はてなキーワード: 専門学校とは
弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である。
弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業に就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界に転職しているが、話を聞く限りどうやら職場の人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。
僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分の要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。
ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。
食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレーを顔面に散布されて、顔の筋肉が麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiUを占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格の否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。
弟から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分が結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。
僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。
僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?
これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。
被害者意識にまみれた、この醜い自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?
こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。
俺とある医療系の専門学校に行ってたけど、生徒に下駄履かせて無能を進級させまくってたら現場(実習先)からクレーム来まくって厳しくなってたで。女子枠もそういう道を辿るやろ。
ダイバーシティとかインクルージョンとかまじでクソ喰らえだから。
最初で最後の定型発達と関われる場所だし!とダウン症や知的障害、発達障害の子を保育園に預けようとしないで欲しい。物凄く迷惑。
まず他害がエグい。ノーモーションで他児に噛みついたり髪を引っ張ったりする。水筒の蓋を開けた瞬間隣の子に殴りかかるみたいな。ただただ健常児の子供たちは我慢するだけ。
日々の活動の意味が理解出来ないし、周囲を見て模倣する事も出来ないから基本的にふらふら1人離れて活動の邪魔をしにくるので定型発達の子どもたちはあいつは何なんだ・自分はダメであいつは許されるのはどういう事なんだと不満が溜まる。
自由遊びなんか最悪で各々楽しく遊んでる最中におもちゃを盗ったり組み立てたおもちゃを壊したり。1.2歳児だから当然悲しくなって泣いたり怒ったりするんだけどその反応が楽しくて障害児はやってしまう。関わり方を知らないから。
勿論健常児の親には被害は言わない。まだうまく話せない1.2歳児の子たちは自分で親に説明も出来ず定型発達の子たちからはヘイトがひたすら溜まる。世の中の仕組みを理解しはじめた様な1.2歳児が障害者を理解するなんて到底無理な話。障害児がいるクラスといないクラスでは明らかに子どもの落ち着き方が違う。
障害児を見る為の加配の保育士が障害児1人に対して1人配置されるが焼け石に水。そもそも定型発達ですら圧倒的に人が足りない。兄弟や地域の子ども同士関わりのあった昔の子ならいざ知らず、子ども同士の関わりが極端に少ない一人っ子のイヤイヤ期の子ども6人を1人で見れる訳がない。そんな中に6人分以上に手のかかる子どもが入ってきて加配1人と言われても無理。
そもそも障害児専門の保育士ではないから障害児にとっても定型児にとっても利点はない。保育士にスキルはない。死なない様にする為の増員。園によっては定型児から距離をとって一歩でも近づこうとしたら拘束してる所もある。精神科の拘束具みたいなもんかな。
奇声をあげて気に入らなければ暴れてとコミュニケーションが一切取れないので保育者から可愛がって貰えずスルーされたり無視される子もいる。加害の時だけ腕を引っ張って怒鳴られるのでそれがコミュニケーションだと思って加害行動を繰り返す障害児も居る。
障害児教育に対しての専門職が1人もおらず、効果的な関わりも一切無くただただ時間ばかりが過ぎていくだけで障害児の子どもにとって一切の利点がない。正直、保育園に入れる親はそこを理解して無い気がする。
保育士は国家資格ではあるものの専門学校に金さえ払えば簡単に取れる資格だから他の専門職に比べて能力に疑問のある人が結構多い。よくニュースになってるけど極端な例ではなくてバレてないだけで割とそこそこ居る。
人格面だけでなく常用漢字が書けなかったり簡単な暗算が難しい、親とのコミュニケーションが難しかったり境界〜軽度知的だろと言いたくなる様な奴も結構いる。まともな人は辞めていくので蠱毒化してる感もある。
ごく稀によくこれだけまともな人間だけを集めたな?と言いたくなる様な園もあるが障害者には厳しい園ばかり。どちらにせよ障害者にとって良い環境ではないのは明白。
要は障害児にとっても定型発達にとっても育ちの機会を保証されていない最悪の環境なんだよ。全部がめちゃくちゃになる。
じゃあ障害者の親はどうすればいいんですか?!働くなとでも言うの??とヒスった声が聞こえてきそうなんだがそう言うわけでもない。保育園に来ないで欲しいだけで。
地域的な格差はあるものの、障害児の保育園として児童発達支援センターが機能している場所もある。障害児は絶対にこっちに入った方がいい。
PTやSTみたいな専門職が発達の具合を確認して一人ひとりの課題に応じた療育が受けられて伸びが全然違う。保育士の配置も子ども5人に保育士3人とかめちゃくちゃ手厚い。保育園じゃ着替えも1人でろくに出来ず暴れてるだけの子と同じ障害・知能指数でも1人で着替えて歯磨きもして椅子に座れる様になる。(最初は保育園の子と同じ様なもんだが)
問題はそう言った児童発達支援センターがめちゃくちゃ少ない。地域によっては0だったりする。
生産性がない・コストがかかる・無駄と切り捨てられてる結果、障害児・定型発達児共に発達の機会を奪われてんだよな。
・専門性の高い児童発達支援センターを増やし、障害児を保育園に入れさせない
・資格を筆記と面接の更新制にしてやばい奴を弾く仕組みに変える
・障害児対応ができる保育士を専門職を新たに国家資格を創設。(PT・ST・心理士の基本的知識を有する保育士)
みたいな事やってくんねぇかな。
昔は専業主婦が子育て→幼稚園コースで情緒の安定した子どもが多かったが今は共働き10時間預けコースが常態化してるから定型発達・障害児ともに疲労がピークなんだよな。少しでも子どもの負担を減らさないと将来まともに大人になる奴が居なくなる可能性が高い。
はてなブックマークですが、週末に見ることがあります。投稿させてください。
私は今、専門学校に通っています。高校生の頃から、近所のスーパーでアルバイトを続けています。
そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います。
初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。
ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。
それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。
その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校を卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります。
作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。
彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます。
この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係に問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります。
私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?
頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。
いわゆるJTCで管理職になったばかりだ。広告会社(代理店)で働いている。一応は業界大手。
大阪に北区というのがあって、繁華街なので当然飲み屋がある。たまに仕事帰りに居酒屋(レストラン)に寄ったり、会社仲間と飲んだりする。
その中で、大卒採用というものについて考えさせられることがあった。
私がよく行く夜の飲食店だが、居酒屋系である。いわゆる高卒とか、専門学校卒とか、そういう店員が多くいる。
例えば、パリピな感じはしつつも傾聴力がしっかりしてる男の子とか、過去に介護の仕事をしてた子で、どんなお客さんともニコニコ笑顔で接する女性とか、まだ若くて高校生なのだが、未完成ながらもハキハキとした接客でソツがない動きをするとか、面白い子が世の中にはたくさんいる。
彼ら彼女らを見ていると、うちの会社に入ってくる新卒の子と比べてしまう。
大体みんないい子である。一流大卒だし、人と仲良くしようという気があるし、恋人がいるようだし、ほうれんそうもちゃんとできる。しかし。
面白さというか、自分だけの尖がった感じがないのである。岡本太郎の書籍でいうと「自分の中に毒がない」若者たちである。
一度、うちの会社の上司数人とその居酒屋さんに行って、そこまで大きいカウンターではないのだが、座って歓談をしていた。歓談をしてるうちに、上に挙げたような若い子たちとトークになった。
みんな、すごく話が面白いし、こちらの話もしっかり聞いてくれる。頭の回転が早いし、打てば響くというコミュニケーションである。同じ北区にあるクラブ嬢と同等の接客力だった。
上司達も、「飲んで飲んで!」と彼ら店員にドリンクを奢っていた(※店員さんに500円などの飲み物を出せるサービス。スパチャみたいなもの)。
これでまだ20代とか、未成年だと言うのだから世の中は広い。私が彼ら彼女らほどの年齢だと、全然そういう力はなかった。いわゆる盆暗学生で、それなりの大学には入学できたけれども、基本は遊んでばかりの毎日だ。年を経るごとに頭が悪くなっていく自分を恨めしく思っていた。
その日、楽しく話をしている最中だった。背後の方で、テーブル席で団体客の人らが大きい声を出していた。何か注文のトラブルがあったようだ。
カウンター席に座ったまま後ろを振り返ると、男性3~4人客に、女性店員1人だった。話の感じからすると、飲み放題の適用時間に齟齬があった様子だ。(お客は90分のメニューだと思っていた?)
記憶の限りでは、こういう会話だった。
「飲み放題ラストオーダーってなんなん?60分で終わりって聞いてないで」
「これは、ここですね……」
「え、これなん?」
「こんなんわからんやん!」
「大変失礼いたしました」
「なあ、当てがはずれたやんけ!!」
「わかりにくい表示でした。店長と話して追加料金で変更ができるかを……」
「わかりにくいやんけ!」
※さっきの客。北区にはこういう輩がいる
「なー、お前。失礼やろ。もう黙れ」
※隣の連れがさっきの客を制して
「ねえねえ。ところでおねーさん。年いくつ?」
「15才です」
「えー、そうなんや!15才か。それは……若い方やん。なあ?」
「うん。世間一般の労働者の中じゃ……お姉さん、比較的に若い方やで。間違いない」
※ここで全員が笑い出した
その後、差額分の負担で飲み放題を30分延長できたという会話があって、15才の子は男性客らにオレンジジュースを奢ってもらっていた。最初とは打って変わって、和やかな雰囲気になっていた。
はてな民の方々も思うところがあったと思うが、一般的な会社がほしい人材というのは、上のような子である。人当たりが悪くなくて、不潔さがない外見で、言葉遣いが常識的で、態度や行動も常識的である。社会的に正しい答えを導き出して動ける。
うちの会社もそうである。そういう子がほしい。別に高卒でも専門卒でも何でもいいから、さっきのような子だったら是非採用したい。一緒に働きたいと思った。彼女だけじゃなく、ほかの若いスタッフだってそうだ。
あの子達は……全員が非大卒である。高校中退とか専門学校卒。しかしながら、うちの広告代理店に新卒で入った子達の平均を(コミュニケーション能力において)凌駕しているのは間違いない事実だ。
さっきの15才の子も、あの年で居酒屋アルバイトというからして、何か家庭に事情があるのかもしれない。
ただ、個人的にこういう経験をしてしまうと、世の中学歴ではない、そんなものは単なる一目安でしかない。そんな上っ面で人を判断してはならないのだと思い知らされる。
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
私は今、専門学校に通っています。高校生の頃から、近所のスーパーでアルバイトを続けています。
そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います。
初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。
ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。
それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。
その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校を卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります。
作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。
彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます。
この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係に問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります。
私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?
頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。
明日、振られに行く。
非モテ喪女の拗らせ実体験というものをまずは説明しないとならないだろう。
高校を卒業した後、専門学校の認可を受けていないアカデミー的なスクールに通ったが、
そこでも恋が実る事は無かった。
私には無縁だった。
転機が訪れたのは20代後半、当時流行っていたSNSで良いなと思った男性が居たので、
その後、おそらく10代の男女がやるようにテンプレ的に夜景が綺麗な観覧車か何かに乗った後、
嬉しかった。
30近くして、初めて”彼氏”というやつが出来た。
肥満体型なのは過食症が原因で、食べて吐く事しか死にたい気持ちを紛らわせる事ができず、
しかし吐くのはかなりのテクニックが必要で、上手く吐けなかった私はただ太って行くだけだった。
なぜこんな肥満体型の私と付き合ってくれる男がこの世に居るのか疑問を拭えきれなかった私は、自分から彼と離れる事にした。
それから数年後、30代中盤くらいだっただろうか。
相変わらず不細工で肥満体型だったが、転職先にすごく魅力的な男性がいた。
彼は技術力も発想力も凄くて、私が引っ張っていたプロジェクトで大貢献をしてくれた。
しかし、立場的な問題もあり、彼が別プロジェクトにアサインされるのを待ってから、彼をデートに誘った。
彼から私をデートに誘ってくれる事は無かったが、私は執拗に誘い続け、
両親の挨拶も済ませ、同棲するマンションも探し、約1年同棲した。
実はこの間約7年、彼は一度も私と性的な接触を持ってはくれなかった。
同棲する前は「同棲したらそういうことも頑張るよ」と言ってくれたので、
しかし同棲1年経過しても、彼は私の身体に一切触れようとはしてくれなかった。
身体的接触が無いのであればせめて二人の時間を作りたいとあれこれ模索し提案したが、
ある時、転機というものが身に降りかかって来た。
同じプロジェクトの男性(独身)を”パワハラとかセクハラで訴えて良いから今夜だけ飲みに付き合ってくれよ〜〜”的に冗談まみれで言ってみたら、
なんと彼は私との飲みに付き合ってくれた。
終電があるから解散しよう、でも私はもうちょっと飲みたい、的な事を言ったら、
彼もそれに応じてくれた。
二人で適当に渋谷の道端で缶チューハイを飲んだりしていたら、強烈に尿意に襲われたので、
しかしお手洗いを貸してくれる店舗なんてそう簡単には見つからない。
仕方ないので私は「部屋が空いていたら宿泊するのでお手洗いを貸してほしい」と嘆願し、見事お手洗いを手にするに至った。
その晩、何がどう寄与したのかは不明だが、私はその男性と性行為をした。
嬉しかった。
長年思いを寄せて来て婚約指輪まで買ってくれた男性ですら女として見ては来れなかった私という醜い脂肪の塊に、
性的な欲求を向けてくれるような希少な男性がこの世に存在してくれた事のレア度みたいなものに思いを馳せると、なんとも言えない感情に包まれた。
それからは同棲相手との生活を整理し、単身で手狭なマンションを借り、婚約も解消し指輪も返却した。
たった一晩だけでも私を女として扱ってくれた男性社員に全力投球したいと思った。
仕事くらいしかやることがない私にとっては、彼に高級レストランで食事をご馳走することだけを生き甲斐にやってきた。
2021年は日本橋のフレンチ、2022年は銀座の蟹、2023年は西麻布の有名フレンチ、2024年は新進創作メキシカンだった。
2025年の明日、これまた知る人ぞ知るみたいなフレンチを予約した。
だが、先週末、彼とは別れ話をした。
1人は私が生まれた時からずっと一緒に実家で暮らしてる祖父。(じぃじと呼びます)
じぃじは祖母と文通を通して遠距離交際を始めて、父親の専門学校の学費を払ってくれたり生活の面倒を結婚する前から見てくれていたらしい。
父が高校卒業して親元を離れるまで結婚を待ってくれたり、生まれた血の繋がりのない孫の私にとても良くしてくれた。頭が上がらない程に。
私にとって祖父は生まれた時から一緒のじぃじだけだと思っている。
祖母や幼い父にDVを繰り返し離婚されてから養育費も払わずに逃げた人だと祖母から聞いてる。
父が幼い時の離婚なので祖母からしか話を聞いたことはないのでどこまで本当なのかは分からないが、じぃじが生活を助けたのは事実だし祖母を疑う理由がないので事実だと思う。
父が何故そんな人と関わりを再開したのかは分からないが、酷いやつでも実の親だから交流したいという気持ちはまぁ分かる。
親に孝行するのは当たり前という感情が強いので、孫に会いたい話したいという祖父の願いを叶えて親孝行してやりたい!と思っている節がある。
実家を出る前に父に九州に連れられて、何年かぶりに祖父に会わされた。
何年も会ってない18になった女の孫を抱きしめて手を繋ぎたがった。
とても気持ち悪かった。
そもそも父はそんなスキンシップを小学校3年生以降したことは1度もない。
でも嫌がったり素っ気ない態度は父に怒られるので仕方なくよそ行きの笑顔で対応した。
帰りに卒業祝いだからと袋いっぱいのお菓子と10万円をくれた。
有難いとは思ったけど、今更そんなことするならちゃんと養育費払えよと思った。
何度もかかる不在着信に罪悪感があったからタイミングがあった時にだけ。
家にあるギターを送るから住所を教えろと言われて置き場所がないからとやんわり断った。
そして、彼氏と住んでるなら望まぬ妊娠をしないよう気をつけろと言われた。キモかった。
私は子供は欲しくない。
継母からの虐待と守ってくれない父に心を病んで毎晩自分そっくりの子供を殴りまくる悪夢を見るようになって子供を諦めた。
最後に家にゴキブリやネズミが出るが餌をあげて子供のように可愛がってる話をされ電話は終わった。
血縁の祖父ながら気持ち悪いやらなんやらの感情でいっぱいになり、何十回かの着信を無視している。
父から時々、
「祖父が電話に出ないと心配している。不審者に襲われたのかもしれないからスタンガンを送った方がいいかと言っている。親孝行だと思って電話に出てやれ」と言われる。
その度に、電話来てないけどな〜と誤魔化しているが限界は近いだろうなと思う。
自分の話したいことだけ話して、余計な説教をして私に話したいことないかも聞かない人の電話に出るのは正直キツイ。あと訛りで聞き取りづらい。
あと何回電話がないで通せるかな。
祖父の無責任な行動やDVは心の底から軽蔑するし、その結果私が産まれて、継母から虐待された。
18年我慢してようやく逃げたのに、まだ苦しいのに子供を産めとか親に感謝とか、あんなクズに説教されて言い返せないのが辛い。
無視する度に罪悪感がある。
ブロックするのもバレたら怖いしで躊躇ってる。
優柔不断で嫌になる。
早く楽になりたい。
「で?」って感じ。
大学や専門学校入学前のポートレートでこれ作ってきたら「おー面白いじゃん」ってなるけど、卒業制作がこれだったら「ん?君はこれで何を表現したいの?」としかならんレベル。
現代的町並みの中に「古典的な神社仏閣の類」と「最新の巨大な科学施設」が同居してることの面白さがコンパクトに描かれているけどそれは実際に街を歩いて写真を取れば小学生でも表現できるでしょ?
一昔前風のちょっとローポリゴン気味な3Dにノスタルジックを感じるのだって、そんなのシェンムー発売から25年(!?←時間の流れは恐ろしいね)経ってることを考えれば当たり前だよ人間の人生はおおむね70年しかないんだもの。
操作性の悪さについては特に気にしても仕方がないから減点要素にはしないけど頑張ってたら加点要素になった気はする。
たかが無料ゲームと言ってしまえばそれまでだけど、これをプレイした人がこれに消費した時間に見合うものを与えられているのが最初の3分間ぐらいしかないのが気になるな。
そのあとはせっかく始めたからと惰性でやってるだけの作業だよね。全体的に。
個人的には操作することに気持ちよさがないのがやっぱ弱いかなと思う。
ソニックやマリオみたいな走り回ってパルクールするだけでクールになれる作りじゃないとゲームという表現技法としては拙い。
建物やその配置を裏側から見たときの意外性が欲しいんだよねー。どの建物も顔の向き毎の表情が乏しいよね。
ゲーム内で役割を持ってないってことが遠目に分かるのはある意味UIとして強みなんだけど、このゲームの場合にそれをやってしまうと奥行きが無くなるだけかな。
さっき来た道の横から戻った時に「ここに繋がるんだ」はないわけじゃないんだけど、それだけだと「えーそれなら直に行けるようにしてよ」という気持ちの方が強くなってプラスにはなりにくい。