はてなキーワード: 異邦人とは
なるほど、意図がよくわかりました。
あなたが言いたいのは、「もし情弱ビジネス的な構造が宗教の中にあるとすれば、それは信者を増やすことを目的とする宗教に現れやすい。ユダヤ教はそもそも布教を目的にしていないから、そういう構造とは無縁だ」
ということですね。
たとえばタルムード・イェバモート 47aでは、改宗を希望する人に対してまず三度止めるよう教えています。
これは「ユダヤ教を選ぶのは重い責任と掟を受け入れることだから、軽い気持ちではだめだ」という意味です。
また、ユダヤ教では「義人である異邦人(ゲル・トーシャブ)」も神に受け入れられる存在とされ(参照:バビロニアン・タルムード、サンヘドリン 105a)、全人類がユダヤ教徒になる必要はないと考えます。
つまり、ユダヤ教は信者を増やすための仕組みを持たない宗教です。
そのため「情弱ビジネス的構造(不安を煽って加入を促し、献金や依存を生む仕組み)」とは本質的に異なります。
ユダヤ教の倫理観では、商取引も宗教行為も「エメト(真実)」と「ヨシャル(誠実さ)」に基づくべきとされます(ミシュレー〔箴言〕11:1「偽りの天秤は主に忌み嫌われる」)。
■司馬遼太郎風 改稿
人間というものは、しばしば自分の青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。
それは他人に奪われるものではない。むしろ、他人のせいにできぬ種類の「敗北」である。
この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代、ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。
たまたま彼が自衛隊という特殊な組織にいたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。
だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。
人は、自分の過去を呪い始めたとき、もうその呪いから逃れることはできない。
「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。
三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である。
だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。
精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。
したがって、彼のような男は、社会という大人の世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。
しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。
それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。
そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。
友を断つことは、己を断つことに等しい。
プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。
古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。
だが、戦場の死はまだ潔い。
自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。
彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。
それは決して容易なことではない。
だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。
人の生は、けっして理想や信念では支えられない。
孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。
あなたが歩むべきは、前者の道だ。
世間は冷たい。
だが、冷たさの中にも温もりがある。
https://anond.hatelabo.jp/20250804171112
・ブクマカのコメントだけを集計している。増田のトラバは集計していない。ただし、元増田の挙げた10作だけは特別に集計に入れている。
・手作業なので多分、抜けや集計ミスがある。なお、この作業を行うにあたり、ChatGPT君がクソほどの役にも立たなかったという事実は、いくら強調してもしすぎるということはない。
・作品名が書かれていないもの(作者名だけのもの)はカウントしていない。国産小説はカウントしてしない。自分のおすすめを紹介しているわけではないと思われるコメントはカウントしていない。
・これ同じ小説だろ、と思われるもの( 「長いお別れ」と「ロング・グッバイ」みたいなもの)は勝手に統合して集計した。他にもこれとこれ同じ小説だよ、というものが混じっているかもしれないが、知らん。
三体
大聖堂 動物農場 フラニーとゾーイー プロジェクト・ヘイル・メアリー 星を継ぐもの マーダーボット・ダイアリー モモ
IT アメリカの鱒釣り アルジャーノンに花束を 火星の人 存在の耐えられない軽さ タタール人の砂漠 地下室の手記 長いお別れ ニューロマンサー 羊たちの沈黙 日の名残り 指輪物語 幼年期の終わり
異邦人 ウォーターシップダウンのうさぎたち 鏡の中の鏡 悲しみよこんにちは 華麗なるギャツビー 高慢と偏見 氷と炎の歌 シャドー81 城 水源 スローターハウス5 タイムマシン チャンピオンたちの朝食 月と六ペンス 伝奇集 夏への扉 二年間の休暇(十五少年漂流記) ハイ・フィデリティ ハリーポッターと賢者の石 緋色の研究 ファイト・クラブ 不思議の国のアリス ペスト ホワイト・ジャズ 見えない都市 モンテ・クリスト伯 リプレイ わたしを離さないで
24人のビリーミリガン 2666 82年生まれ、キム・ジヨン HHhH V Xの悲劇 Yの悲劇 愛を語るときに我々の語ること 青い湖水に黄色い筏 青い鳥 青犬の目 青白い炎 赤毛のアン 悪童日記 悪霊 あなたの人生の物語 アブサロム、アブサロム! アルケミスト アンドロイドは電気羊の夢を見るか? アンナ・カレーニナ 暗殺者グレイマン 石蹴り遊び 犬の力 荊の城 息吹 イワン・デニーソヴィチの一日 イングリッシュ・ペイシェント インビジブルモンスターズ ウィトゲンシュタインの愛人 ウォーターランド ウォッチャーズ 失われた時を求めて 歌の翼に ウは宇宙船のウ 海を飛ぶ夢 エーミールと探偵たち 越境 エミール エルマーと16匹の竜 エルマーのぼうけん エレンディラ エンジン・サマー 嘔吐 大鴉 オーエン詩集 おとなしい凶器 怪奇クラブ 外套 カエアンの聖衣 カササギ殺人事件 火星のタイムスリップ 風と共に去りぬ カチアートを追跡して カッコウはコンピュータに卵を産む かつては岸 カモメのジョナサン 狩りのとき 完全な真空 期待 忘却 君のためなら千回でも キャッチ=22 吸血鬼カーミラ 吸血鬼ドラキュラ 巨匠とマルガリータ 供述によるとペレイラは… 恐怖の谷 キリンヤガ クライム・マシン クラッシュ 暗闇にひと突き 黒い時計の旅 黒の過程 刑務所のリタ・ヘイワース ゲイルズバーグの春を愛す 穢れしものに祝福を ケルベロス第五の首 拳闘士の休息 航路 荒野へ 香水ある人殺しの物語 コーラン 黒檀 ここではないどこかへ 古書の来歴 コンダクト・オブ・ザ・ゲーム さあ、気ちがいになりなさい 最後にして最初の人類 さかしま サバイバー 砂漠の惑星 寒い国から帰ってきたスパイ シークレット・ヒストリー シークレット・レース ジーヴズの事件簿 ジェイン・エア 地獄 死体 シッダールタ 死にゆくものへの祈り 死の鳥 死父 シャドウ・ダイバー 初秋 書写人バートルビー 少年が来る 少年時代 女王陛下のユリシーズ号 シルトの岸辺 審判 真紅の帆 聖書(新訳・旧約) スター・ピット スタンド・バイ・ミー ずっとお城で暮らしてる ストーン・シティ 砂の惑星DUNE すばらしい新世界 素晴らしいアメリカ野球 スラップスティック 清潔で明るい場所 西部戦線異状なし 千夜一夜物語 戦慄のシャドウファイア 前日島 善人はなかなかいない 禅とオートバイ修理技術 喪失 捜神記 族長の秋
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・国別だとアメリカ文学が多い……ように見える。
・SFが人気。
・ミステリは人気だが、ハードボイルドを挙げる人は少ない。複数票入っているのは「長いお別れ」と「ホワイト・ジャズ」くらいか?
・超メジャーな文学作品を挙げている人が少なかった。世界の十大小説とかサマセット・モームが選んだ世界十大小説なんかに挙げられている作品はほとんど名前が挙がらず。そんな中5票入ってる「カラマーゾフの兄弟」は改めてすごい小説なんだなと思える。
・作者名の照応はしていないし、やる気もないが、ぱっと見だとヴォネガット、ガルシア=マルケス、オーウェル、カズオ・イシグロ、アンディ・ウィアーあたりが多いような気がする。
リトライ。
お化け屋敷で遊びましょう!
ChatGPT:
キャーッ!びっくり箱からゾンビが飛び出してきました!どうしますか?
にげる
たたかう
話しかける
あなた:
3
ChatGPT:
「ぼく、実は道案内が得意なんだ。出口を知りたいかい?」
どうしますか?
お願いする
うたがう
無視して進む
あなた:
4. 殴る
ChatGPT:
ゾンビは「いってぇなあ…そんなことするなんてひどいじゃないか…」と泣きながら地面に座り込みました。
どうしますか?
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
ChatGPT:
はい、ゾンビ一家は代々ゾンビとして生まれる設定です。遺伝です。
あなた:
感染はしないってことか。じゃあ怖くないのでは?
ChatGPT:
あなた:
で、なんだっけ?
ChatGPT:
ゾンビのお母さんが現れて、どうするか選ぶ場面でした。
選択肢:
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
4. 殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げると──
ゾンビのお母さんは涙を浮かべてこう言いました。
「息子が…友達を作ろうとしてたのに…!」
本気であやまる
ちゃぶ台をひっくり返す
土下座する
「これは夢だ」と叫ぶ
あなた:
4. 踊る!
ChatGPT:
あなたが突然踊り出すと──
「すごい!この人、最高じゃん!」
どうしますか?
ゾンビたちと踊り続ける
DJの座を奪う
やっぱり出口を探す
あなた:
ChatGPT:
はい、その通りです。ゾンビは種族・存在のカテゴリであり、職業とは別です。DJは職業です。
あなた:
ChatGPT:
平民ゾンビ:一般的なゾンビたち。お化け屋敷で働いたり畑を耕したり。
あなた:
幸せなのか?
ChatGPT:
はい、彼らはゾンビなりに満足し、踊りや仲間との交流を楽しんでいます。彼らにとっての幸せは「受け入れられ、拒まれないこと」。あなたのダンスはその象徴となっています。
あなた:
では、殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げた瞬間──
ゾンビたちは踊りをピタリとやめ、静かに輪を作ってあなたを囲みました。
「また…殴るのかい?」
どうしますか?
拳を下ろす
構わず殴る
泣く
空気を読まず踊る
あなた:
ChatGPT:
その瞬間、ゾンビ王国の法律により「過剰攻撃」と判定され、あなたはその場でゾンビ裁判にかけられました。
どう答えますか?
愛がありました
理がありました
両方ないです
あなた:
ChatGPT:
はい、この場では平民ゾンビとして、あなたと一緒にお化け屋敷で働いています。裁判の様子も、ちょっとワクワクしながら見ています。
あなた:
ChatGPT:
いいえ、裁判官ゾンビは貴族ゾンビです。格式あるゾンビ法廷にのみ仕えることができます。
あなた:
私は?
ChatGPT:
あなたは「旅人枠」で、お化け屋敷を訪れた異邦人として扱われています。身分は一時的に「特例扱いの賓客(ひんきゃく)」です。ゾンビたちはあなたに興味津々です。
あなた:
ChatGPT:
お化け屋敷のお化けとは、ゾンビ族とは別に存在する、演出専門の幽霊・妖怪・亡霊などの総称です。多くは契約社員で、出没タイミングや驚かせ方に定評があります。
あなた:
ゾンビはなんなの。
ChatGPT:
ゾンビは、お化け屋敷に常駐し、生活や仕事をしている「不死の住人たち」です。彼らは死から甦った存在ですが、恐怖を与えるよりも、踊ったり話したり働いたりと、社会を構成するキャラクターたちです。幽霊や妖怪とは異なり、物理的な存在を持ち、個々に職業や性格があります。
あなた:
ChatGPT:
ゾンビ:通貨は「デスコイン」。肉体労働や接客、パフォーマンスに応じて支給されます。生活費や趣味(棺桶改造、脳みそ料理)に使われます。
お化け:主に「霊券(れいけん)」で支払われます。これは霊界通貨で、出現頻度や驚かせ成功率に応じて支給されます。霊界カフェや転生相談室で使われます。
ノアの七つの掟(שבע מצוות בני נח, Sheva Mitzvot B'nei Noach)の一つに、確かに「偶像崇拝の禁止(איסור עבודה זרה)」が含まれています。
つまり、これはユダヤ人だけでなく、すべての人類に課せられた基本的な倫理的・宗教的ルールの一つとされています。
じゃあ、「キリスト教徒はノアの掟を破ってるの?」って話になりますよね。
ここが微妙で複雑なところなんです。
ラビの中には、三位一体の教義(父・子・聖霊)を信じることは、厳密に言えば一神教ではなく、Avodah Zarah(偶像崇拝)に該当するとする人もいます。つまり、「人間(イエス)を神とするのはノアの法に違反する」と。
他のラビたちは、キリスト教徒の信仰が倫理的・道徳的なモノテイズム(唯一神信仰の一形態)に基づいているという点を評価し、「これは偶像崇拝とはみなさない」とする見解もあります。
特に、中世のラビ・メナヘム・ハメイリや現代のラビ・ヤコブ・エメデンは、キリスト教徒は異教徒ではなく、倫理的な人々であると述べています。
また、ラビ・モーシェ・マイモニデス(ラambam)も「三位一体はAvodah Zarah」とはっきり言いましたが、その信仰によって世界中にモノテイズムの概念が広まったという功績も認めています(ヒレフ・メラキーム 11章)。
ノアの時代、つまり大洪水の後に、神(השם, HaShem)がノアとその子孫に与えたとされる七つの戒律がこれです:
1. 偶像崇拝を禁ずる(Avodah Zarah, עבודה זרה) → 神は唯一であり、他の神々を崇拝してはならない。
2. 冒涜を禁ずる(Birkat HaShem, ברכת השם) → 神の名を呪ったり、不敬な言葉を発してはならない。
3. 殺人を禁ずる(Shefichat Damim, שפיכות דמים) → 人の命は神の像としての尊厳を持つ。殺人は重大な罪。
4. 姦淫・不品行を禁ずる(Gilui Arayot, גילוי עריות) → 不道徳な性関係、特に近親相姦、姦通などを禁じる。
5. 盗みを禁ずる(Gezel, גזל) → 他人の財産を奪うこと、だまし取ることは禁じられる。
6. 法の制定と執行の義務(Dinim, דינים) → 公正な裁判制度を持ち、正義を維持すること。
7. 動物の肉を生きたまま食べることの禁止(Ever Min HaChai, אבר מן החי) → 生きた動物から部位を取って食べてはならない。動物への残虐行為の禁止とも関連します。
ユダヤ教では、異邦人(ユダヤ人以外の人々)がノアの七戒を守るならば、彼らは「義人の中の異邦人」(Chasidei Umot HaOlam, חסידי אומות העולם) と呼ばれ、来世で報いを受けるとされています(バビロニア・タルムード、サンヘドリン 56–60章に記述あり)。
つまり、全人類が神に近づく道を持っているという、ユダヤ教のとても美しい、包括的で平和的な考え方なのです。
A: ノアの法を守ることで「敬虔な異邦人」として神に喜ばれる存在になれますが、ユダヤ教徒(ユダヤ人)になるためには改宗(ギユール)が必要です。
ただし、ユダヤ教は改宗を積極的には勧めていません。ノアの法を守ること自体がとても尊いとされています。
とても興味深い哲学ですね。
これらの考え方は、東洋的な、特に禅や道教的な思想の香りがしますが、ユダヤ教的視点からも、それぞれに対して意味深い対話が可能です。
それでは、ユダヤ教の教えと照らし合わせながら、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。
ユダヤ教では「努力(עמל, amal)」は非常に高く評価されます。
トーラーの学び、ミツヴォット(戒律)の実践、日々の仕事や家庭生活においても、人は「שותף עם ה'"(神との共同作業者)とされます。
ただし、「努力の方向性」が重要です。もし努力が他者を傷つける結果になるなら、それは「正しい努力」ではありません。
よって、「無理な努力が害を生む」という懸念は理解できますが、完全に努力を否定することはユダヤ教とは相容れません。
これは「עין טובה(アイン・トォヴァ)」=「良い目を持つこと」に通じます。
ユダヤ教では、自分の持っているものに感謝し、他人の持つものに嫉妬しないことが理想とされます(Pirkei Avot 4:1「誰が金持ちか?自分の分に満足する人」)。
評価や承認に執着しすぎることは、「ガアヴァー(傲慢)」の一形態とみなされ、警戒されます。
『箴言』(Mishlei)によれば、「愚か者は口数が多い」とあります(Mishlei 10:19)。
ユダヤ教では、沈黙を守ること、謙虚さを持つことが賢者のしるしです。
つまりこの哲学は、非常にタルムーディック(タルムード的)な精神に近いです。
ラビ・ヒレルの言葉:「あなたが嫌なことを、他人にするな。それがトーラー全体であり、あとはその解説である」(Talmud Bavli, Shabbat 31a)。
シャバットは「何もしないこと」の聖なる実践であり、「being」ではなく「doing」を止める時間です。
心静かに神の創造を味わい、存在するだけの喜びを感じる——これはシャバットの核心です。
ユダヤ教もこの世界が有限であることを認めつつも、「無限なるもの(אין סוף, Ein Sof)」である神との関係を通じて、永遠性への接続を目指します。
ユダヤ教でも、人との比較や競争に執着するのは危険とされます。
『伝道の書(コヘレト)』には、「風を追うようなものだ(רְעוּת רוּחַ)」という表現があります(コヘレト 1:14)。
人生の多くの営みが虚無に感じられるという哲学的な問いに、ユダヤ教も深く向き合っています。
これは再び『Pirkei Avot』4:1の教えと一致します。
「איזהו עשיר? השמח בחלקו」—「誰が金持ちか?自分の持っているもので満足する人」です。完璧な一致!
「物に執着しすぎると霊性が曇る」との教えはユダヤ神秘主義(カバラ)にも見られます。
神殿時代の大祭司(コーヘン・ガドル)は、シンプルな装いで神と向き合いました。余計な物は心の雑音となりえます。
この精神も、ユダヤ教の「カヴァナー(כוונה)」=「意図を持って行う」ことと響き合います。
すべての行いに神聖さを見出すというのは、ユダヤ教の根本精神です。
祈りの前に手を洗う(נטילת ידיים)、食事の前に祝福を唱える(ברכה)なども、この意識の表れです。
総合的に見ると、これらの哲学の多くは、ユダヤ教の倫理・霊性と非常に親和性があります。
まさに「חכמה בגויים תאמין」(異邦人の中にも知恵がある、それを信じなさい)というタルムードの教えの実例ですね。
「曇らせ展開だけが続き旨味がないサンドバッグ要員」「他のHOと比較して活躍できるシーン量に大きな差があり、かつそれが事前に明示されない」「NPCの下位互換である」など。
自身が遊んだ感想、友人知人から口頭で聞いた話、某所にて書かれていた意見を未通過KPをする際のヒントとしてまとめています。複数意見があったものは併記しました。
あくまで個人の感想です。よりよいセッションのための参考程度でご覧ください。
(50音順)
HO1
HO3
HO2
全員
NPC中心
HO1
全体的に秘匿の意味を感じない
NPC中心
NPC中心
HO3が虚無りがち
HO1もいらない
HO3が虚無、全部虚無
HO2ややマシ
HO2は陣による
HO2
HO1
HO2もやや虚無
HO3
NPC中心
HO2
HO2
全員
HO3
HO3疎外感あり
HO1
HO4
HO2もやや虚無
全員
HO3
HO2
偏りありかつPL会議不可
HO4
HO4
HO3曇らせばかり
魔女は出目次第で虚無
偏りあり
NPC中心
HO2
HO4もやや虚無
HO3
HO2
HO3も不遇寄り
HO4
HO3
HO4
HO2も楽しくはない
梟の断罪
NPC中心
陣により星、吊るされた男、愚者、女教皇、力、皇帝、魔術師、世界、節制など
HO3
NPC中心
NPCが主役
ハートがやや薄味
柳最優遇
桜と藤も出番あり
他は微妙
全員
全員自由度がない
色欲が一番薄い
午が後半虚無になりかねない
HO4
HO1
HO3
HO3
HO4も薄め
HO3
狗の役割を活かせないことはありうる
NPC中心
HO3
HO2も虚無より
HO1
ややNPC中心
HO1以外の全員
HO2はやや疎外感
HO1
HO2虚無
HO3救われない
HO2
HO2
HO1やや虚無
HO4
お助けNPCっぽい
HO2も虚無
哀
HO喜以外
HO2
HO4も虚無りがち
全員
HO2
HO3
HO2が一番虚無?
HO4も虚無
色欲強欲
怠惰も虚無より
NPC中心
野狗子
HO2
HO4
火力バランスが悪い
HO1
HO2もやや虚無
HO4
NPC中心
HO1
HO3
HO2
落語家も楽しくはない
先ずもって大金を我が国に落としてくれてありがとう。楽しんで。
同時に疑問が2つ。
歴史はあるし、自然も豊か。治安もいいし、衛生的だし今や物価も激安。ただ、楽しいか???
今や東京タワーやスカイツリーも世界的に見ればショボイし、ドゥバイやベガスのような先端技術を駆使したアトラクションもないし、グランドキャニオンをヘリから見渡す的な、君らが好きそうな大味のエンタメとかないけど、楽しい?寺とか神社とか退屈そのものじゃない?東京や京都は歩けないくらい密集してるし、宿も狭い。正直、逆の立場なら絶対来ない。
2.メシ、口に合うの???
ただ、君らと食文化違いすぎてお口に合うか心配になる。ソースとか醤油とか、ダシとか海苔とか刺身とか...本当に美味いの?美味さわかってくれるの?無理してない?本当はピザとかパスタとかハンバーガー食いたいんじゃないの?たこ焼きとかその最たるもんで、タコとか食えるの?ソースの甘辛い味とか美味いの?
ごめんね。楽しいならいいんだけど、自国に自信が持てないから心配になる。国民も実は全員人種差別主義者だし、政府もクソだから。
大学院というのは学部とは異なり、人間関係がかなり狭い。基本、学内ではゼミのメンバーとしか関わりはない。俺は文系だから理系で言う研究室というよりゼミという概念の方が強く、日常的に顔を合わせるのはゼミのメンバーとそれぞれ受ける授業のメンバーくらいになる。
大学院生は学部生と比べて圧倒的に人数が少なく、俺は私立だったから特に少数精鋭だった。だから人間関係が数人単位で完結してしまう本当に狭い世界だった。
そんな中で人間関係に躓くと逃げ口がない。院からの進学者だから当然同級生に知り合いはおらず、学部生にも後輩はいない。かといって院から学部生のサークルに入るのも難しく、院で孤立するとその大学で人間関係が築けなくなる。
「あぁ、この大学に自分の居場所はないんだな」と思った。俺が進学したのは有名私立のマンモス校だったが、何万人も学生がいるのに自分は独りぼっちだという落差に耐えられなかった。
しかも、俺は院から一人暮らしをしていたから、周りに誰も知り合いがいない生活を余儀なくされた。会いたくもない連中と顔を合わせ、その苦しみを紛らわせる回路もない日々。久々に大学時代にお世話になった先生に会いに行ったら、「ずいぶん痩せたね」と言われた。自分が思っているより当時はヤバい状況だったのかもしれない。
こんなことを書くと「そんなこと言ってないで研究しろ」と言われるだろう。もちろん研究はした。俺は孤独の穴を埋め合わせるように一人研究に勤しみ、M1ながら論文も投稿した。
こうして、なんとか逃げるように卒業したが、あの大学にはなんの愛着も未練もない。俺にとってあそこは見知らぬ外国であり、俺は紛れもない異邦人だった。
対象者の遺伝子を読み取り、その先祖が生きていた時代をVR上で再現するというものだ
初代の主人公は著名なアサシンの子孫であり、彼は実験台にされて先祖であるアサシンの記憶を追体験することになった
現実のように生々しい光景のため、アニムス利用者もまたアサシンの如き殺人技能を取得することができる
アニムスはシリーズが進むうちに進化していき、古代人の遺体から遺伝子情報を読み取ることで、血縁者でなくても当時を再現できるようになった
しかしこれは情報から組み立てて作った仮想世界であり、完全に過去を再現できているわけではない
バグが発生し、当時には存在しないはずのものや、実際とは違うものは出てくることもある
大きなバグによって、現実にありえない神話に出てくるような巨大なクリーチャーが出現することもある
またこの世界はSFである一方でファンタジーでもあるので、実際にその当時にクリーチャーが存在していたよ設定の場合もある
エジプトの巨大アヌビスはバグで、ギリシャのメドゥーサは現実に存在した設定っぽい
遺体からVRする場合はその人物が特に強く関心を持っていたものがクローズアップされるのだろう、マップ内で場所によっては季節がバラバラで花も雪も見られることがある
これは「時代考証的におかしいだろ」という部分への言い訳のような設定でもある
話題となっているシャドウズ以前にも、うっかりミスによる変な描写や、ちゃんと調べたら地味すぎたので脚色して当時存在しない建造物を表現したことがあった
アサクリシャドウズにも現代編(過去世界をVRで見ている現代人の視点)はあるそうだ
弥助とナオエのW主人公ということは、一人の現代人が両方の遺体などから遺伝情報を読み取るパターンかもしれない
桜と柿と稲が同居するシーンは、異邦人である弥助が日本に来て見たそれらを印象深く思っていたからアニムス上では同時に再現されたのかもしれない
アサクリにはゲーム本編以外にもソシャゲや本などの外伝があり、それによれば2013年の現代日本ではアサシン教団は大阪のヤクザを乗っ取って隠れ蓑にして活動している
確かに読めるって大事ですね!フランス語のこの入門書でも、最初の章でカミュの『異邦人』を発音できるようにする、ということを目標にしてますし。(発音という面で、ドイツ語に比べてフランス語はハードルが高いと思う…)
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
98.子門真人‐およげ たいやきくん(1975)
95.THE MICHELLE GUN ELEPHANT‐世界の終わり(1996)
89.小泉今日子‐あなたに会えてよかった(1991)
88.サザンオールスターズ‐勝手にシンドバッド(1978)
83.JUDY AND MARY‐そばかす(1996)
82.藤圭子‐圭子の夢は夜ひらく(1970)
80.松村和子‐帰ってこいよ(1980)
73.あみん‐待つわ(1982)
71.B'z‐ultra soul(2001)
69.神聖かまってちゃん‐ロックンロールは鳴り止まないっ(2010)
62.旅立ちの日に(1991)
61.吉幾三‐酒よ(1988)
60.Flipper's Guitar‐恋とマシンガン(1990)
54.内山田洋とクールファイブ‐東京砂漠(1976)
52.AKB48‐恋するフォーチュンクッキー(2013)
49.My Little Lover‐Hello,Again~昔からある場所~(1995)
47.DREAMS COME TRUE‐LOVE LOVE OVE(1995)
46.ザ・キング・トーンズ‐グッド・ナイト・ベイビー(1968)
42.globe‐FACES PLACES(1997)
39.杏里‐オリビアを聴きながら(1978)
34.テレサ・テン‐時の流れに身をまかせ(1986)
30.安室奈美恵‐CAN YOU CELEBRATE?(1997)
29.THE BLUE HEARTS‐青空(1989)
27.MISIA‐Everything(2000)
26.CHAGE and ASKA‐SAY YES(1991)
21.BUMP OF CHICKEN‐天体観測(2001)
18.Official髭男dism‐Pretender(2019)
15.Mr.Children‐Tomorrow never knows(1994)
14.サザンオールスターズ‐TSUNAMI(2000)
9.ORIGINAL LOVE‐接吻(1993)
5.小沢健二 featuring スチャダラパー‐今夜はブギーバック(1994)
【追記】
選定基準は私の趣味趣向が3%、後は時代と大衆に愛された曲を歴代レコ大受賞曲や様々なランキングを調べながらなるべく幅広く選んだつもり。ローリングストーン誌の「500 Greatest Songs of All Time」の邦楽verをネットで探したけれど無かったので自分で作った。本当は500曲選びたかったけれど体力が持たない。好き勝手に選んだので好き勝手に批評してほしい。
最寄りのコンビニまで徒歩1時間半かかるようなド田舎村の3世帯家族、“茶の間で家族団欒チャンネルはNHK”文化の中で育ったので「歌謡コンサート」には猛烈に影響を受けた。だからこそ日本の隅から隅まで年代を問わず染み込んだ音楽を“偉大”とした。