イメージ自己暗示祈り、信頼、トーラー実践
結果 自己実現 神との関係の深化と祝福

もしあなたが「ユダヤ的な引き寄せ」を実践したいなら、それは「神を信頼し、良い思考言葉を持ち、善行を積むこと」です。

それが最も強力な「霊的引き寄せ」の形といえるでしょう。

2025-10-04

ネガティブ言葉を見ないようにするのと、ネガティブ言葉に身をおいて耐性をつけるのとでどちらがタルムード的ですか?

タルムードの中でも言葉の力については繰り返し語られています

まず、言葉人間に与える影響について。

タルムード(Arachin 15b)では「lashon hara(悪口中傷)」の害について強調され、話す側・聞く側の双方に悪影響があると教えます

また、箴言ミシュレ)18:21に「死と生は舌の力にある」とあるように、言葉のもの人間の心や環境を変える力を持つとされます。ここからは、ネガティブ言葉を避けること自体が、魂を守る重要姿勢だと分かります

一方で、人は必ず現実の中で困難や否定的な状況に出会うという視点タルムードにはあります

例えば、Avot 4:1 で「誰が強い者か?自分欲望を抑える者である」と語られます。つまり環境に左右されずに自分コントロールすることが強さであると見なされます

これは、ネガティブ言葉に触れても、それに心を乱されない耐性をつけることが理想であるとも示唆します。

タルムード的には、両方の態度に価値があり、成長に応じて「避ける」と「耐える」を組み合わせることが理想的だと言えるでしょう。

2025-10-01

箴言かなんかで「馬鹿に関わるな」みたいのなかったっけ?

はい、あります

おそらくあなたが思い出しているのは『箴言ミシュレイ)』にある、愚か者との関わりについての警句だと思います

箴言 26:4 「愚か者の愚かさに従って答えるな、あなたも彼のようにならないために。」

箴言 26:5 「愚か者にその愚かさに従って答えよ、彼が自分を賢いと思わないように。」

この二つの節が並んでいるのが面白い点です。最初は「愚か者に関わるな」と言い、次は「関わって正してやれ」と言う。

タルムード的な読み方では、これは矛盾ではなく「場合による」ということを示している、と解釈されます

時には相手にしてはいけない(巻き込まれから)、時には答えてあげないと彼が自分の愚かさに気づかないからです。

他にも

箴言 14:7 「愚か者の前を離れよ、そこには知識言葉が見出せないから。」

まり、「愚かさ」に巻き込まれることを避けるのは聖書的な知恵の一部だとされます

2025-05-18

悪人は仲間を必要とする

あるときラビ弟子からこういう質問を受けた。

「神に敬虔な者が、神に祈り、正しい行いをするように、まわりの人に強く誘いかけないのはどうしてですか?」

ラビは聞き返した。

しかし、私たちはいつも良いことを行うように、正しく生きるように、人びとにすすめているではありませんか」

しかし、悪者が人びとを悪事に誘うほうがずっと強い力を持っていますし、また、人を悪いことに誘い入れて仲間を増やそうとするときに、私たちよりももっと熱心にやっています

と、弟子は言った。そこで、ラビは答えた。

「正しいことを行っている者は、一人で歩むことを恐れない。しかし、悪いことをしている者は、一人で歩むことを恐れるからです」

解釈タルムード文脈

この話は明確に倫理孤独関係について語っています

タルムードの中でも、人間の行動、衝動、そして善悪に関する多くの議論があります

以下のような概念と重ねて読むとより味わい深くなります

1. イェツェル・ハラ(悪しき傾向)とイェツェル・ハトーブ(善なる傾向)

タルムードブライタ:ベラホット 61b)はこう述べています

「人には2つの傾向がある。イェツェル・ハラ(悪の傾向)とイェツェル・ハトーブ(善の傾向)。」

イェツェル・ハラは、外へと誘い出す衝動を持ち、他人をも巻き込もうとします。

まり自己の悪を正当化するためには仲間を必要とする。これはまさに弟子の観察と一致します。

2. 正しき者の孤独

タナハ(旧約聖書)にも似た思想が表れています

「義人はその誠実によって歩む。」(ミシュレ箴言20:7)

また、伝道の書(コヘレト)にもこうあります

「一人でも立ち得る者がいる。しかし、二人は倒れにくい。」(コヘレト 4:9-12

これらはラビの「一人で歩むことを恐れない者」の話と共鳴しています

義人は、たとえ孤独でも、真理と善に基づいて歩む力を持っている、というのが聖書的な視点です。

まとめ

この話は私たちに問いかます

  • あなたは、善を行うことにおいて孤独を恐れないか
  • 仲間を求めるとき、それは善に基づくか、悪に基づくか?
  • あなたの「情熱」はどこに向けられているのか?

このタルムードの話は、善は静かに、確かに歩むが、悪は仲間を求めて騒がしくなるという心理的真理を教えてくれます

ラビの答えは、本当に強い者とは一人でも正しい道を歩ける人間である、というユダヤ倫理観を表現しています

「善き人に付き従え。悪しき者から離れよ。」(アヴォット 1:7)

2025-05-16

情弱ビジネス界隈って倫理的観点から見ればクソなのに、実際には現代においてSNSインフルエンサーになるなど幅を利かせてますよね?これについてなんか箴言やコヘレト言葉引用で、戒めるものはないの?

情弱ビジネス界隈」情報の非対称性悪用して人々を操作したり搾取したりする行為は、倫理的にもトーラー的にも極めて問題があります

ユダヤ教の知恵文学(とくに『箴言』『コヘレト伝道の書)』)には、このような現代問題にも響く深い洞察があります。いくつか引用ながら見てみましょう。

箴言ミシュレイ)からの戒め

コヘレト伝道の書)からの叡智

トーラー的・ユダヤ的まとめ

ユダヤ教では、人をだますこと(גְּזֵלָה – gezelah、詐欺搾取)は重大な罪です。レビ記19章には「お前たちは互いに欺いてはならない」と明記されています(ויקרא י״ט:י״א)。

また、「בל תשים מכשול לפני עיוור」―「盲人の前に障害物を置くな」(レビ記 19:14)という戒めも、情報弱者をあえて罠にかけるような行為を禁じる教えとして、まさにぴったりです。

ラビ的ひと言

אם אתה עושה כסף על חשבון חוסר הידע של אחרים — אולי אתה צריך לבדוק את המצפון שלך, לא את חשבון הבנק שלך 😉

(「他人無知を利用してお金を稼ぐなら、チェックすべきなのは銀行口座じゃなくて、良心かもしれないね」)

2025-04-25

陰謀論に騙されないことは現代の試練である

現代社会の混乱や陰謀論がはびこるような時代に、ユダヤの知恵がどのように私たちを導いてくれるのか、これはとても大切なテーマです。

こういうときユダヤ伝統はいくつか心に留めておくべき教えがあります

🕍 1. 「ダアート(דַּעַת)」―知識分別の力

ユダヤ思想では「ダアート」(知識)は、単なる情報ではなく、真理を見抜く力です。ミシュレイ(箴言)にもこうあります

"חָכְמָה תִּבְנֶה בֵיתָהּ וּבִתְבוּנָה תִּכּוֹנָן"

「知恵によって家は建てられ、分別によって固められる」(箴言 24:3)

まり、世の中が混乱していても、騒がしい声に流されずに知識分別物事を見る力が大切だということです。

📚 2. ラショーンハラー(לָשׁוֹן הָרַע)―悪口と噂話を避ける

陰謀論というのは、たいてい根拠のない中傷憶測に基づいています

ユダヤ倫理では、「ラショーンハラー」、つまり悪口名誉を傷つける発言は非常に重い罪とされます

ラビイスラエル・メイール・カガン(通称:ハフェツ・ハイム)はこう言いました:

「人の噂を広めるのは、実際にナイフで傷つけることよりも深い傷を残すことがある。」

🕊️ 3. 「シャローム(שָׁלוֹם)」―平和調和を選ぶ

混乱や不安が広がると、人は「敵」を探したくなるものです。

でもユダヤの中心的な価値観は「シャローム平和)」。タルムードにも書かれている通り:

"הַמַּעֲרֶב שָׁלוֹם, גָּדוֹל הַשָּׁלוֹם"

平和こそ、最も偉大なもの

私たちができるのは、他人非難するのではなく、まず自分言動平和を生むものかどうかを問うことです。

💡 4. 「ピクエア・נפש(pikuach nefesh)」―命と人間尊厳を最優先する

どんな理論や主張があっても、それが人の命や尊厳を脅かすなら、それはユダヤ的な価値から外れています

ユダヤ法では、命を救うことはシャバットの掟すらも破ってよいほど優先される価値です。

まり…?

「なぜ愚かな声が広まるのか?どうすればそれに流されずにいられるか?」と問う姿勢こそが、「賢者の道(דרך חכמים)」なのです。

人々が感情や恐怖に流されやす時代こそ、静かに真理を求め、知恵をもって応じることがユダヤの道。

陰謀論に染まった人に怒るよりも、「なぜそう信じたのか」を聞き、対話理解の橋をかけることも、ある意味でミツワ(善行)です。

2025-04-12

他人論破して気持ちよくなっている人たちがいるのですが、これはユダヤ教的にどう解釈できますか?

まず、ユダヤ教では議論はむしろ良いこととされています

たとえばタルムードの学びは「ハブルータ」(חֲבְרוּתָא)といって、ペアで討論し合いながら学ぶ形式です。

異なる意見をぶつけ合って、より深い真理に近づこうとします。

でもここで大事なのは、「勝つ」ための議論ではなく、「真理を追求する」ための議論だということです。

まり、もし議論が「相手をやり込めて気持ちよくなる」ためのものになっているとしたら、それはユダヤ的な理想から外れています

ミシュレー(箴言)にはこうあります

"גַּאֲוַת אָדָם תַּשְׁפִּילֶנּוּ וּשְׁפַל רוּחַ יִתְמֹךְ כָּבוֹד"

「人の高慢は彼を低くし、謙遜な者は誉れを得る。」(箴言 29:23

まり謙遜こそが尊ばれるべき態度です。自分が優位に立ったことに酔いしれるのではなく、「この議論を通じてどれだけの真理に近づけたか」「相手とどれだけ学び合えたか」を喜ぶべきだとされます

もう一つ。ユダヤ教は「人間関係の慎重さ」をとても重視します。ラビヒレルが言いました:

"מה ששנוא עליך, אל תעשה לחברך"

自分がされて嫌なことは、他人にするな。」(シャバット31a)

もし自分論破されて嫌な気持ちになるなら、それを他人にしてはいけないという教えですね。

まとめると:

なので、そういう光景を見たら「タルムード的な学びではなく、ちょっとエゴが強すぎるな」とユダヤ教的には見ることができますね。

2025-04-03

anond:20250403181618

これは非常に重要問題ですね。「社会お荷物」とされる人々、あるいは犯罪者や極端な愚か者をどう導くべきか。

まず、ユダヤの考え方では 「すべての人には価値がある」 というのが根本にありますとはいえ社会を守るために適切な対応をする必要もあります

では、「導きを拒む愚者」や「社会に損害を与える者」にどう接するべきか、ユダヤ的な視点で考えてみましょう。

1. ユダヤ教における「愚者」の分類

ユダヤ伝統では、「愚者」といってもいくつかのタイプがあります

1. 無知な人(תָּם, タム) → ただ学ぶ機会がなかった人。教育改善できる。

2. 怠け者(עצל, アツル) → 努力しないが、まだ可能性はある。

3. 愚か者(כְּסִיל, ケシール) → 学ぼうとしない人。ここが厄介。

4. 悪しき者(רָשָׁע, ラシャー) → 悪意を持って社会に害を与える者。犯罪者など。

もし相手「タム」や「アツル」なら、時間をかければ教育環境で変えられる可能性がありますしかし、ケシール(頑固な愚者)やラシャー(悪人)は別のアプローチ必要になります

2. 導きを拒む愚者はどうするべきか?

箴言ミシュレー)ではこう言われています

愚か者には論争を仕掛けるな。さもなければ、お前も同じようになる。」(箴言26:4)

「知恵ある者を叱れば彼は感謝するが、愚か者を叱れば彼は憎む。」(箴言9:8)

まり、「導きを拒む愚者」に対しては、普通手段(助言・叱責)はほぼ無意味

では、どうするか?

(1)環境を変える

タルムードでは、「人が行動を変えるには、環境を変えなければならない」という考え方があります

例えば:

  • 仕事を与えて責任感を持たせる
  • 良い友人や師をつけて、影響を受けやすい状況を作る
  • 自然と正しい道に進むような社会構造を整える

ただ「説教」するのではなく、「選択肢の中に善を組み込む」ことが重要です。

(2)厳しいルール適用する

「罰は必要ない」とは言いません。むしろタルムードは 「愚か者には厳しい規律必要」 という立場です。

まり、「導きを拒む愚者」に対しては、

罰則規律制限する

しかし、改善の道は常に残しておく

という二段構えの戦略が取られてきました。

3. 犯罪者(ラシャー)への対応

犯罪者社会に害を与える者)については、タルムードでは「厳罰」と「更生」のバランスを取ることが求められています

🔹 厳罰の例
🔹 更生の可能性を残す

4. ユダヤ的な「社会的損失」への対応

愚者を導けなければ社会的に損失になる」という点、まさにその通りです。

ユダヤ教では、「社会全体の善(ティクン・オラム, תיקון עולם)」を重視するので、個々の愚者のせいで社会全体が崩れるのは避けるべき。

そこで、ユダヤアプローチはこうなります👇

愚者犯罪者タイプ対応
無知な者 教育を与える
怠け者 モチベーションを持たせる
頑固な愚者(学ばない者) 厳しい規律を課す
犯罪者厳罰+更生の機会を与える
社会害悪レベル犯罪者社会から隔離する(ヘレム/刑罰

5. まとめ

📌 導きを拒む愚者には「環境の変化」と「厳しい規律」が必要

📌 犯罪者には「厳罰」と「更生の道」を両方用意する

📌 「ただの説教」は無意味。行動を変えさせる仕組みを作る

ユダヤ教は「甘い慈悲」ではなく、「正義と愛」のバランスを取る思想です。

社会を守るために厳しくするべき時は厳しく、でも決して「絶望的に切り捨てる」わけではない。

最終的な目的は「ティクン・オラム世界の修復)」なので、

愚者犯罪者にも「社会の一員としての役割を果たさせる」ことが重要ですね。

この考え方、現代司法制度にも活かせるかもしれませんね😊

anond:20250403174615

ユダヤ教における「叱責(トクハハ, תוכחה)」の概念を考えると、この問題はいくつかの重要ポイントがあります

1. 叱責の意義:なぜ叱責するのか?

ユダヤ教では、ただ相手批判するのではなく、相手を正しい道に導くために叱責することが求められています

トーラーレビ記19:17)にはこう書かれています

「הוֹכֵחַ תּוֹכִיחַ אֶת-עֲמִיתֶךָ, וְלֹא-תִשָּׂא עָלָיו חֵטְא」

あなた同胞をしっかり戒めなさい。しかし、彼に罪を負わせてはならない。」

まり、叱責する目的は「相手改善」であり、怒りや優越から叱るのはNGということです。

ここでのポイントは、「叱責する側が叱責を嫌と思わない」ことが理由で許されるのではなく、「相手のためになる場合にのみ許される」ということです。

2. 愚者への叱責は無駄?(ミシュレー/箴言

ユダヤ教では、「愚者」に対する叱責には注意が必要だとされています

たとえば、箴言ミシュレイ)9:8にはこう書かれています

「לְאִוִּל, אַל-תּוֹכַח--פֶּן-יִשְׂנָאֶךָּ;

לְחָכָם הוֹכַח, וְיֶאֱהָבֶךָּ」

愚者を叱るな、彼はあなたを憎むから。知恵ある者を叱れ、彼はあなたを愛するから。」

まり相手が叱責を受け入れる準備がない場合、叱責は無駄どころか逆効果になるということです。

愚者に叱責すること自体が、愚かさの表れ」とさえ言われることがあります

3. 叱責は「相手基準」で考えるべき

先ほどの話とつなげると、「されて嫌なことはしない」という黄金律の観点から考えても、「叱責が有益でないなら、すべきでない」という結論が出てきます

ユダヤ教では「トクハハ(叱責)」は愛から行うべきものであり、自己満足や単なる批判になってはいけません。

また、叱責が相手のためにならない(=受け入れられない)なら、それはただの迷惑になります

したがって、愚者に対する叱責が許されるのは「彼が受け入れる可能性がある場合」に限られます

4. では、どうすればいいのか?

ユダヤ教では、直接的な叱責が難しい場合は、間接的に教えを伝えることが勧められています

例えば:

  • 例話やたとえ話を使う
  • 相手に問いかけて気づかせる
  • 自分の失敗談を語って、間接的に学ばせる

タルムード(エルビン 13b)では、有名なラビヒレルとラビ・シャマイの違いが描かれています

シャマイは厳しく真理を伝えましたが、ヒレルは優しく、相手が受け入れやすい形で伝えたとされています

結果として、ヒレルのアプローチの方が多くの人に影響を与えたのです。

結論

なので、もし誰かを叱るべきか迷ったら、「この叱責は相手にとって役に立つのか?」を考えるのが大切ですね!

叱責もトーラーの教えの一部、どうせならヒレル流に「愛と優しさ」をもって伝えたいですね😊

2025-02-19

anond:20250219004916

良い質問ですね!『箴言ミシュレー)19:25』には、 "嘲る者を打て、そうすれば浅はかな者も慎む。" (הַכֵּה לֵץ וּפֶתִי יַעְרִם)

とあります。この一節をどう解釈すればよいのでしょうか?

🔍 比喩的意味としての「打つ」

多くのラビたちは、「打つ(הַכֵּה)」という言葉文字通りの暴力解釈するのではなく、厳しい教訓や懲戒を与えることを意味すると説明しています。これは、他者に害をもたらす「嘲る者(לֵץ, レーツ)」に対して、厳しく対応することで、愚かな者(פֶתִי, ペティ)—つまり道理を知らない者—が学びを得るという教えです。

たとえば、ラシ(Rashi)はこの節について、「罰を与えることで、愚か者はその結果を見て学ぶ」という意味だと解釈しています。つまり社会に悪影響を与える者が適切に懲らしめられることで、他の人々が正しい行いを学ぶ、ということです。

📖 「嘲る者」とは誰か?

トーラーミシュレーで「嘲る者(לֵץ)」と呼ばれる人は、単なる愚か者ではありません。これは、意図的他者侮辱し、知恵を拒絶し、道徳を嘲るような人物を指します。

たとえば、『箴言 9:8』には、 "嘲る者を戒めるな、彼はあなたを憎む。"

とあります。つまり、彼らは善意忠告すら受け入れない態度を持っているのです。

こうした人々には、柔らかな諭しではなく、はっきりとした対応必要という考えがあるのです。

現代における適用

もちろん、現代では物理的に「打つ」ことは推奨されません。では、どうすればいいのでしょうか?

1️⃣ 「嘲る者」を甘やかさない—害を及ぼすような態度には毅然対応し、悪影響が広がらないようにする。たとえば、悪質なデマを広める人や、倫理に反する行動を取る人に対しては、しっかりとした態度を取ることが重要です。

2️⃣ 「愚か者」に正しい道を示す—単に非難するのではなく、教育や模範を通じて、愚かさから学べるような環境を作る。これは、社会全体の善のためになります

3️⃣ 愛と厳しさのバランスユダヤ教では「トクハハ(תוכחה, 戒め)」が大切ですが、これは愛をもって行うべきものです。単に怒りや罵倒をぶつけるのではなく、相手がより良くなるために必要な厳しさを持つことが求められます

🏆 結論:罰と教育の違いを理解する

箴言』のこの教えは、「愚かな者を罵れ!」ということではなく、「悪影響を及ぼす者には、必要な厳しさをもって対応しなさい」というメッセージです。

ただし、その方法暴力ではなく、正義をもって、社会個人の成長につながる形で行うべきなのです。

まり、「バカ!」と叫ぶのではなく、正しく導くための厳しさを持つことが、賢明ユダヤアプローチなのです! 😃

愚者を罰するために「バカ」という言葉を使うことは許されますか?

ユダヤ教観点から見ると、他者侮辱する言葉を使うことは慎重であるべきです。トーラータルムードは、言葉の力を非常に重視しており、他人を傷つけるような発言は避けるべきだと教えています

たとえば、『ミシュレー(箴言)18:21』には、 死と生は舌の力に支配されるとあります言葉は人を生かすこともできれば、傷つけることもできるのです。

また、『タルムード(ババ・メツィア 58b)』では、他人を公の場で侮辱することは「血を流すこと」に等しいと述べられています。つまり、強い言葉相手非難することは、その人の名誉を奪い、大きな精神的苦痛を与える可能性があるのです。

もちろん、ユダヤ教の教えには「愚かさを戒める」こともあります。例えば、『ミシュレー(箴言)1:7』では、 "愚か者は知恵と訓戒を侮る" とありますしかし、これは「愚かな行為を指摘し、改善を促す」ことを意味しており、単に相手罵倒することではありません。

では、どうすればよいのでしょうか?

✔ 厳しくても敬意を持って指摘する—「バカ」と言うのではなく、「その行動は賢明ではない」「もう少し慎重に考えたほうがいい」と伝えるほうが、相手も受け入れやすくなります

✔ 愛をもって諭す—ユダヤ教ではトクハハ(תוכחה, 愛をもって戒めること)が大切です。相手のためを思い、改善を願う心で伝えることが重要です。

沈黙が最良の場合もある—時には、愚かな行為に対して何も言わないほうが効果的なこともあります。『ピルケイ・アヴォート(倫理学の章句)』1:17には、 "沈黙は知恵をもたらす"とあります

結論として、「バカ」と直接言うのは避けたほうがよいでしょう。代わりに、建設的な言葉を使い、相手の成長を助ける方法を選びましょう。それが、ユダヤ智慧の道です! 😊

2009-11-30

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊 その2

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊

http://anond.hatelabo.jp/20090503233005

これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年バージョンだったらしい。

元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。

1年毎にまとめられているようで、これの2007年バージョンを見つけたので貼ってみる。

1 激突カンフーファイター  清水良英

2 戦闘妖精雪風 神林長平

3 黒死館殺人事件 小栗虫太郎

4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン

5 涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流

6 グリーンマイル スティーヴン・キング

7 繁栄の法―未来をつくる新パラダイム 大川隆法

8 悪魔の下回り 小林信彦

9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ

10 黄金の法 大川隆法

11 駿河城御前試合 南條範夫

12 発明超人ニコラ・テスラ 新戸雅章

13 実録・外道の条件 町田康

14 蝿の王 ウィリアムゴールディング

15 パンセ パスカル

16 豹頭の仮面 栗本薫

17 ドグラ・マグラ  夢野久作

18 仮面の告白 三島由紀夫

19 虚無への供物 中居英夫

20 シブミ トレヴァニア

21 EGコンバット よしみる,秋山瑞人

22 もの食う人びと 辺見庸

23 人類は衰退しました③ 田中ロミオ

24 麻雀放浪記青春編> 阿佐田哲也

25 ニューロマンサー ウィリアム・ギブスン

26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン

27 創竜伝 田中芳樹

28 ベルカ、吠えないのか?  古川日出男

29 エロ事師たち 野坂昭如

30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁

31 ミッドナイト・ミートトレイン クライヴ・バーカー

32 薬菜飯店 筒井康隆

33 ばいばい、アース 冲方丁

34 変身 カフカ

35 チリ地震クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト

36 罪と罰 ドストエフスキー

37 七瀬ふたたび 筒井康隆

38 宦官中国四千年を操った異形の集団 顧蓉

39 帝都物語1神霊篇 荒俣宏

40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド

41 フィネガンズ・ウェイク ジェイムズ・ジョイス

42 ラヴクラフト全集 (1) H・P・ラヴクラフト

43 大菩薩峠<1> 中里介山

44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ

45 日本百名山 深田久弥

46 灰とダイヤモンド アンジェイェフスキ

47 最悪 奥田英朗

48 旧約聖書創世記 改版 関根 正雄訳

49 少女地獄 夢野久作

50 泥流地帯 三浦綾子

51 ハローサマーグッドバイ マイクル・コニイ

52 平行植物 レオレオーニ

53 李陵山月記 中島敦

54 特犬捜査みちる 羽沢向一

55 スカイ・クロラ 森博嗣

56 ペドロ・パラモ フアン・ルルフォ

57 魂の駆動体  神林長平

58 剣客商売 池波正太郎

59 フランス革命史 ジュールミシュレ

60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルーススタイルス・ガネット

61 ファイアスターター スティーヴン・キング

62 決戦・日本シリーズ かんべむさし

63 ドリトル先生アフリカゆき ヒュー・ロフティング

64 一握の砂・悲しき玩具 石川啄木

65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール

66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック

67 夏草冬涛 井上靖

68 家守奇譚 梨木香歩

69 沈黙 遠藤周作

70 1999年ゲームキッズ 渡辺浩弐

71 ソフトマシーン ウィリアムバロウズ

72 アリスAlice in the right hemisphere 中井拓志

73 ハイペリオン ダン・シモンズ

74 かめくん 北野勇作

75 スローブギにしてくれ 片岡義男

76 てのひらの闇 藤原伊織

77 極大射程 スティーヴン・ハンター

78 初秋 ロバート・B・パーカー

79 マルテの手記 ライナーマリアリルケ

80 彼女が死んだ夜 西澤保彦

81 カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー

82 邪宗門 高橋和巳

83 裸のランチ ウィリアムバロウズ

84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ

85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎

86 夏への扉 ロバート・A・ハインライン

87 明治断頭台 山田風太郎

88 舞姫 森鴎外

89 淫行時間割わいせつ母 睦月影郎

90 サムライ・レンズマン 古橋秀之

91 京美ちゃんの家出ミルキーピア物語 東野

92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード

93 新約聖書福音書 塚本虎二

94 ウィーン愛憎 中島義道

95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダム

96 薔薇のマリア I.夢追い女王永遠に眠れ 十文字青

97 左巻キ式ラストリゾート 海猫沢めろん

98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ

99 暗黒館の殺人 綾辻行人

100 ジョゼフ・フーシェ―ある政治人間の肖像 シュテファン・ツワイク

 
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