「映画」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 映画とは

2025-11-23

国宝は観てないけど(というか絶対に観ない)

歌舞伎という日本文化気持ち悪さが日本以外の国の方から発見されて心が晴れ晴れしている。日本国内でもあの映画が絶賛されていることを疑問視する考えを持つ人がたくさんいる事実を知ることができて嬉しい。

細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

ヒロアカ最新話よすぎて頭痛

ヒロアカアニメこんなに面白くて人気なのに

誰も回りで見てないから吐き出させてくれ

たまたま最新話前まで追いついたらみんなTLで騒いでたの見て最新話みてきた。

唖然と涙だけ出ちゃって、うまく言葉に出来ないけど言葉にするなら…

展開はそうなると分かっていた、そうだろうと思ってたけど大嫌いなオールフォンワンがよいちに固執した理由もなんとなく分かってたけど

「大好きだ」という言葉1つで

この作品はどこまでもキャラクターを一人一人愛してくれていて、敵キャラに、モブにまで思いを語らせてくれて…こいつも本当に1人の人間であると言うこと、愛している人がいた事を痛感させられた。

こんなに憎たらしいキャラクターを許してしまうそ一言があるのだと思い知らされた。

私は使い捨てのようになる漫画アニメキャラが嫌だ…特に劇場版キャラは本筋では無かったことになる。今まで劇場版キャラクターも出してくれたジャンプ作品今まであっただろうか…無かったことにしなかった…ヒーローも敵も存分に姿を見せてくれて

生き様を見せてくれた。

ヒロアカアニメは全てが癖に刺さる。

アニメーターに愛されてるのが放送後のアニメーターのツイートからも分かる、音楽からも分かる、声優からも分かる、原作者からも伝わる、こんなに好きな人がたくさんいてとってもいいな…

現在この世に存在するアニメで今回の鬼滅の刃映画を超えるアニメーションは出てこないと思っていた。

でもヒロアカは瞬間風速で追い抜く感覚がある。

鬼滅とは違う輝きがあった。

総集編劇場でみたらえぐい程たのしいんだろうな。

作画からアニメーターが楽しんで描いてるのが伝わってくる、出久は特に声優さんの声に希望や光を感じるし、爆豪のアニメーションの爆発や爆裂という表現において10年以上はこのヒロアカアニメーションを超えるものは出てこないと感じる。これはチェンソーマンのレゼの爆発とは違って、爆豪の性格ありきの爆裂表現があると思う。

感動しすぎて号泣頭痛いので頭痛薬を飲んでいる。

最近出てた人気投票で死柄木が入ってたりして

そんなに奴を許せるのか?と疑問だった。

でも死柄木は死柄木で仲間のために、今の世界が楽しくない奴のために負けられないという気持ちがとても良かった。私もそちら側だったから。持たざる者は持つものを羨み、妬ましいから、全部なくなれと思うから

ヒロアカ作品の好きなところはそれぞれに目標や信念が存在していて、それを敵でもひとつも取りこぼさずに大事に描くところだ。

いか応援したくなるという部分が今までのジャンプ作品にここまで存在しただろうか。

私が見ていたアニメNARUTOBLEACHなどだ。アイツらなんやかんや実は強い系だった。

出久、最初はうぜーと思う事もあった。綺麗事だらけで。冷めた目で人気の作品をなんとなく見ていた。みんなの話に追いつきたくて見ていた。学校の辺は陰キャにはキツかった。でも何となく見続けた。

でも見てるうちに馬鹿じゃねーのって気持ちが綻んでく。

レディナガン戦で心を打ち砕かれた。ヴィランよりの社会不適合者だから自分を重ねてしまって。

なんで助けてくれるんだ。なんで。って気持ちでいっぱいで。

今日やっと、その答えが示された。

弱さが皆を奮い立たせるという答え。

今まで見た作品でそんな答え見たことなかった。

というか推しがそれを喋ってくれたのが嬉しすぎた。

同じように惹かれていたから。

こんなに感情を揺さぶられたアニメはいつぶりだろう。こんなに応援したくなる主人公は今までに存在しただろうか…最後までツンを貫いてた爆豪はまさかW主人公位置まで飛んでくるとは思わなかった。ただの夢女子製造機(イメージ)じゃなかった。

ガチキラキラしてて、まじでヒーローだった。

ヒロアカは色眼鏡なしに、作品を楽しませてくれる。

アニメを見ていてその場にいる感覚になる。

キャラクターを取りこぼさずに描いてくれてありがとう

気持ちヴィラン側だったので

アニメを見て痺れてしまって作品への大好きを誰にも言えなくてここに初めて書き込んだ。

社会不適合者こそヒロアカを見て欲しい。私はこの世の全てに唾を吐きかけていても、手を取ってくれるだれかがいると信じれる。心のバイブル

このアニメみんなに見てほしいけど、周りに誰も見てない。どうして〜みてくれ〜!!!

『果てしなきスカーレット』見てきたので感想

細田守監督いじめててごめんね……許してください……

という感じになりました。いじめっ子の悔恨

しかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタ尻尾バイブでアナル絶頂CMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たとき感想「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。

そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタ制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖誤用)を描こう! ショタケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生理想郷を作ろう!」というつもりだった。

要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しか細田守は前者の意味解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことないじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督

で、本編の感想なんですが。

日本オタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんハワイ語ハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本アニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「日本アニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品キャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。

問題海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!

聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物気持ちを全部言葉に出しちゃうマン細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。

最後のほうは「宗教映画?」って感じでした。ラスト演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃん主人公共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近プリキュアって主人公意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。

あとヒロイン名前スカーレットファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国王女名前採用されてるんです……? 「たまたま異世界デンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界デンマーク舞台からねこれ。正気? それとも「一度も現実世界日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけどクローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピア登場人物日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピア英語で書いた前近代作家からであって、現代日本作家が何でデンマーク人名英語読みするんだよ!

あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体ラインピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?

2025-11-22

[]映画 エブエブ(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

好きなvtuberと嫌いなvtuberりょうほうとも 見てたから興味わいたからみた

今週アパホテル泊まったら部屋のテレビで見れたからさ

2時間半くらいあるからめちゃ長い

最初の15分くらい?はいわゆる悪い意味での邦画あるあるみたいな日常シーンの連続

すげーストレスたまってイライラするけどそのあとは怒涛の展開って感じだった

考えるな感じろって感じの映像だけど、マルチバースとかシュタゲとかマトリックスとかメタという概念とか事前知識ないとイミフだろうなとも思った

そこはだいたい予備知識はすでにあったからすっと入ってきた

世界線みたいな説明樹形図みたいな感じで視覚にわかやすいシーンが何度も出てきたし

世界巻き込んだ壮大な家族ゲンカって感じかな

つい最近似たような構図みたなと思ったらテイルズオブベルセリアだった

夫がジョンレノンジャッキーチェンだかの顔に見えるな、あれこれ年取ったジャッキーか?と思ったら違った

インディジョーンズに出てたアジア人の子役らしい

へー

主役のおばさん女優も見ててきついなと思ってたのに、よくみると浅野温子ぽいんだなと感想がかわった

この勢いと画面の情報量小説マンガだと無理だなー映画というか映像ならではだなと思った

うそう、あとかなり序盤から思ったのはONEバグエゴそっくりだなと感じた部分があった

というのは、別の世界線自分能力インストール?するために、くだらない儀式みたいなことをやるんだよね

ケツにアナルプラグを差すとか、リップクリーム?を食べるとか。

特定の振る舞いをすることがキーになるってのがバグエゴっぽいなと。

ぐぐってみたらバグエゴ1話ブコメでも指摘してる人いた

いやーそれにしても超久しぶりに映画みたわ・・・

映画見るってやっぱ贅沢な時間の使い方だなあと思った

それしかできなくなるから

いや厳密には違うか

これが、ながら見ができないタイプ映画だったっていうだけか

出張は大変だったけどこれをタダで見れたってだけでなんかよかったなと思えた

じゃりんこチエの父親って毒親

じゃりんこチエの古い映画YouTube無料公開されてたから見たけど

チエの父親って毒親

ていうか働いてないよね

子供を働かせて自分バクチを打つ

完全に毒親じゃん

児相は何してるの?

見てて辛かったよ

チエは強そうに見えるけど母親と離れて暮らしてるし(離婚してる?)、寂しいよね

何もかもが悲惨

昭和ってあん世界だったんだね

映画ランボー ラスト・ブラッドを見た

映画単体としてはいい出来とはとても言えないがランボー映画の最終作としては嫌いになれない。

59点。

 

この作品がどんな作品かを、めっちゃ簡単に言っちゃうならランボー怒りの96時間、もしくはイコランボー96時間イコライザーランボーでやってみました、という映画

悪い所はこの2作をランボーでやったことで起きてるし、いい所はこの2作をランボーでやったところで起きてる。

この2作、てかこれ系の作品は元特殊部隊員が大事存在を害されてその敵をせん滅する話なので、その元特殊部隊員をランボーに置き換えるというアイデアはありだと思うし、むしろ普通作品では「なんかしゅごいやつだったらしい」くらいのエッセンスとして描かれる特殊部隊時代の話がランボーでは4作かけて積み重ねている分、有利ですらある。

しかし。

 

まず悪いところ。

他の主人公たちが恐らく諜報系の特殊部隊員であり過去コネクションを強く持っているのに対して、ランボーはおそらく前線で戦う兵士系の特殊部隊員であり仲間は全滅し頼れるトラウトマンも死んでしまった孤独戦士であること。

その結果、頼れる諜報仲間がいないからヒント出す以外に何の意味もない女ジャーナリストを出さなきゃいけなかった。こいつの存在ホンマノイズ。100人92人くらいこいついらんなぁ~って思ったはず。

そして「ランボー」をやる必要があるということが無意味しか見えない展開を生んでいるのもめっちゃマイナス

誰もがハァ?って思ったランボーノコノコ、無策でギャングシマに乗り込んでいってボコボコにされてほっぺ切られる展開。これ、普通に考えたら絶対にありえない展開だけど、これって2のオマージュなのは明らかじゃん。敵地に乗り込んでいって捕まってほっぺ切られる。このことで平和ボケしたパパランボーは「ランボー」に戻る。

ということを表しているんだろうなぁと思うんだけどもっとうまいことできんかったか

ここまでボケてるようには見えなかったからさすがに違和感過ごすぎてやりたいことを素直に受け入れられないレベル

 

次、いいところ。

この作品ランボーだってところ。

ランボーは旧友の孫のガブリエラを娘のようにかわいがってたんだけど、その父親クズ中のクズで会いたがるガブに対して「人は変わらない」と言う。「おじさんは変わった」というガブに対して「蓋をしているだけだ」と答え、上で書いたように2の儀式を経て「蓋が開き」「変わっていないこと」を示す。

「人は変わらない」ってセリフも非常に凡なセリフだけど4作付き合ってきた身からすると「変われんかぁ……!」という気持ちになるよね。まぁ、今作のランボー、4の最後で返った牧場地下道を延々と掘ってて「カウンセリング行く?だいじょぶそ?」って感じなんだよね。この辺は重みが出てて結構よかった。

そして他の作品だとイコライザーホームセンターシークエンスをパク、拝借した?と言いたくなる最後地下道での決戦だけど、ランボーだと別の意味を持つ。見ればわかるけど、やってることってランボートラウマであるトコンそのもなんだよね。徹底したゲリラ戦。残虐ホームアローンも、愛するものを喪って1の前どころか、彼が抱える悪夢のものになってしまったランボーと考えると哀しすぎる。

そう考えると冒頭のシークエンス観光客?を鉄砲から救おうとするも3人中1人しか救えないシークエンスも「救う男」になりたいというランボーと「救えない男」でしかないランボーの両方を表しているように思えてよかった。じゃなきゃ普通に全員救える展開にしてもいいんだし。

でも5作やったスタローンの中でのランボー結論がこれかぁって寂しい気持ちもある。まぁ4でランボーを「殺す者」と定義してしまった以上、こうなるのは必然だったのかな。最終的にトラウマに飲み込まれ戦場に戻ってしまった男。

イコライザージョン・ウィックブライアン最後安息を手に入れたのに。

彼らには過去の仲間がいて、新しい友人もいる。ランボーには誰もいない。

「一人だけの軍隊」それがランボー本質だったという結論は哀しいながら美しい。

 

ただ、このへんの高評価ポイントも正直、そこまで考えて作ってるのか?っていうのがかなり疑問になるくらいには作品としてはガタガタ。とても褒められた出来じゃない。ただ、「First Bloodから始まったランボーシリーズの最終作「Last Blood」として一定のケリをつけたことは評価したい。

後、敵のボス吹き替え武田真治だったんだけどヘタクソすぎてキレそうだった。プロを使えよハゲ

 

ランボーお疲れ様

なんか最後お馬さんに乗ってシェーンやってたけど、カムバックはするな。

歴代最長の任期を務めた元首相が、白昼、凶弾に倒れた。

犯人動機は、カルトへの個人的な恨み。それは一見理不尽逆恨みしか見えなかった。

しかし、彼の壮絶な人生を追う若き弁護士は、驚愕真実に突き当たる。

――カルト政治の結びつきは、元首相の 祖父 の代から続く、世代を超えた血脈タブー だった。

手製の粗末な銃から放たれた一発の銃弾は、政界に深く根を張った闇を、ついに白日の下に晒した。

真実が求められる一方で、教団を追うアウトローライター報道インターネットを飛び交う陰謀論、そして元首相の死を喜ぶ野党支持者の声が世論を混乱させる。

問う。彼は救世主か、テロリストか。

実在事件を元に、日本現代史の深層に切り込む、衝撃と戦慄の社会派サスペンス

この国の「正義」が、真に試される。

映画テロリスト2026年秋全国ロードショー

スポンジボブトワイライトゾーンネタやってるけど、

今の日本人トワイライトゾーン、通じなくない?😟

世にも奇妙な物語みたいなもんだけど…

自分世代じゃないけど、カラー映画トワイライトゾーン

あの客が飛行機の窓から外を見ると、翼の上にグレムリンがいて、翼を壊してるやつがあったり、

田舎だったけど、地方テレビ局モノクロトワイライトゾーン再放送をやってて、

今でも覚えてるのは、

主人公が気が付いたら、色んな格好をした人間たちと一緒に閉じ込められてて、

高い壁に囲まれてるけど、天井はなくて空が見えるので、

みんな脱出のために壁を登ろうとするんだけど、壁がつるつるして登れない、

みたいなやつ…😟

トワイライトゾーングレムリン映画グレムリン元ネタになったけど、

制作過程グレムリンの設定は全然別物になっていった、みたいな感じだったと思う…😟

あの、チャラララ、チャラララ、チャラララ~♪も最近は通じないんだろうなあ…😟

タイトルを伏せて映画感想を書く

職場オナニーすると、なんやかんやあって沢山死人が出るのでやめた方が良いと思います

オナニーは家でしようと思いました。

anond:20251122151937

何の映画の話か分からないけど、意図が知りたければ絵コンテ売ってると思うから

買うとか、図書館にある場合もあるし、そのシーンを確認してみたらいいかも?😟

最近、犬ホームズ脚本家さんがYouTubeで宮さんとの現場でのやり取りを語ってて、非常に面白かったんだけど、

宮崎駿映画は、ほぼあの絵コンテにすべてが込められてる、というか、あれが寧ろ完成品、

映画絵コンテ劣化したもの、だからなのか、庵野さんはそれと違うことをやるようになってる…😟

宮さんの絵コンテは、あれは宮崎駿が一人で作ったらこうなる、というもので、

当然絵コンテなんだから、そこから原画仕事を多人数でやっていくわけだけど、

完成した映像宮崎氏の脳内にあるわけで、俺の脳内映像通りに作らないと〇す、みたいになりがち…😟

日本文化品格文化として、歌舞伎と能ならば圧倒的に能です

どれだけの人が実際に歌舞伎を見て、映画国宝」について話してるのかは寡聞にして知りませんが、

歌舞伎座で歌舞伎を見ているいち庶民からすると、あれは大衆芸能であって、才能があるわけでもない「家の長男」やその周囲がそれらしく演じるための「型・様式」が存在し、さらにその「型・様式」も決してレベルが高いものではなく、だからこそ演じられるものです。

元々、女性が行っていた芸能を、男性女性演者へ行き過ぎた性的な興味をもったことで「風紀を乱す」として男性が行うようになりました。

中国でも男性女性を演じる女形はありますが、女性は他家へ嫁ぐので芸の流出を防ぐため男子女子を演じるのが理由でした。

比較すると、結果は同じでも原因が男性民度の低さによってであり、成立からそもそも歌舞伎品格が高いものではありません。

そこで芸を高める努力があることは素晴らしいことではありますが、大衆芸能からこそ多くの人に「わかりやすい」美です。

日本芸能でより格式が高いのは能であり、それは歴史だけではなく、鑑賞すると体感できます

これは時間に圧倒的な余裕がありそれを美意識で磨ける層にしか堪能できないもので、セカセカした生活に追われる大衆には心身から理解するのが難しいものだ、と。

歌舞伎現代日本人に受け入れられ、伝統とされあたか格式高い芸能として扱われる理由

男尊女卑を旧来の形で内包しており、男尊女卑を心身に染み付かせた大衆欲求合致している

・才能ではなく「家」で職種限定され「男性のみが」評価され女性サポートという名の下働き奴隷に押しやっている点が、ある種の層の加虐性と非加虐性支配願望を満足させる

・なんとなく伝統格式があるようで観客も自意識を満たせるが、内容は然程の品格も知性もなく楽しめる

歌舞伎とその芸能に携わる人の努力、その「よさ」を否定するつもりではありませんが、問題点批判点を認識しないままいたずらに持ち上げるのは非常に日本らしい汚点だと考えます

誰も宮崎駿に汚らしくジャムを塗りたくったパンを食べるシーンはわざとそういうふうに描いたんですか?って聞けないのかな?

あれが意図して描かれてるのならいいのだけど、そうでないとしたら、次の映画(があるとしたらだけど)はかなり醜悪ものに仕上がるような気がする

もののけ姫を見に行ったときに、スカーレット予告編を見たのだが、芦田愛菜のクソ演技を込みにしても、この映画が全くの駄作な訳が無い、という印象を受けたのだが・・・

なぜこれほど評価が低いのか?見に行く勇気は私にはない。

そばかすを見た上でスカーレット初日に見に行ってるオレ映画詳しい民って誰よりも早く酷評書いてバズりたいだけやん?とは思った

評価が定まってから観るコスパ民にサマーウォーズ流行るんかもしれんの

見たい映画を見にいくべきで人気あるからと言って…『爆弾

と、タイトル通りの失敗をした。

見たいと思っていたのは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だった。だけど、佐藤二朗爆弾』がすごい興行成績を上げているというニュースを見て、ネット予約だけど、迷った末に後者の方を選んだ。

結果、「金返せ!」と鑑賞後に入ったトイレの中でおしっこしながら叫んだ、心の中で。

時々駄作にぶち当たるのはしょうがない。見るまでわからいからだけど、私は貧乏人なのでそんなしょっちゅう今時の鑑賞料金の高くなった映画館には通えない。だから駄作だと、ほんとにクソ腹立つ。

今回の『爆弾』はまさにそうだった。

佐藤二朗や、山田裕貴などの俳優の演技が絶賛されていたが、それはそうなるわ。だって映画俳優の演技に完全に依存しており、監督を含めた制作側は俳優に任せとき大丈夫だろう、程度にしか考えていなかったのではないか邪推せざるを得ないほど酷かった。

まー酷い。話の辻褄はとんでもなく合ってないし、「あれ何だったの?」と思う伏線ぽいのが山のようにあって、何も回収されない。

どうやら評判をつまみ食いして読んでると、小説の方も大概酷いらしい。

ともかく、何度も何度もしつこく佐藤二郎の顔のドアップばかり見せつけられると、飽きてくるわけ。で、ほんとは違う(何が違うのかは言わないが)ってラストの方で明かされるんだけど、それはないだろ!と、謎が明かされてもカタルシスどころかがっかりするというエンターテインメントとしては全然納得のいかない展開。

そんなの現実的にあり得ない、っていうのは映画なら全然いいと思う方なんだけど、いくらなんでも「そんな馬鹿な」としか思えない展開は流石に呆れてしまう。

これは一つだけネタバレすると、爆弾事件が起きまくってて死傷者多数の状況で、爆弾が爆発するかもしれない電車の即時運行再開を客が求めるか? あるわけないだろ!w

それでもまだ、肝心の爆弾爆発シーンは、タイトルがそれの映画なんだから見せ場になってるはずだと思っていたら……とんでもなくしょぼい、しょぼい、しょぼすぎる!

今時、ハリウッド映画クラスの爆発シーン程度、CGで安く作れるだろ。なんなら今時は生成AIですら分で作れるぞ。

俺なら観客が予想もつかないタイミングでとんでもない豪勢な爆発シーンを仕込んだだろう。だが、警察を騙すのに観客を騙さないという、作り手はほんとに何も分かってないとしか思えなかった。

ほんとにこの『爆弾』って映画はクソ映画駄作しか言いようがないほど酷かった。

 

でも、これがどうして絶賛されているのか、訳がわからないというのがいちばんの謎。ある映画レビューサイトでは五つ星評価で平均で4つも取っていた。考えられない。何故?

 

追記

tomiyai 小説普通に面白かったけどね。想像で補ってるところはあるだろうが。素人個人で作ってる爆弾って設定でド派手な爆発シーンを期待する方がおかしいでしょ。

 

いや、そんなのいくらでも出来るでしょ。ガソリンスタンド爆弾仕掛けるとか、色々。実際、あの新聞配達用のカブ一台の爆発シーンは最も良かった。だから飛び込んだ先がガソリンスタンドとかの設定にしたら大爆発は全然可能。ていうかね、『爆弾』てタイトルなんだから、そこを見せ場にしなきゃダメだと思う。

それにね、名前忘れたけどほんとの犯人だったやつが爆発で死体が木っ端微塵になるシーンは、多くの人が言っているように傑作映画の『スピード』の真似だけど、真似ならもっとド派手にできたろう。『スピード』の場合、家の外からも撮ってあって大爆発がよくわかるようになっていた。だけど『爆弾』のはショボすぎるよ。

ここではないあるところで似たようなレビューを書いてアップした(あんまりもつまらなくてムカついたからw)けど、少しとは言えそれなりに共感してくれる人はいたよ。

もっと辛辣な低評価レビューもあったし。でも、総じて評価高いんだ。どうしてだかさっぱり理解できない。

酷評の真の理由ってこれなんだと思ってた

### X投稿概要文脈

指定されたX投稿https://x.com/pawapongASD/status/1991112661992702201)は、ASD自閉症スペクトラム障害当事者である@PawapongASDさんが投稿したもので、内容は以下の通りです:

> 「君は間違ってる」

> 「正しくはこうだ」

> 「自分は悪くない」

> 「悪いのは○○だ」

> ASDコミュニケーションって、こんなのばかりになりがちだから気をつけようね。

この投稿は、ASD特性が原因で、会話が批判的・防御的になりやすパターン自己反省的に指摘したものです。リプライでは、他のユーザーが「今まさにこれを喰らってました😅」と共感を示したり、「ASDにこのアドバイスをしても『気を付けるってどうやって…?』となる気がします」と実践的な難しさを指摘したりするなど、ASDコミュニティ内での共感課題共有の文脈が見られます。このようなコミュニケーションスタイル(例: 相手意見を即座に「間違い」と指摘し、論理的事実ベースで訂正する傾向)が、誤解や対立を招きやすい点が、質問の核心です。

以下では、このようなコミュニケーションASDのどの特性によって影響を受けやすいかを、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)に基づく診断基準を中心に、詳しく分析します。分析は、ASDの主な特性社会的コミュニケーション障害、反復的・制限された行動パターン)を基にし、脳機能の違いや実例を交えて説明します。なお、ASDは「スペクトラム連続体)」であるため、個人差が大きく、全員に当てはまるわけではありませんが、傾向としてよく見られるパターンを焦点にします。

### ASDの主な特性コミュニケーションへの影響

ASDコミュニケーション障害は、主に**社会的感情的相互作用の難しさ**と**認知処理の偏り**から生じます。これにより、会話が「論理優先・感情後回し」になりやすく、投稿のような「訂正・防御型」のパターン(例: 「君は間違ってる」「正しくはこうだ」)が頻発します。以下に、具体的な特性を分解して分析します。

#### 1. **社会的コミュニケーション障害Theory of Mindの欠如と非言語 cuesの読み取り難)**

- **特性説明**: ASDの人は、他者視点感情を推測する「心の理論Theory of Mind)」が発達しにくい傾向があります。これは、脳の社会的領域(例: 前頭前野扁桃体)の機能差異によるもので、相手の表情、視線、声のトーンなどの非言語的手がかりを即座に読み取れず、会話の「文脈」や「ニュアンス」を捉えにくいのです。

結果として、会話が「事実のやり取り」中心になり、相手感情(例: 傷つきやすさ)を考慮した柔軟な表現が後回しになります

- **投稿コミュニケーションへの影響**:

- 「君は間違ってる」→ 相手意見論理的に「誤り」と即判定し、訂正する。これは、ASDの人が「正しさ」を最優先する認知スタイル(詳細論理的思考)からますが、相手の「自己防衛感情」を無視し、攻撃的に聞こえやすい。

- 「悪いのは○○だ」→ 責任を外部要因に帰す防御反応。ASDでは、曖昧人間関係文脈で「自分の非」を感じ取りにくく、論理的に「原因分析」へシフトします。これが、相手に「責任転嫁」と誤解され、対立を深めます

- **分析例**: 職場上司曖昧な指示に対し、ASDの人は「正しくはこうだ」と詳細に修正提案しますが、非ASDの人はこれを「上司の顔を立てない生意気さ」と感じる。結果、孤立人間関係の摩擦が生じ、二次なうつ症状を招くケースも。

- **脳科学的背景**: fMRI研究では、ASDの脳は社会的推論タスク活性化が低いことが示されており、感情共有が「知的処理」として扱われやすい。

#### 2. **制限された興味・行動パターン(こだわりと柔軟性の欠如)**

- **特性説明**: ASDの人は、特定ルールや「正解」への強いこだわり(反復的行動)を持ち、変化や曖昧さに耐えにくい。これは、脳の実行機能(柔軟な計画・切り替え)の偏りからで、会話でも「自分知識体系」を守るために防御的になります

「正しさ」を共有することで安心感を得る一方、相手の多様な視点を「脅威」と感じ、訂正モードに入りやすい。

- **投稿コミュニケーションへの影響**:

- 「自分は悪くない」→ 自己防衛の強いこだわりから、会話で「非を認めない」パターンASDでは、感情曖昧さ(例: 罪悪感)が処理しにくく、論理的に「自分は正しい」と結論づけます。これが、相手に「頑なで共感がない」と映り、信頼を損ないます

- 「正しくはこうだ」→ 専門知識ルールへのこだわりが、会話の「指導モード」を生む。善意の訂正ですが、非ASDの人は「上から目線」と感じ、雑談が論争化。

- **分析例**: 友人との雑談で、映画解釈違いで「それは違う、原作ではこう」と即訂正。ASDの人は「正確性を共有したい」だけですが、相手は「自分意見否定された」と傷つき、関係希薄に。投稿リプライでも「気を付けるってどうやって?」と指摘されるように、この特性は「意識しても実行しにくい」のが難点。

- **脳科学的背景**: セロトニン系やドーパミン系の神経伝達物質の違いが、ルーチン依存を強め、柔軟性を低下させる。

#### 3. **感覚処理の偏り(過敏/鈍麻)とストレス反応**

- **特性説明**: ASDの約70-80%で感覚過敏(例: 騒音視覚刺激への敏感さ)が見られ、会話中のストレスが蓄積しやすい。脳の感覚統合が偏るため、感情コントロールが難しく、防御的な発言が増えます

- **投稿コミュニケーションへの影響**:

- 全体として、会話の「不確実さ」がストレス源となり、「悪いのは○○だ」のような外部帰属発言で解消を図る。善意がないわけではなく、過負荷時の「サバイバル反応」です。

- **分析例**: 議論エスカレートすると、ASDの人は感覚過負荷で「論理的逃避」(訂正連発)へ移行。結果、相手感情無視した印象を与え、誤解の連鎖に。

- **脳科学的背景**: 感覚野の過剰活性が、会話の社会的負荷を増幅。

### 全体のメカニズムと誤解の連鎖

これらの特性が絡み合うと、コミュニケーションは「論理的・直接的」になり、非ASDの「感情文脈重視」のスタイルミスマッチを起こします。投稿のようなパターンは、ASDの人が「正直で効率的」と思っている一方、相手に「冷たく批判的」と映る典型例。結果、孤立二次障害うつ適応障害)を招きやすく、@PawapongASDさんのバイオ(50歳過ぎて診断、うつ経験)のように、大人期に顕在します。

特性典型的な発言パターン 誤解の原因 例(投稿関連)
-------------------------------------------------------
社会的コミュニケーション障害 「君は間違ってる」 相手感情無視 訂正が攻撃的に聞こえる
こだわり・柔軟性欠如 「正しくはこうだ」 頑なさの印象 雑談講義
自己防衛・責任帰属自分は悪くない」「悪いのは○○だ」 責任転嫁と見なす対立エスカレート

### 対処のヒント(分析に基づく)

この分析一般論ですが、ASD個別性が高いので、専門家への相談おすすめします。投稿のような共有が、ASD理解を深める一助になるでしょう。

Netflix恋愛小説家

タイトル知名度のわりには

なんかストーリーフラフラして、

見ながら着地点が分から最後まで

ハラハラながら見

恋愛映画なのか、主人公情緒が人並みに育つ でも恋は成就しないタイプ映画なのか、

ゲイご近所さんとの人情ものヒロインを添えて〜なのか、

ロードムービーなのか、三角関係ものなのか いまいち最後に至るまで

「この映画からはこの成分を接種する!!」みたいなルート固定がなくてハラハラした

(でもタイトル的に恋愛映画やろ… なんかでも脚本の流れが危なっかしいな…)という

気持ち最後までみてた

燃える女の肖像でもみた、画家キャラの割にお出しされる絵がそんな上手くねえ 成分だ

これはレアですよ

主人公がいきなりいい人になってくから ん?だてなってたけど

そのオチは「ちゃんと薬を服用するようになったから」だったでござる…

ゲイの人が序盤の顔つきから後半の顔つきにかけて

最悪 被害者100パー 起こらない方がいい事が

起きてしまったけど、後半の顔つきのが深みがあって

現実を生きてる感あって味わい深くてよかった

序盤、なんか瞳孔開いてたもんな…

・トリツカレ男の時も思ったけど、

男性側が女性側に良かれと思って 結果オーライになったとしても

告知なくいきなり相手のために行動するのちょっと怖いわ

今回は金銭的な余裕の有無とか、子供病気とか

実質的相手の厚意を拒否する」選択肢、あるかこれ とはなった

でも30年前の映画からまあそこは時代ギャップということで…

・お手製プレイリストCD準備してたのかわヨ

緊急事態用」草なんだ

女優さんの首〜うなじセクシー

女性心理描写、若干雑じゃない???

数秒前と言うことかわるしその根拠感情の流れ描写もないか

唐突ご都合主義に感じちゃうことがぽつぽつあった

・色々ゆうとりますけど、ジャックニコルソンの演技が秀逸すぎるし

サイド二人の演技も滅茶苦茶よかった

ジャックニコルソンの笑顔一つで「あっこの人ヤバい人だ」伝え力が

ソエグいんよ

anond:20251122040208

自分達が批判している映画が好評だと困るよね?日本人センスというか、自分の考えが間違っていること認めたくないよね?

ショート動画を流し見してると、映画面白い部分を抜粋してそこのあらすじを読み上げるのが出てくるんだが、ホームページに同じ投稿者動画が出てきたので視聴してみたら映画一本まるまるあらすじにして紹介してた

これファスト映画じゃん?

しか動画一本観ただけで、ホームページに別の投稿者のものも含まれるファスト映画がズラリ

動画一本観ただけでこれかよ、オススメ汚染力たっけーなと呆れた

タイパが重視される昨今、時間を使って観た作品がハズレだったりしたらイヤだからネタバレを見てから作品を見るというスタイル確立してしまっているそうだが、いやそれでいいのかホント

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん